六丈記2

備忘録のようなもの

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

韓国メディアが世界遺産の件でイコモスが韓国側の主張を支持したと報道

 「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録に対する韓国の嫌がらせとも言えるロビー運動は執拗だ。朴槿恵大統領が自らユネスコ事務局長に「日本が一部施設で非人道的な強制労働が行われた歴史に目を背け、世界遺産への登録を申請した。世界遺産条約の精神に背き、不必要な対立を招く」などと訴えていたりもしていた。ロビー運動が功を奏したのか、ドイツが強制徴用の記念碑設置という仲裁案を提案している。そして今度はイコモスが韓国の主張反映して勧告を出したと伝えられていた。
 この勧告を報道したのは朝鮮日報で、23日に以下の記事を掲載していた。
**************************
世界遺産対立:イコモス勧告案は韓国の主張反映
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/23/2015052300462.html
-「明治日本の産業革命遺産」に全ての歴史の記録を-
 日本政府が、1850年代から1910年代にかけ、九州を中心とする地域に建設された炭鉱や港湾、製鉄所など23カ所について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産への登録を申請している問題をめぐり、ユネスコ傘下の諮問機関「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)」が「歴史の全ぼうを知ることができるような解釈を加える準備をするように」と日本政府に勧告したことが分かった。ICOMOSは今月15日、フランス・パリで行われた会議で、このような内容の勧告案を作成し、日本政府に伝えた。
 ICOMOSは、日本政府が対象となる23カ所の遺産について、一般市民が「歴史の全ぼうを理解できるような解釈を加える準備をするように」と勧告した。また「それぞれの場所が、日本の近代化の1段階、または複数の段階を反映する」という解釈を加える準備をすることも勧告した。
 ICOMOSは美術史学者や建築史家、地理学者など各界の専門家で構成されている。韓国側の交渉代表を務める外交部(省に相当)のチェ・ジョンムン文化協力担当大使は「日本が産業革命の成果だけでなく、その後に行われた強制徴用についても率直に認め、伝えていくべきだという韓国側の主張が反映された」と語った。ICOMOSは日本政府に対し、2017年11月までにこの勧告案に対する検討結果を提出するよう求めた。
==省略==
**************************
**************************
世界遺産対立:イコモス、日本の過去隠ぺいに「待った」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/23/2015052300463.html
==省略==
 問題は、この23カ所のうち7カ所で太平洋戦争末期に強制徴用が行われたということだ。7カ所には長崎県にある三菱重工業長崎造船所第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場と、高島炭鉱・端島炭鉱、福岡県にある三池炭鉱・八幡製鉄所などが含まれる。特に、「軍艦島」「地獄島」と呼ばれていた端島炭鉱では、朝鮮人・中国人鉱夫たちが少なくとも1000メートルの海底トンネルを掘っていき、一日12時間の厳しい労働を強要された。
 この7カ所のほか、山口県にある私塾「松下村塾」も日本人にとっては感慨深い場所だが、韓国人にとっては胸が痛む場所だ。満29歳にして江戸幕府に斬首刑に処せられた武士・吉田松陰がここで明治維新の立役者たちを育てた一方で、「朝鮮を征伐しよう」という「征韓論」を広めた所でもあるためだ。
 イコモスの勧告案で最も重要なのは、一般大衆が「歴史の全貌を理解できるように」と求めている部分だ。日本政府はこれまで「この23カ所はすべて1910年以前に建設されているため、日本の産業革命の成果を示すだけで、植民地支配や侵略とは何の関係もない」と主張してきた。日本の歴史の成果を示しているに過ぎず、その成果が他国の苦痛につながった「次の章」については目を閉ざしたのだ。韓国政府が「強制徴用の被害地が世界文化遺産になることに反対する」との見解を表明した後、菅義偉官房長官は「政治的主張を持ち込むべきでない」と述べ、公の場で不快に感じていることを表した。しかし、イコモスは韓国の方を支持した。
 イコモスの勧告はまた、「各所が日本の産業化の一段階、あるいは複数段階をどのように現しているのか強調する解析戦略を準備してほしい」と明記した。日本はこの23カ所を見てアジア諸国の中で唯一、産業革命に成功したと感じているが、その後に繰り広げられたのが侵略と収奪だという事実にも光を当て、記憶すべきだということを国際学界が認めたと解釈できる。イコモスはユネスコ傘下委員会の形式を取っているが、国際機関というよりも独立した専門学術団体という側面の方がはるかに強い。
 韓国側代表として交渉実務を担ってきた韓国外交部(省に相当)の崔鍾文(チェ・ジョンムン)ユネスコ文化協力大使は「日本の歴史的成果を否定しようというのではなく、植民地から連れてこられた人々が強制徴用の被害に遭ったという事実にも光を当てるべきだというのが韓国政府の一貫した見解だ。イコモスの勧告案は、国際社会が韓国の主張を妥当だと認めたことを意味する」と語った。
==省略==
**************************
 ところが、共同通信が朝鮮日報の報道を否定する記事を掲載した。記事は日本語版には無く、韓国語版しかないので機械反訳したものを載せる。
**************************
日政府、「イコモス追加勧告なかった」...朝鮮日報の報道「不正」
http://www.47news.jp/korean/korean_peninsula/2015/05/114825.html
 韓国の朝鮮日報は23日、世界文化遺産に登録される見込みである「明治(明治)日本の産業革命遺産」(福岡=福岡など8県)に、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が日本政府に「歴史の全貌を知ることができるようにする解釈戦略を「準備するように点を要求して追加の勧告をしたと報道した。複数の政府関係者はこの日、共同通信の取材に対し、「諮問機関から、そのような連絡は受けていない」と述べた。
 諮問機関である国際記念物遺跡協議会(イコモス)は4日、産業革命遺産を世界文化遺産に登録するようにユネスコに勧告した。しかし、韓国政府は、登載されている23個の施設のうち、7つの施設に朝鮮(した)半島出身者が強制徴用なっていたと登録を反対??。朝鮮日報はイコモスが15日に勧告を作成し、日本政府に伝えたと報道した後、「侵略と収奪であるという事実にも照明し、記憶しなければならないという点を認めた」と説明した。
 イコモスは4日公表した勧告文書で「各施設の歴史全体を理解できるように説明すること」が必要だと指摘、日本政府に2017年12月1日までの検討結果を報告するよう要請した。
 政府関係者は、この指摘に対して、「特別徴用の歴史を明示するように要求したとは考えていない」と述べた。その後も追加勧告や指示などはなかったという。
 日本側は、産業革命の遺産が対象とした時代は、1850年代から1910年までに、強制的に徴用があった時代とは異なっていると理解を要請している。
**************************
 朝鮮日報は15日にイコモスの追加勧告が日本政府に伝えられたとしているが、日本政府関係者は無いという。どういうことだろうか。これを読み解くヒントが25日の東亜日報の記事にあった。
**************************
ユネスコICOMOS「日本の施設、世界文化遺産の趣旨に合わない」
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2015052532198
 朝鮮人強制徴用の施設が含まれた日本の近代産業施設のユネスコ世界文化遺産登録問題で、ユネスコの国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が日本に否定的な歴史も含めるよう勧告しただけでなく、申請した施設が世界文化遺産の趣旨に根本的に合わないため、十分に内容を補完するよう勧告したことが明らかになった。
 このような内容は15日、ICOMOSがユネスコ世界遺産委員会(World heritage committee)のホームページに公開した「世界文化遺産登録の審査評価報告書」(計353ページ)の中で、日本の施設関連内容(88~102ページ)で確認された。報告書は、94ページで、「日本が提出した書類には、重工業、造船、炭鉱などのいくつかの産業施設で西欧から受容した『技術的な過程』だけが反映されているが、産業技術がもたらした複雑で広範囲な社会・政治的変化を提示できていない。資料を十分に補完する必要がある」と指摘した。
 ユネスコは、「産業革命の遺産」の定義を「社会・政治的変動だけでなく、大学を設置し、通信網や鉄道、海上運送を可能にするなど、社会・教育・医療などで古い封建システムを倒すことに影響を与えた施設」と定義している。このような定義により、報告書は、「日本が申請した施設は、産業革命の全体的な段階(full scope of the Industrial Revolution)を含んでいないと判断される」と強調した。
 そして末尾に、日本政府に対して「歴史の全貌を理解できるように」注文し、朝鮮人の徴用など否定的な歴史を盛り込むよう求めただけでなく、果たして該当施設を世界文化遺産と見ることができるのかという根本的な疑問を投じたという点で論議が予想される。
==省略==
**************************

 これから推測すると、真相はこういうことだろう。
1)5月4日、イコモスが「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」との名称で世界遺産一覧表に記載することを勧告。同時にイコモスは、資産の保全措置計画の策定や構成資産がOUV(顕著な普遍的価値)に貢献していることの説明計画の策定などについて配慮を求め、進捗状況の報告を2017 年12 月1日までに提出するよう推奨する。
2)5月15日、イコモスが5月4日に通達した勧告文をホームページ上で公開。
3)朝鮮日報がホームページ上に公開された勧告文を15日に新たに出された勧告と勘違いし、「パリで行われた会議で、このような内容の勧告案を作成し、日本政府に伝えた。」と創作。
4)イコモスが勧告文中で説明計画の策定を求めていることについて、朝鮮日報がチェ文化協力担当大使に意見を求める。チェ文化協力担当大使は韓国側の交渉代表にもかかわらず、5月4日に通達された勧告文の内容を知らなかったため、朝鮮日報の新たな勧告で説明計画の策定を求めたという説明を真に受け、「日本が産業革命の成果だけでなく、その後に行われた強制徴用についても率直に認め、伝えていくべきだという韓国側の主張が反映された」と、さも4日のロビー活動の成果のように答える。
5)チェ文化協力担当大使の解説もあってか、朝鮮日報が説明計画の策定の意味について「侵略と収奪だという事実にも光を当て、記憶すべきだということを国際学界が認めた」と勝手に解釈し、イコモスが韓国を支持したと妄想を膨らませる。
6)共同通信が朝鮮日報の記事の裏取りのために日本政府関係者に取材し、虚報だということが判明する。

 韓国メディアによると、イコモスは勧告文を15日に公開したそうだが、福岡県は4日の内にホームページ上で勧告原文(英語)と内閣官房報道発表資料を掲載していた。内閣官房もプレスリリースを出し、サイトにも掲載しているから、勧告内容は早々に知れ渡っていたのである。韓国はこれに並々ならぬ関心を示していたのだから、韓国政府や韓国メディアはイコモスがホームページ上で公開する前に知っていて当然な筈。ところが、この一連の反応を見てみると、韓国側は内容を十分に検討することなく、ただ自分の主張を押し付けることだけに汲々としているのが見て取れる。声闘という文化を持つ朝鮮民族らしい行動だ。

 東亜日報は勧告文の94ページに言及しているので、その部分を原文から抜き出す。
**************************
The nominated series reflect only technological progress, related to some industries in a specifically Japanese context. It does not address the wider transformation to society brought about by that technology. Nor does it address the complex, sweeping social and political changes that were the pre-requisites for industrial progress and which were undertaken with astonishing speed such the abandonment of the old class system, the opening of universities, the construction of telegraph and railway lines, and the development of shipping lines.

In these circumstances, ICOMOS does not consider that the series reflects the full scope of the Industrial Revolution. To do that the emphasis would need to be broadened to cover more social aspects, such as workers’ housing,schools,hospitals, etc., other industries, and the impact of industrialisation on both rural and urban landscapes and their societies.

Given that the State Party has indicated that it wishes to explore further industrial nominations, it would seem preferable if each of such nominations could be focused on certain aspect of the overall industrial revolution, whether historical, geographical, social or technical.
**************************
 これを和訳するとこうなるだろうか。
**************************
候補に挙げられた資産群は、特に日本の文脈におけるいくつかの産業に関連した技術進歩だけを反映している。それは、その技術によって社会にもたらされた広い変化を扱っていない。また、産業発展のための前提条件である広範囲に及ぶ社会的、政治的変革や驚異的なスピードをともなった旧階級制度の放棄、大学の開校、電信と鉄路の建設、海運開発等が着手されたことの複合体を扱っていない。

このような状況において、イコモスは資産群が産業革命の全範囲を反映すると考えない。そうするために重要視するのは、労働者住宅、学校、病院などや他の産業、地方と都市の風景とそれらの社会の両方における工業化の影響のようなより社会的側面をカバーするために広げる必要があるということである。

締約国がさらに産業のノミネートを探ることを望んで示すならば、そのようなノミネートの各々が歴史的、地理的、社会的、技術的において全体的な産業革命の特定の側面に関心を集めることができるとしたら、それが望ましい。
**************************
 この部分をもって東亜日報は「該当施設を世界文化遺産と見ることができるのかという根本的な疑問を投じた」と書いているが、イコモスが世界遺産リストに登録するよう勧告していることを考えれば、明らかな間違いだということが分かる。東亜日報の願望であり、妥当性は無い。

 世界遺産に登録されるには、「顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)」を有していると認められなければならいが、そのためには評価基準の内の一つ以上を満たされていると証明されればよい。
**************************
世界遺産の評価基準
(i) 人間の創造的才能を表す傑作である。
(ii) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値感の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iii) 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
(v) あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの
(vi) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
(vii) 最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域を包含する。
(viii) 生命進化の記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、あるいは重要な地形学的又は自然地理学的特徴といった、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である。
(ix) 陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化、発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本である。
(x) 学術上又は保全上顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含する。

(i)から(ⅵ)は文化遺産、 (ⅶ)から(ⅹ)は自然遺産に適用される基準です。
文化遺産の場合は、完全性及び真正性を備えたうえで、国内法で保護されている必要性もあります。
 ※ 完全性とは、その物件の「顕著な普遍的価値」を証明するために必要な要素が全て揃っていること等を指します。真正性とは、特に文化遺産について、そのデザインや材質、機能等が本来の価値を有していること等を指します。
**************************
 イコモスは、評価基準(iii)の正当性は証明されていないとしたものの、評価基準(ii)と(iv)について正当性が証明されたとし、完全性及び真実性の条件も満たされているとした。
 ただし、以下のことについての配慮も求め、2017 年12 月1日までに進捗状況を世界遺産センターに報告することを推奨している。
・ 端島炭坑について、優先順位を明確にした保全措置の計画を策定すること。
・ 推薦資産及びその構成資産に関する優先順位を付した保全措置の計画及び実施計画を策定すること。
・ 資産への悪影響を軽減するため、各構成資産における受け入れ可能な来訪者の上限数を定めること。
・ 推薦資産及びその構成資産の管理保全のための新たな枠組みの有効性について、年次ベースでモニタリングを行うこと。
・ 管理保全計画及び地区別保全協議会での協議事項・決議事項の実施状況について、年次ベースでモニタリングを行うこと。
・ 各構成資産の日々の管理に責任を持つあらゆるスタッフ及び関係者が、能力を培い推薦資産の日常の保全、管理、理解増進について一貫したアプローチを講じられるよう、人材育成計画を策定し、実施すること。
・ 推薦資産に関する説明(インタープリテーション)の計画を策定し、各構成資産がいかにOUVに貢献し産業化の1又は2以上の段階を反映しているかを特に強調すること。また、各サイトの歴史全体についても理解できる計画とすること。
・ 集成館及び三重津海軍所跡における道路建設計画、三池港における新たな係留施設に関するあらゆる開発計画及び来訪者施設の増設・新設に関する提案について、「世界遺産条約履行のための作業指針」に沿って、審議のため世界遺産委員会に提出すること。

 朝鮮日報は、説明の計画を策定の部分に着目し、イコモスが「各所が日本の産業化の一段階、あるいは複数段階をどのように現しているのか強調する解析戦略を準備してほしい」と明記したと書いて、「その後に繰り広げられたのが侵略と収奪だという事実にも光を当て、記憶すべきだということを国際学界が認めたと解釈できる。」と言っているが、曲解としか言いようがない。
 「明治日本の産業革命遺産」は1853年から1910年までの短期間で急速な産業化を達成したことを示し、3つの段階に分けている。第一段階は1850年代から1860年代前半の幕末期、第二段階は明治時代初期から1870年代前半の西洋技術導入期、第三段階は明治後期(1890~1910年)の産業化達成期である。よって、「産業化の1又は2以上の段階」という中に日韓併合以降の事は含まれないのは明らかで、構成資産が産業化の段階での貢献度を強調しろと言っているに過ぎないのだ。



 今回登録されれば、2013年の「富士山」(山梨県、静岡県)、2014年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)に続いて3年連続となる。韓国が日本の世界遺産登録を邪魔したいだけであれば、富士山や富岡製糸場にも反対していた筈だ。しかし、それは無かった。今回これ程度までに執拗なのは、「明治日本の産業革命遺産」を構成する資産の中に朝鮮人労働者が関係しているからだ。
 韓国政府は「植民地時代、わが国民が強制徴用されたつらい歴史を持つ施設を世界遺産に登録することは、人類の普遍的価値を持つ世界遺産を保護するという世界遺産条約の基本精神に反する」と主張し、徴用がまるで「人道に対する罪」かのように言う。朝鮮人が徴用されたのは、本土の人間と同様に日本国民としての義務が課せられただけにもかかわらず。結局これも歴史認識問題なのだ。
 徴用は戦時下の労働力不足を補うために行われていたもので、他国でも実施されていた。特別な事ではない。徴用は奴隷労働ではなく、給与が支払われており、終戦の混乱による朝鮮人労働者に対しての未払い給与についても1965年の日韓請求権・経済協力協定で解決済みとなっている。徴兵で戦地に行かされるより徴用で工場等に行かされる方が、生命の危険が低い分だけましではないか。
 そもそも、韓国側が主張している「明治日本の産業革命遺産」の7施設で朝鮮人5万7900人(高島炭鉱4万人、三井三池炭鉱と三池港9200人、長崎造船所4700人など)が強制動員され、94人は死亡し、5人の安否が確認されていないというのは、本当なのだろうか。国民徴用令が制定されたのは1939年だったが、朝鮮に適用されたのは1944年9月からであり、朝鮮人徴用労務者の本土への派遣は1945年3月までの7ヶ月間だった。こんな短い期間に6万人弱を朝鮮から動員するのは可能だったのか。疑問に思わざる得ない。

 中央日報は5月14日にこんな記事を掲載している。
**************************
600人連行された端島炭鉱…病気・変死・事故で122人死亡(1)
http://japanese.joins.com/article/337/200337.html?servcode=400§code=410
「イ氏〔当時22歳、慶尚南道固城郡(キョンサンナムド・コソングン)〕。1927年12月26日午後7時10分、長崎県端島炭鉱坑内で圧死」。
「別のイ氏〔当時36歳、慶尚南道晋州市(チンジュシ)〕。1929年1月5日午前5時30分、坑内で溺死」。
日本がユネスコ世界文化遺産の登録を推進する端島炭鉱で、強制労働をさせられた朝鮮人がどんな生活を送っていたのかを物語る資料が出てきた。国務総理室所属の「対日抗争期の強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者の支援委員会(支援委)」が作った「死亡記録を通じてみた端島炭鉱強制動員朝鮮人の死亡者被害実態基礎調査」だ。日本の市民団体「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」などが探し出した死亡記録を基に作った報告書だ。
13日、この報告書によれば端島炭鉱には朝鮮人600人が連行されて122人が死亡した。およそ5人に1人が亡くなったことになる。このうち17歳以上の92人について死亡原因を分析した。病気が28人で最も多く窒息・溺死のような変死が24人、炭坑事故が17人だった。報告書を書いたユン・ジヒョン調査官は「病気は悪条件の中でまともに食べることができずに長時間労働をして、栄養不足のためにかかった」としながら「溺死の場合、島から逃げて海におぼれたケースもあると推定される」と話した。
報告書は、生き残って光復(解放)後に故郷に帰ってきた生存者の証言も載せている。キム氏〔89、慶尚南道宣寧郡(ウリョングン)〕は、「坑道の中は立てないほど狭くて温度が45度を超えた」として「労役中に石が落ちて頭が割れ、時々上から転がり落ちてきた石に当たって死亡する人もいた」と伝えた。
「1日12時間ずつ働き休憩時間は何分も与えられず、ひどい鞭打ちをされる時が多かった」(モ氏、94、慶尚南道晋州市)、「炭鉱が崩れる事故が多く、死ぬ人が多かった。多くの人が逃げようとしたが、ほとんどが捕まって激しい拷問にあった」〔チャン氏、90、忠清北道槐山郡(チュンチョンブクド・クェサングン)〕などの証言も出てきた。
支援委のパク・イヌァン委員長は「日本は近代文化遺産だと主張するが、韓国の立場からみれば強制労働と収奪の現場」としながら「暗い過去を棚上げしたままユネスコ文化遺産に登録されないように、真実を捜し出して伝え続ける」と話した。
端島炭鉱は日本の南西側の島にあり、三菱が運営していた。海水面から1000メートルまで掘り下げた。島が軍艦のように見えることから「軍艦島」とも呼ばれ、犠牲者が多かったことから「地獄島」とも言われた。
**************************
 1927年と1929年に死亡した朝鮮人の例を挙げているが、国民徴用令が制定される10年以上前のことだ。彼らが徴用されたのではないことは明らかだ。
 当時、炭鉱は危険で重労働の職場だったが、高給でもあった。それに、会社が衣食住の面倒をみていたので、食い詰めて金を持たない者にとっては、勤めたその日から生活が保障される都合のいい職場でもあった。だから、キツイ職場であっても多くの人が集まった。そのように坑夫になった人の中には朝鮮人も多くいただろう。たぶん、前述の2人はそうした人なんだと思う。
 とはいっても、タコ部屋労働が存在した時代でもあったから、中には劣悪な条件でありながらも辞める事が出来ずに働かなければならない例もあったかもしれない。ただそれは、朝鮮人に限ったことではない。斡旋業者らが行っていたことで、国家が強制したとは言えないだろう。

 中央日報は、徴用されたとは思えない例を挙げ、朝鮮人が連行されたと書いている。韓国政府が主張する5万7900人の強制徴用もこのようなものではないか。
 岸田文雄外相は「(遺産の)対象とする年次は1850年代から1910年だ。韓国が主張しているような朝鮮半島出身の旧民間人徴用工問題とは対象とする年代も歴史的な位置付け、背景も異なる」と反論するが、韓国政府が主張する根拠を糾すべきではないか。


////////////////
1 イコモスの評価結果及び勧告の内容
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/icomos-kankoku.html
内閣官房報道発表資料 [PDFファイル/144KB] 
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/uploaded/attachment/9293.pdf
イコモス勧告原文 [PDFファイル/502KB]
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/uploaded/attachment/9301.pdf
世界遺産の評価基準
http://www.kyouikuisan.jp/worldheritage/kijyun.html
世界遺産目指す日本の産業施設に約6万人強制徴用=韓国
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/03/2015040301431.html

PageTop

ベン・E・キング死去

** 「スタンド・バイ・ミー」のベン・E・キングさん死去 **
http://www.oricon.co.jp/news/2052420/full/
 名曲「スタンド・バイ・ミー」などで知られる米R&B界の大御所、ベン・E・キングが死去していたことが5月1日、わかった。76歳だった。関係者が英BBCに明らかにした。
 関係者によると、きのう4月30日に死去。キングさんは1938年米ノースカロライナ州生まれ。58年にザ・ドリフターズに加入し、「セーブ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー」などがヒットした。
 その後ソロに転向し、61年の「スタンド・バイ・ミー」が大ヒット。同曲は元ザ・ビートルズのジョン・レノンら数々のアーティストがカバーしたことでも知られる。
*********************************************************



 ベン・E・キングの代表曲は「スタンド・バイ・ミー」ですが、「ムーン・リバー」もカバーしていました。



 ムーン・リバーは名曲だけに様々なシンガーが歌っています。この際だから、ベン・E・キングのムーン・リバーと聞き比べてみましょうか。
 オードリー・ヘップバーン、ルイ・アームストロング、アンディ・ウイリアムス、フランク・シナトラ、サラ・ヴォーンの順になっています。










////////////////////
Ben E. King - Stand By Me (HQ Video Remastered In 1080p)
https://www.youtube.com/watch?v=dTd2ylacYNU
07 Moon River Ben E. King
https://www.youtube.com/watch?v=_jpR4CzCn5g
ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン
https://www.youtube.com/watch?v=vnoPke8tlAs
Louis Armstrong - Moon River
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ZTNd4FkLb3Q
Moon River - Andy Williams
https://www.youtube.com/watch?v=L_jgIezosVA
Frank Sinatra - Moon River
https://www.youtube.com/watch?v=vJgGs9WpGt0
Sarah Vaughan - Moon River
https://www.youtube.com/watch?v=JBdWr7gmTbU

PageTop

大通公園の桜

 4月24日の大通公園です。天気が悪かったのは残念でしたが、もう桜が咲いていました。
大通公園1

大通公園2

大通公園3

大通公園4

大通公園5

大通公園 場所

 大通公園は、南北の境界になっている大通の公園部分で、東西に約1.5kmの長さがあります。公園幅は65mで、公園の東端には札幌テレビ塔が立っています。
 道路に挟まれている公園があることや、テレビ塔があるからでしょうか、大通公園と名古屋の久屋大通公園は似ていると言われます。類似点を並べるとこの様になるでしょうか。
●都市の中心部を横切っている。
●通りの幅員が同じ位。
 大通は約105m、久屋大通は100m。
●通りの中央分離帯にあたる部分が公園。
 大通公園の幅は65m、久屋大通公園の幅は60m。
●公園の長さが長い。
 大通公園は約1.5km、久屋大通公園は約2km。
●地下街と地下駐車場がある。
●地下鉄が通っている。
●テレビ塔がある。
 札幌テレビ塔は高さ147.2m、1957年完成。名古屋テレビ塔は180m、1954年完成。設計者はどちらも内藤多仲。
大通公園6

大通公園7

 似ているといえば似ているのかもしれません。どちらも防火帯ですが、成り立ちが異なるようです。久屋大通は「戦災復興計画基本方針」で計画された「100m道路」に基づいて建設された道路なのに対し、大通は明治初期の都市計画に盛り込まれており、官地と民地を分ける道路として敷設されました。
 大通が完成したのは、札幌に開拓使庁が設置された年と同じ1871年のことです。完成当時、大通の中央部分は、雪捨て場などの多目的広場として利用されていたようですが、1876年に花壇(大通花草園)が作られ、1911年に大通逍遥地(大通逍遥園)として整備されたのが公園のはじまりとのことです。逍遥とは「気の向くままに、あちこち歩き回ること。行楽。遊覧。」との意味ですから、「逍遥園」を現代風に言い換えるなら「散策公園」となるでしょうか。
 市民の憩いの場となった逍遥園ですが、戦時中は食糧難から畑地にされていたようです。終戦後は進駐軍が大通周辺の拓銀など主要施設を接収したことから、進駐軍のための余暇施設を兼ねた野球場やテニスコートなどの体育施設が作られたのことですが、1950年に進駐軍から大通が返還された後は、徐々に花壇が復活しました。1980年には都市公園法に基づく特殊公園になり、2011年に開園100周年を迎えました。

◆大通逍遥園
大通公園 大通逍遥園1
大通公園 大通逍遥園2

◆1950年頃
大通公園 戦後地図

◆開園100周年
大通公園 100周年

/////////////////
大通公園
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%9A%E5%85%AC%E5%9C%92
久屋大通公園
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E5%B1%8B%E5%A4%A7%E9%80%9A%E5%85%AC%E5%9C%92
大通花壇史(その1)
http://www.sapporo-park.or.jp/odori/history/history_detail07/
札幌の昔の写真(16枚)
http://infocage.cocolog-nifty.com/photos/16/a_15.html

PageTop

村岡元オウム代表の談話と後継団体の動向

 地下鉄サリン事件から20年となる3月20日、日刊スポーツが元オウム幹部の村岡達子氏のインタビューを掲載していた。
 「村岡達子」という名を聞いても、門外漢には強制捜査後に突如オウム真理教の代表になった人物ということくらいしか記憶がない。ただ、村岡氏に対しては、オウムの大臣でもなく、選挙にも出馬しなかった無名に人物が、何故ゆえに代表に抜擢されたのかと疑問にも思っていた。それで、この機会に村岡氏について少々調べてみた。
 ウィキペディアの「村岡達子」の項に記載されている代表就任までの事柄は、
●1950年3月生まれ
●広島県福山市出身
●ホーリーネーム「ウッタマー」
●ステージ「正悟師」
●1988年入信
●教団内での仕事は、仏典の翻訳や通訳
●教団代表の麻原や代表代行の松本知子の逮捕により、代表代行に就任
この程度のことでしかない。肝心の代表代行就任に至る理由が載っていない。
 それで、過去のオウム報道の資料を調べてみることにしたところ、「フライデーSpecial’95総集編(1995年12月19日増刊号)」から「三女アーチャリーのお守り役をつとめる村岡達子」という記述を発見した。そこから推測すると、村岡氏が代表代行に抜擢された理由は、「残された教団幹部の中で松本家に一番近い存在だったから」ということではないだろうか。

 閑話休題。そんな村岡氏がオウムを離れ、現在の心境を語っている。

*** 元オウム村岡達子氏が語る地下鉄サリンから20年 ***
http://www.nikkansports.com/general/news/1449249.html
~省略~
 「20年たって初めて、心から、ごめんなさい、できるなら献花をさせてほしい。そういう気持ちになれました。事件で苦しみ、大切な方を失い、悲しい思いをされた被害者の方、その方々につながるすべての方々に、ただただ、ごめんなさいと、今は本心から、そう思っています」。
 西日本地方の町に1人で暮らす村岡氏は、夕方の公園で取材にそう答えた。

 1987年。37歳の時、書店で松本死刑囚の著書を目にした。上智大を4年で中退し、結婚、離婚を経て、渡米。ベンチャー企業に勤めたが、本格的な米国移住を前に会社が倒産し、帰国したころだ。「また変な新興宗教だ」。そう思いながら本をめくった。生きるとは何か。少女時代から答えが見つからなかった問題。その時は「ここに答えが書いてある」と思った。

村岡氏:正直に話したい。教団での6年半は自分の人生で、もっとも幸せな時期でした。私は仏典の翻訳の仕事ばかりで、ある意味、温室でした。教団が犯罪を行っていたなんて、知らなかった。だから、教祖逮捕後の99年12月、私がオウム真理教代表代行として謝罪しましたが、なぜ謝罪なのか、分からないままの、形だけの謝罪でした。

 教団は00年「アーレフ」(08年アレフに改称)と改称。村岡氏が代表となり、02年、上祐史浩氏(現ひかりの輪代表)が代表に代わった。このころ初めて、自分と教団とを切り離して見る機会が訪れる。

村岡氏:01年に兄から、母が99年12月に亡くなったと聞きました。私が都内のマンションにいたころです。窓の遠くに富士山が見えた。「あそこに尊師の王国があったんだ」。過去形で思ったことに気が付いた。

 その後、教団の分裂騒動が始まる。村岡氏は組織内でも窓際に追われた。信者が共同生活をする施設を出て、1人暮らしを始めた。「社会で生きたい」。そんな気持ちが大きくなった。

村岡氏:09年、あるセミナーに出ました。私が教祖を否定しないから「村岡さんはテロを肯定するのか」と聞かれた。教団の中にいたら「救済」ですから「テロ」とは夢にも思っていない。質問の意味すら分からなかった。しばらく考えて「あ、私は絶対やらない」と。テロはいけない、悪いことだ。殺人はいけない。社会で生きるなら当たり前。でも、教団の外に出ないと、そういう見方にはならなかったんです。

 教祖松本死刑囚の教えの先で事件は起きた。このことを今、どう思うのか。

村岡氏:事件当時、もし知っていたら私は教団にいなかった。それが私の1つの答えです。自分のことは言える。だけど、教祖の否定は言いづらい。私にはかけがえのない人でしたが、事件に関わったドロドロした部分は魅力的ではない。ならばなぜ、否定できないか。分かってもらうのが難しいと思います。でも正直に言います。私にとっては幸せな時代の恩師で、敬愛の気持ちがあるからだと思います。

 今の教団の信者たちに伝えたいことがある。

村岡氏:教団の中にいれば、守られているが故に、事件に向き合わなくてすむ。だけど、出来るなら一度、教団を出て、1人1人が世の中に触れ、自分の信仰のあり方を見つめ直してほしい。向き合わないままでは、社会からは認めてもらえない。

 話し終えた村岡氏は、言った。「私の中でオウム真理教は死にました。一から生き直したい。今はそう思っています」。

◆村岡達子(むらおか・たつこ) 1950年(昭25)生まれ。上智大4年で中退。88年7月、オウム真理教に入信。同年12月、出家。教団では英訳された仏典などの翻訳、通訳を担当。修行のステージは正悟師。地下鉄サリン事件後、松本死刑囚らの逮捕をうけ、同年6月に、教団の代表代行となる。00年、アーレフに改称時から代表。02年の上祐氏の代表就任で同職を退く。アレフに改称(08年)後の11年6月に退会届を出し、教団を離れた。西日本地方に移り、翻訳、内職をして暮らしている。
~省略~
******************************************************

 村岡氏は1999年12月に謝罪を表明していたが、一連の事件がオウムの犯行とは本当に思っていなかったようだ。麻原が逮捕されて4年半という年月の間には、多くのオウム幹部が公判で自己の犯行を証言していたり、数々の物証が発見されるということがあったため、世間でオウムの犯行を否定する者は皆無だった。それにもかかわらず、村岡氏は、オウムの犯行を本心では否定していたのだ。
 村岡氏は事件に関与していなかったのだから、信じられないという気持ちも分からなくないが、証言や物証を冷静に見れば、オウムの犯行が動かしがたい事実と理解できないはずはない。ましてや、村岡氏は教団代表代行という地位にあった。
 村岡氏ら信者と世間との認識ズレは、「洗脳」によって生じたと理解するのが正解なのかもしれないが、その一言で片付けるには安易なような気もしていた。
 ところが、オウム関連のサイトやブログを読むようになり、あることに気付いた。オウム信者は出家により世間との関係を絶っていたため、情報に疎かったのだ。と言うより、外部の情報を入れると悪いエネルギーが入り込み、修行に悪影響を及ぼすと考え、故意に情報を遮断していたと言った方が正しいのかもしれない。門外漢は、内部にいたのだから一般人より詳しいと思いがちだが、信者に見えているのはオウムのほんの一部でしかなかったのだ。考えてみれば、住んでいた敷地内で数々の犯罪行為が行われていながら、多くの信者は全く知らなかった。
 対して、世間の人々はリアルタイムで、マスコミに登場して弁明するオウム幹部や次々に明かされるオウム犯罪の報道など、怒涛のように押し寄せる情報の中でオウムの全体像を認識していった。
 同じ時代を生きていても情報を共有していないのだから、信者と世間の人々との間に感覚のズレが生じるのも当然なのかもしれない。

 また、村岡氏は、オウムが犯した犯罪を認めて教団を離れたにもかかわらず、未だに麻原に対する尊崇の念を抱いているという。脱会しながら麻原への思いを捨てられない者は一定数いるようだ。だから、村岡氏が特別という訳ではない。
 麻原は人を魅了する能力があったのかもしれないが、この様な思いは、オウムに入会していなかった者には理解し難い。客観的に見れば、オウム信者だったことは社会的に大きなマイナスでしかない。それは、教団から社会に出た者なら身に染みている筈だ。それでもなお、その原因を作った麻原を切り離せないでいる。たぶん、麻原に接していなかった者には分からないのだと思う。しかし、分からないなりに想像すると、麻原に帰依する気持ちは無くなってもオウムで得た信仰を捨てた訳ではないからなのではないだろうか。麻原が大悪人であっても、信仰に導いてくれ、修行する環境を与えてくれた恩師であることには変わりなく、信仰を持ち続けている限りはそれを否定することはできない。こういう思いがあるから、教団を捨てることはできても麻原を捨て去ることができないのだと思う。
 
 オウムに司直の手が入ってから16年後、村岡氏は教団を脱会した。教団に居場所をなくしたことが考え直す切っ掛けになったようだ。一時期、代表代行という教団トップの地位にあった者が、何故窓際に追われたのだろうか。
 その疑問を解くため、まず強制捜査後から村岡氏脱会までのオウムの動向を年表にしてみた。

1995年
6月:オウム真理教の代表代行に就任していた松本知子が逮捕され、正悟師からなる長老部(村岡達子、鎌田紳一郎、野田成人、杉浦茂、杉浦実、二ノ宮耕一)が最高意思決定機関となる。代表代行には村岡氏が就任。
1996年
1月:オウムの宗教法人法上の解散が確定。
5月:オウムの破産が確定。
6月:麻原の長男と次男を教祖とする。
1999年
9月:オウムが対外的な宗教活動の休止などの「オウム真理教休眠宣言」を発表。
12月:オウムが「正式見解」を発表し、事件の関与を認め謝罪。賠償も行うとした。
12月:オウム新法(団体規制法)施行。
12月:長老部の鎌田紳一郎氏が脱会。
12月:上祐史浩氏が出所し、教団に戻る。
2000年
2月:オウム新法による公安調査庁長官の観察処分開始。
2月:「オウム真理教」から改名し、宗教団体「アレフ」として活動再開。村岡氏が代表となる。
2月:麻原の次女と三女(アーチャリー)が旭村事件(麻原の長女の元から長男を連れ去ろうとした事件)で逮捕される。次女と三女は保護観察処分、長男は児童相談所に保護される。
2002年
1月:上祐氏が代表に就任し、村岡氏が会長に就任する。アレフが麻原彰晃との決別を表明。
10月:松本知子が出所。
2003年
2月:「アレフ」から「アーレフ」へ改称。
10月:麻原外し路線が反発を招き、上祐氏が失脚。教団の運営は旧長老部に移行する。
2004年
11月:上祐氏が教団運営に復帰。代表派(上祐派またはM派)と主流派(反上祐派またはA派)の対立が深化し、教団は分裂状態。
2006年
9月:松本家に「松本知子作の絵画の使用料」を名目として継続的に資金提供してきたことを認める。
2007年
2月:役員会で、野田成人氏が代表、村岡氏が副代表と決議される。
3月:上祐氏がアーレフから脱会し、分裂。
7月:元長老部の杉浦茂氏と杉浦実氏がアーレフから脱会。
2008年
5月:「アーレフ」から「Aleph(アレフ)」へ改称。
5月:上田竜也氏と松下孝寿氏が共同幹事に就任。アレフの代表は共同幹事とされる。
2009年
3月:野田氏がAlephから除名される。
5月:松下孝寿氏と田中和利氏が共同幹事に就任。
2010年
5月:鈴木一弘氏と田中和利氏が共同幹事に就任。
2011年
6月:村岡氏がAlephを脱会。

 アーレフがひかりの輪とAlephに分裂したことは知っていたが、内紛続きで幹部が次々と脱会していたのは知らなかった。結局、正悟師で残ったのは、二ノ宮耕一氏だけなようだ。
 それはそうと、年表で概要は分かったが、詳しい経緯が分からないので、様々な人の証言を参考にして、自分なりにまとめてみる。

 地下鉄サリン事件の後、オウム真理教は獄中の麻原のメッセージを長老部が受け取って教団運営されるようになった。事件の翌年、オウム真理教は宗教法人ではなくなったが、破壊活動防止法の適用もされず、教団は残った。しかし、反省や謝罪をしない教団への批判は強く、オウム新法の制定に至る。
 教団はアレフへ改称。旭村事件で麻原の家族が教団から離れざるを得なったため、麻原の家族を表向き不参加にし、教団から松本家への資金提供を密かに続ける。
 上祐氏が代表に就任すると、教団の生き残りのために社会との融和路線を進め、オウム事件に対する教団の組織的関与を認めて麻原への信仰を表向き隠した。しかし、それが麻原の家族に上祐氏の教団乗っ取りではないかとの疑念を抱かせる。
 2003年6月、麻原の家族(松本知子、三女アーチャリー、次女カーリー)が信者に秘密裏に働きかけ、上祐氏排除に動く。5人の正悟師(鎌田氏は脱会済み)は麻原の家族側に付き、上祐降ろしに加担、二宮氏や村岡氏が積極的に動いた。上祐氏は魔境に入ったとされ、修行名目で軟禁状態になり、教団運営から外される。教団内に上祐路線に対する反発が根強くあったこと、更に麻原が長男と次男を後継者に指名していたため、麻原の家族がどの信者よりも上位に位置付けられており、正面切って反抗し難いという意識が働いたことが上祐氏排除をスムーズに運ばせた一因のようだ。
 上祐氏が排除されると、松本知子とアーチャリーが裏で長老部に指示するという形で教団は運営されるが、無責任な松本家に正悟師の二宮氏や杉浦茂氏が距離を置き、野田氏が専ら担うようになる。だが、野田氏が2004年7月に薬事法違反で逮捕されてしまう。そのため、二宮氏と杉浦茂氏が上祐氏の復帰を求め、11月に上祐氏が返り咲く。復帰した上祐氏は松本家批判を展開、教団が分裂状態になる。
 経理を担当していた正悟師の杉浦実氏が中間派として主流派に妥協を働きかけるが、資金運用の責任を負わされて2005年11月に経理担当を辞任する。村岡氏が経理担当を引き継ぐ。
 2005年12月、野田氏が出所し、教団に戻るが、教団は村岡氏らに仕切られていた。野田氏はアーチャリーの指示で修行に出され、教団運営から外される。
 表立って動けない松本知子とアーチャリーは、村岡氏を通じて主流派をまとめ、代表派に対抗していた。ところが、2006年2月に四女(ペンネーム・松本聡香)が松本知子やアーチャリーに反発して松本家から家出したことで、状況が変わる。四女が村岡氏に接触し、アーチャリーが弟を虐待していることを相談する。それが契機となり、村岡氏は、松本知子やアーチャリーより霊性が高いと考える四女を教団に入れ、主流派と代表派の抗争を収めることを考え始め、3月に中間派に転じた。そのため、村岡氏は主流派から裏切り者扱いを受け、排除される。四女は教団から離れて自立したいとジャーナリストの江川紹子氏に申し出、江川氏は2006年8月に四女の未成年後見人となることを表明する。
 教団は、上祐氏率いる代表派、松本家と通じている(広報部長として名を知られた荒木浩氏らが個人的に家族に接触している)主流派、どちら側にも属さない中間派に別れ、分裂へと進む。正悟師は5人の内、二宮氏だけが主流派で、村岡氏、野田氏、杉浦両氏は中間派という色分けになっていた。
 2007年2月、上祐代表の後任を決める役員会が上祐氏出席の下で開かれ、野田氏が後任となる。しかし、主流派はこれを認めない。代表派はステージが「師」クラスの30人程が中心になって合同で運営されており、事実上の教団運営は主流派の合同会議が取り仕切っていた。そのため、野田氏は代表といっても権限が無いに等しかった。
 2007年3月、上祐氏は60名あまりの信者を引き連れて脱会。
 上祐氏が脱会した3月には、江川氏が正式に四女の未成年後見人に就いた。ところが、四女が江川氏との約束を破って、信者や元信者に「私には尊師から(霊的に)コンタクトがあり、尊師の意思がわかる。私について来なさい。」と語って独自の麻原信仰グループ作りをしていたことが発覚する。それが原因で、四女が江川氏の下から失踪して音信不通となったことから、江川氏は「教祖の後継者という自覚で行動している者を支援していくわけには参りません」と表明して2007年9月に四女の未成年後見人を辞任する事態になった。
 2008年5月、「Aleph」へ改称すると共に、代表は共同幹事とされた。これにより、主流派が名実共に実権を握る。この年、四女に肩入れして異端視されていた村岡氏は、追い出されるような形で教団所有のアパートに住まわされ、教団に全く関われない状態に置かれた。
 2009年3月、野田氏の個人ブログの内容が問題視され、野田氏がAlephから除名となる。
 2011年6月、村岡氏が教団に見切りを付けてAlephを脱会。

 松本知子は(松本明香里)自身の裁判でオウムを批判し、今後は教団と関わらないと言っていたが、実際はアーチャリーと共に教団を裏側から支配しようとしていたらしい。また、四女も教団支配を目論んでいたようだ。
 松本家の裏支配は、教団の分裂を招き、上祐氏に組しない信者まで脱会に追い込むことになり、純化した。結果的に、正大師や正悟師という権威を排除することで、松本家が自らの権威を高めたことになったのは間違いない。
 近年の報道で、Alephが麻原の肖像画を掲げるなど、麻原回帰を鮮明にしていると報じられていたが、今頃になってこの様な動きなっているのは、松本家がAlephを掌握したからだと思われる。松本家は教団支配を強固にするために、松本家の権威の根源である麻原彰晃を前面に押し出し、血のつながりを強調しているのではないだろうか。だから、麻原への信仰を隠さなくなったのだと思う。
 松本家がAlephの支配に執着するのは、麻原の処刑後のことを考えているからなのかもしれない。麻原の処刑でたがが外れ、信者達がバラバラになることを恐れて今の内からしっかりとコントロール下に置こうとしているのではないか。松本家にとっては、唯一の資金源であり、将来に長男や次男を教団のトップに据えたいと目論んでいるだろうから。

////////////////////////
オウム真理教強制捜査報道写真
http://axolotlfc2.blog.fc2.com/blog-entry-1881.html?sp
村岡達子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E9%81%94%E5%AD%90
アレフ (宗教団体)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%95_(%E5%AE%97%E6%95%99%E5%9B%A3%E4%BD%93)
麻原の家族が、教団を裏支配するようになる以前の経緯
http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
「麻原家族の教団関与の実態」目次・まとめページ
http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
江川紹子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E7%B4%B9%E5%AD%90
麻原四女の著書における、上祐代表に関する記載の誤りについて
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/cat200/post.html
野田成人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%88%90%E4%BA%BA

PageTop

統一地方選で金子やすゆき氏が落選

 昨日は日本各地で統一地方選が行われましたが、札幌では、知事選挙、道議会議員選挙、市長選挙、市議会議員選挙の4つが行われました。与野党激突となり注目された北海道知事選挙と札幌市長選挙は、自民党が推す高橋はるみ知事が4選を果たし、民主党が推した元副市長の秋元克広氏が札幌市長に初当選しました。事前の予想通りで、波乱は起きませんでした。

 マスコミの話題にはなりませんでしたが、札幌市議会議員選挙も注目に値する選挙でした。
 昨年、ツイッター上で「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」と発言したことがマスコミに取り上げられ、バッシングを受けた金子快之市議も2期目の当選を目指して札幌市議選に出馬していたのです。
 金子市議発言に端を発した一連の騒動に興味がなかった人には唯の地方選挙に過ぎないかもしれませんが、昨年のエントリ「アイヌ民族はいないと発言した札幌市議1~6」で何度も取り上げていましたので、金子市議が再選を果たすか注目していました。

 肝心の選挙結果を先に書きますが、金子快之氏は残念ながら1400票弱の差で落選しました。前回の選挙から5000票あまり減らし、得票数は前回のちょうど半分になっています。
■平成27年4月12日執行 札幌市議会議員選挙(東区) 定数 9人
五十嵐 徳美(自由民主党)__15,368
こぐち 智久(公明党)____14,020
すずき 健雄(自由民主党)__13,797
ふじわら 広昭(民主党)___13,017
太田 秀子(日本共産党)___12,572
山田 一仁(自由民主党)___11,561
しのだ 江里子(民主党)___10,353
成田 ゆうき(民主党)____ 7,901
平岡 だいすけ(日本共産党)_ 6,679
---以上当選---
金子 やすゆき(無所属)___ 5,315
堀江 政行(無所属)_____ 3,317
【得票総数】_______ 113,900

■平成23年4月10日執行 札幌市議会議員選挙(東区) 定数 9人
あちら 寛美(公明党)____16,966
ふじわら 広昭(民主党)___11,015
五十嵐 徳美(自由民主党)__11,168
川口谷 正(民主党)_____10,666
金子 やすゆき(みんなの党)_10,585
山田 一仁(自由民主党)___10,315
しのだ 江里子(民主党)___10,225
すずき 健雄(自由民主党)__10,102
宮川 じゅん(日本共産党)__ 9,154
---以上当選---
大内 もとき(自由民主党)__ 7,705
太田 秀子(日本共産党)___ 7,624
【得票総数】_______ 115,525

 金子氏同様、前回の選挙で「みんなの党」から出馬し、平成23年7月に繰り上げ当選(公明党の高橋功氏の死亡による)で市議になっていた木村彰男氏も今回の選挙に出馬していました。結果は最下位でした。前回の選挙から4000票以上減らし、前回の得票数の3割に激減しています。
■平成27年4月12日執行 札幌市議会議員選挙(南区) 定数 6人
むねかた 雅俊(自由民主党)_____13,090
小須田 さとし(自由民主党)_____11,192
わたなべ 泰行(公明党)_______ 9,115
みやけ 由美(民主党)________ 8,175
ほりかわ 素人(無所属)_______ 7,113
岩崎 道郎(民主党)_________ 6,886
---以上当選---
かみや 恭平(日本共産党)______ 6,461
脇元 しげゆき(無所属)_______ 5,163
岩野 みほ(市民ネットワーク北海道)_ 5,077
木村 あきお(無所属)________ 1,831
【得票総数】____________74,103

■平成23年4月10日執行 札幌市議会議員選挙(南区) 定数 6人
むねかた 雅俊(自由民主党)_____12,352
小須田 さとし(自由民主党)_____10,528
いのくま 輝夫(民主党)_______10,315
みやけ 由美(民主党)________ 8,948
高橋 いさお(公明党)________ 8,939
ほりかわ 素人(改革札幌)______ 6,238
---以上当選---
木村 あきお(みんなの党)______ 6,100
かみや 恭平(日本共産党)______ 4,602
岩野 みほ(市民ネットワーク北海道)_ 4,346
わきもと 繁之(無所属)_______ 3,368
【得票総数】____________75,736

 木村氏のケースを考えると、金子氏が票を減らした一番の原因は「みんなの党」という看板を失ったからでしょう。木村氏は得票総数に対する得票率を8.1%(前回)から2.5%(今回)に、金子氏は9.1%(前回)から4.7%(今回)に減らしています。
 金子氏は、アイヌ発言で非常識なレイシスト議員と烙印を押されたので、木村氏以上に票を減らしていてもおかしくありません。それなのに、木村氏以上に票を獲得しているということは、アイヌ発言がむしろプラスに働いたのかもしれません。金子氏はブログ(選挙、中盤戦の雑感)に「前回の選挙と明らかに違うのが、演説中に声を掛けてくれる方が多いことです。『チラシ見たよ』『ブログ見た』と言われるのは本当に励みになります。」と書いていますから、アイヌ発言により注目を集め、金子氏個人を支持する者を増やしたのでしょう。

 金子氏は落選したため、しばらく充電期間を取って今後の方向性を練るそうです。ですが、「アイヌ官製談合に象徴される札幌市役所の不正、腐敗を止めさせる取り組みは、ひとりの国民として今後も粘り強く続けていくつもりです。」とも発言しているので、政治に係わって行くことになるのかもしれません。

 アイヌの不正問題に言及した金子氏は今回の選挙で議員バッジを外しました。今回の選挙では、アイヌの不正問題を追求していたもう一人の議員も議員バッジを外しています。道議会議員の小野寺秀氏です。小野寺氏は以前から今期限りで引退することを表明しており、今回の道議会議員選挙には出馬していませんでした。
 小野寺氏は今後について「全く考えていない。統一地方選が終わってから考えたい。ただ中川昭一さんから託された宿題を片付ける必要があり、そのために一番良い形を考えて行動したい」と語っています。なので、このまま政界から引退するのではないのかもしれませんが、金子氏や小野寺氏のような地方議員がいなくなるのは残念でなりません。
//////////////////
札幌市選挙管理委員会
http://www.city.sapporo.jp/senkan/index.html
札幌市議会 金子やすゆき
http://ykaneko.net/
北海道議会議員小野寺まさるのホームページ
http://www.onoderamasaru.jp/

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。