六丈記2

備忘録のようなもの

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李承晩の日本武力侵攻計画について考える

 短足おじさんのブログ「短足おじさんの一言」のエントリ「この話の真偽は?<続編」(http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-912.html)で、朝鮮戦争直前に韓国軍が釜山周辺に集結していたとの説が取り上げられていました。
 「李承晩大統領が対馬に武力侵攻するために韓国軍を釜山に集結させていたところ、北朝鮮軍が攻撃を開始したため、北朝鮮軍は一気に釜山付近まで南進することが出来た。」。この話を知ったのはかなり以前のことと記憶しているのですが、何時どの様な経路(本、TV、ネットなど)で知ったのかが定かではありません。
 この話を知った時には、なるほどと思ったのですが、改めて考えると一寸変です。釜山に軍を集結させたことが北朝鮮軍の電撃的な進軍を許した理由なのですから、相当数の兵力を集めたと推測されます。この時期の韓国軍の兵力は約10万人ですから、5割としても5万人が釜山に集結したことになります。昔から陸軍が主体だった韓国軍にこの兵力を輸送するだけの艦船が有ったとは思えません。いくら反日で凝り固まった李承晩といえども、渡海能力が無いのに釜山に大軍を集結させるとは思えないのです。
 それで、この話のソースを探してみました。

 調べてみると、次の文章が2012年9月1日に掲示板に出現しています。
****************************************************
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51376728.html
【韓国】放送通信審議委「親日称賛サイト制裁する」…「独島は日本の領土」インターネット親日掲示文削除★3[08/31]
1 :ピアノを弾く大酋長φ ★:2012/09/01(土) 20:59:14.90 ID:???
放通審議委"親日称賛サイト制裁する"


省略


147 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/09/01(土) 21:46:28.52 ID:skOQnSXT
俺は共産主義も北朝鮮政府も、その体質や思想も全く受け容れられないが、
「朝鮮戦争の原因」については日本のマスコミや一般国民の「朝鮮戦争は、
北朝鮮の一方的侵略によって始まった。」という「常識」の歴史観は間違って
いると思う。 つまり

●朝鮮戦争は、北朝鮮の一方的な侵略ではない。朝鮮戦争の元凶は、それこそ
韓国(当時は李承晩政権)の南侵領土拡大策の野望。

朝鮮戦争の真相は、社民党(旧社会党、日教組、総評など)によって隠され、
歴史の歪曲がされたまま、特に団塊世代以上では殆どの国民が、韓国情報機関の
スパイ工作員らによって、「マインドコントロール」、「洗脳」されたままに
なっている。

1947年以降、ポツダム宣言を受けたサンフランシスコ講和条約草案(特に日本の小島嶼の
領有権に関する条項)過程で、韓国の李承晩政権は活発に米議会でのロビー活動を展開しながら、
米国政府に対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、
竹島を日本領から外すように要求していた。
ところが、米国国務省は、その韓国政府の要求を再三にわたって断固として拒絶していた。
ラスク書簡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9B%B8%E7%B0%A1

そうしていたところ1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の
声明なし、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを自称し、朝鮮半島南部での
大演習を装って対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移しはじめた。
それを察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。つまり、
「もし韓国が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら「在韓米軍は朝鮮半島から
引き揚げる。」とである。李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて、その警告を
無視して韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動を始めた。それを見て激怒したのはマッカーサー
だけではなかった。それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬、竹島に関する要求を
知っていた国務省も激怒した。それでマッカーサーの警告を後押しする意味で、アチソン国務長官は
「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を出した。韓国軍主力の殆どが半島南部に移動して
いて38度線の韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲でない。」
旨を聞いた北朝鮮政府とスターリンは小躍りして喜び、南侵策を決行することにした。
それが朝鮮戦争の真相だから。
****************************************************
 ID:skOQnSXTの書き込みは何かからのコピペかもしれず、これが最初に書かれたものではないかもしれません。ですが、この後に急速に拡散している様子が見うけられます。拡散の過程で冒頭の部分は削られ、「朝鮮戦争の真相」との題も付けられたようです。

 この記述は正しいのでしょうか。ウィキペディアの「朝鮮戦争」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89)と「烏山の戦い」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)から時系列を抜き出してみます。
1948年 8月15日:大韓民国樹立
1948年 8月18日:李承晩大統領が対馬の領有権を主張
1948年 9月 9日:朝鮮民主主義人民共和国樹立
1948年12月   :軍事顧問団を残して朝鮮半島からソ連軍が撤退
1949年 1月 7日:李承晩大統領が対馬の領有を宣言
1949年 6月   :アメリカ軍も軍事顧問団を残して朝鮮半島から撤収
1949年10月 1日:中華人民共和国樹立
1950年 1月12日:アチソン米国務長官がアメリカの防衛ラインを表明(アチソンライン)
1950年 3月   :金日成がソ連を訪問し、スターリンに南侵を容認させる
1950年 5月   :金日成が北京を訪問し、毛沢東に中国軍が支援することを約束させる
1950年 6月25日:北朝鮮軍が南侵開始。朝鮮戦争勃発
1950年 6月27日:安保理決議がなされ、国連軍が結成される
1950年 6月27日:韓国政府がソウルを放棄し、水原に遷都
1950年 6月28日:ソウル陥落
1950年 6月30日:九州にいた第24歩兵師団に出動命令が下される
1950年 7月 4日:先遣隊の第24歩兵師団第21連隊が北朝鮮軍と交戦開始。朝鮮戦争における米朝間の初戦闘。

 skOQnSXTの書き込みでは、「1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の声明なし」となっていますが、「声明を出した」ということでしょう。「1950年1月の年頭記者会見」というのも1949年1月7日のことだと思います。ただ、韓国海軍のHP(http://www.navy.mil.kr/program/board/detail.jsp?boardTypeID=14¤tPage=1&menuID=001003001&boardLines=10&boardID=253062)には、「1948年8月18日の初記者会見で、李承晩大統領が対馬の返還を要求」「1948年9月9日、李承晩大統領が対馬に関する声明を発表し、領有権を確認」「1949年12月31日の年末記者会見で、李承晩大統領が対馬の領有権を主張」との内容の記載がありますので、1950年1月に李承晩大統領の年頭記者会見があり、対馬の領有権を主張したということも十分考えられます。
 ここで問題になるのが、「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」との記述です。在韓米軍は何を意味するのでしょうか。在韓米軍がアメリカ軍事顧問団を意味するなら、次のような流れになります。
●1950年1月7日頃、李承晩大統領の年頭記者会見

●韓国軍が侵攻計画を開始

●マッカーサーが「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と警告

●韓国軍の主力が朝鮮半島南部に大移動

●1950年1月12日、アチソンライン表明
 在韓米軍がアメリカ軍を意味するなら、こうなります。
●1949年1月7日、李承晩大統領の年頭記者会見

●韓国軍が侵攻計画を開始

●マッカーサーが「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と警告

●韓国軍の主力が朝鮮半島南部に大移動

●1949年6月、アメリカ軍が朝鮮半島から撤収

●1950年1月12日、アチソンライン表明
 在韓米軍という言葉を自然に理解すると、アメリカ軍ということになるでしょう。しかし、それでは朝鮮戦争の1年以上前に韓国軍が釜山に集結していたことになります。流れとしては在韓米軍をアメリカ軍事顧問団と理解した方が自然なのですが、それでも、韓国軍の大軍を釜山に半年も張り付かせたままにしていたということになり、侵攻計画を発動中の軍事行動としては異常です。
 それに、マッカーサーにはアメリカ軍を好き勝手に動かす権限は無かったでしょう。朝鮮戦争勃発後に、マッカーサーは2個師団の投入を求めましたが、トルーマン大統領1個師団しか認めませんでした。
 以上のことから考えると、skOQnSXTの書き込みは虚偽と判断するのが妥当ではないでしょうか。

 skOQnSXTの書き込みがあったのは2012年9月1日で、1年半も経ってはいません。私がこの話を知ったのは、もっと前のことだったように思います。それで、更に調べを進めると、YAHOO知恵袋に下記の質問がありました。
****************************************************
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1033315625
『李承晩の日本武力侵攻計画?』
suikoumeiさん

『李承晩の日本武力侵攻計画?』
ジャーナリストの落合信彦が、その著作の中で、
韓国の李承晩初代大統領が、日本への積年の恨みを晴らすべく、
密かに日本への武力侵攻計画を立てていたが、
それをキャッチした、アメリカの猛烈なプレッシャーで、
あえなく計画は挫折した・・・
という趣旨の、秘められた`エピソード`を紹介しているのですが、
本当でしょうか?
私はあまり信じられないのですが・・・
南北が厳しく対峙している中で、
そんな計画実行できるわけないと思うのですが・・・
質問日時: 2009/11/23 20:34:48
****************************************************
 実際に軍を移動させたとは書いていませんが、李承晩大統領による日本武力侵攻計画があったとし、ソースに落合信彦氏の著作物を示しています。
 また、YAHOO知恵袋には、この様な回答もありました。
****************************************************
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12107615567
李承晩が対馬侵略を企て、そのまま九州上陸を予定していたというのは本当ですか? ...
rumoicitizenさん

ベストアンサーに選ばれた回答
nakanemasamori2さん
はい、本当です。
私の知人である幹部自衛官はその資料を
持っております。
私は、ネットで公開しろ、と勧めているのですが、
時期を観ているから、少し待て、と言われました。
落合信彦という小説家も同じようなことを言っていました。
米国がストップさせたので、実現しなかった、という
ことです。
回答日時:2013/5/22 08:52:00
****************************************************
 ソースとして落合信彦氏の名前が挙がっていますので、同氏の著書をアマゾンで調べたのですが、それらしい著書は見当たりませんでした。雑誌などに書かれていたのかもしれません。


 結局、朝鮮戦争直前に韓国軍が釜山周辺に集結していたとの説の情報源は突き止められませんでしたので、この説の真偽を確かめるのは朝鮮戦争直前の韓国軍の配置を確かめるしかありません。

 まず、「1950 年6 月の北朝鮮による韓国侵攻事件に至る過程についての一考察」(http://www.yamanashi-ken.ac.jp/wp-content/uploads/kgk2011010.pdf)より、朝鮮戦争勃発前の状況を抜き出してみます。
【1948年9月19日、ソ連は48年末までに北部朝鮮からすべてのソ連軍の撤退を宣言し、12月25日に占領軍が北部朝鮮から撤収したと発表した。しかし撤収に伴い、ソ連軍は武器・弾薬や軍事機材を傀儡国家のためにそのまま残して去った。】
【1948年12月12日に国連総会は韓国が朝鮮半島を代表する正統政府であることを承認し、米ソ占領軍に対し朝鮮半島から可及的速やかに撤退することを勧告した。】
【トルーマン政権も韓国からの米軍の撤退を決め、李承晩政権への軍事と経済の両面の支援に切り替えることを決定した。29000名もの米兵が撤退したことで、在韓米兵数は16000名へと激減した。これを憂慮した李承晩はそれ以上の撤退に断固反対したが、トルーマンの方針に変更はなかった。結局、49年6月29日に韓国から最後の米部隊が引き上げた時、韓国に残ったのは500名の米軍事顧問団であった。7月8日、トルーマン政権は6月29日に米占領軍の撤退が完了したことを国連に通達した。】
【スターリンもアチソン演説を受け、姿勢を大きく転換させた。<< 省略 >>3月30日から4月25日まで、金日成は勇んでモスクワに出向いた。<< 省略 >>スターリンは米軍の大規模介入があるのか、ないのかその可否について問いただすと共に、中国による軍事支援があって初めて、軍事侵攻に打って出ることができると金日成に釘を刺した。<< 省略 >>ソ連による朝鮮出兵の可能性を繰り返し否定したのである。これに対し、是が非でもソ連軍による介入を願いたい金日成は米軍による介入が皆無である根拠について触れた。迅速な軍事侵攻を通じ三日間で戦争を勝利に導くことができる。そうなれば、米軍が介入しようにももはや時間的な余裕が残されていない。また韓国内で共産主義者による政府転覆活動が活発化していることを踏まえ、大規模な武装蜂起は間違いなく近づいている。蜂起が起き
れば、全朝鮮人は積極的に新政府に支持を表明することは明らかである。同席した朴もこの点に触れ、韓国内の20万人有余の共産活動家達が大規模の武装蜂起に勇んで加わると供述した。こうして、ソ連軍顧問団からの支援を受け、金日成は50年夏までの侵攻に向け詳細な計画を立案することを決めた。】
【5月13日に極秘に金日成は北京の毛沢東を訪ねた。<< 省略 >>金日成が侵攻を決断した以上、慶んで承認する意思を毛沢東が表明した。もしも軍事侵攻に米国が介入するという事態となれば、中朝国境に展開する中国軍を出兵させると共に、武器・弾薬を提供する用意があると金日成に伝えた。これに対し、支援の提供用意に感謝の意を表明したものの、その受け入れについて金日成はお茶を濁した。すなわち、金日成にとって北京訪問は侵攻計画への了解を毛沢東から取り付けなければならないとするスターリンの指示に従っただけであった。】
【金日成は軍事侵攻に向けて着々と準備を進めた。まず李承晩政権の打倒と共産主義政権の成立を呼びかける旨の指示を韓国内の共産主義者達に伝達し、韓国内で蜂起を呼びかけた。これを受ける形で、50年3月3日から10日までの一週間で、29件もの騒乱事件が韓国内で発生した。同じ期間に北緯38度線付近でも18件の小規模の小競り合いが発生した。このため、韓国では朝鮮人民軍による軍事侵攻が差し迫っているとの観測が引っ切りなしに流れた。ところが5月になると、そうした活動はぴたりと鳴りを潜めた。】
【平和的統一に向け金日成は解放5周年目にあたる50年8月15日にソウルで統一朝鮮政府の創設を行いたいとの和平提案を大々的に韓国に向けて吹聴した。これに向け、8月上旬に北朝鮮と韓国の両方から代議員が選出され、8月15日にソウルで統一朝鮮議会を開催する旨のマニフェストが6月7日に統一民主愛国戦線中央委員会(the Central Committee of the United Democratic Patriotic Front)によって採択された。】
【6月15日から24日の間、北緯38度線に近接した地域にすべての侵攻部隊は配置に着いた。侵攻部隊は7個歩兵師団、1個装甲旅団、1個歩兵連隊、1個オートバイ連隊、1個国境旅団などから構成され、総勢9万人という膨大な規模であった。しかも侵攻部隊には150両のソ連製T34戦車が加わった。大規模な侵攻準備は全く探知されることはなかった。】

 次に「1950年 6 月の北朝鮮による韓国侵攻とその後の米国による介入についての一考察」(http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=4&cad=rja&ved=0CDcQFjAD&url=http%3A%2F%2Fkoara.lib.keio.ac.jp%2Fxoonips%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D52247&ei=NXn_UrnVLoS6kgWZ3IHYBw&usg=AFQjCNFB-UxxWSdp2Ea2PosIVSXi9CCKBQ PDFファイルが開く)より朝鮮戦争勃発後の状況を抜き出します。
【膨大な数の朝鮮人民軍兵士が軍事境界線を突破し、韓国領内に雪崩れ込んだ。人民軍の侵攻戦力は約90000人の歩兵部隊、約240両もの戦車車両、約180機の航空機から編成された。】
【8個師団からなる韓国軍の半数に当たる4個師団が軍事境界線付近に展開していた。しかし日曜日の夜明けということもあり、守備態勢にについていたのは4個師団の内、わずかに三分の一に過ぎなかった。見事に不意を衝かれた韓国軍には逃げ出すものや、投降するものなどが続出した。】
【侵攻事件の勃発はトルーマン政権にとってまさしく「寝耳に水」とも言うべき事態であった。<< 省略 >>朝鮮人民軍による韓国への侵攻はありそうもないと、その可能性を6月20日にアチソンは下院でひていしたばかりであった。】
【米軍は48年にわずかの数の軍事顧問団を残して韓国から全面的に撤退しており、また25000人程度の脆弱な韓国軍では一挙に雪崩れ込んできた9万人もの朝鮮人民軍に対応できる余裕はなく、このままでは一気に韓国が制圧される恐れがあった。】

 「漢江人道橋爆破事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%A9%8B%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6)からも朝鮮戦争勃発後の状況を抜き出します。
【27日早朝3時ごろ、韓国大統領(李承晩)はついに周囲に説得され、ソウルより退避した。6時、政府が水原への遷都を発表した】
【6月28日深夜1時、彌阿里(城北区)において韓国軍の防御線が突破され、ソウルの最終防衛線は崩壊した。1時45分、北朝鮮軍戦車が市内に突入したとの報を受け、韓国軍参謀総長はただちに漢江橋の爆破を命令して、漢江を渡って始興に向かった。一方、参謀総長の出発直後に陸軍本部に到着した第2師団長(李亨根准将)、第5師団長(李應俊少将)、第7師団長(劉載興准将)はこの命令の件を聞き、第一線部隊が後退命令を受けないままで戦闘を継続中であることから、部隊を後退させたのちに爆破するように進言した。】
【混乱状態のなかで橋梁を爆破したことは、民間人に多数の犠牲を出しただけでなく、爆破を行なった韓国軍自身にとっても大きな損失となった。この時点で、韓国軍の主力である第2、第3、第5、第7師団と首都防衛司令部の部隊は、依然としてソウルの外郭防衛線において戦闘を継続中であり、また、第1師団は坡州南側の陣地を固守し、小規模な反撃を繰り返すことで北朝鮮軍の攻勢を阻止し続けていた。しかし、橋梁が爆破され、また北朝鮮軍が市内に突入したことで、背後を遮断されたことを知った各部隊は、雪崩を打ったように後退を開始した。】

「朝鮮戦争における後方支援に関する一考察 ―仁川上陸作戦に焦点を当てて―」(http://www.nids.go.jp/publication/mh_tokushu/pdf/mh007.pdf)からも引用します。
【1950年6月25日早朝、150両を越えるT34戦車を伴う圧倒的兵力の北朝鮮軍7個師団、1個戦車旅団の約10万人に韓国が奇襲され、対戦車兵器をも持たなかった貧弱な装備の韓国軍8個師団約6万5千人は3日間でソウルを失うなど短期間で潰走した。】

 韓国軍の兵力を2万5千人とするものや6万5千人とするものがあり、大きな開きがあります。なぜ、こんなに違うのでしょうか。
 ただ、韓国軍が8個師団体制であったのは確かなようです。朝鮮戦争勃発直後、第2、第3、第5、第7師団がソウル近くに展開していて、第1師団が38度線近くに布陣していたということは、朝鮮戦争直前には8個師団の内、5個師団がソウル近郊にいたと推測されます。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたために北朝鮮軍の電撃的な南進を許したとの説は間違いのような気がします。


 ここまで書き進めたのですが、ここで決定的なファイルを見つけてしまいました。前の記述を消してしまえばスッキリするのですが、参考のために残しておきます。
 見つけたファイルは「パワー・シフトと戦争」(http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34960/8/Honbun-5124_05.pdf)というタイトルの早稲田大学大学院博士学位論文の一部のようです。この論文の中に「韓国国防軍史研究所編『( 第1巻)人民軍の南侵と国連軍の遅滞行動』かや書房」から引用したデーターが記載されています。
●開戦時の戦力
「開戦時、北朝鮮軍の総戦力は、兵員約20 万人、戦車242 両、砲1728 門、航空機211 機であった。他方、韓国軍の総戦力は、兵員約10 万6000 人、砲960 門、( 戦力としては使いものにならないような) 航空機22 機であった。」
●兵力バランス
韓国戦争 兵力バランス

※カッコ内が何を意味するのかは、説明が無いので分かりません。
●開戦直前の軍の配置
韓国戦争 軍の配置

※記号の詳しい説明が無いので明言出来ませんが、四角にバツ印が陸軍部隊を表しているのでしょう。

 図を見ると、釜山には1つの陸軍部隊しかいません。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたとは言えないでしょう。
 李承晩は対馬の領有権を繰り返し主張していましたから、武力侵攻してでも対馬を領土にしたいとの願望はあったでしょう。それで、占領計画を検討していたこともあったかもしれません。ですが、それを実行に移した様子は全くありません。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたために北朝鮮軍の電撃的な南進を許したとの説は、電撃的な南進を理解するのに魅力的ですが、虚偽と判断せざる得ないでしょう。北朝鮮軍の電撃的な南進を可能にしたのは、
●ソ連の強力な兵器で武装した北朝鮮軍と貧弱な装備の韓国軍の戦力差
●韓国やアメリカの油断
●3日間で決着を付けるという金日成の強い意志
●韓国軍の兵士の士気の低さ
と理解するのが妥当では無いでしょうか。

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お引っ越しのご挨拶

イザ!閉鎖の伴い、こちらに引っ越してきました。
愚にも付かないことを書き連ねていますが、宜しければお付き合い下さい。

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