六丈記2

備忘録のようなもの

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村岡元オウム代表の談話と後継団体の動向

 地下鉄サリン事件から20年となる3月20日、日刊スポーツが元オウム幹部の村岡達子氏のインタビューを掲載していた。
 「村岡達子」という名を聞いても、門外漢には強制捜査後に突如オウム真理教の代表になった人物ということくらいしか記憶がない。ただ、村岡氏に対しては、オウムの大臣でもなく、選挙にも出馬しなかった無名に人物が、何故ゆえに代表に抜擢されたのかと疑問にも思っていた。それで、この機会に村岡氏について少々調べてみた。
 ウィキペディアの「村岡達子」の項に記載されている代表就任までの事柄は、
●1950年3月生まれ
●広島県福山市出身
●ホーリーネーム「ウッタマー」
●ステージ「正悟師」
●1988年入信
●教団内での仕事は、仏典の翻訳や通訳
●教団代表の麻原や代表代行の松本知子の逮捕により、代表代行に就任
この程度のことでしかない。肝心の代表代行就任に至る理由が載っていない。
 それで、過去のオウム報道の資料を調べてみることにしたところ、「フライデーSpecial’95総集編(1995年12月19日増刊号)」から「三女アーチャリーのお守り役をつとめる村岡達子」という記述を発見した。そこから推測すると、村岡氏が代表代行に抜擢された理由は、「残された教団幹部の中で松本家に一番近い存在だったから」ということではないだろうか。

 閑話休題。そんな村岡氏がオウムを離れ、現在の心境を語っている。

*** 元オウム村岡達子氏が語る地下鉄サリンから20年 ***
http://www.nikkansports.com/general/news/1449249.html
~省略~
 「20年たって初めて、心から、ごめんなさい、できるなら献花をさせてほしい。そういう気持ちになれました。事件で苦しみ、大切な方を失い、悲しい思いをされた被害者の方、その方々につながるすべての方々に、ただただ、ごめんなさいと、今は本心から、そう思っています」。
 西日本地方の町に1人で暮らす村岡氏は、夕方の公園で取材にそう答えた。

 1987年。37歳の時、書店で松本死刑囚の著書を目にした。上智大を4年で中退し、結婚、離婚を経て、渡米。ベンチャー企業に勤めたが、本格的な米国移住を前に会社が倒産し、帰国したころだ。「また変な新興宗教だ」。そう思いながら本をめくった。生きるとは何か。少女時代から答えが見つからなかった問題。その時は「ここに答えが書いてある」と思った。

村岡氏:正直に話したい。教団での6年半は自分の人生で、もっとも幸せな時期でした。私は仏典の翻訳の仕事ばかりで、ある意味、温室でした。教団が犯罪を行っていたなんて、知らなかった。だから、教祖逮捕後の99年12月、私がオウム真理教代表代行として謝罪しましたが、なぜ謝罪なのか、分からないままの、形だけの謝罪でした。

 教団は00年「アーレフ」(08年アレフに改称)と改称。村岡氏が代表となり、02年、上祐史浩氏(現ひかりの輪代表)が代表に代わった。このころ初めて、自分と教団とを切り離して見る機会が訪れる。

村岡氏:01年に兄から、母が99年12月に亡くなったと聞きました。私が都内のマンションにいたころです。窓の遠くに富士山が見えた。「あそこに尊師の王国があったんだ」。過去形で思ったことに気が付いた。

 その後、教団の分裂騒動が始まる。村岡氏は組織内でも窓際に追われた。信者が共同生活をする施設を出て、1人暮らしを始めた。「社会で生きたい」。そんな気持ちが大きくなった。

村岡氏:09年、あるセミナーに出ました。私が教祖を否定しないから「村岡さんはテロを肯定するのか」と聞かれた。教団の中にいたら「救済」ですから「テロ」とは夢にも思っていない。質問の意味すら分からなかった。しばらく考えて「あ、私は絶対やらない」と。テロはいけない、悪いことだ。殺人はいけない。社会で生きるなら当たり前。でも、教団の外に出ないと、そういう見方にはならなかったんです。

 教祖松本死刑囚の教えの先で事件は起きた。このことを今、どう思うのか。

村岡氏:事件当時、もし知っていたら私は教団にいなかった。それが私の1つの答えです。自分のことは言える。だけど、教祖の否定は言いづらい。私にはかけがえのない人でしたが、事件に関わったドロドロした部分は魅力的ではない。ならばなぜ、否定できないか。分かってもらうのが難しいと思います。でも正直に言います。私にとっては幸せな時代の恩師で、敬愛の気持ちがあるからだと思います。

 今の教団の信者たちに伝えたいことがある。

村岡氏:教団の中にいれば、守られているが故に、事件に向き合わなくてすむ。だけど、出来るなら一度、教団を出て、1人1人が世の中に触れ、自分の信仰のあり方を見つめ直してほしい。向き合わないままでは、社会からは認めてもらえない。

 話し終えた村岡氏は、言った。「私の中でオウム真理教は死にました。一から生き直したい。今はそう思っています」。

◆村岡達子(むらおか・たつこ) 1950年(昭25)生まれ。上智大4年で中退。88年7月、オウム真理教に入信。同年12月、出家。教団では英訳された仏典などの翻訳、通訳を担当。修行のステージは正悟師。地下鉄サリン事件後、松本死刑囚らの逮捕をうけ、同年6月に、教団の代表代行となる。00年、アーレフに改称時から代表。02年の上祐氏の代表就任で同職を退く。アレフに改称(08年)後の11年6月に退会届を出し、教団を離れた。西日本地方に移り、翻訳、内職をして暮らしている。
~省略~
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 村岡氏は1999年12月に謝罪を表明していたが、一連の事件がオウムの犯行とは本当に思っていなかったようだ。麻原が逮捕されて4年半という年月の間には、多くのオウム幹部が公判で自己の犯行を証言していたり、数々の物証が発見されるということがあったため、世間でオウムの犯行を否定する者は皆無だった。それにもかかわらず、村岡氏は、オウムの犯行を本心では否定していたのだ。
 村岡氏は事件に関与していなかったのだから、信じられないという気持ちも分からなくないが、証言や物証を冷静に見れば、オウムの犯行が動かしがたい事実と理解できないはずはない。ましてや、村岡氏は教団代表代行という地位にあった。
 村岡氏ら信者と世間との認識ズレは、「洗脳」によって生じたと理解するのが正解なのかもしれないが、その一言で片付けるには安易なような気もしていた。
 ところが、オウム関連のサイトやブログを読むようになり、あることに気付いた。オウム信者は出家により世間との関係を絶っていたため、情報に疎かったのだ。と言うより、外部の情報を入れると悪いエネルギーが入り込み、修行に悪影響を及ぼすと考え、故意に情報を遮断していたと言った方が正しいのかもしれない。門外漢は、内部にいたのだから一般人より詳しいと思いがちだが、信者に見えているのはオウムのほんの一部でしかなかったのだ。考えてみれば、住んでいた敷地内で数々の犯罪行為が行われていながら、多くの信者は全く知らなかった。
 対して、世間の人々はリアルタイムで、マスコミに登場して弁明するオウム幹部や次々に明かされるオウム犯罪の報道など、怒涛のように押し寄せる情報の中でオウムの全体像を認識していった。
 同じ時代を生きていても情報を共有していないのだから、信者と世間の人々との間に感覚のズレが生じるのも当然なのかもしれない。

 また、村岡氏は、オウムが犯した犯罪を認めて教団を離れたにもかかわらず、未だに麻原に対する尊崇の念を抱いているという。脱会しながら麻原への思いを捨てられない者は一定数いるようだ。だから、村岡氏が特別という訳ではない。
 麻原は人を魅了する能力があったのかもしれないが、この様な思いは、オウムに入会していなかった者には理解し難い。客観的に見れば、オウム信者だったことは社会的に大きなマイナスでしかない。それは、教団から社会に出た者なら身に染みている筈だ。それでもなお、その原因を作った麻原を切り離せないでいる。たぶん、麻原に接していなかった者には分からないのだと思う。しかし、分からないなりに想像すると、麻原に帰依する気持ちは無くなってもオウムで得た信仰を捨てた訳ではないからなのではないだろうか。麻原が大悪人であっても、信仰に導いてくれ、修行する環境を与えてくれた恩師であることには変わりなく、信仰を持ち続けている限りはそれを否定することはできない。こういう思いがあるから、教団を捨てることはできても麻原を捨て去ることができないのだと思う。
 
 オウムに司直の手が入ってから16年後、村岡氏は教団を脱会した。教団に居場所をなくしたことが考え直す切っ掛けになったようだ。一時期、代表代行という教団トップの地位にあった者が、何故窓際に追われたのだろうか。
 その疑問を解くため、まず強制捜査後から村岡氏脱会までのオウムの動向を年表にしてみた。

1995年
6月:オウム真理教の代表代行に就任していた松本知子が逮捕され、正悟師からなる長老部(村岡達子、鎌田紳一郎、野田成人、杉浦茂、杉浦実、二ノ宮耕一)が最高意思決定機関となる。代表代行には村岡氏が就任。
1996年
1月:オウムの宗教法人法上の解散が確定。
5月:オウムの破産が確定。
6月:麻原の長男と次男を教祖とする。
1999年
9月:オウムが対外的な宗教活動の休止などの「オウム真理教休眠宣言」を発表。
12月:オウムが「正式見解」を発表し、事件の関与を認め謝罪。賠償も行うとした。
12月:オウム新法(団体規制法)施行。
12月:長老部の鎌田紳一郎氏が脱会。
12月:上祐史浩氏が出所し、教団に戻る。
2000年
2月:オウム新法による公安調査庁長官の観察処分開始。
2月:「オウム真理教」から改名し、宗教団体「アレフ」として活動再開。村岡氏が代表となる。
2月:麻原の次女と三女(アーチャリー)が旭村事件(麻原の長女の元から長男を連れ去ろうとした事件)で逮捕される。次女と三女は保護観察処分、長男は児童相談所に保護される。
2002年
1月:上祐氏が代表に就任し、村岡氏が会長に就任する。アレフが麻原彰晃との決別を表明。
10月:松本知子が出所。
2003年
2月:「アレフ」から「アーレフ」へ改称。
10月:麻原外し路線が反発を招き、上祐氏が失脚。教団の運営は旧長老部に移行する。
2004年
11月:上祐氏が教団運営に復帰。代表派(上祐派またはM派)と主流派(反上祐派またはA派)の対立が深化し、教団は分裂状態。
2006年
9月:松本家に「松本知子作の絵画の使用料」を名目として継続的に資金提供してきたことを認める。
2007年
2月:役員会で、野田成人氏が代表、村岡氏が副代表と決議される。
3月:上祐氏がアーレフから脱会し、分裂。
7月:元長老部の杉浦茂氏と杉浦実氏がアーレフから脱会。
2008年
5月:「アーレフ」から「Aleph(アレフ)」へ改称。
5月:上田竜也氏と松下孝寿氏が共同幹事に就任。アレフの代表は共同幹事とされる。
2009年
3月:野田氏がAlephから除名される。
5月:松下孝寿氏と田中和利氏が共同幹事に就任。
2010年
5月:鈴木一弘氏と田中和利氏が共同幹事に就任。
2011年
6月:村岡氏がAlephを脱会。

 アーレフがひかりの輪とAlephに分裂したことは知っていたが、内紛続きで幹部が次々と脱会していたのは知らなかった。結局、正悟師で残ったのは、二ノ宮耕一氏だけなようだ。
 それはそうと、年表で概要は分かったが、詳しい経緯が分からないので、様々な人の証言を参考にして、自分なりにまとめてみる。

 地下鉄サリン事件の後、オウム真理教は獄中の麻原のメッセージを長老部が受け取って教団運営されるようになった。事件の翌年、オウム真理教は宗教法人ではなくなったが、破壊活動防止法の適用もされず、教団は残った。しかし、反省や謝罪をしない教団への批判は強く、オウム新法の制定に至る。
 教団はアレフへ改称。旭村事件で麻原の家族が教団から離れざるを得なったため、麻原の家族を表向き不参加にし、教団から松本家への資金提供を密かに続ける。
 上祐氏が代表に就任すると、教団の生き残りのために社会との融和路線を進め、オウム事件に対する教団の組織的関与を認めて麻原への信仰を表向き隠した。しかし、それが麻原の家族に上祐氏の教団乗っ取りではないかとの疑念を抱かせる。
 2003年6月、麻原の家族(松本知子、三女アーチャリー、次女カーリー)が信者に秘密裏に働きかけ、上祐氏排除に動く。5人の正悟師(鎌田氏は脱会済み)は麻原の家族側に付き、上祐降ろしに加担、二宮氏や村岡氏が積極的に動いた。上祐氏は魔境に入ったとされ、修行名目で軟禁状態になり、教団運営から外される。教団内に上祐路線に対する反発が根強くあったこと、更に麻原が長男と次男を後継者に指名していたため、麻原の家族がどの信者よりも上位に位置付けられており、正面切って反抗し難いという意識が働いたことが上祐氏排除をスムーズに運ばせた一因のようだ。
 上祐氏が排除されると、松本知子とアーチャリーが裏で長老部に指示するという形で教団は運営されるが、無責任な松本家に正悟師の二宮氏や杉浦茂氏が距離を置き、野田氏が専ら担うようになる。だが、野田氏が2004年7月に薬事法違反で逮捕されてしまう。そのため、二宮氏と杉浦茂氏が上祐氏の復帰を求め、11月に上祐氏が返り咲く。復帰した上祐氏は松本家批判を展開、教団が分裂状態になる。
 経理を担当していた正悟師の杉浦実氏が中間派として主流派に妥協を働きかけるが、資金運用の責任を負わされて2005年11月に経理担当を辞任する。村岡氏が経理担当を引き継ぐ。
 2005年12月、野田氏が出所し、教団に戻るが、教団は村岡氏らに仕切られていた。野田氏はアーチャリーの指示で修行に出され、教団運営から外される。
 表立って動けない松本知子とアーチャリーは、村岡氏を通じて主流派をまとめ、代表派に対抗していた。ところが、2006年2月に四女(ペンネーム・松本聡香)が松本知子やアーチャリーに反発して松本家から家出したことで、状況が変わる。四女が村岡氏に接触し、アーチャリーが弟を虐待していることを相談する。それが契機となり、村岡氏は、松本知子やアーチャリーより霊性が高いと考える四女を教団に入れ、主流派と代表派の抗争を収めることを考え始め、3月に中間派に転じた。そのため、村岡氏は主流派から裏切り者扱いを受け、排除される。四女は教団から離れて自立したいとジャーナリストの江川紹子氏に申し出、江川氏は2006年8月に四女の未成年後見人となることを表明する。
 教団は、上祐氏率いる代表派、松本家と通じている(広報部長として名を知られた荒木浩氏らが個人的に家族に接触している)主流派、どちら側にも属さない中間派に別れ、分裂へと進む。正悟師は5人の内、二宮氏だけが主流派で、村岡氏、野田氏、杉浦両氏は中間派という色分けになっていた。
 2007年2月、上祐代表の後任を決める役員会が上祐氏出席の下で開かれ、野田氏が後任となる。しかし、主流派はこれを認めない。代表派はステージが「師」クラスの30人程が中心になって合同で運営されており、事実上の教団運営は主流派の合同会議が取り仕切っていた。そのため、野田氏は代表といっても権限が無いに等しかった。
 2007年3月、上祐氏は60名あまりの信者を引き連れて脱会。
 上祐氏が脱会した3月には、江川氏が正式に四女の未成年後見人に就いた。ところが、四女が江川氏との約束を破って、信者や元信者に「私には尊師から(霊的に)コンタクトがあり、尊師の意思がわかる。私について来なさい。」と語って独自の麻原信仰グループ作りをしていたことが発覚する。それが原因で、四女が江川氏の下から失踪して音信不通となったことから、江川氏は「教祖の後継者という自覚で行動している者を支援していくわけには参りません」と表明して2007年9月に四女の未成年後見人を辞任する事態になった。
 2008年5月、「Aleph」へ改称すると共に、代表は共同幹事とされた。これにより、主流派が名実共に実権を握る。この年、四女に肩入れして異端視されていた村岡氏は、追い出されるような形で教団所有のアパートに住まわされ、教団に全く関われない状態に置かれた。
 2009年3月、野田氏の個人ブログの内容が問題視され、野田氏がAlephから除名となる。
 2011年6月、村岡氏が教団に見切りを付けてAlephを脱会。

 松本知子は(松本明香里)自身の裁判でオウムを批判し、今後は教団と関わらないと言っていたが、実際はアーチャリーと共に教団を裏側から支配しようとしていたらしい。また、四女も教団支配を目論んでいたようだ。
 松本家の裏支配は、教団の分裂を招き、上祐氏に組しない信者まで脱会に追い込むことになり、純化した。結果的に、正大師や正悟師という権威を排除することで、松本家が自らの権威を高めたことになったのは間違いない。
 近年の報道で、Alephが麻原の肖像画を掲げるなど、麻原回帰を鮮明にしていると報じられていたが、今頃になってこの様な動きなっているのは、松本家がAlephを掌握したからだと思われる。松本家は教団支配を強固にするために、松本家の権威の根源である麻原彰晃を前面に押し出し、血のつながりを強調しているのではないだろうか。だから、麻原への信仰を隠さなくなったのだと思う。
 松本家がAlephの支配に執着するのは、麻原の処刑後のことを考えているからなのかもしれない。麻原の処刑でたがが外れ、信者達がバラバラになることを恐れて今の内からしっかりとコントロール下に置こうとしているのではないか。松本家にとっては、唯一の資金源であり、将来に長男や次男を教団のトップに据えたいと目論んでいるだろうから。

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オウム真理教強制捜査報道写真
http://axolotlfc2.blog.fc2.com/blog-entry-1881.html?sp
村岡達子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E9%81%94%E5%AD%90
アレフ (宗教団体)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%95_(%E5%AE%97%E6%95%99%E5%9B%A3%E4%BD%93)
麻原の家族が、教団を裏支配するようになる以前の経緯
http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
「麻原家族の教団関与の実態」目次・まとめページ
http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
江川紹子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E7%B4%B9%E5%AD%90
麻原四女の著書における、上祐代表に関する記載の誤りについて
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/cat200/post.html
野田成人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%88%90%E4%BA%BA
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