六丈記2

備忘録のようなもの

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朝日新聞の慰安婦報道検証特集について考える【1】

 朝日新聞は、8月5日と6日に過去の慰安婦問題についての自社報道を検証する特集を組みました。反響は大きく、ネット上で騒ぎになったばかりか、他紙も朝日の特集に反応をみせています。
 朝日新聞のサイトにも掲載された特集(http://www.asahi.com/topics/ianfumondaiwokangaeru/)を確認すると、編集担当は杉浦信之氏で、構成は以下の通りになっていました。★と◆印は、分かりやすくするために、筆者が付け加えたものです。

★★慰安婦問題を考える
◆慰安婦問題の本質 直視を
★★慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます
◆慰安婦問題とは
◆強制連行 自由を奪われた強制性あった
◆「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
◆「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
◆「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
◆「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
◆他紙の報道は
★★日韓関係なぜこじれたか
◆河野談話 韓国政府も内容評価
◆アジア女性基金に市民団体反発
◆韓国憲法裁決定で再び懸案に
★★米国からの視線
◆女性への暴力、国際社会は注視 キャロル・グラックさん
◆「忘れない」と言い続けよう マイク・モチヅキさん
★★慰安婦問題特集 3氏に聞く
◆秦郁彦さん 現代史家
◆吉見義明さん 中央大教授
◆小熊英二さん 慶応大教授

 掲載された記事は長文であるため、それぞれ項目について要点をまとめて箇条書きにします。ただし、「〈疑問〉」と「■読者のみなさまへ」の部分は手を加えない方が良いと思い、そのまま引用しました。

*** 5日掲載分 ***
★★ 慰安婦問題を考える ★★
◆慰安婦問題の本質 直視を
●日韓関係を悪化させている原因の一つが慰安婦問題であり、韓国側は「河野談話」の見直しに反発し、日本政府の反省やおわびの気持ちを受け入れようとしない。
●慰安婦問題が政治問題化する中、安倍政権が河野談話の作成過程を検証したことにより、一部の論壇やネット上で「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ」といういわれなき批判が起き、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷されている。読者からは「本当か」「なぜ反論しない」との問い合わせもある。
●説明責任を果し、未来に向けた新たな議論を始める一歩とするため、97年3月の慰安婦問題特集後の研究の成果も踏まえて論点を整理し、慰安婦問題の報道を振り返り、紙面で特集する。
●90年代初め、慰安婦問題の研究は進んでおらず、元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けたが、記事の一部には事実関係の誤りもあった。全体像がわからない段階で起きた誤りで、裏付け取材が不十分だった点は反省する。当時、同様の誤りは国内や韓国のメディアにもあった。
●不正確な報道が慰安婦問題の理解を混乱させていると指摘されるが、それを理由として「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意しない。なぜなら、被害者を「売春婦」とすることで自国の名誉を守ろうとする論調が、日韓のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因になっているから。
●見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧する。
●戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実は消せない。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質。
●ボスニア紛争における民兵の強姦事件が国際社会の注目を集めた。今日、戦時下の性暴力は、国際的に女性の人権問題という文脈で語られ、慰安婦問題もこの様なテーマにつながっている。
●元慰安婦に償い金を渡す際、歴代首相は「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」と書いた手紙も渡し、和解へ向けて努力する政治の意思を示した。
●東アジアの安全保障環境は不安定さを増し、隣国との安定した関係を築くには、慰安婦問題は避けて通れない課題。我々はこれからも変わらぬ姿勢でこの問題を報じ続ける。


★★慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます
●朝日新聞の慰安婦報道に対する疑問に答えるため、これまでの報道を点検し、報告する。

◆慰安婦問題とは
Q 慰安婦とは何か。
A 戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。
Q どんな人々が慰安婦にされたのか。
A 日本本土の日本人のほか、植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い、各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。政府は38年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である21歳以上の者」を対象とするよう通達。21歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。政府が25年に条約を批准した際には、植民地を適用除外としたため、植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮では17歳、台湾では14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。
Q 何人くらいいたのか。
A 総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。研究者や時代により大きく異なり、2万~20万人の数字が出されている。
Q 慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか。
A 32年の上海事変で日本兵の中国人女性強姦事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐためとして九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓延や機密漏洩の防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。
Q どのようにして集められたのか。
A 多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」とだまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。日本軍が直接暴力的に連行したとの記録もある。フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。
Q 慰安婦の暮らしは?
A 兵士は代金を払っていたが、どの様な経路で慰安婦に渡されていたかははっきりしない。戦況や場所により処遇にばらつきもあったことが推定される。
Q 慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は。
A 戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で慰安婦についてレポート、73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。
Q 日韓間の問題として認識されたいきさつは。
A 90年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞で「挺身隊『怨念の足跡』取材記」と題し、慰安婦問題を連載。5月の盧泰愚大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。

◆強制連行 自由を奪われた強制性あった
〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。
●1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の証言を強制連行の事例とし、92年1月の社説でも使っていた。当時は専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。
●もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、労働者として動員したことを指していた。60年代に在日朝鮮人の研究者(朴慶植)が強制連行と呼び、メディアにも広がった。強制連行は使う人によって定義に幅があり、慰安婦の強制連行の定義は、研究者の間で「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」と「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという見解が対立している。
●朝鮮半島での慰安婦募集過程は、証言を通して次第に明らかになった。91年、元慰安婦が名乗り出た。93年2月、韓国挺身隊問題対策協議会が元慰安婦約40人の内、信憑性の高い19人の証言集を刊行、「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐としたが、慰安婦たちは、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。
●93年8月に発表された河野談話は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認め、政府が行った調査では、朝鮮半島において軍の意思で組織的に有形力の行使(狭い意味の強制連行)は確認されなかったとし、「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。談話に先立ち、政府が7月に元慰安婦たちに聞き取り調査をしているが、今年に行われた河野談話作成過程の検証で、裏付け調査が行わなわれていなかったことが指摘された。
●河野談話の発表を受け、読売、毎日、産経の各紙は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は翌日の朝刊1面での見出しで記事を報じた。朝日新聞は見出しに「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」と書いたものの「強制連行」を使わなかった。当時の官房長官担当記者は、「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」と語る。
●93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにした。
●97年3月31日、慰安婦問題を特集した。朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていないとし、売春業者により就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたとした一方で、連合軍の戦犯裁判などの資料には、インドネシアや中国などで、兵士が現地女性を無理やり連行して慰安婦にしたことを示す供述があると書き、インドネシアで現地オランダ人も慰安婦にされたとした。この特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた。
●現在まで、歴代の政権は河野談話を引き継いでいる。他方で、一部の政治家などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張をしている。慰安婦募集過程については研究を続ける必要があるが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。
■読者のみなさまへ
 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。

◆「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。
●男性は、山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた吉田清治氏。確認できただけで、朝日新聞は吉田氏について16回、記事にしている。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面で、講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した記者は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。
●90年代初め、他の新聞社も吉田氏を取り上げていた。
●92年4月30日、産経新聞が秦郁彦氏の済州島調査を元に証言を疑問視し、週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。産経新聞の報道直後、東京社会部記者が吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。
●97年の特集記事のための取材で、東京社会部記者が吉田氏に面会を求めるも拒否されるが、吉田氏は電話取材に「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島の取材で裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていないものの、安倍晋三自民党総裁が2012年11月に「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言し、一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。
●今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に聞き取り調査をしたが、強制連行したという吉田氏証言のを裏付けは得られなかった。吉田氏証言に、干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとあるが、村には魚を扱う工場が一つだけで、経営者の地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。吉田氏証言では、工場の屋根は「かやぶき」だったが、当時の映像資料から「トタンぶきとかわらぶき」だったことが分かった。
●韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑さんは93年6月に済州島を調査しているが、吉田氏の著書について「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語っている。
●吉田氏は、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると著書に書いていたが、今回、吉田氏の長男に取材したら、妻は日記をつけていなかったことが判明。吉田氏は00年7月に死去した。
●93年5月、吉田氏は面会した吉見義明・中央大教授らに「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明、動員命令書を写した日記の提示を拒んだ。吉見教授「証言としては使えないと確認するしかなかった」と判断した。
●外村大・東京大准教授は、労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織であり、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話している。
●吉田氏は、強制連行したとする43年5月当時、「陸軍部隊本部」が済州島に「軍政を敷いていた」と説明していたが、永井和・京都大教授は旧陸軍の資料を基にし、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘、「記述内容は事実とは考えられない」と話している。
■読者のみなさまへ
 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

◆「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
〈疑問〉朝日新聞が1992年1月11日朝刊1面で報じた「慰安所 軍関与示す資料」の記事について、慰安婦問題を政治問題化するために、宮沢喜一首相が訪韓する直前のタイミングを狙った「意図的な報道」などという指摘があります。
●慰安婦問題で、政府は関与を認めていなかったが、朝日新聞の報道後、加藤紘一官房長官は「かつての日本の軍が関係していたことは否定できない」と表明し、1月16日に訪韓した宮沢首相は、盧泰愚大統領との首脳会談で「反省、謝罪という言葉を8回使った」(韓国側発表)とされている。
●1992年1月11日の記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書の中に、旧日本軍が戦時中、慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことや、現地の部隊が慰安所を設置するよう命じたことを示す文書があったというもので、掲載の経緯は次の通り。91年12月下旬、吉見義明・中央大教授が防衛研究所図書館で文書を確認、社会部記者が連絡を受けるも取材不足を理由に記事せず。92年1月6日、吉見教授が同図書館で別の文書も発見。知らせを受けた記者が、7日に同図書館で文書を直接確認し、関係者らに取材した後、11日に掲載した。
●河野談話の作成過程検証報告書によると、91年12月以降、韓国側が政府に対して訪韓前に慰安婦問題の事前措置を講じることを希望し、それにより、関係省庁が調査を始め、92年1月7日に軍関与を示す文書の存在を政府に報告している。
●現代史家の秦郁彦氏は、この報道が訪韓直前を狙った「不意打ち」と指摘、一部新聞は、この報道が発端となり日韓間の外交問題に発展したと報じている。しかし、記事は、記者が詳細な情報を入手後、関連取材してすぐに掲載されている。この間、5日間。しかも、政府は報道以前に文書の存在を把握しており、対応を始めていた。
●記事で紹介した文書に、陸軍省副官名で38年に派遣軍に出された通達があった。内容は、日本国内で慰安婦を募集する際、業者が「軍部の了解がある」と言って軍の威信を傷つけ、警察に取り調べを受けたなどとして、業者を選ぶ際に、憲兵や警察と連絡を密にして軍の威信を守るよう求めていたもの。
●この通達について、西岡力・東京基督教大教授は「業者に違法行為をやめさせようとしたもの。関与は関与でも『善意の関与』」との解釈をしている。一方で、永井和・京都大教授は「善意の関与」を否定している。永井教授は、同時期に内務省が警保局長名で出した文書(慰安婦の募集や渡航を認めたうえで、「軍の了解があるかのように言う者は厳重に取り締まること」という内容)を、業者が軍との関係を口外しないよう取り締まることを警察に求めたものと理解し、この通達を「警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、軍司令部に周知徹底させる指示文書」としている。
●92年1月11日の記事では、短文の用語説明で、慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と記述した。「挺身隊」と「慰安婦」の混同と慰安婦数についても批判があるが、別途説明する。
■読者のみなさまへ
 記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていました。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。

◆「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
〈疑問〉朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身(ていしん)隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。
●「女子挺身隊」とは、44年8月の「女子挺身勤労令」(国家総動員法に基づく制度)で組織された「女子勤労挺身隊」を指すが、それ以前でも学校や地域で組織されていた。朝鮮では、国民学校や高等女学校の生徒らが終戦までに多く見積もって約4千人が内地の軍需工場などに動員されたともされるが、目的は労働力の利用であり、慰安婦とは別。
●91年当時、朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10日朝刊)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。
●混同した原因は、当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかったため。記者は「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)を参考文献の一つとしていたが、慰安婦を「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」と説明していた。執筆者の宮田節子(朝鮮近代史研究者)さんは、千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」にある「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」から引用していた。朝鮮総督府の資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという「荒唐無稽なる流言」が拡散しているとの記述があり、46年の朝鮮での新聞にも混同した記事がある。挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、朝鮮では戦時期から両者を同一視していたとの見方もある。元慰安婦の支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」と名乗っているのは、その残滓との指摘もある。
●宮沢首相の訪韓直前に、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の朝鮮人少女が挺身隊に動員されたことを示す学籍簿が見つかったとする記事を配信し、「日本は小学生までを慰安婦にした」と誤解を生み、対日感情が悪化した。
●朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた。当時のソウル支局長(72)は「挺身隊として日本の軍需工場で働いた女性たちが『日本軍の性的慰みものになった』と誤解の目で見られて苦しんでいる実態が、市民団体の聞き取りで明らかになったという事情もあった」と話す。
■読者のみなさまへ
 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

◆「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
〈疑問〉元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。
●植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張し、匿名を条件に取材。91年8月11日の社会面に「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事を書き、元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテープを10日に聞いたと報じた。14日には、北海道新聞のソウル特派員が元慰安婦と単独会見をし、証言者は金学順さんと報じ、15日に韓国主要紙も報じた。
●批判の主な論点は、2点。
①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった。
②元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いた。
●植村氏によると、植村氏は記事掲載の約半年前の「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任氏の娘と結婚しているが、元慰安婦の支援団体が挺対協であり、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体。両者は別の組織。植村氏は取材の経緯について「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話している。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。
●植村氏は前年の夏、元慰安婦から証言を得るために韓国取材をしたが、失敗している。取材の詳細は月刊誌「MILE(ミレ)」(91年11月号)に書いてある。この時期には、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。
●8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したため、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いたとの批判がある。慰安婦と挺身隊を混同したことついては、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。金学順さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明している。
●金学順さんは91年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は12月25日の記事で、キーセンには触れずに、金学順さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えた。植村氏は「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」と言っていて、「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明する。植村氏以外の記者も金学順さんを取り上げて記事にしているが、キーセンの記述は出ていない。
■読者のみなさまへ
 植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

◆他紙の報道は
●1980年代後半以降、読売新聞、毎日新聞、産経新聞が、次の3点「吉田清治氏をどう報じたか」「『慰安婦』と『女子挺身隊』を混同したか」「慰安婦問題を報じる際、『強制連行』という言葉を使ったか」についてどう報じてきたのか調べた。
●吉田氏に対する報道ついて。
 産経新聞は、「最大の人権侵害である戦争を、『証言者たち』とともに考え、問い直す」ということをテーマにした「人権考」と題する連載で、1993年に吉田氏を大きく取り上げている。9月1日の紙面で、「加害 終わらぬ謝罪行脚」との見出しを付け、吉田氏が金学順さんに謝罪している写真を掲載し、「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じた。この連載は、「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」を受賞し、94年に書籍化されている。
 読売新聞は、92年8月15日に「慰安婦問題がテーマ 『戦争犠牲者』考える集会」との見出しの記事で吉田氏を取り上げている。「山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん」が、「『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」などと伝えている。
 毎日新聞は、92年8月12日と13日に吉田氏が謝罪のために訪韓した様子を報じている。
●「慰安婦」と「挺身隊」の混同について。
 読売新聞は、91年8月26日の「『従軍慰安婦』に光を 日韓両国で運動活発に 資料集作成やシンポも」との記事中で、「太平洋戦争中、朝鮮人女性が『女子挺身隊』の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。その数は二十万人ともいわれているが、実態は明らかではない」と記載し、92年1月16日の記事でも「戦時中、『挺身隊』の名目で強制連行された朝鮮人の従軍慰安婦は十万とも二十万人ともいわれる」と記述し、混同している。
 毎日新聞は、91年12月13日の「ひと」欄で金学順さんを取り上げ、「十四歳以上の女性が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい、終戦後、戦場に置き去りにされた」と報じている。
●ここで取り上げた記事について各社に現時点での認識を尋ね、次の回答があった。
〈読売新聞社〉回答せず。
〈毎日新聞社社長室広報担当の話〉いずれの記事も、その時点で起きた出来事を報道したものであり、現時点でコメントすることはありません。
〈産経新聞社広報部の話〉当該記事では、吉田清治氏の証言と行動を紹介するとともに、その信ぴょう性に疑問の声があることを指摘しました。その後、取材や学者の調査を受け、証言は「虚構」「作り話」であると報じています。



*** 6日掲載分 ***
★★日韓関係なぜこじれたか
●慰安婦問題はどのようにして政治・外交問題へと発展していったのか。

◆河野談話 韓国政府も内容評価
●1990年6月、参院予算委員会において、労働省の清水傳雄職業安定局長が慰安婦について「民間業者が軍とともに連れて歩いている状況のようで、実態を調査することはできかねる」と答弁した。これが切っ掛けになり、韓国世論が反発、日本の国会で議論されるようになった。
●91年12月、元慰安婦が日本政府を提訴したため、内閣外政審議室が資料の調査を開始。河野談話の作成過程検証報告書によると、当時、韓国が謝罪を打診し、日本は「できれば首相が日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意を表明するのが適当」と検討するも、対外的に示さなかった。
●92年1月11日、朝日新聞が旧日本軍の通達を基に「国が関与していた」と報じる。同通達は、7日に政府も確認しており、11日には加藤紘一官房長官と石原信雄官房副長官が協議。石原氏は「ざっくり謝っておきましょう」と提案し、加藤氏も同意、11日夜に日本軍の関与を初めて認める。朝日新聞の取材には「当時の軍の関与は否定できない」と明かし、17日の日韓首脳会談で宮沢首相が公式謝罪した。
●92年7月6日、政府が前年12月から進めていた調査結果を発表。加藤氏が「慰安所の設置、募集に当たる者の取り締まり、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、衛生管理、身分証明書等の発給で政府の関与があった」と述べたが、韓国政府は「募集時の強制性を含め引き続き真相究明を行うことを求める。証言等で明らかな強制連行が調査結果に含まれていないことへの韓国世論の動向が憂慮される」と表明。
●10月中旬、韓国は「『強制の有無は資料が見つからないから分からない』との説明は、韓国国民には真の努力がされていないと映る」と改めて表明。日本は「強制性の明確な認定をすることは困難だが、一部強制性の要素もあったことは否定できない」とする方針を同月下旬に決め、韓国に伝える。
●この年末、韓国が「慰安婦になったのが自分の意志でないことが認められるのが重要」と日本に求めていた。
●93年1月から、日本が軍や朝鮮総督府、慰安所経営の関係者にヒアリングを重ねるも、官憲による「人さらい的」ないわゆる「狭義の強制連行」を否定される。その後も朝鮮半島に関しての資料は見つからない。
●2月ごろ、外務省が「自らの意思に反した形で従軍慰安婦とされた事例があることは否定できない」との内部文書をまとめる。
●3月、谷野作太郎外政審議室長が参院予算委員会で「強制は単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させ本人の自由な意思に反した場合も広く含む」と答弁。「強制」を広くとらえる方向で検討が始まる。
●政府は強制性についての考えや慰安婦への謝罪を表明するため官房長官談話の作成を始め、韓国が求める元慰安婦への聞き取り調査も「事実究明より真摯な姿勢を示し、気持ちを深く理解する」ために実施を決める。
●談話は、日韓双方の主張を調整しながら「事実関係をゆがめない範囲」で進められたが、インドネシアで軍がオランダ人を強制的に慰安婦にしたことを示す軍事裁判資料も参考にされ、慰安婦募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」と記された。
●談話発表の前夜、「金泳三大統領は評価しており、韓国政府としては結構である」との趣旨が韓国から日本に伝えられる。
●8月4日、河野洋平官房長官が談話を発表。談話で、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。お詫びと反省の気持ちを申し上げる」と述べ、韓国外務省は「全体的な強制性を認めた。謝罪と反省とともに、歴史の教訓としていく意志の表明を評価する」との声明を発表した。

◆アジア女性基金に市民団体反発
●日韓の市民団体は元慰安婦に対する「国家賠償」を要求していたが、政府は65年の日韓請求権協定などで請求権に関する問題は解決済みとの立場。
●1994年10月、村山政権の与党3党(自民・社会・さきがけ)が、戦後50年問題プロジェクトチームの「従軍慰安婦問題等小委員会」で金銭的な支援を検討し始める。
●95年6月、五十嵐広三官房長官が「女性のためのアジア平和友好基金」(仮称)の設置を発表。基金の原資は募金で集め、政府も医療福祉事業費に資金を出す仕組みにした。韓国は「一部事業に対する政府予算の支援という公的性格は加味されている。誠意ある措置だ」と基金を評価した。
●95年7月、「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。日韓の支援組織などは「基金は国家賠償ではなく、日本政府の責任をあいまいにしている」と批判、韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は責任者の処罰も求めていて、理解を得られなかった。日本政府が「アジア女性基金は民間の事業」と説明していたことが責任回避と映り、韓国メディアが「償い金」を「慰労金」と訳したことも理解の妨げになった。
●96年初め、日本が排他的経済水域(EEZ)を設定の方針を決めると、竹島領有権問題が再燃し、日韓関係が急速に悪化。反日運動が盛り上がり、韓国政府は慰安婦問題でも市民団体の声に配慮せざるを得なくなった。「金泳三大統領は真相究明を強調するばかりで、償い金の受け取りを認めなくなった」と当時の対日担当者は証言する。
●97年1月、受取を希望していた元慰安婦に初めて償い金と医療福祉事業費が支給された。これが公表されると、受け取った7人の氏名が公表され、「カネに目がくらんで心を売った」「罪を認めない同情金を受け取れば、被害者は公娼になる」との強い非難が韓国社会に巻き起こった。韓国外務省は「我が政府と大部分の被害者の要求を無視して支給を強行したことは遺憾だ」とのコメントし、柳宗夏外相は日韓外相会談で支給手続きの中断を求めた。
●挺対協などがアジア女性基金に対抗して独自の募金活動を開始。
●98年5月、韓国政府はアジア女性基金を受け取る意思のない元慰安婦を対象に政府支援金3150万ウォン(約312万円)と民間募金418万ウォン(約41万円)の支払いを始めた。これで、基金の活動は一層難しくなった。
●2002年5月、アジア女性基金は韓国での事業を終了。
●〈アジア女性基金〉河野談話を受けて1995年7月に発足。首相によるおわびの手紙と国民の寄付から償い金200万円、国費から医療福祉支援事業として120万~300万円を元慰安婦に支給した。韓国では韓国政府認定の元慰安婦207人中(2002年時点)、61人を対象に実施。基金受け取りを公表すると韓国社会からバッシングを受けたり、韓国政府からの支給金を受け取れなかったりしたため、水面下で事業を進めた。台湾では13人、フィリピンは211人が対象。オランダでは79人が医療福祉事業費のみ受け取った。インドネシアは元慰安婦の認定が困難だとして、高齢者施設を整備した。

◆韓国憲法裁決定で再び懸案に
●慰安婦問題に関し、韓国政府は日本政府に「金銭要求はしない」という基本方針を長らく取っていた。
●金泳三政権(93年2月発足)は、韓国政府が元慰安婦を金銭的に支援する政策を打ち出し、日本に真相究明や青少年への学習指導などを求めた。
●金大中政権(98年2月発足)は、慰安婦問題を日韓の懸案課題に据えることを避け、外交問題にしなかった。
●盧武鉉政権(2003年2月発足)も基本的に金大中政権の路線を踏襲する。
●日韓会談文書情報公開請求訴訟で、韓国の裁判所が公開を命じる。
●2005年8月、韓国政府は日韓基本条約における韓国側文書を全面公開。同時に、サハリン残留韓国人、元慰安婦、在韓被爆者を、韓国側の財産権放棄を定めた日韓請求権協定の例外とすることを確認した。
●元慰安婦が日韓請求権協定の例外とされたことから、市民団体が韓国政府を相手取り、慰安婦問題について取り組み不足を問題とする訴訟を展開。
●11年8月、韓国憲法裁判所は、元慰安婦らへの個人補償が協定の例外にあたるのかどうかを、韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲と判断。ただ、韓国外交通商省は当初、請求権協定に基づき、解釈の違いを正す交渉を求めるにとどめた。当時の李明博大統領も、11年10月に訪韓した野田佳彦首相に対して慰安婦問題を提起しなかった。
●11年12月、慰安婦の支援団体によってソウルの日本大使館前に慰安婦像が建立され、日本国内の世論が悪化。直後の日韓首脳会談では、慰安婦問題で応酬する事態に発展した。
●12年3月、佐々江賢一郎外務事務次官が訪韓し、駐韓日本大使が元慰安婦を慰問することや政府予算で元慰安婦への支援事業を展開することなど、これまでの対日要求の水準を上回る提案をしたが、韓国側は「元慰安婦や支援団体などが総意として受け入れる案が必要」として提案を拒否。
●同年7月、李大統領の指示でシンガクス駐日大使らが解決策を探るも、日本側が態度を硬化させて受け入れず。
●同年8月、李大統領が竹島に上陸。韓国政府高官が、上陸の原因は慰安婦問題での日本の「不誠実な対応」としたため、日本側は強く反発。日韓双方は水面下で特使を交換して解決を図ったが、前進せず。
●朴槿恵政権(13年2月発足)は、日韓首脳会談を拒否するも、水面下で、「佐々江提案」に加え、「安倍晋三首相が、自身の言葉で『村山談話と河野談話の継承』を表明する」及び「慰安婦に対する政府予算による支援で『人道支援』という言葉を使わない」ということを求める。金泳三政権時代からの「金銭要求はしない」とする方針が崩れた。
●13年12月の安倍首相による靖国神社参拝で交渉も途絶える。
●今年に入り、慰安婦問題を議題にした日韓外務省局長級協議が始まる。
●今年6月20日、日本政府の河野談話の検証結果が発表される。韓国政府は日韓の協議内容を勝手に編集したものだと受け止め、態度を硬化。韓国政府関係者は、韓国外交省の趙太庸第1次官が同月23日、別所浩郎・駐韓国大使に「日本政府の信頼性と国際的な評判が傷つくことになる」と批判したと話した。韓国政府は、慰安婦問題に関する白書を出版・公表する準備に入った。


★★米国からの視線
◆女性への暴力、国際社会は注視 キャロル・グラックさん
■米コロンビア大教授(日本近現代史)
●慰安婦は、1990年代から広く言及され、国際法の文献で第2次大戦中の性的犯罪の歴史的な実例として取り上げられるのは通常のことであり、慰安婦問題は女性の権利に関わる国際的問題となっている。
●ボスニア紛争の大量虐殺と集団レイプが国際刑事裁判所の設立に影響を与え、レイプや強制売春は人道に対する罪として国際法のもとで裁かれるようになった。
●慰安婦問題の拡大は、NGOや女性団体の国際的な活動が一因。80年代に韓国で始まった活動に日本の女性活動家が加わり、90年代にはアジア諸国や韓国系の米国人とカナダ人が声を上げた。90年代の米国では、慰安婦問題が「アイデンティティー・ポリティクス」となり、米国議会で日本政府に賠償と謝罪を求める決議が繰り返された。
●2011年に韓国憲法裁判所は、元慰安婦の個人補償について、韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲とした。これによって、韓国政府は日本政府に対してだけではなく国際社会にも慰安婦問題をアピールし、国連規約人権委員会は今年7月に日本政府に対し元慰安婦への謝罪と賠償、戦中の慰安婦制度の調査を勧告した。
●この25年で、慰安婦と女性の権利に関する世界の考え方が変わった。日本の政治家が「強制連行を裏付ける公文書は見つかっていない」といった発言を繰り返すと、世界中の反感を引き起こすことになる。

◆「忘れない」と言い続けよう マイク・モチヅキさん
■米ジョージ・ワシントン大教授(国際政治学)
●慰安婦問題は国際社会の関心事になっている。
●日本政府は慰安婦像を撤去させようとして事態を悪化させている。細かい反論があるかもしれないが、大きな視点で物事を見る必要がある。
●米国にも歴史問題がある。米国は日系人を強制収容したが、80年代に連邦議会が謝罪をし、日系人は大統領署名の謝罪文と小切手を受け取り、涙した。記憶を風化させないため、収容所は修復され、米国は同じ過ちを繰り返さない取り組みをしている。
●多くの日本人は「もう十分だ。未来志向で行こう」と言うが、それを言えるのは被害者であり、日本人は「私たちは忘れない。過ちを繰り返さない」と言い続けるべき。
●日本大使が、碑の前で河野談話を読み上げて、「戦後日本は、女性の権利、人権を推進する立場であり続けたし、これからもそうだ」と宣言するのも賢明なやり方だと思う。世界中のメディアを通して、前向きなメッセージを伝えられるだろう。過ちが繰り返されないよう、日本の若者には世界各地での女性の権利の擁護者になってほしい。


★★慰安婦問題特集 3氏に聞く
◆秦郁彦さん 現代史家
「強制連行の有無、検証あいまい」
●慰安婦問題の主要な争点は、「官憲による組織的、暴力的な強制連行の有無」と「慰安所における慰安婦たちの生活が『性奴隷』と呼べるほど悲惨なものだったか否か」の2点。
●遅いながらも、朝日新聞が過去の報道を自己検証したことを評価するが、今回の検証について自分なりに論点を取り上げる。
●1992年1月11日の朝日新聞の報道が、慰安婦問題の初期イメージを形成し、論調を制約した。誤認誤報が多かったが、他のメディアの追従もあり、河野官房長官の謝罪やアジア女性基金を創設を導いた。
●今回の検証では、挺身隊との混同は認めながらも総数と民族別内訳は不明とした。強制連行の有無については、虚言らしいと判明した93年以降は吉田証言の起用をやめて、強制連行という言葉も「なるべく使わないようにしてきた」と強調した。
●前回の検証(97年3月31日)では吉田証言について「真偽は確認できない」としたが、今回は「虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした」と改めた。強制連行を根拠づける唯一の証言である吉田証言を否定しながら、中国やインドネシアの戦犯裁判から命令違反や個人犯罪の例を持ち出したり、慰安所での「強制」や「軍の関与」を強調するなどし、「朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない」とあいまいに逃げている。
●前回の検証では、ビルマで米軍捕虜になった朝鮮人慰安婦たちの尋問報告に触れていない。ちなみに、尋問報告は、慰安婦が高収入で故郷へ送金もし、廃業帰国や接客拒否の自由もあったと明らかにしている。国際常識になろうとしている性奴隷説に朝日は追随しようとしているのか。2大争点を1勝1敗で切り抜けようとする戦略的配慮なのか。
●6月25日、元米軍用慰安婦122人が性奴隷とされたと韓国政府を提訴した。他にも、韓国軍用慰安婦やベトナム戦における性犯罪を追及する声もくすぶっている。「自分のことは棚に上げ、他を責める」のは国際情報戦の定石とはいえ、日本も反撃姿勢に転じればよいのではないか。

◆吉見義明さん 中央大教授
「被害者に寄り添う報道必要」
●今回の特集で、女性たちが意思に反して慰安婦にさせられたという強制性に問題の本質があることを明確にしたことに意義があった。軍・官憲による暴力的な強制連行がなければ日本政府に責任はないという議論は、国際的に全く通用しない。
●吉田証言の信用性が疑われたことにより、強制連行は虚偽であり、慰安婦問題自体が虚構だという一部の主張を勢いづかせる切っ掛けになったが、証言が虚偽でもこの問題に与える影響はない。記事を訂正したことには賛成するが、1990年代の早い段階でできなかったのが残念。慰安婦と女子挺身隊の混同についても早い対応が望まれた。
●今回の特集からは、朝日新聞が考える解決策が見えず、被害者に寄り添う姿勢がうかがえない。慰安婦問題がこじれたのは、日韓両政府の応酬の結果と読める。一番の原因は被害者の声にきちんと向き合おうとしない日本政府の姿勢にある。河野談話で「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と認めておきながら、主体を明記していないため、女性の人権を侵害した軍や日本政府の責任があいまいにされ、本来政府が担うべき「償い金」を民間が支払うということを許してしまった。これでは被害者は納得できるはずがない。
●今回の特集は、被害者の存在を無視するかのような日本政府の問題について触れていない。河野談話の検証結果をなぞり、追認しているだけのように見える。慰安婦問題は日韓請求権協定で法的に解決済みで、女性基金でも対応してきたし、あとは「未来志向」が大切とする日本政府の姿勢と、朝日新聞も同じ立場なのか。「未来志向」を語ることができるのは被害者であり、加害者は「忘れない」と言い続けるべきだというの指摘を見逃してはならない。
●解決のためには、女性の人権侵害をした主体が軍であることを政府が明確に認め、謝罪と補償をし、教育にも反映すべき。
●国外では、旧ユーゴやルワンダで起きた女性への集団レイプと慰安婦問題が、戦時下での女性への性暴力としてつながっているという認識が広がってきた。しかし、国内では、慰安婦問題が未来のために克服すべき課題との理解が進まず、日本の責任を認めない言論が一定の支持を集めている。根底には自国の誇りや名誉を守りたいという意識があるのだろう。
●間違うことはある。過ちを認め、再発防止の措置をとることが誇りにつながるはず。朝日新聞には被害者の立場を忘れずに、慰安婦問題を報道し続けてもらいたい。「過去の克服」をせずに、現在直面する課題に取り組もうとしても、世界の共感は得られないだろう。

◆小熊英二さん 慶応大教授
「ガラパゴス的議論から脱却を」
●1990年代に慰安婦問題が注目されたのは、冷戦終結、アジアの民主化、人権意識の向上、情報化、グローバル化などの潮流が原因。80年代末の冷戦終結、韓国の民主化、女性の人権意識の向上などがあって問題が表面化した。韓国で火を点けたのは、民主化運動で生まれたハンギョレ新聞だった。日本でも、55年体制の終焉、フェミニズムの台頭があり、経済大国にふさわしい国際化が叫ばれた。
●情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となったが、民族主義やポピュリズムの台頭や政治の不安定化も招き、慰安婦問題は混迷した。
●外交は「冷静で賢明な外交官が交渉にあたる秘密外交」が理想とされることが多いが、民主化と情報化が進んだ現代では、内密に妥協すれば国民感情が収まらなくなる。政府が強権で国民を抑えられた時代しか、秘密外交は機能しない。日韓政府が慰安婦問題の交渉で両国民を納得させる結果を出せなかったのは、旧来の外交スタイルが現代に合わなくなったのが一因。
●20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎないが、日韓外交摩擦の象徴になった問題について、自ら点検をしたことは意義があり、90年代以降の日韓の交渉経緯を理解する手助けになる。
●報道を振り返り、慰安婦問題で揺れる日韓関係に言及する構成になっているが、本来は日韓でどう問題化しているかが中心であるはずで、報道の細部など読者の多くにとっては二の次だ。この構成にしたのは、ネットなどで批判されているからだろが、当時は他の新聞もあまり変わらない文脈で報道していたことがわかる。
●慰安婦問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にして日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。
●慰安婦問題の解決には、ガラパゴス的な弁明はあきらめ、秘密で外交を進めて国民の了解を軽視するという方法は通用しない。例えば日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家を訪れ、生存者の前で、悲劇を繰り返さないことを宣言する。そうした共同行動を提案すれば、各国政府も自国民に説明しやすい。50年代からの日韓間の交渉経緯を公開するのも一案だ。困難ではあるが、新時代への適応は必要だ。



 なるべく短くまとめるつもりだったのですが、思いのほか長くなってしまいました。
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