六丈記2

備忘録のようなもの

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佐世保高1殺害事件を通してコメンテーターについて考える

 佐世保高1殺害事件で、6月に、加害者の女子生徒を診察していた精神科医が「人を殺しかねない」と報告をしていたのにも係わらず、通報を受けた児童相談センターの県職員は「匿名でわからないから」という理由で放置していたとの報道がありました。
 この報道を受け、尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏が、「100%防げた佐世保同級生殺人事件!!心ないお役所仕事が奪った被害少女の命!!」とのタイトルを付け、ブログ上で県職員の対応を批判していたようです。「尾木ママは精神科医が通報した内容を知り『小学生時代の給食事件 最近の父親金属バット殴打事件まで話しているのに つまり 名前こそ守秘義務で話していないけど個人特定しているのと同じなのに放置したのか!』と県職員の怠慢を指摘し『残念では済まされぬ重大な犯罪に匹敵します!』と最大級の表現で指弾した。」とネットニュースで報じられていました。

 尾木ママオフィシャルブログ「オギ☆ブロ」の該当エントリーを確認してみると、「たった一人のこの県センター職員の怠慢が、一人の少女の命奪い、一人の少女の未来閉ざした」ともあり、「徹底的に追及すべきです」と述べています。そして、「命の教育やるより、個々の児童・生徒の心ともっともっと先生方がふれ合える精神的時間的ゆとり作る方が大切なように思います。運動はひとりひとりを見えなくし、やっているという錯覚に陥る危険帯びています…。」と結んでいました。
 「オギ☆ブロ」のコメント欄は、尾木ママの主張に賛同するコメントがほとんどでしたが、このネットニュースを取り上げた掲示板では尾木ママを批判するコメントがかなりありました。幾つか取り上げてみます。
「教育委員会かそこらの協力取り付けなきゃセンター側が事件から児童Aの特定なんか出来ないだろ。少なくとも電話一本で『ちょっと聞きたいんだけど誰コレ?』『ああそれ、これこれこういう名前と住所の子です~』なんてあるわけねー」
「ふざけんなオカママ、隠蔽したい委員会とか、仕事したくないセンターとかそんなのばかりで防げるかよ」
「相談センターにそんな権限あるわけねーだろ・・・馬鹿かこいつ。そもそも殴打の時点で児童相談じゃなくて警察行けよって話だし。」
「後出しジャンケンは気楽でいいよな」
「猫解体した奴片っ端から殺処分しとけばまあ防げたなw」
「あとからなら何とでも言えるからな。同じような危険な兆候示してるクズ幾らでもいるだろうけど具体的にどう対応するんだろ。サイコパスは全員隔離すんの?人権屋が騒ぐネタ増えるだけじゃんw」

 尾木ママは「個人特定しているのと同じ」と言っていますが、果たしてそうなのでしょうか。県職員が加害女子生徒のことを知っている訳がありませんから、手掛かりから他の教育機関に問い合わせるしか特定の方法はありません。金属バット殴打事件は父親が公にしていないので、教育関係者も知らなかったでしょうし、給食への異物混入もこの加害女子生徒が起こした事件だけしかなかったとは限りません。そもそも、医者は守秘義務があるので、特定出来るような情報を提供することには注意深くなっていたでしょう。
 もし、県職員が身元を特定しようと教育機関に問い合わせしたとしていても、個人情報の壁に突き当たっていたのではないでしょうか。精神科医がそういう話しをしても、守秘義務の縛りで、危険な少女の存在を証明すること自体が出来ていたかどうか。また、将来に殺人を実行すると証明することも出来ません。その様な状況では、個人情報を探るのは無理だったのではないでしょうか。

 殺人事件を未然に防げたら良かったのは言うまでもありません。だけど、危険な思想や欲望を持っているというだけでは、阻止するのは非常に困難なのが現状です。戦前なら、危険人物は予防拘禁が出来たかもしれませんが、今は人権問題になります。だから、犯罪が予見されていても、事件が発生する(何らかの行動をする)までは、基本的に警察が拘束することは出来ません。
 犯罪者として拘束は出来ませんが、精神病患者と扱えば、拘束は可能です。ですが、父親は危険性を知らされていた筈なのに放置していたので、拘束しようとすれば措置入院させるしかありません。精神保健福祉法に基づく措置入院とは「自傷他害の恐れがある場合で、知事の診察命令による2人の精神保健指定医が診察の結果、入院が必要と認められたとき知事の決定によって行われる入院」です。措置入院は、犯罪を犯しても精神鑑定により不起訴や無罪になった場合によくとられます。この様な場合以外では、なかなか難しいのが現状です。確かなことはいえませんが、加害女子生徒を診察していた精神科医も措置入院に向けて動き出していた様子はうかがえません。結果論としては、措置入院させるべきだったのかもしれませんが、困難と判断したから児童相談センターに通報というかたちになったのではないでしょうか。

 もし、加害女子生徒が特定され、事件が未然に防げたとします。尾木ママは県職員を賞賛したでしょうか。
 事件が発生することがほぼ間違いと分かっていれば、事件を未然に防いだといえるでしょう。ですが、今回のケースでは、精神科医も加害女子生徒が未来に殺人を犯すとは証明することは出来なかったでしょうから、事件を防止したと評価する人達ばかりではなかったと思います。むしろ、「一度過ちを犯した人間はその後ずっと疑いの目で見られるのか」と人権問題にされていたのではないでしょうか。加害者の父親のことを考慮すると尚更そう思えます。
 加害女子生徒の人権問題という側面が取り沙汰されていら、尾木ママは加害女子生徒側に立って児童相談センターや県教育関係者を非難していた様な気がします。事件後も加害女子生徒のの未来閉ざしたと言っているのですから。尾木ママの主張は「後出しジャンケン」と言われても仕方が無いでしょう。

 尾木ママは、このエントリーでテレビ朝日のワイドスクランブルに生出演すると書いていました。番組を見ていないので分かりませんが、コメンテーターとしてこの事件についてコメントしたのでしょう。
 この事件は友人の首を切断するというショッキングなものでしたので、事件発覚当初から様々なニュースや情報番組で取り上げられ、色々なコメンテーターが事件について語っていました。当初は、友人間のトラブルとの見方であったため、佐世保市は過去に佐世保小6女児同級生殺害事件を経験しているのに活かせなかったと、教育現場への批判もありました。次に、父親が加害女子生徒の母親の死去半年あまりで再婚していたことが伝わると、父親へのバッシングが始まりました。そして、精神科医が通報していたことが分かると、行政の怠慢が問題だと言い立てました。新しい情報が出てくる度に、それに合わせて原因を語り、バッシングする相手を変えて行く。事件の真相など簡単に分かるはずもなく、永遠に分からないのかもしれないのに、コメンテーターは安易に分かった様なことを語ります。
 コメンテーターは仕事で出演しているのですから、意見を求められればもっともらしいことを発言しないとならないのでしょう。「分かりません」では仕事になりません。よく分からなくともコメントを強いられるのですから、内容のあるコメントをするのは至難の業です。だから、自分の発言に正当性のあるように見せ掛けるためにバッシングに走ってしまうのではないでしょうか。

 現代のテレビのこの様な状況に、少なくない視聴者は「コメンテーターは不要」と思っているようです。ですが、コメンテーターを起用する番組が非常に増えたことを考えると、番組制作サイドはそう考えていないのでしょう。
 出演するコメンテーターの方はどう思っているのでしょうか。犯罪事件コメンテーターとしてテレビで見かける臨床心理士の矢幡洋氏が、ネット上に書き込んでいました。
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矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察
「心理コメンテーターのでたらめぶりを告白も含めて切る | 佐世保高1女子殺害の加害者は「女酒鬼薔薇」で詰み」
http://crime-psychology.hateblo.jp/entry/2014/07/29/%E5%BF%83%E7%90%86%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%82%92%E5%91%8A%E7%99%BD%E3%82%82%E5%90%AB

●マスコミの犯罪コメントの正体
そのうさんくささ-社会の安心装置
 僕は、犯罪コメントをこれまでたくさんやってきた。 「犯罪コメントなんて、有名になりたがっているエセ精神科医や偽心理屋が適当なことを言っているもの]と言う批判がある事はもちろん知っている。本当は、大して意味のあることではないだろうということもわかっている。それでも、社会が心理学用語で事件解説を求めていることは確かなのだ。つまり需要がある。精神医学・心理学用語を使ってもっともらしい作文を1つ作れば、世間はそれで何かが「わかった」ような気がして、安心する。時代は、出来事を何でもかんでも「心理的な出来事」として位置付けることを求めている。コメンテーターの仕事は、社会を「わかったつもり」にさせて、出来事を整理済の棚の中に放り込むことにすぎない。
 それ以上の意義が無い事はわかっていながら、お金がないので仕事を選ぶことができない。テレビコメントの依頼が来たら、断らない。

●話を面白くしないこと-「よりましな悪」を求める
 そんな仕事であっても、僕は心がけていることが1つある。 VTR収録は、たいてい夜遅く、局の1室でいくつかのスタンドライトに照らされ、カメラさんがビデオカメラを構える中で行われる。そういう撮影の際に、僕はディレクターさんに一言お断りをする。
 「ぼくは、話を面白く作る事はしません。ぶっ飛んだ解釈はやりません。今ある材料の中で『ここまでは、ほぼ言えるだろう』と言う範囲のことしか言いません」
かなり怪しげな仕事をしているとは言え、 「言える事は、ここまで」と言う堅実な範囲内に留めておくというのが、僕のささやかな良心だ。
 だから、 「識者」の大半のコメントが「何、話を面白く作っているんだよ」と不愉快で仕方がない。 「お前も同じだ」と言われればそれまでだが、少なくとも僕はコメントはなるべく控えめな方向へ、堅実な方向へとする「よりましな悪」であることを心得ている。

~以下省略~
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 勘違いしているコメンテーターは違うでしょうが、仕事と割り切っているコメンテーターの意識はこんなものなのでしょう。

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