六丈記2

備忘録のようなもの

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「わたしたちが正しい場所に花は咲かない」 狂信的にならないための自戒

 2014年7月22日のダ・ヴィンチニュースに以下の記事が掲載されていた。

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原発、集団的自衛権、ヘイトスピーチ…誰もが成りうる狂信主義とどう向き合えばいいのか?
http://ddnavi.com/news/201315/
~~ 略 ~~
 “わたしたちが正しい場所に花はぜったいに咲かない 春になっても。
  わたしたちが正しい場所は踏みかためられて かたい 内庭みたいに。”
――イェフダ・アミハイ「わたしたちが正しい場所」より

 エルサレム生まれのイスラエルの偉大な作家であり、平和運動団体「シャローム・アクシャヴ(今こそ平和を)」の創設メンバー、アモス・オズ氏の著書『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』(村田靖子:訳/大月書店)を手にしたのは、ちょうどその時期。子ども時代をエルサレムで過ごし、中東をめぐる社会評論で国際的に評価されている同氏は、自らを「比較狂信主義学の専門家」と呼ぶ。同書では狂信主義とは何か、また、それがなぜ起こるかについて書かれてある。

 同氏はアメリカ同時多発テロ事件を例に出し、「これは、狂信者、つまりどんな目的であれ、その目的のためならどんな手段をとってもいいと考える者たちと、一般のわたしたち、つまり生きること、あるいは命がいちばん大切で、命を手段として使おうなどとはさらさら考えない者とのあいだの争いなのです」と言及。「狂信主義者と現実主義者のあいだの古くからある争いです。狂信主義と複数主義の争い。狂信と寛容の争い」。この文節は、そのまま、東日本大震災以降の日本社会にも当てはまるように思われる。

 狂信主義の神髄には、自分の主義・主張だけが正しく、他人をなにがなんでも変えてやりたいという願望がある。狂信者は、同調主義や意見の統一が絶対であるがゆえに、独善的な行動を取ることを厭わないのだ。

 また、狂信主義は伝染しやすく、変する者は裏切り者ととらえる。よって仲間内での分裂を起こしやすい。その紛争が善と悪の戦いではなく、互いが絶対と信じる正義と正義のぶつかりあいであれば、より理解し合うのは難しい。相手を殺してでも自分の主義・主張を飲み込ませたいという者が出てきてしまう。

 狂信主義の治療薬があるとするなら唯一、ユーモアのセンスだとオズ氏は主張する。「ユーモアの一つの要素は自分自身を笑うことです。ユーモアとは相対主義。ユーモアとは人が自分をどう見ているかがわかる力。ユーモアとは、たとえどんなに自分が正しかろうと、どんなに間違っていようと、人生にはいつでも、必ず少しだけ可笑しい面があることに気づく力。自分が正しければ正しいほど、自分が可笑しく見えてくる」。

 狂信者のメンタリティーの根はひどく感傷的で、同時に想像力を欠如しているからこそ、たとえわずかでも希望がもてる。「もしこういう人たちの心に想像力を注ぎ込んでやれば、それが功を奏して狂信者もそうそう自分のいうことがぜったいに正しいとは思えなくなる」。また、大きな夢から生まれたものは、やがて失望や幻滅に変化していくという、夢の特性について知ることも大事だ。

 「よい垣根はよい隣人をつくる」ということわざがあるように、オズ氏はイスラエル対パレスチナ問題についてかたくなに二国家解決法を主張している。異質な者どうしが、どう隣り合わせで暮らすか。決着をつけず、不確実なものをかかえながらどう共存していくか。黒白をはっきりとつけたがるのは、狂信者たちの悪い癖だ。国家の在り方のみならず、夫婦関係、親子関係など、すべての人間関係について考える時、オズ氏の皮肉まじりのユーモアが不思議と心を鎮めてくれる。
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 人は誰しも何かを信じて生きている。だから、程度の差こそあれ、誰もが狂信者的な部分を持っている。
 自分の意見を否定されれば、反論もしたくなるだろう。特別なことではない。だが、一歩引いて考え直してみることも大切だ。
 自分の意見に矛盾は無いか、固執していないか、感情に支配されていないか・・・等など。反論する前に考えてみる。それを忘れれば、エキセントリックな狂信者への道を歩んでしまい、より良き答えからは遠ざかる。

 自戒の念をこめてこの記事をエントリーした。
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