六丈記2

備忘録のようなもの

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李承晩の日本武力侵攻計画について考える

 短足おじさんのブログ「短足おじさんの一言」のエントリ「この話の真偽は?<続編」(http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-912.html)で、朝鮮戦争直前に韓国軍が釜山周辺に集結していたとの説が取り上げられていました。
 「李承晩大統領が対馬に武力侵攻するために韓国軍を釜山に集結させていたところ、北朝鮮軍が攻撃を開始したため、北朝鮮軍は一気に釜山付近まで南進することが出来た。」。この話を知ったのはかなり以前のことと記憶しているのですが、何時どの様な経路(本、TV、ネットなど)で知ったのかが定かではありません。
 この話を知った時には、なるほどと思ったのですが、改めて考えると一寸変です。釜山に軍を集結させたことが北朝鮮軍の電撃的な進軍を許した理由なのですから、相当数の兵力を集めたと推測されます。この時期の韓国軍の兵力は約10万人ですから、5割としても5万人が釜山に集結したことになります。昔から陸軍が主体だった韓国軍にこの兵力を輸送するだけの艦船が有ったとは思えません。いくら反日で凝り固まった李承晩といえども、渡海能力が無いのに釜山に大軍を集結させるとは思えないのです。
 それで、この話のソースを探してみました。

 調べてみると、次の文章が2012年9月1日に掲示板に出現しています。
****************************************************
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51376728.html
【韓国】放送通信審議委「親日称賛サイト制裁する」…「独島は日本の領土」インターネット親日掲示文削除★3[08/31]
1 :ピアノを弾く大酋長φ ★:2012/09/01(土) 20:59:14.90 ID:???
放通審議委"親日称賛サイト制裁する"


省略


147 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/09/01(土) 21:46:28.52 ID:skOQnSXT
俺は共産主義も北朝鮮政府も、その体質や思想も全く受け容れられないが、
「朝鮮戦争の原因」については日本のマスコミや一般国民の「朝鮮戦争は、
北朝鮮の一方的侵略によって始まった。」という「常識」の歴史観は間違って
いると思う。 つまり

●朝鮮戦争は、北朝鮮の一方的な侵略ではない。朝鮮戦争の元凶は、それこそ
韓国(当時は李承晩政権)の南侵領土拡大策の野望。

朝鮮戦争の真相は、社民党(旧社会党、日教組、総評など)によって隠され、
歴史の歪曲がされたまま、特に団塊世代以上では殆どの国民が、韓国情報機関の
スパイ工作員らによって、「マインドコントロール」、「洗脳」されたままに
なっている。

1947年以降、ポツダム宣言を受けたサンフランシスコ講和条約草案(特に日本の小島嶼の
領有権に関する条項)過程で、韓国の李承晩政権は活発に米議会でのロビー活動を展開しながら、
米国政府に対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、
竹島を日本領から外すように要求していた。
ところが、米国国務省は、その韓国政府の要求を再三にわたって断固として拒絶していた。
ラスク書簡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9B%B8%E7%B0%A1

そうしていたところ1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の
声明なし、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを自称し、朝鮮半島南部での
大演習を装って対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移しはじめた。
それを察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。つまり、
「もし韓国が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら「在韓米軍は朝鮮半島から
引き揚げる。」とである。李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて、その警告を
無視して韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動を始めた。それを見て激怒したのはマッカーサー
だけではなかった。それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬、竹島に関する要求を
知っていた国務省も激怒した。それでマッカーサーの警告を後押しする意味で、アチソン国務長官は
「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を出した。韓国軍主力の殆どが半島南部に移動して
いて38度線の韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲でない。」
旨を聞いた北朝鮮政府とスターリンは小躍りして喜び、南侵策を決行することにした。
それが朝鮮戦争の真相だから。
****************************************************
 ID:skOQnSXTの書き込みは何かからのコピペかもしれず、これが最初に書かれたものではないかもしれません。ですが、この後に急速に拡散している様子が見うけられます。拡散の過程で冒頭の部分は削られ、「朝鮮戦争の真相」との題も付けられたようです。

 この記述は正しいのでしょうか。ウィキペディアの「朝鮮戦争」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89)と「烏山の戦い」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)から時系列を抜き出してみます。
1948年 8月15日:大韓民国樹立
1948年 8月18日:李承晩大統領が対馬の領有権を主張
1948年 9月 9日:朝鮮民主主義人民共和国樹立
1948年12月   :軍事顧問団を残して朝鮮半島からソ連軍が撤退
1949年 1月 7日:李承晩大統領が対馬の領有を宣言
1949年 6月   :アメリカ軍も軍事顧問団を残して朝鮮半島から撤収
1949年10月 1日:中華人民共和国樹立
1950年 1月12日:アチソン米国務長官がアメリカの防衛ラインを表明(アチソンライン)
1950年 3月   :金日成がソ連を訪問し、スターリンに南侵を容認させる
1950年 5月   :金日成が北京を訪問し、毛沢東に中国軍が支援することを約束させる
1950年 6月25日:北朝鮮軍が南侵開始。朝鮮戦争勃発
1950年 6月27日:安保理決議がなされ、国連軍が結成される
1950年 6月27日:韓国政府がソウルを放棄し、水原に遷都
1950年 6月28日:ソウル陥落
1950年 6月30日:九州にいた第24歩兵師団に出動命令が下される
1950年 7月 4日:先遣隊の第24歩兵師団第21連隊が北朝鮮軍と交戦開始。朝鮮戦争における米朝間の初戦闘。

 skOQnSXTの書き込みでは、「1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の声明なし」となっていますが、「声明を出した」ということでしょう。「1950年1月の年頭記者会見」というのも1949年1月7日のことだと思います。ただ、韓国海軍のHP(http://www.navy.mil.kr/program/board/detail.jsp?boardTypeID=14¤tPage=1&menuID=001003001&boardLines=10&boardID=253062)には、「1948年8月18日の初記者会見で、李承晩大統領が対馬の返還を要求」「1948年9月9日、李承晩大統領が対馬に関する声明を発表し、領有権を確認」「1949年12月31日の年末記者会見で、李承晩大統領が対馬の領有権を主張」との内容の記載がありますので、1950年1月に李承晩大統領の年頭記者会見があり、対馬の領有権を主張したということも十分考えられます。
 ここで問題になるのが、「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」との記述です。在韓米軍は何を意味するのでしょうか。在韓米軍がアメリカ軍事顧問団を意味するなら、次のような流れになります。
●1950年1月7日頃、李承晩大統領の年頭記者会見

●韓国軍が侵攻計画を開始

●マッカーサーが「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と警告

●韓国軍の主力が朝鮮半島南部に大移動

●1950年1月12日、アチソンライン表明
 在韓米軍がアメリカ軍を意味するなら、こうなります。
●1949年1月7日、李承晩大統領の年頭記者会見

●韓国軍が侵攻計画を開始

●マッカーサーが「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と警告

●韓国軍の主力が朝鮮半島南部に大移動

●1949年6月、アメリカ軍が朝鮮半島から撤収

●1950年1月12日、アチソンライン表明
 在韓米軍という言葉を自然に理解すると、アメリカ軍ということになるでしょう。しかし、それでは朝鮮戦争の1年以上前に韓国軍が釜山に集結していたことになります。流れとしては在韓米軍をアメリカ軍事顧問団と理解した方が自然なのですが、それでも、韓国軍の大軍を釜山に半年も張り付かせたままにしていたということになり、侵攻計画を発動中の軍事行動としては異常です。
 それに、マッカーサーにはアメリカ軍を好き勝手に動かす権限は無かったでしょう。朝鮮戦争勃発後に、マッカーサーは2個師団の投入を求めましたが、トルーマン大統領1個師団しか認めませんでした。
 以上のことから考えると、skOQnSXTの書き込みは虚偽と判断するのが妥当ではないでしょうか。

 skOQnSXTの書き込みがあったのは2012年9月1日で、1年半も経ってはいません。私がこの話を知ったのは、もっと前のことだったように思います。それで、更に調べを進めると、YAHOO知恵袋に下記の質問がありました。
****************************************************
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1033315625
『李承晩の日本武力侵攻計画?』
suikoumeiさん

『李承晩の日本武力侵攻計画?』
ジャーナリストの落合信彦が、その著作の中で、
韓国の李承晩初代大統領が、日本への積年の恨みを晴らすべく、
密かに日本への武力侵攻計画を立てていたが、
それをキャッチした、アメリカの猛烈なプレッシャーで、
あえなく計画は挫折した・・・
という趣旨の、秘められた`エピソード`を紹介しているのですが、
本当でしょうか?
私はあまり信じられないのですが・・・
南北が厳しく対峙している中で、
そんな計画実行できるわけないと思うのですが・・・
質問日時: 2009/11/23 20:34:48
****************************************************
 実際に軍を移動させたとは書いていませんが、李承晩大統領による日本武力侵攻計画があったとし、ソースに落合信彦氏の著作物を示しています。
 また、YAHOO知恵袋には、この様な回答もありました。
****************************************************
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12107615567
李承晩が対馬侵略を企て、そのまま九州上陸を予定していたというのは本当ですか? ...
rumoicitizenさん

ベストアンサーに選ばれた回答
nakanemasamori2さん
はい、本当です。
私の知人である幹部自衛官はその資料を
持っております。
私は、ネットで公開しろ、と勧めているのですが、
時期を観ているから、少し待て、と言われました。
落合信彦という小説家も同じようなことを言っていました。
米国がストップさせたので、実現しなかった、という
ことです。
回答日時:2013/5/22 08:52:00
****************************************************
 ソースとして落合信彦氏の名前が挙がっていますので、同氏の著書をアマゾンで調べたのですが、それらしい著書は見当たりませんでした。雑誌などに書かれていたのかもしれません。


 結局、朝鮮戦争直前に韓国軍が釜山周辺に集結していたとの説の情報源は突き止められませんでしたので、この説の真偽を確かめるのは朝鮮戦争直前の韓国軍の配置を確かめるしかありません。

 まず、「1950 年6 月の北朝鮮による韓国侵攻事件に至る過程についての一考察」(http://www.yamanashi-ken.ac.jp/wp-content/uploads/kgk2011010.pdf)より、朝鮮戦争勃発前の状況を抜き出してみます。
【1948年9月19日、ソ連は48年末までに北部朝鮮からすべてのソ連軍の撤退を宣言し、12月25日に占領軍が北部朝鮮から撤収したと発表した。しかし撤収に伴い、ソ連軍は武器・弾薬や軍事機材を傀儡国家のためにそのまま残して去った。】
【1948年12月12日に国連総会は韓国が朝鮮半島を代表する正統政府であることを承認し、米ソ占領軍に対し朝鮮半島から可及的速やかに撤退することを勧告した。】
【トルーマン政権も韓国からの米軍の撤退を決め、李承晩政権への軍事と経済の両面の支援に切り替えることを決定した。29000名もの米兵が撤退したことで、在韓米兵数は16000名へと激減した。これを憂慮した李承晩はそれ以上の撤退に断固反対したが、トルーマンの方針に変更はなかった。結局、49年6月29日に韓国から最後の米部隊が引き上げた時、韓国に残ったのは500名の米軍事顧問団であった。7月8日、トルーマン政権は6月29日に米占領軍の撤退が完了したことを国連に通達した。】
【スターリンもアチソン演説を受け、姿勢を大きく転換させた。<< 省略 >>3月30日から4月25日まで、金日成は勇んでモスクワに出向いた。<< 省略 >>スターリンは米軍の大規模介入があるのか、ないのかその可否について問いただすと共に、中国による軍事支援があって初めて、軍事侵攻に打って出ることができると金日成に釘を刺した。<< 省略 >>ソ連による朝鮮出兵の可能性を繰り返し否定したのである。これに対し、是が非でもソ連軍による介入を願いたい金日成は米軍による介入が皆無である根拠について触れた。迅速な軍事侵攻を通じ三日間で戦争を勝利に導くことができる。そうなれば、米軍が介入しようにももはや時間的な余裕が残されていない。また韓国内で共産主義者による政府転覆活動が活発化していることを踏まえ、大規模な武装蜂起は間違いなく近づいている。蜂起が起き
れば、全朝鮮人は積極的に新政府に支持を表明することは明らかである。同席した朴もこの点に触れ、韓国内の20万人有余の共産活動家達が大規模の武装蜂起に勇んで加わると供述した。こうして、ソ連軍顧問団からの支援を受け、金日成は50年夏までの侵攻に向け詳細な計画を立案することを決めた。】
【5月13日に極秘に金日成は北京の毛沢東を訪ねた。<< 省略 >>金日成が侵攻を決断した以上、慶んで承認する意思を毛沢東が表明した。もしも軍事侵攻に米国が介入するという事態となれば、中朝国境に展開する中国軍を出兵させると共に、武器・弾薬を提供する用意があると金日成に伝えた。これに対し、支援の提供用意に感謝の意を表明したものの、その受け入れについて金日成はお茶を濁した。すなわち、金日成にとって北京訪問は侵攻計画への了解を毛沢東から取り付けなければならないとするスターリンの指示に従っただけであった。】
【金日成は軍事侵攻に向けて着々と準備を進めた。まず李承晩政権の打倒と共産主義政権の成立を呼びかける旨の指示を韓国内の共産主義者達に伝達し、韓国内で蜂起を呼びかけた。これを受ける形で、50年3月3日から10日までの一週間で、29件もの騒乱事件が韓国内で発生した。同じ期間に北緯38度線付近でも18件の小規模の小競り合いが発生した。このため、韓国では朝鮮人民軍による軍事侵攻が差し迫っているとの観測が引っ切りなしに流れた。ところが5月になると、そうした活動はぴたりと鳴りを潜めた。】
【平和的統一に向け金日成は解放5周年目にあたる50年8月15日にソウルで統一朝鮮政府の創設を行いたいとの和平提案を大々的に韓国に向けて吹聴した。これに向け、8月上旬に北朝鮮と韓国の両方から代議員が選出され、8月15日にソウルで統一朝鮮議会を開催する旨のマニフェストが6月7日に統一民主愛国戦線中央委員会(the Central Committee of the United Democratic Patriotic Front)によって採択された。】
【6月15日から24日の間、北緯38度線に近接した地域にすべての侵攻部隊は配置に着いた。侵攻部隊は7個歩兵師団、1個装甲旅団、1個歩兵連隊、1個オートバイ連隊、1個国境旅団などから構成され、総勢9万人という膨大な規模であった。しかも侵攻部隊には150両のソ連製T34戦車が加わった。大規模な侵攻準備は全く探知されることはなかった。】

 次に「1950年 6 月の北朝鮮による韓国侵攻とその後の米国による介入についての一考察」(http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=4&cad=rja&ved=0CDcQFjAD&url=http%3A%2F%2Fkoara.lib.keio.ac.jp%2Fxoonips%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D52247&ei=NXn_UrnVLoS6kgWZ3IHYBw&usg=AFQjCNFB-UxxWSdp2Ea2PosIVSXi9CCKBQ PDFファイルが開く)より朝鮮戦争勃発後の状況を抜き出します。
【膨大な数の朝鮮人民軍兵士が軍事境界線を突破し、韓国領内に雪崩れ込んだ。人民軍の侵攻戦力は約90000人の歩兵部隊、約240両もの戦車車両、約180機の航空機から編成された。】
【8個師団からなる韓国軍の半数に当たる4個師団が軍事境界線付近に展開していた。しかし日曜日の夜明けということもあり、守備態勢にについていたのは4個師団の内、わずかに三分の一に過ぎなかった。見事に不意を衝かれた韓国軍には逃げ出すものや、投降するものなどが続出した。】
【侵攻事件の勃発はトルーマン政権にとってまさしく「寝耳に水」とも言うべき事態であった。<< 省略 >>朝鮮人民軍による韓国への侵攻はありそうもないと、その可能性を6月20日にアチソンは下院でひていしたばかりであった。】
【米軍は48年にわずかの数の軍事顧問団を残して韓国から全面的に撤退しており、また25000人程度の脆弱な韓国軍では一挙に雪崩れ込んできた9万人もの朝鮮人民軍に対応できる余裕はなく、このままでは一気に韓国が制圧される恐れがあった。】

 「漢江人道橋爆破事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%A9%8B%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6)からも朝鮮戦争勃発後の状況を抜き出します。
【27日早朝3時ごろ、韓国大統領(李承晩)はついに周囲に説得され、ソウルより退避した。6時、政府が水原への遷都を発表した】
【6月28日深夜1時、彌阿里(城北区)において韓国軍の防御線が突破され、ソウルの最終防衛線は崩壊した。1時45分、北朝鮮軍戦車が市内に突入したとの報を受け、韓国軍参謀総長はただちに漢江橋の爆破を命令して、漢江を渡って始興に向かった。一方、参謀総長の出発直後に陸軍本部に到着した第2師団長(李亨根准将)、第5師団長(李應俊少将)、第7師団長(劉載興准将)はこの命令の件を聞き、第一線部隊が後退命令を受けないままで戦闘を継続中であることから、部隊を後退させたのちに爆破するように進言した。】
【混乱状態のなかで橋梁を爆破したことは、民間人に多数の犠牲を出しただけでなく、爆破を行なった韓国軍自身にとっても大きな損失となった。この時点で、韓国軍の主力である第2、第3、第5、第7師団と首都防衛司令部の部隊は、依然としてソウルの外郭防衛線において戦闘を継続中であり、また、第1師団は坡州南側の陣地を固守し、小規模な反撃を繰り返すことで北朝鮮軍の攻勢を阻止し続けていた。しかし、橋梁が爆破され、また北朝鮮軍が市内に突入したことで、背後を遮断されたことを知った各部隊は、雪崩を打ったように後退を開始した。】

「朝鮮戦争における後方支援に関する一考察 ―仁川上陸作戦に焦点を当てて―」(http://www.nids.go.jp/publication/mh_tokushu/pdf/mh007.pdf)からも引用します。
【1950年6月25日早朝、150両を越えるT34戦車を伴う圧倒的兵力の北朝鮮軍7個師団、1個戦車旅団の約10万人に韓国が奇襲され、対戦車兵器をも持たなかった貧弱な装備の韓国軍8個師団約6万5千人は3日間でソウルを失うなど短期間で潰走した。】

 韓国軍の兵力を2万5千人とするものや6万5千人とするものがあり、大きな開きがあります。なぜ、こんなに違うのでしょうか。
 ただ、韓国軍が8個師団体制であったのは確かなようです。朝鮮戦争勃発直後、第2、第3、第5、第7師団がソウル近くに展開していて、第1師団が38度線近くに布陣していたということは、朝鮮戦争直前には8個師団の内、5個師団がソウル近郊にいたと推測されます。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたために北朝鮮軍の電撃的な南進を許したとの説は間違いのような気がします。


 ここまで書き進めたのですが、ここで決定的なファイルを見つけてしまいました。前の記述を消してしまえばスッキリするのですが、参考のために残しておきます。
 見つけたファイルは「パワー・シフトと戦争」(http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34960/8/Honbun-5124_05.pdf)というタイトルの早稲田大学大学院博士学位論文の一部のようです。この論文の中に「韓国国防軍史研究所編『( 第1巻)人民軍の南侵と国連軍の遅滞行動』かや書房」から引用したデーターが記載されています。
●開戦時の戦力
「開戦時、北朝鮮軍の総戦力は、兵員約20 万人、戦車242 両、砲1728 門、航空機211 機であった。他方、韓国軍の総戦力は、兵員約10 万6000 人、砲960 門、( 戦力としては使いものにならないような) 航空機22 機であった。」
●兵力バランス
韓国戦争 兵力バランス

※カッコ内が何を意味するのかは、説明が無いので分かりません。
●開戦直前の軍の配置
韓国戦争 軍の配置

※記号の詳しい説明が無いので明言出来ませんが、四角にバツ印が陸軍部隊を表しているのでしょう。

 図を見ると、釜山には1つの陸軍部隊しかいません。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたとは言えないでしょう。
 李承晩は対馬の領有権を繰り返し主張していましたから、武力侵攻してでも対馬を領土にしたいとの願望はあったでしょう。それで、占領計画を検討していたこともあったかもしれません。ですが、それを実行に移した様子は全くありません。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたために北朝鮮軍の電撃的な南進を許したとの説は、電撃的な南進を理解するのに魅力的ですが、虚偽と判断せざる得ないでしょう。北朝鮮軍の電撃的な南進を可能にしたのは、
●ソ連の強力な兵器で武装した北朝鮮軍と貧弱な装備の韓国軍の戦力差
●韓国やアメリカの油断
●3日間で決着を付けるという金日成の強い意志
●韓国軍の兵士の士気の低さ
と理解するのが妥当では無いでしょうか。
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コメント


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TB有難うございます

 大変興味深い話、有難うございます。
指摘されました早稲田の論文(多分学生さんの卒論)、読んでみました。
そこで以下の感想を持ちました。
1)論文の基礎になっているのは朱建栄、和田春樹の著作が中心でしょう。朱建栄については分かりませんが和田春樹は有名な反日家です。
2)この論文を書いたのは在日朝鮮人・韓国人、又は中国人でしょう。例えば朝鮮戦争を中国参戦(義勇軍と称していた)以降を米中戦争と言っています。
こんな良い方は初めて聞きました。
3)韓国軍の配置については元資料が大体わかります。
韓国の「韓国国防軍史研究所」が出した本です。
タイトルは「韓国戦争<第一巻>人民軍の南侵と国連軍の遅滞作戦」だと思います。
タイトルを見ても分かります。
北朝鮮軍の事を「人民軍」と言っています。
また不意を突かれて慌てて結成した国連軍の事を「遅滞作戦」と言っています。
こんな本です。自分たちに都合の悪い事など書きません。

実は朝鮮戦争についてはアメリカなどでも文献は極端に少ない、無かったことにしたい戦争、これが研究面でも現れています。
またこの戦争の頃にさまざまな残虐な事件が起きています。
例えば済州島4・3事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件前28万人いた島民が3万人になってしまった、最終的に8万人が虐殺され、多数の島民が日本に逃げ込んだ。

保導連盟事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%B0%8E%E9%80%A3%E7%9B%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事件などは未だに何人虐殺されたのかもわからない。
少なくとも20万人以上らしいのですが60万~120万と言う説もある。
そして永年この件は国民にも伏せられてきた。

そして李承晩ライン事件
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-2022.html

こんな事で韓国が出どころの資料についてはよくよく検証が必要なのです。
実は私のタイでの経験でも韓国がらみの件はどんな資料でも検証しないと危険。そんな実例をいやと言うほど味わっています。

長くなりましたが、ブログ主さんの書かれた「ここで決定的なファイルを見つけてしまいました」以前の考え方でよろしいのではないでしょうか。
若し公に朝鮮戦争直前に日本侵略を計画していたことが分かれば日本が激怒するのは分かってますのでね。

尚当時の日本は完全に武装解除され全くの丸腰。
済州島やら保導連盟事件のような事が対馬でも起こりえたと思っています。
だからこそマッカーサーはあれよあれよと言う間に警察予備隊を作らせ、その直後戦車などの重武装をさせたんだと思っています。
チョウセン人を信用してはいけない事例ですね。

短足おじさん二世 | URL | 2014-02-17(Mon)16:13 [編集]


初めてコメントさせていただきます。

この地図は小生も見たことがあります。
はっきり言って問題の多い配置ですが、この地図において一番問題なのは釜山の23連隊です。見方によっては総予備とも言えますが第2師団は機動防御部隊、第5、第3師団の多くは対ゲリラ線に従事してる状況ではこの舞台だけ完全に遊んでいます。

当時の韓国軍は一個連隊大体2500名前後ですが、小生思うにはこれを使っての対馬侵攻は可能だろうということです。
 というのは当時の進駐軍は内地4個師団、九州には1個師団しかなく、対馬には通信基地の警備部隊しかいなかったはずだからです。
その意味では増強一個大隊1000名程度で十分、でこれならば漁船50隻程度を用意し夜間などに奇襲上陸することは可能だと思われるからです。

この場合米軍施設に手出ししなければ米軍は黙認するしかないだろう、という読みでもあったんじゃなかろうかという気がします。

本当はこの状態で韓国を防衛するとするならばソウル防衛を諦め主要部隊を後退配備し大田あたりでの決戦を考えるのがセオリーです。

北の戦力をあまりに甘く見すぎていたというのが正解だと思います。李承晩のような基地外が指導者だということが最大の問題だったのでしょう。

kazk | URL | 2014-02-18(Tue)00:20 [編集]


その本読んだ事ありますよ。
表のカッコ内の数字は外出時の兵士を除いた数ですよ。

| URL | 2014-02-19(Wed)18:30 [編集]


Re:短足おじさん

 ご返事が遅れました。申し訳ありません。

>1)論文の基礎になっているのは朱建栄、和田春樹の著作が中心でしょう。朱建栄については分かりませんが和田春樹は有名な反日家です。
●開戦直前の軍の配置の資料はこの論文で「韓国戦争」の中にあることが分かったので、配置図を掲載しているサイトを探したのですが、見つからなかったために、この論文から又引きさせていただきました。ですから、出典が「韓国戦争」以外の部分は引用していません。現実にこういう資料があるということをご理解下さい。
●ちなみに、この論文は左翼史観とはかけ離れたもので、和田春樹の著作をベースにした物とは思えなかったのですが、読んでみてそうは感じませんでしたか。
●朱建栄については、この論文の中で、中国の資料や要人とのインタヴューに基づく実証研究を行っている学者というようなことが書かれています。しかし、今となっては、甚だ疑問が残るところではあります。

>2)この論文を書いたのは在日朝鮮人・韓国人、又は中国人でしょう。例えば朝鮮戦争を中国参戦(義勇軍と称していた)以降を米中戦争と言っています。
こんな良い方は初めて聞きました。
●論文の著者は東海大学教養学部国際学科の野口和彦教授です。論文を執筆した時期は、ブリティッシュコロンビア大学アジア研究所客員准教授だったようです。
 また、この論文を基にして出版されたのが、「パワー・シフトと戦争―東アジアの安全保障」という本のようです。
●この論文は、参戦した中国の軍を義勇軍とは認めていません。中国の国権の発動による軍隊だったとしています。中国参戦は中国がアメリカに戦争を仕掛けたものだとし、何故アメリカに戦争を仕掛けたのかをパワー・シフト理論で説明しています。ですから、中国参戦以降は、アメリカと中国の間の戦争だったとの認識で、それを明確にするために「米中戦争」という言葉を作ったのだと思います。「朝鮮戦争は『米中戦争』へと転化したのである」との記述からも、そう類推出来ると思いますが。

>3)韓国軍の配置については元資料が大体わかります。
韓国の「韓国国防軍史研究所」が出した本です。
タイトルは「韓国戦争<第一巻>人民軍の南侵と国連軍の遅滞作戦」だと思います。
タイトルを見ても分かります。
北朝鮮軍の事を「人民軍」と言っています。
また不意を突かれて慌てて結成した国連軍の事を「遅滞作戦」と言っています。
こんな本です。自分たちに都合の悪い事など書きません。
●エントリの本文で『( 第1巻)人民軍の南侵と国連軍の遅滞行動』と書いてしまいました。論文からコピペした後に「韓国戦争」の部分を削ってしまったようです。申し訳ありません。また、論文の方も出典の著書名を「・・・遅滞行動」と書き間違っています。正しくはご指摘されるタイトルの通りです。
●北朝鮮軍の正式名称は「朝鮮人民軍」ですから、「人民軍」でも問題が無いと思いますが。
●アマゾンの商品の説明には、「・・・国連軍との連合によって展開した遅滞作戦、・・・」と記載されていますから、遅滞作戦とは「慌てて結成した国連軍の事」ではないのでは。読んでいないため、明言できませんが。
●「韓国戦争」の日本語版の出版には、防衛省防衛研究所の米山2等陸佐や防衛大学校の田中助教授が監修などに関わっていましたから、信用できないものとは思えないのですが、何か具体的に問題があるのでしょうか。

>長くなりましたが、ブログ主さんの書かれた「ここで決定的なファイルを見つけてしまいました」以前の考え方でよろしいのではないでしょうか。
●実は「決定的」と書いていいものなのか迷いました。配置図が信頼できるのか、確証が無かったからです。ですが、引用元の「韓国戦争」の出版に防衛省の戦史研究者が関与していることから、信用できるだろうとの判断をして「決定的」としました。ですから、配置図に間違いがあると証拠を挙げていただければ取り下げます。

 最後に、結果的に面倒なことをさせてしまうようなことになり申し訳ありません。

M8ボルト | URL | 2014-02-20(Thu)00:11 [編集]


Re:kazkさん

 ご返事が遅れました。申し訳ありません。

 釜山の連隊で対馬を制圧することは可能であったと思います。ですが、部隊が配置されていたからといって、侵攻計画が進んでいたとはみなせません。釜山は重要な港湾都市ですから、部隊が配置されていて当然だからです。ですから、釜山に部隊が配置されていても、侵攻計画の実行と考えることは出来ないと判断しました。

 私は、本エントリで以下の結論に至りました。
●釜山に韓国軍を集結させていたから、北朝鮮軍の電撃的な南侵を可能にした
 →虚偽
●侵攻計画が発動されていたのか
 →発動されていたと判断できる証拠は見つからなかった
●侵攻計画は有ったのか
 →李承晩の言動を考えると、侵攻計画が作成されていたとしてもおかしくないが、侵攻計画があったと判断できる証拠は見つからなかった
 侵攻計画については、有効な証拠が見つかっていないので、風説の類とするのが妥当であると思っています。ただ、YAHOO知恵袋に「幹部自衛官はその資料を持っております」「落合信彦が、その著作の中で、韓国の李承晩初代大統領が、日本への積年の恨みを晴らすべく、密かに日本への武力侵攻計画を立てていた」と書かれていますので、それが本当なら将来に何らかの証拠が提示されるかもしれません。また、私の記憶には李承晩の侵攻計画がありますので、私の本の中から該当する記述を見つけ出すことがあるかもしれません。そうなった場合は、改めて精査したらいいのではないでしょうか。

 占領してしまえば、米軍は黙認するだろうと、李承晩が考えていたのではないかという推測は十分に成り立つと思います。「既成事実を作った後にゴネればいい」というのが朝鮮民族にみられる傾向ですから。

 軍事的に考えれば、「大田あたりでの決戦を考えるのがセオリー」ということなのでしょうね。朝鮮戦争が再開されたら、国防部や参謀本部などは、大田や鶏龍台に移動するそうですから。また、ソウル市民を置き去りにするのでしょう。

 北の戦力を甘く見すぎていた、李承晩が指導者だということが問題だった。同感です。

M8ボルト | URL | 2014-02-20(Thu)00:15 [編集]


Re:その本読んだ事ありますよ。

 情報を提供していただき、ありがとうございます。できれば、本について色々とご教示いただければ幸いです。

M8ボルト | URL | 2014-02-20(Thu)00:16 [編集]


読んだと言った者ですが
全部で6巻あって開戦前の朝鮮の情勢から朝鮮戦争休戦までを扱った内容です。
内容はほとんど戦闘に関することで地図や戦力比等の表があり、わかりやすいですね。
戦闘の記述については特におかしい所はなかったと思います。

| URL | 2014-02-22(Sat)21:01 [編集]


開戦時のソウル固守ですが大田ではなく、ソウルを放棄して漢江を障害にして北朝鮮軍を食い止めるという意見はあったそうです。しかし参謀総長と国防部長官が頑なにソウル固守を唱えたため採用されませんでした。
また韓国戦争に書いてあったんですが李鍾賛は「あの時は米軍の参戦が確定していなかったため」と参謀総長の蔡秉徳を擁護していました。

| URL | 2014-02-22(Sat)21:08 [編集]


Re:読んだと言った者さん

 態々、「韓国戦争」について教えて頂き、ありがとうございます。
 防衛省の戦史研究者が関与していることから、信用の置けない本とは思っていませんでしたが、資料としての価値があるということですね。機会があれば読んでみたいと思います。

M8ボルト | URL | 2014-02-22(Sat)21:40 [編集]


Re:たぶん、読んだと言った者さん

 北朝鮮は、1972年に憲法改定をして、首都をソウルから平壌に変更しました。
 韓国では、盧武鉉大統領が首都を移転しようとした時に、韓国憲法裁判所が「大韓民国の首都はソウルであることは慣習憲法である」として違憲判決を下しています。
 朝鮮民族にとって、ソウルは唯の首都ではないということなんだと思います。そういう心情が「ソウル固守」になったのではないでしょうか。
 色々とありがとうございました。

M8ボルト | URL | 2014-02-22(Sat)22:07 [編集]


読んだと言った者です。ソウル固守に関するコメントも私です。
そういう心情も多く占めていたと思います。
他の文献だと参謀総長は「ソウルは韓国そのものなのだ。だから放棄はできない」というようなことも言ってましたし、米軍のヴァンフリートも「ソウルは韓国民の心の故郷だ。放棄すれば士気に係わる」という理由でソウルの防衛をしていますし

| URL | 2014-02-23(Sun)00:15 [編集]


Re:読んだと言った者さん

 ソウルは38度線から近く、朝鮮戦争が再開されたら火の海になることを覚悟しなければなりません。それなのに、韓国の人口の2割がソウルに集中しています。朝鮮戦争が休戦中に有ることを考えると、ソウルを中心に発展させてきたのは政策的間違いなのでしょうが、民族的感情に抗えなかった結果なのかもしれませんね。
 本エントリを書くに当たって、色々な資料を読みました。朝鮮戦争は興味深い戦争ですね。

M8ボルト | URL | 2014-02-23(Sun)22:28 [編集]


アメリカ駐屯でアメリカ軍統治下であり軍艦すらないのにとうやって対馬侵攻するのかな??
この説はネットでもいろいろ書いてる
*北朝鮮は親日派で、アメリカ鬼畜米、日本の怨敵心
*アメリカ暫定政府韓国は反日国家
そういった論議はあるが
過去には金日成は抗日運動をしてる朝鮮族派
次代もかわり、金大中も(中国より日本は信用ある国、北とは友好であるべき)とした。

名無しの日本人 | URL | 2014-06-27(Fri)01:15 [編集]


アメリカ軍は半島から引き上げる時に軍事顧問団を置いて行ったからありえないでしょう

http://www.history.army.mil/books/korea/20-2-1/toc.htm
アメリカの戦史ですが、それらしきことは見当たりませんし

| URL | 2014-07-05(Sat)15:13 [編集]


Re:名無しの日本人さん

ご返答が遅くなり申し訳ありません。
最新コメントの欄に表示されておらず、しばらくログインしていなかったため、コメントに気付きませんでした。

李承晩大統領は領有宣言しているのですから、それに基づいて対馬侵攻計画を立案していたと推測したとしても、あながち的外れとも言えないと思います。実際、領有権を主張していた竹島は李承晩ラインで不法占拠したのですから。
ただ、計画があった若しくは実行に移したという確かな証拠を得られていませんので、推測の域を出ないというところでしょう。

M8ボルト | URL | 2014-07-17(Thu)22:16 [編集]


Re:アメリカの戦史に言及した方

ご返答が遅くなり申し訳ありません。
最新コメントの欄に表示されておらず、しばらくログインしていなかったため、コメントに気付きませんでした。

対馬侵攻計画が立案されていたか分かりませんが、侵攻計画を発動した可能性は低いのかもしれませんね。

M8ボルト | URL | 2014-07-17(Thu)22:18 [編集]


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