六丈記2

備忘録のようなもの

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留寿都と赤い靴8

・・・留寿都と赤い靴7の続き。
 
◆関係略年表
1838年:阿部嘉左衛門、伊達亘理藩に生まれる
1850年:佐野安吉、駿河国庵原郡の農家の長男に生まれる
1868年:日笠与八、岡山に生まれる
1869年:大住(高林)庸吉(京都)、斎藤安見(山形)生まれる
1871年:阿部慕左衛門、喜茂別駅逓になる
1872年:添田平吉(唖蝉坊)、神奈川の農家に生まれる
1873年:渡辺政太郎、山梨県松島村の農家に生まれる
1876年:西川光二郎、淡路島に生まれる
1877年:桂木頼千代(三重)、碧川企救男(福岡)生まれる
1879年:原子基、弘前・駒越町の下級士族の長男に生まれる
1880年:深尾詔(静岡の旗本屋敷)、鈴木志郎(青森、鯵ケ沢)生まれる
1881年:篠崎清次、旧刈谷藩士の家に生まれる
1882年:佐野安吉廃嫡さる
1883年:大滝由太郎、小樽の雑穀間屋の三男に生まれる
1884年:岩崎かよ(静岡県不二見村)、久保田種太郎(栃木県三鴨村)、豊田道之助(千葉県宗像村)生まれる
1886年:岩崎辰蔵(かよの弟)生まれる
1887年:荒畑勝三(寒村)横浜に生まれる
1891年:原子ヒサ(基の妹)生まれる
1892年:高林ら、インマヌエル今金開拓始める
1895年:函館訓盲会創立。原子八千代(基の妹)生まれる
1897年:原子基、弘前教会で受洗。深尾、小学校教師。真狩村、虻田より分村
1898年:渡辺政太郎、濃飛孤児院に勤務。篠崎清次、訓盲会卒業
1899年:片山潜、道内遊説。東京孤児院開設(北川波津院長)。
1900年:原子栄(基の弟)受洗。原子常太郎(基の父)死亡。『東京孤児院月報』刊行
1901年:原子カネ(基の母)死亡。原子兄弟上京(?)
1902年:東京孤児院、足尾鉱毒被災民慰問。南部団体、喜茂別入植。岩崎せき(かよの母)死亡。岩崎きみ誕生。碧川『小樽新聞』入社
1903年:函館・小樽に「平氏新聞読者会」。富士育児院(吉原)に渡辺政太郎・原子基勤務。片山潜、幸徳秋水、北海道遊説
1904年:函樽鉄遣開通(真狩村方面の開拓者激増)。静岡入山瀬演説会
1905年:「静岡三人組」結成。甲信伝道行商失敗。平民社農場開設。「今金演説」。平民社農場の越冬者八名(佐野4名、原子3名、鈴木志郎)
1906年:岩崎辰蔵死亡。第二の小屋焼失。鈴木志郎とかよ結婚。豊田道之助、古川啓一郎平民社農場入り
1907年:久保田種太郎、日笠与八平民社農場入り。原子基、ユキ結婚。平民社農場で谷中村民へカンパ活動。農場解散。鈴木志郎『北鳴新聞』、『小樽日報』入社。
1908年:西川光二郎、添田唖蝉坊道内遊説(前年末から)。原子八千代死亡。原子基の長男巌、正(藤原姓)生まれる。渡辺、『東京社会新聞』入社。深尾、療養先の興津で『女教師』刊行。原子、下谷山伏町「いろは長屋」に住む
1910年:原子の次男・東、山伏町で生まれる。渡辺、麻布霞町で日曜学校開設
1911年:鈴木志郎、真狩村で郵便配達。群馬団体、真狩村に入植。平民農場関係者への尾行、監視、探索強まる
1913年:鈴木志郎、喜茂別で郵便配達夫、三女その生まれる。原子の三男・久、留寿都で生まれる。唖蝉坊、原子、いろは長屋で労働者親交会を結成。田中正造、渡辺政太郎宅に二泊。渡辺、中国革命軍に投じ、南京陥落で強制帰国
1914年:久保田種太郎死亡。留岡幸助、遠軽家庭学校を開校。臼倉甲子造、渡辺政太郎とともに『微光』を発刊。深尾、静岡少年団を結成
1915年:渡辺、「自宅研究会」を小石川白山前町の「三角二階」に開く
1916年:鈴木志郎、輪西製鉄に就職
1917年:原子基、輸西製鉄の雑役夫に就職するも半年で退職。岩手平民会をおこし、上京して日暮里金杉町で屑屋。日笠与八、遠軽の留岡農場の小作人になる
1918年:渡辺政太郎死亡(四五歳)。
1920年:鈴木志郎戦後不況で馘首さる。八丁平で失業生活を送る。日笠与八スペイン風那で死亡(五三歳)
1921年:原子の家族上京して三河島に移る。室蘭市の河野庄八校長降格
1922年:原子(沼尾)照代、三河島で生まれる
1923年:大震災の戒厳令中、原子基、憲兵隊の取調べをうける。鈴木志郎、北炭夕張炭鉱に就職、一ヵ月後樺太豊原にてカトリックの布教活動に入る。原子基、仏教修養機関「観自在講」を結成。深尾、少年団日本連盟常任理事。
 
◆関係者享年
1924年:佐野(岩崎)安吉、豊原の鈴木志郎宅で死亡。(七四歳、戸籍未記入)
1929年:渡辺政太郎夫人八代、東京で死亡。(五七歳)
1931年:豊田道之助(剣陵)、東京四谷須賀町で死亡。(四七歳)
1933年:原子基、荒川区町屋三丁目で死亡。(五五歳)
1936年:前橋(原子)ヒサ、登別温泉町で死亡。(四五歳)
1944年:添田唖蝉坊、死亡。(七一歳)
1947年:原子ユキ、交通事故で死亡。(六四歳)。日笠与八夫人柳、北海道生田原町安国で死亡。(七二歳)
1948年:鈴木かよ、小樽市で死亡。(六六歳)。原子栄、弘前で死亡。(六〇歳)
1950年:渡辺政太郎、「無名戦士の墓」に合葬
1953年:鈴木志郎、小樽市で死亡。(七二歳)
1957年:原子基、ユキ、「無名戦土の墓」に合葬。
1963年:深尾詔、静岡県で死亡。(八三歳)
 

 


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ヌプンケシ62号 ◎民衆史研究家・小池喜孝先生ご逝去
http://www.city.kitami.lg.jp/docs/2529/
広報るすつ平成25年8月号 留寿都村100年史より 赤い靴の里・留寿都
http://www.vill.rusutsu.lg.jp/kouhou/pdf/411_68705783.pdf
http://www.vill.rusutsu.lg.jp/kouhou/pdf/412_12826527.pdf
【更生保護の父・免囚の父】原胤昭(はら・たねあき)・東京の偉人
http://blog.livedoor.jp/ijinroku/tag/%B8%B6%B0%FD%BE%BC

 

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