六丈記2

備忘録のようなもの

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苫小牧港開港50周年 海王丸来航

 7月12日から16日の間、苫小牧港に独立行政法人航海訓練所の練習帆船「海王丸」が停泊していました。苫小牧港開港50周年記念事業のメーンイベントとして招かれたとのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 独立行政法人航海訓練所によるとこの海王丸は2代目で、1989年に建造されています。24年も経っているのに綺麗に保たれていますね。
◆海王丸のスペック
総トン数_:2556t
全長___:110.09m
幅____:13.80m
深さ___:10.72m
機関___:ディーゼル2基
出力___:1500x2馬力(2206kW) 
燃料搭載量:432.35kL
最大速力_:14.09ノット
航海速力_:12.95ノット
航続距離_:9800マイル
定員___:199人(実習生128人)
 
 
 今年、50周年を迎える苫小牧港は、札幌南方の太平洋岸に位置し、国際拠点港湾指定されている北海道を代表する港湾です。
 
海岸線___:24km
港湾区域面積:14300ha
姉妹港___:ニュージーランド・ネーピア港
友好港___:中華人民共和国・秦皇島港
 
 

 江戸時代、苫小牧港の辺りは勇武津(アイヌ語の「イブツ」に由来 その入口の意)と呼ばれ、アイヌとの交易の拠点でした。内陸で生産されたサケや鹿革などの産物が丸木舟に載せられて勇払川を下り、海岸で北前船に積み込まれて本州へ運ばれていたのです。1799年に、幕府が松前藩から蝦夷地を召し上げて直轄領にした時には、運上屋を改めた勇武津会所が設置され、翌年には八王子から千人同心が移住しています。
 明治になると、胆振国勇払郡となり、勇払開拓使出張所が置かれました(1873年に苫細[苫小牧]に移転)。イワシの地引き網漁を中心とした漁業が行われていましたが、不漁続きになり、大正初期に地元の漁家・今井寅之助が沖合漁のために勇払川河口を利用した漁港造りを試みています。しかし、その試みは失敗しました。
 大正13年 (1924)、北海道庁職員(留萌築港事務所長)の林千秋氏が「勇払築港論」を提唱します。当時、石狩炭田や空知炭田から掘り出された石炭は鉄道で室蘭港まで運ばれていたのですが、勇払に石炭積出港を作ることで、物流コストを抑制出来ると考えたのでした。勇払一帯は緩やかに湾曲した砂浜で、石炭積出港を作るには内陸を掘削して築港するしかなかったのですが、林千秋氏は技術的に難工事ではないと説いています。しかし、この計画が膨大だったことや室蘭の猛烈な反発があったことなどから、勇払築港論が政府に取り上げられることはありませんでした。
 それでも、築港の要望は消えず、大正から昭和にかけて、王子製紙の木材陸揚げ港計画や勇払漁港計画についての陳情が繰り返されました。国への陳情だけではなく、苫小牧町(当時は町だった)は1935年に漁港の築港のために試験工事を試みて失敗。また、1939年には北海道庁土木部が工業港湾計画を策定しますが、太平洋戦争により頓挫しました。
 砂浜には築港できないという先入観念とともに採算性なども問題視され、勇払築港構想は進みませんでしたが、戦後復興が始まると、石炭の大増産に室蘭港と小樽港は対応しきれないと政府が判断、国家計画として苫小牧港の築港が決定しました。
 1951年に苫小牧工業港起工式が行われ、国内初の内陸堀込式港湾として、苫小牧西港区の建設が始まりました。1960年に内陸堀込作業を開始し、1963年に石炭埠頭が完成、その後も港湾整備は進められました。
 苫小牧東港区は苫小牧東部地域開発の中心となる工業港として1976年に着工され、1980年に入船式を挙行、一部の供用を開始しています。
 
 苫小牧港は石炭積出港として建設が始まったため、60年代は主に石炭などの北海道産物資の積出基地として使われていましたが、70年代になるとオイルショックを機に石油備蓄基地が作られ、臨海工業地帯形成の中核としての役割を担うようになり、フェリーも就航しました。80年代は広大な苫東工業団地に進出する企業の利用が期待されましたが、苫東開発が事実上失敗し、停滞。90年代になると国際コンテナが増え、道内随一の流通港に成長しました。21世紀に入るとマリーナや公園などが整備され、たんなる工業流通港からの脱皮を図り、市民が利用するウォーターフロントに変貌しようとしています。
 また、苫小牧港は国内フェリー航路の拠点にもなっており、大洗航路、仙台-名古屋航路、八戸航路、舞鶴航路があります。北海道にツーリングに来る人たちの玄関口でもあります。
 

 
「落陽」吉田拓郎
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎
 
しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね 女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
 
女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直ものさ
この国ときたら 賭けるものなどないさ
だからこうして漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
 
サイコロころがしあり金なくし フーテン暮らしのあのじいさん
どこかで会おう 生きていてくれ
ろくでなしの男たち 身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよ サイコロころがして
みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
 
///////////////////////////////////
苫小牧港開港50周年記念事業実行委員会
http://www.jptmk.com/tomakomaikou50th/index.html
航海訓練所
http://www.kohkun.go.jp/
国際拠点港湾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%8B%A0%E7%82%B9%E6%B8%AF%E6%B9%BE
日本埋立浚渫協会 日本の海紀行 March 2002 Vol.224
http://www.umeshunkyo.or.jp/108/umikikou/224/page1.html
苫小牧の歴史
http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/history.htm
落陽 LIVE2012  Takuro Yoshida
http://www.youtube.com/watch?v=mIdZSX14l7I

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