六丈記2

備忘録のようなもの

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静内の二十間道路桜並木

 季節遅れですが、桜のお話。
 北海道の桜名所には札幌の円山公園、北海道神宮、函館の五稜郭公園、旭川の旭山公園など多々ありますが、中でも有名なのは「さくら名所100選」に選ばれている松前町の松前公園と新ひだか町(旧静内町)の二十間道路桜並木でしょう。
 二十間道路桜並木は日本一の桜並木(新ひだか町談)で、約3000本の桜が7kmの直線道路の両脇に咲き誇ります。桜並木に挟まれた道幅がちょうど二十間(約36m)あったことから二十間道路と呼ばれるようになりました。
 北海道の片田舎なので、道民以外で知る人は少ないかもしれません。地図に示すと下図の様になります。赤の破線が二十間道路です。
 
 
 

 以下の写真は今年の二十間道路桜並木の写真なのですが、満開を過ぎた後に行ったため片側の桜がほとんど散っていました。
 
■二十間道路の山側の端から
 


■二十間道路の海側から 
 


■桜並木の間から日高山脈方向
 
 
 

 

 


 

 

 かってこの地には御用馬を生産する御料牧場が有りました。この二十間道路は視察する皇族のための行啓道路として造成され、大正5年から3年間の月日を費やして、近隣の山々からエゾヤマザクラなどを移植したため、桜並木が出来上がったのです。
 御料牧場でしたので、皇族のための貴賓舎も建設されました。二十間道路の端から少し離れた場所にある「龍雲閣」がそれです。
 
■龍雲閣正面
 


■龍雲閣裏面

 

■龍雲閣そばにある新冠御料牧場旧事務所
 
 龍雲閣は明治41年に着工、翌42年竣工で、建築金額は4939円17銭でした。当初は「凌雲閣」と名付けられていました。
 建築当初は楢柾葺きの屋根だったのですが、昭和47年の修復工事で復元する事が出来なかったため、今後の耐久性をも考慮し銅版葺きになりました。
 龍雲閣には数多くの名士高官が訪れているのですが、特に皇室関係のご来場を書き出すと次のようになります。
●明治42年8月、大韓帝国皇太子李良殿下が伊藤博文公爵随従で御臨場、御視察。
●明治44年9月、皇太子殿下(後の大正天皇)が凌雲閣に4日間の御滞在。産馬の改良、牧場作業全般の御視察、御騎乗、裸荒馬の補索騎乗等を台覧。
●大正6年7月、東久邇宮稔彦王殿下が御臨場。牧場事業の実況を台覧に供す。
●大正10年8月、北白川宮成久王殿下が御臨場。牧場事業の実況を台覧に供す。
●大正11年7月、皇太子殿下(後の昭和天皇)が龍雲閣に3日間の御滞在。放牧馬群の状況、牧場施設巡覧、各競馬、立乗競馬等を台覧。
●昭和7年8月、澄宮(現三笠宮)崇仁親王殿下が7日間の御滞在。場内をつぶさに御視察。
●昭和8年8月、伏見宮博英王殿下が2日間の御滞在。牧場事業の実況を台覧に供す。
●昭和28年8月、義宮(現常陸宮)正仁親王殿下が学習院高等科第3学年在学中に社会科見学旅行のため御臨場。場内各施設を御視察。
●昭和62年12月、三笠宮寛仁親王殿下、同妃殿下が御臨場。龍雲閣を御視察。
●平成元年9月、高円宮憲仁親王殿下、同妃殿下が御臨場。
●平成18年9月、天皇、皇后両陛下が御臨場。
 
 大正天皇陛下、昭和天皇陛下は皇太子時代に、今上天皇陛下は即位後にご来場なさっています。東京からみれば静内は辺境の地なのに、態々、いらっしゃっています。
 そもそも、どうして御料牧場が開設されたのでしょうか。歴史を遡ってみます。
 
明治 5 年 (1872年) 北海道開拓使長官黒田清隆により、北海道産馬の改良を目的として、日高管内の静内・新冠・沙流の三郡に及ぶ約7万ヘクタールの広大な用地に創設される。
明治10年 (1877年) 開拓使雇エドウィン・ダンの意見と設計に基づき、近代西洋式牧場として再編整備され「新冠牧馬場」と改称する。
明治17年 (1884年) 宮内省の所管に変更される。
明治21年 (1888年) 場名を「新冠御料牧場」と改称する。
明治36年 (1903年) 牧場事務所より目名地区に達する約7kmの新道(現、二十間道路)が開通する。
明治42年 (1909年) 貴賓客舎として木造1部2階建て楢茅葺建物(現、龍雲閣)が築造される。
大正 5 年 (1916年) 幹線道路(二十間道路)に、山桜(1,600本)、ドイツトウヒ(32万本)を植樹する。
昭和22年 (1947年) 4月1日付で農林省の所管に変更され、「新冠種畜牧場」と改称する。
昭和47年 (1972年) 創立百周年を迎える。記念事業として、龍雲閣の改修を行う。
平成 2 年 (1990年) 業務及び組織の見直しにより、10月1日付で「農林水産省家畜改良センター新冠牧場」に改組する。
平成13年 (2001年) 省庁再編に伴う組織の見直しにより、4月1日付で「独立行政法人家畜改良センター新冠牧場」と改組する。
 
 一説によると、江戸時代(1799年)に幕府が使役目的として日高地方南部に60頭の南部馬を導入したのが始まりのようです。使役以外の時は山野に放牧されていたらしく、自然繁殖により、江戸末期には数千頭の大群になったと伝わっているとのこと。
 明治になり、北海道開拓使が約7万ヘクタール(東京ドーム約14900個分、東京23区の約1.12倍)という広大な土地を囲い、繁殖した野生馬を追い込んだのが牧場の始まりです。
 宮内省の所管となってからは洋種牡馬が導入され、昭和22年までの間、皇室の御用馬や軍用馬の生産と改良が行われていたのでした。
 
 競馬ファンにはお馴染みでしょうが、日高地方の沿岸部は国内を代表するサラブレッドの産地です。映画「優駿」がヒットしてからは地域活性化のために、馬を活かした観光にも力を入れています。「優駿のふるさと」を前面に押し出し、国道235・236号に「サラブレッドロード優駿浪漫街道」という愛称まで付けています。
 この様にサラブレッド一色のこの地方ですが、この様になる起源は御料牧場だったのですね。
 

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コメント


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No title

 壮観!!
 素晴らしいですね。
 ところで写真の美青年はどなた?

よもぎ猫 | URL | 2013-06-11(Tue)11:24 [編集]


No title

To よもぎ猫さん
> 壮観!!
> 素晴らしいですね。
> ところで写真の美青年はどなた?

ブログ主です。http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E7%25A6%258F%25E5%25B1%25B1%25E9%259B%2585%25E6%25B2%25BB/" class="keyword">福山雅治と見間違えましたか。容姿がソックリなのでよく見間違えられます。
背景との境目や光線の具合が若干おかしいと感じるかもしれませんが、カメラが古いせいです。合成などと疑ってはいけません。
ブログ主は男前なのです。www

ボルト | URL | 2013-06-11(Tue)21:46 [編集]


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