六丈記2

備忘録のようなもの

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最終目標は天皇の処刑(3)

最終目標は天皇の処刑(2)の続き。
 
◆タムズィン
 ダライ・ラマ法王は「私たちは、名誉ある条約を締結しようという望みを抱いて、北京に代表団を送ったが、主権を放棄するための協定に無理矢理署名を強要された。我が政府は、この強制された協定を絶対に批准しようとしなかったけれども、もし、それを拒否すれば、より以上の流血と破壊が避けられないことは、すべてに明らかだった。わが国民を、一層ひどい災難から救うために、私と我が政府は、不法極まりない協定であっても、それを忠実に守ろうと努めた。にもかかわらず、中国は、その協定で誓った約束を、ことごとく破ったのである。」と「ダライ・ラマ自伝」で言っている。
 実の所、侵略は武力侵攻以前から始まっていたのだと思う。中国は人民解放軍の侵攻前に、チベットの各寺院内に多くの工作員を送り込み、「テンダ・アメリカ(宗教の敵、アメリカ)」というスローガンを広めていた。アメリカ帝国主義がキリスト教を通じてチベットを侵略しようとしているため、中国共産党チベットを守ろうとしていると喧伝し、チベット人に西側諸国に対する警戒心を抱かせて人民解放箪の進駐を受け入れ易い環境作りを始めていたのだ。17箇条協定でもダライ・ラマ制度を維持する等と謳い、懐柔しながら時間をかけて共産化を進める意図があったのだろう。
 ラサ蜂起を武力鎮圧してチベット全土を掌握した中国は、「民主改革」と称する民衆弾圧を開始。最初の標的はになったのが、中国が言うところの上位三階級(富裕層、地主、地域指導者)だ。地域指導者には僧侶も含まれる。国際司法委員会は現地の証言をまとめたレポートには「約300人の上位三階級に属する男たちが野原に招集された。中国人たちは『これらの者は改革への道を阻んでいる。彼らは宗教を信仰しており、撲滅すべき人間である』と宣言した。『この者たちは銃殺されることになる。また、下位二階級(中産階級、貧民階級)の者も、同じような考えの者ならば銃殺される』300人の者たちは整列させられ、一人一人、人々の目の前で銃殺された。」という記述がある。
 弾圧行為には地域社会で虐げられていた貧民層のチベット人がよく利用された。中国当局は金や食料を与え、「富裕層を撲滅することが、貧者にとって唯一のチャンスだ。君も彼らは貧しい者から搾取したと告発すべきだ」と吹き込んだ。また、弾圧行為において、チベット人同士の信頼関係を崩壊させるのに効果を発揮したのが、「密告制度」と「タムズィン(公衆の面前で個人を卑しめたり、その罪状を糾弾する人民裁判のこと)」だった。集会の場で、子供が両親の罪を、親が子供の罪を告発しなければならない。でっち上げだろうと誰かを密告しなければ、いつ自分が密告されるか分からないという恐怖感を生み出し、やがて誰もが隣人を信用できずに疑心暗鬼になる。
 処刑こそ無かったが、同様のことは私が逃避行を続けていた(1959年)頃から始まっていた。弾劾された人達は、紙の帽子を被らされ、村中を引き回された。「文化大革命」のチベット版が繰り広げられていたのだ。
 中国によるチベット支配の手法は、一方においては圧倒的な武力、そして人民闘争、階級闘争を通して内部分裂を図る。この二つを巧みに使い分けて、チベット人を肉体と精神の双方から殺していったのだ。
 
◆宗教破壊
 中国は宗教を撲滅することが、チベットに共産主義を浸透させるために不可欠と考え、僧侶の処刑と寺院の破壊にも着手した。
 ラサ蜂起当時、チベットには100万人以上の僧侶がいたが、中国による侵略過程でその9割が死亡、還俗、国外脱出のいずれかを余儀なくされた。寺院は私有財産(土地、食料、家畜など)を全て没収され、貴重な仏像や教典も持ち去られた。セラ、デプン、ガンデンの三大寺院のみならず、チベット全土で7000以上あった僧院の9割が完全に破壊された。
 この侵略過程で、ドゾルチェン・リンポチェ(カム地方で最も有名な高僧の一人)は四肢に杭を打たれ、腹を裂かれたという。また、高い場所から蹴り落とされた僧侶は中国人から「奇跡を起こせるなら皆の前で飛んでみせろ」、「自分の命さえ救えない者に、人民の命を救えるはずがないではないか」と言われたとも伝えられている。チュング・リンポチェ(ミンドリン寺の貫首)は殺されなかったが、タムズィンにかけられ、紙の帽子を被せられてラサ市内を引き回された後に清掃係をやらされた。僧侶の威厳を地に落とし、チベット人が僧侶に抱く尊敬と信頼の念を奪おうとしたのである。
 1960年代後半の文化大革命から1970年代のポル・ポト政権につながる暴政の系譜の原点はチベットにあったのだ。チベットで実験を行い、その効果を見て中国国内に持ち込んだのかもしれない。
 虐殺こそ少なくなったものの、仏教に対する弾圧は今日に至るまで執拗に続けられている。1980年代に鄧小平が改革開放政策を始めて以降は寺院が修復されるようになり、仏教の本も販売されているので、一見、宗教の自由が取り戻されたように見えるかもしれない。しかしながら、民衆が寺院に行ける曜日が決められていたり、昼は私服の公安警察、夜は武装警察、更には隠しカメラで24時間監視されている。5人以上集まると集会とみなされ検挙される可能性もある。政府によって完全に管理されている状態だ。また、寺院の修復にしても、観光資源としか考えていないのである。
 中国共産党憲法第36条で「信仰の自由」が保障されているが、この自由には様々な制限がある。中でも、「秩序を乱すようなものであってはならない」というのは中国共産党が一番重視しているものだろう。「秩序を乱すようなもの」の解釈は中国共産党が独断で決めているので、お経を唱えることは出来ても、教えを説くことは出来ない。教えを説くと、非進歩的な考え方で人民を誤った方向に導いているとして逮捕される。布教が出来ずに儀式だけとなると、かえって宗教の意味が失われてしまう。
 現在、北京政府から派遣された「工作隊」と呼ばれるプロパガンダ要員が、寺院内に常駐し、強制的に僧や尼僧に政治的・宗教的な「愛国再教育」を施していて、従わなければ、処罰される。また、ダライ・ラマ法王と法王が認定したパンチェン・ラマ11世を信奉することは禁じられ、市民が法王の写真を所持することすら、違法になっている。この様な現状だから、僧侶による抗議運動が頻繁に起きるのである。
 
◆経済的侵略
 チベット亡命政府は、1959年から79年までの間に中国による侵略の結果として亡くなったチベット人の数を120万人以上としている。ただし、この数字は4半世紀以上前のものであり、87年や89年、あるいは北京オリンピック直前の2008年に起こった大規模蜂起での犠牲者は含まれていない。また、今なお数
千人のチベット人が政治犯として獄に繋がれており、その中からも死亡者は出ていると思われるが、これも含まれていない。
●戦闘や蜂起によるもの_____432,705人
●餓死_____________342,970人
●刑務所、強制労働収容所での死_173,221人
●処刑_____________156,758人
●拷問死_____________92,731人
●自殺_______________9,002人
合計____________1,207,387人
 人的被害だけでも膨大な数になるが、さらに恐ろしいのは「文化的大虐殺」が今でも進められていることだ。現在のチベット人にとって、最も重大かつ差し迫った問題は、チベット人としてのアイデンティティが消滅する危機に瀕している。
 中国によるチベット侵略の歴史は大まかに3つの時期に分けることができる。1950年の人民解放軍の侵攻から始まる「軍事的侵略」、1965年にチベット自治区を作り、67年に共産党支部を設けた「政治的侵略」、21世紀になって中国の経済力が高まったことによる「経済的侵略」の3つだ。軍事的侵略では圧倒的な武力でチベット人を屈服させようとし、政治的侵略では思想統制、宗教弾圧に力を入れ、経済的侵略では大量の中国人を入植させ、同化させようとしている。
 この同化政策がかなりの効果を上げている。中国政府の西部大開発政策により、チベットに入植する中国人が飛躍的に増え、青蔵鉄道開通によって拍車がかかった。中国政府はチベットで事業を始める中国人に無利子融資をしたり、チベット行きを希望する軽犯罪者に特赦を与えたりして、中国人入植者を大量に増やしている。更には、あえてイスラム系民族(回族)も入植させている。チベット亡命政府によると、首都ラサの人口は55万人で、チベット人はその内の45%に過ぎず、かなり以前から中国人が優勢になっている。中国政府はそれを否定するが、その理由は大半が戸籍を中国に残しているので定住者ではないという理屈だ。長期に渡って住み着き、いつ帰るとも分からないのでは定住しているのと変わりない。
 言語教育も絶望的な状況にある。中国政府は公用語にチベット語を加え、使用や教育を禁止している訳ではないが、学校の試験は中国語で、仕事も中国語が話せなければ満足に出来ない。事実上、チベット語が衰退するような政策を実行している。
 同化政策は言語以外でも、様々な固有文化に及んでいる。例えば、チベット音楽を中国風に変えたり、民族衣装(帯を取れば布団にもなる長い作り)を作らせないために長い生地を売らないようにした。
 また、チベット人を増やさないため、チベット人男性と中国人女性が結婚する場合は政府からの許可が必要になる時もある。その逆の場合は何の障害も無い。
 中国政府はこの様な政策で仏教国チベットのアイデンティティ、生活様式、文化、伝統、自然環境など、全てを破壊しようとしているのだもはや同化政策というより、民族浄化政策といった方がいいかもしれない。
 
インドでの難民生活
 (ペマ氏の難民生活のことなので、割愛)
 
◆日本へ
 (ペマ氏が日本に来る事になった経緯や日本の生活のことなので、割愛)
 
◆チペット文化研究所
 (ペマ氏がチペット文化研究所を設立する経緯などのことなので、割愛)
 
・・・続く。

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