六丈記2

備忘録のようなもの

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最終目標は天皇の処刑(1)

 ペマ・ギャルポ氏。日本ではダライ・ラマ14世に次いで有名なチベット人だ。7年程前に帰化して

いるので、正確にはチベット系日本人と言うべきか。
 そのペマ氏が1年程前に「最終目標は天皇の処刑」という刺激的なタイトルの本を書いている。中国

共産党が作成されたとされる「日本解放第二期工作要綱」を中心として、中国の侵略工作に警告を発す

る内容だ。
 
最終目標は天皇の処刑 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌
ペマ・ギャルポ著  飛鳥新社 2012/1/20発売
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%9B%AE%E6%A8%99%E3%81%AF%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%

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ie=UTF8&qid=1354572935&sr=8-1-spell
 
 この本で一番興味深かったのが、いかに中国がチベットを侵略したのかをペマ氏の体験を通して語ら

れている部分だ。 日本でも中国がチベットを侵略したと認識する人は増えていると思うが、その過程

まで知っている人はまだ少ないと思われる。ペマ氏の体験はチベット侵略の一面でしかないが、少しで

もその過程を知ることは現在進行形の尖閣諸島問題を考える上で大変参考になるだろう。なので、その

部分が記載されている第2章「私の故郷チベット」を要約することにした。
 一部分だけの要約のため、正確さに欠け、著者の意図しないまとめ方になっている可能性があるのは

ご了承頂きたい。本書をご一読頂き、確認して頂ければ幸いである。
 
 要約に入る前に、理解の助けとするため、簡単な年表を載せる。
1949年:チベットのアムド地方とカム地方の東部が中国共産党の支配下に入る。
1950年:中国人民解放軍がカム地方西部に侵入、チャムドを占領。
1951年:中国人民解放軍が中央チベットに進軍。ラサの無血開城。十七箇条協定の締結。
1953年:ペマ氏誕生。
1956年:チベット動乱の勃発。
1957年:統一抗中ゲリラ組織の結成。
1959年:ラサ市民の蜂起。ダライ・ラマ14世、ペマ氏らがインドへ亡命。
1965年:チベット自治区発足。ペマ氏来日。
1974年:統一抗中ゲリラ組織の武装解除。
 
<<<第2章「私の故郷チベット」の要約>>>
◆ガラスの城
 私は(ペマ氏)はチベット東部のカム地方にある二ャロンという場所の小さな村で生まれた。現在は

四川省に組み込まれ、「新龍」となっている。
 父のギャリー・ニマは、そのニャロンを治めるポンポ(日本語に当て嵌めれば藩主、あるいは地方領

主に相当)だった。私が生まれた当時は、中国により県長という名称に変えられてはいたが、まだ以前

と変わらぬ権限があり、領地には3、4万の人口があって九州程の面積があった。
 東チベットには父のような藩主が何人も存在していて、ダライ・ラマ法王の権威には服していたが、

中央政府の行政機構の下には入らず、自ら行政権や司法権も持って領地を治めていた。つまり、日本の

戦国時代と江戸時代の藩幕体制が入り混じったような状態だった。一方、中央や西部には、かつての王

族の流れをくむ貴族も多く存在していた。チベットはそうした地方権力者達が、ダライ・ラマ法王を権

威として尊び、ある時は争い、ある時は協力し含って宗教国家を成立させていたのである。
 
 私には母が二人いた(チベットでは一夫多妻、多夫一妻の場合もあった)。父に姉妹で嫁いでいて、

「上の母」「下の母」と呼んでいた。私は三男だが、2人の兄は活仏と認定されて寺に入っていたので

、跡継ぎとして甘やかされて育てられた。
 生家は領主の居館だけに、その地域では一番大きく、近代的な四階建ての建物で、数百人収容できる

ホールがあった。16枚のガラス窓があるだけだったが、周辺にはガラス窓のある家など一軒もなかっ

たので、ガラスの城と呼ばれていた。
 私はこんな環境で、家臣達に囲まれ、「若殿様」として何不自由のない生活をしていた。
 
 私が物心ついた頃には、すでに17箇条協定は結ばれていたが、協定が結ばれた後も、しばらくの間

は平穏を保っていた。チベット各地に人民解放軍が駐屯し始めたが、「チベット開発をする」という大

義名分で道路を造ったり、チベット人に農具を配ったりして、最初はチベット人も喜んでいたとのこと

。相当数の中国人入植者もチベットに入って来ていたが、友好的な交流があり、私も彼らに対して悪感

情は持っていなかった。
 しかし、子供の私にそう映っていただけで、すでにその頃にはかなりの軋櫟が生じており、東チベッ

ト各地で人民解放軍との衝突が起きていた。
 17箇条協定には「チベット人から針一本、糸一筋も取らない」と明記してあるのに守らなかったの

だ。チベット各地に駐屯する軍隊は食料供給が十分でないため、地元の村々に対して食料を要求。その

要求は徐々にエスカレートし、住民生活を圧迫していた。また、道路建設にも多くの労働力が駆り出さ

れた。農地はチベットの気候に合っていないのに、強制的に小麦畑に転換させられ、不作となって、チ

ベットでは一度もなかった飢蝕が発生していた。
 更に、東チベットカム地方の人々(東チベットの人間はカンパと呼ばれている)を怒らせたのが、

彼らが最も大切にする「銃」を取り上げようとしたことだった。東チベットには日本の戦国時代のよう

な空気が残っており、俗人はよき戦士になることが最も望まれていた気風で、カンパから銃を取り上げ

るのは、侍から刀を取り上げるのと同じことだった。
 今から考えれば、中国政府が何の見返りも求めずにチベット人に親切にするはずもなく、彼らの目的

は、土地地改革や農業の集団化、あるいは中国人の入植など共産主義政策を推し進めることだった。強

制的な共産主義教育、宗教への弾圧など、思想的な介入も徐々に始めていた。
 
===== 17箇条協定 =====
第一条
チベット人民は団結して、帝国主義侵略勢力をチベットから駆逐し、チベット人民は中華人民共和国の

祖国の大家族の中に戻る。
第二条
チベット地方政府は、人民解放軍がチベットに進駐して、国防を強化することに積極的に協力援助する


第三条
中華人民政治協商会議共同綱領の民族政策に基づき、中華人民政府の統一的指導のもと、チベット人民

は民族区域自治を実行する権利を有する。
策四条
チベットの現行政治制度に対しては、中央は変更を加えない。ダライ・ラマの固有の地位および職権に

も中央は変更を加えない。各級官吏は従来どおりの職に就く。
第五条
パンチェン・エルデニの固有の地位および職権は維持されるべきである。
第六条
ダライ・ラマ、およびパンチェン・エルデニの固有の地位および職権とは、13世ダライ・ラマおよび

9世パンチェン・エルデニが互いに友好関係にあった時期の地位および職権を指す。
第七条
中国人民政治協商会議共同綱領が規定する宗教信仰自由の政策を実行し、チベット人民の宗教信仰と風

俗習慣を尊重し、ラマ寺廟を保護する。寺廟の収入には中央は変更を加えない。
第八条
チベット軍は逐次人民解放軍に改編し、中華人民共和国国防武装兵力の一部とする。
第九条
チベットの実際状況に基づき、チベット民族の言語、文字および学校教育を逐次発展させる。
第十条
チベットの実際状況に基づき、チベットの農・牧畜・商工業を逐次発展させ、人民の生活を改善する。
第十一条
チベットに関する各種の改革は、中央は強制しない。チベット地方政府はみずから進んで改革を進め、

人民が改革の要求を提出した場合、チベットの指導者と協議する方法によってこれを解決する。
第十二条
過去において帝国主義と親しかった官吏および国民党と親しかった官吏は、帝国主義および国民党との

関係を断固離脱し、破壊と反抗を行わない限り、そのまま職にあってよく、過去は問わない。
第十三条
チベットに進駐する人民解放軍は、前記各項の政策を遵守する。同時に取引は公正にし、人民の針一本

、糸一本といえども取らない。
第十四条
中央人民政府は、チベット地区のいっさいの渉外事項を統一して処理し、かつ平等、互恵、および領土

主権の相互尊重という基礎の上に隣邦と平和な関係を保ち、公平な通商貿易関係を樹立発展させる。
第十五条
本協約の施行を保証するため、中央人民政府はチベットに軍政委員会および軍区司令部を設立する。中

央人民政府が派遣する人員以外に、できるだけチベット地方の人員を吸収して工作に参加させる。
軍政委員会に参加するチベット地方の人員には、チベット地方政府および各地区・各主要寺廟の愛国分

子を含むことができ、中央人民政府が指定する代表と関係各方面が協議して名簿を提出し、中央人民政

府に任命を申請する。
第十六条
軍政委憤会、軍区司令部、およびチベット進駐人民解放軍の所要経費は、中央人民政麻が支給する。チ

ベット地方政府は、人民解放軍の食糧およびその他、日用品の購買と運輸に協力するものとする。
第十七条
本協約は署名捺印ののち、直ちに効力を発する。
==================
 
・・・続く。

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