六丈記2

備忘録のようなもの

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靖国神社の放火犯は中国人? 続報18

 mikumiku39さんより劉強のアルバム(http://johnlew2008.i.sohu.com/album/photoset/29151660/photos/#1
)の存在を教えて頂いた。
 そのアルバムには「family」(「grandpa, parents, wife, daughter and me」という表記あり)と「初期設定のアルバム」という2つのフォルダーがあり、それぞれ12枚と17枚の写真が掲載されている。更新はされていないので、登録した後は放置している模様。
 
 このアルバムから何枚か抜き出してみる。
 
◆「family」という題名のアルバムから抜粋
 
 「祖父、両親、妻、娘、私」との表記があるけれども、写っているのは劉強、成人女性、赤ん坊、老婆の4人だけだ。
 中国の人肉検索の書き込みにも「家庭有り」となっていた(靖国神社の放火犯は中国人? 続報8 参照)し、釈放後の中央日報のインタビューでは4才の娘の誕生日が1月にあると明かしているため、おそらく、娘と妻と母親(鄭如妹)だと思う。アルバムの登録日時は2008年11月18日だから、誕生間もない娘を写したものを数ヵ月後にアップしたのだろう。
 
◆「初期設定のアルバム」という題名のアルバムから抜粋
 
 こちらの方には白人や子供の写真に混じって、劉新氏と劉別生氏の写真があった。
 アルバムの登録日時は2008年11月19日(上記アルバム登録の翌日)だが、写真自体が何時撮影されたのかは不明。大方、娘の誕生記念に家族のアルバムをネット上に登録しようと思い立ち、自分と祖父、両親、妻、娘の写真を載せようと考えたのだろう。娘の誕生間もない写真はかたまってあったので、そのまま登録し、劉新と劉別生の写真はセレクトする時間が必要だったので、翌日に廻したのではないだろうか。その際、枚数が足りないので、色々な写真も入れたのだと思う。
 以上の様に考えると、やはり、劉強は劉新の息子で間違いないのかもしれない。
 子供達は劉強とどの様な関係なのかサッパリ分からないが、親類か。白人の方も関係性は分からないが、劉強はNLPの心理学講師の肩書きを持っている(靖国神社の放火犯は中国人? 続報6 参照)ので、NLPの関係者なのかもしれない。
 
 
 劉強は多くの中国人から歓迎され、英雄気取りでいるだろう。しかし、ここに写っている家族はどう思っているのだろうか。
 劉強の母親(鄭如妹)は劉強が事件を起こすまで、自分の母(楊英 劉強の祖母)が従軍慰安婦だったなんて全く知らなかったと証言している。知らなかったと証言することは劉強の証言に疑義を生ませることになるのに、あえて知らなかったと言ったのは本当に知らなかったのだろう。息子が世間を騒がせる事件を起こした上に、突然、自分の母が慰安婦だったと突き付けられた時のショックはいかばかりか。
 元産経新聞中国駐在員の福島香織氏はインタビューで「売春を生業とする女性は600万人、潜在的に売春しうる水商売の女性まで含めると1,200万人に上ると言われています。日本では性風俗産業に従事する女性に対して比較的寛容ですが、中国では売春をしている女性はものすごく軽蔑される。売春で逮捕された女性は街中を引きずり回され、市民からヤジや石を投げつけられていました(「市中引き回し」は2010年禁止になった)。体を売った女性の家族は「恥だから故郷には帰ってくるな」と言いながら、彼女が稼いだお金で長男が住む家を建てる。中国では毎年25万人~30万人ほど自殺者がいますが、男性よりも女性、特に農村の女性が多いと言われています。原因は男女差別や生活苦です。」と述べている。
 中国人は売春婦に対して、日本人以上に差別的な感覚を持っているのだ。中国では、従軍慰安婦は日本軍に強制されて売春させられていた被害者との認識なのだろうが、それにしても、自分の母が売春婦だったなんて公にされて喜ぶ筈も無い。鄭如妹氏は劉強の言葉を鵜呑みにしているようであるが、心から受けられたのだろうか。
 劉強の父親はどうであろうか。戦争の英雄の息子と、持ち上げられていたのに、義理の母が身を売っていたと聞かされたのだ。何ともいえない複雑な心境になったのではないだろうか。
 
 劉強の祖母(楊英 1986年没)が従軍慰安婦だったという証拠は劉強の証言以外には無い。その証言も微妙に変化している。当初は「祖母が亡くなる2年前の1984年から慰安婦時代の話を聞き」(靖国神社の放火犯は中国人? 続報2 参照)と言っていたのに、後には「86年に死亡する前、劉強に『私は韓国人で、元日本軍慰安婦』と生涯の秘密を打ち明けたと」(靖国神社の放火犯は中国人? 続報14 参照)と言っている。
 劉強は1974年生まれだから、1984年は劉強10才の時、1986年は劉強12才の時だ。いずれにしろ、日本でいえば小学生の頃に聞いたということである。SEについてよく知らない小学生位の子供に対して従軍慰安婦のことを話しても理解できるとは思えないし、娘にも話さなかったのに年少の孫にだけに話したというのも不可解だ。
 そもそも、祖母は何故、従軍慰安婦だったことを話したのか。理由は何だったのか。中国で従軍慰安婦が話題になり、「実は私もそうだった」と告白しようと思い立っただとしたら、分からなくもない。しかし、中国で従軍慰安婦が一般的に知られるようになったのは、少なくとも1993年の河野談話以降のことだろう。日本でも一般的に知られるようになったのは、1991年の朝日新聞の記事によってである。楊英氏が亡くなった時には、従軍慰安婦はまだ知られていなかったのだ。従軍慰安婦を告白する切っ掛けが見当たらない。
 この様に劉強の「祖母が従軍慰安婦」との証言は信憑性が非常に疑わしい。それにも拘わらず、韓国の裁判所は事実確認もせずに受け入れ、知る限り、日中韓のマスコミは証言の信憑性を追求することもしなかった。よって、楊英氏が従軍慰安婦だったとの認識は(少なくとも中韓では)多くの人々に受け入れ、固定化している。
 
 帰国した劉強は家族と再会しただろうか。
 妻は何と言って迎えただろう。再会の喜びばかりではあるまい。手記に登場する福田河子や韓国に一緒に入国した日本人女性について追求しているのではないか。妻としては追求して当然だ。
 両親には会っただろうか。両親はどんな態度で迎えただろう。祖母が語ったことについて直接聞かずにはいられないのではないか。もし、それで嘘だと判明したとしても、公表出来ないに違いない。中国政府を挙げて擁護されたのに嘘でしたと公表したら、中国政府の面子を潰しことになるし、人民からもバッシングされるのは目に見えている。だから、家族としては嘘だと判明しても、従軍慰安婦だったと言い張らねばならず、甘んじて受け入れるしかない。
 中国人民は劉強を反日の英雄と持て囃すだろう。しかし、その一方で「祖母が身を売っていた家系の家族」と蔑むに違いない。娘が家族のために売春したとしても、家族から「恥だから故郷には帰ってくるな」と言われる社会なのだから。
 劉強の軽率な行動は日韓の間に大きなしこりを残したばかりでなく、自分の家族間にも大きなしこりを残してしまったのかもしれない。
 
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恕恩虎虎
http://johnlew2008.i.sohu.com/album/index.htm

靖国放火中国人「日本、慰安婦問題含む過去の歴史を再認識すべき」
http://japanese.joins.com/article/106/166106.html?servcode=400&sectcode=430

エイズ村、売春宿......男女差別と社会格差の中で生きる『中国の女』
http://www.cyzowoman.com/2011/04/post_3465.html
 

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