六丈記2

備忘録のようなもの

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九十九髪茄子 前編

 「平蜘蛛茶釜」のエントリに登場した「九十九髪茄子」は「九十九茄子」、「付藻茄子」、「作物茄子」などとも書かれ、「つくもなす」又は「つくもなすび」と読みます。また、松永久秀が所持していたことから「松永茄子」とも呼ばれることがあります。九十九髪茄子の名の由来は茶匠の村田珠光が九十九貫文で買い取ったことから、「伊勢物語」所収の「百年(ももとせ)に 一年(ひととせ)たらぬ 九十九髪(つくもがみ) 我を恋ふらし おもかげに見ゆ」という和歌にちなみ、珠光が名付けたそうです。
 つくも茄子は丸茄子に似た形の陶器製抹茶(濃茶)入れで、缶詰の6号缶程の大きさです。
 
高さ2寸3分5厘(7.1cm)
胴径2寸4分5厘(7.4cm)
胴廻り7寸6分(22.8cm)
口径9分(2.7cm)
底径9分(2.7cm)~1寸(3.0cm)
甑高3分2厘(0.9cm)
肩幅1分5厘(0.4cm)
重量20匁4分(96.5g)。

 

 つくも茄子は唐物と呼ばれ、12~13世紀の中国(南宋~元時代)で香油や薬の容器として作られた物です。一説には日本に輸入された後、バサラ大名の佐々木道誉が茶入れに転用したとも言われています。
 「天下三茄子」(富士茄子、松本茄子、九十九髪茄子)に数えられ、名品中の名品と評価されていて、20年間所持した松永久秀は「土薬、なり、ころ、口の作り、古人天下一の名物というのは、『つくも』をいうなり」と賛美していました。
 
※「なり、ころ」とは名物道具の要素のことで、「形(なり)」、「比(ころ)」、「様子」を名物道具の3要素と言います。「形」は形の良さ、「比」は使いやすいほ適正な大きさ、「様子」はかもし出す雰囲気と味わいの良さのことです。
 
 この手のひらに乗るほどの小さな茶入れは様々な人達の間を流転して現在に受け継がれ、今は静嘉堂文庫美術館に収蔵されています。ただ、現在の姿は無傷のように見えますが、X線調査を行なったところ、漆で細かい破片を接ぎ合わせて組み立てたことが判明したそうです。表面を覆う部分はほぼすべて色漆で覆われていることも分かりました。この辺りの事情が重要文化財にも指定されていない理由でしょうか。
 
 前述したようにつくも茄子は次々と所有者が移り変わり、波乱に富んだ伝来を持つために「流転の茶器」との戯称もあります。どの様な人達の手に渡って現在に至ったのでしょうか。その伝来をひも解いてみます。

1)佐々木道誉
 洛外大原野の花の下で闘茶会を催すなど、無類の闘茶好きだった佐々木道誉が所有し、3代将軍・足利義満に献上。
2)足利義満
 北山文化を築いた足利義満が愛用し、その後、代々足利将軍家に伝わる。
3)足利義政
 東山文化を築いた8代将軍・足利義政の同朋衆の能阿弥が茶事を芸術の域まで高め、「書院台子の茶」として形式化。書院台子の茶は武家貴族の社交と美術品の鑑賞をするための茶であったため、義政は能阿弥に所持していた多数の宝物の中から優れた物を選定させ、正倉院御物にまねて「東山御物」とした。つくも茄子も東山御物に含まれる。
4)山名政豊
 足利義政は寵臣・山名政豊(山名宗全の息子)に下賜し、政豊は誇りに思い戦場に持参する程だったが、茶の師であった村田珠光に売却する。
5)村田珠光
 99貫で購入した珠光は「九十九髪茄子」と命名。
6)朝倉宗滴(教景)
 入手経路は不明だが、500貫で購入。
7)越前の呉服商「小袖屋」
 小袖屋が宗滴から1000貫で購入。越前一向一揆の難を避けるため、又は仕覆を作らせるため、小袖屋は京都の豪商「袋屋」に預ける。
8)松永久秀
 入手方法は不明ながら、久秀が袋屋から手に入れる。久秀が言葉巧みに奪い取ったとか1000貫で買い取ったとも言われている。
9)織田信長
 信長が上洛すると、久秀が恭順の印として献上。今井宗久からも名物を献上されていた信長は「茶の湯」の利用価値に目を付け、名物狩りを始める。
 つくも茄子は本能寺の変の時も信長の側にあり、焼失したとも(山上宗二記)。
10)豊臣秀吉
 焼失したはずだったが、秀吉に渡る。理由は諸説あり、同じ茶器があったとする説 、本能寺焼け跡から掘り出したとする説 、何者かが本能寺の変の前に持ち出したとする説などがある。
11)有馬則頼(刑部卿法印)
 秀吉の御伽衆として仕えていた有馬則頼が秀吉から拝領する。
12)豊臣秀頼
 どの様な経緯があったか不明だが、秀頼が所持する。
 大坂の夏の陣で大坂城が炎上し、大破。
13)徳川家康
 大坂城の焼け跡の灰の中から破片を回収させ、奈良の塗師の藤重藤元・藤厳父子に漆で修復させる。
14)藤重藤元
 見事な修復ぶりに驚嘆した家康は褒美として藤元に下賜し、以後、藤重家の家宝として代々伝えられる。
15)岩崎弥之助
 藤重家から直接購入したのかは分からないが、岩崎弥之助(三菱第2代社長)が400円で購入。
16)岩崎小弥太
 弥之助の子・小弥太(三菱第4代社長)が相続。
 1940年に財団法人静嘉堂を設立。
17)静嘉堂文庫美術館
 1945年、小弥太が死去すると、生前の遺志により、静嘉堂に寄贈される。
 1992年、静嘉堂文庫美術館が開館し、美術館が収蔵する。
 
※佐々木道誉以前の所有者や村田珠光から朝倉宗滴までの間の所有者は不明。
 
  現在のつくも茄子の姿を見てもバラバラに壊れたとは思えない見事な修復ぶりですが、藤重父子は壊れる前のつくも茄子を見ていたとは思えず、壊れた破片から元の姿を想像して修復したものと思われます。そうなると、現在のつくも茄子は本来の姿とは多少違うのかもしれませんね。
  
 

 「喜左衛門井戸」の所有者・竹田喜左衛門は落ちぶれても手放さず、茶碗を抱きしめながら絶命しました。また、「平蜘蛛茶釜」の所有者・松永久秀は手放すことを拒み、茶釜もろとも爆死したと言われています。
 それに比べ、「つくも茄子」は大名物なのに所有者が所持し続けることに強い執着心をみせていません。久秀はつくも茄子を手放しても平蜘蛛茶釜は手放していません。家康にいたっては折角修復させたのに直ぐに手放しています。この違いは何故でしょうか。憧れの物を手にしてみると想ったほどでもなかったということなのでしょうか。
  
つづく。
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静嘉堂文庫美術館
http://www.seikado.or.jp/030100.html
九十九髪茄子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%AB%AA%E8%8C%84%E5%AD%90
ひめの倶楽部美術館
http://w2352.nsk.ne.jp/himeno/museum/museum022-3.htm
 

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