六丈記2

備忘録のようなもの

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喜左衛門井戸

 先日のエントリ「史上最高額の絵画」でポール・セザンヌの「カード遊びをする人々」が2億5000万ドル(200億円)以上で取引されていたと書きました。有名画家の絵画とはいえ所詮は絵、ジェット旅客機(400席規模)1機と同等の価値があるとは庶民には思えませんが、億万長者にとってはそうではないのでしょう。一説によると、カタール王室の総資産は380億ドル位らしいですから、総資産の1%以下を1枚の絵画に換えたことになります。総資産1000万円の人が7万円の絵を買う感覚と同じなのかもしれません。まあ、金持ちの気持ちは分かりませんが。
 カタール王室は投資の一環なのか、セザンヌコレクターなのか、購入の動機は測りかねますが、自分の命より大事とは思っていないでしょう。しかし、過去には自分の命より美術品を大切にした人もいました。
 
 江戸時代初期の慶長の頃、大阪に竹田喜左衛門という裕福な町人が名物の茶碗を所有していました。喜左衛門は茶の湯道楽が過ぎたのか、身代を潰し、一家離散の後、京都島原の遊女屋の下働きに身をやつしてしまいます。没落したことにより、収集した茶道具は手放しましたが、唯一この茶碗だけは手放しませんでした。売れば、大金が手に入るのですが、喜左衛門はこれを袋に入れて首に掛け、肌身離しませんでした。やがて、体中に腫物ができ、この茶碗を抱きしめながら亡くなります。(没落した塘氏の逸話が喜左衛門に置き換えられたとする説もあります)。
 この茶碗は喜左衛門の没後、本多能登守忠義に渡り、1634年に本多氏から泉南の中村宗雪に譲られます。1751年には塘氏の所蔵となりました。安永年間(1772~81年)には松江藩7代藩主の松平治郷(号は不昧)が京都の道具商の山越利兵衛から家臣たちの反対を押し切って550両で購入しました。家臣が反対した理由は「この茶碗を手に入れた者には腫物に罹る」との噂があったためです。正室のシズ(靑に彡)楽院は使わぬよう嘆願し、不昧は眺めるだけでしたが、噂どおり、不昧は腫物に取り付かれます。正室は手放すように勧めましたが不昧は惜しみ、息子の月潭に譲るに止めました。すると、月潭が腫物に罹ります。ここに至り、正室はこの茶碗を京都大徳寺孤篷庵に寄進させました(1822年)。それから、現在に至るまで孤篷庵が所蔵しています。
 
 この茶碗の名称は「井戸茶碗〈銘喜左衛門〉」ですが、「喜左衛門井戸」、「本多井戸」とも呼ばれます。大井戸茶碗の代表作とされ、1951年に国宝に指定されています。ちなみに、8つある国宝の茶碗の内の1つで、井戸茶碗ではこれだけです。
◆「井戸茶碗〈銘喜左衛門〉」
製作国 :朝鮮
製作年代:李朝
寸法  :高さ9.8cm 口径15.4cm 底径5.3cm
形状  :やや開き気味に立ち上がった形姿で、内外にかかった釉薬は枇杷色をした長石と土灰の混合釉。高台から高台際にかけてカイラギ(梅花皮:釉薬の縮れのこと)がある。胴の一部に漆繕いが見られる。見込みが深く、底部が薄い。
 
 井戸茶碗とは李朝中期に朝鮮で焼かれた高麗茶碗の一種で名物手(大井戸)、小井戸、小貫入、青井戸などに分類されます。中でも、大井戸は特に重視されました。「井戸」の名の由来は秀吉の家臣、井戸覚弘が朝鮮から持ち帰ったとも、単純に井戸のように深いからだとも言われ、定説は無いようです。
 「一井戸、二楽、三唐津」と言われるように、井戸茶碗は茶碗の中でも別格とされていました。本来、茶の湯用として作られたものではなく(そもそも朝鮮では茶道の風習が無かった)、朝鮮で日常雑器として使われていた物を桃山時代の茶人が讃美し、抹茶茶碗に見立てて珍重したそうです。
 
 喜左衛門井戸は古来より高麗茶碗の最高峰と評価されているそうです。何がそんなに良いとされているのか調べていると、次のような文章がよくヒットしました。
 「慶長の頃大阪の町人竹田喜左衛門といふ者所持しが故に名あり。又本多能登守忠義に傳りて、本多井戸とも云ふ。
大正名器鑑より
 高麗茶碗の良さというか、味わいというものは井戸茶碗に尽きるといわれています。ということは、茶人たちが高麗茶碗に求めた美しさは、井戸茶碗のような作振りのもの、即ち飾り気のない素朴な姿、全く華美でない渋い落ち着きのある釉色、そして一つの姿として茶碗を観るとき、茫洋とした大きさと、捉えどころのない風格が感じられる茶碗ということになります。それは正に大井戸茶碗の姿であり、「喜左衛門」はその全てを備えた茶碗といえます。
 伸び伸びとしたこだわりのない姿、中央が竹の節のような高台がしっかりと受けているのが印象的ですが、その伸び伸びとしたロクロ目は、井戸茶碗の最大の特色であり、竹節状に削り出された高台も、節立っているがために、全体の姿を引き締まったものにしていることから、やはり大きな見所の一つに挙げられています。釉は灰褐色のいわゆる井戸の枇杷色釉と呼ばれる釉薬が厚く掛かり、高台廻りは梅華皮(かいらぎ)状に縮れています。このかいらぎはそれこそ見方によっては不潔な感じをもたせますが、全体の渋く静かな色感の中に、唯一つの激しい景色であるといえ、茶人はそうした変化に目を着けたのでしょう。」
 それで、大正名器鑑(大正から昭和にかけて茶道振興に尽力した茶人・高橋義雄<箒庵>による茶入・茶碗の図録)を国立国会図書館デジタル化資料で読んでみると、「慶長の頃~本多井戸とも云ふ。」の部分は確かにありました。しかし、「高麗茶碗の良さというか~目を着けたのでしょう。」の部分はありませんでした。この部分の原典となる書籍があるのでしょうか。それとも、ネット上に誰かが書いた文章がコピーされて広まったのでしょうか。
 閑話休題。喜左衛門井戸の良さは、その素朴さにより侘び茶を具現化していると考えられているところにあるようです。作ろうと思って作られた茶碗ではないために作者の作意を感じさせず、「無作為の美」があるというのです(このような評価は柳宗悦<朝鮮美術にも造詣が深い昭和の思想家>が唱え、世に定着したようです)。つまり、人為的なものを排除した、「あるがままの自然が一番美しい」とするということなのでしょう。喜左衛門井戸を良しとする美意識の根底には無為自然が良いとする老荘思想があるのかもしれませんね。
 
 喜左衛門井戸は一般に「何がいいのかサッパリ判らない」と呆れさせる物の代表格なんだそうです。確かに、喜左衛門井戸の写真を見たら、年月の重みのようなものは感じますが、美しいとは感じません。国宝の肩書があるから一目置きますが、もしなければ、歪んで釉薬もまともに掛かっていない、古ぼけた茶碗にしか見えません。「素人が作った失敗作」と言われれば、納得してしまいそうです。多くの人もそう感じるのではないでしょうか。
 仮に、この茶碗が民家の納屋あたりに捨て置かれていたとしても、現代の茶人は最高の茶碗と評価するのでしょうか。
 茶の湯の心得が無い者には、古の高名な茶人が高く評価したので、後代の茶人達はこれを美しい物だと思い込もうとして理屈をこねているように思えるのです。しかしながら、美意識というのは多分に後天的なものでしょうから、それはそれで良いのかもしれません。
 それでも、「無作為の美」という解釈には違和感を覚えます。喜左衛門井戸の作者には上手に作ろうとか、美しい物を作ろうとかという気概は無かったのかもしれません。けれども「茶碗を作る」という明確な意思がありました。この「作る」という意思を否定できないため、「無作為の美」は成り立たないと思えるのです。「無作為の美」が至高の美だとするなら、雨垂れでえぐれて茶碗の形になった自然石が最高の茶碗ということになりませんか。
 だからといって、喜左衛門井戸の価値を否定するつもりはありません。美しいかどうかは別にして、喜左衛門井戸には歴史的価値があると思うからです。それが国宝に値するものなのかは門外漢には分かる筈もありませんが、数世紀も前から歴史に登場し、珍重され続けられた事だけでも凄いことではありませんか。

 

 ネットで喜左衛門井戸のことを調べていたら、女子高生がこの茶碗でお茶漬けを食べたことがあるとのエピソードを見付けました。このエピソードについて更にリサーチすると、どうやら、陶磁器修復師の甲斐美都里さんが著書の「古今東西―陶磁器の修理うけおいます」の中で、高校生の頃に大徳寺の僧侶と顔なじみになり、国宝の茶碗でお茶漬けをご馳走になったと告白しているようなのです。
 立命館大学校友会報「りつめい」No.210にも甲斐美都里さんが自ら「大徳寺を庭のようにして過ごし、とある塔頭では国宝の茶碗で茶漬けを食べたこともある。初めて見て触った金継ぎは、この茶碗のものだった。」と書いています。大徳寺が関係する国宝の茶碗は喜左衛門井戸と燿変天目茶碗(竜光院所蔵)の二つ。繕いがあるのは喜左衛門井戸の方ですから、「喜左衛門井戸でお茶漬け」というのは本当のことらしいです。
 甲斐美都里さんは1975年に立命館大学を卒業していますから、高校生の頃は70年前後でしょうか。今から40年程前に国宝の茶碗でお茶漬けを食べた人がいたのですね。「茶道具は使ってこそ生きる」と聞いたことがありますが、お茶漬けに使うとは何と大胆な。喜左衛門井戸には腫物の祟りがあると言い伝えられていましたが、甲斐さんは腫れなかったのでしょうか。もしかしたら、胸が腫れて巨乳になったなんていうことは・・・ないか。余計なことを書きました。

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国宝・重要文化財(美術品)
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=312
喜左衛門井戸
http://www.bijyutsu.jp/dictionary/%E8%8C%B6%E9%81%93%E7%94%A8%E8%AA%9E/%E5%96%9C%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E4%BA%95%E6%88%B8/
古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 か行
http://kokaratu.com/kokaratu/kokaratu-yougo/kokaratu-yougo02-ka01.html
大正名器鑑. 第7編
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1014994/9
古今東西―陶磁器の修理うけおいます
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E2%80%95%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%BF%AE%E7%90%86%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99-%E7%94%B2%E6%96%90-%E7%BE%8E%E9%83%BD%E9%87%8C/dp/412003254X/ref=ntt_at_ep_dpt_1
「古今東西―陶磁器の修理うけおいます」 甲斐美都里
http://www.min6.com/2004/02/22124350.php
校友会報「りつめい」No.210
http://alumni.ritsumei.jp/report/pdf/210.pdf
ユスタ・ルフィナ
http://homepage2.nifty.com/justa-rufina/index.htm
 

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