六丈記2

備忘録のようなもの

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白鳥事件60年が過ぎて 後編

◆事件内容
 1952年1月21日午後7時40分頃の北海道札幌市南6条西16丁目の路上、自転車で帰宅途中の札幌市警察の警備課長の白鳥一雄警部(36歳)が自転車で尾行していた犯人に背後から射殺され、犯人はそのまま自転車に乗って逃走。目撃者の証言によると犯人は30歳前後でがっしりした体格の男。
 死体のそばに落ちていた薬きょうと体内に残っていた弾丸から凶器はブローニングと断定された。
 


 

◆登場人物
村上国治:日本共産党札幌委員会委員長、共産党札幌軍事委員会委員長、北海道の開拓農家の貧しい家庭に育つ
佐藤直道:日本共産党札幌委員会副委員長
宍戸均:中核自衛隊隊長
鶴田倫也:中核自衛隊副隊長、北海道大生
大林昇:中核自衛隊員、北海道大生
門脇戌:中核自衛隊員、北海道大生
村手宏光:中核自衛隊員、北海道大生、長野の外科病院長の息子
高安知彦:中核自衛隊員、北海道大生、余市の歯科医の息子
佐藤博:中核自衛隊員、ポンプ職人
追平雍嘉:日本共産党札幌委員会常任委員、元海道大生、札幌軍事委員会委員、埼玉県川口生まれ
 
◆年表(事件背景と経過)
1950年
 スターリンが指導するコミンフォルムにより、日本共産党の平和革命論(占領軍を解放軍とし、合法的な革命を目指した)が批判され、中国共産党も追従したことから、日本共産党内の意見が割れる。更に、GHQによるレッドパージもあり、所感派(主流派、徳田球一ら)、国際派(宮本顕治ら)、日本共産党国際主義者団(野田弥三郎ら)など数派に分裂。
 徳田球一らは正式な手続きをとらずに中央委員会を解体、親中国であった所感派だけで中国へ亡命し、「北京機関」(指導部)を組織する。
1951年10月
 国際派が復帰し、第5回全国協議会で日本共産党は再統一する。この会議で所感派の武装闘争路線が採用され、秘密地下組織として、地域単位ごとに軍事委員会を設置し、中核自衛隊などの武装組織を結成した。
1951年12月27日
 集団交渉で市役所前に座り込んでいた札幌自由労働組合員20数人が建造物侵入で白鳥警部に検挙される。
 この事件以前にも、公安警備責任者だった白鳥警部は共産党員を多数検挙している。
1952年
 高田市長、白鳥警部、塩谷検事等に数百通の「脅迫ハガキ」が送られる。
 白鳥宅には「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」と赤インキで書かれたハガキが送りつけられる。
 他にも「新年にあたり警察官諸君に宣言する」などのビラも撒かれる。宣言には「白鳥其の他の敵、新しい敵を一人一人葬り去ることを宣言する」と書かれていた。
1952年1月21日
 白鳥事件発生。
1952年1月22日
 日本共産党北海道地方委員の村上由が「党と白鳥事件は無関係」との声明をだす。
1952年1月23日
 北海道地方委員会が「党との関係は何とも言えない。この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を出す。
 北海道大学や札幌市内数カ所で共産党員が「見よ天誅遂に下る!」(1月22日の日付と共に日本共産党札幌委員会の署名あり)と書かれたビラを大量にばら撒く。
1952年2月3日
 自由労組員、尾谷豊を別件逮捕。その後、アリバイ成立。
1952年
 天誅ビラを配ったとして吉田哲が逮捕される。
 吉田から犯人と認める自白を引き出すが釈放。吉田は「首謀者は副委員長の佐藤直道」との自白もしていたが、後に自白は虚偽と証言。
1952年5月頃
 伊豆の伊東で行き倒れなり警察の保護を受けた北海道の共産党員の成田良松が脱党を決意し、札幌委員会地下組織の情報を提出。村上国治、佐藤直道、追平雍嘉、高安知彦、紺野与次郎他が割り出される。
 白鳥殺害は党の決定、天誅ビラの発案は村上、佐藤直道が「今夜はきをつけろよ、重大事件がおこるから」「白鳥事件は1カ月前から計画してやったのだ」と言ったとも述べたが、後に虚偽と証言。
1952年6月頃
 元札幌信用組合(のちの信用金庫)の組合員総代であった原田政雄(元共産党員)が「白鳥警部に背任横領で摘発されるのを恐れた札幌信用組合の佐藤英明理事長(ヒロポン中毒)の犯行。」「白鳥警部と反目していた畠山喜一郎警部補からブローニングを借り受け、佐藤理事長の配下の東出四郎(元競輪選手)に射殺させた。共産党員伊藤仁の妻伊藤幸子がそれを目撃していた。」と公開質問状を捜査当局へ出し、マスコミに知れ渡る。
1952年8月10日
 佐藤英明と東出四郎を逮捕。
 その後、東出はアリバイ有として釈放。佐藤は札信事件で起訴後保釈される。
1952年8月28日
 日本共産党札幌委員会副委員長 佐藤直道(当時32歳)を逮捕。
1952年10月1日
 日本共産党札幌委員会委員長 村上国治(当時29歳)を別件逮捕。
1952年11月17日
 佐藤直道、獄中脱党。「白鳥事件は1カ月前から計画。中核自衛隊である北海道大学生7人が殺害に関与した。委員会委員長が軍事委員長を兼務し、村上委員長が実行犯の佐藤博に指示。犯行に自分は無関係」と供述。
1952年12月23日
 佐藤英明理事長が服毒自殺。
1953年4月8日
 村上国治の公判開始。
1953年4月9日
 日本共産党札幌委員会常任委員 追平雍嘉(当時29歳)を東京で逮捕。
 犯行の翌日に佐藤博宅で、佐藤から直接、犯行の状況を聞いたと供述。(追平雍嘉上申書)
1953年6月9日
 中核自衛隊隊員の北海道大生 高安知彦を名寄で逮捕。
1953年7月11日
 高安知彦が脱党届けを書く。「昭和26年12月ごろ幌見峠で、高安、村手宏光、門脇戌、鶴田倫也、大林昇らが1人一発ずつ5発試射を行った」と供述。
1953年8月19日
 幌見峠で弾丸を発見。
1954年4月30日
 幌見峠でもう一発の弾丸を発見。
1954年8月20日
 佐藤博ら6人を殺人容疑で指名手配。
1954年9月20日
 中核自衛隊隊員の北海道大生 村手宏光を長野(心因性反応のため静養中)で逮捕。
1954年10月18日
 佐藤直道、不起訴となり釈放。
1955年頃
 鶴田倫也が焼津港から漁船(人民艦隊)で北京に亡命。宍戸均、佐藤博、大林昇、門脇戌もこの頃に中国に密航したと思われる。
1955年7月
 日本共産党は第6回全国協議会で武装闘争路線の放棄を決議。
1955年8月16日
 村上を殺人罪(共謀共同正犯)、高安と村手を殺人幇助罪で起訴。
 「村上国治、宍戸均、鶴田倫也が殺害を謀議。鶴田倫也、佐藤博、大林昇、門脇戌、村手宏光、高安知彦が事前調査し、佐藤博が実行。首謀者、村上。実行犯、佐藤博。」としえ起訴されるも、村上は無罪を主張。
1956年3月
 村手が保釈され、札幌医科大学附属病院精神科に入院。
1957年5月7日
 札幌地裁判決。村上は無期懲役、村手は懲役3年執行猶予5年。
 二人とも即日控訴。
1957年5月8日
 札幌地裁判決(分離公判)。高安に懲役3年執行猶予3年。確定。
1960年5月31日
 札幌高裁判決。村上に懲役20年、村手の控訴棄却。
 二人とも上告。
1961年7月
 日本共産党は第8回全国協議会で自主独立路線(外国の干渉は受けない)に転換。1950年から55年までの分裂と混乱の時期に起こした武装闘争路線を極左冒険主義と批判。以後、武装闘争などは全て、分派が勝手に行ったもので、日本共産党とは無関係と主張。
1962年3月16日
 各地に「村上国治を守る会」が組織され、この日「白鳥事件中央対策協議会」が結成される。
1963年10月17日
 最高裁。上告棄却。村上と村手の有罪確定。
1965年10月21日
 村上、再審の申し立て。
1969年6月13日
 札幌高裁、村上の再審請求棄却。
1969年11月14日 
 村上、異例(再審申立て中)の仮釈放。
1971年7月
 村上、札幌高裁へ異議申立するも棄却、最高裁特別抗告
1975年5月20日
 最高裁、村上の特別抗告棄却。
 最高裁は理由の中で「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審にも適用されると判断(白鳥決定)。
1975年7月
 共産党は「白鳥裁判運動」終結宣言を出す。白鳥事件対策協議会は解散
1977年12月2日
 指名手配されていた門脇戌が中国から帰国し、逮捕される。後に起訴猶予。
1978年6月3日
 指名手配されていた大林昇が中国民航機で帰国し、道警に逮捕される。後に起訴猶予。
1985年1月18日
 村上(結婚して小林姓になっている)が自転車泥棒で捕まっていたと新聞に載る。
1985年
 村上は日本国民救援会の副会長職を解任される。
1988年1月14日
 佐藤博が肺がんにより北京で死去。
1988年2月27日
 宍戸均が肝臓がんにより北京で死去。
1994年11月3日
 村上は埼玉県大宮市内の自宅が全焼し、焼死。享年71歳。
1997年6月8日
 北海道新聞、中国で鶴田倫也が生存していることを報道。
2012年3月
 鶴田倫也が北京市内で病死。享年82歳。
 
◆裁判の論点
 伝聞証拠の違法性などが争われ他、唯一の物証(拳銃も自転車も発見されなかった)である3発の弾丸が最大の焦点となった。
 拳銃の射撃訓練を行ったとされる幌見峠で、事件の1年9ヶ月後と2年3ヶ月後に発見された弾丸が長期間土中に埋もれていたにも拘わらず、腐食していなかったため、弾丸の捏造が疑われた。
 また、線条痕についても鑑定の過程の問題や不一致とする鑑定が出され、3発が同一拳銃から発射されたとする鑑定が疑問視された。
 
◆事件を振り返り考える
 白鳥事件発生から長期間経過し、当時、青年だった関係者も鬼籍に入る年齢となった。何も語らずにこの世を去る者もいるが、重い口を開く者もいる。
 事件は当初、警察の証拠の捏造や「白鳥事件中央対策協議会」の運動、松本清張などの陰謀論により、冤罪とする声が大きかった。事件を共産党員の仕業と認めた高安知彦、佐藤直道、追平雍嘉は嘘つき、裏切り者と罵られいたが、時が経った今では資料研究や証言により、盲目的に村上国治の無実を信じていた支援者も考えを変えつつある様にみえる。
 
 実行犯の佐藤博は亡くなっているが、「北京で佐藤と宍戸が『俺をこんな目にあわせやがって』(佐藤)『俺を男にしてくれ、と頼んだのはどこの、どいつだ』(宍戸)と罵り合い、殴り合いの喧嘩をした。」との話が伝わったりしているので、佐藤博が実行犯で間違いないだろう。
 村上国治は終生無実を訴えていたが、国治が獄中から面会の弁護士に渡した「関係者を国外に逃がせ」という自筆のメモが発見されているので、冤罪ではなかったことが窺われる。
 今後、「追平雍嘉上申書」や「高安知彦手記」、「共産党関係者が鶴田から聞いた事件の真相(拳銃や自転車の入手やその処置方法など)」が発表されると思うので、そうなると益々白鳥事件が冤罪ではなかったことがハッキリするだろう。
 
 時代の熱にうかれ、党の方針に従って一線を飛び越えた青年達。謀略との宣伝に乗せられ、無実を信じて闘った支援者。
 共産党内の権力闘争によって、方針が変わり、用済みになると見捨てられた。自業自得と言えばそれまでだが、なんと共産党は罪深い存在であろうか。

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白鳥事件
http://yabusaka.moo.jp/siratori.htm
白鳥事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6
疑わしきは被告人に利益に 白鳥事件
http://www.jlaf.jp/syoutai/07_8.html
日本国民救援会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%95%91%E6%8F%B4%E4%BC%9A
<09.12.05>白鳥事件関係裁判資料の公開と真相をめぐって<渡部富哉>
http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=253
日本共産党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A#.E3.80.8C.E7.B5.B1.E4.B8.80.E5.9B.9E.E5.BE.A9.E3.80.8D.E3.81.A8.E6.AD.A6.E8.A3.85.E9.97.98.E4.BA.89.E8.B7.AF.E7.B7.9A
北大・イールズ闘争から白鳥事件まで-中野徹三氏に聞く
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/4561/4/ER61(4)_1-44.pdf
白鳥事件の消去と再生
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/takahashishiratori.htm
現代史への一証言―川口孝夫著『されて蜀の国へ』を紹介する―
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nakano2.htm
1977年 中国重要日誌
http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1977/104/1977104DIA.html
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実
http://chikyuza.net/n/archives/20864
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実②
http://chikyuza.net/n/archives/21084
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③
http://chikyuza.net/n/archives/21216
白鳥事件 国家権力による重大犯罪
http://ww6.tiki.ne.jp/~funabashi/shiratorijiken.html

 

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| | 2016-05-08(Sun)14:07 [編集]


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