六丈記2

備忘録のようなもの

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靖国神社の放火犯は中国人? 続報8

 劉強は中国共産党軍の英雄に数え上げられる劉別生の孫を自称しているが、証拠は挙げられていない。そこで、劉別生の子孫を調べていたら、mikumiku39さんより、中国サイトの人肉検索の書き込みを教えて頂いた。以下、その内容。
**************************
人肉検索見つけたんで、紹介します。
ttp://tieba.baidu.com/p/1380311855
人肉資料:1劉恕恩 原名:劉強 上海人
祖父は劉別生 ※※(抗日?)戦争の英雄、老虎団団長
祖母は宋素蝶 中国共産党原子力事業退職老幹部、国家11級幹部
家庭有り 父は劉新 母は鄭如妹(商人)。妹は劉芳

ついでに、劉新氏が劉別生について語る動画です。
ttp://v.ifeng.com/history/renwujingdian//201106/efb18b0c-2cdc-4e73-94f2-

7cc112667f70.shtml
**************************
 動画を見ると劉別生の息子として劉新が登場していて、劉別生の子供が何人いるか分からないが、劉新という名の息子がいることが判明した。

 

 以後、提供いただいた情報を足掛かりに調査を進めたが、劉別生と劉強を結びつける証拠は見つけられなかった。
 しかし、劉別生の家族について判明した事柄もあるので、下に記す。

 

●蘇迪:劉別生の妻。1997年1月13日没。50年代に上海に移住。上海核工程研究設計院に勤務していた。

●劉新:劉別生の長男。1943年6月~1944年5月の間に生まれる。1943年生まれの可能性大。現在、68歳位。娘がいることは分かっているが、他に子供がいるかは分からない。

●劉登:劉別生の次男の可能性あり。


********** 資料 **********
◆劉別生(百度の百科より抜粋)
http://baike.baidu.com/view/1170080.html?tp=0_10
 劉別生(1915―1945)、男性、漢民族、江西安福生まれ。1928年9月、中国工農紅軍に参加。1929年2月、中国共産主義青年団に加入。1930年は、吉安を攻撃中の重傷により、少共支部書記、区委員書記、県委員書記の任に就く。その後、湖南省と江西省の少共委員常務委員。1932年、湖南省と江西省の少共国際団団、解任後、独立武装工作団主任、北路独立大隊副大隊長、大隊長などを歴任。同年、中国共産主義青年団員から正式に中国共産党員になる。1939年、新四軍第1支隊第2連隊第3大隊副大隊長。1940年11月、新四軍軍部特務連隊連隊長。1941年、新四軍第1師団第2旅団第4連隊連隊長。1943年、新四軍第1師団第16旅団第48連隊連隊長。1944年3月、日本軍1個中隊及び傀儡軍1個大隊と交戦し戦果を上げる。1944年12月、汪傀儡軍主力の第34師団を壊滅し、浙江省と安徽省の境重要な都市を解放。1945年1月、江浙(江蘇省と浙江省)軍区第1縦隊第3支隊支隊長。同年6月軍区第1縦隊第1支隊支隊長。6月4日、国民党軍第79師団との交戦中に戦死。享年31歳。臨安板橋村に埋葬。解放後、上海竜華陵園に改葬。

 

◆1940年新四軍軍部が劉別生を軍部特務連隊連隊長に任命した時の任命状
http://www.slmmm.cn/YJYD_GCWWShow.asp?AID=44
~略~
1945年に劉別生が戦死した後、妻の蘇迪が保管、その後、50年代に蘇迪は上海に渡る。90年代に蘇迪が重い病気に罹り、長男の劉新が保管。
~略~

 

◆1941年新四軍軍部が劉別生を新四軍第1師団第2旅団第4連隊連隊長に任命した時の任命状
http://www.slmmm.com/YJYD_GCWWShow.asp?AID=45
~略~
1995年3月29日、竜華烈士陵園建設計画推進グループの毛和利は劉別生の息子の劉新から任命状を調達した。
任命状は1941年に劉別生が蘇北で受け取ったもの。1945年に劉別生が戦死した以後は妻の蘇迪が保管、90年代に蘇迪が重い病気に罹ったため長男の劉新に渡されて保管され寄贈に至った。
~略~

 

◆新四軍蘇浙軍区記念館 年表
http://www.cxxsj.org/html/01-3-3.htm
1997年1月13日、上海核工程研究設計院は元新四軍第16旅団第48連隊連隊長の劉別生烈士の未亡人である蘇迪の訃報を出した。

 

◆父の世代はかつての遠征地を巡る
http://www.luobinghui.com/2/2/200609/15073.html
~略~
 烈士後代の劉新は永く父の写真の前に立ち、毎回、彼は父が残したこの唯一の写真を見て、父に親しみを感じるがよく覚えていない。烈士の劉別生は新四軍第16旅団第48連隊連隊長で、1945年6月、浙江の新登で勇敢な犠牲になり、その時、抗日戦勝利まで僅か2カ月、劉新はまだ2歳になっていなかった。
~略~

 

◆共産党の足跡訪問:新登駐屯地に入る 銃声がまだ耳の辺でするようだ
http://www.311404.com/dispbbs.asp?boardid=40&Id=18525
~記事省略~
***コメント欄***
lgl7580311
Post By:2011-6-22 10:31:44
劉別生の二人の息子の内一人は劉新、別の一人は劉登と称する。

 

◆“方司令官”の後代の一行が新四軍蘇浙軍区記念館で人を感動させた歳月を心に刻む
http://cxnews.zjol.com.cn/cxnews/system/2011/10/24/014359131.shtml
長興ニュースネット2011年10月24日
 10月22日午後に、劉一行は槐坎郷の新四軍蘇浙軍管区記念館の内で館長の呂偉宏から当時の詳細な歴史聞き、父の世代が血みどろになって奮戦した厳しい時代の一つ一つの感動的な話を心に刻む。
~略~
「当時の彼は方自強と名を変え、方司令官と呼ばれる。」父の戦闘の歴史を聞き、劉新は思案顔で、時々壁にあるよく知っている名前の嫁いだ娘の説明を指す。
~略~
劉新の娘も保有するカメラで関係する先人のエピソードを記録し、一心にあの苦難に満ちながらも光栄の歳月を理解する。
~略~

●館長の呂偉宏は劉新などの人達に「方司令官」の手描き絵の作戦図を解説
※白髪の男性が劉新、奥の女性が劉新の娘と思われる。ストライプのシャツの男性は劉新の

弟かもしれない。

 

●第48連隊連隊長の劉別生が長興戦役の前に作った作戦メモ

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