六丈記2

備忘録のようなもの

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オウム真理教の平田信の出頭について考える

 今年最初に聞いたニュースはオウム真理教の平田信(ポーシャ)が出頭したとのニュースだった。
 指名手配のポスターがいたるところに貼り出されている中、16年以上に渡って、逃亡を続けていたにもかかわらず、髪を茶髪のロングヘアーにしていた位で、整形手術や指紋を変えたりした痕跡はないという。リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した市橋達也は自分で顔を縫ったり、ハサミで切ったりして自己流の整形手術をしていた。それとは大違いだ。
 警視庁本部に出頭し、「平田です。出頭しました」と告げた上、「特別手配なんですけど」と食い下がっても取り合われず、丸の内署に一人で歩いて出頭したということだから、整形せずとも気付かれずに生活でき、必要なかったということか。実際、出頭直前に都内を移動しているが、誰も気付いた様子はないし。案外、普段から顔を隠さずに出歩いていたのかもしれない。
 
 

 

 

◆逃亡経過
●1995年3月下旬、教団側から逃走資金1000万円を受け取り、逃亡。
●1995年7月、教団治療省の女性出家信者の斉藤明美(東北出身 49歳 ビックニー・アリヤマーターガティニー 有印私文書偽造同行使で指名手配されていたが時効成立)と共に福島市内のマンションに滞在。
●1995年11月から1996年2月の間、斉藤明美は仙台市宮城野区の飲食店に勤務し、その飲食店の従業員用アパートで平田と同居。
●1996年2月、斉藤明美が勤務先のから姿を消す。平田と共に逃走したとみられが、その後の足取りはつかめず。
●2011年12月31日、大崎署から恵比寿駅に移動し、地下鉄日比谷線を霞ケ関駅で下車。警視庁本部からに丸の内署に歩いて移動。
 
◆取調べ供述
●出頭理由
「時も大分たったので、一区切りつけたい。」
「元警察庁長官銃撃事件が時効を迎え、間違った逮捕はされないと思い出頭した。」
「東日本大震災で不条理なことを多く見て、自分の立場を改めて考えた。昨年中に出頭したかった。」
「震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった。でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」
「松本智津夫死刑囚の刑の執行を遅らせるために出頭したのではない」
●逃亡生活について
「余計なことを言うと人に迷惑が掛かるので言えない」
「働いていなかった」
●高橋克也と菊地直子について
「わたしは知らない」
●目黒公証役場事務長監禁致死事件について
「車を運転していただけで、假谷さんが死亡したことはあとから知った。」
「亡くなったことは申し訳ないと思っている。」
「俺は逮捕されて当然だ」
●国松孝次元警察庁長官銃撃事件について
「私は事件に関係ありません。」
●松本智津夫死刑囚に対して
オウム真理教を信仰しておらず、教祖の死刑執行は当然」
 
 

 取調べは始まったばかりで、まだ詳しいことは分かっていないが、疑問などがあるので書き出す。
●16年以上も逃亡を続けたにもかかわらず、今になって出頭した理由の一つに警察庁長官銃撃事件(2010年3月に時効)の時効を挙げているが、時効から出頭までの期間は1年9ヶ月だ。理由にするには時間が経ち過ぎているのではないか。
 それに、平田は警察庁長官銃撃事件の実行犯ではないかと疑われたことはあるが、この事件で指名手配されていた訳ではない。指名手配容疑は公証人役場事務長拉致監禁致死事件の逮捕監禁致死罪(時効2031年)と島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反(時効2024年)だ。確かに、警察庁長官銃撃事件は殺人未遂罪が適応され、最高刑は殺人と同じ死刑になりうるので、関わっていなくとも恐怖を覚えるのは分かる。しかし、問われている犯罪の最高刑は逮捕監禁致死罪が懲役20年、爆発物取締罰則違反で爆発物使用罪が適応されると死刑。警察庁長官銃撃事件が時効となろうとも、死刑の可能性は残っているのだ。自分の起こした事件なのだから、それ位は理解していると思う。それなのに無関係を主張する警察庁長官銃撃事件を殊更心配していたのは奇異な感じがする。
 「刑の執行を遅らせるために出頭したのではない」、「教祖の死刑執行は当然」と述べているが、「新たな裁判を始めさせて、死刑執行を阻止しする」という意図があったとしても、そう供述するであろうから、これをもって死刑執行の阻止が出頭の目的ではないとは言えない。ただ、遠藤誠一の死刑が確定してオウム裁判が11月21日に全面終結し、松本智津夫死刑囚の年内死刑執行の可能性が報じられていたにもかかわらず、死刑執行阻止が目的だとすると年内ギリギリに出頭したのは遅すぎとも思える。
●逃亡生活について「人に迷惑が掛かる」と供述を拒んでいるということは、支援者がいるということだ。「働いていなかった」とも述べているので、支援者がいて資金援助していたのは確実だろう。所持金は約10万円と下着や着替え、シャンプー、くしなどを用意周到に準備して出頭したことも支援者の存在をうかがわせる。
 斉藤明美が一人で支援していたのではないと思う。斉藤明美も指名手配されて逃亡していたのだから。数人のグループが逃亡生活を支えていたのではないだろうか。複数の支援者がいないと長期間の逃亡生活を支えるのは難しいと思われる。
 平田は短期間ではあるが仙台支部長を務めていたことがある。斉藤明美は東北出身だ。それらの縁で東北周辺の信者が支援者になったのではないか。だから、福島市や仙台市に潜伏したとは考えられないだろうか。
 平田は「東日本大震災で不条理なことを多く見た」と言っている。本当に見たのかもしれない。被災地以外に住んでいて、テレビ等から情報を伝え知っただけでは「見た」と言葉は出てこず、「感じた」という言葉になるのでは。
 これらのことを考慮すると、最近まで東北周辺に潜伏していた可能性は高いと思う。
●「オウム真理教を信仰していない」とも供述している。本当だとすると、何時ごろから信仰を失くしたのか。信仰を失くした者を信者が支援するとは思えないので、失くしたとしても最近のことなのか。若しくは早くに信仰心は失っていたが、信仰している振るまいを続けていたのか。それとも供述は嘘で、まだ信仰心を保っているのか。
●「東日本大震災で不条理を見た」ことが切っ掛けになったとしているが、オウム事件で亡くなった人々も不条理にあったではないか。オウム事件の不条理は考え直す切っ掛けにならなかったのか。
 
 平田が出頭した理由を考えると次のようなことではなかったと想像する。
 仙台から姿を消した後、しばらくして東北に舞い戻った。東北周辺の信者達の支援で隠遁生活を続けていたが、東日本大震災で信者達が亡くなったり、被災したため、平田の逃亡生活を支えられなくなった。逃亡生活を続けるための所持金も乏しく、逃亡生活を続ける見通しも立たないため、仕方なく出頭した。
 全くの見当外れかもしれないので、今後の解明を期待する。
 
 
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 

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