六丈記2

備忘録のようなもの

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クリスマスなので、イエス・キリストに関連した話3

 そもそも、この地に何故キリストの墓が現れたのでしょうか。
 その経緯は次のようなもののようです。
①昭和9年、鳥谷幡山が戸来村にある大石神山の巨石群を指し、ピラミッドと主張。大石神ピラミッドと呼ばれる。
②昭和10年、武内宿禰の後裔と称する皇祖皇太神宮天津教開祖の竹内巨磨と鳥谷が大石神ピラミッドの調査のため、戸来村を訪れる。
③小高い丘の上にあった二つの土饅頭を見た竹内巨磨は「十来塚」と記すよう、村に指示。
④竹内巨磨は武内家の古文書である竹内文書から「イスキリス・クリスマス」の遺言を発見したと言い出し、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたと主張。
⑤昭和12年、山根キクが「光は東方より」を出版し、、「キリストの墓」の存在が世間に流布。
米国在住の神学博士の川守田英二(岩手県二戸出身)が以前から唱えていた「ナニャドヤラのヘブライ語説」が拍車をかける。

 

 竹内巨磨の創作した荒唐無稽な話に様々な人々が飛び付いた結果、現状に至ったのが推察されます。昭和の創作話なのは明らかなのですが、未だにキリスト伝説を支持する人がいるのも事実です。その根拠は。
①「戸来(へらい)」という地名は「ヘブライ」が転訛したもの。
②「ナニャドヤラ」という盆踊り歌はヘブライ語。
③方言では父親を「アヤ」、母親を「アパ」と呼び、「アダム」「イブ」に酷似している。
④敷地の持ち主である沢口家の家紋がユダヤの紋章である六芒星(ダビデの星)に酷似している。
⑤キリストの娘を嫁にもらったという沢口家当主の容貌は、一見、青眼に彫りの深い外国人のような顔だちであった。
⑥生まれた子供を初めて屋外に出すときは額に墨で十字を書く習慣があった。
⑦足がしびれた時、人差し指につばを付けて額に十字を3回切る風習があった。
というものです。

 

 根拠の一つ一つについて検討してみます。
①について
 青森にはアイヌ語由来とされる地名が多く残っています。例えば、十和田(トワタラ=崖に囲まれた湖)、三内(サンナイ=浜へ出る川)、野辺地(ノンペジ=野を流れる清い川)、平内(ラナイ=山間の川)、苫米地(トマベチ=湿地の大きい川)など。

 新郷村戸来周辺の地図を見ると、五戸川が流れていることが確認できます。この五戸川で釣りをしていたので、アイヌ語でペライ(魚釣りの意)と地名がつき、「ペライ」が「へらい」に変化し、「戸来」の漢字が当てられたとは考えられないでしょうか。「ヘブライ」に漢字を当てると「戸無来」になり、無は無いから取られて「戸来」になったという説よりは説得力があると思います。

 
②について
 「ナニャドヤラ」は戸来村だけに伝わった踊りではありません。岩手、青森、秋田にまたがる旧南部領内に広く伝わっているのです(http://www.town.hirono.iwate.jp/outside/ohno/midokoro/event_nanyadoyara.html)。
 「ナニャドヤラ」の起源や由来については不明で、その歌詞の意味も不明とされています。歌詞も地域によって「ニャニャトヤラ」、「ナギャトヤラ」、「ナニャドヤラ」、「ナニャトヤラ」などと発音され、表記にばらつきがあります。
 神学博士の川守田英二が「ナギアトヤーラーヨー ナギアドナサレダーデ サーデ サーイエ ナガアッイウドヤーラヨー」を「エホバ進み給え 前方にダビデ 仇を払わんとすイダ族の先頭にエホバ進み給え」という意味のヘブライ語であるとヘブライ語説を唱えていましたが、他の説もります。
 日本心霊科学協会評議員だった中里義美は道歌が南部地方の方言によって今の形になったとする説を唱え、言語学者の金田一京助もこの説を支持し、方言が崩れたもので「なんでもやりましょう。そうすれば、なんでもできるものだ。わかりました。なんでも大いにやろう。」という意味だとしました。
 民俗学者の柳田国男は「なんなりとおやりなさい なんなりなされませんか なんなりとおやりなさい」という女が男への呼びかけた恋歌であると解釈しています。
 他には古代の軍歌説、唄の始まりの試声説、農民の哀歌説などがあるようです。
 こんなに様々な説が唱えられているのに、ヘブライ語説だけを取り上げてキリスト伝説の傍証とするのは如何なものでしょうか。
 ちなみに、キリスト祭りに参加したイスラエル大使はナニャドヤラを聞いて「ヘブライ語であるようだがはっきりした意味は分からない」と語ったそうです。
 
③について
 父親を指す「アヤ」が「アダム」、母親を指す「アパ」が「イブ」に酷似しているというが、似ているとは思えません。
 当時、イエスを初めとするユダヤ人たちが日常用いていたのはアラム語とされ、父母の呼称を持ち出すなら、アラム語の父母と比較すべきでしょう。アラム語で父は「アッバ」、母は「イマ」です。どちらも似ているとは思えません。「アパ」と「アッバ」は似ていますが、性別が反対です。
 
④について

沢口家家紋の入った戸板(レプリカ)

 

沢口家墓石

 

ダビデの星

 

 沢口家家紋は5角形、ダビデの星は6角形です。それを酷似しているとするのは少々無理があるのでは。
 それに、沢口家の家紋は「麻の葉紋」と「桔梗紋」を組み合わせた「丸に麻の葉桔梗紋」を変形させた家紋で、戦国時代以降に作られたと思われます。
 
 

⑤について
 定着しているイエスのイメージは、金髪碧眼でヨーロッパ人に近い姿ですが、英BBCが再現した「イエスの顔」は黒い巻き毛と濃い肌色の丸顔で丸い鼻をしていて、中東男性に近い容姿でした。セム系民族の特徴が現れています。
 
再現された「イエスの顔」
 
 
沢口家の先々代の当主、三次郎さん

 

 主観の問題ですが、似ているとは思えません。
 それに、碧眼は北方系人種の特徴で、セム系モンゴロイドといわれるイエスとは相違します。
 
⑥⑦について
 
額に十字を書く風習

 

 奥州では伊達政宗の部下であった熱烈な信者の後藤寿庵の影響でキリスト教が広まっていました。東北の鉱山には多くのキリシタンが働いていたようです。
 また、徳川家康が発したキリシタン宗禁教令によって、外国人神父は国外退去を命ぜられ、棄教に応じない者は、津軽に流刑されました。流刑された地は荒地で、キリシタン宗徒は飢えにも苦しみました。この窮状を助けるため、アンジェリス神父が船に物資を積んで津軽に赴いています。
 この様に東北地方にも多くのキリシタンがいたのですから、キリスト教の影響が残っていたとしても不思議ではありません。十字を書いたり、十字を切ったりする風習はこの時代からのものではないでしょうか。
 ちなみに、BBCの取材に沢口純一郎さんは「実は内の家族、みんな仏教徒でクリスチャンじゃないんです」と語ったそうです。

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| | 2017-02-04(Sat)17:22 [編集]


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