六丈記2

備忘録のようなもの

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米相場

 太平洋戦争間際の1939年に食糧統制が厳格化され、コメ先物取引は中止になりました。それから72年の時を経て、2年間の限定措置ですが、またコメ先物取引が再開されました。
 初日、東京穀物商品取引所では買い注文が殺到して値が付きませんでした。一方、関西商品取引所では初値が1俵19210円になりました。前日には値が付かなかった東京穀物商品取引所でも翌日には17280円の値段が付いたそうです。事前調査で想定されていた基準価格は東京で13500円、大阪で13700円でしたので、大幅に上回った価格になっています。
 震災の津波で東北地方中心に約2万ヘクタールの水田が被災し、備蓄米にも数万トンの被害があるといいます。福島県では原発事故で耕作できなくなった水田がある上、セシウム汚染で出荷できなくなる恐れも。更には、豪雨による水害で新潟県の約1割の水田が被害を受けてます。これらが品薄感を呼び、価格を押し上げたのでしょう。
 

 農水省は地震津波被害で9万トン、原発被害で5万トン程度の生産減少を見込んでいて、作付調整でカバーしていますが、それでも2万トン(生産目標数量795万トンの0.2%程度)減る見込み。だだし、過剰生産数量が毎年あり、昨年は22万トンが過剰で今年は生産目標数量を18万トン減らしています。なので、795万トンから更に2万トン減っても昨年同様の需要でも、まだ過剰が出る計算です。
 それに、備蓄米が相当数ありますので、農水省は米の需給について特段の支障はないと考えているとのこと。
 放射性物質汚染被害が広がらず、風評による買占めが起こらなければ、やがて先物価格も下がるのではないでしょうか。

 


 コメ先物取引は江戸時代から始まっています。
 17世紀の前期に大坂で自然発生していた米の流通市場を大岡越前守の働きにより「堂島米会所」として許可されたのが1730年でした。堂島米会所では米の証券取引と先物取引が行われ、世界初の先物市場と言われています。世界最大の商品先物取引所のシカゴ商品取引所では「この取引所のルーツは日本であり、大坂が発祥の地です。私たちの取引所は世界で最初に整備された日本の市場を参考に開設されました。」と解説されているそうです。
 先物取引は「帳合米取引」と呼ばれ、「敷銀」(証拠金)の100倍の取引ができ、商人の他、大名や豪農までが参加しました。現代に当てはめれば、100倍のレバレッジでFX取引をしている感じでしょうか。
 コメ先物取引で破産する人もいましたが、財をなす者もいました。代表的な人物が本間宗久です。本間宗久は酒田五法というローソク足を使ったチャート分析法を考案し、相場に勝ち続けて巨万の富を築いています。現代でも使用されているローソク足が約300年前からあったとは驚きです。
 
 江戸時代は米相場に限らず、他にも為替による送金システムが整備されていたり、金銀の貨幣相場が実質的に変動相場だったたりしていました。
 世界に先立ち、いち早く信用経済が発達したことが後の世の発展の一助になったかもしれませんね。

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72年ぶりコメ先物、原発影響で買い殺到 東京市場は値付かず
http://www.afpbb.com/article/economy/2818957/7615920?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
東日本大震災後の 米をめぐる状況について
http://www.maff.go.jp/j/soushoku/keikaku/soukatu/pdf/megu0630.pdf
LECTURE 先物取引講座
http://www.rose-c.com/lecture.html
相場に生きる!相場師列伝 「本間宗久」
http://inariy.web.fc2.com/inarix-site/sooba/speculator/index2.html
酒田五法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E7%94%B0%E4%BA%94%E6%B3%95
為替
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%BA%E6%9B%BF

 

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