六丈記2

備忘録のようなもの

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麻原彰晃は朝鮮系という噂

 「麻原彰晃の父親は在日朝鮮人」という話をネット上で何度か目にしたことがある。真偽不明な情報なので気にも留めていなかったが、「TOCANA」が麻原在日説を取り上げていたので、麻原在日説について考えてみる。

 「TOCANA」は、「宝島30」(1995年12月号)の「麻原彰晃・出生の謎」という記事を紹介してデマであるとし、「凶悪な事件が発生すると犯人が在日と規定される――さながら現代のヘイトスピーチにも通じるような現象である。」と結論を下していた。
 「TOCANA」が掲載していた「宝島30」の内容を要約するとこうなる。
●作家の中島渉氏が出生地である熊本や韓国を調べた。
●韓国の役場で戸籍調査したところ、「戦時中の創氏改名において麻原の本名となる松本性を名乗った朝鮮人はいたようだが、麻原の父や祖父の名前は見つからない。さらに、朝鮮で没したといわれる麻原の祖母についての記録も存在しなかった。」。
●祖父の職業は、日本人経営の農場に働きに来た小作人。
●麻原の出自の調査のために韓国を訪れた日本のマスコミは、中島氏の以前にはいなかった。
●被差別部落出身説についても、無関係。
●麻原が会う人物によって「私は在日」「私は部落民」と立場を変えた発言を行い、相手を取り込んでいった。
 「麻原彰晃の父は朝鮮で生まれている。麻原の祖父が家族で日本から朝鮮へ渡り、現地で子どもが生まれたもので、麻原の父は外地生まれの日本人となる。戦前戦中においては取り 立てて珍しいことではない。祖父の職業については、高山文彦氏の『麻原彰晃の誕生』(文藝春秋)においては警察官とされている」との記述があるが、これは「宝島30」に書いてあるのではなく、TOCANAのライターが独自に書き加えたものだろう。ちなみに、「麻原彰晃の誕生」の出版年は2006年だ。

 麻原は選挙に出馬していたので、日本国籍を保有していることに疑いは無い。であれば、日本の戸籍も保有している。
 麻原の家系が明治以降に帰化したかどうかを調べるのであれば、松本家の戸籍を遡って調査したらいいだけだ。韓国で戸籍調査をする必要はない。なのに、韓国に渡って戸籍調査をしたのは、松本家の除籍簿などを調べられなかったので、代わりに韓国で調べたということだろう。
 大体、韓国での戸籍調査にどれ程の意味があるのだろうか。朝鮮戸籍(併合中に朝鮮で用いられた戸籍)に記載されている松本性の朝鮮人の中に麻原の父や祖父の名前が無かったからといって、麻原のルーツが朝鮮と無関係であることを証明することにならない。麻原の父や祖父が、戦前に内地戸籍へ転籍した、若しくは戦後に帰化したのであれば、朝鮮戸籍で松本性の朝鮮人を調べても無意味だ。
 ところで、麻原の祖父が日本人経営の農場で小作人をしていたとの情報はどの様にして得たのだろうか。若し、韓国での調査で農場関係者から得られたのだとするなら、松本家の朝鮮での様子が語られてもいいと思うのだが。

 「麻原彰晃の父親は在日朝鮮人」という話は、「週刊現代」1995年5月27日号で、代議士だった栗本慎一郎氏が「父親は、在日朝鮮人である」と述べていたというのが根拠になっているらしい。該当の記事を確認してみると、「在日朝鮮人」とは書いていなかった。
*** 週刊現代1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」 ***
 実は’91年晩秋に、麻原と会談したことがある。話題は輪廻転生や空中浮遊の科学的根拠などで、当然彼の超能力の可能性は否定してやったんだが、会談に先立って、意外な事実をつかんだんです。麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人だったんです。
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 「麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人」では、麻原の父が「朝鮮人」とも「朝鮮人ではない」とも断定できない。栗本氏はどの様な意味で言ったのだろうか。

 麻原の出自に関しては、この様な著作物もあるらしい。
●「週刊文春」2000年新年合併号
 「松本の祖父は熊本県出身の警察官で、戦前に朝鮮半島に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」
●高山文彦著「麻原彰晃の誕生」(出版年は2006年)
 親族が「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、朝鮮から引き揚げてきた日本人」と証言している。松本の父は現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面の生まれ。
●「オウム真理教大辞典」(出版年は2003年)
 麻原本人が「在日」「部落」発言をしていたという噂により、在日説、部落出身説があったが、デマである。

 「オウム真理教大辞典」は「宝島30」の「麻原彰晃・出生の謎」という記事を引用していると思われるので、新たなソースとして扱うわけにはいかないが、「週刊文春」と「麻原彰晃の誕生」からすると、「朝鮮から日本へ渡ってきた人」は引き揚げ者のことだと推測される。
 しかし、ネット上には「ジャーナリストの江川紹子氏も【朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた】 と裁判傍聴記録で確認している。」との記述も多く見られる。「裁判記録で確認」なら分かるが、「裁判傍聴記録で確認」というのは変だ。オウム裁判を丹念に傍聴していた江川氏が誰の傍聴の記録を参照したというのだろうか。
 調べてみると、江川氏の著書に「『オウム真理教』裁判傍聴記〈1〉」「『オウム真理教』裁判傍聴記〈2〉」という本があった。裁判傍聴記録とはこの本を指しているのではないかと思い、「『オウム真理教』裁判傍聴記」の中に「朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた」の記述があると示しているサイト等がないかと探してみたが見つからない。

 調べを進めていると、「国民が知らない反日の実態」というサイトの「■教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)の父親は朝鮮人だった」に【朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた】との記述があり、リンク先が貼られているのが分かった。そのリンク先は「OKWave」だった。
****************************
http://okwave.jp/qa/q3002363.html
==質問==2007-05-15
「彼らは日本人じゃない?」
過去の質問と回答を見ていたら、浅原彰晃、池田小学校事件の宅間守、酒鬼薔薇聖斗の東慎一郎は、皆日本人ではないとの記述に出くわしました。これは事実でしょうか? ご存知の方教えてください。
=====

==回答No.3==2007-05-16
回答者:password
何も調査せずに、嘘付き呼ばわりするのも プロパガンタですので
誤魔化されないようにねw

麻原は父親の時に帰化していますので、日本人です。
(家族構成など、アメリカの報道機関で詳しく報道されています)

東慎一郎は 在日部落出身ですが、両親の代で 共に帰化している模様ですが
近所の人の話レベルの情報なので、帰化したかどうかは不明です
=====

==お礼コメント==2007-05-16
回答有難う御座います。 私が見たのとほぼ同じ回答ですが、参考までにアメリカ報道機関の報道内容、など具体的な根拠を示して頂くことは出来ないでしょうか?
=====

==回答No.4==2007-05-16
回答者:password
海外でのリンクは切れて、ミラーも無いようですね。

週刊現代平成7年5月27日号(栗本議員:当時)によれば、
祖父が戦前朝鮮に移民したのがキッカケで、
朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれたそうです。

江川紹子氏も 裁判傍聴記録で確認しているそうですので
まあ、間違いは無いでしょう。

まあ 宅間以外は、『朝鮮系日本人であり 在日では無い』可能性の方が高いでしょう。
(宅間守も在日部落出身で 兄が朝鮮籍である事が晒されたので、在日の可能性がある程度です)
=====
****************************
 前述したが、栗本氏が週刊現代平成7年5月27日号の「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」で語っていたのは、「麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人」であって、「朝鮮籍の子」ではない。なのに、江川氏が確認したことになっている。それに加え、栗本氏は麻原の祖父について一言も語っていないのに、麻原の祖父が戦前に朝鮮へ移民したと言ったことになっている。
 回答者のpassword氏は「朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれたそうです。」をどの様な意味で書いたのだろうか。これでは「松本智津夫が生まれた時に朝鮮籍だった」、または「朝鮮籍の子の下に松本智津夫が生まれた(つまり、松本智津夫の親が朝鮮籍だった)」という2つの意味に取れる。確認する術は無いので、password氏の真意は測りかねるが、後者の意味として受け取られたようだ。

 「"朝鮮籍の子" "松本智津夫として生まれた"」で検索すると、twitter、ブログ、掲示板等に「朝鮮籍の子」と「松本智津夫として生まれた」の2つの語句を含んだ書き込みが見られるが、「回答No.4」以前、つまり2007年5月16日以前に書き込まれたものは無い。とすると、「ジャーナリストの江川紹子氏も【朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた】 と裁判傍聴記録で確認している。」のフレーズはOKWaveの回答を根拠として始まったと考えられる。そうだとしたら、信頼性は無いと言わざる得ないだろう。

 また、password氏は回答No.3で、麻原の父が帰化していてそれをアメリカの報道機関が報道しているとしているが、リンク切れしているとも言っている。
 一寸調べてみたが、麻原の父が帰化人と報道したアメリカのメディアは見つからなかった。時間を掛けて調べれば出で来るのかもしれないが、本当にその様な報道をしたアメリカメディアはあったのだろうか。

 アメリカメディアの報道と書いている訳ではないが、「国民が知らない反日の実態」というサイトには、「米大人類社会学のJames Lett教授 『The Aum Cult, the Cult of Poison Gas』」との記載があり、ウェブ魚拓のリンクが貼られている。
 ウェブ魚拓から「The Aum Cult, the Cult of Poison Gas」という文章を確認すると、「James Lett」の名は無く、「Copyright c 1995 by Jonathan Vankin and John Whalen」と表記されていた。著作権がこの2人にあると主張している文章に、James Lett教授の名が使われているのは何故だろうか。
 それはそうと、「The Aum Cult, the Cult of Poison Gas」にざっと目を通してみた。この文章は、オウム自体や一連の事件と騒動について、日本の報道を参考にして書かれたものの様だ。独自取材をしているようには感じない。
 とはいえ、麻原の出自に関する部分があるのでその部分を抜き出す。
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The Japanese weekly press (the weeklies are Japan's sole bastion of crusading and every-so-often reckless journalism) has been filled with speculation about Aum's connection to the South Korean Unification Church--the Moonies, which itself has long had strong ties, even its origins, in the Korean CIA. This same speculation has extended beyond the pulpy pages of the weeklies. Last week, journalist Takashi Tachibana asserted the Moonie-Aum connection in a TV interview, as well as widespread links between Aum and prominent politicians.

Tachibana didn't cite any evidence, but he does have his credibility to ride on. He's the journalist whose revelations played a leading role in bringing down the government of Lockheed-scandal-connected Prime Minister Kakuei Tanaka.

One weekly reported that Asahara's own father is Korean. The conservative daily press and TV won't touch that one, for fear of stirring up anti-Korean resentment and, possibly, alienating the South Korean government which Japan has recently been bending over backwards to befriend. It was reported that, when the crackdown on Aum began, the cult gave some of its assets to another, unnamed religious organization for safekeeping. The Moonies, perhaps?
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 翻訳する。
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日本の週刊誌(週刊誌は日本における改革運動の唯一の砦で、あらゆることにおいてしばしば無鉄砲なジャーナリズム)は韓国の統一教会-統一教会自体、その出発点から韓国中央情報部と強い結び付きを長く持っている-に対するオウムのコネクションについての憶測で溢れた。この同じ憶測は、週刊誌の低俗なページを越えて広がった。 先週、ジャーナリストの立花隆は、テレビ取材で統一教会信者とオウムの関連性を断言し、その上広範囲に及ぶつながりがオウムと著名な政治家の間にあるとも。

立花は少しも証拠を引用しなかったが、彼は信頼性を持っている。 彼は、暴露によってロッキードスキャンダルと係わっていた田中角栄首相の政権を倒すことに主導的な役割果たしたジャーナリストである。

ある週刊誌が麻原の自身の父が韓国人であると報じた。保守的な日刊新聞とテレビは、反韓の怒りが巻き起こるのを恐れたのと、おそらく、日本が最近、仲良くなるために尽力していた韓国政府に反発することを恐れて、これに触れない。 オウムに対する取締りが始まった時、カルトは保全のために別の無名の宗教団体に一部のその資産を与えたと報じられた。 統一教会、たぶん?
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 下手な翻訳だが、こんな感じだろう。
 麻原の父の情報は、日本の週刊誌からのものだった。おそらく、その週刊誌は「週刊現代」1995年5月27日号ではないだろうか。

 色々調べてみたが、「麻原彰晃の父親は在日朝鮮人」という話に確かな証拠は見つからなかった。では、実際のところ、松本家はどの様に歩んできたのだろうか。改めて情報を整理する。
△麻原の祖父は熊本県出身。
◇麻原の祖父は日本人。
△麻原の祖父は戦前に朝鮮半島に渡った。
△麻原の祖父の朝鮮での職業は警察署長。
◇麻原の祖父の朝鮮での職業は警察官。
▽麻原の祖父の朝鮮での職業は日本人経営の農場で働いていた小作人。
▽麻原の祖母は朝鮮で没したといわれる。
△麻原の祖父は終戦後に熊本へ引き揚げた。
◇麻原の祖父は朝鮮から引き揚げてきた。
◇麻原の父は現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面の生まれ。
※▽、△、◇は引用元を示す。
▽「宝島30」1995年12月号より
△「週刊文春」2000年新年合併号より
◇「麻原彰晃の誕生」より

 松本家の親族が「朝鮮から引き揚げてきた日本人」と証言しているので、これは間違いないと思う。麻原の父が朝鮮生まれというのも、出生地の詳細さ(戸籍からの情報か?)から本当ではないだろうか。
 麻原の祖父の朝鮮での職業については、小作と警察官の二通りある。調べてみると、麻原の父が生まれたとされる全羅北道益山郡春浦面には、肥後熊本藩主だった細川家の第16代当主・細川護立が農場主を務めた「細川侯爵朝鮮農場」があった。細川家は1909年に850町歩の土地を大場村(日本人移民村)で確保し、農場経営を始めた。最盛期には3000町歩(全羅北道益山郡に2000町歩、全羅南道潭陽郡に1000町歩)所有し、数千人の小作人がいたようだ。春浦面大場村は、1996年に春浦面大場村里から春浦面春浦里に改名されたが、まだこの地に1940年代に建てられた細川農場の日本家屋が「旧細川農場家屋」(登録文化財第211号)として残っている。
 また、大場村には今村農場もあった。今村農場は、熊本の小学校校長だった今村一次郎(1874年生まれ)が1906年に朝鮮へ渡り、大場村で農場経営を始め、益山郡に350町歩(所有田250町歩、信託田100町歩)を持つに至ったようだ。
 麻原の祖父の出身地に縁のある地主が、麻原の父の出生地に農場を持っていたということは何らかのつながりを感じさせる。しかし、週刊文春と高山文彦氏が揃って麻原の祖父の職業を警察官としているので、それなりの根拠があることだとも思う。この2つについて整合性を取るとしたら、こういうことになるだろうか。麻原の祖父が地縁絡みで朝鮮に移住してみたものの、異郷での小作農は思った以上に厳しく、日韓併合で警察官が必要とされていたので、早々に転職した。台湾でも日本人小作移民を招来して小作制経営をしよとしたが、離農者が続出してほとんどいなくなり、台湾人小作人を使って成功した農場(南隆農場)があったことを考えると、当たらずとも遠からずではないだろうか。

 麻原の祖父は熊本出身で間違いないだろうが、祖母もそうだとは限らない。麻原の祖父の子が、麻原の父なのか母なのかも分からない。そればかりか、麻原の親が麻原の祖父の実子なのか養子なのかも分からない。ただ、麻原の12歳年上の長兄は1943年頃(麻原は1955年生まれ)に生まれているから、麻原の両親はこの時までに朝鮮で結婚していた筈。長兄が生まれた年には、少なくとも18歳であっただろう。だったら、麻原の親は1925年以前に誕生していると推測される。この頃の男性の初婚年齢は27歳位、女性の初婚年齢は23歳位なので、それを当てはめると、麻原の父は1916年生まれ、麻原の母は1920年生まれとなる。麻原の親が麻原の祖父の長子とは限らないので、麻原の祖父が朝鮮半島にいた時期はもっと前とも考えられる。そう考えると、麻原の祖父は早い時期、例えば細川農場の開設に合わせて朝鮮へ渡っていたのではないかと思えてくる。そうだとすると、麻原の祖父が警察に勤めていた勤続年数は30年を超えていたかもしれず、警察署長になっていた可能性もあるだろう。麻原の祖父が警察署長という話も本当なのかもしれない。

 麻原のルーツに朝鮮が関係しているとしたら、次のようなケースだろう。
●麻原の祖父が朝鮮で朝鮮人と結婚した(祖母が朝鮮人)
●麻原の祖父が朝鮮人から養子を迎えた(親が朝鮮人)
●麻原の父が朝鮮で朝鮮人と結婚した(母が朝鮮人)
●麻原の母が朝鮮で朝鮮人と結婚し、婿養子にした(父が朝鮮人)
 でも、この様なことに関する情報は全く無い。だから、麻原が朝鮮系という証拠は無いが、朝鮮系では無いという証拠も無い。松本家の誰かが戸籍を遡って調査し、公開すればハッキリすることだが、そういうことは行われないだろう。
 一度立ったこの類の噂は、嘘であることが証明されない限りなかなか消えない。明確な証拠が示される見込みが無いのだから、この先も麻原が朝鮮系という言説は燻り続けるだろう。

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麻原彰晃・在日説はなぜ拡散した? 今、総括するオウム真理教
http://tocana.jp/2015/03/post_5957.html
オウム麻原の父親は朝鮮人。サリンテロは朝鮮人による日本人虐殺テロ攻撃
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10147496793.html
◎統一協会とオーム真理教と北朝鮮の関係
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/944.html
麻原彰晃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83
■教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)の父親は朝鮮人だった
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/668.html
彼らは日本人じゃない?
http://okwave.jp/qa/q3002363.html
益山・旧細川農場家屋
http://liumeiuru.hacca.jp/75/
韓国KBS【韓国再発見】全羅北道益山市編(2/16)紹介された名所
http://ameblo.jp/tangnamu/entry-11472662960.html
益山イクサンの近代文化遺産 萬頃堤防と細川農場家屋・今井農場家屋 益山再発見の旅②
http://ameblo.jp/tangnamu/entry-11586703284.html
植民地期朝鮮における万頃江改修工事と土地収用令 - 福岡大学
http://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/RonsyuA/Vol10-3/A1003_0001.pdf
三五公司南隆農場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%94%E5%85%AC%E5%8F%B8%E5%8D%97%E9%9A%86%E8%BE%B2%E5%A0%B4

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地下鉄サリン事件から20年

 昨日は20年前に地下鉄サリン事件が発生した日だった。20年の節目を向かえ、各マスコミが改めてオウムを取り上げている。
 20年という歳月は長い。この事件があった年に生まれた子が成人していることを考えれば、それを実感せざる得ない。だが、オウム事件がそんな昔とも思えないのも事実だ。そう感じるのは、事件に強いインパクトがあったからかもしれない。

 地下鉄サリン事件後に始まった大規模な強制捜査で、最盛期には15000人(在家14000人、出家1400人)を超えたオウム信者は1000人程に減ったという。強制捜査を契機に離れた信者が多くいただろうし、一連のオウム事件は冤罪とのオウムの主張が、実行犯が犯行を認めたことで覆され離れた信者もいただろう。信者がオウムを見限るのも当然のことだ。教団自体が消滅していてもおかしくない。しかし、千人余りが教団に残った。出家により帰る場所を無くしていた、元オウム信者ということで迫害を恐れ社会に出られなかったということもあるだろう。だが、そればかりではなく、オウムの教義から逃れられなかったということが大きな理由なのかもしれない。
 オウム真理教の後継団体は「アレフ」と「ひかりの輪」に分かれ、ひかりの輪の代表の上祐史浩は麻原信仰を否定しているが、アレフ信者には麻原がいる東京拘置所を聖地とする者もいるらしい。未だに麻原の幻影から逃れられないのだ。

 では、オウム教団から離れた元オウム信者は、麻原の幻影から自由になっているかというと、そうでもないようだ。元オウム信者のブログを読むと、オウムでの活動を否定し反省する者や麻原が起こした犯罪は弟子達に向けた修行の一環と理解しようとする者、人それぞれだが、オウムから完全に自由になるのは難しいように見える。オウムが歴史的な犯罪を犯している中、その組織に身を置いていたのだから、無かったことに出来ないのは当然なのかもしれない。

== 元オウム信者のブログ ==
■白龍のオウム・アーレフで過ごした日々 オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。
 http://blog.goo.ne.jp/hakuryuu_001
 1988年にオウムに入信し、出家しないいままアーレフの分裂騒動を機に2007年にアーレフを脱会した人のブログ。

■風の彼方へ そして、いま、ここに在ること
 http://varahi.blog.fc2.com/
 NHKスペシャル「未解決事件file.02オウム真理教」に登場した深山織枝のモデルになった人のブログ。

■『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?
以前オウムにいましたが、そのときのことを振り返り、記録として残しておこうと思います。
 http://ameblo.jp/ommanipemehum/
 1988年に入信、1989年に出家した後、パヴィッタ師として自治省に所属し、2007年にアーレフからひかりの輪に移り、ひかりの輪も2008年に脱会した人のブログ。

■法友(とも)へ
 http://ameblo.jp/aiyokutensi/
 1987年に入信、1988年に出家した後、師長補となり、1994年にオウムから去った人のブログ。

■オウムとクンダリニー 神秘と悪のはざまで -全100話更新予定-
 http://aumnuminous.blog.fc2.com/
 1989年に入信、1989年に出家した後、師となり、2006年にアーレフを脱会した人のブログ。

■みどりの家族代表 野田成人のブログ
 http://alephnoda.blog85.fc2.com/
 野田成人は1987年に入信出家し、教団の車両省大臣を務め、ヴァジラティクシュナー正悟師と呼ばれていた。2007年にアーレフ代表に就任するも2009年に除名となる。現在は宗教活動から離れ、ホームレス支援活動をしている。

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オウム真理教事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E4%BA%8B%E4%BB%B6
カナリヤの詩
http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/default.htm#anchor1041825

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イスラム国による人質殺害事件5

 3月10日、イギリスの衛星テレビ「スカイニュース」がイスラム国の元メンバーのインタビューを放映したと報道されていました。
 J-CASTニュースの記事が詳しいのでそれを掲載します。
*** 「後藤さん殺害」何度も偽リハーサル 「元イスラム国」男の「生々しい告白」 ***
http://www.j-cast.com/2015/03/11230115.html?p=all
~省略~
◆ニセのリハーサルを繰り返し、人質を油断させていた
イスラム国で人質の通訳をしていたという覆面姿の男は、英衛星テレビ「スカイニュース」のインタビューにたどたどしい英語で答えていたが、後藤さんを殺したのもエムワジ容疑者かと聞かれると、「そうです」とはっきり答えた。
男は現在、トルコに逃れてきているといい、インタビューも、コーランが響き渡る街中の建物内で行われた。スカイニュースは、その模様を10分余にわたって2015年3月10日の放送で伝えた。
それによると、殺される動画を撮られるときに、人質が落ち着いた様子で取り乱すこともなかったのには、理由があった。
男は、人質の管理も担当しており、彼らには、こう声をかけていたという。
 「何も問題はないよ。ビデオを撮るだけだよ。殺しはしないから」
 「あなたたちの政府がシリアに攻撃するのを止めさせたいだけだから。あなたには、問題はないんだ。単なるお客さまに過ぎないんだよ」
こう言ってニセのリハーサルを繰り返し何度も行い、人質を油断させていた。そして、本当に殺すときは、気づかれないようにしたというのだ。
後藤さんに対しては、仲間だと思わせるように、アラブ名で「アブ・サード」と呼んでいたという。「イスラム教徒になって、われわれと一緒に来いよ」。人質にはこう語りかけ、アラブ名で呼ばれるときの後藤さんはリラックスして見えたとした。
しかし、男はこうも明かした。「最後には、彼らが死ぬであろうことは、私にははっきり分かっていました」。
◆すべて大ボス「ジハーディ・ジョン」の指示だった
リハーサルなどの指示を男らにしていたのが、ムハンマド・エムワジ容疑者だったという。
エムワジ容疑者は、イスラム国のメディア部門で人質を処刑する責任者をしており、組織内では恐れられ、尊敬されていたという。インタビューに応じた男も、「大ボス」とエムワジ容疑者を呼んでいた。エムワジ容疑者だけが、人質を殺すことができたともした。なぜエムワジ容疑者がそんなに強い力を持つのかについては、よく分からないとしながらも、「ナイフを使えるからではないか」と述べた。
男が人質の処刑を見たのは後藤健二さんだけだったといい、エムワジ容疑者に殺されるときは、少し離れた場所から見ていたと明かした。トルコ人がカメラの配置などを指示しており、エムワジ容疑者は、「早く」と何度も急がせていたとした。殺害後は、ほかに3、4人が来て、遺体を車に載せ、エムワジ容疑者は、別の方向へ去っていったという。
~省略~
**********************************************************************************

 週刊新潮の記事で、元人質のニコラ・エナン氏は「私を捕まえたのは、今回日本人を人質にしたグループと同じです。映像で英語を喋っている男(通称「ジハーディ・ジョン」)が、刑務所での“世話係”でした」と証言していました。「世話係」が具体的にどの様なことを示しているのか分かりませんが、「大ボス」とはイメージが重なりません。フランス人人質解放後に出世したのでしょうか。

 イスラム国の元メンバーの報道があった2日後、ANNニュースが追加報道をしていました。
*** 「後藤さんと湯川さんの撮影現場にいた」逃走の男性(03/12 11:52) ***
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000046180.html
 過激派組織「イスラム国」の日本人人質事件で新たな証言です。イスラム国から逃げてきた男性が「湯川遥菜さんと後藤健二さんが並んで撮影されるのを見た」などと語りました。
 イスラム国に通訳として雇われていた男性:「とある場所に着いたら、2人の外国人、湯川遥菜さんと後藤健二さんがいた。彼らは緊張し、恐怖を感じているようだった」
 この男性はイスラム国に通訳として雇われ、1月中旬にシリアのラッカ近郊で初めて湯川さんと後藤さんの2人に会ったということです。男性は、1月20日に2人が人質となったことが発覚した映像の現場にも立ち会ったとしています。男性は目隠しをされて、ラッカから車で3、4時間の砂漠地帯に移動させられると、後藤さんと湯川さんがいたということです。その後、「ジハーディ・ジョン」が部下を連れて現れ、午後に撮影が始まったということです。男性は「湯川さんは、この撮影の2日後に殺害されたと聞いた」と話したほか、後藤さんの殺害を目撃したとしています。
***********************************************************************
 更に、15日にはFNNニュースもこの男のインタビューを報道をしていました。
*** 後藤健二さんら人質の「通訳」、「わたしにも責任の一端ある」 ***
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00288231.html
過激派組織「イスラム国」で日本人の人質の通訳を務めたという男が、FNNの取材に応じ、殺害された後藤健二さんらの様子について語った。
「イスラム国」の通訳として雇われていたという男は、「後藤さんは、最初から日本政府による救出を期待していたが、ある時点から、日本政府が必ず助けてくれると確信していた」と語った。
「イスラム国」の通訳として、3カ月間雇われていたという男は、後藤さんと湯川遥菜(はるな)さんの2人が、「ジハーディ・ジョン」と呼ばれる黒い覆面の男とともに登場するビデオの撮影に立ち会ったという。
「イスラム国」の通訳として雇われていたという男は「(撮影の前に)彼らを落ち着かせるための簡単な会話をした。『これは、日本政府に有志連合から手を引かせるために圧力をかけるためで、危ないことはない』と言った。2人は『OK、OK』と言うだけだった」と語った。
さらに男は、後藤さんが殺害された際には、およそ800メートル離れた場所で見ていたという。
「イスラム国」の通訳として雇われていたという男は、「(殺害現場から)およそ800メートルだ」、「わたしにも責任の一端はあると思っている。湯川さんの殺害を知ったあと、わたしは逃げたかったが、できなかった」などと語った。
日本の警察の捜査への協力について、男は、自分の身に危険が及ぶとして、消極的な意向を示した。
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 イスラム国の元メンバーという男は、1月20日に公開された動画は湯川氏と後藤氏及びジハーディ・ジョンの3人が一緒に集まって取られたと証言しています。ところが、この動画は、筑波大学システム情報系の蔡東生准教授の解析により、3人別々の映像を背景画像に合成したものであることが分かっています。
イスラム人質事件 合成画像
 湯川氏がこの撮影の2日後に殺害されたと聞いたとも証言していますが、ジハーディ・ジョンはこの動画で「2人の命を救うため、政府に2億ドルを払う賢い決断をさせるために圧力をかける時間はあと72時間だ。さもなければ、このナイフが悪夢になる。」と言っていました。ダビクNo7でも「最初のデッドラインが過ぎた後、日本の担当者が背教者のヨルダン政権に駆け込んでいる間に日本の囚人の湯川遥菜は処刑された。」と書いてありました。この男の証言が本当ならば、湯川氏はリミット前に殺害されたことになり、ダビクNo7の記述も嘘ということになります。ダビクNo7の記述に信頼が置けるとは思えませんが、リミットを待たずに早々と殺害するものでしょうか。交渉でどの様な展開になるのか分からないのに、交渉カードを態々捨てるとは思えないのです。
 また後藤氏殺害について、スカイニュースは「エムワジ容疑者に殺されるときは、少し離れた場所から見ていたと明かした。トルコ人がカメラの配置などを指示しており、エムワジ容疑者は、『早く』と何度も急がせていたとした。」と伝えていましたが、FNNには「およそ800メートル離れた場所で見ていた」と話しています。800メートルも離れていたら、誰がどの様な動きをしていたか分かるとは思えませんし、ましてやジハーディ・ジョンの声など聞こえる筈がありません。

 この男は、イスラム国で人質の通訳をしていてトルコに逃れたと紹介されていますが、それを証明するような情報は示されていません。本当にイスラム国の元メンバーだったのでしょうか。マスコミの謝礼を目的とした詐話師のような気がします。

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「イスラム国」で10カ月捕虜だった「フランス人」の証言「同房の捕虜が処刑の日」〈週刊新潮〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150205-00010002-shincho-int

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新興住宅街の空き地

カリンバ遺跡
 原野を拓いて区画整理された一角にある空き地です。場所はJR恵庭駅から1km程離れたところです。
カリンバ遺跡 地図
 一見、何の変哲も無い空き地ですが、実は国指定史跡(平成17年3月2日指定)なのです。
カリンバ遺跡 看板
カリンバ遺跡 看板2
 カリンバ遺跡は、平成11年に区画整理事業に伴う発掘調査で発見され、旧カリンバ川にちなんで遺跡名が付けられました。カリンバとは、アイヌ語で「桜の木の皮」という意味です。
 この遺跡は、縄文時代からアイヌ時代にかけての遺跡で、竪穴住居跡、土坑墓、建物跡、炉跡、平地住居跡、壕状跡など多数の遺構が残されていました。中でも、縄文後期・晩期の土坑墓は300基近く発見されており、漆塗りの装身具や玉が多数副葬された土坑墓も多数見つかっています。漆製品の出土品は120点を超え、合葬墓3基(縄文時代後期約3000年前)から出土した副葬品(漆製品、玉、サメの歯、土器)は一括して国の重要文化財に指定(2006年)されてもいます。
カリンバ遺跡 土坑墓
カリンバ遺跡 漆塗り櫛
カリンバ遺跡 髪飾り注口土器

 レプリカながら、これらの出土品の数々はカリンバ遺跡から3.5km離れた恵庭市郷土資料館に展示されています。
カリンバ遺跡 郷土資料館
 ちなみに、漆塗りの櫛を復元するとこの様になるようです。漆は腐食に強いんですね。
カリンバ遺跡 漆塗りの櫛

 カリンバ遺跡からは、縄文時代の夥しい量の漆製品が出土していますが、最古という訳ではありません。北海道には、もっと古い漆遺物が出土した場所があります。それは、函館市にある垣ノ島遺跡(縄文時代早期[約9000年前]~後期[約3500年前])です。この遺跡からは、約9000年前の漆塗り装身具の副葬品6点(漆を塗った糸で作られた髪飾り、腕輪、肩当てなどの繊維が腐食して土の上に漆が残ったもの)が出土しています。残念ながら、2002年末の火事で焼けていますが、世界最古と言われています。
カリンバ遺跡 垣ノ島遺跡
カリンバ遺跡 垣ノ島遺跡漆製品の肩当て


 話しは変わりますが、サーチナが3月5日に掲載した「わが国から伝わった漆器、日本で『すごいこと』になっていた・・・中国驚愕
」という記事で、「人民網」が日本の漆工芸品を取り上げていたことを伝えていました。
*** わが国から伝わった漆器、日本で「すごいこと」になっていた・・・中国驚愕 ***
 中国では日本の伝統工芸品に対する関心も高まっている。多くの場合には中国で生み出された技術だとした上で、日本の「学習」と「改善」能力に改めて注目する論調も多い。漆器の場合にはネット通販でも出品されることが多くなった。
 中国共産党機関紙の人民日報系のニュースサイト「人民網」は2日、「組図:日本の漆器芸術鑑賞」の見出しの記事を配信した。西側国家が日本を「漆の国」と称するのは“誤解”と主張し、理由として中国では2000年前に、漆器が高い水準に達しており、日本には唐代に伝わったと紹介した。ただし日本が「中国から学んだものを消化吸収し、自らの民族的特徴がある芸術として深め、新たな領域を不断に開拓した」と、日本の漆器の水準の高さを全面的に認めた。
 江戸時代には「蒔絵(まきえ)」の完成により、日本の漆器は「世界最高」になったと紹介。明治以降は、日本の工芸技術は伝統と現代の間で「徘徊」することになり、経済性と生活への適応性も意識されたと説明し、日本の工芸品は中国など東方国家の文化を吸収し、西欧のデザイン文化も取り入れ、「極めて特徴的な『日本の風格』を形成することになった」と評価した。
 文章は「漆関連の仕事には、陶磁器関連についで多くの人が従事している。彼らは漆技術の芸術性や実用性だけでなく、歴史や科学技術を含めて総合的に研究をし続けている。彼らの不断の研究と更新が、日本の漆技術の発展を推進している」と紹介した。
--以下省略--
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 英語では、磁器を「china」、漆器を「japan」と呼ぶこともあり、欧米では日本の特産品と考えられているそうです。16世紀の大航海時代に、日本の優れた漆器がヨーロッパへ輸出され、明治初期にも漆器の輸出が盛んに行われていましたから、欧米で日本を「漆の国」と認識するのは無理もありません。
 ところが、人民網はそれは誤解だと言います。何故なら、唐の時代に漆器を伝えたからだと。何やら、韓国起源説を唱える韓国人のようです。
 人民網の記者は、日本は中国から学び、高度に発展させ、江戸時代に蒔絵を完成させたと思っているようですが、平安時代には既に高い水準に達していました。例えば、平安時代の漆工芸を代表する名品で国宝の「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は蒔絵に螺鈿を組み合わせて作られています。また、平安時代に建立された中尊寺金色堂にも高い漆工芸技術が使われていました。
カリンバ遺跡 片輪車蒔絵螺鈿手箱
カリンバ遺跡 金色堂

 この記事からは、唐の時代に漆を日本へ伝えたと読めます。ですが、前述のように、日本では縄文時代に漆製品が作られていました。唐の時代に漆が日本に伝えられたとするのは、明らかな間違いですが、以前は漆工芸が仏教文化とともに伝来したというのが定説で、漆の技術と漆木が中国から日本へ伝わったと古くから考えられていたようです。
 戦後、日本の漆の歴史が仏教伝来以前に遡ることが分かるのですが、1973年に中国の浙江省余姚市で発見された河姆渡遺跡が大きな意味を持ちます。この遺跡から、中国最古の漆遺物が出土したのです。6400年前から5900年前の層で見つかった「赤漆塗りの木椀」が放射性炭素年代測定によって約6200年前の物と確認されました。ついでながら、7000年前までの層からも漆塗りとみられる筒が出土しているのですが、浙江省文物考古研究所によると、科学的分析はされていないとのこと。
カリンバ遺跡 河姆渡遺跡 赤漆塗りの木椀
 この発見により、漆は中国から伝播したとの大陸渡来説がより強化されました。ところが、垣ノ島遺跡から出土した漆塗りの副葬品が2001年に放射性炭素年代測定によって約9000年前の物であることが判明し、世界最古といわれていた河姆渡遺跡の出土品の最古記録を更新しました。
 また、福井県の鳥浜貝塚(縄文時代草創期から前期の集落遺跡 約12000~5000年前)から1984年に出土した木片が、2011年の東北大学の調査で世界最古の漆の枝であることが判明しました。放射性炭素年代測定により約12600年前の枝であると確認され、DNA分析で日本固有種であることが分かったのです。
 これらのことより、漆木が日本国内に自生していて、中国より古い時代から漆を利用していた可能性が高くなり、現在では、漆器の起源は日本であるという考え方が一般的になってきているようです。

 近年の考古学の成果により、縄文時代に漆が広い地域で利用されていたことや漆の歴史がかなり古いことが分かってきています。
 1972年に鳥浜貝塚から出土した重要文化財の「赤色漆塗り櫛」(約6000年前)が日本最古の漆塗りの櫛とされていましたが、1996年に三引遺跡で出土した漆塗りの竪櫛が測定で6800年前の物と判明し、形状のはっきり分かる漆製品としては最古の物となりました。
 2000年には、島根県の夫手遺跡から出土した漆液容器(内側一面に黒っぽい漆が付着、外側に漆の垂れ跡)が約6800年前の物と判明、西日本でも縄文早期に漆が精製加工されていたことが分かりました。
 その他縄文時代早期の物は、神奈川県の羽根尾遺跡から赤漆塗り櫛(約6000年前)、新潟県の大武遺跡から出土した漆をしみ込ませたひも(約6600年前)等も発見されています。
 また、静岡大学が青森県の三内丸山遺跡から出土した漆を分析したところ、中国の漆と日本の漆は異なる種類であることが判明(1999年発表)しました。
カリンバ遺跡 赤色漆塗り櫛
カリンバ遺跡 漆塗竪櫛

 縄文時代は、土器が出現して始まった時代ですが、同時に漆の文化が始まった時代でもあったようです。有史以来、大陸の文化の方が日本列島のの文化より高かったこともあり、文化は一方的に大陸からもたらされたと考えられがちですが、漆の文化の存在はそれを見直す契機になるのかもしれません。

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国指定史跡カリンバ遺跡
http://www.city.eniwa.hokkaido.jp/www/contents/1370228457011/index.html
カリンバ遺跡
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=140204
カリンバ遺跡の漆製品と玉類が国の重要文化財に指定
http://www.city.eniwa.hokkaido.jp/www/contents/1370226376812/index.html
垣 ノ 島 A・B 遺 跡 (函館市)
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/jomon/remains_is_kakinoshima01.htm
垣ノ島遺跡
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=147134&isHighlight=true&pageId=4
わが国から伝わった漆器、日本で「すごいこと」になっていた・・・中国驚愕
http://news.searchina.net/id/1563950?page=1
片輪車蒔絵螺鈿手箱
http://www.emuseum.jp/detail/100197/001/001?word=&d_lang=ja&s_lang=ja&class=8&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=1&num=3&mode=detail¢ury=
ウルシ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B7
漆について
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/0a1-03-01-04-08.htm
漆器
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%86%E5%99%A8
始動 是川ジャパンロード
https://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2004/japanroad/index.html
縄文の華/漆-是川遺跡をめぐって
https://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2004/joumonnnohana/index.html

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駐韓米大使襲撃事件

*** 取り押さえられ「テロをやった」=飛び交う悲鳴、流れる鮮血-韓国 ***
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015030500286
 【ソウル時事】5日午前7時40分ごろ、突然悲鳴、怒声が響いた。リッパート駐韓米大使は、刃物で切り付けられ、鮮血が流れる顔を押さえ、病院に。警察が駆け付けるまでの数分、犯人の男(54)はうつぶせに取り押さえられたまま、「独島(竹島)は韓国領土」「米軍のやつらはなぜこの地で戦争訓練をするのか」などと叫んだ。
 男は2010年7月に当時の重家俊範駐韓大使に投石し、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。今回の事件では現場で「あのときはテロではなかった。今回はテロだ」と大声で訴えた。
 午前7時半から朝食会を兼ねた講演会が始まる予定だったが、大使は5分ほど遅れて到着。周囲の出席者と名刺交換などをしていたとき、7~8メートルほど離れた席に座っていた男が早足に近寄り、犯行に及んだ。白いテーブルクロスには、多数の血痕。事件後も会場に残っていた米大使館関係者は「大丈夫だと思う」と言いながら、厳しい表情で電話をしていた。
 警察は周囲に警察官や機動隊員ら28人を配置していたと発表したが、関係者によると、取り押さえたのは周囲の出席者らだった。主催者の対北朝鮮支援団体「民族和解協力汎(はん)国民協議会」の関係者は「これまで閣僚らもゲストに呼んだことがあったので…」と言葉少なに語り、警備が不十分だったことを認めた。(2015/03/05-11:00)
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*** 駐韓米大使が切られ負傷…容疑者、握手求め接近 ***
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150305-OYT1T50010.html
 【ソウル=吉田敏行】5日午前7時40分頃、ソウル市中心部で朝食会に出席していたマーク・リッパート駐韓米大使(42)が会場で男に果物ナイフで切りつけられ、右ほおと左手首を負傷した。
 男はその場で取り押さえられ、警察はキム・ギジョン容疑者(54)を現行犯逮捕したと発表した。
 リッパート大使は近くの病院に搬送された。命に別条はないという。キム容疑者は逮捕された後、「戦争訓練反対」と叫んだといい、今月2日に開始された米韓合同軍事演習への反発が犯行の動機とみられる。
 事件現場は、米大使館近くにある文化施設「世宗文化会館」。南北統一運動を展開している市民団体が主催した朝食会で、リッパート大使は「朝鮮半島平和と統一、韓米関係発展の方向」と題したテーマで講演予定だった。
 目撃者によると、キム容疑者はリッパート大使の二つ隣のテーブルに座っていた。握手を求めて近づき、立ち上がった大使に長さ約25センチのナイフで切りつけたという。出席していた女性は、「(キム容疑者が)立ち上がったと思ったら、速足で大使に近づいた」と話した。大使が座っていた主賓席は、白いカバーが血で染まり、血痕は会場の外にまで続いていた。
 キム容疑者は、2010年7月、ソウルで重家俊範・駐韓日本大使(当時)の講演中にコンクリート片を投げ、刑法上の外国使節に対する暴行などの罪で有罪判決を受けた人物。警察関係者によると、島根県竹島(韓国名・独島)の領有権を主張する団体に所属し、日本大使館前でも抗議を行ってきた。キム容疑者の知人の男性によると、同容疑者は「オバマ大統領は就任前、北朝鮮問題を平和的に解決すると言っていたが、就任後は圧力を強めている」と不満を述べていた。
 事件当時、会場には約200人の参加者がいた。主催者側によると、キム容疑者は朝食会への参加を事前申請していなかったが、当日会場を訪れたため、入場を認めたという。出席者によると、警備員による持ち物検査はなく、受付で記名すれば入場できたという。
 韓国外交省報道官は事件について「衝撃を禁じ得ない」とする声明を発表。「我々の最も重要な同盟国である米国の大使に対して行われた点を深刻に受けとめる」と指摘した。
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 記事中にあるように、犯人の金基宗(キム・ギジョン)は2010年7月に重家俊範・駐韓日本大使も襲撃している。昨年9月には「独島とわれわれ、そして2010年」という本も出版し、ハンギョレ新聞のインタビューも受けていた。

*** 独島(ドクト)愛がまもなく民族統一運動 ***
http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/654640.html
日本大使に石投げ処罰されたキム・ギジョン「独島を守る」隊長「庚戌国辱100年」迎え、「南北一つされて独島守らなければならない」

 「分断された南北が一緒にその日を記憶し、自粛しつつ再びそのような痛みがないように念押しするには「国恥日」程良い日がない。しかし、国を失った日の100年のイベントを賑やかに行っても、国恥日は忘れてしまったようだ。」
 キム・ギジョン(54・写真)、「我々の庭、独島を守る」隊長が8/15と国恥日(日韓併合条約が発効された8月29日)に合わせて「独島とわれわれ、そして2010年」(書籍出版我々の庭社発行)を刊行した。去る3日、ハンギョレ本社で会った彼は、この本は「本格的な本というよりは独島を守るを創立した経緯と現状、テロ容疑で懲役刑を受けた2010年の事件を簡単にまとめた一種の白書」と述べた。
 「2010年の事件」とは、その年の7月に任期を終えて去る前に「韓日共同繁栄」をテーマに特別講演をした重家俊範専任在韓日本大使にキム隊長が直径約10cmと7cmのコンクリート片を投げつけた容疑(外国使節暴行)で懲役4年の求刑を受け、懲役2年、執行猶予3年の刑を受けた事件である。
 「そもそも日本大使を傷つけるつもりは全くなかった。質疑応答の時間に『独島を竹島と呼びながらどうして北東アジアの平和や日韓共同繁栄を話すことができるかと話してくれ』と質問している途中にマイクを奪われて引っ張られて行く瞬間、偶発的に起こった事件である。石を持って行ったのは、大使にその石見せ、日本が独島を指す竹島が、このような石でできた島なのに、どうして竹が育った言えるのかという話をするためだった。」
 警護要員らに強制的に引き離されて行きながら投げた石が日本大使館の女性職員の手に当たって軽い傷を負わせた。キム隊長は韓国検察の調査でテロリストにされ、裁判所もその容疑を認めた。「50数日ぶりに拘束状態から解放され、活動に相当な制約を掛けられた執行猶予期間は、昨年11月に終わった。その時から本格的な活動を再開し、本の出版を準備した。光復70年になったが、日韓関係は、100年前と特に違いがないようだ。今、韓日関係は表面上揉めているようだが、米国を背景にした日韓癒着は朴正煕時代を凌駕するようだ。私の事件が今の二国関係を象徴する。日本の外交官と関連した刑事訴訟で有罪判決を受けたのは、私の事件が初めてである。」
 「我々の庭」は、大学の法学部に通っていた彼が司法試験への未練を果敢に捨て去り、1982年に設立された社会活動団体だ。84年に公式に発足した後、同年11月の光州事件の真相究明を要求する5つの大学の学生自治屋舎占拠事件、大学学生会直選制獲得などを主導したが、活動の主力は、我々の民族の伝統文化芸術を蘇らせて守ることだった。開城地方の民俗遊びである「萬石の遊び」などを復元し、研究会も作り、80年代半ばチョン・テイル記念文化行事と民謡研究会の活動にも貢献した。記者OBらの集まりである東亜自由言論守護闘争委員会・朝鮮自由言論守護闘争委員会の人たちの日刊紙(ハンギョレ)創刊議論にも参加し、ソウル永登浦区楊坪洞でハンギョレが発足したときにテストを務めたのも我々の庭だった。
 2006年に日本の島根県が竹島の日を制定すると、キムさんは仲間6人と一緒に本籍を慶北鬱陵郡独島里38番地に移し「独島を守る」を作った。以降、独島芸術祭、独島の韓国語命名行事などを開いて独島愛運動を続けてきたキムさんは「独島愛運動は即ち民族統一運動」と話す。「独島こそ南と北が口をそろえことができる共通の関心事であり、南北が一つになることで初めて独島をきちんと守ることができ、これを通じて統一に進むことができるから」と彼は「独島活用」論を熱心に説いた。
 文・写真ハンスンドン選任記者 2014.09.10
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 キム・ギジョンは重家日本大使襲撃事件について
●日本大使を傷つけるつもりはなかった。
●連行される途中に起こった偶発的事件。
●石は、このような石の島で竹が育つ訳が無いと言うため。
 との内容を述べているが、実際は全く違う。FNNが日本大使を襲撃する様子を放送している。

ソウルで米大使が切りつけられけが 連行の男は日本大使にも石(15/03/05)


 キム・ギジョンは、書類を司会に渡すことが目的であるかのように見せかけて壇上に近づき、近距離から大使に向かってコンクリート片を投げつけ、転倒。立ち上がって、逃げる大使に再度コンクリート片を投げつけ、SPに取り押さえられている。
駐韓大使襲撃
 連行される途中に投げつけた訳でもないし、追いかけて投げつけて怪我をさせようとしている。書類を渡す偽装をしているので計画的な犯行であり、決して偶発的事件ではない。大体、コンクリートを持ち出して石で竹が生育するのかと言うこと自体、無理があり過ぎる。
 キム・ギジョンの説明は、事件後の陳腐な言い訳に過ぎないが、ハンギョレ新聞の記者も鵜呑みにしている。映像が残っていても関係ないらしい。韓国は「言った者勝ち」社会だからこんな陳腐な言い訳でも通るのか。

 キム・ギジョンはこの重家日本大使襲撃事件の調べで「安重根のように歴史に名を残したかった」と語ったという。たぶん、これが本当の犯行動機だろう。
 韓国では、安重根が果たした歴史的役割の詳細な分析無しに伊藤博文を暗殺したということで歴史的英雄に祭り上げられている。犯罪を繰り返し、ついには暴力団員を射殺して人質事件を起こしておきながら全ては在日差別せいだと居直った金嬉老でさえ英雄だった。日本に異議を申し立て日本人を殺害すれば英雄とみなす土壌がある韓国だから、竹島のことで日本大使という重要人物に天誅を加えれば英雄になれると単純に考えていたとしても不思議ではない。
 実際この事件発生後、韓国ネット上では、「暴力行為はお互いを傷つけるだけ」との否定的な意見がある一方、「英雄だ。政府が何もしないからこういうことになる」というような肯定的な意見も数多くされていたようだ。
 韓国メディアは犯行を非難したものの、日本にも非があるかのように書いていた。例えば、ハンギョレ新聞は社説でこう書いていた。
*** [社説] 日本大使に対する‘投石攻撃’ 誤りだ ***
http://jpwwwtest.hani.co.kr/arti/opinion/5398.html
~省略~
 外交使節に対しこのような形で暴力を行使することは如何なる理由ででも穏当でない。逆に我が国の外交官が外国で同様なことに遇う場合を考えてみれば簡単にわかる。古今東西を問わず外交官に対する物理的攻撃は禁物だ。外交官個人ではなく、その国に対する攻撃と受けとられ思わぬ事態を誘発しかねないためだ。偶然にもこの日、日本大使の講演の題名は ‘韓-日新時代、共同繁栄を指向して’ であった。
 投石した人は ‘ウリマダン(私たちの広場)独島守り’ という文化団体の代表で、日本による独島領有権主張に継続的に抗議してきたという。彼の話のとおり、日本は独島問題で挑発的態度を示した。重家大使が在任した過去3年間に独島問題が外交懸案として持ち上がった場合だけでも4回にもなる。その上、駐韓日本大使館のホームページにはハングルで「竹島は歴史的事実に立ってみても、国際法上からも明白に日本固有の領土…」と記されており、韓国人の怒りを買っている。独島問題に対する日本側の態度は昨年、韓-日新時代を掲げた民主党政権になった後にも全く変わらなかった。
~省略~
 しばしば日本を近いながらも遠い国と言う。両国政府の積極的努力なしでは関係改善に限界があると言わざるを得ない。特に過去の問題について日本側の前向きな態度が切実に要求される。今回の事件は明らかに誤りだが、既存のわい曲された枠組みを固着させる口実となってもならない。
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 韓国社会は「日本=悪、韓国=善」という構図が絶対の社会だから、一方的に自分達に非があるとは認められないのだろう。そもそも、自国の認識に誤りがあるとの発想にならないのかもしれない。韓国社会の一般的な見方は、「手段は悪かったが原因は日本にある」だったのではないだろうか。
 こういう社会だから、キム・ギジョンが社会的制裁を受けることは無かっただろう。有罪にはなったが、執行猶予が付き、実質的に処罰は受けなかった。もし、実刑になっていたり、社会から袋叩きにあっていれば、リッパート大使は襲撃を受けなかったかもしれない。

 キム・ギジョンの弟キム・ギチャン氏は、中央日報に以下のように語っている。
*** <駐韓米大使襲撃>容疑者の弟「兄は社会で認められず過激に」 ***
http://japanese.joins.com/article/366/197366.html?servcode=400§code=430
~省略~
キム・ギチャンさんは5日、中央日報との電話で、「兄とは4、5年以上会っていない。電話も4、5年ほどしていない」と疎遠な関係であることを明らかにした後、「私は生活に追われ、兄とは考えが違う。兄はそれを超越し、自分が国のために仕事をしようということ」と述べた。
~省略~
弟キムさんはその兄について、「雀が孔雀の志についていけないように、私は兄の高尚な考えについていけない」とし「長男にもかかわらず家族の世話をしなかった」で不満を吐露した。また「普通、長男はそのようなとんでもない行動はできないものだ。長男だからといって優遇されて育ったが、結果的にすべての負担は他の兄弟に押しつけ、本人は自分の考えばかり追って生きている」と話した。
~省略~
当時、重家大使は避け、大使館の女性通訳が手をけがした。これに関し弟のキムさんは「(兄の行動が)社会で認められて受け入れられればどれほどよいだろうか」とし「本人は何かを見せようとするが、人に認められないため、さらに過激なことをしたのではないかと思う」と遺憾も表した。しかし犯行の過程について「兄は身体が活発な年齢でもないが(米大使の)警護員は何をしていたのだろうか」と疑問を提起したりもした。
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 元々キム・ギジョンは、論理的に考えることが出来ず、感情で行動するタイプなのだろう。また、承認欲求(社会に認められたいという願望)が人一倍強く、自分勝手なんだと思う。だから、韓国社会の風潮に迎合し、注目を集める行動をするのだと思う。
 しかし、重家日本大使襲撃事件を起こしても、実社会では何の恩恵も受けず、キム・ギジョンの願望は満たされなかったようだ。

 様々な報道によると、キム・ギジョンはリッパート大使に挨拶に行く振りをして近づき、いきなりリッパート大使を倒してから斬りつけて傷を負わせ、周りの居た人達に取り押さえられたらしい。偽りの行動をもって近づき、一挙に加害におよぶというのがキム・ギジョンの手口のようだ。ちなみに、リッパート大使は、右頬に長さ11cm深さ3cmの傷を負い、左腕にも防御創(5カ所)を負ったとのこと。左腕の傷は尺骨神経損傷、じん帯2ヶ所裂傷、3cmの貫通傷で、右頬の傷も1~2cm下に達していたら頸動脈を傷つけるところだったと、病院側が発表している。
 キム・ギジョンは重家大使に傷を負わせることが出来なかったことに教訓にしたのか、今度はリッパート大使を倒して逃げられないようにして凶行におよんでいる。止められるのが遅ければ、殺害に至っていたかもしれない。刃渡り25cmの刃物を用意していていることからして、本気で殺害するつもりだったか。
 キム・ギジョンは、重家大使襲撃事件の時は偶発的に起きたもので犯意はなかったと言い訳し、今度も同様の言い訳をしているらしい。
*** [米大使襲撃]キム・ギジョン代表「リッパート大使に申し訳ない・・・恐怖だけ与えようとした」 ***
http://news.naver.com/main/read.nhn?oid=003&sid1=100&aid=0006388527&mid=shm&mode=LSD&nh=20150305192318
【ソウル=ニューシス】ナ・ウンチェ記者
 マーク・リッパート(42)駐韓米国大使を襲ったキム・キジョン(55)我々の庭、独島を守る代表が5日、「リッパート大使に申し訳ない」と言ったと伝えられた。
 警察の調査に立ち会ったキム氏の弁護士によると、キム氏は「大使に申し訳ない。個人的な感情を持っているわけではない」とし、「傷をつけるつもりはなかった恐怖だけを与えようとした」と述べた。
 また、「リッパート大使の傷がそんなに深いとは思わなかった」とし、「米国に警鐘を鳴らそうとしただけ」と明らかにしたことが分かった。
 キム氏の弁護士は、キム氏が犯行に使用した凶器と一緒に所持していたカッターナイフについて、「キム氏が常に持ち歩く道具」で「主に印刷物、チラシなどを切る時に使用する用途」と説明した。
 これと共にキム氏がイベントに入場することができた理由についても説明した。
 弁護士は、「キム氏は、民和協の創立メンバーであると主張している」とし、「キム氏は、会場で自分の入場用名札が無いと(自分を)知っている女性職員に話したら、名札を受け取ることができた」と主張した。
 またキム氏は、同日午前に世宗文化会館世宗ホールで開かれた民族和解協力汎国民協議会主催の朝食講演行事に参加したリッパート大使に25cmの長さの刃物を振り回して負傷させた。
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 殺害するのに十分な刃物を準備し、執拗に刺していることから、殺意があったと推定され、脅迫しようとしただけという言い訳は通らない。ただ、「米国に警鐘を鳴らそうとした」というのは本心なのかもしれない。それは、脅迫という手段ではなく、殺害という方法でだが。

 キム・ギジョンの叫んだことからすると、犯行動機は米韓合同軍事演習への反発と思われている。キム・ギジョンは「民族和合運動連合」という団体に所属し、北朝鮮を8回訪問(06年11月~07年4月)するなど、親北朝鮮の傾向が強い活動家だから反米的な主張をしても不思議は無い。だが、米韓軍事演習は毎年行われていることなのに、今年に限ってこの様な行動を起こしたことの説明がつかない。
 この襲撃事件が発生するまで、韓国は反米的な雰囲気に包まれていた。シャーマン国務次官が先月末の講演で「ナショナリスト的な感覚で敵をけなすことは、国の指導者にとって安っぽい称賛を浴びる容易な方法だが、それは感覚がまひするだけで、進歩は生まない」などと発言したことで、韓国世論はアメリカが日本の肩を持ったと強く反発していた。朝鮮日報は社説(看過できない米国務次官の「韓中日共同責任論」)で「日本に対しては、一言も謝罪と反省を求めなかった。」「外交的には使ってはならない不適切極まりない表現を遠慮なく使った。」と批判し、中央日報も社説(日本が韓日米の三角共助に害するとなぜ説得できないか)で、「『過去の歴史は3国みなの責任』というシャーマン式論理は韓日関係の改善に一抹の助けにもならず、反米感情を増幅させるだけだということを明確に認識させなければならない。」と批判した。保守系団体はアメリカ大使館近くで「日本の過去に免罪符を与えたアメリカは謝罪せよ」などと抗議活動を行っていた。政界でも、与党セヌリ党の金乙東(キム・ウルドン)国会議員は「アメリカが被害者に背くのなら『世界の警察』としての地位は長くない」と激怒し、趙太庸(チョ・テヨン)外務第1次官は国会で「厳重にこの問題を扱う」と述べていた。
 重家日本大使襲撃事件の前も似た様な雰囲気だった。日本政府は韓国に遠慮せず竹島教育を着々と進め、その度に韓国の外交通商部長官が抗議するという展開になり、韓国世論は反日に沸騰していた。そうした雰囲気の中で、キム・ギジョンは犯行におよんでいた。今度も、キム・ギジョンはこの様な韓国世論の怒りの高まりを感じ取り、アメリカ政府の代表である大使に天誅を加えることで安重根になれると考えたに違いない。
 また、キム・ギジョンは経済的に困窮していたようだ。韓国の低所得層への生計支援制度である基礎需給制度の受給対象者で、家賃も滞納し、公共料金の支払いも満足に支払えていなかったとのこと。こうした状況を打開するための犯行でもあったのかもしれない。

 駐韓米大使襲撃事件発生後、韓国世論は一変した。シャーマン国務次官の発言で怒っていたことなど忘れてしまったかのように謝罪で溢れかえった。だが、韓国では、事件の影響はアメリカでのロビー活動に支障が出るくらいとか思っていないようだ。
*** 駐韓米大使襲撃 米国で「嫌韓」高まる恐れも ***
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/05/2015030501916.html?ent_rank_news
【ソウル聯合ニュース】米国のリッパート駐韓大使が韓国人の男に襲撃された事件をめぐり、韓国では韓米関係への影響を懸念する声が出ている。
 リッパート大使は5日にソウル市内で市民団体代表の男に切りつけられた。駐韓米大使に対するこうした深刻な襲撃は初めて。個人の突発的な行動とはいえ、同盟国に駐在する大使がテロに遭ったことになり、波紋が広がる可能性も排除できない。リッパート大使がオバマ米大統領の側近という点も、韓国の外交当局には重荷になりそうだ。
 韓国の民間シンクタンク、世宗研究所の洪鉉翼(ホン・ヒョンイク)首席研究委員は「国民1人の危害に対しても黙っていないのが米国だ。米大使はある意味、米国そのもので、大使への攻撃は米国を攻撃したことになる」と懸念を示した。
 しかし、60年を超える韓米同盟の磐石さを勘案すると、事件の影響は限定的との見方が大勢を占める。
 別の韓国民間シンクタンク、峨山政策研究院の崔剛(チェ・ガン)副院長は「政府レベルだけでみると、韓国はもちろん米国もこの問題を個人の突発的な行動と見なし、拡大はせず、速やかに収拾しようとするだろう」と話す。
 一方、民間レベルでは溝が生じる恐れがないわけではない。先ごろシャーマン米国務次官(政治担当)が歴史問題をめぐる韓国、中国と日本の対立は3カ国すべてに責任があるという趣旨の発言をし、韓国の世論の反発を招いた。今回の米大使襲撃事件では、米国内の韓国に対する世論に悪影響が及ぶこともあり得る。崔副院長は「一部の米国民の間で嫌韓感情が増幅しかねない」との見方を示した。
 また洪首席委員は「対米外交において韓国政府の負担が増すことになる」と指摘する。
 韓国と日本が歴史問題をめぐりそれぞれ米国に接近しようとする中、米大使襲撃事件が日本に有利に働くのではないかという観測もある。
 韓国の政府系シンクタンク、国立外交院の関係者は「ワシントンでの日本との外交戦で、韓国が不利になった。しばらくは事件の影響を抑えることに外交力を集中させる必要があるためだ」と話した。
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 韓国政府も然程重大事とは受け止めていないらしく、「けさマーク・リッパート駐韓米国大使に対する加害行為が発生したことに対し、衝撃を禁じ得ず、これを非常に遺憾に思う」との声明を出すに止め、朴大統領も中東歴訪を続けていた。
 一昔前なら、この様な対応にならなかったのではないだろうか。

 シャーマン国務次官の発言に、朝鮮日報は社説で「軽く見過ごすことはできない。」「何が米政府の公式の立場なのかはっきりさせる必要がある。」「韓米関係も政府の説明通りに『最上の関係』ではないことが今回明らかになった。」と書き、中央日報は社説で「シャーマン式論理は韓日関係の改善に一抹の助けにもならず、反米感情を増幅させるだけだということを明確に認識させなければならない。」と書いていた。どちらも、上から目線の発言で、韓国の認識にアメリカが合わせろと命じているように聞こえる。
 保守系団体はアメリカ大使館近くで抗議活動を行い、アメリカに謝罪を求めていた。アメリカが韓国と異なる認識を持つことは許されず、許されないことを行ったアメリカは謝罪しなければならないということだろう。
 近年、韓国はアメリカに慰安婦像を建てたり、東海の呼称を強要したりしている。アメリカは韓国の主張に従うのが当然と思っているかのようだ。見方のよれば、アメリカを属国扱いしているようにも見える。
 最近の韓国の反応をみると、韓国人の意識の中でアメリカとの上下関係が逆転してきているのではないかと、尚更思える。

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ソウルで米大使が切りつけられけが 連行の男は日本大使にも石(15/03/05)
https://www.youtube.com/watch?v=WZuqtb0Hzto
「南北分断は日本のせいだ!」、日本駐韓大使が講演中に石を投げられる
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0708&f=politics_0708_003.shtml
【社説】看過できない米国務次官の「韓中日共同責任論」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/03/03/2015030300620.html
【社説】日本が韓日米の三角共助に害するとなぜ説得できないか
http://japanese.joins.com/article/278/197278.html?servcode=100§code=110

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イスラム国による人質殺害事件4

 半月前に刊行されたイスラム国の機関誌に湯川氏と後藤氏の記事が掲載され、毎日新聞はこの様に伝えていました。
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人質事件:「日本政府に恥辱が目的」…IS機関誌
http://mainichi.jp/select/news/20150213k0000m030086000c.html
【カイロ秋山信一】イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)のウェブ版英字機関誌「ダビク」の最新号が公開された。ISは「安倍晋三(首相)は『イスラム国』と戦うために2億ドル(約240億円)の資金提供を表明した」と従来の一方的主張を展開した。日本人の人質殺害について「傲慢な日本政府に恥をかかせるのが目的だった」などと述べた。
 ダビク最新号は巻頭の2ページで日本人人質事件を特集し、殺害された千葉市出身の会社経営、湯川遥菜さん(42)と、仙台市出身のフリージャーナリストの後藤健二さん(47)の写真も掲載した。

 IS活動地域の周辺国に対する非軍事分野での2億ドルの支援について、同誌は「ISとの戦いに使われるのは明白だ。思慮が浅く、傲慢な判断だ」との見解を示した。また「(支援表明前は)日本の標的としての優先順は低かったが、今や、あらゆる場所で標的になる」と脅した。

 当初2億ドルの身代金を要求した点は「金には困っていないし、日本政府が2億ドルを支払わないことも分かっていた。第二次大戦後、西洋の奴隷になった日本政府に恥をかかせるのが目的だった」と説明した。

 一方、ヨルダンに収監されていたIS前身組織メンバーと後藤さんとの交換交渉では、ヨルダンのイスラム教指導者、アブムハンマド・アルマクディーシ師が仲介役を務めたと明かし「ヨルダン政府が(ISに拘束されていた)ヨルダン軍パイロットを交換に含めようとして事態を複雑化させた」と指摘した。

 アルマクディーシ師は当時ヨルダンで収監されていたが、事件後の今月5日に釈放された。師の側近は毎日新聞の取材に、交渉を仲介したことを認めていた。
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 ダビクNo7の3ページ目と4ページ目に湯川氏と後藤氏ことが書かれています。
イスラム人質事件 dabiq7p3
イスラム人質事件 dabiq7p4
 この記事の全文の翻訳があればいいのですが、見つかりませんでいた。なので、誤訳が御免で翻訳してみます。
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前書き
「我々に対する日本の関心は何か? 誰が、この難しくて、強力で、激しい戦争へ、日本を引き入れたのか・・・パレスチナの我々の息子に対するこの罪に? 日本は、我々との戦いに参加することに耐えられない。 従って、その立場を再考するべきである。 我々およびアフガニスタンやパレスチナの無防備な状態にある人々に対する遠い南のオーストラリアの関心は何か?異教徒と十字軍を除き、この戦争におけるドイツの関心は何か? 獅子王リチャード、ドイツのバルバロッサ、フランスのルイによって率いられた旧十字軍のような別の十字軍だ。
同様に今日、ブッシュが十字架を掲げた時、十字軍の国々は直ちに召集された。
この十字軍に対するアラブ国の関心は何か? なぜ、彼らはありのままに、そして、白昼の元に公然と始めたのか? なぜなら、彼らは十字架のルールに満足されられているからだ。」 [2001年10月のインタビュー] 。

多数の国がアフガニスタン侵略に動員される十字軍連合への参加を急いだ時、シャイフ[訳者注:長老のこと]のウサマ・ビン・ラディン(神に召された)は13年前に上記の言葉を述べた。日本は非キリスト教の無宗教であり、「平和」憲法、そしてアフガニスタンから遠く離れているにもかかわらず、十字軍に参加した。当時の愚かな総理大臣-小泉純一郎-は西側の十字軍のために後方支援の提供を約束した。彼がイスラム教徒に敵対する十字軍へ参加することで日本のために獲得されると期待したのは、どの様な利益だったのか? その後の日本-再び小泉のリーダーシップの下で-彼らを支援する自衛隊をそこに派遣することによりイラクの十字軍に加わった。それから、シャイフのアブ・ムサブ・ザルカウィの指揮の下のムジャヒディン(イスラム聖戦を戦う者)が日本の十字軍戦士の香田証生を捕らえ、日本の軍隊がイラクから撤退しない限り彼を処刑すると脅迫した時、小泉と彼の政府は、傲慢にも日本は「テロリスト」の要求に譲歩しないと述べた。従って、香田はニック・バーグとケネス・ビグリーを含む十字軍連合に所属する囚人の中の一人が以前にされた様に首を切断された。

約10年後、しかし今回は「ノーベル平和賞」受賞者のオバマのリーダーシップの下、「平和主義」日本はイスラム教徒に敵対する別の十字軍連合に加わることによって再び賢明さを無視した。それで「平和主義」国は「平和賞」受賞者による失敗の運命にある戦争に導かれる。まるでカリフの怒りが存在しないかのように、安倍晋三がイスラム国との戦争に2億ドル以上を明確に使用すると公的にコミットすることで、日本のために獲得されると期待していたのは何の利益か?
どんな傲慢が、シナイ地域におけるカリフの兵士と戦う邪神シシによって築かれた演壇から彼の思慮の浅い発表をするために、彼を盲目にしたのか?何が、イスラム国が刑務所の中に2人の日本の囚人を持っていることを彼に「忘却」させて日本のリーダーシップの大失敗を生じさせたのか?

アッラーの計画を除き、異教徒を安心させるものは無かった。だから直ちに、イスラム国は日本の首相によって十字軍と背教者の同盟国に最初に約束した同額の2億ドルを日本政府に要求した。
カリフは金を必要とせず、日本人が全額を決して提供しないということを十分に知っていたが、しかし、それは決めていた-この要求によって-この日本政府の傲慢に恥をかかせる・・・ 第二次世界大戦以来、西側に隷属する一連の諸政府の中の政府に。

最初のデッドラインが過ぎた後、日本の担当者が背教者のヨルダン政権に駆け込んでいる間に日本の囚人の湯川遥菜は処刑された。イスラム国は、サジダ・リシャウィの釈放と移送を直ちに要請-ほぼ10年の間ヨルダンの反逆者によって投獄されたムジャヒディン-後藤(城後)健二と交換にカリフの地に。ヨルダン政権は。無謀にも、交換取引に彼らのパイロットを含めようとしたことによって日本人のためのプロセスを複雑にしたが、カリフは背教者パイロットの他の計画のためにヨルダン人偶像崇拝者の担当者-アシム・ターヒル・アルバルカウィ(別名アブ・マホメット・アルマクディシ)-との交渉の中で明確に拒否した。結局、アルバルカウィの背教者の依頼人と日本の囚人は、イスラム国の警告を留意することに両政権が怠惰だったことによって処刑された。アメリカの十字軍に貢献し宥和に努める彼らの国の政治指導者以外、後藤(城後)健二と背教者パイロットの親類に責任がある者は誰もいない。
この十字軍に対する安倍晋三の軽率な公約の前、日本はイスラム国の標的とされる優先リストに無かったが、安倍晋三の愚かさ故に、すべての日本国民と利益-どこでも見つかるかもしれない-が至る所でカリフの後援者や兵士のターゲットに現在なっている。

日本は今複雑な苦境にある。この脅威から免れることができるか?安倍晋三は、彼の無謀さによってカリフの怒りにさらされる人々を救うための一歩を踏み出すことができるか?イスラム国家に対する彼の悪名高く愚かな発表を行った後、彼はカリフとの戦争のための支援停止を勇敢に発表することはできるか?それは非常に疑わしい・・・。

だから、カリフの剣がアッラーの権力と力によって日本の異教徒に向かって鞘から抜かれたことを彼の国民に告げる・・・。
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 10年前、「イラクの聖戦アルカイダ組織」にフリーターの香田証生氏が誘拐され、2004年10月27日にインターネット上で犯行声明が出されました。犯行グループは声明で48時間以内にイラクからの自衛隊(サマーワで人道復興支援活動を展開中)を撤退させるよう要求し、受け入れられなければバーグ氏(米国人)やビグリー氏(英国人)同様に首を切ると脅迫。小泉首相は「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と明言しました。31日にバグダッド市内で香田氏の遺体が発見され、11月2日に香田氏の動画がインターネット上で公開されます。動画には、「日本政府が数百万ドルの身代金を出すと申し出たが、我々は聖戦を着実に遂行する。日本が安全を望むなら、軍隊を撤退させることだ」とか、「日本政府に48時間の猶予を与えたが、その期限は過ぎたので、この異教徒の首を切断する」とかの声明あり、香田氏を斬首する様子が映されていました。
 イラクの聖戦アルカイダ組織はイラクに滞在中の外国人を拉致して人質にし、斬首して殺害するという数々の事件を起こしていました。首謀者はヨルダン生まれのイスラム主義活動家アブ・ムサブ・ザルカウィで、ウサマ・ビン・ラディンに忠誠を誓って数々のテロに関与した人物です。2006年6月に米軍の空爆で死亡していますが、ザルカウィの組織がイスラム国の前身となりました。だからでしょうか、香田氏人質事件を持ち出したのは。
 香田氏はイラク見物をしに行った旅行者に過ぎず、香田氏は事件当時には「異教徒」と呼ばれていました。しかし、今回は「十字軍戦士」にされています。唯の旅行者を斬首したのでは、正当性に傷が付くと思ってのことでしょうか。

 イスラム国が身代金2億ドルを要求したのは、日本政府に恥をかかせるためで、払われることは無いと考えていたそうです。イスラム国の周辺国に約束した支援額と同額を要求されることが恥になるのでしょうか。「約束した資金援助を撤回しろ」とかの要求があり、日本政府が約束を撤回したというなら、約束を果たさないのですから国際的に恥をかいたと言うこともできるかもしれません。でも、その様な要求はありませんでした。ただ、身代金を要求されただけです。今回の事件で、日本が恥をかいたと考える国は皆無でしょう。
 イスラム国は後藤氏の妻に約20億円の身代金を要求していました。金を必要としていないなら、何故20億円を要求したのでしょうか。言っていることと矛盾しています。身代金を取るつもりが無いのなら、初めから本来の要求をすべきでしょう。香田氏の時はそうしていたのですから。
 人質交渉を複雑にしたのはヨルダン政権のせいだと言っていますが、イスラム国がヨルダンを巻き込んだから複雑になったのです。イスラム国が処刑すると言っているのに、日本とヨルダンが要求を呑まないから処刑されたとの主張ですが、パイロットは既に殺されていました。イスラム国がパイロットの解放を拒否したのは、そうせざる得ないだけだったということに過ぎません。
 結局、イスラム国は今回の事件で何の要求も通すことができませんでした。それを隠すために陳腐な言い訳をしているだけなのです。

 この記事を読むと、日本社会の状況をよく知っているという印象を受けます。平和憲法のことを知っているし、湯川氏と後藤氏が拘束されているのに安倍首相は軽率な発言をしたとの批判があることや、イスラム国が資金難に陥っているとの見方があることを意識して書いたのではないかと思えるのです。もしかしたら、日本国内からイスラム国に情報提供している連中がいるのかもしれません。

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香田証生さん人質事件のまとめ
http://1st.geocities.jp/matome83/iraq/
香田さん殺害、ネットで犯行声明 ビデオ映像流す
http://www.asahi.com/special/jieitai/TKY200411020265.html

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