六丈記2

備忘録のようなもの

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朝日新聞の慰安婦報道検証特集について考える【4】

◆金学順元慰安婦の証言記事
 植村元記者が1991年8月11日朝刊(大阪版)に書いた記事が下記です。
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≪思いだすと今も涙≫
≪元朝鮮人従軍慰安婦 半世紀思い口を開く≫
 【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊(ていしんたい)」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は10日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。
体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
≪韓国の団体聞き取り≫
 尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に1人で住んでいる。最近になって、知人から「体験を伝えるべきだ」と勧められ、「対策協議会」を訪れた。メンバーが聞き始めると、しばらく泣いた後で話し始めたという。
 女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。200-300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、1人に1室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの4人が一般の兵士200-300人を受け持ち、毎日3、4人の相手をさせられたという。
 「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に1回は軍医の検診があった。数カ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。
 女性は「何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹が立って涙が止まらない」と訴えている。
 朝鮮人慰安婦は5万人とも8万人ともいわれるが、実態は明らかでない。尹代表らは「この体験は彼女だけのものでなく、あの時代の韓国女性たちの痛みなのです」と話す。9月からは事務所内に、挺身隊犠牲者申告電話を設置する。
 昨年10月には36の女性団体が、挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど、韓国内でも関心が高まり、11月に「同協議会」が結成された。10日には、「韓国放送公社」(KBS)の討論番組でも、挺身隊問題が特集された。
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 北海道新聞が報じた金学順氏の単独会見の記事が見つかりませんので、韓国のハンギョレ新聞の記事(8月15日)を載せます。原文は朝鮮語なので「Expose the lies.」というサイトから翻訳文をお借りしました。
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≪従軍慰安婦の惨状を知らしめる≫
≪国内居住者中 初 過去暴露 金学順さん≫
≪いつかは明らかにしなければならない歴史的事実≫
≪未だに日章旗を見ると憤怒する≫
 17歳の花のような歳の5ヶ月間余りの間、日本軍人たちの従軍慰安婦をした金学順(67歳・ソウル鍾路区チュンシン洞1・写真)婆さんが14日午後 韓国女性団体連合事務所に当時の現状を暴露する記者会見を持った。日帝強占下、従軍慰安婦の生活を強要受けた韓国人中、解放以後国内で生活しながら自身の惨憺(さんたん)とした過去を暴露した境遇は金学順さんが初めてだ。
 「これまで言いたくても勇気が無くて口を開くことが出来ませんでした。いつかは明らかにしなければならない「歴史的事実」なので打ち明けることにしました。かえってすっきりしています。」
 しわが深いおばあさんに変わった金さんは50年前の思い出したくない過去が胸を痛むかのように目頭を濡らすと話し始めた。
 「今でも「日章旗」を見ると悔しく、胸がむかむかします。テレビや新聞で近頃も日本が従軍慰安婦を引っ張って行った事実はないという話を聞く時は胸が崩れます。日本を相手に裁判でもしたいくらいの心情です。」
 現在ひと月米10kgと3万ウォンの支給を受け生活保護対象者として生活を延命している金さんの事情は数奇だ。
 24年満州 吉林省で生まれた金さんは父親が生後100日で亡くなられた後、生活が苦しくなった母親のために14歳の時、平壌妓生(キーセン)検番に売られて行った。3年間の検番生活を終え金さんが初就職と思って検番の養父について行ったところが北中国鉄壁の日本軍300余名がいる小部隊前だった。
 「私を連れて行った養父も当時日本軍人たちにお金も貰えず無力に私をそのまま奪われたようでした。その後5ヶ月間の生活は殆んど毎日4~5名の日本軍人達を相手にするのが全部でした。」
 金さんがいた所は小部隊前に建てられた建物で、5名の10代韓国女性が一緒でした。米とおかずは部隊で提供され24時間監視状態で過ごした。何度も脱出を試みた金さんは、その度に日本軍人たちに見つかって叩かれたと打ち明けた。
 当時我が国と中国を行き来し「銀銭」商売をしていた韓国人ジョ・ウォンチャン(31歳)さんがちょうど慰安所に来た時に頼んでようやく逃げ来ることに成功した。その後ジョさんと一緒に満州に行き中国上海などの地を転々としながら住み、解放後ジョさんとソウルに来て定着した。息子と娘1名ずつ産んで住んでいた6・25(朝鮮戦争)直後、息子と娘を失い、53年には夫もこの世を去り女中奉公、日雇いなどをして貧しく生きてきたと喉をつまらせ言った。
 金さんは最近就労事業に出て出会った原爆被害者イ・メンヒ(66歳)さんと韓国挺身隊問題対策協議会の勧めで事実を明らかにする決心をしたという。
 金さんは「政府が日本の従軍慰安婦問題に対して公式謝罪と賠償を要求しなければならない」と力を込めて言った。
 一方、挺対協は「キムさんの証言を契機に生存者、遺族の証言を介して歴史の裏に埋葬された従軍慰安婦実状を明らかにしなければならない」と強調した。
<キム・ミギョン記者>
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 ついでに、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件の訴状から金学順氏の経歴を抜き出します。
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35 原告金学順(キム・ハクスン。軍隊慰安婦)
 原告金学順(以下、「金学順」という。)は、一九二三年中国東北地方の吉林省で生まれたが、同人誕生後、父がまもなく死亡したため、母と共に親戚のいる平壌へ戻り、普通学校にも四年生まで通った。母は家政婦などをしていたが、家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、「そこへ行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国へ渡った。トラックに乗って平壌駅に行き、そこから軍人しか乗っていない軍用列車に三日閥乗せられた。何度も乗り換えたが、安東と北京を通ったこと、到着したところが、「北支」「カッカ県」「鉄壁鎭」であるとしかわからなかった。「鉄壁鎭」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され、部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。翌日の朝、馬の噺きが聞こえた。隣の部屋にも三人の朝鮮人女性がいた。話をすると、「何とバカなことをしたか」といわれ、何とか逃げなければと思ったが、まわりは軍人で一杯のようだつた。その日の朝のうちに将校が来た。一緒に来たエミ子と別にされ、「心配するな、いうとおりにせよ」といわれ、そして、「服を脱げ」と命令された。暴力を振るわれ従うしかなかったが、思い出すのがとても辛い。
 翌日から毎日軍人、少ないときで一〇人、多いときは三〇人くらいの相手をさせられた。朝の八時から三〇分おきに兵隊がきた。サックは自分でもってきた。夜は将校の相手をさせられた。兵隊は酒を朝から飲み、歌をうたう者もいた。「討伐」のため出陣する前日の兵隊は興奮しており、特に乱暴だった。朝鮮人とののしられ、殴られたりしたこともあった。これらの軍人たちは犬と同じで、とても入間とは思えなかった。部屋の中では、中国人の残した中国服や日本軍の古着の軍服を着させられた。週ないし月に一回位、軍医がきて検診を受けた。同原告は肺病にかかったため、薬をいろいろもらった。六〇六号という抗生物質の注射も打たれた。
 金学順はそこでは、「アイ子」という名前をつけられた。他の四人の朝鮮人女性は、一緒に来た「エミ子」の他、最も年長の「シズエ」(二二歳)と「ミヤ子」(一九歳)「サダ子」(同)という名前だった。シズエは、別室で特に将校用として一室をあてがわれたが、他の四人は一部屋をアンペラのカーテンで四つに区切ったところに入っていた。食事は、軍から米・味噌などをもらって五人で自炊した。
 この鉄壁鎭にいた日本軍部隊は約三〇〇人位の中隊規模で、「北支」を転戦していた。鉄壁鎭には一か月半位いたが、何度か移動した。金学順ら女性たちも一緒に移動させられた。行く先々の中国人の村には、中国人が一人もいなかった。いつも空屋となった中国人の家を慰安所と定められた。
 ある日、兵隊が二人の中国入を連れてきて、みんなの前で目隠しをして後手に縛り、日本刀で首を切り落とすところを見せた。密偵だと言っていたが、おまえたちも言うことをきかないとこうなるとの見せしめだった。
 金学順は毎日の辛さのため逃げようと思ったが、いつも周りに日本軍の兵隊があり、民間人と接触することも少なく、中国での地理もわからず、もちろん言葉も出来ないため、逃亡することはできなかった。ところが、その年の秋になったある夜、兵隊が戦争に行って少ないとき、一人の朝鮮人男性が部屋に忍び込んできて、自分も朝鮮人だというので、逃がしてほしいと頼み、夜中にそうっと脱出することができた。その朝鮮人男性は趙元讃と言い、銀銭の売買を仕事としていた。金学順はこの趙について南京、蘇州そして上海へ逃げた。上海で二人は夫婦となり、フランス租界の中で中国人相手の質屋をしながら身を隠し、解放のときまで生活をした。一九四二年には娘、四五年には息子が生まれた。四六年夏になり、中国から同胞の光復軍と最後の船で韓国に帰った。
 しかし仁川の避難民収容所で娘が死に、一九五三年の朝鮮動乱の中で夫も死に、金学順は行商をしながら息子を育てていたが、その息子も国民学校四年生のとき、水死した。唯一の希望がなくなり一緒に死にたいと思ったが死にきれず、韓国中を転々としながら酒・タバコものむような生活を送ったが、一〇年前頃から、これではいけないと思いソウルで家政婦をしてきたが、今は年老いたので、政府から生活保護を受けてやっと生活をしている状態である。
 身寄りがない金学順にとって、人生の不幸は、軍隊慰安婦を強いられたことから始まった。金をいくらくれても取り返しのつくことではない。日本政府は悪いことを悪いと認め、謝るべきである。そして事実を明らかにし、韓国と日本の若者にも伝え、二度と繰り返さないことを望みたい。
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 植村元記者は「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と書いていますが、金学順氏は会見でキーセン検番の養父に連れられて行ったと行っています。録音テープに「女子挺身隊」という言葉があったのでしょうか。文章からすると植村元記者は確認を取らず思い込みで書いていたように感じます。
 朝日新聞の記事には「一番年上の女性が日本語を話し」とあります。ここから推測すると金学順氏らは日本語をあまり話せなかったのではないでしょうか。だとすると、細かな状況などは理解できなかったのでは。
 1日の客数は、朝日新聞が「3、4人」、ハンギョレ新聞が「4~5名」、訴状が「少ないときで10人、多いときは30人くらい」と増えています。朝日新聞とハンギョレ新聞では大差ありませんが、訴状では桁違いです。弁護士が調整したのでしょうか。
 慰安所からの逃亡について、ハンギョレ新聞では「銀銭の商売をしていた韓国人(ジョ・ウォンチャン)が慰安所に来た時に頼み込んで逃げた」、訴状では「銀銭の売買をしていた朝鮮人男性(趙元讃)が部屋に忍び込んできたため、頼み込んで夜中に脱出」。銀銭の商売とはどんな職業なのかよく分かりませんが、「銀銭業」「銭荘」(中国における旧式の金融機関)のことでしょうか。小規模の金貸しなのかもしれません。こういう職業の人が慰安所と取引をしていたとは思えませんから、商売で慰安所を訪れたのではないでしょう。日本軍が厳しく監視している慰安所に夜這いをする民間人というのもおかしな話です。そう考えると、朝鮮人男性は客として慰安所を訪れ、身請けしたか、足抜けさせたのではないでしょうか。金学順氏のいた慰安所は軍人専用ではなく、民間人も利用していたのではと思えてきます。


◆慰安婦関係の団体や個人について
 金学順氏に関連して、慰安婦関連団体が登場していますので、団体や個人について調べてみました。
■韓国挺身隊問題対策協議会
 「従軍慰安婦の強制動員」が旧日本軍により行われたと主張し、日本政府に対して公式な謝罪および賠償金を求める運動を行っている韓国の団体。1990年11月に韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が参加して結成され、初代代表は尹貞玉氏。現在の常任代表は尹美香(ユン・ミヒャン)氏。
 1993年に尹美香氏の夫(金三石)とその妹(金銀周)がスパイ事件で逮捕されており、北朝鮮と密接な関係があるとされ、韓国公安当局の捜査対象になっている。
 1992年1月から毎週水曜日、ソウルの日本大使館前でデモを開催。2011年12月には、ソウルの在韓日本大使館の前に少女の座像(慰安婦)を設置している。

■太平洋戦争犠牲者遺族会
 太平洋戦争当時の犠牲者と遺族及び参戦生存者に対する実態調査と権益を擁護すること、また、日韓の過去の歴史を解決して正しい歴史を確立し、国民統合に向けて未来志向的な南北統一意識を広げることを目的としている。具体的には、遺骨の収集返還、現地追悼、未払金返還や日本による戦後補償を求める運動をしている。日本政府を相手取った戦後補償を求める裁判の原告団体で、日本のNGO「日本の戦後責任をハッキリさせる会」と連携関係にある。
 1973年に釜山で発足した「太平洋戦争遺族会」がルーツ。初代会長は朴道鎭(パク・トジン)。
 1988年6月、日本政府を相手に直接裁判をすることを決定し、 第4代会長・裵海元(ペ・ヘウォン)と常任理事・梁順任(ヤン・スニム)を中心にし、「太平洋戦争犠牲者遺族会」として再発足。
 1989年4月、全国5つの日刊紙に戦争被害者と遺族の登録、会員募集をする広告を出す。
 1990年3月、ソウル、全州、釜山、大邱などで、日本を裁判に訴えるための全国巡回裁判説明会を開催。
 1990年6月15日から30日間、5000人以上の会員を動員し、釜山からソウルまでを走破する「戦犯者日本の戦後処理を促す全国徒歩大行進」を実施。
 1990年10月、代理人無しで、軍人、軍属、労働者、遺族など原告22人による国家賠償請求訴訟を日本の裁判所に初提訴。
 1990年12月、フリーランスのジャーナリスト・臼杵敬子が呼びかけで市民団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」(臼杵敬子代表)が東京で発足し、支援を受ける 。
 1991年4月、梁順任氏が共同代表に就任。
 1991年12月6日、日本国を相手に戦後補償請求民事訴訟を東京地裁に提訴。所謂、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」。1次原告35名(うち元慰安婦は金学順ら3人)、2次原告6名(1992年4月に追加)。訴訟原告代理人は高木健一弁護士、林和男弁護士、福島瑞穂弁護士ら11人。裁判は、東京地裁で棄却(2001年3月)、東京高裁で棄却(2003年7月)、最高裁で棄却(2004年11月)となる。
 1992年、社団法人に認可され、韓国政府の「給付」を受けるが、国家財政困難により停止。
 1999年10月、梁順任氏が名誉会長に就任。
 2002年、靖国公式参拝違憲訴訟の原告になる。
 2004年1月、梁順任氏が会長に就任。

■梁順任
●慶尚北道女性経営情報高校(旧スカ女子商業高校)卒業
●テヘラン国立大学美術大学油絵専門課程修了(文学士)
●慶南大学北韓学科大学院北韓学(社会・文化)修士号取得
●社団法人韓民族の統一促進協会初代会長
●強制連行犠牲者の真相究明ソウル特別市実務委員副委員長
●太平洋戦争犠牲者遺族会会長
 2011年5月、ソウル市警察が、日本統治時代の戦時動員被害者から15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っていたとして団体幹部(遺族会会長の梁順任氏ら)など39人を詐欺の疑いで摘発。摘発されたのは「太平洋戦争犠牲者遺族会」「民間請求権訴訟団」など対日要求や反日集会・デモを展開してきた団体だった。梁会長らは遺族会や訴訟団など各種団体を組織して会員を募集する際、「動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる」などと嘘を言ったり、会員を集めると手当を支払っていたとのこと。日韓親善サッカー試合で会員を動員し、日本政府に謝罪と補償を要求する横断幕を掲げる偽装活動をしていたともされている。
 チャン某氏(67)が、2010年3月から翌年1月までの間に「家族の中に1900年から1930年の間に生まれた男性がいれば、日本政府を相手に1000万~2000万ウォンの補償金を受け取ることができる」とし、弁護士選任料と加入費の名目で3万人余りから約10億ウォン(1人当たり9万ウォン)を騙し取った疑いで起訴され、梁会長と梁会長の息子のイム氏(44)も詐欺の共謀の疑いで起訴される。
 2014年4月、ソウル中央地裁は、チャン某氏に対して懲役7年6カ月の実刑判決を言い渡すが、梁会長は証拠不十分で無罪、イム氏は暴行罪で懲役1年6カ月となる。地裁は、同様の詐欺で裁判を受けていたチャン某氏が遺族会会長の梁順任氏とその息子のイム氏を引き込んで詐欺犯行を再び犯したと認定。梁会長とイム氏については、犯行について予防措置を取らなければならなかったが、初めから計画的に犯行に加担したとは見られず、刑事的責任を問えないとしながらも、民事的・道徳的責任を負う余地があるとした。

■植村隆
 1958年4月に高知県で誕生。土佐高校から早稲田大学政治経済学部に進学し、卒業。
 1982年、朝日新聞入社。千葉支局、大阪本社社会部、テヘラン支局長、ソウル特派員、外報部デスク、北京特派員、朝日カルチャーセンター札幌教室講師、北海道報道センター函館支局長を務め、2014年3月に朝日新聞を早期退職。
 2014年4月から北星学園大学の非常勤講師。
 朝日新聞入社後、韓国の延世大学へ留学した経験があり、韓国語に堪能。
 太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任会長の娘婿。


◆植村元記者の記事に梁順任氏は関与していたか
 取材過程は月刊誌「MILE」に書いてあり、当時は批判されていなかったと、特集で主張していますが、その時はまだ植村元記者と梁順任遺族会会長の関係が知られていなかったので当然でしょう。元慰安婦を原告として裁判を起こした遺族会の幹部の娘婿が植村元記者だったことが分かり、裁判を支援するために記事が書かれたのではないかと疑惑が持たれたのです。
 特集には、植村元記者の義母が遺族会の幹部ということは書かれていますが、遺族会が金学順氏の裁判の原告団体だったことには触れ手いません。挺対協と遺族会が別団体ということを強調し、遺族会が金学順氏と無関係であるかのように装うことで、記事が書かれた経緯に義母は関与していないとしています。また、植村元記者の「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」との説明を持って、「義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。」と結論しています。

 特集の説明からすると、挺対協がソウル支局に慰安婦の取材を持ちかけ、ソウル支局長が大阪本社社会部記者の植村氏に連絡し、植村氏がソウルの挺対協事務所で証言テープを聞き、ソウルで記事を書いたということのようです。
 ソウル支局と挺対協事務所がどの位離れているのか分かりませんが、同じソウル市内なのですからタクシーで行ける距離でしょう。それなのに、ソウル支局長は大阪の記者に連絡したのでしょうか。特集は「植村氏は前年の夏、元慰安婦の証言を得るため韓国を取材したが、話を聞けずに帰国した経緯もあり」と書き、植村元記者が慰安婦問題に熱心で詳しかったからと言いたげです。そうだとしても、証言テープの内容が分からず、価値のあるものなのか判断できない状態で、ソウル支局長がわざわざ大阪から記者を呼び寄せるのは不自然です。支局の記者が取材すれば、旅費も掛からず時間も掛かりません。こういう仕事をしないのであれば、支局を置く意味が無いでしょう。
 特集には、情報提供をしたとされるソウル支局長や出張を許可したはずの社会部長のコメントはありません。植村元記者の証言の裏取りがされていないのです。これだけではありません。特集には「植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前 ~省略~ 娘と結婚した。」とあり、植村元記者が何時結婚したのかでさえ裏取りしていないのです。吉田証言の裏取りが不十分だったと認める一方で、裏取りの無い記事を平気で掲載するとは。裏取り取材は必要ないというのが朝日新聞の企業文化なのでしょう。

 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件に至るまでを追ってみます。
●1989年5月
「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」(以下、百人委員会)の事務局員の青柳敦子氏が「朝日ジャーナル」に「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式に陳謝せよ」との内容の意見広告を出す。広告は12月まで15回掲載された。
●1989年11月19日~22日
青柳氏が韓国を訪問。日本政府を相手に謝罪と補償を求める裁判を起こすため、裁判の原告になってくれる徴用被害者や元慰安婦などを探すのが訪韓の目的だった。原告は訴訟費用を負担しなくていいという条件で原告募集をしたが、被害者に会えずに帰国。
●1990年の年始前後
青柳氏の訪韓の数週間後、青柳氏に太平洋戦争犠牲者遺族会から裁判の原告になりたいという連絡が入る。
●1990年3月
ソウル、全州、釜山、大邱などで、遺族会が日本政府を裁判に訴えるための全国巡回裁判説明会を開催。
●1990年10月29日
遺族会が元軍人、元軍属、遺族など(元慰安婦は入っていない)を原告にして、東京地裁に日本政府に対する訴訟を起こす。裁判書類の準備は青柳氏らが行い、代理人(弁護士)はいなかった。
●1990年11月
韓国挺身隊問題対策協議会が結成される。
●1990年12月
「日本の戦後責任をハッキリさせる会」が発足し、遺族会の支援を始める 。
●1991年2月
植村元記者が梁順任氏の娘と結婚。
●1991年5月15日
ハンギョレ新聞に元慰安婦(金学順 記事では匿名)のインタビュー記事が掲載される。「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番に売られた。三年間の検番生活を終え、初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」との内容。
●1991年8月11日
朝日新聞に元慰安婦の証言(植村元記者の記事)が掲載される。
●1991年8月14日
金学順氏がソウルで記者会見。
●1991年8月15日
韓国主要紙などが金学順氏の記者会見を報じる。
●1991年12月6日
遺族会が金学順氏らを原告にし、東京地裁に日本政府に対する民事訴訟を起こす(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)。代理人は高木健一弁護士ら。
※百人委員会は宋斗会氏と大分在住の主婦・青柳敦子氏組んで始めた市民団体。
※宋斗会氏はサハリン在住韓国人問題で日本政府を糾弾していた在日朝鮮人の左翼活動家。弁護士を使わずに日本政府糾弾訴訟をしようとしていたところ、高木健一弁護士が訴訟の手伝いを申し出てきて、サハリン残留者帰還請求訴訟が開始される。ところが、訴訟からは排除される。
※青柳敦子氏は大分在住の主婦。1985年に宋斗会氏と出会い、浮島丸訴訟など在日朝鮮人の戦後補償裁判に取り組む。
※「日本の戦後責任をハッキリさせる会」は、裁判のために来日した遺族会に、臼杵敬子氏が大きく助力をしていたため、臼杵氏が発足させたNGO。高木健一弁護士も参加している。遺族会は青柳氏らの提案に乗り提訴(1990年10月)してみたものの、青柳氏らが弁護士を使わなかったためにつまづいたとみられ、そのために、遺族会は青柳氏らと手を切ったと思われる。遺族会はハッキリ会と手を組み、91年8月には新たな訴訟の準備をしていたと言われている。

 反日活動をしていた在日朝鮮人が、日本人の主婦を巻き込み慰安婦を自身の活動に利用しようとしていたところ、利用される側だった遺族会に見切りを付けられ、高木弁護士にまたしても訴訟活動を乗っ取られた様子が伺えます。
 それはそうと、植村元記者の記事の「尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に1人で住んでいる。最近になって、知人から『体験を伝えるべきだ』と勧められ、『対策協議会』を訪れた。」が本当だとすると、金学順氏が挺対協と関係を持ったのは、1990年12月(挺対協発足)から1991年5月(ハンギョレ新聞にインタビューが掲載)の間だと推測されます。では、遺族会とは何時接触したのでしょうか。8月15日の記者会見の記事には「日本を相手に裁判でもしたいくらいの心情です。」とあることから、この時には裁判に参加することに決まっていて、遺族会はこの時までに接触していたと推し量ることも出来ますが、逆とも取れます。それで、元慰安婦を原告とした訴訟を遺族会が何時頃から計画し、それに金学順氏が何時頃参加したのかということを探ってみました。
 金学順氏が訴訟に加わる過程を探したのですが、その様な情報は見つけられませんでした。しかし、韓国の「日本軍慰安婦被害者e-歴史館」というサイトに韓国紙が掲載した慰安婦関連の記事の見出しを一覧にした資料があることを見つけました。朝鮮語で書かれていますので、一部を和訳して引用します。 
*** 日本軍「慰安婦」関連記事一覧(1990年?2002年12月)から抜粋 ***
1990-04-10【韓国日報】太平洋戦争の責任はまだ終わっていない/対日請求運動の拡散
1990-10-22【韓国日報】挺身隊-無関心引き出す
1991-04-01【東亜日報】「挺身隊」名簿初発見/日本国会図書館で-米軍の「朝鮮人捕虜」に含まれる
1991-07-31【韓国日報】挺身隊員名簿2種類/日本議会図書館で発見
1991-07-31【韓国日報】挺身隊生き証人 日本罪状明らかにする/金学順さん国内被害者で初めての告白
1991-07-31【東亜日報】「挺身隊補償」初めての訴訟方針/被害者50人余り/12月日本政府相手に提訴
1991-08-17【韓国日報】日本人達が「日帝被害」訴訟代行/弁護士7人来韓 証拠収集終える
1991-08-19【ハンギョレ】挺身隊 初の損賠訴訟決定/太平洋遺族会49人と一緒に/日本政府相手に
1991-10-29【韓国日報】挺身隊の実態調査。訴訟支援/在日女性団体発足/作家、教師など中心
1991-12-03【中央日報】挺身隊お婆さん 訴訟渡日/回復者35人 法廷闘争ために5日出国
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 1991年7月31日の東亜日報が、被害者が元慰安婦に対する損害賠償訴訟を12月に起こすと伝えています。この記事から、遺族会が元慰安婦を原告とする訴訟を計画したのは、7月31日以前だったことが分かりました。遺族会は当初、元慰安婦を含む49人を原告にする予定だったようです。この原告予定者の中に金学順氏が含まれていたかはハッキリしません。ですが、49人から35人に減ったのは弁護士が原告予定者をふるいに掛けたためでしょうから、35人の中に残った金学順氏は49人の中にいた可能性が濃厚です。それに、韓国日報の同日(7月31日)の記事は、金学順氏が告白して日本の罪状明らかにしたと受け取れますが、金学順氏が名前を明かして訴訟で日本の罪状を追求するとも取れます。東亜日報の同日の記事が元慰安婦の訴訟のことだったことを考えると、後者だったのではないでしょうか。
 植村元記者が証言テープを聞いた時には、金学順氏は遺族会に参加していたと思われます。その時点ではまだ金学順氏と遺族会が係わっていなかったという証拠も示さず、挺対協と遺族会は別団体だから、植村元記者の義母の梁順任氏は関与していないという理屈は通らないでしょう。
 植村元記者は「義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明していますが、植村元記者が元慰安婦の記事(1991年8月11日)を書いた時には、遺族会は既に元慰安婦を原告とした訴訟準備を具体的に進めていました。金学順氏も参加予定だったことが濃厚です。遺族会の訴訟を有利にするための記事と見られても仕方ありません。植村元記者が遺族会の利益を図る意図があったかは別にして、遺族会が朝日新聞を利用したのは確かです。
 特集は、植村元記者が義母から便宜を図ってもらっていないとしていますが、梁順任氏が遺族会の訴訟に利用するために朝日新聞の記者である娘婿の植村氏へ情報提供し、植村元記者はそういう情報が有るからと社会部部長を説得して出張許可を貰い、ソウルの挺対協で証言テープを聞いたと考えるのが自然でしょう。


◆植村元記者は何故キーセンを記述しなかったのか
 植村元記者は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話しています。本当でしょうか。梁順任氏の証言を並べてみます。
●ハンギョレ新聞の記事(5月15日)
「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番に売られた」「3年間の検番生活を終え、 ~略~ 日本軍300名余りがいる部隊の前だった」
●記者会見(8月14日)
「生活が苦しくなった母親のために14歳の時、平壌キーセン検番に売られて行った」「3年間の検番生活を終え ~略~ 日本軍300余名がいる小部隊前だった」
●訴状(12月6日)
「家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通った」「一七歳(数え)の春、 ~略~ 養父に連れられて中国へ渡った。」
 一貫して「貧乏なために14歳でキーセン検番に行き、17歳の時に中国で慰安婦になった」としています。一方、植村元記者の記事(8月11日)は「中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。」です。キーセンの部分が無い上、だまされたことになっています。同時期に一貫して同様の内容を言い続けているのに、証言テープだけ内容を変えたとは思えません。植村元記者は23年前に聞いたことを正確に覚えているのでしょうか。証言テープを文字に起こしてあり、その資料に基づいて断言しているなら、納得できなくもありませんが、ただ言い張られても納得できるものではありません。取材ノートなどの資料が残っているなら示すべきでしょう。

 植村元記者は、梁順任氏がキーセン検番にいたことが知られた後もキーセンのことを書きませんでした。何故なら、「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」からだそうです。意味がよく分かりません。キーセン検番に売られたなら、遊女になるのは当然の成り行きです。検番の主人にとっては、買い取った女性は遊女ににするための商品なのですから、遊女として働かせるなり、売り飛ばすなりしないと商売にならないのです。
 キーセンであったことを書くと、売春を生業とされた者が、日本軍相手の慰安婦になっただけということが明らかになるばかりではなく、梁順任氏をだました相手が日本の公権力だと臭わせることが難しくなります。だから、植村元記者はあえてキーセンであった経歴を書かなかったのでしょう。
 キーセンの記述をしなかったのは、植村元記者だけではありません。他の記者も書きませんでした。他の記者は何故書かなかったのでしょうか。植村元記者一人に押し付けている観がありますが、朝日新聞の方針だったのではないでしょうか。


・・・続く。
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山際澄夫のブログ
http://minamisanshikata.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html
Expose the lies.初の慰安婦の証人である金学順さんの証言記事。
http://exposethelies.web.fc2.com/news19910815kimhs.html
訴 状 - 慰安婦問題アジア女性基金デジタル記念館
http://www.awf.or.jp/pdf/195-k1.pdf
金学順
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%A6%E9%A0%86
韓国挺身隊問題対策協議会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%8C%BA%E8%BA%AB%E9%9A%8A%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%AF%BE%E7%AD%96%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A
止まった時計(5)
http://www.krnews.jp/newnews/print.php?uid=2396
韓国・遺族会 裁判経過
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/izoku_kai.html
日本の戦後責任をハッキリさせる会 主な活動の記録
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/kai_his.html
会長のご挨拶(太平洋戦争犠牲者遺族会)
http://www.victims.co.kr/japanese/main.php?link=document&doc=Introduction&page=20100611004038
「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発
http://megalodon.jp/2011-0509-1014-24/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110509/crm11050909470004-n1.htm
対日賠償詐欺で被告を増長させた民主党の甘さ、ソウル中央地裁も認定
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140403/plc14040314250015-n1.htm
慰安婦裁判煽動者
http://vaccine.sblo.jp/pages/user/m/article?article_id=5224495&page=1
朝鮮人徴兵・徴用に対する日本の戦後責任 戦後日本の二重基準
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031552916&Action_id=121&Sza_id=C0
日本軍「慰安婦」関連記事一覧(1990年?2002年12月)
http://www.hermuseum.go.kr/pgm/download.asp?table_id=docpublish&code=19&seq=17

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朝日新聞の慰安婦報道検証特集について考える【3】

◆吉田証言を故意に放置した
 朝日新聞が吉田証言を放置している間に、吉田証言はアメリカ議会でも取り上げられました。アメリカ合衆国下院121号決議(従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議)案のための下院議会調査局報告書には、「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記され(改訂版の報告書では削除)、審議過程で判断材料として扱われました。2007年にアメリカ合衆国下院121号決議が可決されると、日本の主要新聞は次のような社説やコラムを掲載します。
 日経新聞は、決議を「過剰反応は無用だが、日米関係への悪影響に目をつぶれない」とし、日本政府が安倍首相も含めて公式に謝罪してきたと強調。「米側での対日イメージの低下や日本国内での反米感情の高まりにつながりかねない動きは、双方にとって有害である」と日米関係の観点から批判していました。
 読売新聞は、「明らかな事実誤認に基づく決議である。決議に法的拘束力はないが、そのまま見過ごすことは出来ない」「事実誤認には、はっきりと反論しなければならない。誤った『歴史』が独り歩きを始めれば、日米関係の将来に禍根を残しかねない」と事実誤認であることを強調しました。
 産経新聞は、「この団体は中国政府と密接なきずなを持ち、歴史問題で日本を非難している。事実誤認を正すための官民の一層の努力が必要である」とし、「米議会はなぜかくも愚かな選択をしたのだろう」「厚顔ぶりにあきれてしまう」などと批判しました。
 毎日新聞は、「米国が主張する原爆投下正当化論への批判は日本に根強い。対テロ戦争やイラク戦争での人権侵害には国際法違反の指摘もある。『正しい歴史』を振りかざすだけでなく、みずからの過ちを振り返る謙虚さを米国には求めたい」と米国の姿勢に苦言を呈しました。
 朝日新聞は、「日本の側にも原因がある」とし、「決議は首相に謝罪を求めている。首相の沈黙は逆効果になるだけだ。河野談話の継承を疑われているのならば、同じような内容を安倍首相の談話として内外に表明してはどうか。それがいま取りうる最善の道だろう」と決議に追従しました。朝日新聞だけは安倍首相が談話を表明して謝罪するよう要求したのです。
 朝日新聞は、97年の時点で吉田証言に信憑性が無いと分かりながら、日本政府を攻撃する材料に慰安婦問題を使うため、故意に放置していたと判断するしかないでしょう。


◆記事の取り消しと謝罪
 朝日新聞は吉田証言を取り上げた記事を取り消しました。しかし、虚偽報道をしても謝罪は必要ないと考えているようです。
 政治評論家の加藤清隆氏が16本に及ぶ記事を全部取り消しますというならば、はっきり一面で謝罪した方が良いよと助言すると、木村伊量朝日新聞社長は「歴史的事実を変えることはできない。従って謝るようなものではない」と述べて謝罪を拒否したとのことです。
 「歴史的事実」とは、何を意味するのでしょう。慰安婦狩りは事実と言いたいのでしょうか、それとも誤報をしたということでしょうか。吉田証言を否定しながら、慰安婦狩りは事実とするなら、93年以降は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしたと言っていることとの矛盾します。
 もし、歴史的事実が誤報を繰り返した歴史を意味するなら、誤報は単なる間違いで捏造ではないのだから、謝罪は必要ないということなのかもしれません。ただ、大きな誤報で、朝日新聞は謝罪したことがあります。例えば、教科書誤報事件がそうです。教科書誤報事件は、1982年に大手マスコミ各社が、教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせられたと一斉に報じ、外交問題になった後、書き換えの事実は無かったと判明した事件です。朝日新聞は中川昇三社会部長名の「読者と朝日新聞」という囲み記事で、続報で修正報道したと言い訳し、文部省の検定姿勢に問題があるとしながらも、「侵略」から「進出」の書き換えは無かったことを認め、「一部にせよ、誤りをおかしたことについては、読者におわびしなければなりません」と一応謝罪しています。
 吉田証言の記事を全部取り消したということは、少なくとも誤報を認めたことになります。過去に誤報で謝罪したことがあるのに、今回は誤報でも謝罪しないのは、何故でしょう。慰安婦問題は教科書誤報事件より遥かに大きな問題になっているのに。国際的な大問題に発展したから謝罪しないのでしょうか。
 朝日新聞は過去の過ちは認めて過去を清算しろと言っていただけに、間違いを認めても謝罪しないことで、尚更批判が強まったような気がします。特集で批判をかわすつもりだったのかもしれませんが、逆効果になったのではないでしょうか。


◆女子挺身隊と慰安婦の混同について
 朝日新聞は、「挺身隊」と「慰安婦」を混同したと認めました。その例として、91年12月10日の「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」と92年1月11日の「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」を挙げています。だけど、これを読んで混同したとは受け止めがたいのです。混同したとと言われてもシックリ来ないのです。

 それで、2つの記事を探しました。91年12月10日の記事はは見つかりませんでしたが、92年1月11日の方は見つかりました。92年1月11日の方は用語解説として下記の通り掲載されていました。
*** 92年1月11日の用語解説 ***
多くは朝鮮人女性
従軍慰安婦
1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる。
************************************

 女子挺身隊と慰安婦が異なるということは、戦後生まれで戦時中に詳しくなくとも学校教育やドラマなどを通して自然に理解するものでしょう。今までTVや本、映画など、戦争を扱ったものを多く見てきましたが、女子挺身隊が慰安婦をしていたというものを見た記憶はありません。戦後からかなり経った世代でもこの様な感じなのですから、高齢になるほど女子挺身隊と慰安婦を同一視することはないでしょう。それに、戦争を忘れるなといつも声高に言っていた朝日新聞の社員なら尚更同一視したとは思えません。
 これを踏まえて、上記の用語解説を読み直すと、これを書いた記者は「本土(日本)では、女子挺身隊は工場等で勤労奉仕させられていたが、実は、朝鮮では、徴収された女子挺身隊は工場に行かされずに慰安所に連れて行かれたのだ。日本では知られていなかったが、朝鮮ではそういう実態があった。」と考えていたのではないでしょうか。
 この用語解説が間違っていたとするなら、「朝鮮でも女子挺身隊が慰安婦にされることは無かった」と明確に書くべきでしょう。朝日新聞は、明確に否定することを避けたいために「混同」という言葉を使い、誤魔化したのではないかと感じます。

 朝日新聞は間違った原因を、参考にした文献(朝鮮を知る事典)が間違っていたからだと言っています。また、「朝鮮を知る事典」は「従軍慰安婦」という著書を参考にしたそうです。つまり、朝日新聞は根本になった「従軍慰安婦」も間違っていたと判断したのでしょう。だったら、「従軍慰安婦」が何故間違いなのか示してしかるべきではないでしょうか。朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかったとするだけで済ませるべきではないと思います。

 それはそうと、「従軍慰安婦」→「朝鮮を知る事典」→「用語解説」の順に引用されたようです。そこで、それぞれを比較してみます。
●「従軍慰安婦」
“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている
●「朝鮮を知る事典」
43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた
●「用語解説」
主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる

 「従軍慰安婦」と「朝鮮を知る事典」は、挺身隊の数が約20万で、その内の慰安婦数は5万~7万人としています。ところが、「用語解説」では、(文全体から判断して)挺身隊全員が慰安婦にされたとし、慰安婦数は8万または20万としています。
 朝日新聞は「朝鮮を知る事典」を参考にしたと言うけれど、内容が大きく変わっています。挺身隊の一部が慰安婦になったとされていたものが全員となり、最大慰安婦数は7万人だったものが20万人となっています。それに「8万」という数字は何処から出てきたのでしょうか。これでは、参考にした文献が間違っていたからとは到底言えないでしょう。
 それにもう一つ。「朝鮮を知る事典」は女子挺身隊を労務動員と書き、慰安婦に廻されたのは一部だとして、女子挺身隊と慰安婦を特に混同しているとは思えません。これを参考にしたというなら、混同したとは尚の事いえないと思います。


・・・続く。

/////////////////////////////////
慰安婦決議で新聞「猛反発」 朝日社説だけが「孤立」
http://www.j-cast.com/2007/08/01009899.html
慰安婦の虚偽報道めぐり朝日社長が謝罪を拒否「歴史的事実を変えることはできない」
http://news.livedoor.com/article/detail/9134890/
教科書誤報事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E8%AA%A4%E5%A0%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
女子挺身隊
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E6%8C%BA%E8%BA%AB%E9%9A%8A
「挺身隊の名で連行」も誤り 朝日、慰安婦報道検証
http://gohoo.org/alerts/140806/

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朝日新聞の慰安婦報道検証特集について考える【2】

 前回のエントリー「朝日新聞の慰安婦報道検証特集について考える【1】」では特集についての要約を載せました。従軍慰安婦について詳しい訳ではありませんが、特集に対して思ったことを書きます。


◆検証報道なの?
 特集は、過去にこんな内容を報道したとしながらも、当時の記事を載せていません。例えば、河野談話の翌日、読売、毎日、産経の各紙は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出しで報じ「強制連行」を使わなかったとしていますが、その記事を載せていません。だから、これが本当なのか、簡単には分かりません。縮小版に当たるか、各紙の検索サービスを利用するれば確認できるでしょうが、一般人にはハードルが高いでしょう。信頼性に疑義を持たれたくないなら、資料として当時の記事を掲載すべきです。他紙の記事の引用が難しいなら、自社の記事くらいは載せるべきでしょう。それをしないのは、特集での見解が疑わしいからでしょうか。
 普通、大きな組織の場合、自社の不祥事などに対する検証は第三者委員会を立ち上げて行われます。曲がりなりにも客観性を確保しなければ、社外の納得を得られないからです。労働環境を問題にされたすき家、STAP細胞論文問題で物議を醸した理研、顧客情報漏洩事件を起こしたベネッセ等など、多くの企業が第三者委員会を設立しています。
 特集では、最後に3人の学者を登場させていますが、2人は慰安婦問題に関する自分の意見を述べるのが主でした。これでは、検証の妥当性を示したとは到底言えません。自社の組織で検証することを否定しませんが、朝日新聞はこの件について第三者委員会を立ち上げる考えはないのでしょうか。もしないのなら、石破茂幹事長が国会による報道の検証の必要性に言及しているのですから、朝日新聞が自ら進んで国会にお願いしたらいかがでしょう。
 そもそも、この特集は検証と言えるのでしょうか。「朝日新聞が慰安婦報道を検証」などとニュースで流されていたため、検証報道なのだと思っていましたが、改めて読み返してみると、「慰安婦問題の報道を振り返り」「これまでの報道を点検しました」とありますが、「報道を検証」とはありません。周囲が検証報道と騒いでいるだけで、朝日新聞は検証するつもりなどなく、振り返ってみただけだったのかもしれません。


◆何故、今、慰安婦問題の特集をしたのでしょうか
 文中に「安倍政権は河野談話の作成過程を検証し、報告書を6月に発表しました。一部の論壇やネット上には、『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判が起きています。しかも、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態になっています。読者の皆様からは『本当か』『なぜ反論しない』と問い合わせが寄せられるようになりました。」とあります。河野談話の検証内容が朝日新聞にとって不都合だったため、朝日新聞が尚更追い詰められていたようです。だから、朝日新聞は慰安婦問題の特集をしたのでしょうか。
 朝日新聞はこの特集のために、今年の4~5月の間、吉田氏証言の裏付けのために済州島内で聞き取り調査をしたとも書いています。つまり、談話の検証報告書が発表される前に、朝日新聞は特集の準備を始めていました。検証報告が発表されたために、始めた訳ではないようです。かといって、河野談話の検証の動きが何の影響も与えなかったとも思いません。菅官房長官は2月28日に「検証チーム」を政府内に設置すると明言し、検証チームの初会合は4月25日に開催されました。河野談話の検証が避けられないと分かり、何らかの対策をしなければならないと、朝日新聞は考えたのではないでしょうか。それが動機の一つだったように思います。
 次に、2013年後期における朝刊販売数の対前期比を見るとこうなっていました。
読売新聞 -0.08%
朝日新聞 -0.91%
毎日新聞 -1.35%
日経新聞 -3.69%
産経新聞 +0.33%
 部数を伸ばしたのは、慰安婦問題の批判を繰り返していた産経新聞のみで、親中親韓傾向の新聞が落ち込んでいます。
 数年前は韓流ブームと騒いでいましたが、今はすっかり鳴りを潜めました。逆に嫌韓が広まっています。朝日新聞は今年2月、「『嫌中憎韓』が出版界のトレンドになりつつある」という記事を書き、批判しながらも、世の中は「嫌中憎韓」の流れになっているのを認めていました。人々が左翼離れを起こし、朝日新聞も無視出来ないほどになっているのではないでしょうか。それで、朝日新聞は、頬被りを続けていてはジリ貧になると判断したのだと思います。これが二つ目の動機だと思います。
 三つ目として、今年3月、従軍慰安婦問題の火付け役となった植村隆記者が朝日新聞を退職したことが影響したのではないでしょうか。植村元記者は、4月から神戸松蔭女子学院大学で教授となる筈でしたが、大学側から雇用契約を解消され、今は札幌の北星学園大学の非常勤講師をしているようです。植村元記者が組織の一員でなければ、彼の記事を否定しても処分ということにならず、社内の軋轢は小さくて済むでしょう。それに、社外から本人に直接釈明させろと迫られても、既に社員でないからと断ることも出来き、好都合です。
 色々な理由が重なり合って、慰安婦問題の特集は出されたように思います。


◆強制連行について
 特集の中で、強制連行について「もともと『朝鮮人強制連行』は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。」と説明しています。この様な書き方をされると、戦時中から「強制連行」という言葉が使われていたように思わされ兼ねませんが、当時は「徴用」「労務動員」と言っていたのですから、それを「強制連行」と言っていたとは思えません。「徴用」を「強制連行」と言い換えていたことを示す資料でもあるのでしょうか。「研究者が強制連行と呼び」と書いているのですから、朝日新聞も言い換えられたのは、60年代と認識しているのでしょう。それにしても、朝日新聞は「徴用」という言葉を使いたくないようです。
 ここで示されている在日朝鮮人の研究者は、朴慶植のことです。1929年に両親に連れられて6歳で来日し、日本大学卒業後、国民学校助教を務め、戦後は朝鮮中高級学校、朝鮮大学校の教員を務めていました。1965年に刊行された「朝鮮人強制連行の記録」という著書によって「強制連行」という言葉が広まったとされています。
 もし、この著書で「朝鮮人強制連行」という造語を使わず、「徴用」という言葉を使っていたなら注目されることはなかったでしょう。「朝鮮人強制連行」を使ったことによって、「在日朝鮮人は強制連行の被害者」という言説が広がりました。そして当時は、日本人と同様な義務が課せられたということでも、朝鮮人だけが酷い目にあったという雰囲気が拡散したようです。この様な背景が、慰安婦問題を生み出す一因だったような気がします。

 閑話休題。特集は、慰安婦の募集方法に対する報道の変遷について、「朝日新聞は1991~92年の間、強制連行と報じていた」、「93年の挺対協の証言集は、多くが業者による誘拐だったとしたが、自由を奪われて性行為を強いられていたと書いた」、「河野談話は軍による強制連行を認めていなかったが、自由意思を奪われた強制性を問題とした」、「河野談話の報道では、他紙は強制連行と報道したが、朝日新聞は強制連行を使わなかった」、「朝日新聞は93年以降、強制連行という言葉をなるべく使わないようにした」、「97年の慰安婦問題特集では、朝鮮や台湾について軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていないと書き、本人の意思に反した場合を強制とした」との様なことを書いています。これらからすると、最初の頃こそ、朝日新聞は強制連行を問題としていましたが、韓国の挺対協が93年に慰安婦の証言集を発行した後は、河野談話と同様に軍の意思による強制連行を問題にせず、本人の意思に反した場合を問題視していたと、言いたげなようです。93年の時点で慰安婦強制連行説を捨て去り、慰安婦問題の本質は本人の意思に反した強制性にあるということに目を向けていたという理屈なのでしょう。河野談話以降、「強制連行」を全く使っていないというならまだしも、「なるべく使わないようにしてきた」ということは唯の主観でしかなく、実際は使っていたということですから、通らない理屈です。
 また、河野談話の報道について、読売、毎日、産経の各紙は「強制連行」を認めたと報じているのに、朝日新聞が「強制連行」を使わなかったと強調しています。他紙は朝日新聞よりも悪いと暗に言いたいのでしょう。だけど、河野官房長官は談話発表後の記者会見で、強制連行の事実があったという認識でよろしいかと質問され、「そういう事実があったと。結構です」と明快に答えていました。強制連行を認めたと報じても間違いとは言えません。大事なのは記事の内容でしょう。朝日新聞は社説などでどの様な主張を展開してきたのでしょうか。

 朝日新聞は慰安婦問題を「強制連行」から「本人の意に反した強制性」にすり替えました。だけど、強制連行説を完全に捨てた訳でもないようです。朝鮮や台湾については就労詐欺や人身売買などで集められたことが多かったとしながらも、「インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。」と結論付けています。
 たぶん、「白馬事件」のことを指しているのでしょう。白馬事件(スマラン事件)は、インドネシアで起きた監禁・強姦事件です。1944年2月、日本軍の下士官達が、オランダ人女性35人を抑留所からスマランにあった慰安所に連行し、慰安婦にします。しかし、オランダ人の親が抑留所視察に来た小田島董大佐に訴えたことにより発覚、1944年4月末に慰安所は軍司令部によって閉鎖されました。事件を起こした下士官達が日本軍の軍規違反で裁かれたか分かりませんが、1948年にバタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として訴追(罪名は強制連行、強制売春、強姦)され、慰安婦にされた35人中25人が強制だったと認定されて、11人(軍人および慰安所を経営していた日本人業者等)が有罪とされました。唯一人死刑となった岡田慶治少佐は希望者だけだったと無罪を主張したようですが、軍司令部が慰安所を閉鎖していますから、強制連行があったと推定されます。
 日本軍の監督責任は問われて然るべきでしょう。ですが、日本軍自ら慰安所を閉鎖しているのですから、軍の命令で行われたのではないのは明らかで、軍人による個人犯罪です。朝日新聞は「軍が~確認されています。」と書いていますが、正確には「軍人」とすべきなのです。
 戦後は、「日本軍=悪」というイメージが拡散され、「軍人の犯行=軍の犯行」と短絡し混同される傾向にありました。軍という組織と軍人という個人の区別を曖昧にし、国家犯罪のように吹聴されました。
 在日米軍の軍人が時たまレイプ事件を起こしますが、米軍の命令(意思)で犯罪が行われているとは誰も考えません。朝日新聞社員も過去に様々な犯罪を犯していますが、朝日新聞社の犯罪と報道したことはないでしょう。問題は犯行の主体なのです。まず、それをハッキリさせることが先決で、重要でしょう。


◆吉田証言について
 特集は、朝日新聞が吉田証言を初めて取り上げたのは82年で、97年の慰安婦問題特集以降は取り上げていないとし、この間16回記事にしたとしています。真偽を確認しないまま講演内容を初掲載し、「真偽は確認できない」と掲載中止したことは分かりますが、その間どの様な報道をしていたのか分かりません。本来なら、それを明らかにすべきでしょう。
 1992年4月に、歴史学者の秦郁彦氏が済州島での現地調査の結果を公表した後、吉田証言を虚偽と疑う報道がされ始めました。これを受け、朝日新聞は吉田清治氏に裏付け取材をしたものの拒否されたようです。朝日新聞はこの時、吉田証言の裏付けが取れないことを記事にしたのでしょうか。1992年5月24日の朝刊で、吉田氏が韓国へ謝罪の旅に出る予定と紹介していますが、証言に疑いを持つようなことは書かれていません。97年の慰安婦問題特集以前に、吉田証言の信用性を疑問視する記事を書いていたとするなら、特集で明記されている筈です。しかし、その様な記述はありません。朝日新聞が吉田証言の信憑性に疑問符を付けたのは、97年が初めてということなのでしょう。

 吉田証言を最初に虚偽と報道したのは韓国の新聞でした。現地新聞の許栄善記者が現地調査し、済州島での「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田証言は虚偽であると1989年8月14日の紙面で報じました。この記事には、郷土史家である金奉玉の「1983年に日本語版が出てから何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」との主張も掲載されています。しかし、この記事は埋もれ、広く知られる事になったのは、秦氏が1992年に現地の図書館でこの記事を発見し、日本に紹介したからでした。
 前述のように秦氏も現地調査をし、同様の結果を得ています。秦氏は産経新聞で調査結果を公表した他、1993年に文藝春秋で「昭和史の謎を追う」との論文を掲載し、第41回(1993年)の菊池寛賞を受賞しています。1992年以降、吉田証言の信憑性を疑う主張が段々多くなり、1996年には、吉田氏のインタビューをした週刊新潮(5月2・9日号)が「本に真実を書いても何の利益もない。 事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」との発言を掲載しました。吉田氏自身が著書に創作が含まれていることを認めたのです。
 この様な状況で、朝日新聞は吉田氏に虚偽報道のことを問いただしたのですが「体験をそのまま書いた」と答えられ、済州島の取材でも裏付けは得られなかったにも拘らず、97年の慰安婦問題特集は「証言が虚偽だという確証がなかった」と判断し、「真偽は確認できない」と書くに止めていました。

 今回、朝日新聞は吉田証言を虚偽と判断し、記事を取り消しました。理由は、済州島を再取材しても裏付けが取れず、研究者への取材で証言の矛盾が明らかになったからだそうです。朝日新聞は97年に済州島を取材していますし、研究者の指摘は90年代に明らかになっていました。この程度の理由で虚偽と判断するなら、90年代にそう判断すべきだったでしょう。
 吉田証言を取り消す機会はいくらでもありました。しかし、朝日新聞は見たくない過去から目をそらし、頬被りを決め込んだのです。


・・・続く。

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売れるから「嫌中憎韓」 書店に専用棚 週刊誌、何度も
http://book.asahi.com/booknews/update/2014021700003.html
産経以外の前半期比マイナス続く、日経は4%近い下げ率記録…新聞の発行部数などをグラフ化してみる(2013年後半期・半期分版)
http://www.garbagenews.net/archives/2141038.html
慰安婦火付け役 朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4261
日本を貶め続ける「河野談話」という悪霊
http://www.ianfu.net/opinion/sakurai-yoshiko.html
白馬事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
吉田清治 (文筆家)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)#1990.E5.B9.B4.E4.BB.A3.E3.81.AE.E6.B4.BB.E5.8B.95
慰安婦にまつわる年表
http://www.ianfu.net/history/history.html

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朝日新聞の慰安婦報道検証特集について考える【1】

 朝日新聞は、8月5日と6日に過去の慰安婦問題についての自社報道を検証する特集を組みました。反響は大きく、ネット上で騒ぎになったばかりか、他紙も朝日の特集に反応をみせています。
 朝日新聞のサイトにも掲載された特集(http://www.asahi.com/topics/ianfumondaiwokangaeru/)を確認すると、編集担当は杉浦信之氏で、構成は以下の通りになっていました。★と◆印は、分かりやすくするために、筆者が付け加えたものです。

★★慰安婦問題を考える
◆慰安婦問題の本質 直視を
★★慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます
◆慰安婦問題とは
◆強制連行 自由を奪われた強制性あった
◆「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
◆「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
◆「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
◆「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
◆他紙の報道は
★★日韓関係なぜこじれたか
◆河野談話 韓国政府も内容評価
◆アジア女性基金に市民団体反発
◆韓国憲法裁決定で再び懸案に
★★米国からの視線
◆女性への暴力、国際社会は注視 キャロル・グラックさん
◆「忘れない」と言い続けよう マイク・モチヅキさん
★★慰安婦問題特集 3氏に聞く
◆秦郁彦さん 現代史家
◆吉見義明さん 中央大教授
◆小熊英二さん 慶応大教授

 掲載された記事は長文であるため、それぞれ項目について要点をまとめて箇条書きにします。ただし、「〈疑問〉」と「■読者のみなさまへ」の部分は手を加えない方が良いと思い、そのまま引用しました。

*** 5日掲載分 ***
★★ 慰安婦問題を考える ★★
◆慰安婦問題の本質 直視を
●日韓関係を悪化させている原因の一つが慰安婦問題であり、韓国側は「河野談話」の見直しに反発し、日本政府の反省やおわびの気持ちを受け入れようとしない。
●慰安婦問題が政治問題化する中、安倍政権が河野談話の作成過程を検証したことにより、一部の論壇やネット上で「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ」といういわれなき批判が起き、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷されている。読者からは「本当か」「なぜ反論しない」との問い合わせもある。
●説明責任を果し、未来に向けた新たな議論を始める一歩とするため、97年3月の慰安婦問題特集後の研究の成果も踏まえて論点を整理し、慰安婦問題の報道を振り返り、紙面で特集する。
●90年代初め、慰安婦問題の研究は進んでおらず、元慰安婦の証言や少ない資料をもとに記事を書き続けたが、記事の一部には事実関係の誤りもあった。全体像がわからない段階で起きた誤りで、裏付け取材が不十分だった点は反省する。当時、同様の誤りは国内や韓国のメディアにもあった。
●不正確な報道が慰安婦問題の理解を混乱させていると指摘されるが、それを理由として「慰安婦問題は捏造」という主張や「元慰安婦に謝る理由はない」といった議論には決して同意しない。なぜなら、被害者を「売春婦」とすることで自国の名誉を守ろうとする論調が、日韓のナショナリズムを刺激し、問題をこじらせる原因になっているから。
●見たくない過去から目を背け、感情的対立をあおる内向きの言論が広がっていることを危惧する。
●戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実は消せない。慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質。
●ボスニア紛争における民兵の強姦事件が国際社会の注目を集めた。今日、戦時下の性暴力は、国際的に女性の人権問題という文脈で語られ、慰安婦問題もこの様なテーマにつながっている。
●元慰安婦に償い金を渡す際、歴代首相は「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております」と書いた手紙も渡し、和解へ向けて努力する政治の意思を示した。
●東アジアの安全保障環境は不安定さを増し、隣国との安定した関係を築くには、慰安婦問題は避けて通れない課題。我々はこれからも変わらぬ姿勢でこの問題を報じ続ける。


★★慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます
●朝日新聞の慰安婦報道に対する疑問に答えるため、これまでの報道を点検し、報告する。

◆慰安婦問題とは
Q 慰安婦とは何か。
A 戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。
Q どんな人々が慰安婦にされたのか。
A 日本本土の日本人のほか、植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い、各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。政府は38年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である21歳以上の者」を対象とするよう通達。21歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。政府が25年に条約を批准した際には、植民地を適用除外としたため、植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮では17歳、台湾では14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。
Q 何人くらいいたのか。
A 総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。研究者や時代により大きく異なり、2万~20万人の数字が出されている。
Q 慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか。
A 32年の上海事変で日本兵の中国人女性強姦事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐためとして九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓延や機密漏洩の防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。
Q どのようにして集められたのか。
A 多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」とだまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。日本軍が直接暴力的に連行したとの記録もある。フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。
Q 慰安婦の暮らしは?
A 兵士は代金を払っていたが、どの様な経路で慰安婦に渡されていたかははっきりしない。戦況や場所により処遇にばらつきもあったことが推定される。
Q 慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は。
A 戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で慰安婦についてレポート、73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。
Q 日韓間の問題として認識されたいきさつは。
A 90年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞で「挺身隊『怨念の足跡』取材記」と題し、慰安婦問題を連載。5月の盧泰愚大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。

◆強制連行 自由を奪われた強制性あった
〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。
●1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の証言を強制連行の事例とし、92年1月の社説でも使っていた。当時は専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。
●もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、労働者として動員したことを指していた。60年代に在日朝鮮人の研究者(朴慶植)が強制連行と呼び、メディアにも広がった。強制連行は使う人によって定義に幅があり、慰安婦の強制連行の定義は、研究者の間で「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」と「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという見解が対立している。
●朝鮮半島での慰安婦募集過程は、証言を通して次第に明らかになった。91年、元慰安婦が名乗り出た。93年2月、韓国挺身隊問題対策協議会が元慰安婦約40人の内、信憑性の高い19人の証言集を刊行、「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐としたが、慰安婦たちは、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。
●93年8月に発表された河野談話は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認め、政府が行った調査では、朝鮮半島において軍の意思で組織的に有形力の行使(狭い意味の強制連行)は確認されなかったとし、「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。談話に先立ち、政府が7月に元慰安婦たちに聞き取り調査をしているが、今年に行われた河野談話作成過程の検証で、裏付け調査が行わなわれていなかったことが指摘された。
●河野談話の発表を受け、読売、毎日、産経の各紙は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は翌日の朝刊1面での見出しで記事を報じた。朝日新聞は見出しに「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」と書いたものの「強制連行」を使わなかった。当時の官房長官担当記者は、「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」と語る。
●93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにした。
●97年3月31日、慰安婦問題を特集した。朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていないとし、売春業者により就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたとした一方で、連合軍の戦犯裁判などの資料には、インドネシアや中国などで、兵士が現地女性を無理やり連行して慰安婦にしたことを示す供述があると書き、インドネシアで現地オランダ人も慰安婦にされたとした。この特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた。
●現在まで、歴代の政権は河野談話を引き継いでいる。他方で、一部の政治家などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張をしている。慰安婦募集過程については研究を続ける必要があるが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。
■読者のみなさまへ
 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。

◆「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。
●男性は、山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた吉田清治氏。確認できただけで、朝日新聞は吉田氏について16回、記事にしている。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面で、講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した記者は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。
●90年代初め、他の新聞社も吉田氏を取り上げていた。
●92年4月30日、産経新聞が秦郁彦氏の済州島調査を元に証言を疑問視し、週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。産経新聞の報道直後、東京社会部記者が吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれた。
●97年の特集記事のための取材で、東京社会部記者が吉田氏に面会を求めるも拒否されるが、吉田氏は電話取材に「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島の取材で裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていないものの、安倍晋三自民党総裁が2012年11月に「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言し、一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。
●今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に聞き取り調査をしたが、強制連行したという吉田氏証言のを裏付けは得られなかった。吉田氏証言に、干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとあるが、村には魚を扱う工場が一つだけで、経営者の地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。吉田氏証言では、工場の屋根は「かやぶき」だったが、当時の映像資料から「トタンぶきとかわらぶき」だったことが分かった。
●韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑さんは93年6月に済州島を調査しているが、吉田氏の著書について「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語っている。
●吉田氏は、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると著書に書いていたが、今回、吉田氏の長男に取材したら、妻は日記をつけていなかったことが判明。吉田氏は00年7月に死去した。
●93年5月、吉田氏は面会した吉見義明・中央大教授らに「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明、動員命令書を写した日記の提示を拒んだ。吉見教授「証言としては使えないと確認するしかなかった」と判断した。
●外村大・東京大准教授は、労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織であり、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話している。
●吉田氏は、強制連行したとする43年5月当時、「陸軍部隊本部」が済州島に「軍政を敷いていた」と説明していたが、永井和・京都大教授は旧陸軍の資料を基にし、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘、「記述内容は事実とは考えられない」と話している。
■読者のみなさまへ
 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

◆「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
〈疑問〉朝日新聞が1992年1月11日朝刊1面で報じた「慰安所 軍関与示す資料」の記事について、慰安婦問題を政治問題化するために、宮沢喜一首相が訪韓する直前のタイミングを狙った「意図的な報道」などという指摘があります。
●慰安婦問題で、政府は関与を認めていなかったが、朝日新聞の報道後、加藤紘一官房長官は「かつての日本の軍が関係していたことは否定できない」と表明し、1月16日に訪韓した宮沢首相は、盧泰愚大統領との首脳会談で「反省、謝罪という言葉を8回使った」(韓国側発表)とされている。
●1992年1月11日の記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書の中に、旧日本軍が戦時中、慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことや、現地の部隊が慰安所を設置するよう命じたことを示す文書があったというもので、掲載の経緯は次の通り。91年12月下旬、吉見義明・中央大教授が防衛研究所図書館で文書を確認、社会部記者が連絡を受けるも取材不足を理由に記事せず。92年1月6日、吉見教授が同図書館で別の文書も発見。知らせを受けた記者が、7日に同図書館で文書を直接確認し、関係者らに取材した後、11日に掲載した。
●河野談話の作成過程検証報告書によると、91年12月以降、韓国側が政府に対して訪韓前に慰安婦問題の事前措置を講じることを希望し、それにより、関係省庁が調査を始め、92年1月7日に軍関与を示す文書の存在を政府に報告している。
●現代史家の秦郁彦氏は、この報道が訪韓直前を狙った「不意打ち」と指摘、一部新聞は、この報道が発端となり日韓間の外交問題に発展したと報じている。しかし、記事は、記者が詳細な情報を入手後、関連取材してすぐに掲載されている。この間、5日間。しかも、政府は報道以前に文書の存在を把握しており、対応を始めていた。
●記事で紹介した文書に、陸軍省副官名で38年に派遣軍に出された通達があった。内容は、日本国内で慰安婦を募集する際、業者が「軍部の了解がある」と言って軍の威信を傷つけ、警察に取り調べを受けたなどとして、業者を選ぶ際に、憲兵や警察と連絡を密にして軍の威信を守るよう求めていたもの。
●この通達について、西岡力・東京基督教大教授は「業者に違法行為をやめさせようとしたもの。関与は関与でも『善意の関与』」との解釈をしている。一方で、永井和・京都大教授は「善意の関与」を否定している。永井教授は、同時期に内務省が警保局長名で出した文書(慰安婦の募集や渡航を認めたうえで、「軍の了解があるかのように言う者は厳重に取り締まること」という内容)を、業者が軍との関係を口外しないよう取り締まることを警察に求めたものと理解し、この通達を「警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、軍司令部に周知徹底させる指示文書」としている。
●92年1月11日の記事では、短文の用語説明で、慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と記述した。「挺身隊」と「慰安婦」の混同と慰安婦数についても批判があるが、別途説明する。
■読者のみなさまへ
 記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていました。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。

◆「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
〈疑問〉朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身(ていしん)隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。
●「女子挺身隊」とは、44年8月の「女子挺身勤労令」(国家総動員法に基づく制度)で組織された「女子勤労挺身隊」を指すが、それ以前でも学校や地域で組織されていた。朝鮮では、国民学校や高等女学校の生徒らが終戦までに多く見積もって約4千人が内地の軍需工場などに動員されたともされるが、目的は労働力の利用であり、慰安婦とは別。
●91年当時、朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10日朝刊)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。
●混同した原因は、当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかったため。記者は「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)を参考文献の一つとしていたが、慰安婦を「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」と説明していた。執筆者の宮田節子(朝鮮近代史研究者)さんは、千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」にある「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」から引用していた。朝鮮総督府の資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという「荒唐無稽なる流言」が拡散しているとの記述があり、46年の朝鮮での新聞にも混同した記事がある。挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、朝鮮では戦時期から両者を同一視していたとの見方もある。元慰安婦の支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」と名乗っているのは、その残滓との指摘もある。
●宮沢首相の訪韓直前に、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の朝鮮人少女が挺身隊に動員されたことを示す学籍簿が見つかったとする記事を配信し、「日本は小学生までを慰安婦にした」と誤解を生み、対日感情が悪化した。
●朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた。当時のソウル支局長(72)は「挺身隊として日本の軍需工場で働いた女性たちが『日本軍の性的慰みものになった』と誤解の目で見られて苦しんでいる実態が、市民団体の聞き取りで明らかになったという事情もあった」と話す。
■読者のみなさまへ
 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

◆「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
〈疑問〉元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。
●植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張し、匿名を条件に取材。91年8月11日の社会面に「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事を書き、元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテープを10日に聞いたと報じた。14日には、北海道新聞のソウル特派員が元慰安婦と単独会見をし、証言者は金学順さんと報じ、15日に韓国主要紙も報じた。
●批判の主な論点は、2点。
①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった。
②元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いた。
●植村氏によると、植村氏は記事掲載の約半年前の「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任氏の娘と結婚しているが、元慰安婦の支援団体が挺対協であり、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体。両者は別の組織。植村氏は取材の経緯について「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話している。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。
●植村氏は前年の夏、元慰安婦から証言を得るために韓国取材をしたが、失敗している。取材の詳細は月刊誌「MILE(ミレ)」(91年11月号)に書いてある。この時期には、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。
●8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したため、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いたとの批判がある。慰安婦と挺身隊を混同したことついては、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。金学順さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明している。
●金学順さんは91年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は12月25日の記事で、キーセンには触れずに、金学順さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えた。植村氏は「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」と言っていて、「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明する。植村氏以外の記者も金学順さんを取り上げて記事にしているが、キーセンの記述は出ていない。
■読者のみなさまへ
 植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

◆他紙の報道は
●1980年代後半以降、読売新聞、毎日新聞、産経新聞が、次の3点「吉田清治氏をどう報じたか」「『慰安婦』と『女子挺身隊』を混同したか」「慰安婦問題を報じる際、『強制連行』という言葉を使ったか」についてどう報じてきたのか調べた。
●吉田氏に対する報道ついて。
 産経新聞は、「最大の人権侵害である戦争を、『証言者たち』とともに考え、問い直す」ということをテーマにした「人権考」と題する連載で、1993年に吉田氏を大きく取り上げている。9月1日の紙面で、「加害 終わらぬ謝罪行脚」との見出しを付け、吉田氏が金学順さんに謝罪している写真を掲載し、「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じた。この連載は、「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」を受賞し、94年に書籍化されている。
 読売新聞は、92年8月15日に「慰安婦問題がテーマ 『戦争犠牲者』考える集会」との見出しの記事で吉田氏を取り上げている。「山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん」が、「『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」などと伝えている。
 毎日新聞は、92年8月12日と13日に吉田氏が謝罪のために訪韓した様子を報じている。
●「慰安婦」と「挺身隊」の混同について。
 読売新聞は、91年8月26日の「『従軍慰安婦』に光を 日韓両国で運動活発に 資料集作成やシンポも」との記事中で、「太平洋戦争中、朝鮮人女性が『女子挺身隊』の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。その数は二十万人ともいわれているが、実態は明らかではない」と記載し、92年1月16日の記事でも「戦時中、『挺身隊』の名目で強制連行された朝鮮人の従軍慰安婦は十万とも二十万人ともいわれる」と記述し、混同している。
 毎日新聞は、91年12月13日の「ひと」欄で金学順さんを取り上げ、「十四歳以上の女性が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい、終戦後、戦場に置き去りにされた」と報じている。
●ここで取り上げた記事について各社に現時点での認識を尋ね、次の回答があった。
〈読売新聞社〉回答せず。
〈毎日新聞社社長室広報担当の話〉いずれの記事も、その時点で起きた出来事を報道したものであり、現時点でコメントすることはありません。
〈産経新聞社広報部の話〉当該記事では、吉田清治氏の証言と行動を紹介するとともに、その信ぴょう性に疑問の声があることを指摘しました。その後、取材や学者の調査を受け、証言は「虚構」「作り話」であると報じています。



*** 6日掲載分 ***
★★日韓関係なぜこじれたか
●慰安婦問題はどのようにして政治・外交問題へと発展していったのか。

◆河野談話 韓国政府も内容評価
●1990年6月、参院予算委員会において、労働省の清水傳雄職業安定局長が慰安婦について「民間業者が軍とともに連れて歩いている状況のようで、実態を調査することはできかねる」と答弁した。これが切っ掛けになり、韓国世論が反発、日本の国会で議論されるようになった。
●91年12月、元慰安婦が日本政府を提訴したため、内閣外政審議室が資料の調査を開始。河野談話の作成過程検証報告書によると、当時、韓国が謝罪を打診し、日本は「できれば首相が日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意を表明するのが適当」と検討するも、対外的に示さなかった。
●92年1月11日、朝日新聞が旧日本軍の通達を基に「国が関与していた」と報じる。同通達は、7日に政府も確認しており、11日には加藤紘一官房長官と石原信雄官房副長官が協議。石原氏は「ざっくり謝っておきましょう」と提案し、加藤氏も同意、11日夜に日本軍の関与を初めて認める。朝日新聞の取材には「当時の軍の関与は否定できない」と明かし、17日の日韓首脳会談で宮沢首相が公式謝罪した。
●92年7月6日、政府が前年12月から進めていた調査結果を発表。加藤氏が「慰安所の設置、募集に当たる者の取り締まり、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、衛生管理、身分証明書等の発給で政府の関与があった」と述べたが、韓国政府は「募集時の強制性を含め引き続き真相究明を行うことを求める。証言等で明らかな強制連行が調査結果に含まれていないことへの韓国世論の動向が憂慮される」と表明。
●10月中旬、韓国は「『強制の有無は資料が見つからないから分からない』との説明は、韓国国民には真の努力がされていないと映る」と改めて表明。日本は「強制性の明確な認定をすることは困難だが、一部強制性の要素もあったことは否定できない」とする方針を同月下旬に決め、韓国に伝える。
●この年末、韓国が「慰安婦になったのが自分の意志でないことが認められるのが重要」と日本に求めていた。
●93年1月から、日本が軍や朝鮮総督府、慰安所経営の関係者にヒアリングを重ねるも、官憲による「人さらい的」ないわゆる「狭義の強制連行」を否定される。その後も朝鮮半島に関しての資料は見つからない。
●2月ごろ、外務省が「自らの意思に反した形で従軍慰安婦とされた事例があることは否定できない」との内部文書をまとめる。
●3月、谷野作太郎外政審議室長が参院予算委員会で「強制は単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させ本人の自由な意思に反した場合も広く含む」と答弁。「強制」を広くとらえる方向で検討が始まる。
●政府は強制性についての考えや慰安婦への謝罪を表明するため官房長官談話の作成を始め、韓国が求める元慰安婦への聞き取り調査も「事実究明より真摯な姿勢を示し、気持ちを深く理解する」ために実施を決める。
●談話は、日韓双方の主張を調整しながら「事実関係をゆがめない範囲」で進められたが、インドネシアで軍がオランダ人を強制的に慰安婦にしたことを示す軍事裁判資料も参考にされ、慰安婦募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」と記された。
●談話発表の前夜、「金泳三大統領は評価しており、韓国政府としては結構である」との趣旨が韓国から日本に伝えられる。
●8月4日、河野洋平官房長官が談話を発表。談話で、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。お詫びと反省の気持ちを申し上げる」と述べ、韓国外務省は「全体的な強制性を認めた。謝罪と反省とともに、歴史の教訓としていく意志の表明を評価する」との声明を発表した。

◆アジア女性基金に市民団体反発
●日韓の市民団体は元慰安婦に対する「国家賠償」を要求していたが、政府は65年の日韓請求権協定などで請求権に関する問題は解決済みとの立場。
●1994年10月、村山政権の与党3党(自民・社会・さきがけ)が、戦後50年問題プロジェクトチームの「従軍慰安婦問題等小委員会」で金銭的な支援を検討し始める。
●95年6月、五十嵐広三官房長官が「女性のためのアジア平和友好基金」(仮称)の設置を発表。基金の原資は募金で集め、政府も医療福祉事業費に資金を出す仕組みにした。韓国は「一部事業に対する政府予算の支援という公的性格は加味されている。誠意ある措置だ」と基金を評価した。
●95年7月、「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。日韓の支援組織などは「基金は国家賠償ではなく、日本政府の責任をあいまいにしている」と批判、韓国の市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は責任者の処罰も求めていて、理解を得られなかった。日本政府が「アジア女性基金は民間の事業」と説明していたことが責任回避と映り、韓国メディアが「償い金」を「慰労金」と訳したことも理解の妨げになった。
●96年初め、日本が排他的経済水域(EEZ)を設定の方針を決めると、竹島領有権問題が再燃し、日韓関係が急速に悪化。反日運動が盛り上がり、韓国政府は慰安婦問題でも市民団体の声に配慮せざるを得なくなった。「金泳三大統領は真相究明を強調するばかりで、償い金の受け取りを認めなくなった」と当時の対日担当者は証言する。
●97年1月、受取を希望していた元慰安婦に初めて償い金と医療福祉事業費が支給された。これが公表されると、受け取った7人の氏名が公表され、「カネに目がくらんで心を売った」「罪を認めない同情金を受け取れば、被害者は公娼になる」との強い非難が韓国社会に巻き起こった。韓国外務省は「我が政府と大部分の被害者の要求を無視して支給を強行したことは遺憾だ」とのコメントし、柳宗夏外相は日韓外相会談で支給手続きの中断を求めた。
●挺対協などがアジア女性基金に対抗して独自の募金活動を開始。
●98年5月、韓国政府はアジア女性基金を受け取る意思のない元慰安婦を対象に政府支援金3150万ウォン(約312万円)と民間募金418万ウォン(約41万円)の支払いを始めた。これで、基金の活動は一層難しくなった。
●2002年5月、アジア女性基金は韓国での事業を終了。
●〈アジア女性基金〉河野談話を受けて1995年7月に発足。首相によるおわびの手紙と国民の寄付から償い金200万円、国費から医療福祉支援事業として120万~300万円を元慰安婦に支給した。韓国では韓国政府認定の元慰安婦207人中(2002年時点)、61人を対象に実施。基金受け取りを公表すると韓国社会からバッシングを受けたり、韓国政府からの支給金を受け取れなかったりしたため、水面下で事業を進めた。台湾では13人、フィリピンは211人が対象。オランダでは79人が医療福祉事業費のみ受け取った。インドネシアは元慰安婦の認定が困難だとして、高齢者施設を整備した。

◆韓国憲法裁決定で再び懸案に
●慰安婦問題に関し、韓国政府は日本政府に「金銭要求はしない」という基本方針を長らく取っていた。
●金泳三政権(93年2月発足)は、韓国政府が元慰安婦を金銭的に支援する政策を打ち出し、日本に真相究明や青少年への学習指導などを求めた。
●金大中政権(98年2月発足)は、慰安婦問題を日韓の懸案課題に据えることを避け、外交問題にしなかった。
●盧武鉉政権(2003年2月発足)も基本的に金大中政権の路線を踏襲する。
●日韓会談文書情報公開請求訴訟で、韓国の裁判所が公開を命じる。
●2005年8月、韓国政府は日韓基本条約における韓国側文書を全面公開。同時に、サハリン残留韓国人、元慰安婦、在韓被爆者を、韓国側の財産権放棄を定めた日韓請求権協定の例外とすることを確認した。
●元慰安婦が日韓請求権協定の例外とされたことから、市民団体が韓国政府を相手取り、慰安婦問題について取り組み不足を問題とする訴訟を展開。
●11年8月、韓国憲法裁判所は、元慰安婦らへの個人補償が協定の例外にあたるのかどうかを、韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲と判断。ただ、韓国外交通商省は当初、請求権協定に基づき、解釈の違いを正す交渉を求めるにとどめた。当時の李明博大統領も、11年10月に訪韓した野田佳彦首相に対して慰安婦問題を提起しなかった。
●11年12月、慰安婦の支援団体によってソウルの日本大使館前に慰安婦像が建立され、日本国内の世論が悪化。直後の日韓首脳会談では、慰安婦問題で応酬する事態に発展した。
●12年3月、佐々江賢一郎外務事務次官が訪韓し、駐韓日本大使が元慰安婦を慰問することや政府予算で元慰安婦への支援事業を展開することなど、これまでの対日要求の水準を上回る提案をしたが、韓国側は「元慰安婦や支援団体などが総意として受け入れる案が必要」として提案を拒否。
●同年7月、李大統領の指示でシンガクス駐日大使らが解決策を探るも、日本側が態度を硬化させて受け入れず。
●同年8月、李大統領が竹島に上陸。韓国政府高官が、上陸の原因は慰安婦問題での日本の「不誠実な対応」としたため、日本側は強く反発。日韓双方は水面下で特使を交換して解決を図ったが、前進せず。
●朴槿恵政権(13年2月発足)は、日韓首脳会談を拒否するも、水面下で、「佐々江提案」に加え、「安倍晋三首相が、自身の言葉で『村山談話と河野談話の継承』を表明する」及び「慰安婦に対する政府予算による支援で『人道支援』という言葉を使わない」ということを求める。金泳三政権時代からの「金銭要求はしない」とする方針が崩れた。
●13年12月の安倍首相による靖国神社参拝で交渉も途絶える。
●今年に入り、慰安婦問題を議題にした日韓外務省局長級協議が始まる。
●今年6月20日、日本政府の河野談話の検証結果が発表される。韓国政府は日韓の協議内容を勝手に編集したものだと受け止め、態度を硬化。韓国政府関係者は、韓国外交省の趙太庸第1次官が同月23日、別所浩郎・駐韓国大使に「日本政府の信頼性と国際的な評判が傷つくことになる」と批判したと話した。韓国政府は、慰安婦問題に関する白書を出版・公表する準備に入った。


★★米国からの視線
◆女性への暴力、国際社会は注視 キャロル・グラックさん
■米コロンビア大教授(日本近現代史)
●慰安婦は、1990年代から広く言及され、国際法の文献で第2次大戦中の性的犯罪の歴史的な実例として取り上げられるのは通常のことであり、慰安婦問題は女性の権利に関わる国際的問題となっている。
●ボスニア紛争の大量虐殺と集団レイプが国際刑事裁判所の設立に影響を与え、レイプや強制売春は人道に対する罪として国際法のもとで裁かれるようになった。
●慰安婦問題の拡大は、NGOや女性団体の国際的な活動が一因。80年代に韓国で始まった活動に日本の女性活動家が加わり、90年代にはアジア諸国や韓国系の米国人とカナダ人が声を上げた。90年代の米国では、慰安婦問題が「アイデンティティー・ポリティクス」となり、米国議会で日本政府に賠償と謝罪を求める決議が繰り返された。
●2011年に韓国憲法裁判所は、元慰安婦の個人補償について、韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲とした。これによって、韓国政府は日本政府に対してだけではなく国際社会にも慰安婦問題をアピールし、国連規約人権委員会は今年7月に日本政府に対し元慰安婦への謝罪と賠償、戦中の慰安婦制度の調査を勧告した。
●この25年で、慰安婦と女性の権利に関する世界の考え方が変わった。日本の政治家が「強制連行を裏付ける公文書は見つかっていない」といった発言を繰り返すと、世界中の反感を引き起こすことになる。

◆「忘れない」と言い続けよう マイク・モチヅキさん
■米ジョージ・ワシントン大教授(国際政治学)
●慰安婦問題は国際社会の関心事になっている。
●日本政府は慰安婦像を撤去させようとして事態を悪化させている。細かい反論があるかもしれないが、大きな視点で物事を見る必要がある。
●米国にも歴史問題がある。米国は日系人を強制収容したが、80年代に連邦議会が謝罪をし、日系人は大統領署名の謝罪文と小切手を受け取り、涙した。記憶を風化させないため、収容所は修復され、米国は同じ過ちを繰り返さない取り組みをしている。
●多くの日本人は「もう十分だ。未来志向で行こう」と言うが、それを言えるのは被害者であり、日本人は「私たちは忘れない。過ちを繰り返さない」と言い続けるべき。
●日本大使が、碑の前で河野談話を読み上げて、「戦後日本は、女性の権利、人権を推進する立場であり続けたし、これからもそうだ」と宣言するのも賢明なやり方だと思う。世界中のメディアを通して、前向きなメッセージを伝えられるだろう。過ちが繰り返されないよう、日本の若者には世界各地での女性の権利の擁護者になってほしい。


★★慰安婦問題特集 3氏に聞く
◆秦郁彦さん 現代史家
「強制連行の有無、検証あいまい」
●慰安婦問題の主要な争点は、「官憲による組織的、暴力的な強制連行の有無」と「慰安所における慰安婦たちの生活が『性奴隷』と呼べるほど悲惨なものだったか否か」の2点。
●遅いながらも、朝日新聞が過去の報道を自己検証したことを評価するが、今回の検証について自分なりに論点を取り上げる。
●1992年1月11日の朝日新聞の報道が、慰安婦問題の初期イメージを形成し、論調を制約した。誤認誤報が多かったが、他のメディアの追従もあり、河野官房長官の謝罪やアジア女性基金を創設を導いた。
●今回の検証では、挺身隊との混同は認めながらも総数と民族別内訳は不明とした。強制連行の有無については、虚言らしいと判明した93年以降は吉田証言の起用をやめて、強制連行という言葉も「なるべく使わないようにしてきた」と強調した。
●前回の検証(97年3月31日)では吉田証言について「真偽は確認できない」としたが、今回は「虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした」と改めた。強制連行を根拠づける唯一の証言である吉田証言を否定しながら、中国やインドネシアの戦犯裁判から命令違反や個人犯罪の例を持ち出したり、慰安所での「強制」や「軍の関与」を強調するなどし、「朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない」とあいまいに逃げている。
●前回の検証では、ビルマで米軍捕虜になった朝鮮人慰安婦たちの尋問報告に触れていない。ちなみに、尋問報告は、慰安婦が高収入で故郷へ送金もし、廃業帰国や接客拒否の自由もあったと明らかにしている。国際常識になろうとしている性奴隷説に朝日は追随しようとしているのか。2大争点を1勝1敗で切り抜けようとする戦略的配慮なのか。
●6月25日、元米軍用慰安婦122人が性奴隷とされたと韓国政府を提訴した。他にも、韓国軍用慰安婦やベトナム戦における性犯罪を追及する声もくすぶっている。「自分のことは棚に上げ、他を責める」のは国際情報戦の定石とはいえ、日本も反撃姿勢に転じればよいのではないか。

◆吉見義明さん 中央大教授
「被害者に寄り添う報道必要」
●今回の特集で、女性たちが意思に反して慰安婦にさせられたという強制性に問題の本質があることを明確にしたことに意義があった。軍・官憲による暴力的な強制連行がなければ日本政府に責任はないという議論は、国際的に全く通用しない。
●吉田証言の信用性が疑われたことにより、強制連行は虚偽であり、慰安婦問題自体が虚構だという一部の主張を勢いづかせる切っ掛けになったが、証言が虚偽でもこの問題に与える影響はない。記事を訂正したことには賛成するが、1990年代の早い段階でできなかったのが残念。慰安婦と女子挺身隊の混同についても早い対応が望まれた。
●今回の特集からは、朝日新聞が考える解決策が見えず、被害者に寄り添う姿勢がうかがえない。慰安婦問題がこじれたのは、日韓両政府の応酬の結果と読める。一番の原因は被害者の声にきちんと向き合おうとしない日本政府の姿勢にある。河野談話で「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と認めておきながら、主体を明記していないため、女性の人権を侵害した軍や日本政府の責任があいまいにされ、本来政府が担うべき「償い金」を民間が支払うということを許してしまった。これでは被害者は納得できるはずがない。
●今回の特集は、被害者の存在を無視するかのような日本政府の問題について触れていない。河野談話の検証結果をなぞり、追認しているだけのように見える。慰安婦問題は日韓請求権協定で法的に解決済みで、女性基金でも対応してきたし、あとは「未来志向」が大切とする日本政府の姿勢と、朝日新聞も同じ立場なのか。「未来志向」を語ることができるのは被害者であり、加害者は「忘れない」と言い続けるべきだというの指摘を見逃してはならない。
●解決のためには、女性の人権侵害をした主体が軍であることを政府が明確に認め、謝罪と補償をし、教育にも反映すべき。
●国外では、旧ユーゴやルワンダで起きた女性への集団レイプと慰安婦問題が、戦時下での女性への性暴力としてつながっているという認識が広がってきた。しかし、国内では、慰安婦問題が未来のために克服すべき課題との理解が進まず、日本の責任を認めない言論が一定の支持を集めている。根底には自国の誇りや名誉を守りたいという意識があるのだろう。
●間違うことはある。過ちを認め、再発防止の措置をとることが誇りにつながるはず。朝日新聞には被害者の立場を忘れずに、慰安婦問題を報道し続けてもらいたい。「過去の克服」をせずに、現在直面する課題に取り組もうとしても、世界の共感は得られないだろう。

◆小熊英二さん 慶応大教授
「ガラパゴス的議論から脱却を」
●1990年代に慰安婦問題が注目されたのは、冷戦終結、アジアの民主化、人権意識の向上、情報化、グローバル化などの潮流が原因。80年代末の冷戦終結、韓国の民主化、女性の人権意識の向上などがあって問題が表面化した。韓国で火を点けたのは、民主化運動で生まれたハンギョレ新聞だった。日本でも、55年体制の終焉、フェミニズムの台頭があり、経済大国にふさわしい国際化が叫ばれた。
●情報化とグローバル化は、民主化や人権意識向上の基盤となったが、民族主義やポピュリズムの台頭や政治の不安定化も招き、慰安婦問題は混迷した。
●外交は「冷静で賢明な外交官が交渉にあたる秘密外交」が理想とされることが多いが、民主化と情報化が進んだ現代では、内密に妥協すれば国民感情が収まらなくなる。政府が強権で国民を抑えられた時代しか、秘密外交は機能しない。日韓政府が慰安婦問題の交渉で両国民を納得させる結果を出せなかったのは、旧来の外交スタイルが現代に合わなくなったのが一因。
●20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎないが、日韓外交摩擦の象徴になった問題について、自ら点検をしたことは意義があり、90年代以降の日韓の交渉経緯を理解する手助けになる。
●報道を振り返り、慰安婦問題で揺れる日韓関係に言及する構成になっているが、本来は日韓でどう問題化しているかが中心であるはずで、報道の細部など読者の多くにとっては二の次だ。この構成にしたのは、ネットなどで批判されているからだろが、当時は他の新聞もあまり変わらない文脈で報道していたことがわかる。
●慰安婦問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にして日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。
●慰安婦問題の解決には、ガラパゴス的な弁明はあきらめ、秘密で外交を進めて国民の了解を軽視するという方法は通用しない。例えば日本・韓国・中国・米国の首脳が一緒に南京、パールハーバー、広島、ナヌムの家を訪れ、生存者の前で、悲劇を繰り返さないことを宣言する。そうした共同行動を提案すれば、各国政府も自国民に説明しやすい。50年代からの日韓間の交渉経緯を公開するのも一案だ。困難ではあるが、新時代への適応は必要だ。



 なるべく短くまとめるつもりだったのですが、思いのほか長くなってしまいました。

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佐世保高1殺害事件を通してコメンテーターについて考える

 佐世保高1殺害事件で、6月に、加害者の女子生徒を診察していた精神科医が「人を殺しかねない」と報告をしていたのにも係わらず、通報を受けた児童相談センターの県職員は「匿名でわからないから」という理由で放置していたとの報道がありました。
 この報道を受け、尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏が、「100%防げた佐世保同級生殺人事件!!心ないお役所仕事が奪った被害少女の命!!」とのタイトルを付け、ブログ上で県職員の対応を批判していたようです。「尾木ママは精神科医が通報した内容を知り『小学生時代の給食事件 最近の父親金属バット殴打事件まで話しているのに つまり 名前こそ守秘義務で話していないけど個人特定しているのと同じなのに放置したのか!』と県職員の怠慢を指摘し『残念では済まされぬ重大な犯罪に匹敵します!』と最大級の表現で指弾した。」とネットニュースで報じられていました。

 尾木ママオフィシャルブログ「オギ☆ブロ」の該当エントリーを確認してみると、「たった一人のこの県センター職員の怠慢が、一人の少女の命奪い、一人の少女の未来閉ざした」ともあり、「徹底的に追及すべきです」と述べています。そして、「命の教育やるより、個々の児童・生徒の心ともっともっと先生方がふれ合える精神的時間的ゆとり作る方が大切なように思います。運動はひとりひとりを見えなくし、やっているという錯覚に陥る危険帯びています…。」と結んでいました。
 「オギ☆ブロ」のコメント欄は、尾木ママの主張に賛同するコメントがほとんどでしたが、このネットニュースを取り上げた掲示板では尾木ママを批判するコメントがかなりありました。幾つか取り上げてみます。
「教育委員会かそこらの協力取り付けなきゃセンター側が事件から児童Aの特定なんか出来ないだろ。少なくとも電話一本で『ちょっと聞きたいんだけど誰コレ?』『ああそれ、これこれこういう名前と住所の子です~』なんてあるわけねー」
「ふざけんなオカママ、隠蔽したい委員会とか、仕事したくないセンターとかそんなのばかりで防げるかよ」
「相談センターにそんな権限あるわけねーだろ・・・馬鹿かこいつ。そもそも殴打の時点で児童相談じゃなくて警察行けよって話だし。」
「後出しジャンケンは気楽でいいよな」
「猫解体した奴片っ端から殺処分しとけばまあ防げたなw」
「あとからなら何とでも言えるからな。同じような危険な兆候示してるクズ幾らでもいるだろうけど具体的にどう対応するんだろ。サイコパスは全員隔離すんの?人権屋が騒ぐネタ増えるだけじゃんw」

 尾木ママは「個人特定しているのと同じ」と言っていますが、果たしてそうなのでしょうか。県職員が加害女子生徒のことを知っている訳がありませんから、手掛かりから他の教育機関に問い合わせるしか特定の方法はありません。金属バット殴打事件は父親が公にしていないので、教育関係者も知らなかったでしょうし、給食への異物混入もこの加害女子生徒が起こした事件だけしかなかったとは限りません。そもそも、医者は守秘義務があるので、特定出来るような情報を提供することには注意深くなっていたでしょう。
 もし、県職員が身元を特定しようと教育機関に問い合わせしたとしていても、個人情報の壁に突き当たっていたのではないでしょうか。精神科医がそういう話しをしても、守秘義務の縛りで、危険な少女の存在を証明すること自体が出来ていたかどうか。また、将来に殺人を実行すると証明することも出来ません。その様な状況では、個人情報を探るのは無理だったのではないでしょうか。

 殺人事件を未然に防げたら良かったのは言うまでもありません。だけど、危険な思想や欲望を持っているというだけでは、阻止するのは非常に困難なのが現状です。戦前なら、危険人物は予防拘禁が出来たかもしれませんが、今は人権問題になります。だから、犯罪が予見されていても、事件が発生する(何らかの行動をする)までは、基本的に警察が拘束することは出来ません。
 犯罪者として拘束は出来ませんが、精神病患者と扱えば、拘束は可能です。ですが、父親は危険性を知らされていた筈なのに放置していたので、拘束しようとすれば措置入院させるしかありません。精神保健福祉法に基づく措置入院とは「自傷他害の恐れがある場合で、知事の診察命令による2人の精神保健指定医が診察の結果、入院が必要と認められたとき知事の決定によって行われる入院」です。措置入院は、犯罪を犯しても精神鑑定により不起訴や無罪になった場合によくとられます。この様な場合以外では、なかなか難しいのが現状です。確かなことはいえませんが、加害女子生徒を診察していた精神科医も措置入院に向けて動き出していた様子はうかがえません。結果論としては、措置入院させるべきだったのかもしれませんが、困難と判断したから児童相談センターに通報というかたちになったのではないでしょうか。

 もし、加害女子生徒が特定され、事件が未然に防げたとします。尾木ママは県職員を賞賛したでしょうか。
 事件が発生することがほぼ間違いと分かっていれば、事件を未然に防いだといえるでしょう。ですが、今回のケースでは、精神科医も加害女子生徒が未来に殺人を犯すとは証明することは出来なかったでしょうから、事件を防止したと評価する人達ばかりではなかったと思います。むしろ、「一度過ちを犯した人間はその後ずっと疑いの目で見られるのか」と人権問題にされていたのではないでしょうか。加害者の父親のことを考慮すると尚更そう思えます。
 加害女子生徒の人権問題という側面が取り沙汰されていら、尾木ママは加害女子生徒側に立って児童相談センターや県教育関係者を非難していた様な気がします。事件後も加害女子生徒のの未来閉ざしたと言っているのですから。尾木ママの主張は「後出しジャンケン」と言われても仕方が無いでしょう。

 尾木ママは、このエントリーでテレビ朝日のワイドスクランブルに生出演すると書いていました。番組を見ていないので分かりませんが、コメンテーターとしてこの事件についてコメントしたのでしょう。
 この事件は友人の首を切断するというショッキングなものでしたので、事件発覚当初から様々なニュースや情報番組で取り上げられ、色々なコメンテーターが事件について語っていました。当初は、友人間のトラブルとの見方であったため、佐世保市は過去に佐世保小6女児同級生殺害事件を経験しているのに活かせなかったと、教育現場への批判もありました。次に、父親が加害女子生徒の母親の死去半年あまりで再婚していたことが伝わると、父親へのバッシングが始まりました。そして、精神科医が通報していたことが分かると、行政の怠慢が問題だと言い立てました。新しい情報が出てくる度に、それに合わせて原因を語り、バッシングする相手を変えて行く。事件の真相など簡単に分かるはずもなく、永遠に分からないのかもしれないのに、コメンテーターは安易に分かった様なことを語ります。
 コメンテーターは仕事で出演しているのですから、意見を求められればもっともらしいことを発言しないとならないのでしょう。「分かりません」では仕事になりません。よく分からなくともコメントを強いられるのですから、内容のあるコメントをするのは至難の業です。だから、自分の発言に正当性のあるように見せ掛けるためにバッシングに走ってしまうのではないでしょうか。

 現代のテレビのこの様な状況に、少なくない視聴者は「コメンテーターは不要」と思っているようです。ですが、コメンテーターを起用する番組が非常に増えたことを考えると、番組制作サイドはそう考えていないのでしょう。
 出演するコメンテーターの方はどう思っているのでしょうか。犯罪事件コメンテーターとしてテレビで見かける臨床心理士の矢幡洋氏が、ネット上に書き込んでいました。
*************************
矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察
「心理コメンテーターのでたらめぶりを告白も含めて切る | 佐世保高1女子殺害の加害者は「女酒鬼薔薇」で詰み」
http://crime-psychology.hateblo.jp/entry/2014/07/29/%E5%BF%83%E7%90%86%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%82%92%E5%91%8A%E7%99%BD%E3%82%82%E5%90%AB

●マスコミの犯罪コメントの正体
そのうさんくささ-社会の安心装置
 僕は、犯罪コメントをこれまでたくさんやってきた。 「犯罪コメントなんて、有名になりたがっているエセ精神科医や偽心理屋が適当なことを言っているもの]と言う批判がある事はもちろん知っている。本当は、大して意味のあることではないだろうということもわかっている。それでも、社会が心理学用語で事件解説を求めていることは確かなのだ。つまり需要がある。精神医学・心理学用語を使ってもっともらしい作文を1つ作れば、世間はそれで何かが「わかった」ような気がして、安心する。時代は、出来事を何でもかんでも「心理的な出来事」として位置付けることを求めている。コメンテーターの仕事は、社会を「わかったつもり」にさせて、出来事を整理済の棚の中に放り込むことにすぎない。
 それ以上の意義が無い事はわかっていながら、お金がないので仕事を選ぶことができない。テレビコメントの依頼が来たら、断らない。

●話を面白くしないこと-「よりましな悪」を求める
 そんな仕事であっても、僕は心がけていることが1つある。 VTR収録は、たいてい夜遅く、局の1室でいくつかのスタンドライトに照らされ、カメラさんがビデオカメラを構える中で行われる。そういう撮影の際に、僕はディレクターさんに一言お断りをする。
 「ぼくは、話を面白く作る事はしません。ぶっ飛んだ解釈はやりません。今ある材料の中で『ここまでは、ほぼ言えるだろう』と言う範囲のことしか言いません」
かなり怪しげな仕事をしているとは言え、 「言える事は、ここまで」と言う堅実な範囲内に留めておくというのが、僕のささやかな良心だ。
 だから、 「識者」の大半のコメントが「何、話を面白く作っているんだよ」と不愉快で仕方がない。 「お前も同じだ」と言われればそれまでだが、少なくとも僕はコメントはなるべく控えめな方向へ、堅実な方向へとする「よりましな悪」であることを心得ている。

~以下省略~
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 勘違いしているコメンテーターは違うでしょうが、仕事と割り切っているコメンテーターの意識はこんなものなのでしょう。

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