六丈記2

備忘録のようなもの

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留寿都と赤い靴11

 北海道テレビ放送のプロデューサーとして「開局記念ドキュメントドラマ『赤い靴はいてた女の子』」を制作した菊地寛氏は、番組の取材で得られた情報を基に本を書いていました。

◆菊地寛氏の著書
赤い靴はいてた女の子
http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9D%B4%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%9F%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%AD%90-1979%E5%B9%B4-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%AF%9B/dp/B000J8EUGI/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1395584956&sr=8-1&keywords=%E8%B5%A4%E3%81%84%E9%9D%B4%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%9F%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%AD%90
著 者:菊地寛
出版社:現代評論社
発売日:1979年3月
=目次=
まえがき
私の姉は「赤い靴」はいてた女の子
 海鳴りは出逢いの旋律 11
 雨情忌のざわめきに老女の悲歌 16
十勝の山懐から不二見の里へ
 ひと目逢いたい幻の姉に 23
 村にも残る細い航跡 29
戸籍簿に写し出された明治のドラマ
 η片親ない子は門で泣く 39
 時代に流され海山千里 45
透かし出された母・かよの青春
 謎の男“天竺安”の面影 55
 里の日々に波だつ女の生 62
閉塞の時代を切り拓く魂の槌音
 非戦の願い新天地にも 74
 海渡る津軽青年鈴木志郎 79
よりをなせ、縦横の糸よ
 かよと志郎の出逢い 95
 教誨師・原胤昭と本多庸一と 101
 女か母か、安吉との別れ 108
私生児をもつ母親のせつない想い
 この子は天からの授かりものです 113
 きみのゆき先は決まった 118
平民社一統と開拓移民悲話
 理想郷をめざす小さな群れ 127
 平民農場にみる開拓裏面史 134
鈴木夫妻と雨情、啄木の友情
 一つ屋根の下で育まれたものは 143
 雨情、啄木との別れと放浪 150
札幌、函館、青山、横浜の邂逅
 メソジスト宣教師の軌跡 163
 「赤い靴」取材ロケのスタート 172
アメリカヘ渡った「赤い靴」
 本居姉妹の演奏旅行 179
 里親はヒュエット宣教師夫妻 183
動かすことのできない事実
 妹の願い一片の詩に 194
 幸せ薄かった九歳の生涯 198
※庵点が表示できないため、ηで代用しました。

◆「赤い靴はいてた女の子」について
 この本は菊地寛氏の想像による創作物語の間に取材過程を入れ込むという構成になっています。例えるなら、ドラマの合間に実際の映像を織り交ぜているような感じです。
 「創作物語」と書きましたが、理解し辛いでしょうから、一部を引用して見ます。
*** 「η片親ない子は門で泣く」の節の冒頭部分 ***
 富士山は、その目もどっしりとした雲の彼方に姿を隠していた。かよは街道を小走りに駆け、家路を急いだ。新茶の季節にはまだ間があるが、道端の緑はすでに胸を突くような濃い匂いを漂わせていた。
 おとう、死んじゃいやだ。
 昨夜から、何度この言葉を繰り返しただろう。村の尋常小学校に上がったばかりのかよだったが、今朝方突然倒れた父親の岩崎清右衛門が、もう間もなくこの世の人間でなくなることが、妙によく理解できた。
 「おとうが危いって、江尻の安吉おじさんのところへ伝えにいっておくれ」
 と、母親のせきに言いつけられたかよが、学校を休んで朝早く家を飛び出してから、かれこれ四時間近くもたっていた。目ざす安吉おじさんこと、佐野安吉は、博打に出かけたとかで四、五日前から家には帰っていなかった。
 「あんなひと、どこにいってるかわかったもんじゃないんだよ」
 家人からののしるような声を背に浴びせられ、かよは何も言えずもときた道を引き返すところだった。すり切れた草履は小石を踏むと柔らかい足の裏に堅い痛みを走らせる。チチ、チチと頭の上でさえずる小鳥たちが、別世界の生き物のように見えた。
**************************************************
 この様に見てきたような記述が、この本の多くを占めています。実話を題材にした小説と表現するのが適切なのかもしれません。だからと言って、資料的価値が無い訳ではありません。取材過程で得られた情報が記載されているからです。例えば、戸籍に関しては、菊地寛氏しか調べていなく、その情報が得られるのは貴重だと思います。


◆取材などによる情報
 本書に書かれている証拠や証言を整理してみます。
●菊地寛氏は、岡そのさんの投稿記事を切っ掛けに2年間手紙のやり取りをしていて、岡そのさんから「━お便りうれしく思います 私も姉の事は父母の話でほんのわずかですが覚えています姉は明治時代にアメリカにいった後は便りが一度か二度あったと父母から聞いています でもそれは私の生まれる10年も前のことであり 誰によって何処へ連れてゆかれたのかは知りません━」という葉書を貰っている。

●菊地寛氏が岡そのさん宅を初めて訪ねた時の会話。
-きみについて。
「実はお姉さんのことを詳しく聞かせていただきたいのです」
「はあ。でも父や母が昔話をしていたのを何とはなしに小耳にはさんでいたていどですから、お役に立てるかどうか」
「母には、父と結婚する前に生んだ子が一人いたんです。きみちゃんと呼んでいました」
-父母について。
「父母がどのようにして如り合ったのか。昔はあまりそんなことを両親に聞けなかったのではっきりしたことはわかりません。ただ、ふたりの言葉の端々から考えてみると、函館で知り合っていっしょになったんではないかと思いますよ」
「でも、お父さんは青森の人だし、お母さんは静岡の方ですね。どうして、二人は函館で出逢ったのでしょう」
「さあ、人の縁というものは不思議なものですからねえ」
-父母が札幌の山鼻に住んでいた頃について。
「当時の写真とか、そのことを示す記録なんかは残っていませんか」
「写真なんてありませんよ。とにかく貧乏だったんでしょう。写真を撮ることなんて考えもしなかったでしょうし、たとえ撮りたくてもなかなか撮れなかったでしょうねえ」
「そうですか・・・」
「でも、父母は雨情さんや奥さんとはずいぶん親しくしていただいたようです。よく身の上話をし合ったそうです。そんなおり、母は鈴木と結婚する前に自分のお腹痛めた女の子を外人さんの養女に出した、と問わず語りに話したんでしょう。後になって母は、“雨情さんが、
アメリカ人に貰われていったきみちゃんのことを歌にしてくれたんだよ”とつぶやきながら“赤い靴はいてた女の子”といつも歌っていましたよ」
「なるほど。それではきみちゃんを養女にした外人さんというのはどんな方ですか」
「何しろ昔のことですからはっきり覚えていないのです。でも、これだけは間違いありません。子供のいない新教の宣教師さん夫妻だったそうです。アメリカから手紙がきていたといってましたから、きっとアメリカ人だったんですね」

●菊地寛氏が清水市役所で見つけた戸籍。
 戸主 岩崎清右衛門
    弘化元年七月十三日生
 妻  せき
    安政六年五月十日生
 長女 かよ
    明治十七年一月十三日生
 長男 辰蔵
    明治十九年一月十八日生
※せきは、きみ誕生の2ヶ月前に他界。

 戸主 岩崎辰蔵
 姉  かよ
 姪  姉かよ口□□女(口は白く塗りつぶしてあり、復元すると私生子)
    きみ
    出生明治三十五年七月十五日

 戸主 佐野恒吉
    元治元年四月九日生
 兄  安吉
    嘉永参年五月八日生
※佐野安吉は佐野菊蔵の長男として江尻宿で生まれ、明治一五年一月一〇日付で廃嫡。佐野恒吉は安吉の弟。

 戸主 佐野恒吉
 姪  きみ
    兄安吉養子
 明治四拾四年九月拾五日午後九時死亡東京麻布区届出
※きみの父母の欄は
 父 佐(“佐”と書いたが斜線で訂正)
 母 岩崎かよ
となっていた。

 戸主 佐野静司
 伯父 安吉
 年月及ぴ場所不詳死亡昭和参拾弐年拾弐月弐拾参日附許可を得て同月弐拾五日除籍
※佐野静司は佐野恒吉の長男。

●菊地寛氏が、清水市の調査で老人から佐野安吉について「あん人は、人を殺ったという噂もあった。それで北海道へいったらしい。何でも網走の監獄にもぶち込まれたっていう話じゃ。たまに、村へ帰ってくることもあったが、誰も喜ばんかった。むしろ、迷惑がられたようだなあ」と聞いている。

●菊地寛氏が清水での戸籍調査の結果を報告した時、岡そのさんは姉の名前が平仮名できみと書くことも、明治35年7月生まれであることも、私生児として戸籍に記入されていることも知らなかった。

●菊地寛氏が岡そのさんに清水での戸籍調査の結果を報告した時の会話。
-きみについて。
「きみさんは私生児として届けられていますが、この子の父親はいったい誰だったんでしょう。お母さんのかよさんは、その人の名前を口にしたことはなかったでしょうか」
首を横に振り、「きっと、誰にも言えない事情があったんでしょうねえ」
「そうですか。ところで、きみさんは、2歳になったときに、佐野安吉という人と養子縁組しています。これはどういう意味だと思いますか」
「さあ・・・」
「驚かないでください。実はきみさんは、東京で、佐野きみという名前で死亡届けが出されているんです」
「えっ」
「そんなはずはありません。それは何かの間違いではないでしょうか。姉はアメリカ人の宣教師に貰われて、アメリカヘいったんだと母はいつも言ってました。アメリカから、手紙も二、三度きていたということですし・・・」
「もちろん急には信じられないことと思います。でも、戸籍では、ちゃんとそういう届けが出されているんです」
「でも、母からはそんな話は聞いておりません。昔のことですから、戸籍の方が事実と違っていることだってあるんじゃないですか」
-佐野恒吉について。
「安吉という名前には覚えがありますよ。でも、姉がその人の養女になったとは聞いていませんが」
「母から聞いている安吉という人は、ほれ昔よくいたでしょ、鼠小僧みたいな。ええ、いわゆる義賊ですね。悪徳金持ちから盗みを働いて、貧しい人に施しをした人らしいんです。天竺安とか、静岡小僧とか呼ばれて、そう刑務所暮らしも長かったようですよ」
「そうそう、そう言えぱ安吉さんが刑務所に入ったとき“ハラタネアキ”という人物に世話になったそうだ、と母が言ってましたよ」
「ハラタネアキ。タネアキとはどんな字ですか」
「さあ、そこまでは」
「どこに住んでいた人でしょう」
「それも知りません。ただ熱心なクリスチャンだと聞かされたような気がします」
「確か子供の頃、私も安吉さんに会ってるんです」
「えっ、それはどこですか」
「樺太の豊原にいた頃です。安吉さんの臨終のときに居合わせました」

●父・鈴木志郎についての岡そのさんの発言。
「父・志郎の実家は、漁師か、大工だったらしいです。母方の兄弟を頬って父は、若い頃に北海道の漁場を歩き、札幌では豊平館のコックをしていたこともあったそうです。その後、函館の大沼へ出たと聞いています」

●菊地寛氏が豊平館食堂部の杉山正次社長を取材した時の会話。
「ええ、私がここで初めて仕事についた頃は食堂関係は20人そこそこでしたから、よく覚えていますが、鈴木志郎という名前には記憶がありません。ただ、明治の頃は、人手がなくて、臨時雇いの若い者もずいぶん使われていたらしいです。その中に、鈴木志郎さんという方
がいた、ということも考えられますナ」
「明治の頃の西洋料理のコックというのは、外国航路の船に乗り組んで料理を覚えたり、外人宣教師の家庭に雇われて、宣教師夫婦から、料理を手ほどきされた方が多いんですよ」
「ほう、外人宣教師にですか」
「はあ、明治の30年代には、岩井徳松という人がおりましたが、米人宣教師について横浜や仙台を廻り、札幌にきたところで一本立ちしたそうです」
「岩井さんがついたという宣教師の名前はご存じでしょうか」
「はい、それはヒュエットという名前だったようです。明治32年から37年頃まで札幌にきていた宣教師さんらしいですよ」
※杉山正次は大正8年から豊平館でコックをしていた。

●青山学院の大学宗教主任・佐藤元洋氏の調査により、原子基の名が上原教会の記録に残っていることが判明。

●ヒュエット宣教師について、アメリカのメソジストの本部へ照会したところ「ヒュエット宣教師夫妻には自分たちの子供はいなかったが、日本人の女の子を養女にしたとの記録はない」との回答を得る。

●デンバー大学にヒュエット宣教師の日本でのことに触れた資料は無かった。

●菊地寛氏とヒュエット宣教師の甥・フレッド氏及びその兄妹の間で交わされた会話。
-ヒュエット宣教師の養女について
「ヒュエット宣教師が、日本人の女の子を養女にしたという話を知りませんか」
「オウ、もちろん聞いているさ」
「そうそうヒュエット叔父さんたちは子供が生まれなかったからね」
「養女にしたのは、えーと、三歳か四歳の女の子だったようだ」
「なるほど。それでヒュエット宣教師が養女にした日本の女の子はその後どうしてるでしょか」
「さてと・・・」
「それなんですが、私たちは話には聞いて知っているのだが、その女の子に直接会ったことはない。だから、これ以上は何とも言えない」
-ヒュエット宣教師夫人・エンマについて
「ええ、エンマは日本語が上手で、自分は子供がいなかったが、どこでも子供をよく世話をしたらしいね」
「そうそう、叔父夫婦が日本にいった頃、貧しい人たちが多く、赤ちゃんに乳を飲ませることのできない母親もいた。それを見かねて、アメリカ本国の家庭に呼びかけて、粉乳を集めて日本に送る運動をしたこともあったそうだよ」
「パサディナへいってからは、養老院のお年寄りの世話に精を出していた。と聞いているよ」

●ヒュエット宣教師夫妻が晩年に暮らしたパサディナの養老院にいるメツガーという老婆の話。
「エンマは日本の北の島で暮らしたことがあると言っていたよ。そうそうリンゴがとれるんだってねえ。足を暖めるのに使った、という鉄びんを私にくれたんだけど、いい人だった。年をとってこの養老院にきてからも、からだの不自由な人の面倒をよくみていましたよ。さあ、日本の子供を貰って育てたという話は記憶のないねえ」

●帰国した菊地寛氏が岡そのさんにアメリカでの調査結果を報告した時の会話。
「実は、きみちゃんの行方は結局、はっきりしなかったんです。アメリカで生存していたという証拠はありませんでした」
「やっぱりそうでしたか。古い話ですからねえ」
「でも、でもひとつだけはっきりしたことがあるんですよ。それはチャールス・ヒュエットという宣教師が日本にいるとき、日本人の女の子を養女にしていることなんです。アメリカでその女の子が生活していたかどうかは何ともいえませんが、僕はきみちゃんはおそらくヒュエット宣教師の養女になったのではないか、と思うんです」
「ねえ私、いま大事な事を思い出しました。母が昔、シュミットさんとかいう外人さんの名前を口にしていたことがあるんです。シュミットさんとは、ヒュエットさんのことではないでしょうか」

●青山墓地の埋葬者台帳に記載されている内容。
 佐野きみ 静岡県平民
 明治四十四年九月十五日死亡
 死因 結核性腹膜炎
 墓番号 二等一二ノニニノ三
※墓は鳥居坂教会の共同墓地。


◆菊地寛氏が作り上げたストーリー
 菊地寛氏は取材で得られた情報を十分精査せず、不明なことは想像で補ってストーリーを作っています。詳しくは本書を読めば分かるのですが、既に絶版になっているため、読む機会はなかなか得られないでしょう。なので、そのストーリーを箇条書きで簡単に記すことにします。
●明治時代、静岡県不二見村に貧しい小作の一家が住んでいた。一家は、岩崎清右衛門と妻・せき、長女・かよ、長男・辰蔵の4人。
●岩崎清右衛門は遊び人の佐野安吉と仲が良かった。安吉はきみを可愛がっていた。
●1890年4月10日、清右衛門が死去。
●30歳を過ぎたばかりのせきは、1890年12月に同じ村の農家の次男だった小沢佐七と再婚。佐七は婿養子だった。
●母の再婚に反発するかよは安吉に慰められる。
●1891年の秋、せきと佐七の間に金作という男児が生まれる。
●年が明けた頃から、せきと佐七の仲が悪くなり、佐七は金作を連れて実家に戻る。金作は佐七の実家の養子になった。
●離婚後、せきは懸命に働くが、不作続きで小作料が払えなくなり、地主に畑を取り上げられる。出面仕事や内職で糊口を凌ぐも貧しくなる一方だった。
●かよの成績は良かったが、進学する余裕は無い。小学校を卒業すると甲府の宿屋に女中奉公に出ることになった。
●旅立ちの日、安吉が現れ、かよに餞別を握らせ、はなむけの言葉を掛けて去って行く。1896年の春のことだった。
●1901年の春、成長したかよが甲府の奉公先から不二見村に帰ってくる。実家では、せきと辰蔵が出面仕事に励んでいた。
●かよ実家を離れている間、せきと安吉が夫婦同然の関係になったが、安吉が捕まったらしく、それっきりになった。安吉は北海道の監獄送りになったとの噂だった。
●夏祭りの日、偶然出会ったかよと安吉は肉体関係を持ってしまう。かよは、優しかった安吉を慕っていた。安吉との関係は秋頃まで続く。安吉がまた捕まって北海道の監獄送りになったとの噂話が発っていた。
●かよは安吉の子を身篭った。
●臨月が近づくと、せきは安産祈願のために身延山に参拝し、甲府に立ち寄ったところで亡くなる。
●1902年7月15日、かよは女児を生んだ。「きみ」と名付け、私生児として届ける。
●肩身の狭い思いをしたかよは、1903年の初冬、きみを背負って村を出た。
●鈴木志郎は船大工の二男坊だった。父の金兵衛は船宿の仕事もしていたが、暮らしは辛うじて成り立っているありさまだった。
●少年だった志郎は、近所に住む医者の所に出入りしていたカトリックの神父に感化される。
●志郎には向学心があったが、家が貧しいため、小学校を卒業した後は家を出なければならなかった。
●志郎は北海道の積丹でヤクザの親分をしていた母方の叔父・種田幸次郎を頼り、津軽海峡を渡った。志郎は賭場の手伝いをしていたが、志郎にヤクザは合わなかった。
●1896年、積丹を出て札幌に来た志郎は、豊平館に職を得た。ここで働いている時にメソジスト派の宣教師・ヒュエットを見かける。●豊平館には5年程勤めるが、新聞記者になりたいと思うようになり、故郷に戻って出直すことにする。
●故郷では、新聞記者になることを反対されるが、「平民新聞」の創刊号を読んで意思を固める。1903年、志郎は再び北海道へ渡った。
●函館で荷役の仕事などをしていた12月、開拓移住民達が志郎の前を通り過ぎていった。その中にいた赤子を背負った若い女が転び、志郎は思わず手を差し出した。女と子は不二見村からやって来た岩崎かよときみだった。
●函館に渡ってから10ヶ月になった志郎は、大沼の遠い親戚の商家に住み込み、商売を手伝っていた。
●仕事で函館に来ていた志郎は、偶然、かよを見かける。おもわず声を掛けると、かよも志郎を覚えていた。2人は氷屋で話し込み、かよは、両親が他界していること、今は土産物屋で売り子をしていること、弟もこちらに呼びたいこと、そして子供がいて結婚していないことを打ち明ける。
●店を出て2人で話をしていると、かよに声を男がいた。偶然、かよを見かけた佐野安吉だった。安吉は、かよに何故ここにいるのか尋ね、函館で稼いだら内地に帰るつもりなのだと伝えて去っていった。かよは志郎に親戚みたいな人だと語る。
●志郎とかよが再開したのは8月末のことだった。その数日後、志郎はかよに、仲間と大きな農場を開くために話し合っているので、一緒に来て欲しいと結婚を申し込んでいた。志郎は、きみも一緒に引き取ると言ったが、かよは返事を躊躇う。かよは佐野安吉に相談したかったが、子供が生まれたことを伝えていなかった。
●かよが土産物屋で働いていると、安吉がやって来た。安吉は、志郎が訪ねて来て結婚を申し込んだことを聞かされ、かよに子供がいることを知った。安吉はかよに結婚を勧め、きみのことは任せろと言い、原胤昭に相談するために東京へ向かった。
●かよは、誰に父親のことを聞かれても「この子は天からの授かりものです。わたしが、父親のぶんも面倒をみるつもりです」と言っていた。志郎にも詳しい事情は話していなかった。
●かよが結婚を申し込まれてから半年以上経過し、一冬を越した頃、安吉が函館に戻ってきた。安吉はきみを養女に出すことを考え、原胤昭に養子先を探してもらい、来日して5、6年になるキリスト教のアメリカ人宣教師夫婦の養女にすることにして帰ってきたのだった。
●安吉は、きみが自分の子であることを悟っていた。かよを説得し、養女に出すことを認めさせる。安吉はかよに未練があり、かよも安吉への想いが残っていたが、安吉はかよの幸せのために志郎との結婚を勧め、かよも結婚を決心する。
●安吉はかよに、アメリカ人宣教師が札幌にいることを教えたが、未練が残るといけないからと、名前は教えなかった。また、安吉の養子にしている方が好都合だったので、すでにきみの養子縁組を役場に届けていると伝える。
●翌朝、安吉はきみを連れてアメリカ人宣教師のいる札幌行きの汽車に乗り、志郎とかよが見送った。
●仲間内でささやかな祝言を挙げた志郎とかよは、平民農場への準備をしていた。志郎は、開拓には人手があった方がいいと、静岡で奉公人をしていた辰蔵と定職の無い安吉を同志に迎え入れることをかよに提案。辰蔵と安吉は申し出を受け入れた。
●平民農場に入植した志郎と辰蔵は、原子基らと小屋を建てたり、開墾仕事をするなど、重労働に耐えていた。かよもきみへの想いを断ち切るかのように力仕事もいとわず働いた。
●平民農場は、秋の収穫を終えても金策に走り回る状態だったが、入植者が増え、1906年1月末には8人になっていた。安吉もかよ達を追いかけるように入植した。
●辰蔵が肺を悪くして倒れる。3月半ば過ぎに平民農場で、辰蔵が亡くなる。
●その年の夏、第2号家屋が焼失。農場にとって致命的損失になった。秋になると、平民農場に見切りを付けて出て行くものが続出、安吉も農場を去った。
●年が明けた1907年1月、平民農場には原子基を始め、志郎かよ夫婦らが残っていた。
●2月、かよは女児を出産、「のぶ」と名付ける。
●平民農場の経営は苦しいままで、志郎は平民農場を出て、札幌に行く決心をする。緑の萌え始めた頃、鈴木一家3人は農場を後にした。●この年の暮れ、平民農場は解散した。
●札幌に出てきた志郎は、北鳴新報社の事務の職を得る。志郎が入社して間もなく、野口雨情も入社。
●親しくなった2人は、郊外の山鼻に一軒家を借り、二家族で住み始めた。鈴木一家は志郎、かよ、のぶの3人。野口一家も雨情、ひろ(妻)、雅夫(長男)の3人だった。
●家族ぐるみの付き合いで親密になったひろに、かよはふときみのことを洩らし、志郎の子ではないこと、アメリカ人宣教師へ養女に出したを話す。妻からそれを聞いた雨情は、かよを慰めた。
●1907年10月、志郎と雨情、そして北門新報社の石川啄木の3人が新設された小樽日報へ転職。雨情と啄木は記者として、志郎は事務として働き始める。
●早々に社内の内紛が始まり、雨情が退職した。内紛は続き、主筆の岩泉江東も去った。
●新体制になり、志郎は念願の記者なったが、啄木は事務長と揉めて自ら退職。
●不況で会社の経営も傾いていて、1908年4月18日に発行停止になり、小樽日報は廃刊になる。志郎は職を失った。
●志郎とかよは真狩村に戻り、平民農場近くに再入植。郵便配達をしながら畑を耕すという生活をする。
●1913年、「その」が生まれる。
●志郎は第一次世界大戦の軍需景気で賑わう室蘭の製鉄所に就職する。しかし、終戦と共に行われた人員整理で失職。
●夕張の炭鉱で働くも、志郎は炭鉱の仕事になじめなかった。
●室蘭で知り合いになったカトリック教会のヨセビョ・ブライトン神父の世話によって、樺太の豊原の教会の伝道師として赴任することになる。1923年、鈴木一家は樺太に渡った。
●1925年の秋の夜、豊原の鈴木家に安吉が訪ねてくる。安吉は話をする間もなく倒れ込み、看護の甲斐もなく、1週間後、「かよさん。きみちゃんはなあ・・・」と言葉を残し、安吉は亡くなった。
●ヒュエット夫妻に預けられたきみは、横浜からサンフランシスコヘ向かい異国土を踏んだこともあったかも。
●再来日したヒュエット宣教師が帰国命令を受けた時、きみは結核に罹っていた。ヒュエット夫妻は悩み、同じメソジストの鳥居坂教会の永坂孤児院にきみを預け、治ったらアメリカに来るように言い残して帰国した。
●きみの病状は悪化し、9歳の生涯を閉じた。

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日米韓首脳会談が開催される

*** 日米韓会談、25日…「北東アジアの安全守る」 ***
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20140322-OYT1T00301.htm?from=popin
 ベン・ローズ米大統領副補佐官(戦略広報担当)は21日の記者会見で、オランダ・ハーグでの日米韓首脳会談が25日に開かれると明らかにした。
 ローズ氏は「大変重要な会議だ」と述べ、日米韓の結束を示す機会になるとの考えを示した。
 同席したスーザン・ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)は「我々の緊密な同盟国である日韓が緊張した時期の後、3か国会談で団結する。会談では北東アジアの安全を守る米国の強い決意が示されるだろう」と述べた。
 一方、ローズ氏は、ウクライナ情勢を協議するハーグでの先進7か国(G7)首脳会議について、「オバマ大統領はG7の指導者とウクライナ政府への支援について話し合う。首脳会議を開くこと自体がロシアの孤立につながる」と強調した。
*** 2014年3月22日13時52分 読売新聞 ******************

 日米韓首脳会談に難色を示していた朴大統領がようやく会談開催を受け入れた。オバマ大統領の顔を潰すわけにはいかないと韓国側が判断し、誰が見ても渋々受け入れたということが分かる。
 アメリカは、日韓対立が続くのはアメリカの利益にならないと考えるのは分かるが、無理矢理3ヶ国会談を設定して日韓首脳が会談しましたという形を作ったところで、どれ程の意味があるのか。朴大統領は、サミットで習国家主席と会談する。蜜月をアピ-ルすることになるだろう。その後で、日米韓首脳会談を行っても、日韓が単独会談出来ないということを際立たせるだけだ。
 3ヶ国会談では、北朝鮮の核問題だけを話し合い、歴史問題などには触れないとのことだ。会談を穏便に済ませようとのアメリカの意向が働いたのだろう。だが、朴大統領がそれで我慢できるだろうか。朴大統領は、北朝鮮の核問題には興味を示さず、従軍慰安婦問題などばかりに言及するのではないか。事前の約束事を守るとは思えない。例えどんな話し合いになったとしても、会談後には、3ヶ国首脳が並んで日米韓3国の結束をアピ-ルすることになるだろう。だが、誰もが、ポーズに過ぎないと思うに違いないだろうし、日韓関係が改善することもないだろう。

 先日、読売新聞朝刊(3月14日)に「語る 日本への提言」というインタビュー記事が掲載されていた。
********** 語る 日本への提言① **********
■米戦略国際問題研究所(CSLS)上級アドバイザー エドワード・ルトワック氏
 米国防長官に直結している国防総省相対評価室のほか、世界各国の政府や軍でアドバイザーを務める戦略家。著書に「自滅する中国」韓国は日本の戦略に組み込めないなど。71歳。

 中国の軍事的な台頭や韓国の反日姿勢により、日本を取り巻く外交・安全保障環境は不透明さを増している。日本はどう対応していくべきか、同盟国である米国の外交や軍事の専門家に聞いた。

【中国抑止へ近隣国と連携】
《世界各国の首脳に安全保障政策などの助言をしている米国の戦略家エドワード・ルトワック氏は、大国となった中国は内向きの論理で敵を作り出し、自滅の道をたどっていると指摘する。》
 中国の指導者は、内部からのプレッシャーにさらされています。人民は共産党支配に対する数世代にわたる非常に大きな怒りを抱いており、人民解放軍は反日だけでは満足せず、特に空母を欲しがる海軍は米国を敵として必要としています。さらに、効力をなくした共産主義に代わる新しいイデオロギーが必要です。
 習近平国家主席は「中国の夢」を提唱しています。その最も重要な政治的要素は、中国の力を世界中で行使するという民族意識です。こうした大国としての中国の振る舞いは、外部から大きな反発を生んでいますが、中国指導部は、内部のプレッシャーに伴う内向き姿勢のため、外からのメッセージを受け止めることができないのです。その結果、かつては中国に近かったミャンマーは、今や中国と離れました。フィリピンや日本、インドなどで似たような反発が起きています。

【尖閣渡しても「琉球欲しい」と言う】
《日中関係は、尖閣諸島を巡る中国の威圧的な姿勢により、首脳会談が開けない状態が続いている。》
 中国の政治システムは、日本への敵意を必要としています。それは酸素のようなものです。もし日本がお土産のように尖閣諸島を差し出しても、中国は即座に沖縄について話し始め、「実は、尖閣が欲しかったのではなく、琉球が欲しいのです」と言うでしょう。
 尖閣を巡る緊張を和らげることはできません。日本にできることは、抑止力を強めることです。尖閣諸島に20人でも守備隊を配置すれば、尖閣をあきらめないと示すことになります。これは攻撃的ではありません。平和を求めるならば、積極的に戦争を避けなければなりません。中国人は(相手を降伏させるために)謀略をめぐらす戦国時代の考え方が染みついており、もし日本が戦う姿勢を示さなければ、彼らはますます圧力を強めるでしょう。
 日本が抑止力強化と同時にやるべきことは、フィリピン、ベトナム、インドなど、中国の脅威に同じく直面している国々を支援し、軍事面を含めた連携を深めていくことです。これは最も効果的です。中国は日本だけでなく、日本からインドまでの一つの同盟と対峙することになるからです。日露の長期的な協力も、対中けん制になると見ています。

【韓国は日本の戦略に組み込めない】
《隣国の韓国は、日本と協力するよりは、中国と一緒になって歴史認識問題などで日本を批判している。》
 日本は韓国を自らの戦略の中に組み込むことはできないと思います。韓国は、中国を文化面で深く尊敬し、中国は好意的だと常に考えています。一方、日本には憎しみを抱いているのです。
 朴槿恵大統領が昨年6月、中国の習主席に対して、伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑を中国・ハルビンに建てることを提案したのも、感情や非理性的な憎しみからきたものです。世界的に見て極めて異例です。憎しみの原因は、韓国が日本の植民地支配と戦わなかったからでしょう。暗殺者を顕彰しようとする理由は、彼が日本と戦ったからです。
 韓国の日本に対する態度は、日本が何をしようが関係ありません。いわゆる従軍慰安婦問題では、韓国の反応を期待して何かやっても、成果はないでしょう。日本の政策は、韓国以外の世界各国の反応をもとに検討されるべきです。

■中国の夢
 2012年11月、総書記に就任したばかりの習近平氏が他の共産党政治局常務委員と国家博物館の常設展「復興の道」を訪れた際、重要談話の中で使い、習政権のスローガンとなっている言葉。「中華民族の偉大な復興の実現」を意味する。
********** 2014/3/14 ************

 非常に的確な分析だと思う。中韓は反日プロパガンダを利用し過ぎて、最早後戻りできない状況に陥っている。譲歩しても、要求をエスカレートさせるだけで、状況を好転させることにはならないのは明らかだ。しかし、オバマ大統領やケリー国務長官の言動を見る限り、この様な認識ではないようだ。
 3ヶ国会談後、朴大統領はメルケル首相と会談する。朴大統領のことだから、ここでも告げ口外交をするだろう。オバマ大統領は、3ヶ国会談を行っても関係改善にならなかったと思い知らされることになると思うが、方針転換をするだろうか。

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【東海併記法案】バージニア州は韓国の属州?後編

 2月末に、バージニア州の東海併記法案が成立へ秒読み段階になったとの報道があったが、先日、廃案の可能性も出てきたようだとJ-CASTニュースが伝えていた。

 J-CASTニュースの内容は、次のようなもの。
●東海併記法案は、同様の内容の2つの法案が別々に上院と下院に提出(クロスオーバー評決)されている。
●上院で可決された法案は「デイブ・マースデン法案」と呼ばれ、下院で可決された法案は「ティム・ヒューゴ法案」と呼ばれている。
●ティム・ヒューゴ法案は上院での審議待ちの状態なのであるが、その審議日程が決まらない状態が続いている。上院のルイス・ルーカス教育委員長(民主党)が意図的に法案を審議しようとしていないとの指摘もあり、会期末の3月8日までに可決されないと、法案は自動的に廃案になる。
●ティム・ヒューゴ法案が上院で民主党主導により廃案になった場合、共和党が下院でデイブ・マースデン法案を通過させないという報復処置に出て、2法案とも廃案になる可能性がある。
●韓国側は、審議の遅れをマコーリフ州知事(民主党)の指示によるものと考えていて、日本政府のロビー活動が影響しているとみている。
●状況打開のため、法案の仕掛け人である韓国系団体「韓国系アメリカ人の声」のピーター・キム会長は、上院教育委員会のメンバー19人に法案を速やかに審議するよう求める手紙を送り、その手紙に次のように書いていて圧力をかけた。
「バージニア州の韓国系住民は長い間、民主党と民主党の政治家たちの非常に強力な支持者だった。韓国系の76%以上が、2013年11月5日の選挙でマコーリフ知事や民主党の候補者に投票した。しかし、なぜあなたは、民主党と民主党の候補者のイメージを損なうようなことをするのか」
「この地域には『キム(金)』と『リー(李)』という姓を書く8万9000人の韓国系アメリカ人がいることも覚えておくべきだ」

 J-CASTニュースは廃案の可能性を伝えていたが、3月5日、デイブ・マースデン法案が下院本会議で採決され、マコーリフ知事に送られた。知事は署名に応じる意向を示していたため、法案は成立する見込みだ。

 「East Sae」という表記を日本海に使っているのは、世界で韓国だけ。アメリカはもとより、北朝鮮でさえ使っていない(北朝鮮は朝鮮東海、East Sea of Korea)。韓国でしか通用しない地名を標準地名がごとく学ばせられるのは、バージニア州のアメリカ人にとって必要で無いばかりか、混乱を招き、害でしかないだろう。
 韓国系であってもアメリカ人なのだから、アメリカやバージニアの利益を第一に考えるべきだ。それが、国籍を持ちその地域に住む者の責任だと思う。だが、韓国系アメリカ人のアイデンティティは韓国にあり、アメリカより韓国を優先するのが当然だと考えているように見える。国より民族に帰属意識が強いようだ。在日韓国人や在日朝鮮人もそうなのだから、国より民族に帰属意識が強いのは朝鮮民族の民族性なのだろう。
 国籍を持っていてもこうなのだから、朝鮮民族に外国人のまま地方参政権を与えたら、地方が韓国や北朝鮮の強い影響を受けることは避けられないだろう。バージニア州の例を他山の石とせねばならない。外国人地方参政権推進論者の多くは、法案を支持したバージニア州議員と同様に韓国側の影響下にあるのだから、そういう人物を当選させないのが肝要だ。

 バージニア州の東海併記法案が成立の見込みが出てきたことで、日本の外務省は日本海呼称問題の対応に力を入れ始めた。駐米大使が知事に面会したこともそうだが、外務省のサイトに「世界が名付けた日本海」という新たな広報動画を加えている。

 この動画を見ると、18世紀に「朝鮮海」の表記が優勢になっていることが分かる。韓国も下記の地図を用いて、「日本海」以外の名称も使われていたと主張している。
東海併記法案 朝鮮海表記地図
 「朝鮮海」の表記が増えたのは、日本で日本海を「朝鮮海」と呼び始めたからだ。それが海外に伝わって、「朝鮮海」の名称が広がった一因になった。韓国が示している上図も江戸時代に日本で作られた物で、江戸幕府天文方だった高橋景保による世界地図「新鐫総界全図」に添えられた「日本辺界略図」(1809年製作)である。
日本辺界略図
 日本辺界略図は朝鮮半島東側の海を「朝鮮海」と表記していたのだが、海外に持ち出され、シーボルトの著書「NIPPON」に掲載された時には、「Japansche Zee」(日本海)となっていた。日本辺界略図は転載され、19世紀半ばの地図には「Sea of Japan」と表記する物もあった。元図に「朝鮮海」と書いてあるのに「日本海」へ書き換えられているのは、この頃既に欧米では「日本海」が一般的になっていたということである。このことからも、「日本海」の名称が一般的になったのは、江戸時代頃からで、日韓併合とは無関係なのがハッキリ分かるだろう。
日本辺界略図シーボルト
日本辺界略図1853年


 外務省の「日本海呼称問題」のページには、韓国側の主張に対する反論が色々と掲載されているので、改めて一つ一つ韓国側の主張に対する同様の反論を書くのは控えるが、「命名紛争がある場合には名称の同時使用を勧めるという国連及びIHOの決議があり、これに従って、共通の呼称の合意が得られるまで日本海と東海の併記を強く要求する」との韓国側の主張は重要と思われるので、それについて少し掘り下げてみる。

★韓国側の主張
 二国以上の国が地名を巡り意見が一致しない場合、指針を提供する国際機関として国連地名標準化会議と国際水路機構がある。
○ 国連地名標準化会議は、決議案 III/20項を通じて、「ある一地域が一国家以上の管轄圏にあったり、二国以上により分離されており、また該当の国家間でその地域の呼称において合意されなかった場合、国際地図製作の慣例に従い各当該国が使う呼称が併用されなければならない」と勧告している。
○ 国際水路機構は決議案A 4.2.6項を通じて、「二国以上が共有する湾、海峡、運河、群島などは当事国が合意して単一呼称を使うように努力しなければならなず、当事国が異なった言語を使ったり、単一地名に合意することができない場合は当事国の言語で表す名称が併記されなければならない」と勧告している。ただ、英仏海峡などのように名称の長さが問題となり併記が難しい場合は例外にしている。

★外務省のサイトに掲載されている国連とIHO決議の文章
○国連地名標準化会議決議III/20「1か国以上の国家主権にある地物の名称」(1977年)
 特定地物を異なる名称の下で共有する諸国は、当該地物に対して単独名称に合意に達するよう、できるだけ努力すべき旨勧告する。
 更に、特定地物を共有する諸国が共通する名称に合意するに至らなかった場合、関係各国によって使用される名称が受け入れられることが国際的な地図作製上の一般ルールであるべき旨勧告する。そのような名称の一ないし一部のみを受け入れ、他を排除する政策は、原則面で無定見であり、運用面で不適当である。
○IHO技術決議A.4.2.6(1974年)
 2カ国以上の国が特定の地形(例えば、湾、海峡、水道、あるいは諸島)を異なる形の地名で分け合う場合、これらの国は、当該地形に対し、単一の地名確定することについて合意に至るよう努力すべきことを勧告する。これらの国が異なる公用語を有し、共通の形の地名に合意することが出来ないときは、当該国語のそれぞれによる形の地名を、小縮尺海図のため受け入れることのできない技術的理由のある場合を除き、海図及び書誌類に受け入れるべきであることを勧告する。

 2つの決議は日本海について直接勧告しているのではない。一般的なものとして示されているのが分かる。韓国側の文章では従わなければならないルールと読めるが、外務省の文章では努力目標のような感じだ。なので、原文を探してみた。

★国連地名標準化会議決議III/20の原文
 国連地名標準化会議の地理学的名称に関する国連専門家グループ(UNGEGN)HP(http://unstats.un.org/unsd/geoinfo/UNGEGN/confGeneral.html)に「RESOLUTIONS ADOPTED AT THE TEN UNITED NATIONS CONFERENCES
ON THE STANDARDIZATION OF GEOGRAPHICAL NAMES」(http://unstats.un.org/unsd/geoinfo/UNGEGN/docs/RES_UN_E%20updated_1-10%20CONF.pdf)というファイルがあり、その116ページに「決議III/20」が記載されている。その部分を以下に転載する。
**************************************
III/20 Names of features beyond a single sovereignty
The Conference,
Recommends that resolution 25 of the Second United Nations Conference on the Standardization of Geographical Names be reworded as follows:
'The Conference,
"Considering the need for international standardization of names of geographical features that are under the sovereignty of more than one country or are divided among two or more countries,
"1. Recommends that countries sharing a given geographical feature under different names should endeavour, as far as possible, to reach agreement on fixing a single name for the feature concerned;
"2. Further recommends that when countries sharing a given geographical feature do not succeed in agreeing on a common name, it should be a general rule of international cartography that the name used by each of the countries concerned will be accepted. A policy of accepting only one or some of such names while excluding the rest would be inconsistent in principle as well as inexpedient in practice. Only technical reasons may sometimes make it necessary, especially in the case of small-scale maps, to dispense with the use of certain names belonging to one language or another."
**************************************
 上記英文を和訳する。
**************************************
III/20一つの主権を越えた特徴の名前
会議
第2回国連地名標準化会議の決議25を以下の通りに言い換えるように勧告します:
会議
複数の国の主権下にある又は2つ以上の国の間で分割されている地理的特徴の名称の国際標準化の必要性を考慮する、
1,異なる名称の下に一定の地理的特徴を共有している国々は、関係する特徴に対して単一名称を定めることの合意に至るよう、できるだけ努力しなければならないと勧告します。
2,一定の地理的特徴を共有する国々が共通名称の合意に成功しない時、関係各国により各々使用されている名称を受け入れることが国際的な地図製作の一般的なルールでなければならないとさらに勧告します。1つだけ若しくはそのような名称の幾つかを受け入れ残りを除外する方針は、実施において不適当であるだけでなく原則に矛盾しています。特に小縮尺地図の場合、技術的な理由だけで、1つの言語または他に属している特定の名称の使用を省くことを時々必要とするかもしれません。
**************************************

★IHO技術決議A.4.2.6の原文
 IHOのHPから「技術決議A.4.2.6」を探しても見つからなかったが、代わりに「CHRIS20-08.1A 」(http://www.iho.int/mtg_docs/com_wg/HSSC/CHRIS20/CHRIS20-08.1A_Revised_TRs.pdf)というファイルを見つけた。このファイルは、IHOの技術と管理についての決議を近年に調査したものらしく、21ページに「A.4.2.6」の文が掲載されている。以下にこのファイルの該当部分を転載する。
**************************************
A4.2 INTERNATIONAL STANDARDIZATION OF GEOGRAPHICAL NAMES
6.- It is recommended that where two or more countries share a given geographical feature (such as, for example, a bay, strait, channel or archipelago) under a different name form, they should endeavour to reach agreement on fixing a single name for the feature concerned. If they have different official languages and cannot agree on a common name form, it is recommended that the name forms of each of the languages in question should be accepted for charts and publications unless technical reasons prevent this practice on small scale charts. e.g. English Channel/La Manche.
**************************************
 上記英文を和訳する。
**************************************
A4.2 地名の国際的な標準化
6,2つ以上の国々が異なる名称の形式の下で一定の地理的特徴(例えば、湾、海峡、水道や群島)を共有している場合、この国々は関係する特徴に対して単一名称を定めることの合意に至るよう努力しなければならないと勧告します。もし、この国々が異なる公用語を持ち、共通の名称形式に同意することができないならば、技術的な理由が小縮尺図表においてこの実施を妨げない限り、懸案の言語の各々の名称形式が図表と刊行物に受け入れられなければならないと勧告します。例えばイギリス海峡/ラ・マンシュ。
**************************************

 それぞれの原文を翻訳してみたが、誤訳があったり、適切ではない訳語を使用しているかもしれない。だから、正確性を要する文章の翻訳としては不適切かもしれないが、他に手立てが無いのでこの翻訳文を基に考える。

 国連地名標準化会議決議III/20とIHO技術決議A.4.2.6の趣旨を簡単に言うと「地名の国際的標準化において、多国間にまたがる地形の地名が各国間で異なる場合は、当事国間で共通する地名を定める努力をし、合意を得なさい」ということだろう。韓国はこれを根拠に併記を主張しているが、妥当なのであろうか。韓国の過去に遡る。
 
 大韓帝国時代の1899年に書かれ、大韓帝国の学校教育でも使われていた「大韓地誌」という地理書には、「日本海」との表記を使っていた。日本の保護国となる(1905年)以前から「日本海」を使っていたのだ。
大韓地誌

 その後を年表にすると、下記のようになる。
1910年:日韓併合。
1921年:国際水路局設立、日本も加盟。
1928年:国際水路局が「大洋と海の境界」を初刊行。日本海(Japan Sea)は単独表記。
1937年:「大洋と海の境界」第2版の刊行。 日本海(Japan Sea)は単独表記。
1945年:日本の敗戦。
1948年:韓国独立。
1953年:「大洋と海の境界」第3版の刊行。日本海(Japan Sea)は単独表記。
1957年:韓国が国際水路局に加盟。
1970年:国際水路機関条約発効。国際水路局は国際水路機関(IHO)に移行。
1986年:「大洋と海の境界」第4版の草案完成。日本海(Japan Sea)の単独表記に、韓国は異議を唱えず。しかし他の海域に関して調整が難航し、刊行されない。
1991年:韓国の国連加盟。
1992年:第6回国連地名標準化会議にて、韓国と北朝鮮が日本海の名称に反対する。韓国は東海(East Sea)に変更することを求める。国際社会において日本海の名称に異議がなされたのはこれが初めて。
1993年:韓国が政府発行の海図に「Tong Hae,Japan Sea」と併記。
1995年:韓国が政府発行の海図に「East Sea」と表記し、「Japan Sea」表記が消える。
1997年:第15回国際水路会議にて、韓国が「大洋と海の境界」の表記について日本海と東海の併記を主張。IHOでの韓国の併記主張はこれが初めて。初めて、「大洋と海の境界」での日本海(Japan Sea)と「東海(”East Sea”)」の併記を主張。
2002年:第16回国際水路会議にて、韓国が併記を主張。IHO は、「政治的問題に関与できない」という理由から日本海関連ページを白紙とした「大洋と海の境界」第4版の草案について加盟国に賛否を求めるも、日本の抗議により白紙化が撤回される。第8回国連地名標準化会議で、韓国と北朝鮮が過去に様々な名称が使われていたとして、韓国は東海との併記を、北朝鮮は東朝鮮海との併記を求める。だが、韓国と北朝鮮の主張は取り上げられず、関係国間で解決に努力すべきであるとされ、「個々の国は国際社会に対し、個別の名称を押し付けることはできず、地名の標準化はコンセンサスがある場合にのみ促進される」との議長要旨が出される。
2004年:日本政府の照会に対し、国連が「日本海」表記が標準的地名であり、国連の公式文書でも用いられるべきと回答。
2006年:盧武鉉大統領が安倍晋三首相に対し、日本海を「平和の海」などに改名すべきと提案しするも日本が拒否。
2007年:第17回国際水路会議にて、韓国等が日本海呼称問題を提起するも、何も決定されない。第9回国連地名標準化会議で、韓国と北朝鮮が併記を提起するも、議長が関係国間で協議して結果を次回会議に報告することを奨励し、何の決定もされない。
2012年:第18回国際水路会議にて、韓国が「大洋と海の境界」での併記を求めるも、議論の結果、現行版について新たな決定は行われない。第10回国連地名標準化会議で韓国と北朝鮮が併記を主張するも、議長が本会議に特定名称について決定する権限は無いとし、当事国同士の対話を通じた解決を期待する旨述べて議論終了。

 清朝の冊封体制から離れたためか分からないが、大韓帝国時代には「日本海」との名称を使用していた。韓国が独立した後も、1992年に異議を唱えるまでは、「日本海」の単独表記が公式な名称だったのである。韓国は今でも黄海を西海と呼んでいるが、公式には「黄海」としている。それと同様だったのだ。
 韓国は、「大洋と海の境界」の初版が出版された当時、植民地の下にあり、国際社会で「東海」の名称の正当性を主張できる機会自体を喪失していたと主張しているが、そんな国は沢山ある。しかし、韓国と北朝鮮以外の国でその様な主張をしている国は聞いた事が無い。独立する国がある度に地名を付け直さないとしたら、地名の国際的標準化は無理だろう。
 それに、韓国は「東海」を主張する機会が無かったと言っているが、韓国が国際水路局に加盟してから国連地名標準化会議で異議を唱えるまでの35年間の間に、主張する機会はあった。しかし、韓国はそれをせずに、公式な名称として「日本海」を使い続けてきたのだ。これは、暗黙の合意と考えるべきではないか。国連地名標準化会議決議III/20とIHO技術決議A.4.2.6は合意が無かった場合のことについて言及したものだ。韓国は暗黙の合意をしていたと考えられるのだから、これらの決議は根拠にならないと思う。

 日本海の呼称に対する韓国の態度は執拗だ。当初は「国際的な海に特定の国の名前を付けるのはふさわしくない」と言っていたのに、インド洋などの例を挙げられると、「日本海の名称は日本の拡張主義や植民地支配の結果広められてきた」と言い出した。韓国人が追い詰められ、無関係のことでも植民地支配を持ち出し「日帝のせいだ」と言うのと同じだ。「日帝のせい」を押し通すために、古地図調査をし、「日本海」より「朝鮮海」又は「東海」と表記した地図の方が遥かに多かったとの結果を発表していたが、日本政府が調べ直すと全く違っていた。調べ直すなんて考えもしていなかったから、安易に捏造したのだろう。
 その他に韓国は、「東海という呼称はユーラシア大陸の東にあるということを意味し、朝鮮では2000年以上前から東海という名称を使っていた」とも言っている。韓国では黄海を今でも「西海」と呼んでいるのだから、「東海」にユーラシア大陸の東という意味は無いのは明らかなのであるが、直ぐに分かる嘘でも、事情に明るくない外国人には有効とでも考えているのだろう。実際、韓国は世界中の地図出版社やマスコミなどへ執拗に圧力を掛け、2000年には「東海(East Sea)」と表記する地図は皆無だったのに韓国のロビー活動によって「東海(East Sea)」表記が増えている。韓国が無理矢理広げようとしているだけにも拘わらず、「東海(East Sea)」表記が増えているから「東海」を国際的名称にすることも可能と言い出している。
 韓国の活動にも拘らず、国際機関では韓国の主張は通っていない。国連でも、標準的な地名として日本海が使用されなければならないとの方針だ。この様な状況に業を煮やしたのか、韓国はターゲットをアメリカに変えた。アメリカ政府に「東海」表記を求めても相手にされないため、地方政府から攻めることにしたようだ。その第一歩がバージニア州だった。これからも同様のことは次から次へと起こるだろう。既に他の州でも始まっている。

 日本海の呼称が「日本海」であっても日本の領海になる訳でも無いのに、これ程までに韓国は日本海の呼称に拘るのだろうか。理由を付けては否定され、否定されると別の理由を持ち出してくるのだから、本音は別のところにあるのだろう。推測すると、一番の理由は「日本という名前が付いているのが気に食わない」という感情的なものだと思う。小中華思想が根底にあり、優越感を損なうものだから許せないということと韓国に従うべきとの感情があるのだろう。
 他の理由としては、竹島の領有権や日本海の資源と関連付けて考えているのだろう。韓国は竹島を植民地支配の過程で奪われたと主張し、実効支配を続けている。日本海の呼称も植民地支配の過程で広まったと言うことで、竹島が植民地支配の過程で奪われたという主張を間接的に補強している面もあるのだろう。また、日本海という名称は、日本の領海のように感じられ、資源争い上、不利だとの感情もあるのかもしれない。

 慰安婦場合もそうだが、韓国に火が付くと止まらない。ごね得の文化だから、どんどんエスカレートして行くばかりだ。韓国では、反日が否定できない社会になって来ているから、尚更収まるとは考えられない。呼称問題に終止符が打たれるとしたら、韓国人の歴史観が根底から覆った時だろう。韓国という国が消滅しない限り、そんなことは起こらないのではないだろうか。

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「東海併記」法案、下院委員会で可決 成立へ“秒読み” 米バージニア州
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140227/amr14022722080011-n1.htm
バージニア州「『東海』併記法案」廃案の可能性 韓国系「日本がロビー活動」と危機感強める
http://www.j-cast.com/2014/03/03198206.html
「東海」法案、知事署名へ=米バージニア州
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014030600140
日本海呼称問題
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/
世界が名付けた日本海
http://www.youtube.com/watch?v=sqP48OVr4Q0
日本海-世界が認める名称
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/meisho_douga.html
国連地名標準化会議決議III/20及び国際水路機関(IHO)技術決議A.4.2.6
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/iho_a426.html
大韓地誌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%9C%B0%E8%AA%8C


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【イザ!の遺産】漆間官房副長官のオフレコ発言の裏側

 産経グループが運営していたニュースサイト「イザ!」のリニューアルに伴い、昨年末にブログが凍結され、3月末には残っているデータも削除されます。よって、引っ越しされてデータを移動された方も多数いらっしゃいますが、放置されているブログはイザ!と共に無くなりそうです。そうしたブログの中には、興味深い内容のものもあり、綺麗サッパリ消えてなくなるのは残念なのですが、致しかたありません。ですが、どうしても残しておきたい内容もありますので、ここに一部を転載させていただきます。

******************************
ブログ名=北京東京趣聞博客(ぺきん・とうきょうこねたぶろぐ)
エントリタイトル=雑談:オフ懇と匿名取材
日付=2009/03/16 02:04
URL=http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/951200/#cmt
~~~ 略 ~~~
■閑話休題。例のオフレコの高官発言が、オフレコにも関わらず、早々に漆間巌官房副長官の発言であることが暴露され、高官のオフレコ発言の取扱いについて、番記者の間ですくなからず波紋が広がった。実は私は漆間番。ただ問題の発言があった5日のオフレコ懇談は、イチロー番(小沢番)に引っ張り出されていたので出席していない。だから、私自身、この問題でとやかくいう権利はないかもと思いつつ、それでもいろいろ背景を知ると、ちょっと漆間さんを擁護したい気持ちがむくむくおきたので、覚え書きついでに雑談エントリー。
■月~木に夕方に官邸内で行われる漆間副長官のオフ懇は、俗にいう「筋懇」といわれるもので、何々筋によると、というふうに匿名で引用してOKという暗黙の了解のもとで話される。このクオートの仕方は、官房長官、官房副長官→政府高官、秘書官→首相周辺などとパターンがほぼ決まっており、政府高官によると、といえば官房長官か3人の副長官のうちの誰か、ということになり、政府のナカの人や議員ら関係者は、誰の発言かほぼ確定できる仕組みになっている。最近はめったに使わないが、官房長官→政府首脳というパターンもある。これって、一人しかいないから、ぜんぜん匿名ではないが。
■どちらにしろ、オフ懇といえど、オフにあらず、というのが私の率直な感想。だって、何時にどこそこで懇談会します、って掲示板に張り出すオフ懇なんて、オフになりようがない。だったら、オフ懇なんていわずに、きっちり記録とった発言にすればいい。そもそも、高位の公職にある人間が各社そろった場で発言してオフもくそもないだろう、というのが私の本音。だが、官邸の伝統からいうと、そうもいかないらしい。
■私は、オフレコというのは、書かないことが前提だとずっと思っていた。で、政治部のオフレコは書いていい、とあとで教えてもらった。なら匿名取材と同じかと思っていたのだが、どうも匿名取材とも違うみたいだ。匿名取材とは、立場を離れて人間対人間として本音を語ってもらう、その代りに匿名にして、その発言によって発言者にかかる不利益を避ける。だから、匿名取材にはニュースソースを守るという責任が記者にかかっている。この記者ならその責任を果たしてくれる、という信頼が取材相手との間に醸成されたときでないと、匿名取材はありえない。でなくちゃ、本当の話なんて、誰も怖くていえない。また、記者の方もウソの発言で振り回される可能性がある。
■したがって、代打ち(番記者以外のかわりの記者)も出席でき、なおかつ問題発言したら、すぐ発言者がわかるかっこうで直後に報じてしまう、この「筋懇」といわれるオフレコ懇談というのは、オフでもなく匿名取材でもない。だから、核心の話などでないのが普通である。いわば雑談の延長、誰もが知っている話プラスちょっとしたサービストーク、理解を深めるバックグラウンドブリーフィングが主流だ。あるいは、お互い記録をとっていないことをよいことに、少々の放言、あるいは、とばし記事を黙認できる、双方にとってこずるい取材・リークの場かもしれない。
■オフ懇をする議員や高官の中には、オフ発言で記事に出ることを想定して発言する人もいるそうだ。その発言が問題になっても、双方に記録がないことを理由に、記者側が発言を誤解したり聞き間違ったと突っぱねることができる。記者の方も、なにげない一言や言い間違いをとらえて、牽強付会して伝えたとしても、それが誤解、誤報だと証明できる記録もないわけだ。双方にとって、そういうメリットがあるから、一見意味のないように思えるオフ懇というものが、えんえんと存続するのかもしれない。
■しかし、漆間副長官の場合、そういう政治部的なオフ懇リークをするタイプなのかな。そもそも、発言が問題になったとき政治部のオフ懇ルールというものを改めて説明されて、「完オフというものもあるんですね~。そういうルールは社会部(記者の取材を受けたとき)にはありませんでしたから」と驚いていた。ちなみに完オフ(完全オフレコ)というのは、発言の内容自体はソースを示さずに書いていいことになっている。
■漆間さんは、前警察庁長官。警察では、旧ソ連とか北朝鮮とか手ごわい相手の情報戦の最前線に長くにいた人だけに、オフであろうとオンであろうと肝心なことは人に話さないというのが、私の印象。(たんに私が付き合いが浅いからかもしれないが)いつも核心におよぶ話は「そういうインテリジェンス(諜報・防諜)にかかわる話は一切いえません」とそっけない答えだ。まあ、そういう話は家族にも言わないんだから、付き合い数カ月の記者にいうわけないか。だから、実は漆間副長官からの情報で、大きな抜かれ記事はない、という安心感がこれまでにはあった。
■それでも、私が時間の許す限りオフ懇にでるのは、いつかの本当の匿名取材ができるように、人間関係を醸成する場であると考えるからだ。雑談をしながら、人間同士だから、いつか信頼関係ができるだろう、重要な話に答えてもらえるチャンスもあるだろう、と期待する。でも、そういう本当の話を聞いた時、記者は絶対ソースを守る努力をする。たとえ誰かがあれは漆間副長官の発言だろう、と問い詰めても、記者は知らぬ存ぜぬ貫く。そういうのが、本来の匿名取材というものだろう。政治部のオフ懇というのは、だからいわゆる匿名取材ルールとも違うし、やはり独特のものである。
■さて、漆間懇談の例の発言だが、あれは本当にそんなに問題発言だったのだろうか。現場にいた記者にあとで聞くと、どうも、そうじゃない気がする。私が出席していない懇談の場の出来事なので、なんともいいがたいが。
■5日夜、共同通信がこの発言をニュースとして流したのを受けて、同僚が他社から確認のためにもらったメモをみたら、「自民党に及ぶことは絶対ない。額が違う」と漆間副長官の発言として書かれていた。
■本当にこの発言をそのまま言ったのなら、高官のオフ懇発言としては失言、だろうが、翌日に各社の漆間番からよくよく話をつきあわせてみると、「『絶対』っていってないような」「漆間さんの性格だと絶対なんていわないんじゃない?」「いや絶対という言葉は記憶にのこっている」「別の発言のところで絶対っていったのが、交じったのでは」「自民党といったのは質問のなかで」「こっちにはこないと思いますよ、とかいう言い方だったか」…と記者の方も記憶があやふや。
■共同が記事を流したから、あわてて記憶を掘り起こした、という社もあるようだ。おそらく、私が懇談会に出席しても気にもとめなかったかもしれない。で、共同の配信記事をみて、デスクかキャップにいわれて、あわてるんだろうな。
■ただその現場でも、「検察からの情報をもとにしての発言ではない」という感触は多くの社が共有していて、漆間さんの性格上、情報を持っていれば、その話題は「それは知っている知っていないふくめていえません」「インテリジェンスですから」と話題を打ち切ってしまうだろうと、私も思う。
■具体的な情報はもっていなくても、前警察庁長官としては、こういう捜査のやり方は知っている。だから、常識、あるいは一般論として、たとえば「二階さんもあぶないんじゃないですかぁ?」ときけば、「それは大丈夫なんじゃないですかぁ。違法性の認識の立証って難しいんですよ。請求書みたなものあっても難しいですよ」と答えるような、そういう雑談風のヤリトリはあったかと思う。失言といえば失言だが、それをもとに、国策捜査だとかいえる類のものではないと思うよ、私がそのオフ懇出ていないから負け惜しみいうわけではなくて。
■この高官発言のおかげで、いまや漆間巌の名前が記事にふくまれていれば、他の新聞が先に報道した記事の焼き直しであっても一面の左肩にのってしまうくらいの時の人となってしまった。週刊誌なんかをよむと、漆間さん、すごい陰謀家に見えるな。いや、そりゃロシア、北朝鮮相手に諜報戦やってきた人なんだから、見た目は人当りのよい柔和なおじいさん(首相よりは若いけど)でも実はすごい策略家なんだろう。だが漆間さんはともかく、夫人の中傷まで週刊誌に掲載されて、夫人の人柄を知る者としては気の毒でしかたがない。
■警察庁長官から官房副長官への異例の抜擢。あいつがいなければ、おれがあのポストに、なんて思う人はいくらでもいるし、結構、ねたまれるポジション? 高官問題発言がでたとき、「辞任すればいい」と言っている人が与党内にも官邸内にもいたことに、私は正直、恐れをなした。そういう背景も、漆間批判記事の扱いの大きさに関係しているかも。
■民主党サイドには、問題の漆間懇に出席した記者リストとかも流れていて、オフ懇の秘密録音があるという噂をもとに、そのICレコーダーのありかを探しているらしい?自宅の懇談での夫人の立ち場とか、オフ懇の記者リストだとか、番記者でしか知りえない情報が週刊誌や野党側に流れているとなると、番記者も心穏やかではない。番記者同士で、「私たちが上にあげたメモを週刊誌とか野党議員に売っている人が同僚や上司にいるってことだよね」「某社に一か月60万円くらいで、官邸内のオフ懇メモのすべてを民主党議員に譲渡する契約をしていた人がいたらしい」とかいう噂話もでて、いやあ、政治部って本当にいやな世界なんだね。
~~~ 略 ~~~
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 ブログ主の福島香織氏は元産経新聞記者で、現在はフリージャーナリストです。このエントリが書かれたのは、福島氏がまだ産経新聞記者で、北京支局から政治部に転属になって半年位の時期のことです。

 このエントリ(雑談:オフ懇と匿名取材)を補足するため、当時の状況を振り返ります。
 2008年11月、西松建設が海外で捻出した裏金約1億円を不正に国内に持ち込んでいたことが発覚し、外為法違反等で摘発されました。この捜査過程で、裏金の流出先が判明、事件は政界にも波及し、外為法違反事件だけではなく政治資金規正法違反事件にも発展しました。所謂、「西松建設事件」です。
 2009年3月3日には、民主党の代表だった小沢一郎の公設第1秘書の大久保隆規が逮捕され、民主党幹部らが「政権が仕組んだ陰謀」との声を上げていました。当時、民主党国会対策委員長だった山岡賢次も「(麻生)政権が選挙に勝つために仕組んだ陰謀」、「捜査は民主党と小沢代表を中傷する意図がある」と捜査批判を展開していたのでした。
 そういう状況下で、漆間官房副長官のオフレコ発言の報道がされたのです。

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献金捜査、自民に波及せずと高官 異例の言及
http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009030501000792.html
 政府高官は5日、西松建設の巨額献金事件の捜査について「自民党議員に波及する可能性はないと思う」との認識を示した。政府高官が政治家の絡む事件で捜査の見通しに言及するのは異例。捜査の中立、公正を確保する観点から批判も予想され、波紋を広げそうだ。
 西松建設側の献金やパーティー券購入など資金提供先には、自民党の森喜朗元首相や二階俊博経済産業相、加納時男国土交通副大臣、山口俊一首相補佐官らが含まれている。高官は「あの金額で違法性の認識を出すのは難しい。請求書でもあれば傍証の1つになるが、それだけで立件はないと思う」と述べた。
2009/03/05 19:39 【共同通信】
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西松献金事件、政府筋「自民まで波及する可能性ない」
http://web.archive.org/web/20090310000708/http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090304-527751/news/20090305-OYT1T01288.htm
 政府筋は5日、西松建設の違法献金事件について、「自民党の方にまで波及する可能性はないと思う。あの金額で違法性の認識を出すのは難しい」と述べ、自民党議員に捜査は拡大しないとの認識を示した。
 政府筋が捜査の見通しについて言及するのは異例だ。捜査の中立、公正を確保する観点から批判を浴びる可能性もある。
(2009年3月5日23時42分 読売新聞)
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西松建設事件 政府高官「自民側は立件できない」
http://www.asahi.com/special/09002/TKY200903050292.html
 政府高官は5日、西松建設の違法献金事件について、首相官邸で記者団に「自民党側は立件できないと思う。特に(違法性の)認識の問題で出来ないだろう」と述べ、自民党議員に捜査は拡大しないとの認識を示した。民主党は小沢代表の公設第1秘書の逮捕を「不公正な国家権力の行使だ」と批判しており、政府高官が捜査の見通しに言及したことは、波紋を広げる可能性もある。高官は同夜、「(議員側に)西松建設から献金を受けた認識があるという傍証がない限り(立件は)難しいという意味だった」と釈明した。
 自民党側では森元首相や二階経済産業相、山口俊一首相補佐官らが、西松建設OBが代表を務める政治団体から献金やパーティー券の購入を受けている。
2009年3月5日21時24分 朝日新聞
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自民に波及「絶対ない」、政府高官、巨額献金事件で。

政府高官は五日、西松建設の巨額献金事件について「自民党に及ぶことは絶対ない。請求書のようなものがあれば別だが、金額が違う。立件はない」と述べ、事件が自民党側に波及することはないとの見通しを明らかにした。
2009年3月6日 日本経済新聞
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 この報道で、追い詰められていた民主党が勢いづき、漆間官房副長官が参議院予算委員会で政府参考人として答弁することになります。漆間官房副長官は、「発言を記者がどのように理解したかは分からない。真意が伝わらない形で報道された。」とし、次の3点を明らかにしました。
①検察側の捜査にコメントする立場にないが、一般論として違法性の認識の立証は難しい。
②金額の多寡は、違法性の認識を立証する上で大きな要素となる。請求書は傍証の一つだが、それだけで立件できるかは疑問。
③検察は本人が否認しても起訴に持ち込める証拠を持っているだろうと申し上げた。


 読者は、記事が書かれている裏側を知ることは通常ありません。ですから、あやふやな記憶で記事が書かれていることもあるとは、思いもしないのです。
 このエントリは、通常知ることができない舞台裏を明らかにしている珍しい例なので、残しておくべきと考え、引用させていただきました。

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漆間巌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%86%E9%96%93%E5%B7%8C#.E8.A5.BF.E6.9D.BE.E5.BB.BA.E8.A8.AD.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E7.99.BA.E8.A8.80
【漆間問題】≪資料≫漆間巌・官房副長官の発言要旨(①5日“オフレコ”懇談②9日予算委③9日記者会見)
http://www.47news.jp/47topics/e/98053.php?page=all
西松建設事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%BE%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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