六丈記2

備忘録のようなもの

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靖国神社の放火犯は中国人? 続報21

 「靖国神社の放火犯は中国人? 続報20」で取り上げた記事に、劉強がミニブログ(微博)で意見表明しているとあったので、調べてみると「劉恕恩的微博」(http://tw.weibo.com/shuenliu)というページを発見した。劉強の書き込み全てを掲載している訳ではないと思うが、帰国後の情報が分かると思い、帰国後の書き込みを機械翻訳を用いて和訳した。
*** 劉恕恩的微博 ***
2013年1月5日 11:06
帰国した 1年の以来の皆さんの思いやりに感謝

2013年1月7日 13:03
微博を配布します

2013年1月12日 14:37
体はすでに帰ったけれど しかし、心の落ち着きは戻っていない 後遺症があるか心配

2013年1月12日 22:01
今日の午後に日本から電話が来た 私は出なかった 日本人がいつどの様な方法で私に報復しに来るのか本当に分からない

2013年1月16日 17:30
良いこと

2013年1月17日 18:18
マンデラの定番フレーズ:「私は自由への刑務所の門に向かって刑務所の外に歩いていると、痛みや憤りが残した場合、実際には、私は刑務所にまだあったので、私は、それを明確に彼ができることを行ってきた
マンデラ定番の語: 「私が自由に通じる監獄の門ことに向かって囚人部屋を出る時、もし自分が痛みと憎しみを背後に残すことができなければ、私はまだ牢獄の中にあると、私は分かっている」

2013年2月10日 16:03
みんなが祝福に満ち溢れた新年であることを祈る、良いことは全て来て、悪いことは全て去る!

2013年3月10日 12:37
現在求職中、どこかの企業が私にあることを願う、就業する旺盛なエネルギーがある! 私、劉強に機会を与えるよう推薦して下さい。私の昔の本職は広告会社の取引先担当責任者で、英語のリスニングやスピーキングを教えたことがあり、ピアノを弾いたことがあって、心理学の翻訳およびトレーニングを取り仕切ったことがあります。

2013年4月25日 15:01
情緒の癒し、心身の治療、雅安の幸福のために祈る! 四川ガンバレ!

2013年5月10日 14:46
過去に発生した全ての事について、寛大な許し、寛大な許し、やはり寛大な許し。

2013年11月23日 6:13
支持支持! 【役人:中央に対抗する者は香港の長官にふさわしくない】

2013年12月13日 8:41
1年前は韓国のソウル高等裁判所にいた、本当で良い1年だった。【4人の抗日戦の退役軍人:申し訳ない、南京をしっかり守れなかった】

2013年12月21日 22:22
「Kaakoo」はさらに多くの面白画像を探し当て、友人と素早くシェアする。私はここにいる、あなたはどこにいる?
※訳者注:Kaakooは無料の音楽、画像などを入手するソフトウェアの名

2013年12月26日 21:47
中国民族は最も危険な時に達した! 【安倍が悪鬼に参拝後の各方面の態度表明のまとめ:韓国のトップグループの大臣が激しい非難】

2013年12月27日 7:39
天網恢々! とことん付き合う! 【中国側の会見で駐中国大使:とことん付き合う】

2013年12月27日 22:26
共有写真 私はいる:http://t.cn/8kuKG43
トイレの書

2014年2月9日 16:24
安倍の話、私は句読点さえ信じない。//@方曉松の微博:琉球王国は古来より中国の属国です!

2014年2月11日 15:20
靖国放火の中国人、日本領事館前で抗議 地元警察が阻止 2014年2月6日 劉強、元受刑者は「昨年の安倍晉三首相の靖國神社參拝に抗議したいと思って来た。今年は日清戦争から120年。来月から毎週来たい」と話した。 私はいる:http://t.cn/8FNhCF2
※訳者注:「靖国~話した。」まで日本語表記
領事館前の写真1
領事館前の写真2

2014年2月12日 12:39
今日午後3時、日本国駐広州総領事館、文化的娯楽書道作品の展示パフォーマンス
私はいる:http://t.cn/8FpvREq
書の写真

2014年2月12日 16:20
今日の午後の日本領事館での書道展示。私はいる:http://t.cn/8Fpb3JC
領事館前の写真3
領事館前の写真4

2014年2月19日 15:11
日本のNHKの会長が錯誤した言論に「痛切な反省」と話すhttp://t.cn/8FTdOik
中華よ決起せよ!日清戦争の恥をそそげ!
**********************

 帰国後、2ヶ月経っても就職できず、焦っている様子がうかがえる。就職できたのだろうか。水曜日に限定してデモを続けていることから、水曜日が休日の企業に就職したのかもしれない。
 靖国神社に放火したことにより、英雄と持て囃されたわりには就職に難儀している。公安当局にマークされている人間を好んで採用する企業は稀有であろうから、難儀するのも当然か。事件を起こしても、実社会では何の利益も得られなかったということだろう。「本当で良い1年だった。」と1年を振り返っているが、そんな様子には見えない。
 安易な売名行為で自らの首を絞めることになったが、劉強はそうなったことを反省することはないだろう。今後も売名のために反日行為を繰り返すに違いない。

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韓国人による靖国神社放火未遂事件 共犯がいる筈 続・続編

 靖国神社に放火しようとして昨年9月22日に逮捕され、放火予備と建造物侵入の罪に問われていた韓国人のカン・ヨンミンが既に帰国していた。
 昨年12月26日、東京地裁が「放火すれば他の建物に延焼する可能性もあり、相当危険な犯行」として懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)という判決を下していた。カン・ヨンミンは控訴せずに、判決翌日に帰国したようだ。
 昨年10月20日のエントリ「韓国人による靖国神社放火未遂事件 共犯がいる筈 続編」で、犯人のカン・ヨンミンは「法廷で靖国神社や日本批判を繰り返し、あくまでも靖国神社を焼き討ちしようとしたと主張する」のではないかと予想した。しかし、予想に反し、カン・ヨンミンは初公判で起訴内容を認め、「放火で自分の主張を示したかった。日本の国民の怒りを買い、申し訳ない」と述べた。弁護士も最終弁論で「日本の政治家に抗議するために放火しようとしたが、人を傷つけるつもりはなかった」として執行猶予付き判決を求めていた。強硬に自己主張をして実刑判決を受ける可能性を高めるよりも、謝罪をして執行猶予を勝ち取り帰国するという戦術を取ったのだろう。弁護士の助言を受け入れたものと思われる。東京地裁は、謝罪と前科が無いことを理由に執行猶予を付けたのだから、思惑通り進んだということか。

 カン・ヨンミンは釈放後に韓国の聯合ニュースの取材を受けていた模様。東京特派員がインタビューを基にして下記の記事を書いている。元記事は朝鮮語なので、機械翻訳を用いて和訳する。誤訳があるかもしれないので元記事を参照のこと。
*** 靖国神社に放火しようとした青年「後悔・反省、主張は変わっていない」 ***
聯合ニュース2013-12-30
http://news.naver.com/main/ranking/read.nhn?mid=etc&sid1=111&rankingType=popular_day&oid=001&aid=0006676427&date=20131230&type=0&rankingSeq=2&rankingSectionId=102
 日本で執行猶予受けて帰国したカン某氏インタビュー・・・「安倍総理参拝見て残念だった」
 
(東京=連合ニュース) チョ・ジュンヒョン特派員:「正当ではなく不法で危険ない方法で抗議しようとしたことに対して反省し、後悔している。しかし、私がしようとした主張については後悔しない。」
 日本、東京の靖国神社に放火しようとした容疑で拘束され起訴されたて執行猶予で釈放された韓国人のカン某(23)氏は、30日に連合ニュースの電話及び電子メールインタビューでこのように話した。
 カン氏は、去る9月22日に2リットルペットボトル2本に入れられたシンナー、ライター、手袋などを所持して日本国東京都千代田区所在の靖国神社に侵入し、警備員に捕まった後に建造物侵入と放火予備容疑で拘束起訴されて裁判を受けた。
 彼は、安倍晋三首相が靖国神社に電撃的参拝した去る26日、東京地方裁判所で開かれた1審の判決公判で、懲役3年執行猶予4年を言い渡されて釈放された後、翌日に帰国した。
 カン氏は、靖国放火を考えるようになったことについて「日本の政治家と右翼が過去の侵略戦争を絶えず正当化し、歪曲する発言や行動を続けていたので黙っていてはいけない思った」「誤った行動であると思うが、こういうことをしてでも抗議したかったし、警戒心を与えたかった」と語った。
 彼は、「最初の考えでは、靖国神社の前で、日本が過去の侵略戦争当時に犯した残虐行為の写真を入れたチラシを撒く1人デモを計画したが、それでは彼らに警戒心を与えるのに不足だと思い放火の方に考えを変えた。」と説明した。
 加えて、カン氏は帰国する途中に出入国管理局で安倍首相が靖国神社に参拝する場面をTVで見たとし 「当然、非常に残念だった」と明らかにした。
 彼は「日本が嫌いでそんな行動をしたことではない」と明かした後、「矛盾のように聞こえるだろうが、昔から日本が好きで、今でも好きで、韓日関係が良くなるように願う」としながら「日本の政治家たちが誤った行動をすることで、その国とその国の国民まで嫌ってはいけないという考え」と説明した。
 カン氏は取調べと裁判で3ヶ月あまりを日本で過ごす間「日本人国選弁護人と東京駐在の韓国総領事館の支援を十分に受け、留置場や拘置所での不当な扱いはなかった」と伝えた。
 ただし、カン氏は検察の取調べ過程で放火をしようとした理由に関連して、独島問題を取り上げたことがないのに通訳の間違いで独島が調書に入ったと明かした。彼は「検事に独島関連の内容は調書から抜くことを要求したが、検事は『独島が韓日関係で重要な問題なのにどうして抜こうと思うのか』と執拗に問い返したため、『勝手にしろ』と返事した。結局、調書に『独島』が入った。」と明かした。

◆記事に対するコメント 合計1715個
●あなたはアジアの英雄です
●独島を問題視しようと思う日本階級も下劣
●私がしたくてもできないことを ... 格好よい!!!
●大韓民国の英雄!!
●よくやった!
●方法が間違っていた。それを分かっている。あまりにも過激な行動であった、残念という言葉しかないが上のコメントの人よりもあなたの方が遥かに良いだろう。
●もちろん、放火をしようとしたのは間違っているが、それでも私も賛成する、どうか日本よしっかりしろ
●率直に君らに言う。口だけででしゃばる君たちよりはるかに誇らしくて素晴らしい。
●第2の安重根だ、とても最高だ
●若い年齢なのにすごいね~私たちの国会の年寄りたちは何を感じているのか?
---以上が最初の方のコメント、以下が最後の方のコメント---
●その意図はよく分かりました。しかし、放火を試みてもこの問題が簡単に解決される問題でもなく、かえって反韓感情だけをさらに助長した行動のようで残念ですね..
●現実的に日本を孤立させることができるのは日本の商品の不買運動です。中国でもそういう動きが起きて、中国は共同対応しようといいました。中国の人達と私達が一緒に協力して国際的経済的に日本を孤立させましょう。
●大統領辞任しろ、寺門に放火したOOOより比較にならないほど貴重な仕事をした
●放火の民族朝鮮人wwwwwww
●本当に恥ずかしい、韓国人の未開の歪んだ愛国心、徹底した反日反共、自分たちだけの歴史が正しいといった誤った歴史観、教育の対価だ、外に出て意見が違えば火を放ち暴力を行使すればいいのか、このような人間をなんとか上手く庇い立てするような社会が果たして法治民主主義社会といえるだろうか、外に出て異なっても間違っていないと大韓民国という井戸に閉じこもり、私だけ私たちだけが正しいと主張してはならない、何が国益で韓国のイメージ向上に役立つか考えよう、自分たちの歴史だけが正しいとする偏狭な民族に未来はない
●ガンジュングンさん素敵です
●私も愛国という名で暴力を行使することよりも、初期三一運動のように平和的な方法がより正しいとみるが....まあ、人命殺傷もなく、侵略の象徴であるだけで木造建造物の一つを燃やすのは大きな悪事ではないと思う。書かれた文章で終わって残念だ。
●安重根義士も尹奉吉医師も方法自体は善い行いではなかったが(犬のような連中でも、人間の命は尊厳だから こん畜生め)、その意味が非常に高かく、結果的にとても良かった。この青年も同様である。本人の主張は妥当でも、方法は誤っていたと分かっているのが非常に立派である。
●このような青年を国会に...ショーウィンドーの国会議員が多すぎる
●若年、本当に幼くて愚かだな、糞なのか味噌なのかつけて食べて見なければ分かることではないのに... 韓国がどうして日本の毎年の挑発に強い非難ができないのか。日本が韓国を挑発することは右翼保守陣営を抱き込むことで政治的にも利益だが、韓国が挑発に応じるともっと大きい利益をもたらすことを分からないか? 本当に幼いね。
****************************************************************************

 カン・ヨンミンは、検事調書の犯行理由に竹島の領有問題に関することが加わったことに不満を表している。検事の執拗な質問に投げやりになって答えたことにより加わったとする一方で、通訳の間違いとも説明しているが、2つの説明は両立するのだろうか。それに、検事調書に間違いがあるなら公判で正すチャンスもあったのだが、カン・ヨンミンはそれをせずに初公判で起訴内容を認めて謝罪している。
 このようなことからすると、カン・ヨンミンは取調べ過程で色々と主張し、その中に竹島に関することもあったものとも思える。後から、カン・ヨンミンが竹島に関することは都合が悪いと考えたということではないだろうか。何故、竹島領有問題が動機の一つになると不都合なのか分からないが。

 また、カン・ヨンミンは、犯行動機を日本の政治家などの侵略戦争正当化に対する抗議だとし、当初はチラシを撒く1人デモを計画していたと言っている。頭の中でチラシを撒くことを一寸思い浮かべただけでも計画と主張可能であろうから、完全に否定することは出来ないが、逮捕当初は終戦の日に国会議員らが靖国神社に参拝するニュースを見て犯行を決意したと供述し、韓国内で綿密に放火のための下準備をしていたことを考えると、初めから放火目的であったと思わざる得ない。靖国神社放火事件を起こした中国人の劉強を模倣して売名行為を試みたということを隠したいための言い訳にしか聞こえない。

 釈放後の初インタビューということもあり、コメントが多く寄せられている。最初の方は持て囃すコメントばかりだが、数日後には少し冷静になったのか否定的なコメントも有る。日本人ではないかと思われるコメントもあるので、否定的なコメントが韓国人のものであるとは言いきれないが、シンシアリー氏のような人間も少ないながらもいるということだろう。

 劉強もそうだが、カン・ヨンミンも自身の考えが正しいものであるかを全く疑っていない。だから、相手の話を聞こうとか、理解しようとかしない。自身の考えを押し付けるだけだ。人間は普通、自身を肯定する傾向を持つが、特定アジアの国はそれが非常に強い。特に韓国は極端に思える。これが朱子学の影響ということなのかもしれない。

 靖国神社を放火しようとしたことで、カン・ヨンミンが現実社会で利益を得ることは無いだろう。劉強も実利を得ていないようだ。靖国神社に放火して売名行為をしても、得られる物は何も無いという現実を中国人や韓国人は直視するべきだが、反日を国是としている内は後に続く者が現れるだろう。靖国神社の警備体制が解かれる日は遠そうだ。

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靖国放火「相当危険な行為」 韓国籍の男に有罪判決 東京地裁
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/131226/evt13122611330011-n1.html
「日本国民に申し訳ない」靖国放火準備の韓国男 懲役3年求刑
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131202/trl13120213000003-n1.htm

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靖国神社の放火犯は中国人? 続報20

 靖国神社放火を自白しながら、韓国から日本への身柄引き渡しがされず、中国に帰国した劉強。帰国直後は中国でも話題になったが、その後の消息はようとして知れなかった。なので、公安当局の監視下に置かれて軟禁状態にでもなっているのかと思っていたが、そうではなかったようだ。日本総領事館前で騒ぎを起こしている劉強の記事が報道されていた。

◆2月5日の記事
*** 靖国放火男の抗議活動制止 中国当局、広州総領事館前 ***
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/140205/wor14020523390038-n1.html
 2011年に靖国神社に放火し、12年には在韓日本大使館に火炎瓶を投げ付けて韓国で服役した中国人、劉強元受刑者が5日、中国広東省広州市の日本総領事館前で抗議活動を行おうとしたが、公安当局が制止した。公安当局は、抗議活動が反日デモへと発展し、社会が不安定化することを懸念したとみられる。
 劉元受刑者は、安倍晋三首相の靖国神社参拝などに抗議するのが目的だったとみられる。仲間数人とともに日本総領事館前の路上で横断幕を広げて演説などを行おうとしたが、公安当局者十数人が取り囲み制止した。
 劉元受刑者は11年12月に靖国神社の門の周辺に放火後、12年1月にソウルの日本大使館に火炎瓶を投げ付けて逮捕され、懲役10月の実刑判決を受けて服役。刑期満了後、ソウル高裁は「政治犯」と認定し日本への身柄引き渡しを拒否する決定を出した。(共同)
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◆2月13日の記事
*** 靖国放火男の抗議また阻止 中国、広州総領事館前 *******
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140213/chn14021301190001-n1.htm
 2011年に靖国神社に放火し、その後別件で逮捕され韓国で服役した中国人、劉強元受刑者が12日、中国広東省広州市の日本総領事館前で抗議活動を行おうとしたが、公安当局が再び阻止した。劉元受刑者は5日にも同様の抗議活動を試み、公安当局に制止されている。
 横断幕を掲げようとした劉元受刑者を公安当局者十数人が取り囲み、阻止。安倍晋三首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦問題に抗議するのが目的だったとみられるが、当局は抗議活動が反日デモに発展し、社会が不安定化するのを懸念したもようだ。
 劉元受刑者は靖国神社に放火後、12年にソウルの日本大使館に火炎瓶を投げた事件で懲役10月の実刑判決を受け服役。刑期満了後、韓国側は日本の身柄引き渡し要求に応じず、劉元受刑者は中国に帰国した。(共同)
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 劉強は韓国から送還され、親元の上海に戻ったが、広州の日本総領事館でデモを起こしているところをみると、今は広州市に住んでいるのかもしれない。来日する前は広州に住んでいたから、妻子は広州に残っていて、そこに戻ったのだろう。
 帰国直後は英雄と持て囃されていたのに、1年後に劉強が行動を起こすと、行動を共にする賛同者は数人程度だった。一時的な熱狂が過ぎて忘れられ、関心が無くなったということだろうか。
 関心が薄くなったとはいえ、共同通信がニュース配信するくらいだから、中国でも何らかの報道があるだろうと思い、中国サイトを探してみると次の記事があった。基本的に機械翻訳なので、読みにくく誤訳があるかもしれないが、日本語に直したものを掲載する。

*** 「慰安婦」の子孫の劉強 日本領事館へ今赴いて抗議の横断幕を掲げる ***
 2014年2月5日
http://www.backchina.com/news/2014/02/05/282287.html

 中国本土の世論が日清戦争120周年到来する時、反日運動の新しい一つの波が湧き上がる。一昨年、日本が慰安婦問題について謝罪しないことに不満を持ったことが原因で、日本の靖国神社及び駐韓日本大使館に焼夷弾のような物を投げつけた慰安婦の子孫の劉強は、今日(水曜日)午後に10名の賛同者と駐広州日本領事館に向かって抗議しようとしていて、彼らは横断幕を掲げて演説をすると語り、この呼び掛けが中国、韓国及び良識的日本人の関心を引くことを望み、同時に、中国社会の理性的抗議の情報が日本に伝達でき、活動は継続されるとしている。
 今回行動を始めた劉強は、紅軍新四軍の抗日英雄の烈士の子孫を自称していて、母方の祖母は韓国人で、1942年に日本軍によって強制的に連れ去られて中国南部で慰安婦をさせられた。彼は、昨日、「5日(今日)を選んで駐広州日本領事館に行く、私が2012年に駐韓日本大使館へ焼夷弾を投げつけてからすでに2周年が経過しているからだ」と本紙に示し、同時に、彼は「以前の行為が過激だった」と認めた。
◆横断幕を掲げての演説 10人より多くないと述べる
 「今回は温和な表現方法で訴え、午後2時半から始めて5時に終えることを予定し、現場は10人より多くならないだろう、またメディアに知らせていない。」当分広州の役所筋に知らせないけれども、現場から追い払われることを恐れていないと、劉強は語る。彼は説く、近頃日本国内の右翼勢力が台頭し、首相の安倍晋三も去年の12月26日に第二次世界戦争における日本のA級戦犯を祭る靖国神社を参拝、安倍が「鬼を拝む」振る舞いに抗議するため、今日横断幕を広げる以外に、「日本の軍国主義反対」の演説を発表し、これ以外に歌とダンスなどの表現方法を取る集まりがある。
◆去年には過去の事を寛大に許すと語る
 彼は表明す、役所筋に追い払われるかどうかに関わらず、彼は平和的デモのために来週の水曜日(12日)に再度駐広州日本領事館に行き、この後から3月初めまで毎週水曜日の午後にここで抗議することを堅持し、「中国人の喚起を希望し、韓国人ばかりでなく良識的日本人の関心に、中国社会の理性的な抗議のデモ情報を日本国内に伝達することを考える。」と。
 中国本土の民間の反日活動は直ぐに政府の抑圧を受け、劉強は昨日に本紙の訪問を受けた時、いろいろと気をもみ、記者にいくつかの比較的敏感な話を削除することを求めた。事実上、去年の1月4日、劉強は韓国で10カ月服役した後、中国に送還される。それ以後、彼はすぐに英語教育と翻訳に専念して、更に去年何度も実名のミニブログの上で「過去に発生したすべてについて、寛大な許しが必要、寛大な許し、やはり寛大な許し。」と発表した。
◆安倍が靖国神社に礼拝 「中国の最も危険な時」に転ずると述べる
 しかし、去年、日本の首相の安倍晋三が12月26日に靖国神社へ再度参拝したことに至り、彼はミニブログの上で「中国民族は最も危険な時に到達した」と語り、更に自分のトイレに「安倍小三の神社参拝を中国の勇士はトイレで笑う」という日本をあざ笑う書画を張り出した。このたぐいの行為は、一つには家族に好ましくない出会いによる影響を被らせ、二つにはその母に韓国高等裁判所に証人として出廷させて「息子の靖国神社は日本の植民地統治をひどく恨んで放火した」と話させた。
 今年は日中戦争120周年であり、中国本土の世論の反日感情は上昇していて、新浪ミニブログで孫中山の子孫と自称するユーザーは「中国の国父の孫文から4世代目」とミニブログで明かして発表し、同じく今週の金曜日に広州日本領事館門前で訴え、「日本領事館は跪いて尖閣諸島と日本の島が中国領土であると認めろ」と要求するとしている。
トイレの書

記事に対するコメント
●2番目の訪問者
裕福な人は政治協商会議に入ります
貧乏人は日本人を殴ります
みんなは用事があります
政府はやっと安定します
●3番目の訪問者
やっとのことで天朝の屁の民たちがなぜか絶え間なく共匪に虐げられると分かって反抗出来ません、こんなごみのような人種は、死に絶えなければいけません!
●4番目の訪問者
>3番目の訪問者
隅に篭もって話をするな、大通りで叫んで注意しろ
●5番目の訪問者
中国人は大馬鹿比べ、金が有っても無くても全て同じ、日本が馬鹿比べの中国人に再度勝つことを希望します。
●6番目の訪問者
どうして日本人を寛大に許すことができるのか/靖国神社を焼くことと靖国神社に大便を撒くことに対してすべて大々的に表彰されなくてはならない。過ぎたことにすべて後悔する必要はなくて、中日平和に何か可能性はあるのか/動物に対してどんな許しがある/侵略戦争時に日本の民衆はとても戦争を支持した。私は対日戦争中であると思う、日本の一般人の虐殺を進めるべきで、それも大量虐殺。日本人を永遠に恐れさせる。軍国主義と安倍は中古から生まれ出る中国のごみの指導をどうしても痛めつける、報復を計算しろ。
●7番目の訪問者
支持!
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 デモを当局筋に知らせていないとしている一方で、公安当局の排除を恐れないと述べている。デモのことは公安当局が知っていて、公安当局から事前に警告を受けていたのだろう。ただ、公安当局が本気でデモをさせないつもりなら、劉強を拘束しているだろうから、領事館に危害を加えず、コントロール可能なデモなら黙認しているのだろう。劉強がネット上で「許し」を言い出し、穏健な手法に変えたのも公安当局の影響ではなかろうか。
 また、劉強はメディアに知らせていないとしながらも、中国人、韓国人、日本人の関心事になることを望み、デモが日本で報道されることを期待している。実際に共同通信の記者が駆けつけているのだから、本当は様々なメディアに通知したのだと思う。しかし、相手にするメディアが少なかったから、知らせていないと言っているのではないか。

 劉強は、靖国神社に放火することで時代の寵児にになり、中国の英雄として中国の社会で特権的な扱いを受けることを夢想していただろう。だが、ネット上や韓国メディアに犯行告白しても、思ったほどの反応が得られなかったので、ソウルの日本大使館に火炎瓶を投げてみせた。これで、靖国神社の放火犯と広く認識されたが、韓国に10ヶ月も服役するという代償を払うことになった。
 帰国直後こそ、注目され英雄と持て囃されたが、それも長くは続かなかったようだ。その後は、英雄扱いどころか公安当局の監視対象になっていたように思われる。勝手に行動し、トラブルを起こす注意人物とみられているのだろう。劉強の当初の思惑とは随分違う状況になっているに違いない。
 こうした状況を打破するために、劉強は反日行為でまた売名を始めたのだろう。3月上旬まで続けるそうだから、来週、再来週の辺りまで、水曜デモを行うと思われる。ただ、何回デモを行っても話題にもならず、支持も広がらないのではないか。記事のコメントを見ると、コメント数が少ないし、内容が比較的冷ややかだ。これでは、劉強がデモを続けても無駄に終わるのが目に見えている。

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李承晩の日本武力侵攻計画について考える

 短足おじさんのブログ「短足おじさんの一言」のエントリ「この話の真偽は?<続編」(http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-912.html)で、朝鮮戦争直前に韓国軍が釜山周辺に集結していたとの説が取り上げられていました。
 「李承晩大統領が対馬に武力侵攻するために韓国軍を釜山に集結させていたところ、北朝鮮軍が攻撃を開始したため、北朝鮮軍は一気に釜山付近まで南進することが出来た。」。この話を知ったのはかなり以前のことと記憶しているのですが、何時どの様な経路(本、TV、ネットなど)で知ったのかが定かではありません。
 この話を知った時には、なるほどと思ったのですが、改めて考えると一寸変です。釜山に軍を集結させたことが北朝鮮軍の電撃的な進軍を許した理由なのですから、相当数の兵力を集めたと推測されます。この時期の韓国軍の兵力は約10万人ですから、5割としても5万人が釜山に集結したことになります。昔から陸軍が主体だった韓国軍にこの兵力を輸送するだけの艦船が有ったとは思えません。いくら反日で凝り固まった李承晩といえども、渡海能力が無いのに釜山に大軍を集結させるとは思えないのです。
 それで、この話のソースを探してみました。

 調べてみると、次の文章が2012年9月1日に掲示板に出現しています。
****************************************************
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51376728.html
【韓国】放送通信審議委「親日称賛サイト制裁する」…「独島は日本の領土」インターネット親日掲示文削除★3[08/31]
1 :ピアノを弾く大酋長φ ★:2012/09/01(土) 20:59:14.90 ID:???
放通審議委"親日称賛サイト制裁する"


省略


147 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/09/01(土) 21:46:28.52 ID:skOQnSXT
俺は共産主義も北朝鮮政府も、その体質や思想も全く受け容れられないが、
「朝鮮戦争の原因」については日本のマスコミや一般国民の「朝鮮戦争は、
北朝鮮の一方的侵略によって始まった。」という「常識」の歴史観は間違って
いると思う。 つまり

●朝鮮戦争は、北朝鮮の一方的な侵略ではない。朝鮮戦争の元凶は、それこそ
韓国(当時は李承晩政権)の南侵領土拡大策の野望。

朝鮮戦争の真相は、社民党(旧社会党、日教組、総評など)によって隠され、
歴史の歪曲がされたまま、特に団塊世代以上では殆どの国民が、韓国情報機関の
スパイ工作員らによって、「マインドコントロール」、「洗脳」されたままに
なっている。

1947年以降、ポツダム宣言を受けたサンフランシスコ講和条約草案(特に日本の小島嶼の
領有権に関する条項)過程で、韓国の李承晩政権は活発に米議会でのロビー活動を展開しながら、
米国政府に対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、
竹島を日本領から外すように要求していた。
ところが、米国国務省は、その韓国政府の要求を再三にわたって断固として拒絶していた。
ラスク書簡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9B%B8%E7%B0%A1

そうしていたところ1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の
声明なし、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを自称し、朝鮮半島南部での
大演習を装って対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移しはじめた。
それを察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。つまり、
「もし韓国が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら「在韓米軍は朝鮮半島から
引き揚げる。」とである。李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて、その警告を
無視して韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動を始めた。それを見て激怒したのはマッカーサー
だけではなかった。それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬、竹島に関する要求を
知っていた国務省も激怒した。それでマッカーサーの警告を後押しする意味で、アチソン国務長官は
「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を出した。韓国軍主力の殆どが半島南部に移動して
いて38度線の韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲でない。」
旨を聞いた北朝鮮政府とスターリンは小躍りして喜び、南侵策を決行することにした。
それが朝鮮戦争の真相だから。
****************************************************
 ID:skOQnSXTの書き込みは何かからのコピペかもしれず、これが最初に書かれたものではないかもしれません。ですが、この後に急速に拡散している様子が見うけられます。拡散の過程で冒頭の部分は削られ、「朝鮮戦争の真相」との題も付けられたようです。

 この記述は正しいのでしょうか。ウィキペディアの「朝鮮戦争」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89)と「烏山の戦い」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)から時系列を抜き出してみます。
1948年 8月15日:大韓民国樹立
1948年 8月18日:李承晩大統領が対馬の領有権を主張
1948年 9月 9日:朝鮮民主主義人民共和国樹立
1948年12月   :軍事顧問団を残して朝鮮半島からソ連軍が撤退
1949年 1月 7日:李承晩大統領が対馬の領有を宣言
1949年 6月   :アメリカ軍も軍事顧問団を残して朝鮮半島から撤収
1949年10月 1日:中華人民共和国樹立
1950年 1月12日:アチソン米国務長官がアメリカの防衛ラインを表明(アチソンライン)
1950年 3月   :金日成がソ連を訪問し、スターリンに南侵を容認させる
1950年 5月   :金日成が北京を訪問し、毛沢東に中国軍が支援することを約束させる
1950年 6月25日:北朝鮮軍が南侵開始。朝鮮戦争勃発
1950年 6月27日:安保理決議がなされ、国連軍が結成される
1950年 6月27日:韓国政府がソウルを放棄し、水原に遷都
1950年 6月28日:ソウル陥落
1950年 6月30日:九州にいた第24歩兵師団に出動命令が下される
1950年 7月 4日:先遣隊の第24歩兵師団第21連隊が北朝鮮軍と交戦開始。朝鮮戦争における米朝間の初戦闘。

 skOQnSXTの書き込みでは、「1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の声明なし」となっていますが、「声明を出した」ということでしょう。「1950年1月の年頭記者会見」というのも1949年1月7日のことだと思います。ただ、韓国海軍のHP(http://www.navy.mil.kr/program/board/detail.jsp?boardTypeID=14¤tPage=1&menuID=001003001&boardLines=10&boardID=253062)には、「1948年8月18日の初記者会見で、李承晩大統領が対馬の返還を要求」「1948年9月9日、李承晩大統領が対馬に関する声明を発表し、領有権を確認」「1949年12月31日の年末記者会見で、李承晩大統領が対馬の領有権を主張」との内容の記載がありますので、1950年1月に李承晩大統領の年頭記者会見があり、対馬の領有権を主張したということも十分考えられます。
 ここで問題になるのが、「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」との記述です。在韓米軍は何を意味するのでしょうか。在韓米軍がアメリカ軍事顧問団を意味するなら、次のような流れになります。
●1950年1月7日頃、李承晩大統領の年頭記者会見

●韓国軍が侵攻計画を開始

●マッカーサーが「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と警告

●韓国軍の主力が朝鮮半島南部に大移動

●1950年1月12日、アチソンライン表明
 在韓米軍がアメリカ軍を意味するなら、こうなります。
●1949年1月7日、李承晩大統領の年頭記者会見

●韓国軍が侵攻計画を開始

●マッカーサーが「在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」と警告

●韓国軍の主力が朝鮮半島南部に大移動

●1949年6月、アメリカ軍が朝鮮半島から撤収

●1950年1月12日、アチソンライン表明
 在韓米軍という言葉を自然に理解すると、アメリカ軍ということになるでしょう。しかし、それでは朝鮮戦争の1年以上前に韓国軍が釜山に集結していたことになります。流れとしては在韓米軍をアメリカ軍事顧問団と理解した方が自然なのですが、それでも、韓国軍の大軍を釜山に半年も張り付かせたままにしていたということになり、侵攻計画を発動中の軍事行動としては異常です。
 それに、マッカーサーにはアメリカ軍を好き勝手に動かす権限は無かったでしょう。朝鮮戦争勃発後に、マッカーサーは2個師団の投入を求めましたが、トルーマン大統領1個師団しか認めませんでした。
 以上のことから考えると、skOQnSXTの書き込みは虚偽と判断するのが妥当ではないでしょうか。

 skOQnSXTの書き込みがあったのは2012年9月1日で、1年半も経ってはいません。私がこの話を知ったのは、もっと前のことだったように思います。それで、更に調べを進めると、YAHOO知恵袋に下記の質問がありました。
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1033315625
『李承晩の日本武力侵攻計画?』
suikoumeiさん

『李承晩の日本武力侵攻計画?』
ジャーナリストの落合信彦が、その著作の中で、
韓国の李承晩初代大統領が、日本への積年の恨みを晴らすべく、
密かに日本への武力侵攻計画を立てていたが、
それをキャッチした、アメリカの猛烈なプレッシャーで、
あえなく計画は挫折した・・・
という趣旨の、秘められた`エピソード`を紹介しているのですが、
本当でしょうか?
私はあまり信じられないのですが・・・
南北が厳しく対峙している中で、
そんな計画実行できるわけないと思うのですが・・・
質問日時: 2009/11/23 20:34:48
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 実際に軍を移動させたとは書いていませんが、李承晩大統領による日本武力侵攻計画があったとし、ソースに落合信彦氏の著作物を示しています。
 また、YAHOO知恵袋には、この様な回答もありました。
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12107615567
李承晩が対馬侵略を企て、そのまま九州上陸を予定していたというのは本当ですか? ...
rumoicitizenさん

ベストアンサーに選ばれた回答
nakanemasamori2さん
はい、本当です。
私の知人である幹部自衛官はその資料を
持っております。
私は、ネットで公開しろ、と勧めているのですが、
時期を観ているから、少し待て、と言われました。
落合信彦という小説家も同じようなことを言っていました。
米国がストップさせたので、実現しなかった、という
ことです。
回答日時:2013/5/22 08:52:00
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 ソースとして落合信彦氏の名前が挙がっていますので、同氏の著書をアマゾンで調べたのですが、それらしい著書は見当たりませんでした。雑誌などに書かれていたのかもしれません。


 結局、朝鮮戦争直前に韓国軍が釜山周辺に集結していたとの説の情報源は突き止められませんでしたので、この説の真偽を確かめるのは朝鮮戦争直前の韓国軍の配置を確かめるしかありません。

 まず、「1950 年6 月の北朝鮮による韓国侵攻事件に至る過程についての一考察」(http://www.yamanashi-ken.ac.jp/wp-content/uploads/kgk2011010.pdf)より、朝鮮戦争勃発前の状況を抜き出してみます。
【1948年9月19日、ソ連は48年末までに北部朝鮮からすべてのソ連軍の撤退を宣言し、12月25日に占領軍が北部朝鮮から撤収したと発表した。しかし撤収に伴い、ソ連軍は武器・弾薬や軍事機材を傀儡国家のためにそのまま残して去った。】
【1948年12月12日に国連総会は韓国が朝鮮半島を代表する正統政府であることを承認し、米ソ占領軍に対し朝鮮半島から可及的速やかに撤退することを勧告した。】
【トルーマン政権も韓国からの米軍の撤退を決め、李承晩政権への軍事と経済の両面の支援に切り替えることを決定した。29000名もの米兵が撤退したことで、在韓米兵数は16000名へと激減した。これを憂慮した李承晩はそれ以上の撤退に断固反対したが、トルーマンの方針に変更はなかった。結局、49年6月29日に韓国から最後の米部隊が引き上げた時、韓国に残ったのは500名の米軍事顧問団であった。7月8日、トルーマン政権は6月29日に米占領軍の撤退が完了したことを国連に通達した。】
【スターリンもアチソン演説を受け、姿勢を大きく転換させた。<< 省略 >>3月30日から4月25日まで、金日成は勇んでモスクワに出向いた。<< 省略 >>スターリンは米軍の大規模介入があるのか、ないのかその可否について問いただすと共に、中国による軍事支援があって初めて、軍事侵攻に打って出ることができると金日成に釘を刺した。<< 省略 >>ソ連による朝鮮出兵の可能性を繰り返し否定したのである。これに対し、是が非でもソ連軍による介入を願いたい金日成は米軍による介入が皆無である根拠について触れた。迅速な軍事侵攻を通じ三日間で戦争を勝利に導くことができる。そうなれば、米軍が介入しようにももはや時間的な余裕が残されていない。また韓国内で共産主義者による政府転覆活動が活発化していることを踏まえ、大規模な武装蜂起は間違いなく近づいている。蜂起が起き
れば、全朝鮮人は積極的に新政府に支持を表明することは明らかである。同席した朴もこの点に触れ、韓国内の20万人有余の共産活動家達が大規模の武装蜂起に勇んで加わると供述した。こうして、ソ連軍顧問団からの支援を受け、金日成は50年夏までの侵攻に向け詳細な計画を立案することを決めた。】
【5月13日に極秘に金日成は北京の毛沢東を訪ねた。<< 省略 >>金日成が侵攻を決断した以上、慶んで承認する意思を毛沢東が表明した。もしも軍事侵攻に米国が介入するという事態となれば、中朝国境に展開する中国軍を出兵させると共に、武器・弾薬を提供する用意があると金日成に伝えた。これに対し、支援の提供用意に感謝の意を表明したものの、その受け入れについて金日成はお茶を濁した。すなわち、金日成にとって北京訪問は侵攻計画への了解を毛沢東から取り付けなければならないとするスターリンの指示に従っただけであった。】
【金日成は軍事侵攻に向けて着々と準備を進めた。まず李承晩政権の打倒と共産主義政権の成立を呼びかける旨の指示を韓国内の共産主義者達に伝達し、韓国内で蜂起を呼びかけた。これを受ける形で、50年3月3日から10日までの一週間で、29件もの騒乱事件が韓国内で発生した。同じ期間に北緯38度線付近でも18件の小規模の小競り合いが発生した。このため、韓国では朝鮮人民軍による軍事侵攻が差し迫っているとの観測が引っ切りなしに流れた。ところが5月になると、そうした活動はぴたりと鳴りを潜めた。】
【平和的統一に向け金日成は解放5周年目にあたる50年8月15日にソウルで統一朝鮮政府の創設を行いたいとの和平提案を大々的に韓国に向けて吹聴した。これに向け、8月上旬に北朝鮮と韓国の両方から代議員が選出され、8月15日にソウルで統一朝鮮議会を開催する旨のマニフェストが6月7日に統一民主愛国戦線中央委員会(the Central Committee of the United Democratic Patriotic Front)によって採択された。】
【6月15日から24日の間、北緯38度線に近接した地域にすべての侵攻部隊は配置に着いた。侵攻部隊は7個歩兵師団、1個装甲旅団、1個歩兵連隊、1個オートバイ連隊、1個国境旅団などから構成され、総勢9万人という膨大な規模であった。しかも侵攻部隊には150両のソ連製T34戦車が加わった。大規模な侵攻準備は全く探知されることはなかった。】

 次に「1950年 6 月の北朝鮮による韓国侵攻とその後の米国による介入についての一考察」(http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=4&cad=rja&ved=0CDcQFjAD&url=http%3A%2F%2Fkoara.lib.keio.ac.jp%2Fxoonips%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D52247&ei=NXn_UrnVLoS6kgWZ3IHYBw&usg=AFQjCNFB-UxxWSdp2Ea2PosIVSXi9CCKBQ PDFファイルが開く)より朝鮮戦争勃発後の状況を抜き出します。
【膨大な数の朝鮮人民軍兵士が軍事境界線を突破し、韓国領内に雪崩れ込んだ。人民軍の侵攻戦力は約90000人の歩兵部隊、約240両もの戦車車両、約180機の航空機から編成された。】
【8個師団からなる韓国軍の半数に当たる4個師団が軍事境界線付近に展開していた。しかし日曜日の夜明けということもあり、守備態勢にについていたのは4個師団の内、わずかに三分の一に過ぎなかった。見事に不意を衝かれた韓国軍には逃げ出すものや、投降するものなどが続出した。】
【侵攻事件の勃発はトルーマン政権にとってまさしく「寝耳に水」とも言うべき事態であった。<< 省略 >>朝鮮人民軍による韓国への侵攻はありそうもないと、その可能性を6月20日にアチソンは下院でひていしたばかりであった。】
【米軍は48年にわずかの数の軍事顧問団を残して韓国から全面的に撤退しており、また25000人程度の脆弱な韓国軍では一挙に雪崩れ込んできた9万人もの朝鮮人民軍に対応できる余裕はなく、このままでは一気に韓国が制圧される恐れがあった。】

 「漢江人道橋爆破事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B1%9F%E4%BA%BA%E9%81%93%E6%A9%8B%E7%88%86%E7%A0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6)からも朝鮮戦争勃発後の状況を抜き出します。
【27日早朝3時ごろ、韓国大統領(李承晩)はついに周囲に説得され、ソウルより退避した。6時、政府が水原への遷都を発表した】
【6月28日深夜1時、彌阿里(城北区)において韓国軍の防御線が突破され、ソウルの最終防衛線は崩壊した。1時45分、北朝鮮軍戦車が市内に突入したとの報を受け、韓国軍参謀総長はただちに漢江橋の爆破を命令して、漢江を渡って始興に向かった。一方、参謀総長の出発直後に陸軍本部に到着した第2師団長(李亨根准将)、第5師団長(李應俊少将)、第7師団長(劉載興准将)はこの命令の件を聞き、第一線部隊が後退命令を受けないままで戦闘を継続中であることから、部隊を後退させたのちに爆破するように進言した。】
【混乱状態のなかで橋梁を爆破したことは、民間人に多数の犠牲を出しただけでなく、爆破を行なった韓国軍自身にとっても大きな損失となった。この時点で、韓国軍の主力である第2、第3、第5、第7師団と首都防衛司令部の部隊は、依然としてソウルの外郭防衛線において戦闘を継続中であり、また、第1師団は坡州南側の陣地を固守し、小規模な反撃を繰り返すことで北朝鮮軍の攻勢を阻止し続けていた。しかし、橋梁が爆破され、また北朝鮮軍が市内に突入したことで、背後を遮断されたことを知った各部隊は、雪崩を打ったように後退を開始した。】

「朝鮮戦争における後方支援に関する一考察 ―仁川上陸作戦に焦点を当てて―」(http://www.nids.go.jp/publication/mh_tokushu/pdf/mh007.pdf)からも引用します。
【1950年6月25日早朝、150両を越えるT34戦車を伴う圧倒的兵力の北朝鮮軍7個師団、1個戦車旅団の約10万人に韓国が奇襲され、対戦車兵器をも持たなかった貧弱な装備の韓国軍8個師団約6万5千人は3日間でソウルを失うなど短期間で潰走した。】

 韓国軍の兵力を2万5千人とするものや6万5千人とするものがあり、大きな開きがあります。なぜ、こんなに違うのでしょうか。
 ただ、韓国軍が8個師団体制であったのは確かなようです。朝鮮戦争勃発直後、第2、第3、第5、第7師団がソウル近くに展開していて、第1師団が38度線近くに布陣していたということは、朝鮮戦争直前には8個師団の内、5個師団がソウル近郊にいたと推測されます。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたために北朝鮮軍の電撃的な南進を許したとの説は間違いのような気がします。


 ここまで書き進めたのですが、ここで決定的なファイルを見つけてしまいました。前の記述を消してしまえばスッキリするのですが、参考のために残しておきます。
 見つけたファイルは「パワー・シフトと戦争」(http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/34960/8/Honbun-5124_05.pdf)というタイトルの早稲田大学大学院博士学位論文の一部のようです。この論文の中に「韓国国防軍史研究所編『( 第1巻)人民軍の南侵と国連軍の遅滞行動』かや書房」から引用したデーターが記載されています。
●開戦時の戦力
「開戦時、北朝鮮軍の総戦力は、兵員約20 万人、戦車242 両、砲1728 門、航空機211 機であった。他方、韓国軍の総戦力は、兵員約10 万6000 人、砲960 門、( 戦力としては使いものにならないような) 航空機22 機であった。」
●兵力バランス
韓国戦争 兵力バランス

※カッコ内が何を意味するのかは、説明が無いので分かりません。
●開戦直前の軍の配置
韓国戦争 軍の配置

※記号の詳しい説明が無いので明言出来ませんが、四角にバツ印が陸軍部隊を表しているのでしょう。

 図を見ると、釜山には1つの陸軍部隊しかいません。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたとは言えないでしょう。
 李承晩は対馬の領有権を繰り返し主張していましたから、武力侵攻してでも対馬を領土にしたいとの願望はあったでしょう。それで、占領計画を検討していたこともあったかもしれません。ですが、それを実行に移した様子は全くありません。朝鮮戦争直前に韓国軍を釜山周辺に集結させていたために北朝鮮軍の電撃的な南進を許したとの説は、電撃的な南進を理解するのに魅力的ですが、虚偽と判断せざる得ないでしょう。北朝鮮軍の電撃的な南進を可能にしたのは、
●ソ連の強力な兵器で武装した北朝鮮軍と貧弱な装備の韓国軍の戦力差
●韓国やアメリカの油断
●3日間で決着を付けるという金日成の強い意志
●韓国軍の兵士の士気の低さ
と理解するのが妥当では無いでしょうか。

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佐村河内守が落城の危機、NHKはどう対応するのか

 以前、佐村河内守を「さむらかわちのかみ」と読んで恥をかいたことがあります。その時初めて「佐村河内」という苗字があるのを知りました。改めて調べてみると、「佐村河内」は「さむらごうち」又は「さむらこうち」と読むそうで、全国に40人程いるようです。安芸(広島県西部)発祥ともいわれる伝統的な名字で、広島市に多いとのこと。
 読み間違った時は、楠木正成が河内守を名乗っていたことを話し、佐村河内守氏の親は楠木正成にあやかって名付けたのかもねと誤魔化しました。今回、佐村河内守氏が作曲をゴーストライターに依頼していたことが発覚したことで、「現代のベートーベン」などと持ち上げていたメディアは個人が誤魔化すのとは違い、どう扱ってよいのか対応に頭を悩ませているのではないでしょうか。多くは無かったことにするのでしょうが、NHKは「魂の旋律~音を失った作曲家~」と題してドキュメンタリーを作っているので、そうはいかないでしょう。

 NHKスペシャルの番組公式サイトには、以下のお詫びが出されています。
【NHKスペシャルでは、去年3月31日、「魂の旋律~音を失った作曲家~」と題し、両耳の聴力を失った作曲家として、佐村河内守氏を紹介いたしました。
しかし佐村河内氏が、NHKに対して、自らは作曲しておらず、代わりに作曲していた人物がいることを明らかにしました。佐村河内氏は、「曲の全体構成や曲調などをその人物に伝えたが、自分では曲を作っていない」と話しています。
NHKは、放送当時、本人が作曲していないことに気づくことができませんでした。
視聴者の皆様や、番組の取材で協力していた方々などに、深くお詫び申し上げます。】

 佐村河内氏は全ろうで聴覚障害2級の障害者だそうですが、ゴーストライターを務めていた新垣隆氏は「私の認識では、初めて彼と会った時から今まで特に、耳が聞こえないということを感じたことは1度もありません」「私が録音したものを、彼が聴き、彼がそれに対してコメントをするということは何度もありました」と証言しています。ドキュメンタリーを制作する過程で複数の番組制作者が佐村河内氏に長時間接触した筈です。誰一人として、耳が聞こえないということに疑問を持たなかったのでしょうか。民放が取材している映像を見ると普通に会話していたように見えました。両耳の聴力を失った作曲家ということを前面に押し出す番組作りをしていたことで、都合の悪いことには目を瞑ったということは無かったのでしょうか。
 失敗を犯した時に真摯に反省し、何故そうなったのか原因を徹底的に追究して公表することが信頼を得ることになります。しかし、今までマスコミは、問題を起こした時に形式的にお詫びをし、後は口をつぐんで嵐が過ぎ去るのを待つという対応を多く取ってきました。NHKが検証番組を作らず、この程度の対応で済ませるなら、尚更信頼性を落とすことになるでしょう。新しくNHK会長に就任した籾井勝人氏には、徹底した検証番組を制作することを期待します。そうすることが新しいNHKを作ることになるでしょう。

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苗字由来net 【名字】佐村河内
http://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E4%BD%90%E6%9D%91%E6%B2%B3%E5%86%85
NHKスペシャル魂の旋律~音を失った作曲家~
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0331/

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