六丈記2

備忘録のようなもの

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

生野区連続通り魔事件 犯人が不起訴になる2

<生野区連続通り魔事件 犯人が不起訴になる1>の続き・・・
 
◆司法精神鑑定
 刑事事件における精神鑑定が色々出てきたので、司法精神鑑定(刑事精神鑑定)について触れておく。
 
 刑法・刑事訴訟法に基づく刑事精神鑑定と民法・民法訴訟法に基づく民事精神鑑定の2つを司法精神鑑定と言う。
 刑事精神鑑定は検察官の判断による起訴前鑑定と裁判官の命令により公判の過程で実施される正式鑑定に別れ、起訴前鑑定は嘱託鑑定と簡易鑑定に分かれる。いずれの鑑定も被告人(被疑者)の犯行時における責任能力の有無を判断するために行われるものだが、違いは次のようなことらしい。
△起訴前鑑定
●簡易鑑定
 裁判官の認可は不必要。
 勾留期間中(最長23日間)に結果が出される。
 被疑者との面接は通常1回(大体1~3時間程度)。
 比較的簡素な鑑定。
●嘱託鑑定
 裁判官の認可は必要。
 病院などに移送し、鑑定期間は数ヶ月に及ぶ。
 正式鑑定と同レベルな鑑定。
△正式鑑定
 裁判官の命令で実施(主に弁護人の依頼でなされる)。
 捜査資料の参照、被告人・関係者との面接、被告人の精神科受診歴の参照、検査など、鑑定人が必要と考えたことを行う。検査には、身体検査(血液検査、尿検査、心電図など)、神経学的検査(脳波検査、CT画像検査)、心理検査(人格検査、知能検査)があり、必要の応じて行われる。
 
 刑事精神鑑定における正式鑑定の比率は低く、大多数は起訴前鑑定で、起訴前鑑定の中でも簡易鑑定が圧倒的多数というのが現状のようだ。また、心神喪失を理由にして無罪になるケースは非常に稀で、平成23年度に無罪(一審)とされた者は1人だけだったという。
 
 
◆康は心神喪失?
 康は統合失調症を患っていたとの報道もある。犯行時も統合失調症であったかは分からない。だが、統合失調症であるからといって、免罪になる訳ではない。要は責任能力の有無だ。
 検察は起訴前鑑定をし、心神喪失と判断した。鑑定人の精神科医が責任無能力との鑑定結果を出したと思われる。鑑定結果は参考であり、起訴前において心神喪失かどうかを判断するのは検察なのだが、検察は無罪判決を嫌い、心神喪失の可能性があれば安易にそう判断する傾向にあるようだ。だから、今回の事件も深い検討はせずに不起訴処分にしてしまったように思える。
 専門化が鑑定して責任無能力との結果を出したのだろうが、事件報道を見ると、心神喪失とはとても思えない。同様に思っている人も多いと思う。康にあったことも無く、門外漢の素人が口を出すのは慎むべきなのかもしれないが、何故、専門化である鑑定人が責任無能力と判断したのだろうと疑問に思う。
 素人なりに犯行時の康の弁識能力と制御能力を考えてみる。
●当該行為の性質や意味を理解していたか
 逮捕直後の供述で「生粋の日本人なら何人も殺そうと思った」と言っていることから、自分のしようとした行為が殺人だと理解していたのは明らか。
●当該行為の善悪を判断できたか
 殺人を悪いことだと認識していたとする直接的な証拠は無い。だが、予めナイロン袋を用意し、ナイフをそれに隠して移動していたこと、「日本人だったら誰でもやったるんや」との発言、「日本人は嫌だ」と言っても逮捕されたことを不当だとは思っていない様子、これらのことから推測すると、悪いことだとの認識はあったと判断するのが妥当だと思う。
●当該行為を制御する能力はあったか
 日本人であることを否定した男性には襲い掛かっていないから、制御する能力があったことも明らか。
 
 以上のことから、「責任能力はあった」と判断するのが適当だと思う。
 過去の事件では、「自分は悪くない」と自己の犯罪を正当化する犯罪者は幾らでもいた。例えば、オウムの殺人事件では、「ポア」という言葉を使って殺人を「被害者の魂を救済」と正当化していた。実行犯は、麻原彰晃の影響下で洗脳のような状態にあったにもかかわらず、心神喪失とはされずに有罪判決を受けている。このような実行犯に比べれば、まだ康の方が責任能力があるように思える。
 
 
◆生野区
 法務省によると、外国人登録者数は207万8480人(平成23年末現在)で、総人口1億2773万人(平成24年1月1日現在概算値)に占める割合は、1.63%である。外国人登録者数の内訳は、中国67万4千人、韓国・朝鮮54万5千人、ブラジル23万人、フィリピン20万9千人、ペルー5万2千人、米国4万9千人、その他33万6千人となっている。
 外国人の割合は50人に1人もいない訳だから、手当たり次第に刺して回ったとしても、外国人が被害者になる可能性は低い。それなのに、康は日本人か否かを確認しながら犯行に及んだ。確率的に考えれば、日本人か否かを確認しなくとも、被害者はほぼ日本人に限られるのだから、あまり意味のなさない行動とも思ったが、実はそうでもないようだ。
 
 日本地域番付というサイトの「全国・全地域の韓国人・朝鮮人比率番付」には、地域ごとの韓国・朝鮮人比率のランキング(2010年度)というものが掲載されている。それによると、生野区は韓国・朝鮮人比率がダントツ1位である。10位まで書き出してみるとこうなる。
 1 大阪市生野区_(大阪府) 比率15.486%  韓国・朝鮮人数20,753人 人口総数  134,009人
 2 大阪市東成区_(大阪府) 比率 5.667%  韓国・朝鮮人数 4,547人 人口総数   80,231人
 3 神戸市長田区_(兵庫県) 比率 4.633%  韓国・朝鮮人数 4,708人 人口総数  101,624人
 4 京都市南区__(京都府) 比率 4.106%  韓国・朝鮮人数 4,054人 人口総数   98,744人
 5 新宿区____(東京都) 比率 3.063%  韓国・朝鮮人数 9,996人 人口総数  326,309人
 6 大阪市西成区_(大阪府) 比率 2.640%  韓国・朝鮮人数 3,220人 人口総数  121,972人
 7 大阪市天王寺区(大阪府) 比率 2.458%  韓国・朝鮮人数 1,715人 人口総数   69,775人
 8 大阪市____(大阪府) 比率 2.064%  韓国・朝鮮人数55,012人 人口総数2,665,314人
 9 東大阪市___(大阪府) 比率 1.935%  韓国・朝鮮人数 9,858人 人口総数  509,533人
10 荒川区____(東京都) 比率 1.857%  韓国・朝鮮人数 3,775人 人口総数  203,296人
 
 生野区の統計データーから計算すると、以下の通りになる。
生野区人口_130723人(平成25年11月1日現在)
外国人登録数 28707人(平成24年9月末現在)
韓国・朝鮮人 26408人(平成24年9月末現在)
区民に対する外国人の割合    22.0%
区民に対する韓国・朝鮮人の割合 20.2%
外国人の内の韓国・朝鮮人の割合 92.0%
 
 生野区民の5人に1人がコリアンだ。ここは、戦前から在日コリアンが固まって居住している町なのだろう。検索してみると、日本最大の韓国食料品マーケット「生野コリアタウン」が存在し、日本最大のコリアンタウンと呼ばれているのが分かった。
 こんな町で無差別殺人を実行すると、高い確率で康の同胞であるコリアンを巻き込むことになるだろう。康が日本人か否かを確認してから犯行に及んだのは、「日本人に危害を加える」ということが主であろうが、「同胞に危害を加えない」という意識も強くあったように思われる。
 
 
◆報道
 康の起こした通り魔事件は、初めから日本人だけをターゲットにしたものだったことが明らかだったため、日本社会にとっては今までの無差別通り魔事件よりもショッキングなものだった筈だ。にも拘らず、テレビなどの多くのマスコミの扱いは小さく、内容の薄いものだった。続報もほとんど無かった。まるで、報道しない自由を行使したと批判を受けないようにするためのアリバイ作りのようにも見える有り様だった。
 マスコミがこの様な対応をしたのは、康の精神科への入院歴が早々と明らかになったことが一因だろう。精神病患者となると、不起訴になる可能性があるし、場合によっては人権問題と非難されかねないので、個人情報の取り扱いにも慎重になざる得ない。マスコミにとっては面倒な事件だ。報道が消極的になるのも分からないでもない。しかし、過去の精神障害を疑わせる犯人が起こした通り魔事件などと比べると、あまりにも小さ過ぎる扱いだ。
 ここまで小さな扱いになったのは、精神障害の疑いがあったためだけではないだろう。康が在日韓国人であったこともマスコミを及び腰にさせた理由であったに違いない。マスコミの中には「韓国籍の男」としか報道しないところもあった。在日団体は気にいらない報道があると、業務に支障をきたすほどの電話攻勢などで圧力を掛けてくるから、マスコミにとっては厄介な相手だ。腰が引けたとしても不思議ではない。
 大手を始めとするマスコミはヘイトスピーチを問題視し、批判していたが、日本人に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)であることが明確な生野区連続通り魔事件に対してはこの程度の報道しかしなかった。ヘイトスピーチを問題視しするなら、もっと悪質なヘイトクライムにはそれ以上の批判をしてしかるべきだろう。だが、精神障害の疑い、在日韓国人という厄介なものに腰が引けた。マスコミは「社会の木鐸」を自認しているが、実態は事なかれ主義の集団でしかない。「マスゴミ」と言われるのも当然だろう。
 
 
◆インターネット
 生野区連続通り魔事件が報道されると、ネット上は沸いた。マスコミの消極的な報道が大きくした面もあった。
 当然、ウィキペディアにも「生野区連続通り魔事件」という項目が作られたが、6月8日に削除された。事件の3日後に「特筆性なし」「百科事典的な記事に成長する見込みなし」に該当するとして削除依頼が出され、「新聞記事にすらならない一部の愛好者しか知らないサブカルのアニメやゲーム、AV女優の項目が充実しているにも関わらず、多数の報道機関で報道された事件については積極的に削除しようとする動きには疑問を感じます。」という存続を希望する意見もあったのだが、削除が決定されてしまう(詳細は「Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526」参照)。今もウィキペディアに「生野区連続通り魔事件」という項目は無い。
 この事件を不都合に感じる勢力が事件の存在を揉み消そうとしているのは分かるが、これだけの事件がウィキペディアに掲載される価値が無いと判断されるのは驚きだ。ウィキペディアにとって禍根を残す判断だったのではないだろうか。
 
・・・終わり。
//////////////////////////////
平成23年末現在における外国人登録者数について(速報値)
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00015.html
【在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表】
http://www.moj.go.jp/housei/toukei/toukei_ichiran_touroku.html
全国・全地域の韓国人・朝鮮人比率番付
http://area-info.jpn.org/KorePerPopAll.html
生野区の統計
http://www.city.osaka.lg.jp/ikuno/page/0000000434.html
韓国人による生野区連続通り魔事件のWikipedia項目が「ニュースサイトではなく事件の1つでしかない」という理由で削除
http://getnews.jp/archives/358261
Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E7%94%9F%E9%87%8E%E5%8C%BA%E9%80%A3%E7%B6%9A%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6_20130526
 

スポンサーサイト

PageTop

生野区連続通り魔事件 犯人が不起訴になる1

 11月14日、生野区連続通り魔事件の犯人の在日韓国人を、大阪地検は心神喪失により刑事責任能力は認められないとして不起訴処分とし、大阪地裁は心神喪失者等医療観察法に基づく地検の申し立てを受け、男に鑑定入院を命じたとのことだ。
 まず、事件を振り返る。
 
◆犯人
本名:康桂善(カン ケソン)
通名:田仲桂善(たなか かつよし)
年齢:事件当時31歳
住所:大阪市生野区新今里
国籍:韓国(在日)
病歴:約3年前から精神疾患(統合失調症?)で入退院を繰り返す
 
 
◆事件概要
事件名 :生野区連続通り魔事件
容疑罪名:殺人未遂、銃刀法違反
犯行場所:大阪市生野区
犯行時間:2013年5月22日早朝
凶器  :刃渡り12cmの果物ナイフ
被害者 :毎日新聞配達員・川口修一さん(61歳)、ビル清掃員・越智美智子さん(63歳)
被害  :被害者2人が刺創を負い、重傷
 
 
◆犯行経過
●午前5時15分頃、朝刊を配っていた新聞配達員の川口さんが康の自宅マンションに入る。
●1階の階段付近で犯行機会をうかがっていた康が、川口さんと一緒にエレベーターに乗り込み、無言で川口さんの腹や顔などを刺した。
●川口さんは6階で降り、階段を駆け下りて逃げ出し、午前5時18分に「男に刺された」と110番通報。
●康は川口さんを追って屋外に出た。ナイフをスーパーのナイロン袋に包み、近くの商店街に徒歩で移動。
●康は通行人に片端から「日本人か」と声を掛けて回る。
●一人の男性が康の問いに「そうやで」と答えると、康がナイフを取り出したため、男性はオートロックの自宅マンション内に逃げ込み、無事に済んだ。
●別の高齢男性は康の問いに否定の答えを返すと、康は「日本人だったら誰でもやったるんや」と叫び、新たな標的探しに移った。
●午前5時24分、清掃員の越智さんに康が「生粋の日本人か」と質問。越智さんが「そうです」と答えると、康は越智さんを羽交い絞めにし、腹や背中などを刺した。
●越智さんは「助けて」と叫びながら抵抗し、康を振り切るもその場に倒れ込んだ。
●通報で駆け付けた警察官が康を取り押さえ、現行犯逮捕。
●逮捕時、「仲間はおるんか」との警察官の問いに、康は「知るか」と激高。
 
 
◆逮捕後の経過
●5月22日、越智さんに対する殺人未遂容疑で現行犯逮捕。康は大阪府警の取調べに「生粋の日本人なら何人も殺そうと思った」と供述。
●取調べで、康は「透明人間が自分の中に入ってきた」などと意味不明の供述を繰り返すも、弁護人の選定にあたっては「日本人は嫌だ」などと主張。
●6月12日、大阪府警捜査1課は川口さんに対する殺人未遂容疑で、康を再逮捕。康は黙秘していると伝えられる。
●6月12日、大阪地検は越智さんに対する殺人未遂容疑について処分保留とした。
●大阪地検は、康の責任能力の判定のため、大阪地裁に鑑定留置を申請、受理される。期間は6月21日~11月6日。
●11月14日、大阪地検は心神喪失を理由に康の不起訴処分を決定。大阪地検の申し立てにより、大阪地裁が康に鑑定入院を命じる。
 
 
◆鑑定留置と鑑定入院
 鑑定留置は、刑事訴訟法第167条に基づいた措置で、逮捕された容疑者や起訴された被告の精神状態などを調べるために病院などで身柄を拘束することを意味する。鑑定の結果は捜査段階や公判で、責任能力の有無や程度を判断する参考となる。
*****************************
刑事訴訟法第167条
1.被告人の心神又は身体に関する鑑定をさせるについて必要があるときは、裁判所は、期間を定め、病院その他の相当な場所に被告人を留置することができる。
2.前項の留置は、鑑定留置状を発してこれをしなければならない。
3.第1項の留置につき必要があるときは、裁判所は、被告人を収容すべき病院その他の場所の管理者の申出により、又は職権で、司法警察職員に被告人の看守を命ずることができる。
4.裁判所は、必要があるときは、留置の期間を延長し又は短縮することができる。
5.勾留に関する規定は、この法律に特別の定のある場合を除いては、第1項の留置についてこれを準用する。但し、保釈に関する規定は、この限りでない。
6.第1項の留置は、未決勾留日数の算入については、これを勾留とみなす。
*****************************
 
 鑑定入院命令は心神喪失者等医療観察法34条に基づいた命令である。鑑定または医療的観察ために対象者を一定期間鑑定入院医療機関に入院させ、入院させるか、通院させるか、特別な処遇はしないかを裁判官が最終的に判断する。鑑定入院期間は、原則として当該命令執行日から2ヶ月以内であるが、1ヶ月以内の延長が認められているので、最長は3ヶ月となる。
 対象者の鑑定については、明らかに必要ないと認められる場合以外、心神喪失者等医療観察法37条により、鑑定医が決定される。鑑定医は鑑定入院先の医師であるとは限らない。
*****************************
心神喪失者等医療観察法34条
1.前条第1項の申立てを受けた地方裁判所の裁判官は、対象者について、対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要が明らかにないと認める場合を除き、鑑定その他医療的観察のため、当該対象者を入院させ第40条第1項又は第42条の決定があるまでの間在院させる旨を命じなければならない。この場合において、裁判官は、呼出し及び同行に関し、裁判所と同一の権限を有する。
2.前項の命令を発するには、裁判官は、当該対象者に対し、あらかじめ、供述を強いられることはないこと及び弁護士である付添人を選任することができることを説明した上、当該対象者が第2条第3項に該当するとされる理由の要旨及び前条第1項の申立てがあったことを告げ、陳述する機会を与えなければならない。ただし、当該対象者の心身の障害により又は正当な理由がなく裁判官の面前に出頭しないため、これらを行うことができないときは、この限りでない。
3.第1項の命令による入院の期間は、当該命令が執行された日から起算して二月を超えることができない。ただし、裁判所は、必要があると認めるときは、通じて一月を超えない範囲で、決定をもって、この期間を延長することができる。
4.裁判官は、検察官に第1項の命令の執行を嘱託するものとする。
5.第28条第2項、第3項及び第6項並びに第29条第3項の規定は、前項の命令の執行について準用する。
6.第1項の命令は、判事補が一人で発することができる。
*****************************
心神喪失者等医療観察法37条
1.裁判所は、対象者に関し、精神障害者であるか否か及び対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要があるか否かについて、精神保健判定医又はこれと同等以上の学識経験を有すると認める医師に鑑定を命じなければならない。ただし、当該必要が明らかにないと認める場合は、この限りでない。
2.前項の鑑定を行うに当たっては、精神障害の類型、過去の病歴、現在及び対象行為を行った当時の病状、治療状況、病状及び治療状況から予測される将来の症状、対象行為の内容、過去の他害行為の有無及び内容並びに当該対象者の性格を考慮するものとする。
3.第1項の規定により鑑定を命ぜられた医師は、当該鑑定の結果に、当該対象者の病状に基づき、この法律による入院による医療の必要性に関する意見を付さなければならない。
4.裁判所は、第1項の鑑定を命じた医師に対し、当該鑑定の実施に当たって留意すべき事項を示すことができる。
5.裁判所は、第34条第1項前段の命令が発せられていない対象者について第1項の鑑定を命ずる場合において、必要があると認めるときは、決定をもって、鑑定その他医療的観察のため、当該対象者を入院させ第40条第1項又は第42条の決定があるまでの間在院させる旨を命ずることができる。第34条第2項から第5項までの規定は、この場合について準用する。
*****************************
 
 
◆医療観察制度
 心神喪失によって刑事責任が問えない犯罪者に対する対応が、以前と変わっている。附属池田小事件(2001年6月)を起こした宅間守に2度の措置入院歴があったことを切っ掛けに、2003年に心神喪失者等医療観察法が制定され、医療観察制度がスタートしていたようだ。
 法務省の説明ではこうなっている。
*****************************
医療観察制度とは
「医療観察制度」は,心神喪失又は心神耗弱の状態で(精神の障害のために善悪の区別がつかないなど,通常の刑事責任を問えない状態のことをいいます。)殺人,放火等の重大な他害行為を行った人の社会復帰を促進することを目的として新たに創設された処遇制度です。
 平成15年に成立した「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」に基づき,適切な処遇を決定するための審判手続が設けられたほか,入院決定(医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定)を受けた人については,厚生労働省所管の指定入院医療機関による専門的な医療が提供され,その間,保護観察所は,その人について,退院後の生活環境の調整を行います。
 また,通院決定(入院によらない医療を受けさせる旨の決定)を受けた人及び退院を許可された人については,原則として3年間,厚生労働省所管の指定通院医療機関による医療が提供されるほか,保護観察所による精神保健観察に付され,必要な医療と援助の確保が図られます。
 

 

*****************************
 
 
◆今後の流れ
 大阪地検は鑑定留置期間に犯人の康の起訴前鑑定を行っている。だが、どの様な精神鑑定(嘱託鑑定または簡易鑑定)を何回行い、どの様な鑑定結果が出たのか示されていない。しかし、心神喪失を理由に不起訴処分を決定しているのだから、少なくとも1度は「心神喪失」という鑑定結果が出されたのだろう。
 不起訴になったことで、犯人の康は鑑定入院させられているが、今後、鑑定医による鑑定がなされ、「取下げ」が無ければ、裁判官と精神保健審判員(精神科医)それぞれ1名からなる合議体による審判で、2ヶ月以内(延長があれば3ヶ月以内)に処遇の決定が下される予定だ。下される決定は「入院決定」、「通院決定」、「医療を行わない旨の決定」、「却下決定」の内のどれかになる。決定に対して抗告がなければ確定だ。
●入院決定の場合
 指定入院医療機関に入院させられる。6ヶ月ごとに入院継続の決定が地裁によりなされ、標準入院期間は18ヶ月。地裁の退院許可決定が下されると退院になるが、同時に「通院決定」か「医療を終了する旨の決定」が下される。「通院決定」の場合は指定入院医療機関に通院(下記の通院決定の場合に移行)させられる。「医療を終了する旨の決定」の場合は、医療観察制度による処遇が終わる。
●通院決定の場合
 保護観察所の社会復帰調整官による観察・指導等を受け、指定通院医療機関で通院医療がなされる。通院医療期間は原則3年間だが、裁判所の決定により最長2年の延長が可能。入院の必要があるとされた場合は、裁判所の決定により入院させられることもある。
 通院医療期間満了や、通院医療期間内であっても裁判所が「医療を終了する旨の決定」をした場合は、医療観察制度による処遇が終わる。
●医療を行わない旨の決定の場合
 薬物などによる一時的な心神喪失などの場合にこの決定が下されるのであろうか。この決定が下された後、どの様な経過を辿ることのなるのかはよく分からない。ただ、最高裁が下記のように判示していることから推測すると、医療観察制度による処遇が終わり、事実上、精神保健福祉法の措置(措置入院)がなされるのではないか。
*****************************
平成19年7月25日最高裁判所第二小法廷決定
「医療観察法の目的,その制定経緯等に照らせば,同法は,同法2条3項所定の対象者で医療の必要があるもののうち,対象行為を行った際の精神障害の改善に伴って同様の行為を行うことなく社会に復帰できるようにすることが必要な者を同法による医療の対象とする趣旨であって,同法33条1項の申立てがあった場合に,裁判所は,上記必要が認められる者については,同法42条1項1号の医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定,又は同項2号の入院によらない医療を受けさせる旨の決定をしなければならず,上記必要を認めながら,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律による措置入院等の医療で足りるとして医療観察法42条1項3号の同法による医療を行わない旨の決定をすることは許されない」
*****************************
●却下決定の場合
 却下理由には「対象行為を行ったとは認められない」、「心神喪失者等ではない」、「申立て不適法」がある。
 「申立て不適法」は、検察の申立てが法律の規定に合わないということであろうから、第33条第1項の「社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要が明らかにないと認める場合を除き」の部分などに抵触した場合であろうか。例えば、重度の痴呆症で直る見込みが無いとか。康には適用されないと思う。
 「対象行為を行ったとは認められない」は、第2条第2項の各号に掲げられている行為、つまり、放火、強制わいせつ、殺人、傷害、強盗など(未遂も含む)を犯していないと判断された場合だ。康が犯した犯罪は、殺人未遂であることは明白(少なくとも傷害は確実)だから、この理由による却下は無い。
 「心神喪失者等ではない」との理由で却下決定されるということは、心神喪失として不起訴にした検察の判断が間違っていたということを意味する。検察は不起訴を覆し、刑事裁判が行われることになるだろう。
 
 
◆康が刑事裁判にかけられる可能性
 心神喪失者等ではないとの理由で却下決定が下され、刑事裁判になった例は以下のようにある。
*****************************
一転、責任能力認め起訴 心神喪失で不起訴の男
http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092201000939.html
 母親を包丁で刺したなどとして逮捕され、心神喪失を理由に不起訴となった無職の男(41)が、心神喪失者医療観察法に基づく東京地裁の審判で完全責任能力を認められ、一転、殺人罪などで起訴されたことが22日、分かった。
 計3回実施された鑑定では、いずれも異なる結論が出ており、事件をめぐる精神鑑定の難しさをあらためて示した。
 男は昨年12月、東京都内の自宅で就寝中の母親=当時(71)=と兄を包丁で切りつけたとして、殺人未遂の現行犯で警視庁に逮捕された。母親はその後死亡した。
 東京地検は鑑定留置して本格的な精神鑑定を実施。「統合失調症に近い精神障害で、責任能力が著しく減退した心神耗弱状態」と判断された。あらためて実施した簡易鑑定では「心神喪失状態」との結果が出たため、今年5月に男を不起訴とし東京地裁に審判を申し立てた。
 ところが審判中の鑑定では「完全責任能力がある」と判断され、地裁が申し立てを却下。地検は7月、男を起訴した。
2008/09/22 21:13   【共同通信】
*****************************
不起訴の女を一転起訴 医療観察「責任能力ある」
http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111001000291.html
 自宅に火を付けた疑いで逮捕されたが、精神鑑定で責任能力に問題があるとして不起訴処分となった東京都杉並区、無職青木圭子容疑者(38)について、東京地検が一転して現住建造物等放火罪で起訴していたことが10日、分かった。
 いったん不起訴とした地検が、心神喪失者医療観察法に基づき、青木被告の治療内容などを決めるよう東京地裁に申し立てたところ、審判であらためて精神鑑定が行われ、「完全責任能力がある」と認定、治療を求める申し立てが却下された。今後、裁判員裁判で審理される。
 却下と起訴はいずれも9日付。
 起訴状によると、青木被告は5月1日正午ごろ、友人の日野詠子被告(36)=同罪で起訴=と共謀し、自宅2階部屋に火を付けて計約21平方メートルを焼いた、としている。
2009/11/10 11:35   【共同通信】
*****************************
 この様な実例があるから、犯人の康が不起訴処分になって鑑定入院したといっても、起訴される可能性は残されている。では、却下決定が下される割合はどの程度なのだろうか。平成25年版犯罪白書に「平成24年における検察官申立人員及び審判の終局処理人員」という表があるので、貼り付ける。
 
●入院決定-----------------66.8%
●通院決定-----------------10.1%
●医療を行わない旨の決定----------19.2%
●却下(対象行為を行ったとは認められない)-0%
●却下(心神喪失者等ではない)-------2.9%
●取り下げ-----------------0.5%
●申立て不適法---------------0.5%
 分母の総数には判決確定後の分も含まれているはずだから、不起訴処分で地裁の審判手続に持ち込まれて出された決定結果の割合は若干上がるだろう。それでも、不起訴処分がも覆されて、刑事裁判になる可能性は数%というのが現状のようだ。だからといって、犯人の康が、刑事責任を問われる可能性がそうということではないが。
 
<生野区連続通り魔事件 犯人が不起訴になる2>に続く・・・
////////////////////////
大阪・生野の通り魔事件 韓国籍の男、心神喪失で不起訴
http://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/131115/evt13111509470007-n1.html
「日本人殺そうと…」凶行の一部始終 大阪・生野、韓国籍の包丁巨漢が大暴れ
http://www.j-cast.com/2013/05/23175764.html?p=all
襲撃前「生粋の日本人か」と確認 別の通行人も標的に
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130523/crm13052314310011-n1.htm
別の殺人未遂容疑で再逮捕=2人刺傷事件-大阪府警
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061200697
「日本人なら何人も殺そうと思った」 逮捕の男が供述 府警が捜査本部設置
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130522/waf13052212050018-n1.htm
突然の凶行に凍り付いた早朝 刃物男、男性を執拗に追う
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130522/waf13052211550016-n1.htm
「日本人の弁護人イヤ」殺人未遂容疑で韓国籍の無職男を再逮捕 大阪・生野の通り魔事件
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130612/waf13061216410028-n1.htm
心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H15/H15HO110.html
医療観察制度とは
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo11.html
平成25年版犯罪白書
http://www.moj.go.jp/content/000115818.pdf

PageTop

留寿都と赤い靴9

 小池喜孝氏の著書「平民社農場の人びと」で、よく分からない人物だった佐野安吉についての情報を多く得られました。ですが、まだ分からないことも多いので、もう少し調べてみます。
 
◆佐野安吉の犯した犯罪について
 小池氏は著書で、安吉が強盗殺人を犯した後、巧みに逃げたため「静岡小僧」と呼ばれたと推測しています。これは適当な推測でしょうか。
 安吉は「天竺安」とか「静岡小僧」と異名をとった義賊と言われていたとあります。ですが、世間からそう呼ばれていたという証拠はありません。安吉は留寿都などで社会主義の宣伝のために懺悔談をしていました。岡さんによると樺太でもしていたようです。安吉にとって懺悔談は人集めのツールだったのでしょう。義賊というのは、安吉が自らそう言っていただけということではないでしょうか。
 安吉が実際にどの様な犯罪を犯したのか判然としませんが、北海道の監獄送りにされたのは確かです。1882年1月に施行された刑法及び監獄則では、「北海道に新設された樺戸集治監には島地監獄として無期及び12年から15年の長期の徒刑囚・流刑囚と旧法の懲役終身囚を収容する」と定められていましたから、安吉は12年以上の長期刑を受けていたはずです。ですから、安吉が重犯罪人であったのは確かでしょう。
 大滝由太郎は安吉の殺人の動機を「妻が他の男と情を通じていたのを怒ってのこと」と書いています。安吉は農業経験者と伝えられていますから、義賊なんかではなく、家業の農業に従事していて、妻が不倫を犯したために激怒して妻か間男を殺害してしまったのではないでしょうか。
 
※大滝由太郎:小樽の雑穀海産物卸商「大滝商店」の三男で、小樽の平民新聞読者会員。原子の依頼を受けて、平民農場の土地探しをしたのは大滝らの読者会でした。大滝は平民農場に出資し、解散にも立ち会うなど、平民農場に深く関わっていました。
 
◆佐野安吉と原胤昭の接点
 原胤昭は安吉に縁談の世話をしており、胤昭と安吉は親密な間柄でした。岡そのさんは、安吉は胤昭に救われてプロテスタントになったと言っています。胤昭は北海道の監獄で教誨師をしていましたので、その時に安吉に出会ったのは間違いないでしょう。安吉は胤昭に感化されてキリスト教に入信したのでしょう。ですから、胤昭の所属していた教派と同じ教派を信仰していたと思われますが、プロテスタントのどの教派に属していたのかは分かりません。
 
 安吉は何処の監獄で胤昭と出会ったのでしょうか。
 北海道の集治監は以下の順で設置されています。
●樺戸集治監1881年9月開庁
●空知集治監1882年7月開庁
●釧路集治監1885年9月開庁
 安吉は1882年に投獄されたと思われますから、樺戸か空知に収監された筈です。
 
 次に、北海道における胤昭の教誨師の経歴を書き出します。
●1888年4月2日、釧路監獄署(87年1月に集治監が北海道庁の管轄になったことで監獄署に名称変更されています)教誨師就任。厚岸や網走へも出張して教誨活動をしていました。
●1891年9月8日、釧路分監教誨師就任。(分監への名称変更によるもの)
●1892年11月28日、樺戸集治監(本監)へ出向。
●1895年11月、連袂辞職。
 胤昭は空知には赴任していません。前述したように、安吉は樺戸か空知に収監された筈ですから、胤昭と安吉の接点は樺戸ではないでしょうか。ただし、樺戸集治監から釧路集治監に囚人が移送された例(1886年3月)がありますので、釧路という可能性も捨て切れません。
 
◆佐野安吉の出獄
 安吉は1882年に投獄されたと思われ、かよの母・岩崎せきが死亡する1902年6月頃には既に出獄していて静岡県にいました。小樽新聞は安吉を特赦出獄者と紹介していますから、恩赦で出獄したのでしょう。それは、何時のことでしょうか。
 明治時代に行われた恩赦は2度あります。
大日本帝国憲法発布(1889年2月11日)
 大赦令:明治22年勅令第12号
●皇太后陛下(英照皇太后)御大喪(1897年1月31日)
 大赦令:明治30年勅令第8号
 減刑令:明治30年勅令第7号
※大赦(恩赦法2条、3条):一定の犯罪者全体について、刑を消滅させるもの。有罪の言い渡しを受けた者についてはその効力が失われ、受けていない者に対しては公訴権が消滅。
※特赦(恩赦法4条、5条):有罪の言い渡しを受けた者の内、特定の者について有罪の言い渡しの効力を消滅させるもの。
 
 1889年に出獄したとすると収監期間は7年。胤昭が釧路に赴任したのが1888年4月ですから、安吉が胤昭の教誨を受けた場所は釧路になり、その期間は1年足らずになってしまいます。胤昭と安吉の親密な間柄を考えると短すぎると思えますし、安吉は樺戸に収監されていた可能性が高そうですので、1889年に釈放された可能性は薄いでしょう。
 1897年の恩赦は大規模なものでした。全国の監獄から15824名(北海道集治監からは2535名)が釈放されています。胤昭はこの時の恩赦について「彼等出獄者は少なくとも十数年乃至二十有余年間鉄窓の下に服従せざるはなし今幸に宥免出獄の身と為りしと雖も社会の事情に通せず」と述べています。北海道の集治監に収監されていた受刑者は、収監期間が十数年から二十数年にも至る長期の受刑者が多かったのです。安吉がこの時出獄したとすると、収監期間は15年になりますからこの記述に合致します。安吉の出獄は1897年で間違いないでしょう。
 安吉が樺戸に収監されていた可能性が高いことを考えると、安吉は樺戸集治監で胤昭と出会い、胤昭が辞職するまでの3年間、胤昭の教誨を受け、胤昭が去った1年数ヶ月後に出獄したのではないでしょうか。
 
◆佐野安吉の出獄後
 胤昭は1895年11月に樺戸集治監を辞職した後、帰郷し、東京市赤坂区青山南町6丁目139番地に居を構え、友人の島田三郎の計らいで毎日新聞社に入社し事務長に就きました。
 
※島田三郎:横浜毎日新聞主筆から文部権大書記官となり、明治14年の政変で下野。1882年、立憲改進党の創立に参加し、同年に神奈川県会議長に就任しています。1886年、植村正久から洗礼を受けて入信、一番町教会(プロテスタント教会 現・富士見町教会)に所属していました。1888年、東京横浜毎日新聞社長に就任。1900年にユニテリアン協会に加わるも、後に植村に謝罪して復帰。
 
 胤昭は教誨師を止め帰京しましたが、北海道で知り合った受刑者達との関係は続いていました。胤昭と文通を続ける者、礼を述べるために上京する者、胤昭に保護を求める者などが少なくなくなかったのです。
 英照皇太后の崩御に伴う恩赦(1897年の恩赦)が決まった後、自宅で出獄人保護を続けていた胤昭に、当局から釈放後に胤昭の保護を受けたいと希望する受刑者が100名以上いると伝えられます。胤昭は彼らを迎え入れるため、急遽新聞社を辞めて受け入れ準備に奔走、神田美以教会(現・九段教会)に東京出獄人保護所原寄宿舎(東京市神田区南神保町八番地)が開設(1897年1月)されました。
 東京出獄人保護所が開設されると、1月31日に東京集治監から30名、2月5日に巣鴨監獄署から86名、2月下旬に北海道集治監から200名以上が訪れます。胤昭は釈放者の親族と連絡を取り、帰郷が可能な者には旅費や着物等を与え、親族が受け入れを拒否した場合は保護所に受け入れました。
 安吉は胤昭から縁談の世話を受けるような間柄でしたから、安吉も東京出獄人保護所を尋ねたことでしょう。そして、胤昭は安吉の実家に連絡し、安吉が実家に戻れるように口添えしたのではないでしょうか。だから、安吉は出獄後に地元静岡で暮らしていたのだと思います。
 
◆静岡に帰郷後の佐野安吉
 安吉が何時静岡県に戻ったのか、正確な年は分かりません。たぶん、出獄したと思われる1897年だったのではないでしょうか。
 静岡県に戻った安吉は、静岡県庵原郡江尻町(現・静岡市清水区江尻町)の実家に身を寄せたものと思われます。しかしながら、家督は弟・恒吉が相続していた上に前科者ですから、肩身の狭い思いをしていたに違いありません。安吉は実家を離れ、静岡県有渡郡不二見村(現・静岡市清水区宮加三)にあった岩崎家に入り、岩崎かよの母・せきと内縁関係(岡さんは結婚と表現していましたが未入籍)になりました。江尻町と不二見村は5km程しか離れていませんので、偶然知り合ったのかしれませんし、中年の独身同士でしたので、誰かが仲介したのかもしれません。
 
 せきは1902年6月頃に亡くなっていますので、内縁関係になった時期は1897年から1902年の間のこと考えられます。1897年だとすると、安吉47歳、せき38歳、かよ13歳、辰蔵11歳です。
 この頃の義務教育は尋常小学校4年(修了時年齢は10歳)までで、貧しい家では、義務教育終了後は奉公に出すのが普通でした。実際、辰蔵も奉公に出ていました。辰蔵が亡くなった時、原子基は月刊誌「光」で「岩崎翁の息辰三(二十一歳)死去しました。社会主義的の葬式を営みまして、村民に社会主義を話しました。もっとも死人の経歴は雇主に圧制せられたる奉公人というので、非常に説き易かったのです。(三月二十八日、原子基)」(注:二十一歳は数え年と思われる)と書いています。
 かよの方は、ドキュメントドラマ「赤い靴はいてた女の子」では山梨県の宿屋へ女中奉公に出されとされ、小池氏の著書「平民社農場の人びと」では甲府の製糸工場に働きに出たとされています。何を根拠に、かよが奉公に出たとしているのでしょうか。かよの奉公のことなど記録に残っているとは思えませんので、たぶん確かな根拠は無いのだと思います。ですが、辰蔵が奉公に出ていますし、口減らしのために子供を奉公に出していた時代ですから、かよも奉公に出されていた可能性は高いと思います。もしかしたら、安吉とせきが内縁関係になった時には、かよと辰蔵二人とも奉公に出ていて家にいなかったかもしれません。
 ちなみに、安吉は平民新聞に岩崎安太郎の名で登場しています。安吉はせきと入籍していませんが、内縁関係になり岩崎家に入ったことで、岩崎安太郎と名のるようになったのかもしれません。前科者でしたから、名前を替えたいという心理があったのではないでしょうか。
 
 1901年の秋、かよは妊娠します。ドキュメントドラマ「赤い靴はいてた女の子」では奉公先で身篭り帰ってきた、小池氏の著書「平民社農場の人びと」では1902年に18歳で身重になって帰郷したとしています。妊娠して帰郷したのか、実家に居た時に妊娠したのか、かよの奉公のこと(有無や期間)が分からないので、本当の事は分かりません。
 母のせきは1902年の6月頃、甲府で急逝したとのことです。その約1ヶ月後の7月15日、かよはきみを出産しました。きみは私生子でしたので岩崎家の戸籍に入るのですが、岩崎家の戸籍はかよの父・岩崎清右衛門が亡くなった後、戸主が辰蔵に変わっていましたので、きみは辰蔵の姪として記載(「きみ 姉かよ私生子女 明治35年7月15日」とのように書かれていたみたいです)されました。
 せきの残した子供達と安吉は血縁関係に無いのですから、安吉が岩崎家を出て行っても不思議は無いのですが、安吉は岩崎家に残りました。この年、安吉は52歳でしたが、かよは18歳、辰蔵は16歳で2人ともまだ成人しておらず、加えて赤ん坊まで出来たのですから、安吉は父としてこの子達の面倒をみることにしたのではないでしょうか。安吉にとっても帰る場所はなかったのですから、そうすることが全員にとって一番良い選択だったのでしょう。
 
 1904年9月19日、安吉はまだ1歳10ヶ月だったきみと養子縁組をしました。佐野家の戸籍(戸主は安吉の弟・恒吉)に安吉と共にきみの名が記載されています。何故、安吉はきみを養子にしたのでしょうか。私生子だったため、世間体を気にしたというのなら、初めから安吉の子供として届け出ればよかったのです。それを2歳近くになってから、態々養子縁組をしているということは、この時期に養子縁組をする必要があったと考えるのが適切でしょう。
 養子縁組をしたのは、安吉が自分の子供として育てようと決心したためではありません。きみを孤児院に預けているのですから、それは確かです。では、どんな理由で養子縁組をしたのでしょうか。
 例えば、かよが結婚するにあたり、相手が子連れを嫌がったために、法的に親子関係を切ったということが考えられます。ですが、かよが静岡で結婚した様子はありませんから、これは違うでしょう。かよが入籍したのは、鈴木志郎が初めてでした。
 次に、生活苦のためにきみを育てるのが困難になり、きみを孤児院に預けることにしたというのはどうでしょう。岩崎家は静岡の農地を捨てて一家ごと北海道の開拓農民になったくらいですから、たぶん、小作だったと思われます。貧困にあえいでいたことは想像に難くありません。貧困のために赤ん坊を孤児院に預けることは十分に有り得ることです。若いかよに代わって、安吉がつてを頼って孤児院を探し、手続きも安吉が行うために、親権を安吉に移したとは考えられないでしょうか。こう考えるのが一番無理が無いように思います。
 ちなみに、ドキュメントドラマ「赤い靴はいてた女の子」では、きみは数え年で4歳の時(1905年)に函館在住の外国人宣教師夫妻の養女になったとしていました。そして、安吉との養子縁組を「きみはヒュエット夫妻の養女になる前に一旦形の上で佐野安吉の養子として入籍されていたのである。」と説明していました。ですが、きみは佐野家の戸籍に入ったまま亡くなっています。安吉の養子になった以後、再び養子に出された法的な事実はありません。また、正式(法的)に養子縁組せずに宣教師夫妻の養女としたなら、安吉が養子縁組をした意味を見出せません。
 
 きみが孤児院に預けられたのは何時頃でしょうか。養子縁組後、早々に預けられたと考えられますが、岡さんの投稿記事には「私の生まれる10年も前に、日本を去った姉の顔を偲ぶよしもないが、瞼をとじると、赤い靴をはいた4歳の女の子が、背の高い眼の青い異人さんに手をひかれて嬉々として横浜の港から船に乗って行く姿を幻の様に思いうかべることができる。」とありました。4歳は数え年のことです。きみの数え年で4歳は1905年です。ですから、きみが孤児院に預けられたのは1904年中ではなく、1905年の早い時期なのかもしれません。
 
 1905年4月、静岡三人組の原子と深尾の伝道行商がわずか4日で失敗に終わり、原子と深尾は苦し紛れに北海道での屯田事業を思い付き、平民農場を開設しました。5月下旬、安吉は原子と深尾と共に平民農場へ入植。最初に入植したのはこの3人でした。平民農場は急遽設立されたのですから、入植するために安吉がきみと養子縁組した訳ではないことが分かります。入植ときみを手放したことも関係ないでしょう。
 
 安吉はどんな経緯で平民農場に参加することになったのでしょう。たぶん、静岡三人組の誰かから話を持ちかけられたのでしょうが、安吉は彼らとどのように出会ったのでしょうか。
 原子と渡辺はプロテスタント系の岩本教会(メソジスト教会)に出入りしていて、安吉もプロテスタントでしたから、教会で出会った可能性が考えられます。しかし、安吉が岩本教会を訪れたのは、12月に渡辺に伴われて行った時が初めてでしたから、静岡三人組と安吉を結びつけたのはこの教会では無いようです。
 渡辺は鷹岡村天間(現・静岡県富士市天間)で「平民床」という理髪店を営んでいました。安吉はそこの店の客だったとも考えられなくはありません。ただ、安吉が住んでいた有渡郡不二見村からは30km以上離れています。客として行くには一寸遠いでしょう。
 静岡三人組は社会主義の演説会を開いたりしていました。安吉は貧農だったため、興味を惹かれて演説を聞きに行っていた可能性も考えられなくはありませんが、どうも安吉と社会主義が結びつきません。
 安吉はきみを預ける孤児院を探していたと思われます。一方、渡辺は、孤児や身障児を収容した富士育児院(富士郡島田村 現・富士市吉原)創設に協力していました。ですから、孤児院を探す過程で渡辺と出会ったことも考えられます。
 また、「平民社農場の人びと」の著者・小池氏は、胤昭の紹介ではないかと推測していますが、静岡三人組と胤昭の間にどのような接点があったのか示されていませんから、小池氏の推測が妥当なものかは判断つきかねます。
 結局のところ、安吉と静岡三人組がどのように知り合ったのかは分かりません。ですが、平民農場入植までには知り合っていました。想像するに、安吉と知り合いだったのは渡辺ではないでしょうか。静岡三人組の伝道行商には、渡辺も参加する予定でしたが、家庭の事情で参加を諦めています。伝道行商はあえなく失敗に終わりましたが、続く平民農場入植にも、渡辺は参加したかったことでしょう。社会主義伝道をするために三人組を結成したのですから。1人だけ参加出来ないことに、渡辺は負い目に感じていたとしても不思議ではありません。それで、渡辺は自分の代わりに平民農場へ行ってくれる人物を探し、安吉に白羽の矢を立てたのではないでしょうか。
 
 1905年12月3日、安吉は渡辺政太郎に伴われて静岡の岩本教会を訪れました。そして、1905年末には妻のおきんとかよ、辰蔵を連れて平民農場に入場、岩崎一家は静岡から北海道へ移住しました。
 原子が、月刊誌「光」(1906年1月1日)に「平民農場は近頃大分大きな家族になりました。まず北海道大沼の同志鈴木志郎氏が入場し、原子生の妹の二人と岩崎安太郎老人の妻、娘、息の三人も来り、都合八人で楽しくその日を募らしているのであります。この内の六人は労働に堪えるので、これから追々仕事もはかどることになります。」と書いていることからして、安吉は家族を迎えに静岡に戻ったのでしょう。原子も姉妹を連れてきているので、平民農場の暮らしに目途がついたのと、労働力確保のために家族を呼び寄せたものと思われます。
 ドキュメントドラマ「赤い靴はいてた女の子」では、1903年冬、19歳のかよが1歳の娘きみを抱えて北海道に渡り、きみが数え年で4歳の時に函館在住の外国人宣教師夫妻の養女になった後、かよと鈴木志郎が共に平民農場に入植したとしていました。上記、月刊誌「光」の記事からすると、鈴木志郎はかよより先に単独で平民農場に入っています。志郎は平民新聞に掲載されていた平民農場入植者募集の記事を見てやって来たのではないでしょうか。また、かよ達岩崎一家は1905年12月まで静岡にいたようです。岡そのさんも「祖母が亡くなったので、平民農場に母とその弟を連れてきたんです。」と証言しています。かよが1903年の冬に渡道したというのは誤りです。
 月刊誌「光」の1906年10月5日号には「安吉翁はおきんという婦人を原胤昭氏の媒介にて娶りたり」と書かれています。しかし一方で、1906年1月1日号には「岩崎安太郎老人の妻、娘、息の三人も来り」との記述もあります。ということは、安吉は静岡に住んでいた時におきんと結婚(内縁を含む)していたか、再渡道する途中におきんと結婚したということでしょう。
 
◆平民農場解散後の佐野安吉
 1906年4月、辰蔵が平民農場で死亡。志郎とかよが結婚(入籍はしていない)し、9月までに平民農場を去りました。残ったのは原子兄妹三人と安吉夫婦の5人。翌年には日笠与八らが加わって9人になりますが、1907年12月に平民社農場は解散しました。
 平民農場の跡地を処分するに当たり、開墾地は日笠与八が譲り受け、未開墾地は安吉と原子が譲り受けました。ところが、原子は翌年の3月に北海道から出て行ってしまいます。原子の土地の権利は安吉が引き継ぎ、夫婦で開墾を続けたようです。
 
 1908年4月に、小樽日報が廃刊していますが、志郎はこれ以前に辞めたようで、平民農場のあった真狩村で郵便配達夫として勤務(少なくとも1910年5月にはこの職に就いていた)し、かよは畑仕事をしていました。安吉を頼って戻り、かよは安吉の農作業を手伝っていたものと思われます。
 
 1912年夏、安吉は分配された平民農場の土地を虻田村の土地会社に売却しました。安吉は何故土地を売ったのでしょうか。
 開拓農民は米、味噌、日用品、農具、種子など多くを町の商人からツケで買い、収穫期に利息をつけて返済するのが普通でした。この利息は非常に高く、返済しきれない場合は抵当の土地を取り上げられ、小作に転落した開拓民が多くいました。安吉も借金が膨らみ、土地を手放さなければならなくなり、小作になったのではないでしょうか。土地売却後も志郎一家が真狩村に残っていることから、安吉も残ったと思われます。
 
 1914年12月、志郎は郵便配達夫を辞めます。1915年、志郎が室蘭の輪西製鉄所で働くことになり、志郎一家は室蘭に移住しました。安吉は付いて行っていないため、真狩村に残ったと思われます。
 
 1923年9月頃、志郎は樺太豊原のカトリック教会に伝道士として赴任し、志郎一家も樺太に移住しました。移住して間もない家に、安吉が一人で訪れます。妻のおきんは付いて来ていなかったようです。亡くなっていたのかもしれません。
 安吉は志郎の家にそのまま居つきました。安吉が志郎宅に来たのは、志郎が安定した職に就いたので、かよが一人身になった安吉を呼び寄せたのかもしれません。
 安吉は樺太に来てからおよそ1年半後にそこで亡くなりました。
 
◆佐野安吉年表
1850年:佐野安吉、駿河国庵原郡の農家の長男に生まれる。
1882年:佐野安吉、廃嫡される。佐野安吉、投獄される(推定)。
1892年:佐野安吉、原胤昭の教誨を受ける(推定)。
1897年:佐野安吉、出獄し静岡に帰郷(推定)。
1902年:岩崎せき死亡。岩崎きみ誕生(7月15日)。
1904年:佐野安吉と岩崎きみが養子縁組(9月19日)。
1905年:静岡三人組の伝道行商失敗、平民社農場開設(4月頃)。佐野安吉ら3人が平民農場入植(5月末頃)。岩崎一家が平民農場入植(12月末)。佐野安吉、おきんと結婚(この年の年末以前であることは確かであるが不明)。
1907年:平民社農場が解散(12月)し、佐野安吉は平民農場の土地を分配される。
1912年:佐野安吉、分配された平民農場の土地を売却。
1915年:鈴木志郎一家、真狩村から室蘭に移住。
1923年:佐野安吉、樺太の鈴木志郎宅に身を寄せる(秋以降のこと)。
1925年:佐野安吉、樺太の鈴木志郎宅で死亡(戸籍未記入)。
※1923、25年については「関東大震災直後に、私たち一家は樺太の大泊に行ったんですが、間もなくしてよれよれ姿の老人が、フラッとあらわれたんです。大正13年の秋ごろでした。この老人は一週間もするとボケてしまったんです。娘の所に来たから安心だったのでしょうね。それから一年半位たって亡くなりました」という岡そのさんの証言に基づいています。ですが、関東大震災は大正12(1923)年9月1日に発生していますから、「間もなくして」と「大正13年の秋ごろ」は矛盾します。ですから、「大正13年の秋ごろ」というのは間違いだと判断しました。
 

PageTop

米国諜報活動と安倍政権

 数日前、ドイツの週刊誌がアメリカの盗聴手口を明かしたというニュースが流れていた。

 

***** 独有力誌「米は各国大使館にアンテナ」 *****
NHK10月28日 22時54分
アメリカの情報機関が世界の指導者の電話を傍受していた疑いなどが明らかになるなか、ドイツの有力誌は通信傍受の手段として、各国のアメリカ大使館や領事館に外部から気付かれないように高性能のアンテナが設置されていると伝えました。

ドイツの有力な週刊誌、シュピーゲルが27日に発刊した最新号で伝えたところによりますと、アメリカのNSA=国家安全保障局は、CIA=中央情報局と共同で、「スペシャル・コレクション・サービス」と呼ばれる部門を設け、専門の職員が世界およそ80か所のアメリカ大使館や領事館などで通信の傍受を行っていたとしています。
そのうち、19か所はパリやベルリン、ローマなどのヨーロッパの都市としていますが、日本を含むそれ以外の地域については明らかにしていません。
また、通信傍受の拠点となっている各国のアメリカ大使館や領事館には、建物の最上階や屋上に外部から気付かれないように高性能のアンテナが設置され、携帯電話やインターネット、衛星などあらゆる通信が傍受されたとしています。
通信傍受の対象については5段階の優先順位が設けられ、ホワイトハウスと情報機関が、およそ1年半ごとに優先順位の見直しを行っているとしています。
このうち政治指導者の項目では、中国に対して、最も関心が高いことを示す「1」が記される一方、ドイツと並んで指導者への盗聴の疑いが出ているメキシコブラジルは「3」と記されているということです。
一方、アメリカオバマ大統領は23日のメルケル首相との電話会談で、首相の携帯電話の通信傍受については知らず、もし知っていたら、やめさせていたと述べ、謝罪したと伝えられています。
しかし、シュピーゲルは、NSAの機密文書には大統領の承認を得たものも含まれているとして、オバマ大統領の釈明に疑問を呈しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131027/k10015592531000.html
***************************************************
 
***** 通信傍受の拠点に日本含まれずか *****
NHK10月29日 11時10分
アメリカの情報機関が世界の指導者の電話などを傍受していたとされる問題で、ドイツの有力な週刊誌は、通信傍受の拠点となったとされる世界の80か所以上のアメリカ大使館や領事館などの所在地を明らかにし、その中に日本の都市は含まれておらず、対象から外されている可能性があります。

ドイツの有力な週刊誌「シュピーゲル」は28日、アメリカのNSA=国家安全保障局がドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していた疑惑についてのテレビリポートをインターネット上に掲載しました。
この中で、アメリカのCIA=中央情報局の元職員から入手したとみられる機密文書が紹介され、このうち2010年8月の資料には、各国の指導者の電話などの通信傍受を担う「スペシャル・コレクション・サービス」と呼ばれる部門の拠点となったとされる世界80か所以上のアメリカ大使館や領事館などの所在地が記されています。
この中で、アジアでは北京や上海、それにバンコクやジャカルタなど20か所の都市名が記されていますが、日本の都市は含まれていません。
また、イギリスオーストラリアといったアメリカとのつながりが深い国々も含まれておらず、日本がこうした国々と共に、アメリカの大使館などを拠点にした通信傍受の対象から外されている可能性があります。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131029/k10015632811000.html
***************************************************
 
 シュピーゲルの動画はこちら。
「Das bespitzelte Regierungsviertel: NSA-Ausenstelle am Brandenburger Tor」


http://www.spiegel.de/video/nsa-soll-vom-dach-der-berliner-us-botschaft-aus-spionieren-video-1305080.html
 
 下図は、「スペシャル・コレクション・サービス(SCS)」部門が関連しているとされるアメリカ在外公館の都市を示す動画中のマップ。
 
 

 「積極的調査」が3箇所、「無人遠隔操作」が14箇所、「技術サポート活動」が2箇所、「スタッフ配置場所」が74箇所、「休眠」が3箇所となっている。
 
 報道機関は、SCSのマップに日本の都市が記載されていないことから、通信傍受の対象から除外されている可能性を指摘している。確かに、日本は記載されていない。それに、韓国も記載が無い。東アジアで記載されているのは、バンコク、北京、成都、チェンマイ、香港、ジャカルタ、クアラルンプール、マニラ、プノンペン、ラングーン、上海、台北だけである。
 
黒丸:SCSスタッフがいるアメリカ在外公館
黄丸:遠隔操作で通信傍受が行われているアメリカ在外公館
青丸:通信傍受を行っていないアメリカ在外公館

 

 アメリカが情報収集しているのは、テロリスト情報や軍事情報だけではなく、経済や技術などのアメリカにとって有益な情報も含まれていると思われるから、日本も韓国も通信傍受の対象から外されているとは考え難い。日本も韓国も、長年大きな規模の米軍が駐留しているから、通信傍受設備は基地内にあり、大使館や領事館はその様な設備を持つ必要が無いため、マップに載っていないということではないだろうか。
 
 
 マップを見ると、冷戦時代に西側だったギリシャ、ドイツフランススペインイタリアスイスオーストリアも盗聴対象にされていた。その反面、イギリスオーストラリア、ニュージーランド、カナダは対象外になっいる。この4ヶ国が除外されているのは、アメリカと協力して通信傍受活動をしているからなのだろう。
 アメリカイギリスオーストラリア、ニュージーランド、カナダの5ヶ国は「UKUSA協定」という協定を結び、諜報設備や盗聴情報を相互利用、共同利用しているとされている。諜報活動のためにこの5ヶ国が世界に張り巡らした通信傍受網システムはエシュロンと呼ばれ、その性格上、存在を公にされていないが、電波傍受や通信線盗聴によって多量の情報を収集し、ほとんどの情報をNSAが分析していると言われている。数ヶ月前には、NSAの通信情報収集体制に関する報道もあった。
 
***** 情報収集体制が判明…プログラム4種が監視 *****
毎日新聞 2013年06月17日 12時13分
http://mainichi.jp/select/news/20130617k0000e030144000c.html
http://megalodon.jp/2013-0623-1620-10/mainichi.jp/select/news/20130617k0000e030144000c.html
【ワシントン及川正也】米ワシントン・ポスト紙は16日、米国家安全保障局(NSA)によるテロ対策を目的とした通信情報収集体制を報じた。電話とインターネット情報のそれぞれについて、電話番号やアドレスなどの「メタデータ」と、通話やチャット内容など「コンテンツ」を収集する計四つのプログラムで構成されているという。公になった「プリズム」はその一つで、いずれもブッシュ前政権(2001?09年)の後期に導入され、オバマ政権が引き継いだとみられる。米国の「監視社会」の一端が明らかになった。

 同紙によると、運用されているプログラムは(1)メタデータを電話情報から収集する「メインウエー」(2)メタデータをインターネット情報から収集する「マリーナ」(3)コンテンツを電話情報から収集する「ニュークレオン」(4)コンテンツをインターネット情報から収集する「プリズム」の四つ。
 当初は「ステラーウインド」との総称で呼ばれたが、ブッシュ政権内で違法性を指摘され、再構築されたという。
 メタデータは「数兆」に上り、時間、場所、端末、参加者などが分かるが、交信内容は収集しない。英紙が報じた米通信大手に米国人の通話履歴の提出を裁判所を通じて求めたのは「メインウエー」による運用という。
 また、米英紙が報じたインターネット大手9社の中央サーバーに接触して交信内容などの情報を入手したケースは「プリズム」の活動の一環という。
 クリントンブッシュ政権でNSA局長を務めたヘイデン元中央情報局(CIA)長官は16日、米テレビ番組で、デジタル情報収集についてメタデータ系とコンテンツ系があることを認めたうえで「歴代の軍の監察総監が検証し、悪用はないと判断している。テロに限定した運用だ」と述べた。
******************************************************
 

 

 

 
 エシュロンの施設は日本の三沢にもあるとされ、アンテナドームにより電波傍受していると言われている。しかし、近年は、情報通信の主役がインターネットに移ったため、電波傍受よりもインターネット上の情報を収集することに重点が置かれているようである。NSAはインターネット上の情報を収集するため、大手検索サイトから不正な方法でデーター収集していたとの報道もある。
 
***** NSA、グーグルとヤフーの通信から情報入手か *****
2013年10月31日13時16分  読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/net/news0/world/20131031-OYT1T00392.htm
【ワシントン=山口香子】米国家安全保障局(NSA)の盗聴疑惑で、NSAが検索大手のグーグルとヤフーのデータを承諾なしに入手している可能性が新たに浮上した。
 両社はすぐさま反発し、オバマ政権にとって新たな火種となりそうだ。欧州では、メルケル独首相の携帯電話などに続き、バチカンも対象になっていると報じられた。

 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は30日、NSAが、グーグルとヤフーが持つ国外データセンターを結ぶ通信ケーブルに侵入し、個人の間でやり取りされる電子メールや音声・動画ファイルを入手していると報じた。同紙が入手した内部資料によると、今年1月初旬までの30日間で、1億8000万件以上の情報を入手したという。
 同紙によると、この情報収集活動は「マスキュラー」と呼ばれ、英情報機関・政府通信本部(GCHQ)と共同運営している。
 同紙は、こうした手法が米国内法や裁判所の管轄外となるため、NSAが法の規制や監視を逃れて情報を入手する「裏口」として重要視していると指摘した。NSAは従来、グーグルなどからテロ対策目的で個人情報を収集する際には、裁判所の令状を示して提出を受けていると説明していた。
 グーグルの場合、米国外では南米、欧州とアジアに数か所のデータセンターがあり、NSAは、これらの拠点を結ぶ通信ケーブルに侵入し、全情報をコピーできるという。情報は通常、バックアップのため複数のデータセンターに保管されるため、理論上、日本を含む、グーグル上でやり取りされる全世界の情報が対象になる。
**********************************************************
 
 通信網がメタルケーブルから光ファイバーケーブルに置き換わってことで、従来の傍受方法が通用しなくなったとみられ、サーバなどに不正アクセスして情報を抜き取ったり、中継地点に傍受装置を設置する方法が取られている。中継地点での傍受は中継地国の協力が必要なため、2年程前には日本にもNSAから通信傍受の協力要請があったようである。
 
***** 米が傍受協力打診 日本応じず 光ケーブル、中国情報狙いか *****
東京新聞2013年10月27日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013102702000138.html
 米国の情報機関、国家安全保障局(NSA)が二〇一一年ごろ、日本政府に対し、光ファイバーケーブルを使ってやりとりされる電子メールや電話などの個人情報の傍受に協力するよう打診していたことが二十六日、分かった。複数の関係筋が明らかにした。
 中国の国際光回線をはじめ、アジア太平洋をつなぐ多くの光ケーブルは日本を経由することから、中国情報の収集が狙いだったとみられる。日本側は法的制約や情報要員の不足を理由に要請に応じなかったという。
 NSAについては、外国指導者三十五人の電話を盗聴していたと英紙ガーディアンが報道、オバマ米政権への批判が噴出しており、波紋が広がりそうだ。
 関係筋によると、NSA側は日本に対し、日中間などアジア太平洋を結ぶ光ケーブルが日本を経由する際に傍受装置を設置するなどして、ネット接続や通話履歴を含む個人情報を入手できないか打診した。
 ガーディアンによると、NSAは一一年以降、大西洋を横断する光ケーブルから英政府通信本部(GCHQ)が傍受した情報の提供を受けており、日本への打診は時期が重なっている。
 このため、サイバー空間での活動を活発化させる中国の動向や国際テロ情報の収集を強化する上で、アジアでも最大の同盟国である日本と同様の協力関係構築を模索した可能性がある。 (共同)
**********************************
 
 
 安倍政権は内閣国家安全保障会議(日本版NSC)創設を急いでいる。安倍首相は国家安全保障会議の創設に関する有識者会議で「我が国の外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議において、適切な政策判断を行っていくためには、より多くの質の高い情報に基づいて、議論が行われることが不可欠であります。そのためには、国家安全保障会議が、情報部門に対し、政策判断に必要な情報発注をタイムリーに行うとともに、情報やその分析結果を総括整理し、内閣総理大臣の政策判断に寄与することが必要であります。」と述べていることから、日本版NSCは高度な情報を得ることを前提としているのだろう。
 日本版NSCはNSAのような諜報機関では無いが、米軍情報など諸外国と機密を共有するため、情報保全の徹底が必要とされている。機密情報の漏洩が心配されると、外国が重要情報を安心して提供出来ないからだ。そのため、安倍政権は秘密保護法を成立させようとしている。
 秘密保護法について、安倍首相は「日本に法整備がないことに不安を持つ国があるのは事実だ」と述べ、他国との情報共有には秘密保全による信頼関係が必要だと強調していた。表向きは外国から重要機密情報を得るための下地作りである。
 しかし、ここで疑問が生じる。外国が一方的に重要機密情報を提供するものだろうか。ギブ&テイクでなければ、提供側にメリットは無い。情報分野では特にギブ&テイクの傾向が強いとも聞く。だが、日本には、強力な対外情報機関が無いため、外国が有用とする重要情報を提供するのは難しいだろう。他国との情報共有のために秘密保護法を作ったところで、日本が重要情報を提供出来ないのであれば、他国から高度な情報は得られないと思われる。
 秘密保護法の目的は一方的に情報を得るための下地作りでは無いような気がする。安倍首相の言う「他国との情報共有」とは、他国と諜報活動を共同して行うということではないだろうか。安倍首相はUKUSA協定に参加することを目指していて、参加条件をクリアするために情報保全強化に乗り出したのではなかとも思える。アメリカ側も望んでいるようであるから、UKUSA協定参加国になるということは非現実的ということでもないだろう。
 安倍政権は対米関係を重視し、より強固な日米関係を構築することを目指している。日米関係を英米関係のようにしたいのではないだろうか。そうであるならば、安倍首相がUKUSA協定参加ということを考えているとする見方も穿ち過ぎではないかもしれない。
 
//////////////////////////////////
Das bespitzelte Regierungsviertel: NSA-Ausenstelle am Brandenburger Tor
http://www.spiegel.de/video/nsa-soll-vom-dach-der-berliner-us-botschaft-aus-spionieren-video-1305080.html
http://cryptome.org/2013/10/nsa-cia-berlin-spy-nest.pdf
アメリカ合衆国の在外公館の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9C%A8%E5%A4%96%E5%85%AC%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
エシュロン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%B3
UKUSA協定
http://ja.wikipedia.org/wiki/UKUSA%E5%8D%94%E5%AE%9A
謎に包まれた国際電子諜報網“エシュロン”とは何か?
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/USIT/20010706/1/
PRISM (監視プログラム)
http://ja.wikipedia.org/wiki/PRISM_(%E7%9B%A3%E8%A6%96%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0)
エシュロン 秘密の通信傍受システム Part1 Echelon espionnage
http://www.youtube.com/watch?v=C5dnKqqc2CM
エシュロン 秘密の通信傍受システム Part2 Echelon espionnage NSA
http://www.youtube.com/watch?v=5pdq2KBtp0w
エシュロン 秘密の通信傍受システム Part3 経済戦争と盗聴 Echelon
http://www.youtube.com/watch?v=ywOx9dyDDQs
http://spon.de/vfDFQ
謎に包まれた国際電子諜報網“エシュロン”とは何か?
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/USIT/20010706/1/

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。