六丈記2

備忘録のようなもの

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八王子スーパー強盗殺人事件 カナダの中国人2

 昨年の7月27日、「八王子スーパー強盗殺人事件 カナダの中国人 」というエントリーをアップし、警視庁が八王子スーパー強盗殺人事件に関係していると思われるカナダ在住の中国人の男の引き渡しをカナダ政府に要請していると書いた。その件が進展をみせている。
 警視庁は昨年、中国人の男が他人名義のパスポートを使ったとして旅券法違反容疑で逮捕状を取り、犯罪人引き渡し条約を結んでいないカナダに引き渡しを求めていた。カナダの司法相は引き渡しを決定したが、中国人の男は引き渡しの目的が旅券法違反での立件ではなく、ナンペイ事件に関する聴取であるから日本の身柄の引き渡し要請は不当と主張し、カナダの裁判所で審理される事態に発展。昨年9月の一審は引き渡しを認める決定をしたが、中国人が控訴。その控訴審の決定が9月23日にトロントの裁判所で下され、控訴棄却となった。中国人の男(42)は上告を検討中という。
 
 このニュースは、ジャパンデイリープレスにも取り上げており、日本では報道されていない中国人の男の名前なども明かされている。「Canada orders extradition of Chinese man for murders in Japan」という記事から幾つか情報を抜き出す。
●中国人の男の名前は「Liang He」。推測すると、漢字名は「梁赫」で、発音は「リャン クア」だろうか。
●結婚していて2児の父。他の記事によると、2児は21歳と22歳の息子とのこと。
●オンタリオ州ブランプトンで働いている。他の記事によると、2010年9月から保釈中で、店員として働いていたとのこと。
●リャンは1990年代初頭から2002年まで、日本に住んでいたことが知られている。
●裁判官が判決において示したリャンの既知の犯罪歴は次の通り。
入管法違反で有罪となり、1994年に日本から強制送還される。
再び日本に密入国し、犯罪組織に参加。
偽造パスポートを使い、2002年に中国へ帰国。
帰国後、日本の共犯者と共に違法薬物を販売。
2006年に難民としてカナダに入国し、永住権を取得。
●リャンの弁護士は、訴えにより身柄引き渡しが1年から3年遅れる可能性を述べている。
●弁護士は、リャンがカナダで日本の警察に尋問されても構わないと思っていると述べている。
 
 リャンは上告するか検討中とのことだが、たぶん、上告するものと思われる。ただ、一審、二審とも引き渡しを認めているので、上告しても決定が覆される可能性は小さい。リャンの弁護士が言っているように、身柄引き渡しには数年掛かるかもしれないが、最終的には日本に移送されて来るだろう。
 八王子スーパー強盗殺人事件では、実行犯のものと思われる指紋とDNAが残されている。警視庁は、リャンの指紋とDNAの照合を終えているだろうから、実行犯ではなく共犯者(強盗グループに関わっていた一人)の可能性を考えているのだろう。取調べで自供を引き出したいのであろうが、決め手が無いため、リャンが自白するとは思えない。
 そもそも、リャンが有力容疑者に浮上したのは、中国で麻薬密輸の罪で死刑になった武田輝夫が「カナダにいる中国人が実行犯を知っているはずだ」と供述したからなのだが、武田の供述には信用性が無い。中国に出張して武田に事情聴取した警視庁の捜査官が、武田に細かい矛盾を追及するとしどろもどろになり、最後は「本当は何も知らないんだ」と言い出す始末だったらしい。
 こんな証言に頼らざる得ないのだから、捜査は完全に手詰まりなのだろう。事件発生から18年も経ち、解決には程遠くなっている。
 
*** 朝日新聞2013年9月24日 ***
【トロント=中井大助】1995年に東京都八王子市の「スーパーナンペイ大和田店」で女性3人が射殺された事件で、何らかの事情を知っている可能性があるカナダ在住の中国人の男(42)について、カナダ東部トロントの控訴裁判所は23日、日本への引き渡しを認める決定をした。
 一審が引き渡しを認めたため男が不服として控訴していたが、控訴裁は「日本側の請求を認めた一審に問題はない」と棄却した。現在、男はカナダ当局に身柄を拘束されており、カナダ最高裁に上告できる。弁護人は「24日以降に方針を決める」と語った。カナダの司法相は既に、男の身柄を日本に引き渡す決定をしている。
 裁判所に提出された記録によると、男は中国・福建省出身で、90年代に日本に滞在していた。2006年にカナダへ入国し、現在は永住権を得ている。中国での覚醒剤密輸事件で死刑判決を受けた日本人の男=10年に執行=が09年に「日本で一緒に強盗団に加わっていた中国人の男が実行犯を知っていると思う」と供述し、捜査線上に浮上した。
****************************
 
/////////////////
Canada orders extradition of Chinese man for murders in Japan
http://japandailypress.com/canada-orders-extradition-of-chinese-man-for-murders-in-japan-1111714/
Ontario judge orders Chinese national extradited to Japan
http://newsonjapan.com/html/newsdesk/article/104569.php

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韓国人による靖国神社放火未遂事件 共犯がいる筈

 9月22日に靖国神社への建造物侵入で逮捕された韓国人のカン・ヨンミン容疑者(23)が送検され、顔が明らかになった。

 

◆事件経過
●9月21日
 入国。東京のホテルに宿泊。
●9月22日17時頃
 靖国神社に侵入。
●9月22日21時頃
 南門横のトイレの裏に隠れているところを衛視に発見される。
 衛視に詰所へ連行される途中、逃走。
 リュックからペットボトル(2リットル容器)を取り出し、ふたを開けて拝殿に向かって投げ付ける。
 衛視に取り押さえられ、警視庁に引き渡される。
●9月23日
 警視庁公安部に逮捕される。建造物侵入を認める。
●9月24日
 送検される。
 
 

 ペットボトル内の液体について、メディアによってシンナー、トルエンと違いがある。シンナーはうすめ液の総称であり、トルエンは物質名なので、どちらかが間違っているということではないが、たぶん、トルエン系の有機溶剤なのであろう。
 トルエンは飛行機に持ち込めないため、国内で入手しているはずである。だが、国内でもシンナー乱用防止のため、トルエンは入手が困難だ。ホームセンターで簡単に購入できる物ではない。塗料販売店で購入可能だが、身分証の提示が必要で得体の知れない外国人に販売する店は無いだろう。
 カン・ヨンミンは入国の翌日にはトルエンを入手している。どの様な手段で入手したのだろうか。入手困難なトルエンをこんなに早く手に入れるには、国内でカン・ヨンミンにトルエンを渡した者がいなければまず無理だ。国内に共犯がいる。
 トルエンがペットボトルに入っていたということは、一斗缶から移し変えられたと考えるのが妥当だろう。共犯は塗装関係の仕事をしているのではないか。
 
 リュックからは2個のライターが見つかっている。カン・ヨンミンは建造物侵入で逮捕されているが、靖国神社に放火するつもりだったことは明らかだ。放火未遂で再逮捕されるかは分からないが、2年程前に靖国神社放火事件を起こした中国人の劉強を模倣したものとみて間違いない。
 カン・ヨンミンという人物の背景が不明なので、動機は分からないが、共犯がいることを考えると、愛国行為を誇示することで有名になろうとしたという単純なものではないのかもしれない。
 
//////////////////////////
靖国神社の拝殿前に液体まき放火しようとした自称韓国人の男逮捕(13/09/23)
http://www.youtube.com/watch?v=M99IF8GUBFE
シンナー等乱用撲滅ホームページ
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/b02/sinnaranyoubokumetu.html

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「日本統治よかった」と発言した韓国の老人が撲殺された

****** J-CASTニュース ******
95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」
http://www.j-cast.com/2013/09/13183859.html
 
 韓国で、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こった。
 「愛国心ゆえ」の犯行だと男は供述、韓国ネットユーザーなどからも擁護の声が上がる。あまりにも惨い事件に、日本では驚きが広がっている。
 
◆老人の杖を奪い、頭を何度も…
 韓国紙「世界日報」によれば、事件が起こったのは2013年5月のことだ。ソウルにある宗廟市民公園が、その現場となった。
 同公園は観光スポットとして知られるとともに、近所に住む高齢者たちの憩いの場でもあり、多くの人々が青空の下、囲碁や世間話を楽しんでいる。被害者の朴さん(95)も、そうした輪に加わる一人だった。
 そこにやってきたのが、黄被告(38)だ。彼は大量に飲酒しており、すっかり酩酊していた。この酔っ払いと朴さんが話すうち、その何気ない一言が黄被告の「逆鱗」に触れた。
「日本の植民地統治は、良いことだったとワシは思うよ」
 朴さんがどのような点を「良い」と評価したのかはわからないが、なにしろ朴さんは95歳、終戦の時点でもすでに27歳だ。日本統治の実態、そしてその後の韓国現代史を目の当たりにしてきたわけで、その発言には重みがあっただろう。一方の黄被告は37歳、朴正煕時代すらほとんど記憶していない世代だ。
「なんだと!」
 しかし、「愛国者」である黄被告は朴さんの発言に激怒した。朴さんを蹴飛ばすと、その杖を奪い、怒りに任せて頭などを殴りまくった。朴さんは頭蓋骨や脳などに重傷を負い、治療を受けたものの死亡した。傷害致死罪で逮捕された黄被告は「泥酔しており心神耗弱状態だった」と主張したものの、9月10日に懲役5年の判決を受けた。
 
◆「日帝を称賛した時点でジジイは犯罪者だろ」
 驚くことに、韓国内ではこの黄被告への擁護論が少なくない。上述の世界日報からして「酒の勢いで愛国心の度が過ぎた」とやや同情的だが、さらにネット上では、黄被告を「愛国青年」などと称し、
「そもそも日帝を称賛した時点でジジイは犯罪者だろ、殺されて当然」
「懲役刑? むしろ勲章モノじゃねえか」
「正義の審判だ!」
「裁判官は売国奴!」
などと殺人を正当化するコメントが記事に多数付けられている。無論、「これが法治国家のやることか! 韓国はいつから歴史観が違えば人を殺していい国になったんだ?」と嘆く声もあるが、過激な意見の勢力が強い韓国ネット上では押され気味だ。
 日本統治時代への評価をめぐっては、韓国では近年一部の研究者から近代化の進展などを重視し、部分的に評価する動きがある。しかしこうした意見が反映された教科書が8月30日に検定を通過したところ、国内世論が沸騰、政界も巻き込む大論争に発展するなど、今なお「タブー」視は根強い。
******************************
 
 日韓併合時代を経験し、実体験に基づいた言葉を語った老人を、その時代を生きてもいず、聞かされた情報を盲信した男が「許せない」と殴り殺す。そして、下った刑はたったの5年。更に、犯人を愛国者と持ち上げる社会。何とも暗澹たる気持ちになるが、これがリアルな韓国社会だ。
 この事件は、特異な人間が起こした事件と思われるかもしれないが、韓国ではありふれた日常の出来事が殺人にまで発展してしまった事件なのだと思う。
 
 もう一昔以上前になるだろうか、TVのバラエティ系旅番組で、この事件と同様の状況を見たことがある。その番組の内容は、次ぎの様なものだった。
 韓国の老人は、日韓併合時代に日本語教育を受けているので、未だに日本語が話せる人が多い。中には、併合時代を懐かしみ集まって日本語で昔話をする者もいる。取材対象の爺さんもそんな一人だった。
 その爺さんが歩いて老人が集まる広場に行くと、幾つかあるテーブルの一つに、老夫数人(2人か3人だったと思う)が既にテーブルを囲んで座っていた。爺さんの見知った人達らしく、爺さんもその輪に加わり、日本語で昔話をしはじめた。他のテーブルにも老人が集まって談笑していて、青空の下で、隠居した老人が暇つぶしに会話を楽しんでいるようだった。
 ただ、日本語で会話しているのは爺さんのグループだけ。白い目で見られている。そんな雰囲気にもかかわらず、爺さん達が日本語で会話を続けていると、中年の男が近づいてきて、突然、爺さん達に朝鮮語で罵声を浴びせ始めた。大きな声で、日本語を使っていることに対して非難をしていたのだった。爺さん達は適当にあしらうが、一方的な罵声は延々と続く。中年の男の興奮は収まらず、爺さんにつかみ掛かろうとしたので、スタッフが止めに入り、その場面は終わった。
 大体、こんな感じだったと思う。
 
 今回は、殺人事件にまで発展したので報道され、注目を集めたが、当時の体験をそのまま話した老人が親日的な発言をしたと取られ、暴行されるなんてことは珍しくも無いのではないか。
 
 老人ではないが、親日派とされる学者も酷い目にあっている。
 植民地近代化論者で、「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」との発言をしている李栄薫・ソウル大教授は、「従軍慰安婦は売春業」と発言をしたことで、関連団体から教授職の辞任を要求され、最終的に「ナヌムの家」で元慰安婦に対して謝罪をするも、元慰安婦らから長時間罵倒されている。
 
 また、新しい教科書作りを目指してシンポジウムを開いていたところ、反対勢力が会場になだれ込み、暴行を受けている。
 
 

 この様に、韓国社会は異論を認めない社会だ。異なる意見は、間違いとみなし排除する傾向が強い。そして、それが日本のこととなると「間違い」では済まず、「悪」となる。親日行為は悪の所業であり、悪であるから暴力によって排除してもかまわないと考えているように映る。
 老人が日韓併合時代を肯定したことは悪の所業であり、犯人は悪を成敗したと思っているのかもしれない。少なくとも、この犯行を支持する韓国人はその様な感覚でいるようだ。
 
 韓国では、親日派とみなされる発言は危険を伴う。若し、そうみなされる発言を意図してするならば、それが真実だとしても相当な覚悟を要する。
 1年程前、韓国の老教授の告白がネット上に上がった。「殺される覚悟で言う。韓国人は強制従軍慰安とか歴史捏造をやめるべきだ」という題が付いていた。著しい不利益を被る可能性があるのは分かるが、「殺される覚悟」は少々大げさな表現だと思っていた。だが、殺人事件が起こった今では、本当に殺される覚悟があったのかもしれないとも思う。この辺の機微は、日本に居ては理解できないことかもしれない。今もご存命なのだろうか。
 ちなみに、前述の告白は以下の通り。
*** 知ってはならない日帝時代の真実~学校で教えられていない日帝強占期の実像 ***
http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html
◆私は88才です。 もう事実を話したいと思います。 [チェ・キホ(崔基鎬)伽耶大学客員教授] 
朝鮮末期の私は1923年の生まれです。
もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。
それは相当な覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。
しかし、これは私の使命であると信じています。
 
私はソウルに住んでいました。
そして、時々、平壌や東京に行きました。
その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。
 
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。
韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。
 
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。
韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。
近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。
 
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。
より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。
 
民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。
近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。
韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。
歴史の真実を知っているためです。
 
朝鮮語でキウン「地獄」でした。それは大韓帝国時代になっても同じでした。
1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。
例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。
その差額は日本が負担していました。
1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています。
 
現在88才の老人の絶叫です。 どう思われますか?
 
 
<以上、ハングルの文章を和訳>
****************************************************************
 
 ついでながら、崔教授は「歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った『日帝36年』の真実」(2004/9 祥伝社)という本も書いて、その本の販促ビデオがYouTubeに残っているので貼り付ける。
 
 

 

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李栄薫教授が教科書フォーラムで殴られる
http://www.youtube.com/watch?v=dmMh5jq5iko&feature=player_embedded
『The truth of Japan's annexation of the Korean Peninsula(日本の朝鮮半島併合の真実)』
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-JHeghTfaVU
http://www.youtube.com/watch?v=rk3-YzsugcY&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=JESc4H0awH0&feature=player_embedded

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日韓オリンピック全面協力の件

 2020東京オリンピックと2018平昌オリンピックが全面協力するという話、ガジェット通信が取り上げて記事を掲載したところ、一寸した騒ぎになった。
 
***** ガジェット通信 *****
2020年東京オリンピックを野次る韓国 しかし2018年冬季韓国オリンピックは開催も危うい状況
http://getnews.jp/archives/415168
9月8日に2020年オリンピックの開催地が東京に決定されたが、この開催地決定に対してお隣の韓国は「東京オリンピックをボイコットする」と騒ぎ立て、また他国に対してもボイコットを呼びかけている。それだけではなく「放射能の影響がある国での開催なんか考えられない」と言うネチズンの意見も多いようだ。形式的ではあるが韓国政府は東京オリンピック開催に祝電を送っているが、相変わらず世界中でのロビー活動は手を緩めていない。
そんな2020年の東京オリンピックに横槍を入れてくる韓国だが、その2年前に開催される冬季オリンピックの開催地が韓国の平昌(ピョンチャン)に決定している。しかしこの平昌オリンピックには様々な問題が予測されているのだ。
まず積雪問題であり、開催地の江原道平昌は韓国では最も雪の多い地域ではあるが、積雪は多い年で40cm、暖冬の場合は雪が一切積もらない可能性もある。その場合は人工雪で補わなくてはいけない。
問題はこれだけではない。スケートリンク、ボブスレー、スケルトンの施設などは選手が実際に試走するのである。しかし韓国のボブスレーやリュージュの選手は非常に少なくノウハウが全くない状態。そのためコース設計は日本が補うことになりそうだ。もちろんその資金は日本が立て替えなければいけない。立て替えると言っても返してくれるとは思えないが。過去2002年のワールドカップを強引に合同開催した韓国だが、スタジアム建設費の300億円をびた一文払っていない。
2020年の東京オリンピックに野次を入れる前に、自国での平昌オリンピックの代替地候補を模索した方がいいのではないだろうか。スキー文化もほとんどない国がなぜ冬季オリンピックに名乗り出たのだろうか。
F1ドライバーがいないのにF1サーキットを作り、F1韓国グランプリを開催した経緯に似ている気がするが……。
****************************
 記事中の「コース設計は日本が補うことになりそうだ。もちろんその資金は日本が立て替えなければいけない。」という部分にあちこちで批判が殺到。「立て替えると言っても返してくれるとは思えない」と言っているのに何故立て替えなければならないんだという当然の疑問が並んだ。過去の例からして、韓国が泣き付き、日本が尻拭いするということが多いので、批判している大勢も戯言と受け流せなかったのではないか。
 大手メディアでは報道されていなかったが、韓国は様々な東京五輪招致の妨害工作をしてきた。開催決定後にも、韓国内から世界各国に東京オリンピックをボイコットしようとの呼びかけがなされていた。ネット上では、それが広く知られていたので反発を大きくした。
 
 そもそも、東京オリンピックと平昌オリンピックが協力するという話の出所は何処だったのだろうか。調べてみると、発信源は共同通信の配信記事だった。
******** 日経新聞 ********
日韓、五輪成功へ協力 20年東京と18年平昌
2013/9/10 11:25
http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKC0110_Q3A910C1000000/
 【ブエノスアイレス=共同】日本オリンピック委員会JOC)の竹田恒和会長と韓国オリンピック委員会(KOC)の金正幸会長は9日、ブエノスアイレスで会談し、韓国で開催される2018年平昌冬季五輪と20年東京夏季五輪の成功に向け、全面的に協力することで合意した。
 日韓関係が冷え込む中、東京の五輪招致成功を機に新たな動きが生まれる可能性もある。両者は選手の交流も促進させる。
 竹田会長は「両国の関係がしっくりいっていないときでも、スポーツは互いの理解を深めることに貢献できる」と述べ、金会長は「われわれの交流と相互協力は現在の両国の関係を好転させることができると確信する」と応じた。
 竹田会長によると、アジア・オリンピック評議会(OCA)のアハマド会長を加えた3者会談では、「冬季五輪と夏季五輪が続いて開催されることが決まり、アジアの平和構築にとって絶好の機会が訪れた」とOCAも両大会の成功に最大限の支援を約束したという。
****************************
 記事からすると、東京オリンピック開催決定後にブエノスアイレスで竹田会長、金会長、アハマド会長の3者会談が開かれていたようだ。
 記事中では「全面的に協力することで合意した」とあるが、竹田会長と金会長の言葉は社交辞令の域を出ない。アハマド会長もアジアを束ねる組織の長として当然のことを言っただけだ。本当に竹田会長は全面協力を約束したのだろうか。
 
 同じ疑問を持った者もいたようだ。「News U.S. 中国韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース」というサイトを見ていたら、こんな書き込みがあった。
***** News U.S. 中国韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース *****
韓国、なんと東京オリンピックと平昌オリンピックでの日韓全面協力を要求!! ⇒ 竹田恒和会長と金正幸が話し合っただけ・具体的内容なし・共同通信の飛ばし説が浮上 ⇒ 韓国KOC側の言い分だけで勝手に記事を書く!!JOC「そんな事は言っていない」も十分ありうる 抗議メールや電話が殺到か!? 2ch「会って話した事を希望的に書いただけ」「やはり先に言い出したのはチョンか」「とにかくJOCに直接抗議しよう」
http://www.news-us.jp/article/374445874.html
 
413 名前:可愛い奥様 :2013/09/10(火) 13:25:58.36 ID:cgYG4tNo0
>>411の記事の件でJOCに凸しました
結論から言うと
「飛ばし記事!!!」
あり得ないとのこと。
我々は参加させていただく立場なので、
互いに協力する、
などと勝手に言う立場にない。
IOCに怒られてしまう。
会って話したことを、
希望的に書いた記事。
共同通信(おそらく社会部)は、立場をわかっていない。もちろん内容を見て抗議する。
 
だそうです。
ついでに、
「平昌が開催不能で、場所やお金を日本にたかっている、という話を聞いているが、そんなことは可能なのか?」
と聞いたら、
「不可能です。自国でできなかったら返上でしょう」
だそうですよ。
 
あと韓国との試合や合宿をやってる競技があるけれど、
日本人選手を守ってくださるようお願いしました。
担当の方も、怒ってましたね~。
 
最後は、東京オリンピック開催お祝いと、
プレゼンが素晴らしかったことの感謝を伝えました
 
**********************************************************
 一寸、うそ臭い。だけど、ネット上では共同通信の記事に大反発が起こった時に、JOCや共同通信、東京都庁、文部科学省の電話番号が晒され、「抗議をしよう」との呼びかけがされていたので、誰かがJOCに確認の電話をしていてもおかしくない。
 このサイトには、こんな書き込みもあった。
***** News U.S. 中国韓国・在日朝鮮人崩壊ニュース ***** 
25 名無しさん@13周年 New! 2013/09/10(火) 14:11:30.93 ID:Vv1k5gFw0
韓国の聯合ニュース 
共同通信の飛ばし記事ではないみたいだ。
 
韓日がスポーツ協力強化へ 平昌・東京五輪成功に向け
【ソウル聯合ニュース】大韓体育会(KOC)の金正幸(キム・ジョンヘン)会長はアルゼンチン時間の9日、国際オリンピック委員会(IOC)総会が開かれた同国ブエノスアイレスで日本オリンピック委員会JOC)の竹田恒和会長と会談し、スポーツを通じた両国の協力強化策を話し合った。
 
金会長は、韓国で開かれる2018年平昌冬季五輪と20年東京夏季五輪の成功に向け全面的に協力し、五輪精神による平和と和解を実現しようと提案した。
 
ただ、金会長は東京五輪開催決定後に東京などで行われた「反韓・嫌韓デモ」に遺憾を表明し、これによって両国関係に支障が出たり五輪精神が傷つくことのないよう日本側の配慮を求めた。
 
これについて竹田会長は、両国は政治的に難しい局面に置かれているが、両国のオリンピック委員会が協力し、政治、経済などの分野に活力を呼び込めるよう努力すると述べたとKOC側が伝えた。
 
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/09/10/0200000000AJP20130910001400882.HTML
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 金会長が全面協力を竹田会長に申し入れたということらしい。竹田会長が平昌オリンピックに協力するとは書いていないし、KOC側が竹田会長の言葉としてマスコミに流しただけだった。
 共同通信もKOC側がした情報をそのまま記事にしただけで、竹田会長に裏を取っていないのではないか。
 韓国社会は東京オリンピックに反対し、韓国政府も東京オリンピック開催を妨害しようとしていたのに、KOCは全面協力などと言い出したのだろうか。こんな事を発言したら、韓国国内でバッシングされかねないのに。
 やはり、平昌オリンピックが開催困難になっているのだろう。何とか日本側に協力させ、開催に漕ぎつけようとの意図があり、マスコミを使って既成事実化を狙っているように思える。この様な手法は、いつも韓国が使う手なので間違いないだろう。
 
 平昌オリンピックは、そんなに危機的な状況に置かれているのか。一寸、問題点を調べてみた。


◆雪不足
 平昌は韓国一の降雪量を誇る地域だが、それでも長野オリンピックが開催された白馬の3分の1程度。積雪量は多い年でも40cm程、
暖冬の場合は積雪が無い。
 下の写真は、ウィンタースポーツの開催実績を残すために平昌で開催された2009年バイアスロン世界選手権の様子。雪が無い場所も多く見られ、コース上にだけ不自然に積雪があるので、人工降雪機や雪を搬入して対応したとみられる。 
 
 スキー競技全般を人工雪で対応するとすると膨大な人工降雪機を用意しなければならず、気温しだいでは使えない。雪を搬入するにしても、必要となる雪の量は膨大になるため、それだけの量をトラックで運搬可能なのか疑問が残る。
◆競技施設
 スケートなどの室内競技は何とかなるだろうが、屋外競技が厳しい状況にある。
 アルペン競技が実施されるコースの標高差は小さく、計画では山を削り整備することになっていたが、実際に工事が行われるかは不透明。工事が行われたとしても、十分な傾斜を生み出すことが出来ず、国際スキー連盟の認定基準(標高差)を満たすことが出来ないと見られている。
 そり競技に使われるコースが韓国には無い。よって、リュージュやボブスレー、スケルトンの競技者はほとんどいない。コース設計ノウハウが無いどころか、競技に対するノウハウが存在しない。2016年に専用コースを建設することになっているが、実現されるか不安視されている。
 そもそも、そり競技やジャンプ競技などが行われるアルペンシアリゾートが破産危機にあると伝えられていた。ジャンプ台は既に設置されているのだが、維持管理が危ぶまれている。
◆交通網
 韓国は、平昌オリンピック招致の際に平昌までKTXを建設し、ソウル-平昌間は50分、仁川-平昌間は68分になると説明していたが、去年、韓国政府はKTXを建設しても採算が合わないとして、建設しないと発表。韓国政府は「建設計画は初めからなく、招致委員会が政府との協議なく発表した」と主張し、ソウル-平昌間の観客及び選手の輸送はバスでなされることになった。ソウル-平昌間のバス輸送にかかる時間は3時間程とされている。
 
 積雪が少なく、最も高い山で標高1458mしかないという平昌で冬季オリンピックを開催するのは元々無理があるのだが、韓国国民の支持率は非常に高い。夏季オリンピック、サッカーワールドカップを開催し、残る冬季オリンピックも開催することで一流国になったと思いたい国民のナショナリズムを背景に、見栄で強引に開催に持ち込んだ。財閥が開催地周辺の土地を事前に買占めていたということもあったのだろう。
 様々な問題がありながら招致した平昌オリンピックであるが、開催決定された時点ではまだ韓国経済が好調であったため、解決できるとされていた。しかし、現在の韓国経済は非常に厳しく、資金の余裕が無い。オリンピック施設の建設も危ぶまれている。
 だから、KOCは日本から大会運営などの各種ノウハウを得たいということばかりでなく、資金も得たいのだろう。サッカーワールドカップで味を占めているので、もう一度ということだ。だが、日本の状況は、あの頃とさま変わりしているということを韓国は理解しているのだろうか。
 

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警察本部の金を盗む泥棒がいた

 北海道警察本部の生活安全部生活安全特別捜査隊で窃盗事件が発生していました。5月~6月の間に捜査員の机から現金7万円弱が盗まれていたとのことです。
 犯人は同隊の20代の巡査と40代の警部補でした。報道された内容を見る限り、2人は共謀して犯行を行ったのではなく、別々に窃盗をしていた模様です。
 
 北海道警の生活安全部には、生活安全企画課、少年課、生活経済課、保安課、サイバー犯罪対策課、生活安全特別捜査隊の6つの部署がありす。
●生活安全企画課:防犯等の啓発活動や犯罪の抑止対策、DV・ストーカー対策等。
●少年課:少年の非行防止活動、少年犯罪や児童買春等に関わる犯罪の捜査等。
●生活経済課:ヤミ金融や廃棄物の不法投棄等の生活経済犯罪の捜査等。
●サイバー犯罪対策課:サイバー犯罪の捜査等。
●保安課:売春・賭博等の風俗犯罪の捜査等。
●生活安全特別捜査隊:生活安全部が所掌する事犯全般の捜査を担当。特に組織的犯罪の捜査。
 生活安全部は犯罪を取り締まるばかりではなく、犯罪発生を未然に防止しするセクションでもあります。防犯を呼びかける側が犯罪を犯しているのだから世話がない。
 警察官はその性格上、高い倫理が求められる職で、泥棒など以ての外です。ですが、大きな組織であるがゆえに、手癖の悪い人間が紛れ込むのを完全に防ぐのは難しいのかもしれません。だけれども、同じ部署に泥棒が2人もいたというのは異常です。
 この事件で、巡査は停職6カ月、警部補は停職3カ月の処分を受けましたが、まだ在職中でこれから辞職する予定なのだそうです。普通の会社なら、窃盗で逮捕されたなら懲戒解雇になるところでしょう。それなのに、北海道警は自己都合退職にするようです。たぶん、退職金も支給されるのでしょう。
 北海道警の身内に甘い体質が、非常識な警察官を生んでいるのかもしれません。
 
 
窃盗の疑い警察官2人書類送検
http://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20130911/4458801.html
~略~
書類送検されたのは、北海道警察本部の生活安全特別捜査隊に所属する20代の巡査と40代の警部補の男2人です。
警察によりますと、巡査は、札幌市西区にある警察本部琴似庁舎で、ことし5月上旬から1か月あまりの間に合わせて8回に渡って同僚の5人から机の中で保管していた捜査費の一部、およそ6万4000円を盗んだ疑いがたれています。また、警部補は、ことし6月7日に同僚の捜査費、およそ5000円を盗んだ疑いがもたれています。現金がなくなっていることに気づいた同僚が上司に報告して犯行が発覚し、その後の調べで、2人が金を盗んだことを認めたということです。
~略~
 
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北海道警察のしくみ
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/intro/shikumi/shikumi.html
生活安全部
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/info/keimu/saiyou/police/department/safety.html
 

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東京オリンピックの勝因分析

 2020オリンピックの東京開催決定から一夜明け、マスコミの興味は勝因分析に移っている。
 NHKのクローズアップ現代「東京オリンピックはこうして決まった」では、各国のIOC委員に対するインタビューを通じ、東京招致委員会理事長を務めた竹田恒和IOC委員のロビー活動が、成功に導いたと結論付けていた。この番組内で、竹田氏は事前の票読みを明かし、40~45票とみていたとし、最大でも60票とみていたと語っていた。
 実際の投票結果を見てみると、見事に当たっている。
■1回目投票
東京 42
マドリード 26
イスタンブール 26
■最下位決定投票
マドリード 45
イスタンブール 49
■2回目投票
東京 60
イスタンブール 36
 結果に合わせて竹田氏が語ったとみる向きがあるかもしれないが、NHKの生番組で日本のプレゼンテーションが終わった後、出演していたNHKのOBの山本浩氏が招致委員会幹部から聞いた話として、43票(記憶が多少曖昧なので±1票と考えていただきたい)という数字を紹介していた。このことからして、竹田氏は本当の事を語ったのだと思う。
 
 投票前はしきりに「プレゼンテーションで決まる」というようなことが言われていたし、決定後もロイター通信は「安倍首相演説が決め手」と絶賛している。
 しかし、この番組で、スイスカスパー委員は「我々委員のほとんどはどこに投票するか、かなり前から決めていました」と話していた。竹田氏の票読みがズバリ当たっていることを考えると、カスパー委員の話は真実味を帯びている。
 
 TBSのニュース23では、竹田招致委員会理事長に加え、水野正人招致委員会副理事長が大きな貢献をしたと伝えていた。
 水野正人氏はスポーツ用品メーカー・ミズノ創業者一族とのことで、プレゼンテーションでもスピーチをしていたこの人だ。
 
 水野氏には悪いが、プレゼンテーションを見ていて、笑顔が異様で気持ち悪かった。一人だけ浮いている人がいるなと思ってしまった。
 5年ほど前の写真を見るとこんな顔。
 
 他のプレゼンターも身振りが大きかったため、水野氏も身振りや表情をかなり訓練したのだろう。見ていて恥ずかしいくらいだったが、これくらいオーバーにして分かり易くしないと世界には通用しないということなんだろうな。
 
 IOC委員全員にインタビューしても、正直に語るとは限らないから、本当の勝因分析は分からないだろう。それなら、これが勝因だと思いたい。ついつい、滝川クリステルさんがどんな「おもてなし」をしてくれるのかなと、勘違いしてしまうものな。
 
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滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(13/09/08)
http://www.youtube.com/watch?v=6hggygKWwhg

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留寿都と赤い靴8

・・・留寿都と赤い靴7の続き。
 
◆関係略年表
1838年:阿部嘉左衛門、伊達亘理藩に生まれる
1850年:佐野安吉、駿河国庵原郡の農家の長男に生まれる
1868年:日笠与八、岡山に生まれる
1869年:大住(高林)庸吉(京都)、斎藤安見(山形)生まれる
1871年:阿部慕左衛門、喜茂別駅逓になる
1872年:添田平吉(唖蝉坊)、神奈川の農家に生まれる
1873年:渡辺政太郎、山梨県松島村の農家に生まれる
1876年:西川光二郎、淡路島に生まれる
1877年:桂木頼千代(三重)、碧川企救男(福岡)生まれる
1879年:原子基、弘前・駒越町の下級士族の長男に生まれる
1880年:深尾詔(静岡の旗本屋敷)、鈴木志郎(青森、鯵ケ沢)生まれる
1881年:篠崎清次、旧刈谷藩士の家に生まれる
1882年:佐野安吉廃嫡さる
1883年:大滝由太郎、小樽の雑穀間屋の三男に生まれる
1884年:岩崎かよ(静岡県不二見村)、久保田種太郎(栃木県三鴨村)、豊田道之助(千葉県宗像村)生まれる
1886年:岩崎辰蔵(かよの弟)生まれる
1887年:荒畑勝三(寒村)横浜に生まれる
1891年:原子ヒサ(基の妹)生まれる
1892年:高林ら、インマヌエル今金開拓始める
1895年:函館訓盲会創立。原子八千代(基の妹)生まれる
1897年:原子基、弘前教会で受洗。深尾、小学校教師。真狩村、虻田より分村
1898年:渡辺政太郎、濃飛孤児院に勤務。篠崎清次、訓盲会卒業
1899年:片山潜、道内遊説。東京孤児院開設(北川波津院長)。
1900年:原子栄(基の弟)受洗。原子常太郎(基の父)死亡。『東京孤児院月報』刊行
1901年:原子カネ(基の母)死亡。原子兄弟上京(?)
1902年:東京孤児院、足尾鉱毒被災民慰問。南部団体、喜茂別入植。岩崎せき(かよの母)死亡。岩崎きみ誕生。碧川『小樽新聞』入社
1903年:函館・小樽に「平氏新聞読者会」。富士育児院(吉原)に渡辺政太郎・原子基勤務。片山潜、幸徳秋水、北海道遊説
1904年:函樽鉄遣開通(真狩村方面の開拓者激増)。静岡入山瀬演説会
1905年:「静岡三人組」結成。甲信伝道行商失敗。平民社農場開設。「今金演説」。平民社農場の越冬者八名(佐野4名、原子3名、鈴木志郎)
1906年:岩崎辰蔵死亡。第二の小屋焼失。鈴木志郎とかよ結婚。豊田道之助、古川啓一郎平民社農場入り
1907年:久保田種太郎、日笠与八平民社農場入り。原子基、ユキ結婚。平民社農場で谷中村民へカンパ活動。農場解散。鈴木志郎『北鳴新聞』、『小樽日報』入社。
1908年:西川光二郎、添田唖蝉坊道内遊説(前年末から)。原子八千代死亡。原子基の長男巌、正(藤原姓)生まれる。渡辺、『東京社会新聞』入社。深尾、療養先の興津で『女教師』刊行。原子、下谷山伏町「いろは長屋」に住む
1910年:原子の次男・東、山伏町で生まれる。渡辺、麻布霞町で日曜学校開設
1911年:鈴木志郎、真狩村で郵便配達。群馬団体、真狩村に入植。平民農場関係者への尾行、監視、探索強まる
1913年:鈴木志郎、喜茂別で郵便配達夫、三女その生まれる。原子の三男・久、留寿都で生まれる。唖蝉坊、原子、いろは長屋で労働者親交会を結成。田中正造、渡辺政太郎宅に二泊。渡辺、中国革命軍に投じ、南京陥落で強制帰国
1914年:久保田種太郎死亡。留岡幸助、遠軽家庭学校を開校。臼倉甲子造、渡辺政太郎とともに『微光』を発刊。深尾、静岡少年団を結成
1915年:渡辺、「自宅研究会」を小石川白山前町の「三角二階」に開く
1916年:鈴木志郎、輪西製鉄に就職
1917年:原子基、輸西製鉄の雑役夫に就職するも半年で退職。岩手平民会をおこし、上京して日暮里金杉町で屑屋。日笠与八、遠軽の留岡農場の小作人になる
1918年:渡辺政太郎死亡(四五歳)。
1920年:鈴木志郎戦後不況で馘首さる。八丁平で失業生活を送る。日笠与八スペイン風那で死亡(五三歳)
1921年:原子の家族上京して三河島に移る。室蘭市の河野庄八校長降格
1922年:原子(沼尾)照代、三河島で生まれる
1923年:大震災の戒厳令中、原子基、憲兵隊の取調べをうける。鈴木志郎、北炭夕張炭鉱に就職、一ヵ月後樺太豊原にてカトリックの布教活動に入る。原子基、仏教修養機関「観自在講」を結成。深尾、少年団日本連盟常任理事。
 
◆関係者享年
1924年:佐野(岩崎)安吉、豊原の鈴木志郎宅で死亡。(七四歳、戸籍未記入)
1929年:渡辺政太郎夫人八代、東京で死亡。(五七歳)
1931年:豊田道之助(剣陵)、東京四谷須賀町で死亡。(四七歳)
1933年:原子基、荒川区町屋三丁目で死亡。(五五歳)
1936年:前橋(原子)ヒサ、登別温泉町で死亡。(四五歳)
1944年:添田唖蝉坊、死亡。(七一歳)
1947年:原子ユキ、交通事故で死亡。(六四歳)。日笠与八夫人柳、北海道生田原町安国で死亡。(七二歳)
1948年:鈴木かよ、小樽市で死亡。(六六歳)。原子栄、弘前で死亡。(六〇歳)
1950年:渡辺政太郎、「無名戦士の墓」に合葬
1953年:鈴木志郎、小樽市で死亡。(七二歳)
1957年:原子基、ユキ、「無名戦土の墓」に合葬。
1963年:深尾詔、静岡県で死亡。(八三歳)
 

 


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ヌプンケシ62号 ◎民衆史研究家・小池喜孝先生ご逝去
http://www.city.kitami.lg.jp/docs/2529/
広報るすつ平成25年8月号 留寿都村100年史より 赤い靴の里・留寿都
http://www.vill.rusutsu.lg.jp/kouhou/pdf/411_68705783.pdf
http://www.vill.rusutsu.lg.jp/kouhou/pdf/412_12826527.pdf
【更生保護の父・免囚の父】原胤昭(はら・たねあき)・東京の偉人
http://blog.livedoor.jp/ijinroku/tag/%B8%B6%B0%FD%BE%BC

 

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留寿都と赤い靴7

 平民農場関係の資料を探していると、平民農場に関わった人々を取り上げた本が30年以上前に出版されていることが分かりました。下記の本がそれです。静岡三人組や久保田種太郎などに比重が置かれているのですが、鈴木志郎・かよ夫婦や佐野安吉に関することも書かれていますので、この本を基にし、補足を加えながら考察してみます。
 
平民社農場の人びと―明治社会主義者のロマンと生きざま
 小池喜孝 (著)  現代史出版会 1980/12
http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B3%E6%B0%91%E7%A4%BE%E8%BE%B2%E5%A0%B4%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%B3%E3%81%A8%E2%80%95%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%A8%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%96%E3%81%BE-%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E5%96%9C%E5%AD%9D/dp/4198020965/ref=sr_1_9?ie=UTF8&qid=1375030950&sr=8-9&keywords=%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E5%96%9C%E5%AD%9D
 
 著者は道東の高校に社会科教師として勤務しながら、民衆史運動を始め、秩父事件や足尾鉱毒事件、タコ部屋労働者などに関する研究をし、「谷中から来た人たち―足尾鉱毒移民と田中正造」、「秩父颪―秩父事件と井上伝蔵」、「常紋トンネル―北辺に斃れたタコ労働者の碑」などの著作を残しています。
 
◆平民農場と岡そのとの出会い
 著者が平民農場を知ったのは、足尾鉱毒事件の被害者の帰郷運動に取り組んでいた時でした。留寿都にも足尾鉱毒事件の被害者がいたと知り、留寿都村を訪ねています。この時、平民農場に一時入植していた久保田種太郎の住居も見学しています。見学したのは、種太郎が田中正造と親しい関係にあり、鉱毒事件で運動した人物だったからです。ちなみに、種太郎が平民農場に来たのは、「種太郎は弾圧の手をのがれて北海道へ逃げようとしていたとき、平民農場の広告を見て留寿都に行ったんです」(著者が種太郎の義理の姉と甥から聞いた話)とのこと。
 1977年、北海道放送(HBC)で「常紋トンネルのタコ労働者の手記」が放送され、著者も出演していました。放送後、視聴者から10件あまりの電話が寄せられ、その中の一つに樺太のカトリック教会の無料宿泊所でタコ労働者の世話をしたことがあるとの話がありました。岡そのさんでした。著者が岡さんを訪ね、インタビューをしている内に岡さんから「平民農場」という言葉が出てきて、著者は岡さんが鈴木志郎の娘だと偶然知ったということです。
 
 著者は岡さんを伴い、鈴木一家のゆかりの地である留寿都、室蘭、夕張を巡り、岡さんから様々なことを聞き出しました。鈴木一家は苦難の道を歩んだようです。
 本書は著者が岡さんから聞き取ったことと資料から抜き出したことを明確に分けていません。それが残念なことなのですが、岡さんが語った思われることをピックアップします。
●岡さんが生まれた大正2年にはすでに、鈴木一家は、平民農場があった場所から8km程倶知安駅寄りの真狩村喜茂別番外地にいた。
●喜茂別で父・志郎は郵便配達夫をし、母・かよは農業をやっていた。志郎には尾行の刑事が付いていて、刑事は「俺もこんたことはいやなんだが、職務だから仕方ねえんだ」と言っていたと聞いている。
●岡さんは生まれて直ぐに洗礼を受け、両親も一緒に洗礼を受けたようだ。
●1919年、志郎は3カ月分の給料を貰い、輪西製鉄所を解雇される。社員住宅を出て、室蘭のイタンキ浜に近い八丁平に一軒家を買ったが、志郎が無職だったために、小学2年の岡さんが学校にも行かずにミガキ粉売りをしなければならなかったような困窮生活を強いられる。志郎の失業生活は3年間続く。
●志郎は雨情の歌のような童謡を作っていた。
●1923年4月、志郎は夕張炭鉱の炭鉱夫に応募し、一家は夕張に移住することになる。夕張に発つ日の朝、生後10ヶ月の妹「静」が死亡した。死亡した静を母が背負い、集団就職列車に乗って夕張に到着すると、静をウドン箱に入れ、志郎と岡さんが末広墓地に埋めた。
●夕張では両親とも働き、長屋暮らしが5ヶ月程続いた。
 
 郵便配達や洗礼について、著者は資料で確認しています。
○喜茂別郵便局の書類には、大正2年10月1目から3年12月1目まで、鈴木志郎が集配人として勤めていた記録がある。保証人は「小山内千代続」となっていた。
○留寿都郵便局にも、明治43年5月3目から44年4月21日まで、鈴木志郎が集配人として勤めていた記録がある。
○倶知安のカトリック教会の「洗礼台帳」には、「1914年7月30日、喜茂別にて受洗、幼児その。生れ、1922年1月15日。鈴木志郎とかよの娘。下記の私によって付げられた名、アンナ。これらのことを信仰のうちに署名する。ア・フランシスコ・ベルガット」とある。
○「鈴木志郎の堅信は、1914年11月2日で、『臨終に際して喜茂別の自宅で受けた』とあり、志郎この時瀕死の状態であったことがわかります」との一節がカトリック教会の沢田神父の書簡にある。
 
◆佐野安吉
 岡さんは佐野安吉について以下の通りに語っています。
 「関東大震災直後に、私たち一家は樺太の大泊に行ったんですが、間もなくしてよれよれ姿の老人が、フラッとあらわれたんです。大正13年の秋ごろでした。この老人は一週間もするとボケてしまったんです。娘の所に来たから安心だったのでしょうね。それから一年半位たって亡くなりました」。
 「私の母、岩崎かよの義理の父だったんです。義父は母が静岡にいたころ、祖母のせきと結婚したんですが、祖母が亡くなったので、平民農場に母とその弟を連れてきたんです。本当の名は佐野安吉っていうんですが、岩崎かよの父ということで岩崎老人と呼ばれたんではないんですか。この人、とても背が高くて、顔のきれいな人でした。死んでから母が教えてくれたんですが、若い頃は『天竺安』とか『静岡小僧』とかいわれた『義賊』だったんですって。刑務所暮らしが長かったようですよ。
 あとで知ったのですが、樺太で義賊の実演をしてまわってたんですって、見たという人からのちに聞きました。大方年をとって働けなくなり、義理の娘のところに来たんでしょうね」。
 「安吉さんはクリスチャンだったそうです。何でも原胤昭という偉い人に救われて、プロテスタントになったそうです」。
 
 岡さんによると、岩崎安太郎と佐野安吉は同一人物で、母・かよの義父だったとのことです。この岡さんの証言を裏付けるようなことが、平民農場の処分について報じた新聞から読み取れます。
 「佐野安吉、日笠与八二君は北海道の同志たるが、近々一種の農場を設立すべしと」(社会新聞 明治41年1月19日)
 「<平民農場の解散>
 原子基君の経営し来りし北海道平民農場整理の任を帯びて旧冬渡道せし渡辺政太郎君は、久保田種太郎君立会の下に左の如く土地を処分して一旦解散に決したり。
 土地4分の3(未成墾)原子・岩崎に分配
   4分の1(既墾)日笠与八に売却
 日笠君に売却したる土地代金を以て、安井有恒君(同志)出資金に弁済し、他の出資者逸見(斧吉)、大滝(由太郎)二君は全然出資金を寄附したるわけなり」(社会新聞 明治41年2月9日)
 平民農場の跡地を受け継ぐ者が、一方は佐野と日笠、もう一方は日笠と原子、岩崎と記載されています。ここからも岩崎安太郎と佐野安吉が同一人物であることが推定でき、岩崎安太郎と佐野安吉は同一人物で間違いないでしょう。
 ちなみに、平民農場の跡地は3人が引き継ぐのですが、原子は解散してから3ヵ月後(1908年3月中旬)に北海道から去っていますので、原子の権利は佐野が譲り受けたのでしょう。佐野は土地を1912年夏まで所有していましたが、虻田村の土地会社に売却した模様です。その売却された土地を1916年に日笠が購入したようですので、最終的に平民農場全体を日笠が所有しました。しかし、1917年12月に留寿都を出て上湧別村字社名淵(現・遠軽町)に行き、留岡幸助(クリスチャンで原胤昭の推薦で空知集治監の教誨師になった経験あり)の設立した留岡農場の自小作になり、そこで亡くなりました。
 鈴木一家はクリスチャンになりましたが、日笠もクリスチャンになっていました(1910年の大逆事件が転機になり、留寿都時代に入信したようです)。上湧別に行ったのは、留岡と同県人であり、クリスチャンという縁があったからでしょうか。
 
 岡さんは佐野安吉が原胤昭によってクリスチャンになったと言っています。
 原胤昭は明治時代のキリスト教慈善事業家で、自由民権運動に連座して入獄体験をしたことから、監獄改良のために教誨師になった人物です。1888年に釧路集治監に赴任し、樺戸集治監を経て、1895年まで北海道の囚人教化に尽力していました。
 月刊誌に「安吉翁はおきんという婦人を原胤昭氏の媒介にて娶りたり」(光 明治39年10月5日)との記述があることから、原と佐野が親しい間柄であったことは確かでしょう。原と佐野は何処で出会ったのでしょうか。
 岡さんの証言には、佐野が義賊で刑務所暮らしをしていたともありますから、原が釧路か樺戸の監獄で教誨師をしていた時に囚人だった佐野と出会い、佐野を改心させてキリスト教に入信させた可能性が高いと思われます。
 静岡の岩本教会の「教会日誌」(明治38年12月3日)には「・・・説教あり。閉会後、富士根村字天間の渡辺君、一人の改罪者を伴い、氏は岩崎要吉とす。現今北海道にて原子氏らとともに計り、目下開墾地のために熱心に働きおる由なり。氏の恐るべき履歴を語れたり」(※渡辺君とは渡辺政太郎、要吉は誤字で安吉のことと思われます。)との記録があります。佐野がクリスチャンで、「恐るべき履歴」というのが犯罪歴のことだと推定されます。
 
 安吉の犯罪に関する記録は他にもあります。
 「美以教会の懺悔談・・・美以教会にては、明十日午前九時より、強盗犯特赦出獄者、岩崎安吉の懺悔談ある由」(小樽新聞 明治40年3月9日)
※美以教会とはメソジスト教会のこと。
 「北海道の未墾地が内地の農地よりも安いので、虻田郡留寿都に1戸分半の未墾地を買い、深尾韶、原子基の両人と殺人犯で悔い改め出獄した五十年配の岩崎某の3人が開墾に当ることになった」「妻が他の男と情を通じていたのを怒ってのこと」(北海道史研究七号 大滝由太郎)
※1戸分半は約7町歩、後の記述は殺人の動機についてのこと。
 記録以外に佐野の犯罪に関する証言もあります。佐野の懺悔談について、留寿都在住農家の田中豊吉氏(1896年生まれ)が覚えていました。以下は、著者が聞き取ったものです。
 「父とここに入植したのが明治35年だった。3、4年たってから原子や日笠が入ってきた。留寿都劇場で2回やった講演会に父が出かけた。大勢入って盛会だったそうだ。
 父から聞いた話があんまりすごいんで、子どもだったがおぼえている。何しろ、人を殺しておいて、警察が探しにくると、殺した当人が『犯人は向うへ行った』って嘘しゃべって、警察をまいちまったちゅう話だった。子ども心に、どうしてつかまんなかったのか、不思議でならなかった」
 
 安吉が犯罪者だったことは間違いないでしょう。1850年生まれの安吉は1882年に廃嫡され、弟が家督相続しています。たぶん、この時に犯罪を犯し、投獄されたのではないでしょうか。

 以上の記録や証言から著者は「強盗殺人の罪を犯した安吉は、警察の追及の手を逃れて逃走し、なかなかつかまらないので『静岡小僧』の異名をとった。やがて獄中で原胤昭にめぐり逢って改俊し、出獄後、岩崎せきに入婿したが、せきの死後は再出発の機会を考えていたのであろう。安吉が参加したのは、農業経験者を必要とした『静岡三人組』から要請されてのことだろう。安吉と三人組が知り合ったのは、静岡県下の教会か、あるいは原胤昭の紹介によるのであろう。」と推測しています。
 
◆鈴木志郎と岩崎かよ
 著者は菊地寛氏の「赤い靴はいてた女の子」を紹介し、野口雨情の童謡「赤い靴」は岩崎かよの娘がモデルだったとしています。著者は菊地寛氏の著作を参考にしているため、鈴木志郎と岩崎かよについての記述の多くは、菊地寛氏の見解そのままです。ですから、その様な部分はなるべく省きます。
 
 鈴木志郎は1880年1月、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町の船大工・鈴木金兵衛とその妻たけの間に生まれています。生誕地の鯵ヶ沢に近い五所川原教会や弘前教会がありましたが、受洗者名簿には志郎の名はありません。キリスト教に入信したのは、やはり大逆事件以降のことで間違いなさそうです。
 志郎は青森を出て北海道に渡っていますが、何時の頃か分かっていません。ただ、岡さんが父から聞いたところによると、志郎が17歳の頃、母方の叔父で積丹半島に縄張りを持っていた博徒の親分だった種田幸次郎に厄介になっていたとのことがあり、後に札幌の豊平館でコックの手伝いをしていたとのこと。ちなみに、幸次郎は床屋の頭をたたいた(殺した?)ことで入獄し、獄死したということです。
 
 月刊誌「光」(明治39年1月1日付)に原子基が書いた文章が掲載されています。
 「ここにわれわれは第一回の新年を迎えて感慨無量、ただ感謝の念に満たさるるのであります。戒厳令、平民杜、直言、光、うき事のみ多かりし世を、わが平民農場は徐々として進み来ったのであります。熱心なる同志諾君の助けなくば、如何にしてこの至幸を見る事が出来ましょうや。
~略~
 平民農場は近頃大分大きな家族になりました。まず北海道大沼の同志鈴木志郎氏が入場し、原子生の妹の二人と岩崎安太郎老人の妻、娘、息の三人も来り、都合八人で楽しくその日を暮らしているのであります。この内の六人は労働に堪えるので、これから追々仕事もはかどることになります。
~略~
 岩崎翁近詠あり『何のその勇み励みて拓きなば、野も荒山も明日は花園』『うき事の多かる世なり物みなの、つれなくばとて我は嘆かじ』」
 鈴木志郎は「大沼の同志」と紹介されています。大沼は函館から27kmの景勝地で、函館の生活圏にありました。函館には函館平民倶楽部があり、志郎は同志と紹介されていますからそこの会員だったのではないかと思えますが、確証はありません。
 函館平民倶楽部は、函館の平民新聞の購読者を篠崎清次が組織化したもので、篠崎宅で毎月例会が開かれていました。篠崎清次は北海道聾唖教育の父と呼ばれる人物です。清次は幼少の頃の眼病が原因でほとんど盲目になり、函館訓盲会で学びそのまま同会の教師となりました。この教師の時にキリスト教に入信し、後に函館訓盲院の3代目院長になっています。社会的弱者に心血を注いだ清次は、社会主義運動の実践家でもあり、社会主義者を支援していました。平民農場の中心的支援者でもあり、平民農場の火災で焼け出された原子基の妹を訓育院に引き取ってもいます。
 
 岩崎かよは1884年1月、静岡県有渡郡不二見村(現・静岡市清水区宮加三)の農家に生まれました。父・清左衛門はかよが5歳の時に死亡。母・せきは30歳の時に同じ村の農民を婿に迎えましたが、1年で離別しました。かよは多くの村の娘と同様に奉公に出ましたが、18歳の時に妊娠して帰郷しています。せきが急死して間も無く、かよはきみを出産。その後、かよは弟・辰蔵と共に、佐野安吉に連れられて渡道しました。きみは養子に出されているいるのですが、岡さんは母から聞いた話として、「きみをあずけた先は、函館のヒュエットさんという神父さんでした。養父の安吉が新教の人でしたから、新教の人にあずけたんだと思います」と語っています。
 
 平民農場に共に入植した志郎とかよは恋愛関係になりました。
 新聞「光」(明治39年10月5日付)に「僅か一年半ばかりの日子なれども、平民農場は浮世の一通りの様々な変化を経験したり。農場員たりし岩崎辰造氏(十九歳)は肺病にて死去したり。佐野安吉翁はおきんという婦人を原胤昭氏の媒介にて娶りたり。鈴木志郎氏は佐野翁の義理の娘岩崎かよ子と結婚して樺太に行けり。豊田道之助君と古川啓一郎君とは入場して間もなく退場したり。かくて今農場は原子君とその可憐なる幼妹二人、佐野翁夫婦の五人暮らしなり」と、深尾詔が出筆した記事が掲載されています。原子が9月に上京していますので、その時に原子から聞いた話を深尾が書いたようです。
 この記事からすると、志郎とかよは明治39年9月までに平民農場を去り、樺太に向かったようです。明治38年(1905年)9月に結ばれたポーツマス条約で樺太の南半分を日本領にしたことで、この頃、大勢の人々が樺太に押し寄せたそうですから、志郎夫妻も時流に乗り樺太へ行ったのでしょう。しかし、志郎夫妻は1年足らずで北海道に帰っています。平民農場の北方にある倶知安の市街(2条通り2丁目)に住み、明治40年2月7日に長女のぶが生まれました。
 
 明治40年5月、志郎は札幌の「北鳴新聞」(著者はこの様に記述しているが、正しくは北鳴新報社)に入社。この新聞社で志郎は野口雨情と同僚になります。この時期のことを、岡さんは母・かよから聞いた話として「雨情の奥さんは乳母付きでやってきた。乳母が帰ると御飯の炊き方も知らたいほど、お嬢さん育ちの人でした。御飯の炊き方も、母が教えたそうです。またオムツを汚ながって、子どものお尻がただれたそうです。“雨情にだまされた”なんてよく言ってたそうです。雨情が詩の会で話相手にする酒屋の娘のことで、家庭争議もあったそうです。母は函館でヒュエットさんに渡した娘のきみのことを雨情にしゃべったそうで、それがあの童謡になったんですね」と語っています。

 ドキュメントドラマ「赤い靴はいてた女の子」で、岡さんはヒュエットという名に聞き覚えが無いか確認され、母からシュミットさんとかいう名前を聞いたことがあると返答しています。また、岡さんは北海道新聞夕刊に掲載された投稿記事で「従ってアメリカに渡った長姉君子のことも話したらしく」と、童謡「赤い靴」のモデルがきみであるとは断定していません。
 それにも拘わらず、岡さんは著者に「きみをあずけた先は、函館のヒュエットさんという神父さんでした」「母は函館でヒュエットさんに渡した娘のきみのことを雨情にしゃべったそう、それがあの童謡になったんですね」と語っています。ドキュメントドラマ「赤い靴はいてた女の子」が放送されてことで、岡さんの記憶がドキュメントドラマに沿った内容に書き換えられたように思えます。

 

留寿都と赤い靴8へと続く・・・。
 

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高円宮妃久子さまのIOC総会出席は問題なのか

 風岡長官は政府に「皇族が招致活動に関わるのは好ましくなく、一線を画すため総会には出られない」と説明し、久子さまの関与はレセプションでの懇談までとしていたが、下村文部科学相や杉田和博官房副長官からIOC総会への出席を要請されたため、「内閣の一員としてぎりぎりの判断をした」と容認した。風岡長官は記者会見で、「総会出席は五輪招致活動と見られかねない懸念もあり、苦渋の決断だった」、(IOC総会出席は招致活動への関与に当たるかについて)「正直微妙だと思う」、「前例とはしない」と述べ、「昭和からの皇室の対応にかんがみて(今回の決定を)案じられていると拝察した」と述べた。
 この発言に、菅義偉官房長官が「皇室の政治利用とか、官邸からの圧力とか、そうした批判はあたらない」、「非常に違和感を感じる」と批判するに至っている。
 
 宮内庁は、他国の都市と争う招致活動への関与に慎重で、皇室は招致活動に参加しないとしているが、本当にそうだろうか。
 久子さまの配偶者だった故・高円宮憲仁親王殿下は日本サッカー協会の名誉総裁を務めていて、2002年サッカーワールドカップ招致のために、日本を訪問した貴人をもてなすなど、積極的に日本開催を働きかけていたが、宮内庁が懸念示したとは聞いたことがないし、社会的に批判が起きたことなどなかった。ワールドカップ招致活動は良くて、オリンピック招致活動はダメと言っても説得力は無い。
 それに、久子さまは高円宮憲仁親王殿下が務めていた日本サッカー協会名誉総裁を引継ぎ、ドイツと南アフリカのワールドカップに行かれ、日本代表を応援されている。他国との争いごとに皇族が関与することは好ましくないとするなら、宮内庁はお止めすべきであったが、宮内庁が止めた様子は無い。
 
 ここに来て、宮内庁は何故、神経質になったのだろうか。確かに、皇室を政治利用することは好ましいことではない。だが、皇室外交という言葉が厳然として存在する。知恵蔵2013には以下の通り解説されている。
***** 皇室外交 *****
国政に関与しない象徴天皇としては、「皇室外交」の用語は避けているが、皇室の外国との親善交際は年々活発化し、時には、結果として政治的論議の的とならざるを得ないケースも出てきている。戦後、昭和天皇の外国訪問は1971年の欧州と75年の米国だけだった。代替わり後は、東南アジア(91年)、中国(92年)、イタリア・ベルギー・ドイツ(93年)、米国(94年)、フランススペイン(同)、ブラジルアルゼンチン(97年)、英国・デンマーク(98年)、オランダ・スウェーデン(2000年)、ポーランド・ハンガリー(02年)、アイルランド・ノルウェー(05年)、シンガポール・マレーシア・タイ(06年)、英国スウェーデン・バルト3国(07年)と続いている。先の大戦の傷跡が尾を引く諸国では、晩さん会などでの天皇の「おことば」の歴史への言及が関心を集め、両国の歴史が切り結ぶ場と受けとられることも否定できない。また戦後60年にあたる05年6月には、「戦場での慰霊」としてサイパン島を訪問した。「友好親善のための儀礼的訪問」という枠組みを初めて踏み越えた形だ。
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 友好親善といっても、何処の国と友好的になるかは外交そのもので、外交は政治そのものだ。
 宮内庁は国際親善を皇室のご公務と説明している。政治的な活動を公務としているのだ。それなのにIOC総会出席程度のことを問題視するのだろうか。五輪招致活動と見られたとして、それが問題のあることなのか。
 風岡長官は、天皇陛下のお気持ちを勝手に拝察し、発表している。これの方が「皇室の政治利用」になるのではないか。
 

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