六丈記2

備忘録のようなもの

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北方領土問題に対する独創的アプローチを考える

 2月21日の森喜朗元首相とプーチン大統領の会談で、森元首相は北方領土問題についてイルクーツク声明の重要性を確認し、プーチン大統領はエネルギー分野や極東の農業分野での協力関係を訴えると共に、北朝鮮問題で両国の協力の必要性を強調したとのこと。また、プーチン大統領は昨年の「引き分け」発言の意味について「双方が受け入れ可能な解決策のことだ」と説明し、北方領土問題について「日露間に平和条約がないのは異常な事態だ」と解決に前向きな姿勢を見せつつも、「なかなか難しい問題だ」との認識を示したらしい。
 
 プーチン大統領は周辺諸国との国境画定を重視している。中国カザフスタンアゼルバイジャンウクライナ北朝鮮、ノルウェーなどと国境を画定し、バルト諸国ともほぼ合意している。国境を画定させることで周辺国との係争を減らし、社会の不安定要因を取り除くと共に、権利を確定させたい意図があるのだろう。だから、日本との国境画定にも意欲はあるのかもしれない。
 特に、日本との関係改善が進めば、極東のエネルギー資源の販売先になるし、中国の国力増大による潜在的圧力を和らげる効果もある。極東での農業協力をプーチン大統領が訴えたのは中国人に対する警戒感の現われだろう。
 
 ロシア極東の人口は年々減少し、600万人強まで減った。それに対して、隣接する中国東北部の人口は1億3000万人に達し、ウラジオストクなどロシア極東へ中国人がどんどん流入している。商業だけでなく、農業分野でも中国の進出が目立ち、ロシア極東経済は中国に飲み込まれつつある。ロシアでは中国脅威論が叫ばれだし、「中国人は人的ネットワークで市場や領土を支配する術を心得ている。極東の幾つかの地域では、中国人の人口が過半数に達している可能性もある。中国人は同化せず、家族を呼んで子供を産む」との警戒感をあらわにしながら、中国人自治区の出現まで考えられ始めている。
 この様なロシアの警戒感は絵空事ではない。近年、中国は万里の長城の総延長を従来の2倍以上に拡大し、高句麗や渤海も中国の一部と言い出して、それらの地域も中国固有の領土としている。更に、教科書には「ロシアとの不平等条約で極東の地が奪われた」との記述も登場した。確かに、ウラジオストクを含む広大な極東地域が1860年の北京条約で清朝からロシア帝国に移管されたのは事実で、尖閣諸島が中国固有の領土とするよりも妥当性がある。ただ、ロシア側からみれば、極東地域を奪い返す準備に入ったと懸念するのも当然だろう。
 GDPが世界2位となり、ロシアと国力が大きく逆転(ロシア1.9兆ドル、中国7.3兆ドル 2011年)し、軍事力も格段に飛躍した中国が力によって奪われた領土を奪い返そうと動き出しているとロシア側が考えるのも無理も無い。中国南沙諸島、尖閣諸島と次々に領土紛争を起こし、領土拡大をしようとしているのだから、尚更だ。
 しかし、一方でロシア中国に戦闘機や潜水艦などの兵器の売却を進めている。中国ロシアから輸入した兵器をコピーして配備した上に、海外に輸出したことに激怒していたにも拘わらずにである。要するに、ロシアは中国の脅威を潜在的に感じていても、差し迫った問題とは捉えていないのだろう。未だ、強大な軍事力を保有していることによる余裕だろうか。
 
 
 日本政府はサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島に北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)は含まれていないとし、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いると主張している。一方、ロシアでは第二次世界大戦の結果、旧ソ連が獲得した正当な領土(千島列島、北方四島、南樺太)であると考える人が多数のようだ。
 プーチン大統領の腹の内は分からないが、最大に譲歩しても色丹島と歯舞群島の2島までだろう。その2島の返還だけでも、ロシア国内では批判が巻き起こるに違いない。目先の利益を得られたとしても、領土という恒久的な利益を失うことは大きな損失だからだ。それにロシア人からみれば、自国の領土としているものを1島でも返還することは奪われるという感覚だろう。余程困れば別だろうが、基本的にロシア人にとっては現状のままでかまわないのだ。強力な外交カードを温存することにもなるし。
 仮に日本政府が2島返還で決着を図ろうとしたら、国民は納得するだろうか。日本人からしたら、不可侵条約を破り終戦の後に4島を盗まれたのに小さな2島で済まされ、経済的援助までさせられるのは堪らないだろう。
 では、2島+αではどうだろう。4島返還では埒が明かないため、森元首相が択捉島を除く3島(国後島+色丹島+歯舞群島)返還を言い出したり、麻生元首相が面積による2等分論(択捉島の一部+国後島+色丹島+歯舞群島)を提言したりしたことがあった。帰ってこないより、少しでも返してもらった方が良いとの判断だろうが、根強い批判を浴びた。4島返還要求を下ろし、3島(+α)返還に踏み出すということは、これまで日本政府が主張してきた根拠や論理を放棄することになる。つまり、択捉島、国後島はおろか、色丹島、歯舞群島まで日本の領土とする根拠を失ってしまうのだ。何の根拠も無く「山分けしましょう」では、3島でなくとも1島でもよいということになってしまう。それに、日本は領土拡大のために正当な理由も無くゴネてただけで、4島全てがロシア領と言われても反論できなくなってしまう。3島以上取るつもりが、1島も帰ってこないおそれもあるのだ。
 
 プーチン大統領は北方領土問題について「なかなか難しい問題だ」と言ったが、上記のようなことを考えると、さもありなんと感じる。これまで通りの領土交渉ではなかなか解決しないだろう。経済協力や技術協力を推進しても問題解決にはつながらなかった。
 以前、麻生首相とメドベージェフ大統領は日露首脳会談で北方領土交渉を「独創的で型にはまらないアプローチ」で前進させることに合意したが、具体的にどういうことか分からず(たぶん面積2等分論だろうが)に終わってしまった。しかし、北方領土問題解決には「独創的で型にはまらないアプローチ」の必要性は感じる。
 
 実は昔、「北方領土を早く返還した方がいい」と主張する女性がウラジオストクにいるというニュースを聞いた事がある。ロシア側からの返還論としては、グローバリズム研究センター所長ミハイル・デリャーギン氏が「経済危機を切り抜けるために売りさばけ」とか、ノーベル文学賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が「
ソ連崩壊時にウクライナなどに領土を惜しげもなく譲渡する一方で、日ソ中立条約を破ったにもかかわらず、北方領土返還を拒む旧ソ連とロシアの指導者をエセ愛国主義と批判し、国土の狭い日本には領土返還は大問題なのだから四島を一括返還して日本人と友好関係を結ぶべきだ」との主張があった。しかし、この女性の主張はこれらとは異なっていた。この女性の主張は「領土を確定しないと国際法上、南樺太や千島列島全域までもがロシア領ではなくなる恐れがある。だから、ロシアの利益のために北方領土を返還し、早く条約を結んでしまった方がいい。」との趣旨だった。
 改めて地図を見直してみると、南樺太と千島列島はどこの国の色にも塗られていない。日本政府はサンフランシスコ平和条約で南樺太と千島列島を放棄したが、ソ連は調印していないため、ソ連がこの放棄も認めていないと理解し、調印した国の中で領有宣言をする国も無いため、無主地扱いにしているのだ。
 
 これを踏まえ、「独創的で型にはまらないアプローチ」を考えてみる。
 もし、日本がロシアから北方領土を返還してもらう方針を変更し、サンフランシスコ平和条約調印国に南樺太と千島列島の領有宣言をしてもらい、その国から北方四島を譲り受けることにしたらどうなるであろうか。ロシアに喧嘩を売るようなものだから、その様なことを引き受ける国はなかなか現れないだろうが、ギリシャなら可能性を見出せるかもしれない。ギリシャの負債を引き受けるとすれば、首を縦に振るかもしれない。負債は巨額かもしれないが、ロシアから返還してもらうにしても巨額な資金が見込まれるのだから、支払い先が変わるだけだ。
 実際のところ、この様なことをしてもロシアは南樺太や千島列島は無論、北方領土にも居座り続けるだろう。ロシアを北方領土から排除しない限り、日本は島を手にすることは出来ない。しかし、この様な話が出回ることで、ロシア人は疑いも無く自国領と認識している南樺太や千島列島までもが自国領でなくなる危機感を持つだろう。少なくとも厄介なことになると思うはずだ。そうなれば、ウラジオストクの女性のような認識を持つロシア国民が増え、ロシア大統領が譲歩しても抵抗されなくなるため、北方領土返還も夢ではなくなるかも。所詮、絵空事だが。
 
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■イルクーツク声明
 2001年3月にイルクーツクで森総理大臣とプーチン大統領が会談した後に署名した文書。1956年に調印された日ソ共同宣言が平和条約交渉の基本となる法的文書であることを確認し、1993年の東京宣言に基づいて北方四島の帰属問題の解決に向けた交渉を促進することに両首脳が合意した。
日ソ共同宣言
 1956年10月に署名、同年12月に批准。日本と旧ソ連との戦争状態終結、日ソ国交回復を宣言した文書。
 平和条約交渉は宣言後も継続し、ソ連は「日本国の要望にこたえ、かつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島および色丹島を日本国に引き渡すことに同意する」とし、引き渡しの時期は「平和条約が締結された後」と記している。
東京宣言
 1993年10月に東京で細川総理大臣とエリツィン大統領が会談した後に署名した文書。両国間の関係を完全に正常化するために、北方四島の帰属に関する問題を歴史的・法的事実に基づいて解決し、平和条約を早期に締結するため交渉を継続することについて、両首脳が合意した。
 
◆北方領土問題の経緯
■日魯通好条約(1855年)
 択捉島とウルップ島の間に日露両国の国境を確認。
 
■樺太千島交換条約(1875年)
 千島列島を譲り受け、樺太全島を放棄。
 
■ポーツマス条約(1905年)
 日露戦争後、樺太の北緯50度以南の部分を割譲される。
 
日ソ中立条約(1941年4月)
 相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた。1946年4月まで有効。期間内の破棄その他条約の失効に関する規定は存在しない。
■大西洋憲章(1941年8月)
 米英両首脳が大西洋憲章に署名し、第二次世界大戦によって領土の拡張は求めない方針を明らかにする、ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明。
■カイロ宣言(1943年11月)
 大西洋憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言。
ポツダム宣言(1945年受諾)
 カイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨を規定したポツダム宣言を日本は8月14日に受諾。
※ソ連は1945年4月に日ソ中立条約を延長しない(ソ連側は「破棄」と表現)ことを日本に通達。8月8日、ポツダム宣言への参加を表明し、日本へ宣戦布告。8月28日から9月5日までの間に、北方四島を占領。
■サンフランシスコ平和条約(1951年9月)
 第二次世界大戦後の平和条約(日本と48ヶ国が調印)により、日本は樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、主権を回復。
※ソ連は講和会議に出席したが調印していないため、同条約上の権利を主張することはできない。
 

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ロシア】ウラジオストクは「中国固有の領土」か――始まった極東奪還闘争
http://www.fsight.jp/11951
Ⅳ-001 世界各国のGDP(上位60) - 国際貿易投資研究所
http://www.iti.or.jp/stat/4-001.pdf
内閣府 返還交渉の経緯
http://www8.cao.go.jp/hoppo/mondai/04.html
外務省 北方領土問題
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/index.html
外務省 北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html
外務省 北方領土問題に関するQ&A
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/mondai_qa.html
 

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バレンタイン?今日はふんどしの日

 1年365日、毎日、何らかの記念日になっています。「文化の日」のような国が定めた祝日、「ひな祭り」のような古くからの風習に由来するもの、「母の日」のような外国から輸入されたもの、様々あります。中でも、多いのは「映画の日」のような企業や業界団体が独自に定めた記念日でしょう。
 今日は、世間一般的には「バレンタインデー」ですが、「ふんどしの日」でもあります。日本ふんどし協会によると「一(ひぃ)二(ふぅん)三(みぃ)・・・十四(どぉしぃ)・・・。と読めることから、2(ふん)月14(どし)日は『ふんどしの日』と決定した。」とのことです。バレンタインデーに便乗した訳ではなく、たまたま同じ日になっただけで、バレンタインデーと重なったことは「ふんどしの奇跡」なんだそうです。そうは言っても、便乗商法なのは明らかですが。
 
 日本ふんどし協会は、「ふんどしの日」は女性から愛する男性にふんどしを渡す日としており、ふんどしを贈ることを提案しています。バレンタインチョコレートの中にはチョコレートと下着(パンツ)をセットにしているものもあり、その内、チョコレートとふんどしをセットにしたバレンタインチョコレートも現れるかもしれません。もし、ふんどしをプレゼントすることが定着すると、「義理チョコ」も「義理ふん」になってしまうのでしょうか。マスクの片方の紐が無いような小さな布を渡されて、「義理ふん」ですと言われても困りますよね。やっぱり、義理チョコの方がいいや。
 また、日本ふんどし協会は3月14日を「ふんどし返しの日」とも定めていて、男性から女性にふんどしを贈る日としています。協会は「是非、男性から愛する女性にプレゼントされて下さい。きっと喜ばれます。」と言っていますが、社会的自殺行為です。洒落にしても、後々のことを考えると・・・恐ろしい。
 
 協会が「ふんどし返しの日」を定めているのは、大真面目に女性にもふんどしを普及させる目的があるようです。
 ふんどしは①締め付け過ぎないため血液やリンパの流れを妨げない、②適度な通気性が菌の繁殖を抑制する、③おなかの冷えが適度に解消される、とのことで、「男性だけでなく、女性にもふんどしはとてもオススメです。」と大腸肛門科の専門医・山田麻子先生が言っています。
 健康に良いからといって、女性がふんどしを着用するものでしょうか。大体、山田麻子先生自身はふんどしを身に着けているのかと、いぶかしんでいると、ラブライフアドバイザー(何とも怪しげな肩書きだな)のオリヴィアさんが「ここ数年、女性向けの『ふんどし』が注目されていることは、ご存知でしょうか」と書いていた。本当なのか。信じられない気持ちでふんどしメーカーのサイトを覗いてみると、レディース用ふんどしが販売されていました。流行っているかは別にして、一定程度の需要はあるようです。
 改めて、日本ふんどし協会のサイトを見回すと、女性有名人にもふんどしを着用していた方がいることが分かりました。ベストフンドシストに選出された中に、いとうせいこうさんやNONSTYLE井上裕介さんに並び、壇蜜さんがいました。
 壇蜜さんは昨年の誕生日にふんどし姿を披露したことが受賞につながったようです。
 
 壇蜜さんの受賞は特に驚きませんが、ベストフンドシストの大賞が元NHK女性アナウンサーの住吉美紀さんだったことには少々驚きました。住吉さんのラジオ番組が協会とコラボレーションしたことに加え、本人も愛用しているのが受賞理由だそうです。
 
 お堅い雰囲気のアナウンサーなのにふんどしを愛用し、それを公言するとは。時代が変わってきているのでしょうかね。「ナイスふんどし!」が流行語になる日も近いかも。
 
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日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
日本ふんどし協会
http://www.japan-fundoshi.com/

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建国記念の日の「の」

 本日は「建国記念の日」です。内閣府によると、「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う」祝日なのだとか。建国を祝うだけではなく、愛国心を養う日だったのですね。
 
 ところで、何故「建国記念日」 ではなく、間に「の」が入るのでしょうか。「憲法記念日」には「の」が入らないのに。
 その理由は根拠となる日付が明確かどうかによります。
 「△△日」の場合は根拠となる日付が明確です。例えば、「憲法記念日」は現行憲法の施行日ですし、「天皇誕生日」は天皇の誕生日です。
 一方、「△△の日」の場合はある事象を祝うために定めた日です。例えば、「敬老の日」は老人を敬う日ですが、敬老に発祥となる日はありません。ですから、適当な日を定めて祝うことにしたのです。
 「建国記念の日」も同じです。日本は建国宣言をして、発祥した国ではありませんから、何をもって建国とするかは議論のあるところでしょうし、そもそも、有史以前のことですから、月日を特定するのは無理です。なので、「△△の日」との表現になるのです。
 
 現実の建国の月日は不明ですが、2月11日が建国を記念する日に定められています。何故、2月11日なのでしょうか。実は終戦前、この日は「紀元節」と呼ばれていました。紀元節は、明治政府が初代天皇の神武天皇の即位をもって建国とみなし、日本書紀の記述から推定して即位日を2月11日としたのです。
 「日本書紀」卷第三には「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮。是歳爲天皇元年、尊正妃爲皇后。」【辛酉(かのととり)の年の春正月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇は橿原宮において帝位についた。この年をもって天皇元年とし、正妃を尊んで皇后とした。】との記述があり、これをグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年2月11日が神武天皇即位日になるそうです。
 BC660年はまだ弥生時代前期です。大和朝廷成立は3世紀前後と考えられていますから、900年弱の開きがあります。現実的に考えると、日本書紀のこの記述は信頼性に欠け、事実ではないという結論にならざるえません。ですから、2月11日が即位日というのも信頼できないでしょう。
 
 ちなみに、終戦前までは、BC660年は「神武天皇即位紀元」(皇紀)と呼ばれていましたので、これが紀元節の名前の由来になったのではないかと思われます。
 戦後、GHQの意向で紀元節は廃止され、皇紀も公文書から消えました。今では、皇紀は一部の人達にしか使われていませんが、今年2013年は2673年です。2673を逆から語呂合わせで読むと「みなむに(皆、無に)」となり、「全て無くなる」という意味になりますが、逆から呼んでいるので意味も逆になると考えると、案外、験がいい年なのかもしれません。経済にも明るい兆しが見えてきたことですし。
 
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国民の祝日」について
http://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html
建国記念の日
http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/03_kenkoku.html

 

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「日本解放第二期工作要綱」3

 ウィキペディアによると、日本解放第二期工作要綱は國民新聞の昭和47年8月特別号に、西内雅氏が入手したものであるとして、その和訳が掲載されたとのこと。
 西内氏の著書等では「文化大革命により大陸から脱出して来た中国人に教えていた際の1972年、文書『日本解放第二期工作要綱』を生徒から提供された」としたり、「アジア諸国を歴訪中の1973年に入手した」(掲載された昭和47は1972年なので、1973年に入手というのは明らかにおかしい)としたりしているらしい。入手経路が不明な上に、中国語の「原文」は公表されておらず、原本の存在も確認されていないようだ。
 西内氏は皇国史観を持つ思想家で、戦前は陸軍士官学校嘱託教官や内閣総力戦研究所所員(思想担当教官)等を歴任し、終戦時は陸軍省兵務局思想班長だったらしい。戦後は幾つかの国内大学の教鞭をとった後、淡江大学(台湾)でも教官となり、1975年頃までの10年間、香港で日本語学校を経営している。この経歴をみると、思想工作について精通していたばかりでなく、戦後も諜報活動に携わっていたのではないかと思わせるほどだ。
 
 日本解放第二期工作要綱が掲載された1972年には下記の出来事があった。
2月:ニクソン米大統領訪中。国交正常化の共同声明。
5月:佐藤派から田中派が分離独立。
7月:田中角栄が総理となる。
9月:日中国交正常化。
 この政治的出来事から分かるように、1972年は、中ソ対立で社会主義陣営の中で孤立しつつあった中国が資本主義陣営である日米と劇的に関係改善をした年であった。日本では、三木武夫氏が日中国交正常化を条件に田中支持に回り、親台派の佐藤首相が退陣して、田中首相が誕生。この前年にはピンポン外交やキッシンジャー極秘訪中もあった。中国共産党の西側工作が活発化していた時期であり、反共主義者や親台湾派にとっては危機感を抱いていたに違いない。
 
 日本解放第二期工作要綱に目を向けると、「田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した」(B 工作主点の行動要領/第二 マスコミエ作)、「一九七二年七月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約六〇名、参議院では一〇余名を獲得して」(B 工作主点の行動要領/第三 政党工作/(一)運合政府は手段)と書かれている。
 この記述から、この工作要綱が書かれた時期は田中内閣成立以降だということが分かる。田中内閣発足は7月7日だから、それ以降ということだ。この工作要綱が掲載された國民新聞昭和47年8月特別号の発効日を調べても分からなかったが、田中内閣発足から1ヶ月前後というところだろう。もし、西内氏が香港の日本語学校生徒の中国人から入手したとすると、1ヶ月あまりの間に次の事が起きていたことになる。
●中国のスパイ機関(北京所在?)の担当者が工作要綱の作成を開始する。
●工作要綱が完成し、機関承認されたもの、若しくは未承認のものが流出。
●香港の日本語学校生徒の中国人に渡る。
●西内氏に渡り、翻訳される。
●西内氏が國民新聞に持ち込み、掲載交渉。
●記事原稿の作成。
●新聞の印刷、発行。
 工作要綱の作成にはそれなりの時間が必要だろうし、流出したものがどの様な経路で香港の中国人に渡ったのか不明だが、これにもそれなりの時間が掛かるだろう。西内氏の説明だと、時間的に困難ではないか。
 また、この工作要綱にはパンダについて書かれていない。日中共同声明の調印後の記者会見(9月29日)でパンダの贈呈が発表され、カンカンとランランが10月28日に来日。空前のパンダブームを起こし、中国に対する好感度が高まった。中国共産党のパンダ外交は1957年(ソ連へ贈呈)から始まり、この年に訪中したニクソン大統領にもパンダが贈呈(シンシンとリンリン)されている。中国はパンダを相手国の国民に好感を持たせる道具として積極的に利用しており、パンダ贈呈の重要性を十分理解している。工作要綱には工作手段が細かく書かれているため、パンダ贈呈に関することも書かれて然るべきだ。それなのに、全く触れられていないのは不自然だ。
 
 「入手経路が曖昧なこと」、「原文や原本を公表することは、信憑性を増し、不都合があるとは思えないのに公表されていないこと」、「西内氏の経歴からすると、この種の文章を作成する能力を十分持っていたと思われること」、「反共だったであろう西内氏は当時の政治状況に危機感を持っていたと推測されること」、「中国のスパイ機関から流出したとすると、掲載までの期間が短く、時間的に困難と思われること」、以上を考慮すると、西内氏が当時の社会状況を加味しながら、でっち上げた(作成した)と考えるのが妥当だろう。西内氏は日本解放第二期工作要綱を書くことで、日中国交正常化を阻止したかったのかもしれない。
 
 スイス政府が発行している「民間防衛」という本には敵国の情報戦がどの様に行われるか書かれていて、内容的に「日本解放第二期工作要綱」と類似する部分も多い。情報戦では工作要綱に書かれているようなことが行われるのが、一般的なのだろう。「日本解放第二期工作要綱」は偽書だろうが、情報工作の手口を知るには参考になる。実際、中国は公的語学機関の孔子学院を海外に設置したり、民主党の議員を大量に招待したりしている。
 この工作要綱が嘘だからといって、中国が情報工作を行っていなかったことにはならない。中国はここに書かれているようなことを行っていて、今も続いているのだと思う。ただ、日本で情報工作を行っているのは中国に限ったものではないだろう。北朝鮮韓国ロシアアメリカ・・・、日本に利用価値を認め、能力のある国は行っていると、日本人は頭の片隅に入れておかなければならないのではないか。
 
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日本解放第二期工作要綱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A7%A3%E6%94%BE%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%9C%9F%E5%B7%A5%E4%BD%9C%E8%A6%81%E7%B6%B1
西内雅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%86%85%E9%9B%85
スイス政府「民間防衛」に学ぶ
http://nokan2000.nobody.jp/switz/index.html
解説に挑戦!~スイス民間防衛に学ぶ~
http://www.youtube.com/watch?v=tUuxd4ESpsc
 

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