六丈記2

備忘録のようなもの

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

札幌航空ページェント(≧∇≦)b

4年ぶりに札幌航空ページェントが開催されちゃいます。\(^O^)/
あまり知られていないので、混雑しないと思われ、こっそり、行こうと思っていたのに(((( ^∇^)
行けなくなりました。(T△T)
という訳で、今後の開催のために宣伝しちゃいます。( *^o^)y(δ_δ)
札幌近郊で暇な方、いかがですか。m(_ _)m
 
★第26回札幌航空ページェント
http://sky.geocities.jp/haa_web/pageant/pageant.html
●民間機、自衛隊機、アメリカ海軍機の飛行展示のほか、様々な機体の地上展示や竹とんぼ教室も開催されます。
●日時:平成24年7月29日(日)午前8時30分から午後3時まで
●場所:陸上自衛隊丘珠駐屯地(丘珠空港)
●会場内、会場周辺に駐車場はありません。地下鉄東豊線「栄町」駅下車、徒歩10分です。

スポンサーサイト

PageTop

八王子スーパー強盗殺人事件 カナダの中国人

 八王子スーパー強盗殺人事件。強盗殺人事件の名が付いているが、盗られた物が無いし、強盗説の他、怨恨説もあるので、別名のナンペイ銃殺事件とするのが適切なのかもしれない。
 事件は1995年の夏の夜、八王子市のスーパー「ナンペイ大和田店」で発生。女性3人が殺害されている。有名な事件で、未解決事件を取り扱った書籍などに取り上げられることが多い。
 
 事件の詳細については下記のページが参考になる。
◆八王子スーパー強盗殺人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E5%BC%B7%E7%9B%97%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◆大和田町スーパー事務所内けん銃使用強盗殺人事件
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken/jikenbo/hatioji/jiken.htm
◆熱帯夜の射殺事件
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kouhoushi/no1/jiken/jiken.htm
 
★この事件の犯人特定に繋がる情報
●凶器の拳銃はフィリピン製のスカイヤーズビンガム(38口径)
●使用された弾丸は数種類
●弾丸の線状痕から、拳銃が特定できる可能性有り
●足跡から、犯人が履いていたスニーカーは25.5cm
●足跡から、犯人は身長170cm前後
●足跡から、実行犯は1人と断定
●粘着テープに指紋の一部が残っている
●粘着テープに付着した汗から、DNA鑑定できる可能性有り
 
 記事中の武田輝夫元死刑囚は日本人と中国人30人余りから成る日中強盗団(日本人が情報収集を担い、中国人が実行役)の首領だった男だ。この事件を取り上げた一橋文哉著「未解決 -封印された五つの捜査報告-」にも登場する。
 この本から武田輝夫に関する部分を抜き出す。
●90年代に武田は初めて日中強盗団を組織。日中両国の裏社会の橋渡し役になる。
●武田が首領の日中強盗団は2002年に1都8県で17件の強盗事件を起こし、総額6億円余りを荒稼ぎ。家人を粘着テープで縛り上げ、刃物を突きつけて現金を強奪するのが特徴。
●八王子スーパー強盗殺人事件の時、武田は刑務所で服役中。
●日中強盗団の中国人側リーダーの元自動車整備工が逮捕されると、武田は2002年11月に鵜飼博徳(当時40歳位)を伴い、中国へ逃亡。
●2002年冬、武田は大連のナイトクラブで鵜飼を「八王子のスーパーに押し込んで、女を3人も撃ち殺したんだ」とチーママらに紹介。
●武田は大連を拠点とする麻薬密輸団のボスとして、2003年から20kg以上の覚醒剤を売買。
●鵜飼は2003年7月に、武田から受け取った覚醒剤を日本に密輸しようとしていたところを大連で逮捕される。武田も2004年6月に広東省において覚醒剤所持で逮捕される。
●2007年、武田と鵜飼の死刑確定。
●2008年秋、中国公安当局から日本に「武田が八王子スーパー強盗殺人事件の実行犯は鵜飼だと供述している」と情報が寄せられる。
●2009年、日中刑事共助条約に基づき、警視庁が事情聴取。武田は「鵜飼はシャブ中で、クスリ代欲しさに日中強盗団の情報屋をやっていた。『八王子のヤマはシャブ代を稼ぐためにやった。拳銃は知人の名古屋のヤクザから買った。』と言っていた。稲垣さんが騒いだため、金が奪えず、共犯の中国人が頭にきて、思わず皆殺しにしたらしい。鵜飼もイラついて金庫に1発撃ったと聞いている。」、「鵜飼に大連から大阪へシャブを運ばせようとしたら、『日本に帰れない理由がある。八王子で3人殺している』と言い出し、ビックリした。」、「八王子の事件と同じ日、『金が奪えなかった腹いせに、現場近くで別の女性を襲って金品を強奪した。』と鵜飼が話していた。」などと供述。女性強盗事件は武田の供述とほぼ一致し、秘密の暴露とみられたが、武田の供述は二転三転し、信用できるものではなかった。
●警視庁は鵜飼も事情聴取。鵜飼は「事件の事はまったく分からない。もし知っていても、今さら何も言うことはない。」と述べただけで、後は沈黙。鵜飼の指紋と現場に残された指紋は一致しなかった。
●警視庁の幹部は事情聴取について「八王子の事件の当日、鵜飼が現場付近にいた可能性は高く、事件についても何か知っている。武田も鵜飼から少しは聞いているのは確かだが、それだけだ。本ボシではない。武田の話は肝心な部分が曖昧。細かい矛盾を追及すると、『申し訳ない。これ以上はきちんと説明できん』としどろもどろになり、最後は『本当は何も知らないんだ』と言い出す始末だった。」と語る。
●捜査関係者は2人の事情聴取について「『やっぱり違っていたか。まあ、あんなものだろう』という内容だった。武田が中国公安当局に八王子の事件のことを漏らしたのは、自分の逮捕が鵜飼の密告のせいではないかと疑い、恨んでいたからだろう。」と語る。
●警視庁は再聴取の要請もせず、2010年に武田と鵜飼の死刑執行がなされる。
 
 記事では「武田が現地で事情聴取を行なった際、『カナダにいる中国人が実行犯を知っているはずだ』などと供述した。」となっているが、一橋文哉氏の本では武田が実行犯として挙げたのは鵜飼と中国人の2人組。「中国人が実行犯を知っているはずだ」と言うはずが無いと通常なら思えるが、供述が二転三転したらしいから、中にはそんな供述もあったのかもしれない。
 ただ、警視庁自体が武田の供述は信憑性が低いと判断している様子なのに、それに基づいてカナダの中国人を聴取したところで、進展するだろうか。カナダの中国人の指紋照合は終えているだろうから、実行犯ではないのは確かだろうし。
 余程、手詰まりなのか、それとも、最近スカイヤーズビンガムの流通ルートを調べていることから、その線から何か繋がりが出てきたということだろうか。

PageTop

統合防災演習にまつわること

 マグニチュード8.2、最大震度7の首都直下地震を想定した統合防災演習が7月16日から20日まで、首都圏で行われていました。自衛隊と関係省庁、自治体(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の4都県とさいたま市、横浜市、川崎市、相模原市の4政令市。千葉は不参加。)のほか在日米軍も初めて加わり、約5000人の要員が参加した大規模な防災演習でした。
 自衛隊の実動訓練の一部が報道陣に公開され、ショベルカーをボートに乗せて荒川を移動させる訓練や駐屯地から各区役所に徒歩で連絡要員を派遣する訓練などが各種メディアによって報道されています。中には、連絡要員の陸上自衛隊員が練馬区役所に入る際に市民団体が抗議したとの報道もありました。
 
 市民団体と称する左翼グループ(プロ市民)は、自衛隊や米軍の活動には条件反射的に抗議活動をしますが、防災演習であっても例外ではなかったようです。まあ、北朝鮮の弾道ミサイル発射の時もパトリオットの配備に反対していたので、不思議ではありませんが。
 プロ市民は軍隊が加わった防災訓練には反対しますが、有効な代案がある訳ではありません。ただ、反対するだけです。だから、実際に災害が発生しても「自衛隊は何をやってる、遅い」などと大騒ぎして、批判を繰り返すしかしません。
 左翼らは普段から命を守れというようなことを主張しますが、その命とは一般市民の命ではないことは明らかです。防災演習であっても反対するのですから。本音では、一般市民の命は左翼イデオロギーに比べたら、取るに足らないと思っているのではないでしょうか。自分達のイデオロギー活動によって大勢の市民の命が犠牲になることは別にかまわないと考えているのでしょう。自国民を大虐殺したポル・ポト毛沢東にシンパシーを感じていた連中ですから、当然なのかもしれません。
 日本の左翼の多くはすでにマルクス主義を信奉していないように見えます。代わりに反日というイデオロギーに支配されているようです。このイデオロギーはカルト宗教のようなものですから、論理的に説得しても考えを変えさせるのは困難です。そもそも、異なる意見には聞く耳を持ちません。何とも困った人種です。
  
 今回の防災演習では協力しない自治体もあったようです。
 自衛隊は23区に(1)庁舎内に立ち入らせ、通信訓練を行う朝まで待機させてほしい(2)庁舎の駐車場を使わせてほしい(3)防災担当の職員に立ち会ってほしいとの3項目を要請してましたが、陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊の石井一将連隊長は全面的な協力を得られたのは7区だけと述べています。
 産経新聞の記事から各区の対応を整理すると、次のような感じになるでしょうか。
千代田区(1)×(2)?(3)×
中央区_(1)×(2)?(3)×
港区__(1)×(2)?(3)×
新宿区_(1)×(2)?(3)○
文京区_(1)△(2)○(3)?
台東区_(1)○(2)○(3)○
北区__(1)×(2)?(3)?
荒川区_(1)○(2)?(3)○
品川区_(1)△(2)○(3)?
目黒区_(1)×(2)?(3)?
大田区_(1)△(2)×(3)○
世田谷区(1)×(2)×(3)×
渋谷区_(1)×(2)×(3)×
中野区_(1)×(2)×(3)×
杉並区_(1)×(2)?(3)?
豊島区_(1)×(2)?(3)?
板橋区_(1)○(2)?(3)○
練馬区_(1)○(2)?(3)○
墨田区_(1)△(2)×(3)×
江東区_(1)?(2)×(3)?
足立区_(1)○(2)?(3)○
葛飾区_(1)○(2)?(3)○
江戸川区(1)?(2)×(3)?
 
 記事では隊員の立ち入りを拒否した区として千代田区、中央区、港区、新宿区、目黒区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、北区の11区を挙げ、防災担当職員が立ち会わなかった区として千代田区、中央区、港区、墨田区、世田谷区、渋谷区、中野区の7区を挙げていた。
 これに対し、名前が挙げられた区の豊島区、中野区、港区が抗議しています。
■豊島区
http://www.city.toshima.lg.jp/koho/027635.html
~抜粋~
1.自衛隊からの依頼を受け、宿泊施設がない旨説明したところ、駐車場を利用して車中泊するとのことであったため、駐車スペースを準備していたが、訓練直前に自衛隊から計画変更の連絡があり、車中泊は取りやめとなった。
2.訓練当日の16日は、練馬駐屯地から徒歩で来庁した自衛隊員2名を午後9時5分頃に受け入れ、防災課のある区施設(生活産業プラザ)事務室及び屋上において、防災課長立ち会いのもと、通信訓練を実施。訓練終了後午後9時35分頃、両隊員は迎えの車で帰隊。
3.翌17日、午前8時20分頃に再び2名の隊員が車で来庁。防災課職員立会いのもと、通信訓練を実施。終了後、午前9時20分頃帰隊。訓練中は、区敷地内に自衛隊の車を駐車。
4.首都直下地震を想定した有意義な訓練であり、当然のこととしてできる協力をした。
 以上の回答内容にも関わらず、貴紙掲載記事では、隊員の立ち入りを拒否した11区のひとつとして本区があげられています(記事本文第2段5行目)。さらに、「『迷彩服見せるな』11区が自衛隊拒否」との記事タイトルについても、読者に甚だ大きな誤解を与えるものとなっています。
 自衛隊からの事前要請に対し、本区で拒否した事実はなく、また、訓練当日も、宿泊については自衛隊の計画変更により取りやめになりましたが、隊員を庁舎内に受け入れて訓練を行っており、「立ち入り拒否」と断定する貴紙記事内容は、全くの事実無根であると言わざるをえません。
 
■中野区
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d014995.html
~抜粋~
 自衛隊側が「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」と要請していたにもかかわらず、中野区を含めた11区が拒否していたとする記事が掲載されています。
 中野区が、こうした要請を拒否した事実はありません。なお、17日に関しては、区に協力の依頼があり、区職員が立ち会うなど、訓練に協力をしたところです。
 以上の事実を、産経新聞に伝え、記事の訂正を求めています。
 
■港区
http://www.city.minato.tokyo.jp/bosai-anzen/bosai/documents/youbou.pdf
~抜粋~
 本区が庁舎内への自衛隊員の立ち入りを拒否し、かつ、防災担当職員が対応しなかった旨の記事が掲載されましたが、この記事は事実と著しく異なります。
 報道の本旨は、正確な情報を迅速に伝えることにあることは言を待ちません。
 つきましては、今回の御紙の報道に対し、強く遺憾の意をお伝えするとともに、訂正記事の掲載等、誤解された区民に正しく真実を伝える努力をされるよう、強く要望いたします。
1 徒歩機動訓練に対する港区の対応
(1) 日時 平成24年7月17日(火)午前0時ごろ
(2) 概要 自衛隊員2名が、徒歩で港区役所本庁舎正面玄関前に到着し、自衛隊側からの事前説明があったとおり、庁舎敷地内及び建物内には入らず、直ちに徒歩で帰路につきました。
(3)  区の対応 庁舎を開けるなどの対応は特に行いませんでした。
2 無線通信訓練に対する区の対応
(1) 日時 平成24年7月17日(火)午前5時50分ごろ
(2) 概要 自衛隊員2名が、自衛隊と区との事前打合せのとおり、徒歩で港区役所本庁舎東側夜間通用口に到着し、防災警戒待機宿直管理職(課長級職員)の誘導により、訓練実施場所である庁舎屋上まで案内し、訓練開始時刻まで、屋上にて待機してもらいました。午前8時30分から訓練終了退去までの間は、防災課職員1名が立ち会い、訓練終了後港区役所本庁舎東側夜間通用口まで案内し、隊員は庁舎外に退去しました。
 
 改めて、記事を読み直すと「自衛隊の担当者は『区によって要請の中身は変えていない。お願いする立場なので強くは言わなかったし、文書は出さなかったが、確かに要請した』と話す。」と書いてある。つまり、自衛隊は(1)~(3)の3項目を事前に要請していて、難色を示した区には強く要求することはせずに、計画の方を変更したのでしょう。だから、石井連隊長の「全面的な協力を得られたのは7区」とは当初の要請をそのまま受け入れてくれたのが7区だけという意味なのだと思います。
 それを踏まえて3区の抗議を見てみます。

 まず、立ち入りを拒否と書かれた豊島区。記事の「隊員の立ち入りを認めなかったのは~11区。」の文章の数行前には「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」との文章があります。合わせて読むと「隊員の立ち入りを認めなかった」は「隊員の区役所庁舎内の立ち入りを認めなかった」ということでしょう。確かに、豊島区は区役所庁舎に隊員を立ち入りさせてません。けれども、防災課のある区施設で訓練させていますので、「隊員の立ち入りを認めなかった」と簡略して書いたのは不適切だったかもしれません。だから、「自衛隊の当初の要請を断り、隊員の区役所庁舎内での待機を拒否した区」とでも書いたら良かったのかも。
 台東区などは庁舎内の会議室などを隊員に提供し、待機に使わせていました。豊島区は「首都直下地震を想定した有意義な訓練であり、当然のこととしてできる協力をした。」と抗議していますが、台東区などと同様の協力を何故しなかったのでしょうか。会議室を提供することは出来ない協力なのでしょうか。
 
 次に、立ち入りを拒否し、防災担当職員が立ち会わなかったと書かれた中野区。中野区は「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」との要請を拒否した事実は無いと抗議しています。無線通信訓練時の立ち入りは許可したのかもしれませんが、豊島区同様、隊員の区役所庁舎内での待機は拒否したのではありませんか。
 もう一つ、中野区は区職員が立ち会って訓練に協力をしたと抗議していますが、その区職員は防災担当者だったのでしょうか。若し、区職員が警備員など防災担当者以外だった場合は記事は間違っていないことになります。
 中野区は抗議していませんが、自衛隊に庁舎の駐車場を使わせたのでしょうか。記事では駐車場を使わせていなかったことになっています。若し、自衛隊が駐車場を使っていなかったとしたら、(2)の要請(庁舎の駐車場を使わせてほしい)は自衛隊からされていなかったのでしょうか。要請無しだと自衛隊担当者の話と矛盾します。
 
 中野区同様に立ち入りを拒否し、防災担当職員が立ち会わなかったと書かれた港区。隊員の立ち入りに関して、港区は「自衛隊側からの事前説明があったとおり、庁舎敷地内及び建物内には入らず」と説明し、予定通りだとしていますが、自衛隊の当初の要請を断ったから計画が変更になったのではないですか。豊島区と同様に「自衛隊の当初の要請を断り、隊員の区役所庁舎内での待機を拒否した区」とでも書いたら正確になるのでは。
 防災担当職員の立会いについては記事の間違いでしょう。
 
 この記事が出てから、対応に問題があると書かれた区には抗議の電話が入っているようです。各自治体は統合防災演習について、
①議員や市民団体などから受けた申し入れの内容。
②自衛隊から最初に要請された内容。
③自衛隊の要請に対する返答。
④実施された詳細。
を明確にしたらいかがでしょう。
 
 
 産経新聞の記事では区側が非協力的対応をした理由を
●市民団体の街頭での反対運動。
●議会会派や市民団体からの施設利用を反対する申し入れ。
●住民監査請求を利用した反対圧力。
などを挙げています。
 「赤旗」には共産党の塩川鉄也衆院議員が防衛省に中止要請し、柳下礼子、村岡正嗣両埼玉県議、加川義光さいたま市議、山口公悦、斉藤弘道両朝霞市議、熊谷二郎和光市議も同席したと書いていて、更に、首都圏各地の平和・民主団体や共産党地方議員らが練馬駐屯地などを監視したとも書いています。
 やはり、統合防災演習に反対する運動は共産党が中心になって繰り広げていたようです。「自衛隊員に区役所の水、電気を使わせるのは自衛隊法などに照らして違法だ」と住民監査請求を申し立てた弁護士も共産党系弁護士なのかもしれません。
 共産党が動員をかけていたことを考えれば、抗議活動をしていた人達は区民ではないかもしれません。地方から集められた人達かも。十分考えられます。
 
 産経新聞が指摘するように、少数の声の大きい人間達の圧力に負けて、非協力的な態度を取った区役所があったことは否めないでしょう。役所が圧力に弱いのは周知の事実ですから。
 たぶん、区職員は統合防災演習が区民の命にかかわる重要なことと分かっていても、目の前の騒ぎを大きくしないために、自衛隊に目立って欲しくはなかったのでしょう。事なかれ主義が支配する役所ではよくある判断です。記事中の「区民に迷彩服を見せたくなかった」という発言も本当にあったものと思われます。ただし、本音は区民ではなく、プロ市民なのでしょうけど。
 この様に直接大勢の一般市民の命にかかわることでも、少数でありながら横暴で声の大きい団体によって、捻じ曲げられる事態を見ると、戦後民主主義の正体を見た気分になります。
 
 
 今回の統合防災演習の目的は(1)JTF(統合任務部隊)編成準備(2)被害の見積もり(3)原子力災害など複合災害対処に関する指揮統制(4)JTF編成後の機能検証(5)指揮統制の継続(6)関係機関、米軍との連携要領などを検証し、首都直下地震の対処計画を今年末までにまとめることにありました。十分な訓練結果は得られたでしょうか。
 訓練自体の検証をする前に、やらなければならないことがハッキリしたのが一番の収穫かもしれません。

////////////////////////
統合防災演習中止を 塩川議員ら防衛省に要請 党埼玉県議ら同席
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-07-14/2012071404_03_1.html
自衛隊統合防災演習開始 統合運用強化狙う 市ケ谷・朝霞
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-07-17/2012071715_03_1.html
自衛隊統合防災演習始まる M8首都直下地震を想定 8都県市、隊員5000人参加
http://www.asagumo-news.com/news/201207/120719/12071903.html
 

PageTop

大津市いじめ自殺事件 何故、転校した

 大津市立皇子山中学校中2生徒自殺事件で、連日の取材攻勢によって学校と市教育委員会が隠蔽していたと思われる新事実が次々に明らかになり、事件性を認めていなかった滋賀県警が捜査を始め、市側も外部委員会の調査を始めることになった。それでも、加害者の3人の同級生側は「いじめはなかった」と否定を続けている。
 片山さつき議員などによると、加害者の内2人は京都の別々の市立中学校に転校している模様。ニュースでいじめと大きく取り上げられた頃には既に皇子山中学校には在校していなかったようだ。
 
 いじめが無かったと言うなら、何故、加害者の生徒は転校したのだろうか。自宅は大津市にあるというのに。加害者側は「いじめで被害者が死んだので、皇子山中学校に居づらくなった」以外の合理的な説明は出来るのだろうか。
 進学校とは思えない市立中学校に加害者2人が、態々転校するという不自然な行動が真相を物語っているように思える。
 
 この事件を機に教育関係者がいじめを無くする方法論を語っていたりするが、犯罪行為をいじめと言っている内はまた同様のことが起こるだろう。子供でも犯罪は犯罪として、小さな事件の時から処理しないと、いずれ、大きな事件が起きる。この様な子供の犯罪でもハインリッヒの法則が成り立つと思う。

PageTop

TV報道は反原発集会を市民革命のように位置付けたい様だ

 16日の反原発集会「さようなら原発10万人集会」を扱ったTVニュースをいくつか見たが、内容は下記のTBSの報道と大差ないものだった。

****** TBS News i ******
「さようなら原発」集会に17万人
http://news.tbs.co.jp/20120716/newseye/tbs_newseye5082487.html
 この暑さの中、音楽家の坂本龍一さんや作家の大江健三郎さんらが呼びかけ人となって、「原発反対」を訴える集会が開かれ、主催者発表で17万人もの人達が集まりました。会場となった東京の代々木公園は参加者で埋め尽くされました。
 3連休最終日の東京・代々木公園を人々が埋め尽くしました。その目的は「さようなら原発10万人集会」。
 「普段は若者や家族連れでにぎわう代々木公園。今日は老若男女含め、ものすごい人出となっています」(記者)
 「十数万人に上る私たちは侮辱の中で生きていくほかないのか。他に次の原発の大爆発によって侮辱の中で死ぬほかないのか。そういうことがあってはいけない」(ノーベル賞作家 大江健三郎さん)
 「たかが電気のために、この美しい日本、そして国の未来である子どもの命を危険にさらすようなことはするべきではない」(音楽家 坂本龍一さん)
 瀬戸内寂聴さんら著名人も呼びかけ人として参加しました。東日本大震災後、最大規模となる10万人を集め、脱原発を訴えようというのです。会場では、こうした集会に初めて参加したという人たちの姿が目立ちました。
 「この子が生まれて、やっぱり未来のこととか、本当に考えないといけない」(デモ参加者)
 「ネットの力が大きい。イベントの垣根が低くなってきていると思って参加した」(デモ参加者)
 参加者の中には、福島市から駆けつけた小林さん親子の姿もありました。
 「(子どもには)これだけの人が集まって何かやっているのは、大きな理由があるのだと、心にとどめ、大きくなってからもう一度、自分で勉強してほしい」(福島市から参加した 小林みゆきさん)
-----後略-----
************************************
 
 「ネットの呼びかけで一般市民が自主的に集った」、「主催者発表で17万人」が強調されていたが、新聞を読むと少々違うようだ。
 このデモに関してWeb版の記事を読み比べてみると、詳しい順に朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞で、産経新聞に至ってはTBSのニュースと内容的に大差が無かった。一寸、意外な感じがした。
 
 一番詳しい朝日新聞の記事から要点を書き出してみる。
●「さようなら原発10万人集会」は大江健三郎さん(77)らが呼びかけた署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。
●約750万人分の署名を野田首相宛てに提出した翌日、野田政権が大飯原発の再稼働を決めた経緯から大江氏の侮辱発言。
●集会は原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が中心となって開催。(毎日新聞では市民団体や労働組合などでつくる「さようなら原発一千万人署名市民の会」が主催。)
●労働組合の旗がたくさん掲げられるなか、手作りのプラカードを掲げる参加者も目立った。
●主催者発表の参加者数は担当者が分担して会場入り口の約10カ所で目測で数えて合計。
●警視庁の公式発表は無いが、警察関係者によると、把握した参加者数は約7万5千人。
 
 TVニュースからだと一般市民によりデモが自然発生したとの印象的だが、何のことは無い、従来通りのプロ市民が扇動したデモだった。主催者発表の17万人も半分以下の7万5千人。日産スタジアムでのサッカー代表の試合に集まる観客程度だ。
 また、大江氏が侮辱と言ったのは署名を無視されたからだったらしい。仲間だと思っていた民主党に裏切られたのだから、尚更、侮辱感で一杯になったのだろう。
 
 それにしても、坂本龍一氏は何故こうなってしまっただろうか。
 「たかが電気のために、命を危険にさらすな」と言うけれど、今や電気は医療に欠かせないものになっている。電気によって多くの命が直接救われているのだ。この簡単な現実がまるで見えていない。
 それでも、放射線は怖いから電気を使わないようにしようと主張するなら、まだ分かる。たかが電気と発言する一方で、坂本氏はニューヨークで電気自動車に乗り、電気自動車は二酸化炭素を出さないからエコだと満悦している。更にはCMにも出演して電気自動車を普及させようとしていた。原発事故の前ではなく、今年のことだ。もっと電気を消費しようと働きかける反面、たかが電気と言ってのける。言動と行動が真逆だし、原発が止まり、電力供給が逼迫しているのにあまりにも軽い。
 坂本氏と鳩山元首相が重なって見える。
 
/////////////////////////////
坂本龍一さん「電気のため、なぜ命を」都心で脱原発デモ
http://www.asahi.com/national/update/0716/TKY201207160202.html
坂本龍一さん、ニューヨークでの日産リーフ生活はじまる
http://blog.nissan.co.jp/EV/2012/RYUICHISAKAMOTO/106.html
http://ev1.nissan.co.jp/OWNERSVOICE/NEWOWNER/02.html
 

PageTop

エネルギー環境会議意見聴取会 本当の一般人なら参加しない

 政府の「エネルギー・環境会議」(議長:古川国家戦略担当大臣)はエネルギー・環境戦略の見直しを行うため、国民から直接意見を聞く「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」を全国11都市で順次開催している。今日までにさいたま市、仙台市、名古屋市の開催を終えた。
 仙台市会場では発言者の抽選で選ばれた東北電力や原発推進団体の幹部が原発推進の意見を述べると、参加者から非難の声が上がり一時中断、また、地元以外の人が発言者に選ばれていたことから紛糾した。名古屋市会場でも発言者の抽選で中部電力社員と日本原子力研究開発機構東濃地科学センターの職員が選ばれ、一部の参加者が反発して議事が中断した。
 電力会社関係者が意見表明したことにより、実質的なやらせではないかと批判が出たことに対し、細野豪志原発事故担当相は「抽選で選ぶので仕方ない。福島で開催するときは一般の県民の声が聞けるよう選び方を考えたい」と述べ、政府は選び方を検討する模様だ。
 
 この聴取会は博報堂が政府の委託で担当し、仕組みと応募状況は次の通り。
①インターネット若しくはファックスで応募。
 

②意思表明希望がある場合は原発依存度として政府が示した「0%」「15%」「20~25%」のシナリオの中から1つを選び、意見の概要を記入。
③博報堂が応募者の中から抽選で参加者を選び、更に意見表明希望者の中から無作為に各シナリオの発言者を3人ずつ抽出。なお、この抽出に応募時に書かれた意見概要は反映されない。
④会場では各シナリオの発言者それぞれが10分以内に意見を表明。
※参加の権利を譲渡・換金することは不可。
※交通費・宿泊費、個人的諸経費などは参加者の負担。
※聴取会は写真、動画で撮影するとともに、インターネットで生中継。
※意見表明の際には所属や名前を明言。
 
■さいたま市会場
応募者:?
抽選により選ばれた人数:?
実際に出席した一般参加者:約170人
意見表明希望者:?
■仙台市会場
応募者:175人
抽選により選ばれた人数:130人
実際に出席した一般参加者:?
意見表明希望者
「0%」:66人
「15%」:14人
「20~25%」:13人
■名古屋市会場
応募者:352人
抽選により選ばれた人数:?
実際に出席した一般参加者:86人
意見表明希望者
「0%」:106人
「15%」:18人
「20~25%」:37人
 
 仙台会場にいた男性会社員は「推進の考えでも、一般の人の意見を聞きたかった」と憤っていた。政府は意見聴取会に電力関係者が参加していたことを問題にし、ニュースの論調も聴取会は一般人に限定すべしとの感じだった。
 しかし、聴取会に参加しようとする人は一般人なのだろうか。本当の一般人なら、自分の時間と金を使ってまで参加しようとはしない。大体、聴取会があることすら知らなかっただろう。私も知らなかったし、周りに知っていた者もいなかった。なんの運動にも関わっていない一般人なんて、そんなものだ。
 賛成派にしても、反対派にしても態々、応募して意見を述べようという者は利害関係者か、イデオロギー運動をしている者が殆どだろう。若し、政府が本当の一般人の意見を聞こうとするなら、選挙人名簿から無作為抽出しかない。ただ、その場合、出てくる意見は街頭インタビューを超えるものではないことは容易に推測できる。将来のエネルギー需要予測や適切な電力構成などを踏まえて、自分の意見を理路整然と述べることが出来る者が選ばれる可能性は非常に低いであろうから、殆ど、無駄だ。
 
 残念ながら、原発は左翼イデオロギーのターゲットにされ、左翼運動に利用されてきた。ソ連や中国の社会主義国でも原発は積極的に利用されていたにも拘わらず、日本では左翼運動家が市民運動と称して反対運動を展開し、飯の種にしていた。だから、理由のいかんを問わず、兎に角反対だった。
 一方、推進派は問題があっても、安全性に不安があると少しでも思わせると反対運動に付け込まれるので、兎に角安全と言い張り、真剣に向き合わなかった。それが原発事故で露呈した。
 
 メディアは原発関係者が村のようになって原発村を形成しているというが、反対派も反原発村を形成している。両者が絡み合って現在がある。賛成、反対の二項対立を超え、エネルギー資源の世界情勢や需要見通しなどと安全性を計りに掛け、総合的にエネルギー政策を考えなければならないと思うのだが、今の情勢では無理だろう。大手メディアがイデオロギーから脱却しない限りは。
 
 ちなみに、聴取会申込受付フォームには国籍の欄が無かった。政府は外国人が参加しても問題ないと考えているのだろうか。「日本は日本人だけのものでは無い」と党首が明言する民主党だから、そう考えていても不思議は無い。
 あと、発言者は所属を明言するそうだが、その所属というのは勤め先以外の団体に所属している場合も申告させるのだろうか。例えば、中核派、朝鮮総連、人民解放軍総参謀部などと。
/////////////////////////////
エネ政策聴取会:政府、運営見直し検討 電力関係者参加で
http://mainichi.jp/select/news/20120717k0000m020066000c.html
今度は発言者に中部電力社員、意見聴取会紛糾
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120716-OYT1T00705.htm
エネルギー・環境会議
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/archive01.html
エネルギー・環境会議 意見聴取会
http://kokumingiron.jp/
エネルギー・環境会議 特設ページ
http://www.sentakushi.go.jp/
エネルギー・環境に関する選択肢
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120629/20120629_1.pdf

PageTop

天下三肩衝 後編

 「天下三肩衝 前編」では天下三茄子と同様に、大名物の肩衝茶入3つを総称して天下三肩衝と呼ばれると書きました。
 今回は天下三肩衝(初花、楢柴肩衝、新田肩衝)がどの様な経過を辿り現在に至ったのか、順を追ってみます。
 
◆足利義政らから流出
 初花(以下、初花肩衝)、楢柴肩衝、新田肩衝とも中国で作られ、日本に輸入された物です。何時ごろ輸入され、どの様な経緯で伝わったか分かりませんが、室町時代中期には初花肩衝と楢柴肩衝を室町幕府第8代将軍・足利義政が所持していて、新田肩衝はわび茶の創始者とされる村田珠光が所持していました。
 
 初花肩衝は足利義政から村田珠光の高弟で茶の湯名人と言われた鳥居引拙(奈良の人とも、堺の商人とも)に渡り、鳥居引拙から京都の豪商・大文字屋の疋田宗観が買い取ります。
 楢柴肩衝は足利義政が村田珠光に下賜し、珠光から鳥居引拙に渡ります。鳥居引拙から直接買ったのかは分かりませんが、堺の豪商・天王寺屋宗伯(津田宗伯)が購入。その後、博多の豪商・神谷宗白が1000貫で宗伯から買い取ります。
 新田肩衝は村田珠光が茶人でもあった武将の三好政長に譲り渡していました。
 
◆信長の名物狩りと本能寺の変
 1568年、信長が上洛すると、松永久秀がつくもを献上、今井宗久からもルソン渡りの茶壷「松島」を献上されます。これが切っ掛けとなり、信長は名物茶道具の価値を思い知らされ、「茶の湯」の利用価値を悟ります。信長は「一国を支配する者は、一国の珍宝をも支配せねばならぬ」と思い定め、丹羽長秀と松井友閑に「京と堺にある名物を徴収せよ」と命じ、名物狩りを始めます。
 名物狩りにより、大文字屋宗観から初花肩衝を召し上げ(1569年)、三好政長(宗三)ゆかりの者から新田肩衝を入手します。
 
 新田肩衝の伝来には三好政長→織田信長となっているのですが、三好政長(1549年没)は名物狩りが始まった頃には既に亡くなっているため、政長から信長が直接入手するのは不可能です。よって、新田肩衝を譲った者は政長ゆかりの者だと推測されます。たぶん、それは政長の子・三好政勝(右衛門大夫)ではないでしょうか。
 政長は茶壷の「松島」も所持していたのですが、政勝はそれを武野紹鴎(政長の茶の湯の師匠)に売り渡しています。だから、政勝は松島だけではなく、新田肩衝も相続していたと思われます。1570年に、政勝は信長に降伏し、織田軍に加わっていますので、その時に献上したのかもしれません。
 
 1577年、信長は初花肩衝を嫡男・織田信忠に三位中将の昇進祝いと家督相続の印として、他の茶道具と共に贈ります。
 信長は3つの内2つを手に入れ、所持したことが無いのは楢柴肩衝だけになりました。
 楢柴肩衝は神谷宗白が所持していたのですが、宗白は事業に失敗して困窮し、楢柴肩衝を所持し続けることが出来なくなりました。そこで、大友宗麟や信長が目を付けだすのですが、それを知った天王寺屋道叱(津田宗室)は堺衆の面目にかけて、大名の手に渡ることを防ごうとします。ただ、道叱が所持すると信長に奪われてしまう恐れがあるため、道叱の弟子だった博多の豪商・島井宗室(宗叱)に買い取ることを勧め、島井が宗白から2000貫で買い取りました。
 
 島井は楢柴肩衝を守り手放さずにいたのですが、ついに信長から声が掛かります。本能寺で催される茶会に正客として招かれたのです。相客は神屋宗湛と数十人の公家達でした。公家を押しのけ、商人が主賓だったのです。
 天正10年6月1日(1582年6月30日)、島井は名物開きの席で披露される道具を記した「御茶湯道具目録」を受け取ります。そこには、つくも茄子、勢高肩衝、珠光茶碗、千鳥の香炉などなど38種の名物道具が記載され、茶壷の三日月や松島は大道具なので安土城に残してきたが、いずれ見せると書いてありました。初花肩衝と新田肩衝は持って来ていなかったのです。信長はあえてこの2つを外したものと考えられます。公家の上座に座らせられ、天下三肩衝が抜けた名物群を見せられる島井はどの様に感じるでしょうか。安土城に天下三肩衝が揃えば、揃った姿を見せてやると信長が暗示し、楢柴肩衝を譲れと遠まわしに迫っていると受け取ったのではないでしょうか。
 実際、この日に茶会があったのかは意見が分かれますが、少なくとも、この日、島井は神屋と共に本能寺に宿泊していたようです。
 翌日の夜明け前、明智軍が本能寺を包囲します。本能寺の変の勃発です。信長は自刃し、本能寺は焼け落ち、名物道具も焼けた灰の中に埋もれてしまいました。本能寺が焼け落ちる前に、島井は「弘法大師真蹟の千字文」を、神屋は「枯木絵」を持ち出したと言われています。
 
 信長の死により、島井は名物狩りをまぬがれ、楢柴肩衝を譲らずに済みました。安土城に残された初花肩衝と新田肩衝はどうなったのでしょうか。
 明智光秀は本能寺を焼き討ちした後、安土城に入り、残された財宝を朝廷や有力寺社に寄進しています。両肩衝も光秀によって誰かに贈答されたのか、混乱のどさくさに紛れて持ち出されたのか、判然としませんが、安土城から消えたのは確かです。
 新田肩衝の伝来は織田信長→大友宗麟となっています。光秀と宗麟には接点は無いので、安土城から流出した後、誰かが九州にいた宗麟に売り渡したのでしょう。実は、島井と宗麟は昵懇の間柄でした。博多の商人として、また、茶人としても親しくしていたようです。この関係を考慮すると、島井が光秀に取り入って新田肩衝を入手し、宗麟に売却したと推測するのが妥当ではないでしょうか。
 一方、初花肩衝の伝来には織田信忠→松平念誓となっています。松平念誓(親宅)は徳川家康の嫡男・信康に仕えていました。信康が切腹した後は出家して、茶の湯三昧の日々を送っていたようです。その念誓が何故、初花肩衝を手にすることが出来たのでしょうか。初花肩衝を贈られた相手から譲られたのか、本能寺の変の時、安土にいて混乱に乗じて奪取したのか。初花肩衝の価値を考えると容易に譲渡するとは思えないため、後者のような気がします
 
◆秀吉の元へ
 本能寺の変後、豊臣秀吉は山崎の戦いで光秀を討ち取り、清洲会議で主導権を握ると織田家は分裂し、秀吉派と反秀吉派が争いが始まります。最終的に賤ヶ岳の戦い(1583年)で秀吉が柴田勝家に勝利し、秀吉は家臣第一の地位を確立。実質的に織田家中を牛耳ることになりました。
 
 秀吉と勝家が合戦をしている時、三河では初花肩衝を得た松平念誓が徳川家康に召し出されていました。念誓は浜松城で家康に謁見すると初花肩衝を献上します。それにより、念誓は諸役免除の特権を得て、三河額田郡で茶園の経営を始めることになります。
 秀吉勝利の報を聞いた家康は石川数正を使いに出し(1583年5月)、賤ヶ岳の戦いの戦勝祝いとして初花肩衝を秀吉へ贈ります。
 
 名物狩りをまぬがれた楢柴肩衝は依然、島井宗室が所持していましたが、2000貫で買い取ったことを知った宗麟から売却を求められていました。宗麟は島井の師匠である天王寺屋道叱を交渉役に仕立て、「6000貫を出してもよいから譲ってくれ」と頼んでいます。また、家老を遣わし、「いくらでも出す」とも伝えていました。それでも、島井は断り続けていました。
 宗麟が楢柴肩衝に執着していることを知った秋月種実はそれを横取りすることを思い付きます。種実の父や兄は大友軍の攻撃により自害していて、種実にとって宗麟は仇敵だったのです。
 種実は何度も家老を島井の元に遣わし、交渉しますが、断られ続けられました。宗麟でさえ断られているのに、種実に譲る訳はありませんでした。頑なな島井に対して種実はついに強談判に及びました。武力行使してでも強奪する他はないと脅迫。噂は博多中に流れ、商人達を怯えさせます。楢柴肩衝一つのために町を焼かれては商人として立ち行かなくなるため、島井は泣く泣く手放します。それも、無償で。宗麟に売らず、種実に売ったとあっては宗麟の顔に泥を塗ることになり、宗麟の恨みを買わないためにも、無償で譲り渡し、強奪されたことを示さなければなりませんでした。
 ウィキペディアの「楢柴肩衝」の頁には、この取引について「秋月氏から大豆百俵が送られている」と書いてありますが、若し、そうだとしても、楢柴肩衝の価値に見合うものではありません。文禄2(1593)年に名護屋で大豆40升が100文で取引されたという記録から、大豆100俵の価格を試算(1俵=4斗=40升換算)すると、10000文=10貫文になります。島井宗室は2000貫で買い取っているので、大損害です。やはり、強奪されたとするのが妥当でしょう。
 閑話休題。楢柴肩衝が種実に強奪されたことを知った宗麟は烈火のごとく怒りますが、種実を攻めることを躊躇います。秋月種実は龍造寺氏らと結び大友氏に対抗していたのですが、沖田畷の戦いで龍造寺氏に島津氏が勝つと、龍造寺氏と島津氏を和睦させ、島津氏に従属していたのでした。だから、軽々しく種実攻めを行う訳にはいかなかったのです。
 
 島津氏と大友氏の争いの中で種実は領地を広げる一方、大友氏は衰退の一途をたどり、島津氏に対抗する力は大友氏には残っていませんでした。このため、1586年に宗麟は新田肩衝を持参して大坂城の豊臣秀吉を訪ね、秀吉傘下になることと引き換えに軍事的支援を取り付けます。
 1587年、新田肩衝を献上された秀吉はわざわざ新田肩衝を携行し、茶頭の津田宗及をも伴って、九州征伐に出陣。各地で島津軍を撃破し、最後には島津義久の降伏させました。この過程で、島津氏に与していた秋月種実も籠城して抵抗を示しています。秀吉は新田肩衝の焼失を恐れ、城に火を掛けさせませんでしたが、結局、種実は秀吉の大軍を前にして抵抗を諦め、楢柴肩衝を差し出して降伏したのでした。これにより、秀吉はついに天下三肩衝を3つとも手に入れました。
 
◆秀吉から家康へ
 天下人になって栄華を極め、多くの名物を収集した秀吉ですが、1598年、病の床に就きます。余命がいくばくもないことを悟った秀吉は嫡男・秀頼の行く末が心配で、家康らに後見人を依頼して亡くなりました。この時、秀吉は家康に楢柴肩衝を贈ったとされています。残る2つの内、初花肩衝は形見分けで大老の宇喜多秀家に贈られ、新田肩衝は豊臣秀頼が相続しました。
 秀吉死後、豊臣政権内部の対立は激化し、1600年、関ヶ原戦いに至ります。西軍の副大将に就いた宇喜多秀家は敗北し、逃亡の末、八丈島へ島流し。初花肩衝は家康に渡ります。
 
 関ヶ原戦いに勝利した家康は将軍に就任し、江戸幕府を開きますが、大阪の地では依然豊臣家が力を誇っていました。将軍職を早々と嫡男・秀忠へ譲り、大御所として実権を握っていた家康はの幕府安泰のために豊臣家を滅ぼすことを決断。大坂の陣(1615年)で滅亡に追い込みます。大坂城は炎上、秀頼は淀とともに自害し、豊臣家秘蔵の宝物も焼失します。
 新田肩衝はつくも茄子と同様に家康が藤重藤元・藤巌父子に命じ、大坂城の焼跡より回収させ、漆で修復させました。つくも茄子は褒美として藤元に下賜されましたが、新田肩衝は家康が引き取り手元に置きます。これで、秀吉に続き家康も天下三肩衝を3つとも手に入れたのでした。
 
◆家康以降
 豊臣家を滅亡させると、家康は早々に武家諸法度、一国一城令を制定して大名統制を強化し、更に禁中並公家諸法度を制定して朝廷の行動を制約しました。
 信長や秀吉は茶の湯を積極的に政治利用しましたが、家康は茶の湯より法度による支配に重きを置いたようです。
 家康自身、茶の湯を好まなかったようで、茶道具に執着していませんでした。ただ、天下人の家康の元には要求せずとも、名物道具が多数集まり、これらの品は柳営御物と呼ばれるようになります。
 
 話を大坂夏の陣の後に戻します。夏の陣では北庄藩(後の福井藩)2代藩主だった松平忠直(結城秀康の嫡男、家康の孫)が真田幸村を討ち取るなどの戦功を挙げ、初花肩衝を恩賞として与えられました。しかし、忠直は領地の加増がかったことに不満を抱き、後々、幕府と険悪な関係に発展します。
 
 豊臣家を滅亡させた翌年の1616年、家康は駿府城で死去します。
 新田肩衝は家康から11男の松平頼房(水戸徳川家初代・徳川頼房)へ譲られているのですが、その時期までは分かりません。もしかしたら、家康の形見分けで貰い受けたのかもしれません。それとも、頼房が1611年に元服して駿府から水戸に入って家を興した時に譲られたのでしょうか。
 頼房が新田肩衝の所有者となってからは水戸徳川家に代々受け継がれ、水戸徳川家が手放すことはありませんでした。
 
 1623年、2代将軍・徳川秀忠によって、松平忠直が豊後にされて謹慎させられ、翌年に忠直の嫡男・仙千代(光長)が越後高田に国替えとなるという事態が発生。原因は一般的に忠直が幕府に反抗的(病を理由に江戸への参勤を怠る)で、乱行(将軍秀忠の娘だった正室・勝姫の付き人を殺害など)が目に余ったためとされます。このため、現代では忠直の悪行が強調され、日本史上最悪の暴君とまで言われています。ただ、鯖江市では名君として祭られていたり、忠直の乱行が書物(藩翰譜)に現れるのは忠直の死後半世紀も経った後からで、時代が進むにつれ話エスカレートし、側室を笑わせるために人を次々に殺したとか、妊婦のお腹を裂いて取り出した胎児に刀を突き刺したとか、後世に伝えられている乱行の数々は中国の故事を元にした作り話とみられることから、忠直を将軍に据えようとする大掛かりな陰謀を幕府が潰したとする興味深い説(杉原丈夫「忠直配流」)もあります。
 忠直の配流により、初花肩衝の消息は不明になります。忠直が豊後に携えて行き、死後(1650年没)に誰かに渡ったのか、改易の時に福井藩もしくは高田藩に受け継がれたのか、明らかになっていません。
 
 1657年、4代将軍・徳川家綱の治世の時に明暦の大火が起き、江戸城は天守閣を含む大半が焼失しました。将軍家に伝わっていた楢柴肩衝はこの大火の後、焼け跡から探し出され、修復されましたが、消息不明になり、以来不明のままです。
 
 1698年、奏者番の松平備前守(相模国玉縄藩主・松平正久)が初花肩衝を5代将軍・徳川綱吉に献上し、4万両を授かっています。
 松平忠直が所持していた初花肩衝を若年寄から奏者番に降格された小大名の松平正久が持っていたのでしょうか。
 正久の祖父・松平正綱は2代将軍・秀忠に重用され、幕府の財政政策や天領の管理を担当し、権勢を誇っていました。それから想像すると、忠直の嫡男・仙千代(松平光長)が新規に立藩できるよう、正綱に力添えを依頼して初花肩衝を贈り、正綱の家系に代々相続されたのかもしれません。
 それとも、この年、光長の養嗣子・松平長矩(松平宣富)が御家再興が許され、美作に10万石を貰い津山藩を立藩していることから、奏者番の正久を通してお礼として献上されたのでしょうか。ちなみに、忠直配流後、光長は高田藩主に納まっていたのですが、越後騒動で高田藩は取り潰され、光長は伊予松山藩へ配流されていました。
 正久から献上された初花肩衝は綱吉の所有となり、以後、将軍家に受け継がれます。
 
◆近年
 楢柴肩衝は江戸時代に消失してしまいましたが、新田肩衝は水戸徳川家が、初花肩衝は徳川宗家が明治以降も受け継いでいました。
 
 1967年、水戸徳川家13代当主徳川圀順氏が水戸徳川家に伝わる古文書や道具類及び西山荘を寄付し、財団法人水府明徳会を設立。新田肩衝も水府明徳会に寄付されました。
 現在は特例法人から公益財団法人へ移行した公益財団法人徳川ミュージアムに所蔵されてます。
 
 一方、初花肩衝の方は1959年に重要文化財に指定されます。
 その後、江戸開府400年に合わせ、2003年に徳川宗家18代当主徳川恒孝氏が将軍家に伝来した歴史資料を公のものとして一括して永久保存することを目的に、財団法人徳川記念文化財団を設立すると、初花肩衝も納められました。
 こちらも公益法人制度改革に伴い、公益財団法人に移行し、現在では公益財団法人徳川記念財団となっています。

 

PageTop

札幌でベンツに乗って逃走した男が生活保護を受給していた 追加2

 ベンツに乗って逃走した伊藤学容疑者は生活保護の不正受給以外にも詐欺をはたらいていたと思われる事実が浮上した。
 
-------北海道テレビ放送(HTB)の報道-------
「覚せい剤の逃走男 車の故障で札幌市から修理代」
覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された逃走男の生活保護費不正受給問題。男が道路の段差のせいで車が故障したと苦情を言って、札幌市から修理代を支払わせていたことが分かりました。
 示談金63万円…それが、札幌市が男に支払ったベンツの修理代だ。市は、男の身元を確認することもなく、金を支払った。
 浅野早也香記者「ベンツに乗り、こちらの道を通っていた伊藤容疑者。道路の段差で車が壊れたと札幌市に訴えたということです」。
 先月、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された伊藤学容疑者。白石区で生活保護を受給していたおととし10月、「親戚が運転する車に乗っていたとき、道路の段差のせいで車が故障した」などと市に苦情を言って、車の修理代など63万円を支払わせた。生活保護の受給者は特別な理由で車を所有することはもちろん、臨時に収入を得た場合、自治体に申告する必要がある。不正に車を所有していた伊藤容疑者は当然、区の生活保護の担当者に今回の件を報告していなかった。札幌市によると、今回のケースでは生活保護受給者かどうか調べる必要はなく、車の名義人は別の人だったが、伊藤容疑者が車の所有者であると確認できたため、金を支払ったとしている。上田市長は「調査中で答えられない」としている。市は伊藤容疑者を詐欺容疑で刑事告訴する方針だが、上田市長は告訴の時期については、警察と協議の上決定するとしている。
------------------------------
 
 道路の段差で車が壊れたと言いがかりを付けられて、札幌市は簡単に示談金を支払っている。修理代ではなく、示談金を支払ったということは伊藤容疑者に法外な修理代を要求され、その部署が出せる金額まで値切って示談したということだろう。通常ではありえないことだ。
 暴力団が怖いから、面倒だから、言われるままに金を出したとしか思えない。札幌市は何とか取り繕おうとしている様子がみられるが、修理代を要求された後、道路の段差を無くする工事はしたのだろうか。
 
 札幌市は「車の名義人は別の人だったが、伊藤容疑者が車の所有者であると確認できた」としている。
 このベンツは捕まった時、無車検だったので、一昨年10月にはまだ車検が切れていなかったということなのか。
 また、「車の名義人は別の人」とはどういう意味なのか。車検証の所有者が別人で使用者が伊藤容疑者だったのか、それとも、所有者、使用者ともに伊藤容疑者以外の別人になっていたのか。前者と後者とでは意味合いが大きく違ってくる。前者の場合は普通にあること(ローンで購入した場合は所有者がローン会社で使用者が購入者)だが、後者の場合は事実上の所有者を認定するのは面倒だ。
 伊藤容疑者の行状を見ていると、ベンツを正当な手段で入手していたとは思えず、取り込み詐欺の被害にあった車を手に入れたのではないかと強く疑われる。その場合は後者になり、車検証に伊藤学の名は出てこないし、所有者確認をしたら取り込み詐欺が発覚する。
 札幌市はどの様な方法でベンツを伊藤容疑者の所有物であると確認したのだろうか。札幌市の対応を見ていると、本当に所有者の確認をしたのか疑わしい。
 
 札幌市は伊藤容疑者を詐欺容疑で刑事告訴する方針とのことだが、具体的にはどんな詐欺にあったというのだろうか。示談金を騙し取られたというのか、それとも、示談金を申告しなかったため、その分の生活保護費を騙し取られたというのか。どちらだろうか。
 
///////////////////////////
覚せい剤の逃走男 車の故障で札幌市から修理代
http://www.htb.co.jp/news/#article03

PageTop

小沢の脱原発はマニフェスト違反

 小沢一郎が新党「国民の生活が第一」を結党した。小沢代表は今まで新生党、新進党、自由党と新党を旗揚げしてきたが、今回の党名は過去の党名と比べても異質だ。普通は短くして投票用紙に書き易くするものだが、それに反して随分と長い。態々、長い党名にしたのは小沢代表なりの計算があるのだろう。
 民主党に「国民の生活が第一」というスローガンを使わせないためなのか、それとも、アナウンサーなどの第三者に「国民の生活が第一の△△さん」と言わせることで、国民生活を一番に考えている政治家達と印象付けさせるためなのだろうか。
 
 小沢代表は新党結党大会で「今の民主党はもはや、政権交代当時の民主党ではなくなってしまった。この異常事態にあって、『国民の生活が第一』という政権交代の原点に立ち返った政策を国民に示し、実現するために新党を立ち上げた。」、「原子力は過渡的なエネルギーと位置づけ、原発に代わる新エネルギーの開発に努める『脱原発』の方向性を鮮明にする。」と述べた。
 民主党は先の総選挙で、麻生首相の「景気が回復したら消費税率を上げる」という発言に噛み付き、「次の総選挙までは消費税の議論もしない」と訴え、政権交代を成し遂げた。この経緯を踏まえれば、「今の民主党はもはや、政権交代当時の民主党ではなくなってしまった。」という小沢代表の言い分にも一理ある。
 ただ、「脱原発」の方はどうだろうか。2009年の民主党のマニフェスト(国民の生活が第一)を見てみると、46番目にエネルギーの安定供給体制を確立するとあった。
***********************************************
46.エネルギーの安定供給体制を確立する
【政策目的】
○国民生活の安定、経済の安定成長のため、エネルギー安定供給体制を確立する。
【具体策】
○エネルギーの安定確保、新エネルギーの開発・普及、省エネルギー推進等に一元的に取り組む。
レアメタル(希少金属)などの安定確保に向けた体制を確立し、再利用システムの構築や資源国との外交を進める。
○安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む。
***********************************************
 マニフェストでは「原子力利用について着実に取り組む」となっている。
 小沢代表は原発を過渡的なエネルギーと言うが、政権交代前から民主党の原発政策は決してそんな位置付けではなかった。 
 事実、鳩山首相は就任早々に国連で、温室効果ガス削減の中期目標について、主要国の参加による「意欲的な目標の合意」を前提に「1990年比で2020年までに25%削減を目指す」と表明し、CO2削減のために原発を推進していた。
 菅首相になってもその方針は変わらず、「エネルギー基本計画」を閣議決定し、「原子力発電設備を20年までに9基、30年までに14基新増設する」という方針を示していた。
 原発推進は一貫した民主党の方針だったのだ。
 
 小沢代表は政権交代の原点に立ち返れと言うなら、原発政策も脱原発ではなく原発推進にしなければならない。何しろ、マニフェストに書いてあるのだから。そうでなければ、マニフェスト違反と批判する資格は無い。
 原発事故以来高まった脱原発の風潮に乗っかって、安易な人気取りに走っていると批判したところで、小沢代表には馬耳東風だろう。この人には政策なんてどうでもよく、政局だけが重要なのだから。
 

PageTop

天下三肩衝 前編

 茶道のお茶の入れ方は2通りあり、ドロドロに練って飲む濃茶と泡立てて飲む薄茶があるそうです。格としては濃茶が上で、薄茶が下になるようです。濃茶、薄茶といっても材料は抹茶とお湯だけですから、違いは簡単にいうとお茶の濃度の違いでしょうか。
 濃茶や薄茶という言葉は入れ方の他に、抹茶の種類を表すのに用いられます。濃茶用の抹茶を濃茶、薄茶用の抹茶を薄茶と言います。濃茶と薄茶の違いは味で、濃茶の方が苦味や渋みが少なく上等とのこと。濃茶用の抹茶を薄茶に使うことはあっても、その逆は無いそうです。苦味が強すぎて、飲めないからだとか。
 
 抹茶を入れる容器(茶器)は濃茶と薄茶で分かれていて、濃茶を入れる容器を「茶入」、薄茶を入れる容器を「薄茶器」と呼びます。薄茶器は元々、中に茶入を収める容器で、後に薄茶用の容器に転用されました。だから、茶入と薄茶器では材質が異なります。茶入は主に陶磁器(蓋は象牙など)で、薄茶器は漆器などです。茶入も薄茶器も様々な種類があり、形状などで分類されます。
 
 茶入の形状を色々ある中でいくつか取り上げてみます。
●茄子(なす)   :丸茄子型
●文琳(ぶんりん) :林檎型
●肩衝(かたつき) :肩が張った形
●大海(たいかい) :口が広い平丸型
●内海(ないかい) :口が狭い平丸型
●丸壺(まるつぼ) :甑(こしき、首の部分)が長めの平丸型
●瓢箪(ひょうたん):瓢箪型
●耳付(みみつき) :耳状の突起を持つ形
 
 ちなみに、茶入の各部名称は下の写真の通りです。
 
 

 「九十九髪茄子 前編」のエントリにも書きましたが、茄子には名物である「九十九髪茄子・松本茄子・富士茄子」の3つを天下三茄子と呼んでいました。肩衝も同様で「初花・楢柴肩衝・新田肩衝」の3つを天下三肩衝と呼びます。しかも、「天下三肩衝を私する者は、天下を我がものにする。」と言われていたそうで、名物狩りに精を出していた信長でさえ、3つ揃えることは出来ませんでした。
 
◆「唐物肩衝茶入〈銘初花〉」
所有者_:財団法人徳川記念文化財団
指定__:重要文化財
製作国_:中国
製作年代:南宋
寸法重量:高さ8.8cm 胴径7.9cm 底径4.5cm 胴廻24.8cm 口径4.7cm 甑高1.1cm 肩幅1.4cm 重量139.9g
銘の由来:足利義政が「古今集」の和歌「くれないのはつ花ぞめの色ふかく思ひしこころ われわすれめや」に因んで付けたとも。
伝来__:足利義政→鳥居引拙→大文字屋疋田宗観→織田信長→織田信忠→松平念誓→徳川家康→豊臣秀吉→宇喜多秀家→徳川家康→松平一伯(忠直)→松平備前守→徳川綱吉→徳川美術館。

 

◆「大名物 漢作肩衝茶入 銘 新田」
所有者_:公益財団法人徳川ミュージアム
指定__:重要美術品
製作国_:中国
製作年代:南宋末~元初期
寸法重量:高さ8.5cm 胴径7.7cm 胴廻24.5cm 口径4.5cm 甑高1.4cm 肩幅1.0cm 重量120.0g
銘の由来:新田義貞が愛用していたと言われていることから。
伝来__:村田珠光→三好政長→織田信長→大友宗麟→豊臣秀吉→徳川家康→徳川頼房→水戸徳川博物館

 
◆楢柴肩衝
所有者_:消失
指定__:-
製作国_:中国
製作年代:不明
寸法重量:不明
銘の由来:釉色が濃いアメ色であったことから、「万葉集」の「御狩する狩場の小野の楢柴の汝はまさで恋ぞまされる」の歌に因んで付けたとも。
伝来__:足利義政→村田珠光→鳥居引拙→天王寺屋宗伯→神谷宗白→島井宗室→秋月種実→豊臣秀吉→徳川家康→消失

 

///////////////////////////////
唐物肩衝茶入〈銘初花/〉
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=6747
初花
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%8A%B1
楢柴肩衝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E6%9F%B4%E8%82%A9%E8%A1%9D
公益財団法人 徳川ミュージアム
http://tokugawa.gr.jp/index.html
公益財団法人 德川記念財団
http://www.tokugawa.ne.jp/index.htm
名物茶入
http://members.ctknet.ne.jp/verdure/cyaire/index.html
 

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。