六丈記2

備忘録のようなもの

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NHKスペシャル「未解決事件」file.02オウム真理教

 土日にNHKスペシャル「未解決事件」file.02オウム真理教http://www.nhk.or.jp/mikaiketsu/file002/index.html)が放送された。第1部、第2部の実録ドラマは教団初期からの古参幹部だった深山織枝(仮名)へのインタビューを軸にして、オウム真理教が暴走する過程を解き明かして行く構成だった。
 この深山織枝という人物は実在の人物で、実際にNHKの記者がインタビューをした内容を元にしているそうだ。
 

 深山織枝は誰のことだろうか。実録ドラマから得られる深山織枝の情報を整理してみる。
●現在、元信者の早坂武禮(仮名)と結婚している。
●早坂武禮はオウム真理教で経験したことを本にしている。
●これまでメディアの取材を受けていなかった。
●一連の事件に全くかかわっていない。
バブル時代に入信。村井秀夫より早かった。
●「オウム神仙の会」からの信者で、20番目の信者だった。
●出家する前は広告業界で働いていた。
●1990年の衆議院議員選挙の時、真理党から出馬。
●教団内では編集や絵画を描いたりしていた。
●独房修行をしている。
●上九一色村のサティアンで生活していた。
●サティアンの強制捜査後、早坂武禮と一緒に教団から離れ、脱会。
 
 選挙に立候補しているので、そこから絞り込む。
 真理党(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%90%86%E5%85%9A)から出馬した25名の内、女性は松本知子(マハーマーヤ)、松葉裕子(スッカー)、石井久子(マハー・ケイマ)、松田ユカリ(バッダー・カピラーニ)、山本まゆみ(キサーゴータミー)、宮本公恵(マチク・ラプドンマ)、坪倉浩子(ダルマヴァジリ)、飯田エリ子(サクラー)の8人。
 松本知子は麻原彰晃の妻で、薬剤師リンチ殺人事件で懲役6年になり、服役している。
 松葉裕子はオウム真理教の月刊誌「マハーヤーナ」編集責任者を務めており、オウム真理教から改称した「アレフ」に参加している。
 石井久子は「オウム神仙の会」からの信者であるが、出家前は保険会社のOLだった。教団では大蔵大臣を務め、麻原が父であるとされる3人の女児を産んでいる。懲役4年の実刑を受け、服役。また、1998年にニューズウィークのインタビュー(http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum-2/ishii.html)に答えている。
 松田ユカリについては選挙時の職歴が団体役員だった事ぐらいしか分からず、教団内での活動内容は不明。ただ、幹部の逮捕後、宗教法人オウム真理教の責任役員になっている。(http://yiori.tripod.com/aum_related/aum3.txt
 山本まゆみも「オウム神仙の会」からの信者であるが、出家前は保険会社のOLだった。教団では労働大臣を務め、死体遺棄罪で懲役1年4ヶ月の判決を受けている。2007年に病死。
 宮本公恵も「オウム神仙の会」からの信者。元恋人とされる岐部哲也(教団で防衛庁長官)は宮本を「オウム神仙の会」から脱会させようとしているうち、デザイナーの職を辞め、自分も入信し、オウム真理教の出版物の装丁などのデザインを手掛けていたこともある。宮本は元々イラストレーターだったようなので、岐部とは仕事で知り合ったのかもしれない。
 坪倉浩子はオウム真理教放送のアナウンサーを務め、脱会後は結婚して普通の生活をしている模様。
 飯田エリ子も「オウム神仙の会」からの信者であるが、出家前は保険会社のOLだった。教団では東信徒庁長官を務め、監禁致死罪で懲役6年6ヶ月になり、服役している。出所後は脳内出血を起こし、深刻な障害を負っているそうだ。
 
 以上のことからすると、深山織枝に該当するのは宮本公恵しかいない。宮本はグヤサマジャの曼荼羅を描いていたとの情報も見受けられる。
 元恋人の岐部は建造物侵入罪で懲役1年の実刑判決を受け服役した後、家族の元で生活しているようで、宮本とは関係が切れている模様だ。一方、宮本は教団の自治省次官だったキレーサパハーナ アーナンダとパートナーになったようだ。
 キレーサパハーナは早坂武禮というペンネームで「オウムはなぜ暴走したか。-内側からみた光と闇の2200日-」という本を1998年に著している。
○著者プロフィール(http://www.oumu-bousou.net/contents.html
1963年静岡県に生まれる。
業界紙記者を経てフリーライターとして活動。
1989年6月にオウム真理教に入信し、2年後の1991年3月に出家を果たす。
翌年4月から「師」と呼ばれる中堅幹部として活動し、「広報局長」「自治省次官」などを務める。
1995年3月の大騒動を機に、同年6月、脱会。
 何より、著書のサイトには「NHKスペシャル「未解決事件『オウム真理教』」でも本書が取り上げられます。再現ドラマにも役者が演じる早坂夫妻が登場します。」と書かれているので、深山織枝のモデルは宮本公恵で間違いないと思う。
 この本は2000年に絶版になったが、来月から電子書籍として発売される予定とのこと。これまでメディアの取材を受けていなかった宮本公恵がNHKの取材を受けたのはこの本の宣伝という意味合いもあるのだろう。
 
 
 第3部「オウムVS警察 知られざる攻防」では警察関係者が登場し、数々の兆候を掴みながら、もう一歩踏み出せず、オウムの暴走を止められなかったことを悔悟する。踏み出せなかった理由を色々と語るが、歯切れが悪い。
 オウム事件以前は信教の自由が絶対視されて、宗教団体に下手に手を付けると各方面から袋叩きに遭う雰囲気だった。だから、宗教団体が様々なトラブルを起こしても大々的に警察権力が介入することは無かった。積極的に警察が動けなかったのは社会からの批判を恐れて躊躇したという面が大きかったからではないだろうか。
 また、第3部には上祐史浩も登場し、教団の武装化は90年の熊本県波野村の土地取得が始まりと証言する。教団武装化の拠点を作り、軍事兵器を開発しようとしていたが、国土利用計画法違反事件で強制捜査が入ったため、拠点を上九一色村に移したとのことだった。サリン製造計画についても上祐は当初から知っていたが、ポアされることを恐れて協力することにしたという。
 オウムは1990年2月の総選挙で麻原を含む立候補者全員が落選し、この3ヵ月後に波野村の土地を取得している。このことから考えると、オウムが武装化に走ったのは選挙で惨敗したことが原因だったと思われる。惨敗が麻原のプライドを酷く傷付け、平和的手段による権力奪取から武力による権力奪取に向かわせたのだろうか。
 
 
 この番組は番組紹介で「世界初の化学テロ『サリン事件』がなぜ起きたのか明らかにする。」と書いている通り、サリン事件だけに焦点を当て、ほかのオウムの事件にはほとんど触れていない。サリン事件はオウム事件の一部にしか過ぎず、オウム事件全体を解明する内容ではなかった。全容解明には膨大な放送時間を要する為、サリン事件に絞ったのかもしれないが、「実録ドラマとドキュメンタリーで徹底検証し、未来へのカギを探るシリーズ」と銘打つからには麻原の生い立ち、ロシア北朝鮮、覚せい剤、炭そ菌、銃密造、その他諸々についても扱って欲しかった。
 それなりに面白かったが、file.01のグリコ・森永事件が良かっただけに、残念。

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『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?
http://ameblo.jp/ommanipemehum/
GOD  FORSAKEN  WRETCH
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/god.htm
アレフ
http://freett.com/emon/aum/kouhou.htm
 

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昭和65年の1万円硬貨

 茨城県で建築作業員の47歳の男が1万円記念硬貨の模造品を使い、詐欺容疑で逮捕された。模造硬貨は上部に孔が開き、昭和65年と打刻されていたという。
 
 プレス加工で作られているようだが、文字にシャープさが無く、「日本国」の文字が傾き、「10000」の文字も無理矢理入れた感じで、作りが雑な印象だ。玩具のコインに作りが似ている感じがする。
 
 どの記念硬貨を模造したのであろうか。調べてみると、1万円記念硬貨は「天皇陛下御在位60年記念」「長野オリンピック記念(第1次)」「長野オリンピック記念(第2次)」「長野オリンピック記念(第3次)」「天皇陛下御在位10年記念」「2002FIFAワールドカップ™記念」「2005年日本国際博覧会記念」「天皇陛下御在位20年記念」の8種類あり、「天皇陛下御在位60年記念」だけが銀貨で他は金貨であることが分かった。
 
 見比べてみると、模造硬貨はどの1万円記念硬貨にも似ていない。そこで、模造硬貨のデザインに似ている硬貨を探してみると、昭和51年発行の「天皇陛下御在位50年記念 100円白銅貨」の表の図柄と模造硬貨の表の図柄が酷似しているのを発見した。たぶん、この天皇陛下御在位50年記念硬貨を見本にして模造硬貨を作ったのだろう。
 
 

 模造硬貨を製造した目的は何だろうか。実存する1万円硬貨に似せて作られていないので、偽造通貨を流通させる目的ではないのは確かだ。上部に孔があること、存在しない昭和65年と打刻されていること、金型を用いてプレス加工で作られていること(金型は高価なため、非常に多くの枚数が製造されたと推測される)を考えると、この模造硬貨はキーホルダー等に付けられ、ジョークグッツとして売られていた可能性が高いと思う。
 建築作業員はこの模造硬貨を何処から入手したのであろうか。もし、1枚しか所持していなく、取調べで「家にあったので、本物の記念硬貨だと思い使用した。」と答えているなら、罪に問うのは難しいかもしれない。
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記念貨幣一覧
http://www.mint.go.jp/data/kinen/index.html
 

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喜左衛門井戸

 先日のエントリ「史上最高額の絵画」でポール・セザンヌの「カード遊びをする人々」が2億5000万ドル(200億円)以上で取引されていたと書きました。有名画家の絵画とはいえ所詮は絵、ジェット旅客機(400席規模)1機と同等の価値があるとは庶民には思えませんが、億万長者にとってはそうではないのでしょう。一説によると、カタール王室の総資産は380億ドル位らしいですから、総資産の1%以下を1枚の絵画に換えたことになります。総資産1000万円の人が7万円の絵を買う感覚と同じなのかもしれません。まあ、金持ちの気持ちは分かりませんが。
 カタール王室は投資の一環なのか、セザンヌコレクターなのか、購入の動機は測りかねますが、自分の命より大事とは思っていないでしょう。しかし、過去には自分の命より美術品を大切にした人もいました。
 
 江戸時代初期の慶長の頃、大阪に竹田喜左衛門という裕福な町人が名物の茶碗を所有していました。喜左衛門は茶の湯道楽が過ぎたのか、身代を潰し、一家離散の後、京都島原の遊女屋の下働きに身をやつしてしまいます。没落したことにより、収集した茶道具は手放しましたが、唯一この茶碗だけは手放しませんでした。売れば、大金が手に入るのですが、喜左衛門はこれを袋に入れて首に掛け、肌身離しませんでした。やがて、体中に腫物ができ、この茶碗を抱きしめながら亡くなります。(没落した塘氏の逸話が喜左衛門に置き換えられたとする説もあります)。
 この茶碗は喜左衛門の没後、本多能登守忠義に渡り、1634年に本多氏から泉南の中村宗雪に譲られます。1751年には塘氏の所蔵となりました。安永年間(1772~81年)には松江藩7代藩主の松平治郷(号は不昧)が京都の道具商の山越利兵衛から家臣たちの反対を押し切って550両で購入しました。家臣が反対した理由は「この茶碗を手に入れた者には腫物に罹る」との噂があったためです。正室のシズ(靑に彡)楽院は使わぬよう嘆願し、不昧は眺めるだけでしたが、噂どおり、不昧は腫物に取り付かれます。正室は手放すように勧めましたが不昧は惜しみ、息子の月潭に譲るに止めました。すると、月潭が腫物に罹ります。ここに至り、正室はこの茶碗を京都大徳寺孤篷庵に寄進させました(1822年)。それから、現在に至るまで孤篷庵が所蔵しています。
 
 この茶碗の名称は「井戸茶碗〈銘喜左衛門〉」ですが、「喜左衛門井戸」、「本多井戸」とも呼ばれます。大井戸茶碗の代表作とされ、1951年に国宝に指定されています。ちなみに、8つある国宝の茶碗の内の1つで、井戸茶碗ではこれだけです。
◆「井戸茶碗〈銘喜左衛門〉」
製作国 :朝鮮
製作年代:李朝
寸法  :高さ9.8cm 口径15.4cm 底径5.3cm
形状  :やや開き気味に立ち上がった形姿で、内外にかかった釉薬は枇杷色をした長石と土灰の混合釉。高台から高台際にかけてカイラギ(梅花皮:釉薬の縮れのこと)がある。胴の一部に漆繕いが見られる。見込みが深く、底部が薄い。
 
 井戸茶碗とは李朝中期に朝鮮で焼かれた高麗茶碗の一種で名物手(大井戸)、小井戸、小貫入、青井戸などに分類されます。中でも、大井戸は特に重視されました。「井戸」の名の由来は秀吉の家臣、井戸覚弘が朝鮮から持ち帰ったとも、単純に井戸のように深いからだとも言われ、定説は無いようです。
 「一井戸、二楽、三唐津」と言われるように、井戸茶碗は茶碗の中でも別格とされていました。本来、茶の湯用として作られたものではなく(そもそも朝鮮では茶道の風習が無かった)、朝鮮で日常雑器として使われていた物を桃山時代の茶人が讃美し、抹茶茶碗に見立てて珍重したそうです。
 
 喜左衛門井戸は古来より高麗茶碗の最高峰と評価されているそうです。何がそんなに良いとされているのか調べていると、次のような文章がよくヒットしました。
 「慶長の頃大阪の町人竹田喜左衛門といふ者所持しが故に名あり。又本多能登守忠義に傳りて、本多井戸とも云ふ。
大正名器鑑より
 高麗茶碗の良さというか、味わいというものは井戸茶碗に尽きるといわれています。ということは、茶人たちが高麗茶碗に求めた美しさは、井戸茶碗のような作振りのもの、即ち飾り気のない素朴な姿、全く華美でない渋い落ち着きのある釉色、そして一つの姿として茶碗を観るとき、茫洋とした大きさと、捉えどころのない風格が感じられる茶碗ということになります。それは正に大井戸茶碗の姿であり、「喜左衛門」はその全てを備えた茶碗といえます。
 伸び伸びとしたこだわりのない姿、中央が竹の節のような高台がしっかりと受けているのが印象的ですが、その伸び伸びとしたロクロ目は、井戸茶碗の最大の特色であり、竹節状に削り出された高台も、節立っているがために、全体の姿を引き締まったものにしていることから、やはり大きな見所の一つに挙げられています。釉は灰褐色のいわゆる井戸の枇杷色釉と呼ばれる釉薬が厚く掛かり、高台廻りは梅華皮(かいらぎ)状に縮れています。このかいらぎはそれこそ見方によっては不潔な感じをもたせますが、全体の渋く静かな色感の中に、唯一つの激しい景色であるといえ、茶人はそうした変化に目を着けたのでしょう。」
 それで、大正名器鑑(大正から昭和にかけて茶道振興に尽力した茶人・高橋義雄<箒庵>による茶入・茶碗の図録)を国立国会図書館デジタル化資料で読んでみると、「慶長の頃~本多井戸とも云ふ。」の部分は確かにありました。しかし、「高麗茶碗の良さというか~目を着けたのでしょう。」の部分はありませんでした。この部分の原典となる書籍があるのでしょうか。それとも、ネット上に誰かが書いた文章がコピーされて広まったのでしょうか。
 閑話休題。喜左衛門井戸の良さは、その素朴さにより侘び茶を具現化していると考えられているところにあるようです。作ろうと思って作られた茶碗ではないために作者の作意を感じさせず、「無作為の美」があるというのです(このような評価は柳宗悦<朝鮮美術にも造詣が深い昭和の思想家>が唱え、世に定着したようです)。つまり、人為的なものを排除した、「あるがままの自然が一番美しい」とするということなのでしょう。喜左衛門井戸を良しとする美意識の根底には無為自然が良いとする老荘思想があるのかもしれませんね。
 
 喜左衛門井戸は一般に「何がいいのかサッパリ判らない」と呆れさせる物の代表格なんだそうです。確かに、喜左衛門井戸の写真を見たら、年月の重みのようなものは感じますが、美しいとは感じません。国宝の肩書があるから一目置きますが、もしなければ、歪んで釉薬もまともに掛かっていない、古ぼけた茶碗にしか見えません。「素人が作った失敗作」と言われれば、納得してしまいそうです。多くの人もそう感じるのではないでしょうか。
 仮に、この茶碗が民家の納屋あたりに捨て置かれていたとしても、現代の茶人は最高の茶碗と評価するのでしょうか。
 茶の湯の心得が無い者には、古の高名な茶人が高く評価したので、後代の茶人達はこれを美しい物だと思い込もうとして理屈をこねているように思えるのです。しかしながら、美意識というのは多分に後天的なものでしょうから、それはそれで良いのかもしれません。
 それでも、「無作為の美」という解釈には違和感を覚えます。喜左衛門井戸の作者には上手に作ろうとか、美しい物を作ろうとかという気概は無かったのかもしれません。けれども「茶碗を作る」という明確な意思がありました。この「作る」という意思を否定できないため、「無作為の美」は成り立たないと思えるのです。「無作為の美」が至高の美だとするなら、雨垂れでえぐれて茶碗の形になった自然石が最高の茶碗ということになりませんか。
 だからといって、喜左衛門井戸の価値を否定するつもりはありません。美しいかどうかは別にして、喜左衛門井戸には歴史的価値があると思うからです。それが国宝に値するものなのかは門外漢には分かる筈もありませんが、数世紀も前から歴史に登場し、珍重され続けられた事だけでも凄いことではありませんか。

 

 ネットで喜左衛門井戸のことを調べていたら、女子高生がこの茶碗でお茶漬けを食べたことがあるとのエピソードを見付けました。このエピソードについて更にリサーチすると、どうやら、陶磁器修復師の甲斐美都里さんが著書の「古今東西―陶磁器の修理うけおいます」の中で、高校生の頃に大徳寺の僧侶と顔なじみになり、国宝の茶碗でお茶漬けをご馳走になったと告白しているようなのです。
 立命館大学校友会報「りつめい」No.210にも甲斐美都里さんが自ら「大徳寺を庭のようにして過ごし、とある塔頭では国宝の茶碗で茶漬けを食べたこともある。初めて見て触った金継ぎは、この茶碗のものだった。」と書いています。大徳寺が関係する国宝の茶碗は喜左衛門井戸と燿変天目茶碗(竜光院所蔵)の二つ。繕いがあるのは喜左衛門井戸の方ですから、「喜左衛門井戸でお茶漬け」というのは本当のことらしいです。
 甲斐美都里さんは1975年に立命館大学を卒業していますから、高校生の頃は70年前後でしょうか。今から40年程前に国宝の茶碗でお茶漬けを食べた人がいたのですね。「茶道具は使ってこそ生きる」と聞いたことがありますが、お茶漬けに使うとは何と大胆な。喜左衛門井戸には腫物の祟りがあると言い伝えられていましたが、甲斐さんは腫れなかったのでしょうか。もしかしたら、胸が腫れて巨乳になったなんていうことは・・・ないか。余計なことを書きました。

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国宝・重要文化財(美術品)
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=312
喜左衛門井戸
http://www.bijyutsu.jp/dictionary/%E8%8C%B6%E9%81%93%E7%94%A8%E8%AA%9E/%E5%96%9C%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E4%BA%95%E6%88%B8/
古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 か行
http://kokaratu.com/kokaratu/kokaratu-yougo/kokaratu-yougo02-ka01.html
大正名器鑑. 第7編
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1014994/9
古今東西―陶磁器の修理うけおいます
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E2%80%95%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%BF%AE%E7%90%86%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99-%E7%94%B2%E6%96%90-%E7%BE%8E%E9%83%BD%E9%87%8C/dp/412003254X/ref=ntt_at_ep_dpt_1
「古今東西―陶磁器の修理うけおいます」 甲斐美都里
http://www.min6.com/2004/02/22124350.php
校友会報「りつめい」No.210
http://alumni.ritsumei.jp/report/pdf/210.pdf
ユスタ・ルフィナ
http://homepage2.nifty.com/justa-rufina/index.htm
 

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猫ひろしの例は他の帰化選手の場合と本質的に異なる

 国際陸上競技連盟により参加資格を満たしていないと判断され、カンボジア代表に選ばれていた猫ひろし氏のロンドンオリンピック出場は断たれた。国籍変更後1年間は国際大会に出場できないとの規則に違反していると判断され、特例措置も認められなかった模様だ。良識的な判断だと思う。
 カンボジア・オリンピック委員会は「早急に人選をし、別の選手を派遣する」との意向を示している。猫ひろし氏の記録より6分53秒速い記録を持つカンボジア最高の長距離ランナーのヘム・ブンティン氏はカンボジア五輪委員会と対立し、代表チームから外されているが、実力を基準にして選手選考が行われることが望まれる。

 

 猫ひろし氏がカンボジア代表に選出された後、ネット上を中心に強い批判の声が上がった。これに対して、陸上選手の為末大氏は世界的にみれば、国籍変更してオリンピックの出場する選手は大勢いるとコメントしていた。
 確かに、裕福な中東の国がアフリカ出身の有望選手を買い集めてメダルを取得しようとする行為は実際にある。国威発揚目的ではなくとも、オリンピック出場のために選手自ら国籍変更する場合もある。例えば、アメリカ国籍を取得してトリノオリンピックに出場した井上怜奈選手やバンクーバーオリンピックにロシア代表として初出場した川口悠子選手がいる。彼女達は猫ひろし氏と同じく日本国籍を放棄して、他国の代表になった。
 しかし、これら帰化選手と猫ひろし氏は本質的に異なる。帰化選手は参加標準記録を突破して自らオリンピック出場枠を取得したりするのに対し、猫ひろし氏は参加標準記録を突破出来ずに特例枠で出場しようとしていた。つまり、帰化選手はオリンピックで戦うに相応しい実力を備えているが、猫ひろし氏は相応の実力が無いのである。ここが決定的に違う点だ。
 クーベルタン男爵は「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と言ったが、猫ひろし氏の例を認めるとオリンピックを舞台にした不正を助長しかねない。IOCにとっては「メダルをカネで買う」行為より「出場枠をカネで買う」行為の方が問題は大きいのではないか。
 
 猫ひろし氏は2010年12月にカンボジアでのハーフマラソンで3位になったことが評価され、同国政府などから国籍を変更した上での五輪挑戦の打診を受けたため、カンボジア国籍を取得したとしているが、国籍取得方法を明らかにしていない。カンボジアの国籍を取得するには以下の条件がある。
********************
<主な条件>
1)同国に7年以上継続して居住し、クメール語、歴史を理解していること
2)カンボジア国籍を持つ者と3年以上婚姻関係がある
<その他>
3)カンボジアの産業に約2500万円の投資、もしくは同国に約2000万円を現金で寄付した場合
4)同国に特別な功績や利益をもたらすとみなされた場合
 上記3、4に関しては1と2は免除される。
********************
 猫ひろし氏の場合はたぶん3の条件の中の「約2000万円を現金で寄付した場合」を満たして、国籍を取得したのだろう。それが一番、確実で無難だ。
 

 そもそも、第15回アンコールワット国際ハーフマラソンで3位になったくらいでカンボジア五輪委員会が国籍を変更して同国のオリンピック代表になってくれとお願いするものだろうか。このハーフマラソンのタイムは1時間15分59秒で、この年の東京マラソンのタイムは2時間55分45秒だった。一般人としてなら速いかもしれないが、競技者としては遅い。カンボジアが帰化選手を使ってオリンピックマラソンの上位を狙うなら、全くの力不足だ。カンボジア五輪委員会が態々、猫ひろし氏を代表にする意味は無い。
 もっと速いマラソン選手がいくらでもいるにも拘らず、何故、猫ひろし氏に白羽の矢を立てたのか。真相はカンボジア側が頼んだのではなく、猫ひろし氏側がカンボジアに働きかけたのであろう。あまり売れていない一芸人に過ぎない猫ひろし氏が人脈もありそうにも無いカンボジアに自ら売り込んだとは思えなく、多額の金銭も動いたと推測されることからも考えづらい。よって、影でプロデュースしていた者達がいると考えるのが順当だろう。猫ひろし氏をオリンピック選手に仕立てて、一儲けを企んでいたのだろう。
 不出場が決定し、プロジェクトは白紙になった。担いでいた者達はこれから如何するのであろうか。猫ひろし氏は今後如何するのであろうか。国籍をカンボジアから日本に戻し、芸人ランナーとなるのか、それとも、カンボジア国籍ままでリオデジャネイロオリンピックを目指すのか、どちらにしても自分独りでは決められまい。関係者と相談して今後の活動方針を決めることになると思う。
 もし、あくまでオリンピック出場に固執するなら、2年後のソチオリンピックを目指してはいかがか。冬季オリンピックならカンボジアの中に競合する選手はいないだろうから、揉めないはずだ。持久力を活かして、クロスカントリーは如何だろうか。

/////////////////
 国籍変更時、「猫ひろし改めチュマールひろしでした。ミャー。」と言っていたので、カンボジア風に改名したのかと思いきや、本名は瀧﨑邦明のままだったのね。

/////////////////
猫さんの五輪、幻に…国際陸連が出場認めず
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/track/marathon/1/20120508-OYT1T01624.htm?from=top
猫ピンチ!ブンティンが抜いた/マラソン
http://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/f-sp-tp0-20120415-934708.html
コメディアンに奪われたカンボジア人選手の五輪の夢
http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/athletics/2876127/8895424?utm_source=google&utm_medium=news&utm_campaign=recommend-rss
【激怒】猫ひろしの「カンボジア代表として全力で走る」発言に怒り / 日本国民「走るな出るな帰ってくるな日本の恥」「最低のクソやろう」
http://rocketnews24.com/2012/05/08/210232/
英国版“猫ひろし論争” 五輪代表1割が海外出身者
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120425/erp12042521320004-n1.htm
「世界では国籍変更ごろごろ」 為末大の猫ひろし問題解説が論議
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120416/JCast_129125.html
猫ひろし、中東、英国……国籍変更で問われる問題点
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/athletic/text/201204110002-spnavi.html
 

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史上最高額の絵画

 5月2日、ニューヨークのサザビーズでムンクの代表作「叫び」がオークションにかけられ、1億1992万2500ドルで落札された。競売にかけられた絵は4枚存在している「叫び」のうち、ノルウェーの実業家が個人で所有していたもの。

「叫び」
 
 テレビや新聞の多くのニュースではこれまでの美術品の最高額(2年前に1億650万ドルで落札)だったピカソ作「緑の葉と裸婦」を抜き、史上最高額になったと紹介している。
 
「緑の葉と裸婦」

 

 本当に史上最高額なのだろうか。実は先月、セザンヌの「カード遊びをする人々」が絵画の中で最も高価な作品になったとのニュースがあったのだ。カタール王室が2011年に2億5000万ドル以上で買っていたそうだ。
 それで、「世界で最も高価な絵画」で検索してみると、ムンクの「叫び」は5位とのことだった。史上最高額というのは取引額が過去最高ということではなく、ポロックの「No.5」が1億4000万ドルで落札されていることから、「サザビーズ競売で落札された美術品の中では史上最高額」ということではなかろうか。誤報の原因はサザビーズの説明が間違っていたのか、サザビーズの説明をよく理解していなかったのか、分からないが、よく確かめずに安易に報道してしまったことが一番の原因だろう。
 ちなみに、ベスト10は次の通り。
 1位:「カード遊びをする人々」ポール・セザンヌ 2億5000万ドル以上
 2位:「No.5」ジャクソン・ポロック 1億4000万ドル
 3位:「Woman Ⅲ」ウィレム・デ・クーニング 1億3750万ドル
 4位:「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅰ」グスタフ・クリムト 1億3500万ドル
 5位:「叫び」エドバルト・ムンク 1億1992万2500ドル
 6位:「緑の葉と裸婦」パブロ・ピカソ 1億650万ドル
 7位:「パイプを持つ少年」パブロ・ピカソ 1億420万ドル
 8位:「8人のエルビス」アンディ・ウォーホル 1億ドル
 9位:「ドラ・マールの肖像」パブロ・ピカソ 9520万ドル
10位:「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅱ」グスタフ・クリムト 8790万ドル
※取引額はおおよその金額。
 
 1位の「カード遊びをする人々」は円換算(1ドル=80円)すると200億円以上、10位の「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅱ」でも70億円以上になる。
 20年以上前(バブル絶頂期)、大昭和製紙名誉会長だった齊藤了英氏がゴッホの「医師ガシェの肖像」を当時の史上最高落札額の8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で競り落とした時は高額過ぎるなどと色々と言われたが、更に絵画の価格が高騰していたようだ。
 
 最高額の「カード遊びをする人々」には同じ名称の絵が5枚ある。カタール王室が購入したのはギリシャの富豪のジョージ・エンリコスが所蔵していた物だ。他の「カード遊びをする人々」はバーンズ財団、メトロポリタン美術館、オルセー美術館、コートールド美術館1枚づつ所蔵している。
 
バーンズ財団所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
メトロポリタン美術館所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
オルセー美術館所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
コートールド美術館所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
カタール王室所蔵「カード遊びをする人々」
 
 ムンクの「叫び」がオークションにかけられた同日、クリスティーズではこの「カード遊びをする人々」の5点の習作(水彩画)が競売にかけられ、1912万2500ドル(約15億3千万円)で落札された。本作の約8%の価格だ。1点当たりにすると約382万ドルで本作の1.5%になる。本作を描く為に描かれた習作に付けられる価格として妥当なものなのだろうか。本来なら用が済めば必要なくなり、捨てられていてもおかしくない物だ。美術品としての価値は低い。ポール・セザンヌの名が無ければ、誰も買わないだろう。
 
「カード遊びをする人々」習作
 
 セザンヌの習作を15億円で購入する人がいるとおもえば、片や尖閣諸島を同程度の金額で購入しようとしている知事がいる。描きかけの絵5枚と尖閣の3島が同じ価値とは。世の中の不合理を感じる。
 
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ムンクの「叫び」、史上最高の96億円で落札 ニューヨーク
http://www.cnn.co.jp/fringe/30006459.html
ムンクの「叫び」、最高額の96億円で落札
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120503-OYT1T00317.htm
ムンク「叫び」に史上最高額=米
http://jiji.com/jc/p?id=20120503124808-2514753
セザンヌ「カード遊びをする人たち」 世界で最も高価な絵画に
http://japanese.ruvr.ru/2012/02/04/65316336.html
世界で最も高額な絵画ベスト20
http://matome.naver.jp/odai/2133510061909623301
2008年度版世界で最も高価な絵画トップ15
http://gigazine.net/news/20081126_15_most_expensive_paintings/
The 15 Most Expensive Paintings in the World
http://stylecrave.com/2008-11-24/the-15-most-expensive-paintings-in-the-world/
これぞ芸術…史上最高額で取引された絵画ベスト20
http://labaq.com/archives/51741274.html
「都が購入」尖閣諸島の値段 3億から350億まで試算が乱れ飛ぶ
http://www.j-cast.com/2012/04/20129784.html?p=all

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北海道の国宝、中空土偶

 天皇、皇后両陛下がご覧になった屏風絵。
 
燕子花図屏風
 

 
八橋図屏風
 
 燕子花図屏風は国宝に指定されていて、誰でも一度は美術の教科書などで見たことがあると思います。
 
 これを機会に国宝について調べてみたら、国宝は1082件(美術工芸品886件、建造物216件)あることが分かりました。意外と多く存在しているのですね。
 こんなに多数あるのに、北海道には1件しかありません。国宝とは「美術、工芸、書跡・典籍、考古資料、歴史資料、建造物など国が指定する重要文化財のうち,とくに製作がすぐれ、学術的価値が高いもの、かけがえがなく歴史上きわめて意義が深いもの」だそうですから、歴史のメインストリームから外れていた北海道に国宝が少ないのは当然かもしれません。
 それでも、重要文化財なら時計台を初め、数十件あったのですが、5年前まで国宝はありませんでした。しかしながら、平成19年、ようやく1件国宝が誕生しました。その国宝は中空土偶「茅空(カックウ、中空土偶の愛称)」です。
 
中空土偶
 
 この中空土偶は縄文時代(約3300年前)に制作されたもので、昭和50年に函館市(当時は南茅部町)で偶然発見されました。穏やかな表情、美しいボディライン、精巧な幾何学模様などから、「北の縄文ビーナス」とも呼ばれています。特徴は大きさ、文様構成、技巧の3点だそうです。
●大きさ
 中空土偶としては国内最大級(高さ41.5cm、幅20.1cm、重さ1745g)で、頭の飾りと両腕が失われていますが、ほぼ完全な形。
●文様構成
 三角、ひし形、丸など様々な細かな文様が組み合わされていて、当時の芸術性の高さを表しています。
●技巧
 空洞の土偶制作は難しい上、薄作り。
 
 実はこの中空土偶、Web上で話題になったハコダテ観光ガイドCM「イカール星人」に「謎のエネルギー体 中空土偶」として登場しています。 
 

 

 


 他にも下記のハコダテ観光ガイドには「イカール星人」の動画がありますので、ご興味のある方はどうぞ。

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文化財指定等の件数
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/shitei.html
あなたのテーマでディープな函館 「縄文」
http://www.hakobura.jp/deep/2011/06/101.html
ハコダテ観光ガイド MOVIES
http://www.ika-r.com/movie/index.html
 

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