六丈記2

備忘録のようなもの

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亀岡事故でのマスコミの無分別な振る舞いに医師が激怒

 4月23日に無免許少年が起こした事故(4月25日エントリの事故)で、被害者の小谷真緒(7)さんが但馬救命救急センターに搬送されたところ、マスコミが殺到し、病院側と被害者家族に迷惑が掛ったと但馬救命救急センターのブログが明かしている。ブログは当日の夜にセンター長が書いており、タイトルの「マスコミの人間に心はあるのか」からも分かるとおり、マスコミに対する怒りに満ちていて、我慢がならなかった様子がうかがえる。
 
 最初は以上のように読売、毎日、朝日の3社の具体名が入っていたが、後で以下のように「マスコミ各社」と変更され、追記が加わった。
 
 

 変更された経緯を取材したJ-CASTニュースによると、新聞社から事実と異なると抗議を受けてセンター長自らが訂正したとの事。個人名を出してもよいとも書かれていたのに、訂正したのはどの様な抗議を受けたためであろうか。
 3社の言い分と訂正前のブログの主張を箇条書きで書き出してみる。
◇訂正前のブログ
●院内や病院敷地内に勝手に入り込むマスコミには取材の許可を出さない。
●取材拒否の旨を伝えている。
●読売、毎日、朝日新聞などの各社の記者たちが霊安室前で帰宅する遺族を撮影。
◇朝日新聞
●女児が救命救急処置中だったので病院内で静かに待機。
●駆けつけた女児の両親にも声はかけなかった。
●センター側から退去を求められ、立ち退く。
●女児死亡時にセンターを通じて両親に取材の認否を確認。
●両親が拒否したため、取材をあきらめた。
●両親が病院から帰る2時間半前には、すでにセンターにはいなかった。
◇読売新聞
●病院の許可を受けて、病院幹部立ち会いのもと待機していた。
◇毎日新聞
●病院側責任者の立ち会いの下、取材。
●指示に従って取材。
 
 3社の言い分からブログの3つの主張に沿って、分かりやすいように整理する。
◇院内や病院敷地内に入り込む許可はあったか
朝日:許可を受けていない。
読売:病院の許可有り。
毎日:病院の許可有り。
◇病院での取材は拒否されていたか
朝日:拒否されていた。
読売:不明。
毎日:拒否されていない。
◇霊安室前で撮影したか
朝日:撮影していない。
読売:不明。
毎日:不明。あったとしても、許可されていた。

 全ての記者が病院側から同じ対応を受けていた訳ではないようだ。但馬救命救急センターの財務課では「ブログの内容と病院が把握している事実関係とは違う点がある」としているため、センター長が取材認否の対応をしていたにも拘わらず、病院幹部が一部の記者に対し、取材を認めていた可能性が高い。
 
 「霊安室だけではなく,処置室前,敷地内含めての記載内容です」と追記されていることから察するに、霊安室前では撮影していないと抗議を受けたのであろう。翌日のエントリ(4月24日「明日は」)にも「表現の仕方で朝日,読売,毎日新聞が撮影していたという誤解を招いたことは改めて訂正をいたします」と書いてある。3社については霊安室前での撮影は無かったのかもしれない。
 
 訂正後、毎日は「ブログの弊社に関する部分は24日午後に書き換えられており、但馬救命救急センターも誤解の記述だったと認識したものであると理解しております」とコメントし、これ以上の対応を求めない様子だが、朝日と読売は病院に更なる対応を求めている。読売はどの様な要求をしているか不明だが、朝日は「記者がその場にいなかったと、ブログをきちんと訂正してほしいと思っています。センター側には、名誉を回復するように申し入れています」と要求をしている。
 朝日の要求は正当なのだろうか。朝日の言い分をまとめると、「無許可で侵入したが遺族には取材していなし、霊安室前でも撮影していない。ただし、取材活動のために病院側に働きかけはしていた。」ということだ。これで、朝日の記者の名誉を回復をしろと要求するのはおこがましい。それに、「記者がその場にいなかった」と訂正して欲しいというのは、「朝日の記者が病院にいなく、無関係」と思わせたいのであろう。卑しさが透けて見える。
 救命救急センターの財務課は訂正要求に対して「内部で調整中ですので、何とも申し上げられません」と答えている。もし、朝日が執拗に訂正要求するのであれば、「朝日の記者は霊安室前では取材していないが、無許可で病院内に侵入していたため退去させるも、己の取材のために多忙な病院側を煩わせた。」と正確に書いてやればいい。
 
 センター長は翌日のエントリに「院内,処置室前,敷地内を含めた注意喚起が聞き入れられないほどの取材や,他マスコミ各社の霊安室前の無断撮影があったことは事実であり,ルールを無視した過剰な取材に対する抗議の気持ちは変わりありません」とも書いている。多くの記者が功名心にはやって注意を無視し、病院の仕事を妨げたのは事実だろう。「マスコミの人間の心は腐っているか」と書かれ、大きな話題になったに拘わらず、読売、毎日、朝日の3紙のサイトにはマスコミが病院で騒動を起こしたという記事は見当たらない。間違っていると抗議する前に己の行動を反省したらいかがか。心が腐っているから自省など出来ないか。

////////////////////////////////
TECCMC's BLOG(但馬救命救急センターのブログ)
4月23日 マスコミの人間に心はあるのか
http://teccmc.blogspot.jp/2012/04/423.html
4月24日 明日は
http://teccmc.blogspot.jp/2012/04/424.html

 

亀岡事故、行き過ぎた取材だったのか 病院「心が腐っている」vs新聞社「事実誤認、訂正を」
http://www.j-cast.com/2012/04/24130185.html?p=all

 

京都18歳少年の無免許運転事故 搬送先救急センター「マスコミが霊安室前にカメラをかまえ家族を無断で撮影」と訴える
http://getnews.jp/archives/196709
京都18歳少年の無免許運転事故 搬送先救急センターのコメントに対してマスコミ各社が「事実誤認」と反論
http://getnews.jp/archives/197315

 

京都・亀岡の車暴走:言葉失う住民 「何とか助かって」
http://mainichi.jp/area/news/20120423ddh041040004000c3.html
◇搬送された方々(敬称略)
 大阪大付属病院 小学3年、横山奈緒(8)=重体
 公立豊岡病院 同2年、小谷真緒(7)=重体
 京都第一赤十字病院 同1年、西田琉輝(るき)(6)=重体▽松村幸姫(ゆきひ)(26)=重傷▽同5年、寺口結菜(ゆいな)(10)=重傷▽同3年、寺口歩璃(あゆり)(8)=軽傷
 公立南丹病院 同1年、吉村和月(かづき)(6)=重傷
 京都第二赤十字病院 同1年、松村蒼愛(そあら)(6)=重傷
 洛西シミズ病院 同3年、吉村花音(かのん)(8)=軽傷▽同3年、小谷愛奈(えな)(8)=軽傷
 

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無免許少年、結果の重大性と犯行の悪質性

 4月22日の午後から23日の午前にかけて、無免許少年の運転による事件が立て続けに起きた。二つの事件の概要は次の通り。
 
◆札幌の事件
発生日時 :4月22日午後4時25分頃
発生場所 :北海道札幌市
加害者  :アルバイトの少年(17)無免許
加害者前歴:不明
同乗者  :女性
被害者  :高橋幸希巡査長(25)全身打撲で10日間の軽傷
容疑   :殺人未遂と道交法違反(信号無視)
車種   :トヨタセルシオ(所有者不明)
事件の状況:信号無視をした車を警察官が職務質問し、エンジンキーを抜こうとしたら、急発進。ドアにつかまった警察官を引きずったまま約400メートル走行し、電柱に衝突。警察官が振り落とされ、怪我。事故を起こしながらも車は逃走、15分後に近くの路上で発見される。
逮捕状況 :2日後に逮捕
供述   :「無免許と信号無視で捕まるのが嫌だった」
 
◆亀岡の事件
発生日時 :4月23日午後4時25分頃
発生場所 :京都府亀岡市
加害者  :無職少年(18)無免許
加害者前歴:2年前にバイクの無免許運転
同乗者  :大学生の少年(18)と専門学校生の少年(18)、共に無免許
被害者  :小谷真緒さん(7)と、松村幸姫さん(26)が死亡。他に児童2名が重体、児童3名が重傷。児童3名が軽傷。
容疑   :無職少年が自動車運転過失致死傷と道交法違反(無免許運転)。大学生と専門学校生が道交法違反(無免許運転)ほう助
車種   :スズキワゴンR(所有者は別の友人の少年)
事件の状況:22日夜から京都、亀岡付近を一睡もせずにドライブ(供述)。集団登校中の小学生ら10人の列に後ろから突っ込み、多数を跳ね飛ばす。
逮捕状況 :現行犯逮捕
供述   :「居眠り運転をしていた」「事故を起こすまで一睡もしていない」

 
 亀岡の事件は起こした結果は重大だが、自動車運転過失致死罪(上限懲役7年)より刑の重い危険運転致死罪(上限懲役20年)を適用するのは難しいらしい。
 危険運転致死傷罪の構成要件の一つに無免許運転があるが、無免許であっても運転技能を有しているとあたらない。少年は長時間運転していたため、技能があったとみなされる可能性が高い。また、危険運転致死傷罪は故意を認定しなければならないが、居眠り運転では過失にしかならない。
 
 亀岡の事件に比べ、札幌の事件は警察官が軽傷を負っただけであるが、未必の故意が認められるのは明らかで、殺人未遂罪(上限死刑、未遂減免なし)が適用されるのは確実だ。
 
 どちらも未成年の起こした事件で成人の場合と違うため、実際の裁判がどの様な経過を辿り、どの様な結果になるか分からないが、どちらも刑事処分が科せられる可能性が大きいと思う。結果の重大性では亀岡の事件の方が、犯行の悪質性では札幌の事件方が大きい。どちらがより重い刑罰を課せられるであろうか。どちらがより重い刑罰を受けるべきであろうか。

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車で警官400メートル引きずり…無免許の17歳逮捕
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/04/24/kiji/K20120424003114760.html

職質の警察官 400メートル引きずられる…
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/04/22/kiji/K20120422003103700.html

亀岡の事件のDQNを特定するスレ まとめWiki
http://www33.atwiki.jp/kameoka/
 

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遭難した中国人が救出した海保を訴える

 よもぎねこ♪さんのブログ(中国人を助けてはイケナイ)で、海保に救出された中国人が国家賠償請求訴訟を起こした記事を取り上げていました。元記事は次の通りです。

************************************************
救助でヨット損傷と提訴[2012年4月16日20時27分]
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120416-935155.html
 ヨットで世界一周航海中に横浜海上保安部に救助された男性が「救助作業でヨットのマストが損傷した」として、国に約760万円の損害賠償を求める訴訟を16日までに起こしたことが分かった。男性側代理人の弁護士によると、同日開かれた第1回口頭弁論で、国は請求棄却を求めた。
 訴状によると、男性は2009年10月、中国を出発。翌年10月、東京・八丈島の南約200キロを航海中にエンジントラブルで救助されたが、えい航作業中にヨットと海保の船が風や波の影響で近づき衝突。マストが折れるなどした。
 男性側は、船が風にされたならば、作業を中断すべきで、損傷したのは海保の過失だ、などと主張している。
************************************************

 ブログやブログのリンク先などを読むと、疑問に思う事が多々出てきました。勝ち目のない裁判を何故始めたのかということは勿論のこと、エンジントラブルで救助された筈なのに人民網日本語版では動力機関なしのヨットと紹介されていたり、1年以上前に世界一周航海のために大阪を出発しているのに、まだ、日本近海を航行したりしています。
 それで、一寸調べてみると、本人のブログを見つけました。
 
劉俊成“好友”号■球航海(■は王に不)
http://blog.sina.com.cn/liujuncheng2009sailing
 
 このブログには本人が書いた文章は無く、出港から遭難までの間に取り上げられた記事を載せているだけです。しかし、何があったのかはある程度知ることが出来ました。
 記事は主に中国語なので機械翻訳を用いました。そのため正確さに難がありますが、ブログの内容に補足を加え、まとめてみました。
 
◆ヨット
ヤマハ34EX
全長10.3m/全幅3.5m/喫水1.97m/船体重量4,830kg/バラスト1,600kg/セイル面積52.82
定員平水12名/沿岸10名/遠洋8名  
清水タンク190L/燃料タンク90L
エンジン・ヤンマー3GM・連続最大馬力24PS/機走速度7knotL

 

 1990年製の中古船を520万円で購入。通信機器は衛星電話だけの模様。船名の「好友」は「親友」という意味。
 
◆単独世界一周航海計画
中国丹東市→黄海→東シナ海→南シナ海→太平洋→パナマ運河→大西洋→南アフリカ(喜望峰)→インド洋→中国丹東市
 約3万6千海里、航海日数3年を予定。航海後は丹東市に「好友」号を寄贈。
 
◆劉俊成の経歴
 1954年に中国の寧省丹東市に生まれる。寧外国語専門学校(現在の大連外国語大学)日本語学科卒業。1972年に卒業すると、国家の貿易部門に配属される。後に商務代表として日本に派遣。1990年、友人と貿易会社を設立。2003年に船舶免許取得。
 大阪在住、妻子有り。妻は日本人、子供は北京在住。
 
◆動機
 鴨緑江で遊んでいた幼少の頃、「鴨緑江に沿って西へずっと歩き続けると元の地点に戻る」と言われたことが心に残っていて、後に地球が丸いためだと知る。以後、機会があれば、世界一周をしたいと胸に抱く。
 仕事が成功して資金が溜まると、子供の頃の思い出した。多忙の中、60歳に出発するために準備を進めていたが、糖尿病を患う。病気ために出港できなくなることを恐れ、予定より早く旅立つことを決心した。
 
◆経過 
●2009年08月08日
 世界一周航海のために大阪府の田尻港を出発し、中国に向かう。
 
●2009年09月04日
 福岡の小戸ヨットハーバーに滞在。自動操舵装置の改良をする。
●2009年10月26日
 出発地点の中国遼寧省丹東市では100人以上の楽団による出港式が行われ、市長を始め、多数の市民に見送られて、単独世界一周航海に出発。
 
●2009年10月29日
 エンジンが短時間しか起動しなくなる。原因はスクリューに魚網が巻き付いたこと。潜って、魚網を切り離そうとするが自力では無理だった。
●2009年11月**日
 強風により、前帆と主帆の2枚とも破損させる。予備の帆が1枚あったので、それに張り替える。
●2009年11月06日
 予備の帆も破れ、帆走も出来なくなり、漂流する。
●2009年11月08日
 遼寧省の遠洋漁業船65040号に発見され、山東省栄成市の石島港に曳航される。
●2009年11月**日
 帆のほか、船上のガードパイプとマストのボルトが損傷しているのが分かり、ガソリンパイプが詰まっていることも判明する。パイプ詰まりを直し、ダイバーがスクリューに巻き付いた魚網を切り離す。
●2009年11月14日頃
 栄成市を出発。エンジンで自走し、青島オリンピック・ヨットセンターに向かう。
●2009年11月15日頃
 青島オリンピック・ヨットセンターに到着。
●2009年11月**日
 米国から帆の原材料を取り寄せ、前帆と主帆を2枚ずつ作らせる。マストのボルトも取り替える。
●2009年11月25日
 青島オリンピック・ヨットセンターを出港。
●2009年11月**日
 衛星電話が故障し、取り替えたボルトの不具合でマストに問題発生。
●2009年12月01日
 韓国済州島に到着。マストを応急修理する。
●2009年12月03日
 済州島を出発。
●2009年12月11日
 福岡の小戸ヨットハーバーに到着。スタッフに「この航海も普通だったら、ここで止めてもいいんですけど、大出港式が行なわれて、止まれなくなりました」と話す。
●2009年12月12日
 松山に向け、小戸ヨットハーバーを出港。
●2009年12月**日
 航行灯が壊れる。松山あたりでエンジンに不調をきたし、操縦困難になる。
●2009年12月17日
 未明に姫路に到着するも、暗くて座礁させる。船舶修理会社を呼んで、引っ張り出し、港に接岸させる。
●2009年12月18日
 大阪の自宅に戻る。
●2010年**月**日
 座礁により船が破損したため、再び中古船を購入するつもりでいたが、船舶修理会社の「徹底的に修繕した方が安全」との助言を受け入れ、ヨットを修理に出す。世界一周航海を継続する準備も開始し、改めて航海の知識を学ぶ。
●2010年10月21日
 姫路市木場ヨットセンターを出港し、世界一周航海を再開。
●2010年10月22日
 和歌山の港を出発。
●2010年10月30日
 八丈島南方で台風に遭遇。航行不能になり、衛星電話で友人に連絡。友人が海保に救助申請。
●2010年10月31日
 海保の巡視船が八丈島南方約150キロの海上で発見、救助。
 
●2012年4月16日
 マスト損傷の弁償代760万円を求め提訴。

 

 

 丹東市から姫路市までの航海の間に数々のトラブルを起こし、座礁までさせ、再出発したら台風に対処できず遭難。海が穏やかな場合は操船できるのかもしれませんが、天候が荒れるとお手上げになるようです。外洋を航海するには明らかに技術不足で準備不足です。それなのに何故世界一周をしようとしたのでしょうか。子供の頃の夢が世界一周だったというなら、豪華客船で世界一周クルージングでもしたらよかったのです。
 動機を子供の頃の夢としていますが、後付けの理由なのではないでしょうか。仕事が成功し、金銭欲も満たされたため、名誉欲が出てきたというのが本当の理由では。だから、中国人が成し遂げていないヨットによる世界一周を安易に実行しようとしたのではないでしょうか。名誉欲が満たされるのならば、ヨットでなくともよかったのでしょうが、見栄で始めたヨットに縁があったため、ヨットによる世界一周を思いついただけだと思います。そうでなければ、海を舐め過ぎた態度が理解できません。
 
 丹東市から福岡までの航海で劉俊成氏も海を舐め過ぎていたことを自覚したのでしょう。福岡で「止めたくとも、事が大きくなって止められない」という意味のことを語っています。命が危険にさらされ、考えが安易だったと自覚したにも拘わらず、それでも1年あまりで再出発したのは中国人特有の面子を保つということに拘ったためでしょうか。
 しかし、八丈島沖で遭難し、流石に世界一周は無理だと悟ったことと思います。再々出発しても、また遭難するのは本人も容易に想像したことでしょう。それは分かってはいても、中国の隣国の日本からも抜け出せずに中止したのでは面子が立ちません。故郷の人々から盛大に見送られ、ハワイミャンマーインドネシアなどの華人メディアでも報道されているのですから、尚更です。そこで、中止の理由に考えたのが日本政府を訴えることだったのではないでしょうか。「日本政府相手に戦うことに時間を費やさなければならなくなったため、やむなく世界一周は中止せざる得なくなった」と言い訳をすれば面子は保てると考えたと理解したら、勝ち目の無い裁判を始めたのも納得できます。
 
 それにしても、520万円で購入した中古船の損傷に対して760万円の損害賠償を求めるなんて、どこまで厚顔なのでしょうか。

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北朝鮮弾道ミサイル発射対応の考察

 政府が北朝鮮の弾道ミサイル発射に関して取った危機管理対応を自ら検証するという。
 弾道ミサイルが短時間で墜落するという想定外の事が起き、自衛隊のレーダーで捉えられなかったため、予定通りに運ばず、混乱が生じ、批判を浴びたからだ。
 
 

 政府の危機管理対応を考える前に、まず、日本政府が実際にとった対応を確認するために弾道ミサイル発射の経過を読売新聞(4/14・17朝刊)や朝鮮日報を参考にして下記表にまとめた。
 
 

 政府は2009年のテポドン2の発射誤報の反省を踏まえ、今回は米軍提供情報と自衛隊レーダー情報を二重チェックをするという対処要領を決めていた。対処要領では防衛省が米軍提供情報を受け、自衛隊レーダーで確認してから、官邸危機管理センター対策室に報告し、対策室がJアラートで各自治体に連絡する予定で、政府の公式発表は藤村官房長官に一本化されていた。
 
 

 事実経過を見ると、各入手情報を総合的に分析して弾道ミサイル発射と判断した後に対策室へ報告するのではなく、実際には入手情報をその都度、対策室へ報告されていた。防衛省が情報を抱え込む体制ではなかったようだ。
 混乱が生じたのは防衛省が発射された飛翔体の正体の確認に手間取ったことと対策室が得られた情報を適切に処理できなかったことが原因と思われる。
 防衛省は発射された飛翔体が弾道ミサイル(銀河3号)なのか、他のミサイルなのか判断できず、発射されてから46分後の8時25分に弾道ミサイルと最終判断した。この時までに防衛省が得ていた情報は米軍情報(SEWと米軍イージス艦)のみで、自衛隊レーダー情報は無かった。結局、防衛省は米軍情報だけで決断するしかなかったのだ。米軍のリアルタイム情報は7時48分までで終わっており、最終判断したのが8時25分。決断するまでに37分間も掛かっている。ただし、PAC3部隊はすぐさま、信号弾を打ち上げ、警戒態勢をとっているので、迎撃体制は速やかに整ったようである。
 対策室は防衛省の弾道ミサイル発射判断にこだわり過ぎ、Jアラートで発射情報を伝達する目的が国民に早く知らせ、避難させるということを忘れてしまっている感がある。避難させるということを優先するならば、正体不明な飛翔体が発射されたと早々に公表してしかるべきであった。特に、8時3分の報道が誤報であるかのような発表は不誠実で、混乱を助長させる行為でしかなく、問題だ。全体として、事前の取り決めに縛られ、想定外の出来事に柔軟に対処できていない。

 

 そもそも、米軍提供情報と自衛隊レーダー情報を二重チェックをするという対処方針が正しかったのか。
 ノドンやテポドン2の例から予想すれば、発射から日本に到達するまでの時間は7分余りである。避難する時間は元々少ない。

 発射から4分後、弾道ミサイルが高度151km(今回の最高高度)に達しても自衛隊のレーダーはキャッチできなかった。想定通りに弾道ミサイルが飛んでいたら、何分後に捉えることが出来たのであろうか。今回、2分15秒後に爆発が起きている事から考えると、3分はかかるのではないか。とりあえず、3分と仮定して進める。
 防衛省が弾道ミサイルのロストを認知してから、田中防衛相に報告するのに2分かかっているため、自衛隊レーダーがキャッチしてから防衛省が対策室に報告するまでの時間も2分かかると推測する。防衛省が判断に手間取れば、もっと時間がかかるが、速やかに行われるものとして2分とする。
 防衛省の報告を受けてから、対策室がJアラートの発信を決断して放送されるまでの所要時間は1分位はかかるだろう。
 ここまでで、6分が経過している。避難時間は1分しかない。情報の伝達過程で決断が少しでも遅れると避難時間は無くなっていた。
 日本に弾道ミサイルが落下する可能性は非常に低かったが、心配するように日本に落ちていたら、放送と同時に弾道ミサイルが着弾する事態にもなっていた。
 
 2009年のテポドン2の発射誤報は千葉のレーダーが誤探知し、その情報のみで発射と判断したところに問題があった。今回は早期警戒衛星のみならず、米軍イージス艦の情報も得ていた訳だから、態々、自衛隊レーダー情報に固執する必要は無かったのではないか。固執したため、国民に速報するということが疎かになった。
 民主党政権は風評被害を恐れるあまりに、大事な目的を忘れる傾向にあるように見える。

/////////////////////////////////
WORKING PAPER 12. 「『専守防衛』策と日本の安全-自衛を全うすることが可能か-」
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00750/contents/0005.htm
北朝鮮のミサイル基地から日本にノドンを発射すれば、7分前後で日本に着弾する。このノドンは液体燃料だが、貯蔵可能な液体燃料である。

北朝鮮発射のテポドンー2(人工衛星?”光明星2号”)の分析
http://homepage3.nifty.com/kubota01/taepodong-2_3.html
① 発射時刻:5日午前 11:30 ごろ(日本政府が米早期警戒衛星の情報などから公表)
② 日本列島通過時刻:発射から7分後
③ 日本列島通過高度:300~400[km]
 

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巌流島の決闘400周年

 丁度400年前の今日、巌流島の決闘があったとされています。
 慶長17年(1612年)4月13日、関門海峡の巌流島(正式名称は船島)で宮本武蔵と佐々木小次郎が一対一の果し合いをし、武蔵が勝ち、小次郎が絶命しました。
 
 映画やドラマ等では遅れてやって来た武蔵に苛立った小次郎が刀を抜き、鞘を捨てた時、「小次郎、破れたり」と武蔵が発し、櫂から削り出した木刀で小次郎の頭をかち割るというストーリーが定番で、武蔵は荒々しい侍、小次郎は美青年として描かれています。
 この様なイメージは吉川英治の「宮本武蔵」によって作られたらしく、吉川英治の小説以前に作られた講談や浮世絵では小次郎を老人としていたようです。
 
 佐々木小次郎については生年や出自が不明で、姓も「佐々木」としたり、「津田」とされたりしています。「巌流」(岩、岸、岸柳、岩龍など様々な表記あり)剣術の創始者で小倉藩剣術師範をしていたのは確かですが、謎の多い人物のようです。
 巌流島の決闘に関する資料は武蔵の著した「五輪書」(1645年)、武蔵養子で小笠原藩家老職の宮本伊織によって建立された手向山の「新免武蔵玄信二天居士碑」(1654年)、細川家家臣の沼田氏が編集した「沼田家記」(1672年)、肥後藩士で二天一流兵法師範の豊田左近右衛門景英が著した「二天記」(1776年)などがあり、内容がそれぞれ異なっています。そのため、現在では諸説が入り乱れている模様です。
 「新免武蔵玄信二天居士碑」には武蔵と小次郎が同時に島に渡ったと刻まれていて、武蔵は遅刻をしていなかったことになっています。また、「沼田家記」では決闘で小次郎は敗北したが、死んではおらず、武蔵の弟子らに殺されたとあります。後世に語られているイメージとは随分かけ離れていますね。その原因を作ったのが「二天記」で、創作が多く史料価値は低かったのですが、読み易かった為、江戸期に武蔵の伝記として普及したようです。明治にはこの「二天記」を用いて、宮本武蔵遺蹟顕彰会が「宮本武蔵」(顕彰会本)を編纂しています。
 
 吉川英治の「宮本武蔵」はこの「顕彰会本」を元に創作され、実在の人物ではないお通も登場します。今ではお通も当たり前のようにドラマ等に出てくるので、架空の人物とは思っていない人も多いのではないでしょうか。
 創作に創作を重ね、史実からどんどん懸け離れ、イメージだけが肥大し、それが史実と受け止められて行く様子は坂本竜馬に似てますね。坂本竜馬も小説を元にした話が史実と受け止められたりしています。
 歴史的ヒーローは作られてヒーローになって行くものなのでしょうね。

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巌流島の戦い
http://www.ysn21.jp/furusato/know/03history/history08.html
巌流 考証 巌流佐々木小次郎
http://homepage3.nifty.com/ganryu/index.htm
「日子の島」巌流島
http://www.hikoshima.com/ganryu/index.htm
「巌流島(舟島)の決闘」 慶長17年(1612年)
http://www.ne.jp/asahi/system/color/kenjyutuiaijyutu_enmei_p12.html
 

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鳩がサギ(鷺)にあったとイカル(斑鳩)

 

 アハマディネジャド大統領との会談時に、IAEA批判をしたとイランの国営テレビに報じられた件で、鳩山由紀夫は「完全に作られた捏造記事であり、大変遺憾に思っている。こういう発言はしていないことを先方に伝えたい」だとイランに抗議し、発言の削除と謝罪をさせた。だだし、イラン側は発言削除の理由を「発言は事実だが、日本との間で緊張を引き起こしたため」としている。
 鳩山は完全な捏造と憤っていたが、「核保有国を対象としないで非保有国の平和利用に対し査察を行うというのは公平ではないと承知しているが、日本は国際社会の懸念を払う努力を、原子力平和利用は国民の活動に有益との信念から進めてきた。」、「NPTに入らないで核保有国になっている国にとって有利になっていることは承知しているが、非核の世界をつくるためにも国際社会との協力が必要だ」と言ったことを認めている。完全な捏造というのは言いすぎだろう。鳩山としては「核兵器のない世界の実現に向けお互い努力すること」が発言の趣旨で、IAEA批判が目的ではないと言いたいのであろうが、IAEA批判と受け止められる発言をしたのは間違いない。相手に迎合するという鳩山の性格が余計な発言をさせてしまったのだろう。
 この様に自分の発言が曲解されたと大騒ぎする一方で、鳩山は「核兵器のない世界をつくりたいと強く申し上げ、イランアフマディネジャド大統領はじっくり耳を傾けた。言葉は通じた。先方からも機微なよい話をしてもらった」と語り、「非常に行ってよかった」と結論付けている。捏造されたとの主張と話が通じたとする認識は、常人には矛盾としか受け止められないが、本人は何の矛盾も感じてないようである。相手の話を自分に都合よく理解するという性格のなせる業か。
 
 鳩山は与野党の反対を押し切ってイラン訪問を強行したが、イランの要人との会談はどの様な経緯で決まったのであろうか。鳩山はその経緯を公式サイトで「総理在任時・退任後にも書簡でのやりとりを行ってきたイラン政府首脳に働きかけを行うこととなった次第です。」と書いてはいるが、本当とは思えない。鳩山が過去にイランについて言及したことがあっただろうか。記憶に無い。イランと鳩山の間に特別な接点があったとは思えないし、ましてや、鳩山からイランに働きかけたとは思えない。この人は自分で考えず、他人の意見をそのまま受け入れて行動するのが一つのパターンだからだ。事実はイランに接点がある人物が鳩山を担ぎ出したと考えるのが順当だろう。その人物とはイラン訪問に同行した民主党参議院議員の大野元裕と考える。大野は元外交官で中東畑を歩んできた人物だ。中東で問題が起きた時にテレビ出演するコメンテーターと言った方が通りがいいかもしれない。
 
 大野はブログで、対イラン武力行使等の最悪の事態となれば、日本の石油の確保や油価のみならず、アジア経済へも極めて大きく影響し、中東全体の不安定化にも繋がると説明、我が国にとって最大の課題は武力紛争を起こさせないことだと説いている。更に、国際社会が一致してイランに厳しい態度で臨む中、現在の状況下で政府が取り得る選択肢は少ないため、議員外交が必要との認識を示し、具体的な議員外交の意義について書いている。
① 元総理が行かれると言うことは、イランとしても相応の高いレベルの要人と話をさせると言うことを意味する。孤立化するイランに国際社会の声を正確に届けることが最も重要であると考える。
② 議員外交で、これだけ大変になっているイラン情勢が一気に好転することはあり得ない。しかしながら、国際的な枠組みに協調することがイランの利益にかなうところ、具体的な一歩を踏み出すよう促すべきと考えている。
イランと日本の伝統的な友好関係を想起させ、しかるべく後の二国間関係増進の礎とする。
④ 元総理がイランを訪問するというインパクトはあるはずで、イラン国民に「イランは忘れられているわけではない。先鋭化する必要はない」とのメッセージとする。もちろん、それがイランに必要以上に迎合的になり誤ったメッセージとなってはならないことは当然である。
⑤ 「撃たせてはならない」立場にある我が国の利益に鑑み、イラン問題の解決に少しでも資する様な環境整備につなげる。そのためには、イスラエルに対する働きかけも引き続き行う必要があろう。
 
 大野は「鳩山代議士のイラン訪問に同行することになった。」、「鳩山さんの訪問を可能な形で支援したいと考えている。」とサポートのために参加することになったかのようなことを書いているが、上記の議員外交の意義からはそう受け取れない。鳩山のイラン訪問を大野が主導したと告白しているようなものだ。
 ただ、大野が自分で会談を発案してセッティングしたかというと違うかもしれない。個人的な訪問にも拘わらず、駐イラン大使が会談に同席しているからだ。外務省の中東関係部署が組織的に関与していた可能性を伺わせる。
 大野、外務省のどちらがイラン訪問を発案したのかは分からないが、どちらにせよ動機はアメリカのイラン原油禁輸措置に抗いきれず、原油輸入を削減せざる得なくなったため、イランとの関係悪化を和らげようとしたのだろう。中国が制裁に反対し、結び付きを強くしていることから、資源外交の観点からも関係悪化を少しでも避けることが国益になると判断していたのだろう。欧米と歩調を合わせながらも、欧米とは違うとイランに思わせるためには議員外交という手段が最適と考えたのかもしれない。ただ、鳩山のパーソナリティを十分理解していなかったのが誤算だったか。


 イランを訪問する前の4月6日に鳩山と大野はネット上に文章をアップしている。内容は似通っていて、中でも類似性の高い一節があるので書き出す。
●大野ブログ(午前0時20分)
「我が国は歴史的にイランと良好な関係、少なくとも対話のチャンネルは維持してきたが、最近ではイランとの対話の窓口は途切れがちで、中東における我が国のプレゼンスも弱まりつつある。」
●鳩山サイト(午後10時)
「我が国は歴史的にイランと良好な関係、少なくとも対話のチャンネルは維持してきましたが、最近ではイランとの対話の窓口は途切れがちで、中東における我が国のプレゼンスも弱まりつつあります。」
 「である調」を「ですます調」に変えただけだ。偶然の一致ではありえない。書き込まれた時間から大野が鳩山サイトの文章を書いたと思われる。
 
 また、鳩山は帰国後の弁明で「機微なよい話」という意味不明な言葉を使っている。大野ブログを調べてみると、やはり弁明で「機微な状況」という言葉を使っていた。「微妙な」とか「機微にわたる」という言葉を使うのが一般的だと思うのだが、大野は「機微な」を使うのが癖のようだ。大野が鳩山の弁明の下書きをしたから「機微なよい話」なんていう奇妙な言葉が出てきたのだろう。
 
 これらのことからも、イラン訪問が鳩山の思い付きではなく、大野の主導によって行われたことが伺われる。

 鳩山は鳩では無く、鵜だったのか。


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IAEAは不公平」=鳩山氏発言として紹介-イランTV
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012040900045
民主・鳩山氏、イラン大使館に抗議
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012041000569
イラン側、鳩山氏発言を削除 ただ「発言は事実」
http://www.asahi.com/politics/update/0410/TKY201204100582.html
鳩山由紀夫元首相帰国会見「作られた捏造記事」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120409/plc12040923590007-n1.htm
鳩山氏が反論「非常に行ってよかった」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/555686/
鳩山由紀夫公式サイト
http://www.hatoyama.gr.jp/
http://www.hatoyama.gr.jp/report/detail.php?id=9
大野もとひろ公式サイト
http://www.oonomotohiro.jp/index.html
http://ameblo.jp/oonomotohiro/

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公務でおしっこ妨害

 昨年9月、パトカー内で交通違反の事情聴取中にトイレに行かせてもらえず失禁した女性(51)が対処した警部補らを特別公務員暴行陵虐罪で告訴したそうだ。副署長と地域課長が謝罪したが、当事者の警部補らが直ぐに謝罪しなかったことが女性の怒りを増幅させ、告訴に至ったのかもしれない。

 

 そう言えば、9年前、同じくパトカー内で粗相をした事件があった。
 2003年6月、北海道千歳市で、建造物侵入の現行犯で逮捕された34歳の男が時速50kmで走行中のパトカー内で脱糞し、異臭に耐え切れず警官が窓を開けたところ、窓から外に逃げ出した事件だ。広範囲な捜査網が布かれ、犯人は79時間の逃走の末に300km弱離れた函館で確保された。
 逃走を許した警察官は処分を受け、犯人の隣に座っていた警部補は戒告、運転していた巡査長と助手席にいた巡査長は署長注意だった。今回の事件の当事者の警部補らの処分は所属長注意なので、比べると少々重い。道警の警察官の場合は結果的に大事になったので、重めの処分になったのだろうが、悪臭が充満しても窓を開けずに耐えろというのは一寸気の毒のように感じる。

 

 それはともかく、何故、三重県の警部補らは1時間以上も拘束したのか。女性が違反を認めなければ、サイン拒否事案として処理したらいいだけである。監察は「違反を認めさせるためにトイレに行かせなかったわけではない」との見解を表明しているが、本当だろうか。違反者はキップを切られるのを逃れるために、色々と言い訳をして悪あがきをするから、女性の訴えを違反逃れの口実と思って聞き流していたこともあろうが、反則金のノルマ達成のために無理をしたという面は無かったのか。


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「脱糞は意図的じゃない」と供述---今度の護送は紙おむつ用意
http://response.jp/article/2003/06/26/51966.html
脱糞男を止められなかった警官に処分
http://response.jp/article/2003/07/17/52482.html
 

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白鳥事件60年が過ぎて 後編

◆事件内容
 1952年1月21日午後7時40分頃の北海道札幌市南6条西16丁目の路上、自転車で帰宅途中の札幌市警察の警備課長の白鳥一雄警部(36歳)が自転車で尾行していた犯人に背後から射殺され、犯人はそのまま自転車に乗って逃走。目撃者の証言によると犯人は30歳前後でがっしりした体格の男。
 死体のそばに落ちていた薬きょうと体内に残っていた弾丸から凶器はブローニングと断定された。
 


 

◆登場人物
村上国治:日本共産党札幌委員会委員長、共産党札幌軍事委員会委員長、北海道の開拓農家の貧しい家庭に育つ
佐藤直道:日本共産党札幌委員会副委員長
宍戸均:中核自衛隊隊長
鶴田倫也:中核自衛隊副隊長、北海道大生
大林昇:中核自衛隊員、北海道大生
門脇戌:中核自衛隊員、北海道大生
村手宏光:中核自衛隊員、北海道大生、長野の外科病院長の息子
高安知彦:中核自衛隊員、北海道大生、余市の歯科医の息子
佐藤博:中核自衛隊員、ポンプ職人
追平雍嘉:日本共産党札幌委員会常任委員、元海道大生、札幌軍事委員会委員、埼玉県川口生まれ
 
◆年表(事件背景と経過)
1950年
 スターリンが指導するコミンフォルムにより、日本共産党の平和革命論(占領軍を解放軍とし、合法的な革命を目指した)が批判され、中国共産党も追従したことから、日本共産党内の意見が割れる。更に、GHQによるレッドパージもあり、所感派(主流派、徳田球一ら)、国際派(宮本顕治ら)、日本共産党国際主義者団(野田弥三郎ら)など数派に分裂。
 徳田球一らは正式な手続きをとらずに中央委員会を解体、親中国であった所感派だけで中国へ亡命し、「北京機関」(指導部)を組織する。
1951年10月
 国際派が復帰し、第5回全国協議会で日本共産党は再統一する。この会議で所感派の武装闘争路線が採用され、秘密地下組織として、地域単位ごとに軍事委員会を設置し、中核自衛隊などの武装組織を結成した。
1951年12月27日
 集団交渉で市役所前に座り込んでいた札幌自由労働組合員20数人が建造物侵入で白鳥警部に検挙される。
 この事件以前にも、公安警備責任者だった白鳥警部は共産党員を多数検挙している。
1952年
 高田市長、白鳥警部、塩谷検事等に数百通の「脅迫ハガキ」が送られる。
 白鳥宅には「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」と赤インキで書かれたハガキが送りつけられる。
 他にも「新年にあたり警察官諸君に宣言する」などのビラも撒かれる。宣言には「白鳥其の他の敵、新しい敵を一人一人葬り去ることを宣言する」と書かれていた。
1952年1月21日
 白鳥事件発生。
1952年1月22日
 日本共産党北海道地方委員の村上由が「党と白鳥事件は無関係」との声明をだす。
1952年1月23日
 北海道地方委員会が「党との関係は何とも言えない。この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を出す。
 北海道大学や札幌市内数カ所で共産党員が「見よ天誅遂に下る!」(1月22日の日付と共に日本共産党札幌委員会の署名あり)と書かれたビラを大量にばら撒く。
1952年2月3日
 自由労組員、尾谷豊を別件逮捕。その後、アリバイ成立。
1952年
 天誅ビラを配ったとして吉田哲が逮捕される。
 吉田から犯人と認める自白を引き出すが釈放。吉田は「首謀者は副委員長の佐藤直道」との自白もしていたが、後に自白は虚偽と証言。
1952年5月頃
 伊豆の伊東で行き倒れなり警察の保護を受けた北海道の共産党員の成田良松が脱党を決意し、札幌委員会地下組織の情報を提出。村上国治、佐藤直道、追平雍嘉、高安知彦、紺野与次郎他が割り出される。
 白鳥殺害は党の決定、天誅ビラの発案は村上、佐藤直道が「今夜はきをつけろよ、重大事件がおこるから」「白鳥事件は1カ月前から計画してやったのだ」と言ったとも述べたが、後に虚偽と証言。
1952年6月頃
 元札幌信用組合(のちの信用金庫)の組合員総代であった原田政雄(元共産党員)が「白鳥警部に背任横領で摘発されるのを恐れた札幌信用組合の佐藤英明理事長(ヒロポン中毒)の犯行。」「白鳥警部と反目していた畠山喜一郎警部補からブローニングを借り受け、佐藤理事長の配下の東出四郎(元競輪選手)に射殺させた。共産党員伊藤仁の妻伊藤幸子がそれを目撃していた。」と公開質問状を捜査当局へ出し、マスコミに知れ渡る。
1952年8月10日
 佐藤英明と東出四郎を逮捕。
 その後、東出はアリバイ有として釈放。佐藤は札信事件で起訴後保釈される。
1952年8月28日
 日本共産党札幌委員会副委員長 佐藤直道(当時32歳)を逮捕。
1952年10月1日
 日本共産党札幌委員会委員長 村上国治(当時29歳)を別件逮捕。
1952年11月17日
 佐藤直道、獄中脱党。「白鳥事件は1カ月前から計画。中核自衛隊である北海道大学生7人が殺害に関与した。委員会委員長が軍事委員長を兼務し、村上委員長が実行犯の佐藤博に指示。犯行に自分は無関係」と供述。
1952年12月23日
 佐藤英明理事長が服毒自殺。
1953年4月8日
 村上国治の公判開始。
1953年4月9日
 日本共産党札幌委員会常任委員 追平雍嘉(当時29歳)を東京で逮捕。
 犯行の翌日に佐藤博宅で、佐藤から直接、犯行の状況を聞いたと供述。(追平雍嘉上申書)
1953年6月9日
 中核自衛隊隊員の北海道大生 高安知彦を名寄で逮捕。
1953年7月11日
 高安知彦が脱党届けを書く。「昭和26年12月ごろ幌見峠で、高安、村手宏光、門脇戌、鶴田倫也、大林昇らが1人一発ずつ5発試射を行った」と供述。
1953年8月19日
 幌見峠で弾丸を発見。
1954年4月30日
 幌見峠でもう一発の弾丸を発見。
1954年8月20日
 佐藤博ら6人を殺人容疑で指名手配。
1954年9月20日
 中核自衛隊隊員の北海道大生 村手宏光を長野(心因性反応のため静養中)で逮捕。
1954年10月18日
 佐藤直道、不起訴となり釈放。
1955年頃
 鶴田倫也が焼津港から漁船(人民艦隊)で北京に亡命。宍戸均、佐藤博、大林昇、門脇戌もこの頃に中国に密航したと思われる。
1955年7月
 日本共産党は第6回全国協議会で武装闘争路線の放棄を決議。
1955年8月16日
 村上を殺人罪(共謀共同正犯)、高安と村手を殺人幇助罪で起訴。
 「村上国治、宍戸均、鶴田倫也が殺害を謀議。鶴田倫也、佐藤博、大林昇、門脇戌、村手宏光、高安知彦が事前調査し、佐藤博が実行。首謀者、村上。実行犯、佐藤博。」としえ起訴されるも、村上は無罪を主張。
1956年3月
 村手が保釈され、札幌医科大学附属病院精神科に入院。
1957年5月7日
 札幌地裁判決。村上は無期懲役、村手は懲役3年執行猶予5年。
 二人とも即日控訴。
1957年5月8日
 札幌地裁判決(分離公判)。高安に懲役3年執行猶予3年。確定。
1960年5月31日
 札幌高裁判決。村上に懲役20年、村手の控訴棄却。
 二人とも上告。
1961年7月
 日本共産党は第8回全国協議会で自主独立路線(外国の干渉は受けない)に転換。1950年から55年までの分裂と混乱の時期に起こした武装闘争路線を極左冒険主義と批判。以後、武装闘争などは全て、分派が勝手に行ったもので、日本共産党とは無関係と主張。
1962年3月16日
 各地に「村上国治を守る会」が組織され、この日「白鳥事件中央対策協議会」が結成される。
1963年10月17日
 最高裁。上告棄却。村上と村手の有罪確定。
1965年10月21日
 村上、再審の申し立て。
1969年6月13日
 札幌高裁、村上の再審請求棄却。
1969年11月14日 
 村上、異例(再審申立て中)の仮釈放。
1971年7月
 村上、札幌高裁へ異議申立するも棄却、最高裁特別抗告
1975年5月20日
 最高裁、村上の特別抗告棄却。
 最高裁は理由の中で「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審にも適用されると判断(白鳥決定)。
1975年7月
 共産党は「白鳥裁判運動」終結宣言を出す。白鳥事件対策協議会は解散
1977年12月2日
 指名手配されていた門脇戌が中国から帰国し、逮捕される。後に起訴猶予。
1978年6月3日
 指名手配されていた大林昇が中国民航機で帰国し、道警に逮捕される。後に起訴猶予。
1985年1月18日
 村上(結婚して小林姓になっている)が自転車泥棒で捕まっていたと新聞に載る。
1985年
 村上は日本国民救援会の副会長職を解任される。
1988年1月14日
 佐藤博が肺がんにより北京で死去。
1988年2月27日
 宍戸均が肝臓がんにより北京で死去。
1994年11月3日
 村上は埼玉県大宮市内の自宅が全焼し、焼死。享年71歳。
1997年6月8日
 北海道新聞、中国で鶴田倫也が生存していることを報道。
2012年3月
 鶴田倫也が北京市内で病死。享年82歳。
 
◆裁判の論点
 伝聞証拠の違法性などが争われ他、唯一の物証(拳銃も自転車も発見されなかった)である3発の弾丸が最大の焦点となった。
 拳銃の射撃訓練を行ったとされる幌見峠で、事件の1年9ヶ月後と2年3ヶ月後に発見された弾丸が長期間土中に埋もれていたにも拘わらず、腐食していなかったため、弾丸の捏造が疑われた。
 また、線条痕についても鑑定の過程の問題や不一致とする鑑定が出され、3発が同一拳銃から発射されたとする鑑定が疑問視された。
 
◆事件を振り返り考える
 白鳥事件発生から長期間経過し、当時、青年だった関係者も鬼籍に入る年齢となった。何も語らずにこの世を去る者もいるが、重い口を開く者もいる。
 事件は当初、警察の証拠の捏造や「白鳥事件中央対策協議会」の運動、松本清張などの陰謀論により、冤罪とする声が大きかった。事件を共産党員の仕業と認めた高安知彦、佐藤直道、追平雍嘉は嘘つき、裏切り者と罵られいたが、時が経った今では資料研究や証言により、盲目的に村上国治の無実を信じていた支援者も考えを変えつつある様にみえる。
 
 実行犯の佐藤博は亡くなっているが、「北京で佐藤と宍戸が『俺をこんな目にあわせやがって』(佐藤)『俺を男にしてくれ、と頼んだのはどこの、どいつだ』(宍戸)と罵り合い、殴り合いの喧嘩をした。」との話が伝わったりしているので、佐藤博が実行犯で間違いないだろう。
 村上国治は終生無実を訴えていたが、国治が獄中から面会の弁護士に渡した「関係者を国外に逃がせ」という自筆のメモが発見されているので、冤罪ではなかったことが窺われる。
 今後、「追平雍嘉上申書」や「高安知彦手記」、「共産党関係者が鶴田から聞いた事件の真相(拳銃や自転車の入手やその処置方法など)」が発表されると思うので、そうなると益々白鳥事件が冤罪ではなかったことがハッキリするだろう。
 
 時代の熱にうかれ、党の方針に従って一線を飛び越えた青年達。謀略との宣伝に乗せられ、無実を信じて闘った支援者。
 共産党内の権力闘争によって、方針が変わり、用済みになると見捨てられた。自業自得と言えばそれまでだが、なんと共産党は罪深い存在であろうか。

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白鳥事件
http://yabusaka.moo.jp/siratori.htm
白鳥事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6
疑わしきは被告人に利益に 白鳥事件
http://www.jlaf.jp/syoutai/07_8.html
日本国民救援会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%95%91%E6%8F%B4%E4%BC%9A
<09.12.05>白鳥事件関係裁判資料の公開と真相をめぐって<渡部富哉>
http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=253
日本共産党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A#.E3.80.8C.E7.B5.B1.E4.B8.80.E5.9B.9E.E5.BE.A9.E3.80.8D.E3.81.A8.E6.AD.A6.E8.A3.85.E9.97.98.E4.BA.89.E8.B7.AF.E7.B7.9A
北大・イールズ闘争から白鳥事件まで-中野徹三氏に聞く
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/4561/4/ER61(4)_1-44.pdf
白鳥事件の消去と再生
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/takahashishiratori.htm
現代史への一証言―川口孝夫著『されて蜀の国へ』を紹介する―
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nakano2.htm
1977年 中国重要日誌
http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1977/104/1977104DIA.html
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実
http://chikyuza.net/n/archives/20864
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実②
http://chikyuza.net/n/archives/21084
「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③
http://chikyuza.net/n/archives/21216
白鳥事件 国家権力による重大犯罪
http://ww6.tiki.ne.jp/~funabashi/shiratorijiken.html

 

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白鳥事件60年が過ぎて 前編

 先月末、白鳥事件の容疑者が北京で死亡したとのニュースが小さく流れた。容疑者が中国に逃亡していたため、時効が停止し、60年が過ぎても事件は終結していなかったが、最後に残った容疑者が死亡したことにより、事件は終焉を迎える見込みとのこと。
 白鳥事件は再審裁判の門戸を開く役割を果たした(白鳥決定)事件として取り上げられることがあり、事件名くらいは知ってはいたが、まさか、容疑者が中国に逃亡していたとは知らなかった。とっくの昔に終わった事件だと思っていた。

 

 事件の詳細を調べてみると、当時の共産党がとっていた方針(武力革命路線)を背景として発生した事件だったらしい。事件は決定的な証拠がない中、警察による証拠捏造疑惑が浮上し、松本清張が「日本の黒い霧」で陰謀論を唱えるなど、一時期、冤罪と疑われていたが、時が経ち、資料の発掘や関係者による証言、出版物が出されるようになり、真実(共産党が関与した)が明らかになりつつある状況だ。 2月の読売新聞(下記参照)には犯人グループの一人が手記を出版する予定だと書かれていた。刑事事件が終結しても、関係者に終わりは来ないのだろう。
 
 白鳥事件を題材にしたラジオドキュメンタリーがある。HBCラジオが開局60周年記念として制作した「インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実~」(2011年のギャラクシー賞の大賞受賞)がそれだ。この番組は白鳥事件の発生から、その後を証言を交えながら簡潔に解き明かして行く。北の地で理想に燃えた若者達がたどった苦悩と悲哀の人生が表されていて、興味深い内容だ。
 全部で1時間あまりで少々長いが、YOUTUBEに投稿されていたので、それを貼り付ける。
 ただし、登場人物が多数いるので、予備知識がないと良く理解できないかもしれない。そこで、予備知識として参考になると思われる事柄を次回のエントリ(白鳥事件60年が過ぎて 後編)に書き出した。大雑把に把握してから聞いてもらうと、理解し易いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「白鳥事件」銃撃、数日前に失敗…地下組織の元隊員60年後の証言
読売新聞2012-02-24

 1952年に札幌市警の警備課長だった白鳥一雄警部(当時36歳)が射殺された「白鳥事件」で、当時の日本共産党札幌地区委員会の地下軍事組織だった「中核自衛隊」元隊員が読売新聞の取材に応じ、事件数日前に白鳥警部を銃撃しようとして失敗していたことを証言した。元隊員は事件前後の状況について、200枚以上の手記を執筆しており、近く公表する。
 この元隊員は暗殺計画に参加したとして、57年に殺人ほう助などの罪で執行猶予付き有罪判決を受けた同市在住の高安知彦さん(81)。高安さんは当時、北海道大生で、中核自衛隊の隊員だった。白鳥警部は、軍事方針を強める日本共産党札幌地区委員会を取り締まる第一線におり、中核自衛隊は事件の実行グループだったとされる。
 高安さんによると、52年1月、同委員会幹部が中核自衛隊に白鳥警部暗殺に向けた「行動開始」を指示し、高安さんは白鳥警部の官舎付近の監視を始めた。通勤客などを装いながら、白鳥警部の行動を10日間ほど確認して、出勤時間や帰宅経路、情報収集のため立ち寄る繁華街・ススキノ近くのバーを突き止めた。
 これを受けて、同委員会幹部から「チャンスがあれば実行して良い」と指令が下った。隊員の1人が同市内で白鳥警部に向けて短銃の引き金を引いたが、弾丸は発射されず、失敗に終わった。
 この隊員は「壊れている」と中核自衛隊のアジトに短銃を持ち帰り、高安さんらが分解して調べたが問題はなく、「操作ミス」と結論づけられた。数日後、この短銃が白鳥警部射殺に使われたという。
 アジトは同市内の知人宅や隊員宅に設けられ、人数を周囲に悟られないよう集合と解散はバラバラに行われていた。隊員らは靴を新聞紙の上に置き、小声で話した。ほとんどの情報は口頭で伝えられ、書き残す時は暗号化したという。
 高安さんは「白鳥事件は冤罪(えんざい)説も出たが、中核自衛隊が計画を進めていたのは事実。説明責任を果たすためにも、事件を手記にまとめて公表したい」と話している。
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白鳥事件の鶴田容疑者が死亡=逃亡先の北京で-警部射殺から60年、真相語らず
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&rel=j7&k=2012032900320
インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実
http://www.youtube.com/watch?v=w6nf-zhYcr0
http://www.youtube.com/watch?v=yBYOjPz5va0
http://www.youtube.com/watch?v=pVwESHsPnBk
http://www.youtube.com/watch?v=rHwv23HTQ88
http://www.youtube.com/watch?v=J_9fgkO3RKo

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