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六丈記2

備忘録のようなもの

植村元記者が記者会見を開く

 1月9日、植村隆元朝日新聞記者が外国特派員協会で記者会見し、文芸春秋社と東京基督教大の西岡力教授を名誉毀損で提訴したことを明かして批判に対する反論をした。
 その記者会見の動画を弁護士ドットコムニュースがYOUTUBEに載せている。

◆記者会見動画
【全編動画】「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の元朝日・植村記者が会見 2015.1.9


◆スピーチ
 冒頭部分のスピーチを書き起こしたのが下記。
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≪「私は捏造記者ではない」慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)≫
http://www.bengo4.com/topics/2536/
~省略~
●冒頭スピーチ全文
 みなさま、お忙しいところ、私の記者会見に来ていただきまして、ありがとうございます。パリの新聞社襲撃事件で多数の記者たちが亡くなったことに、本当にショックを受けています。1987年5月には私の同期の小尻知博記者が支局を襲撃されて殺される事件がありました。同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと改めて思いました。
 私が非常勤講師として勤めている北星学園大学にも昨日また、脅迫状が送られてきました。匿名性に隠れた卑劣な脅迫行為は、絶対に許すことができないと思います。なぜ、北星学園大学に脅迫状がくるかというと、私がそこに勤務しているからであります。去年、週刊文春の記事で、私が「捏造記者だ」というレッテル貼りをされました。それで、まったく私の記事とは関係ない大学にまで、こうした脅迫行為がおこなわれています。
 私は訴訟準備のために東京にいて、大学には行っていなかったのですが、私のために大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。本日、週刊文春を発行する文藝春秋および、その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏の両名を名誉毀損の被告として、裁判を起こしました。私は私の人権、私の家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を守るために、この訴訟を起こしました。
 私は24年前の大阪社会部時代に、慰安婦と名乗りでた韓国のおばあさんのつらい体験の記事を署名入りで2本書きました。この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。この記事で私が存在を報じたのは金学順さんという人で、韓国でカミングアウトした第1号の慰安婦です。彼女の勇気のある証言で、慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようなりました。そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった証言者第1号のおばあさんでした。
 1年前の週刊文春(2月6日号)の記事に、1991年8月の記事が批判的に紹介されました。この見出しを見ていただければわかりますが、「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学の教授に」とあります。
 西岡氏はこの週刊誌のコメントで、私の記事に対して、「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしています。
 (私の記事では)本文2段落目に、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳のときにだまされて慰安婦にされた」と書いてます。そこには触れないで、(西岡氏は)「強制連行があったかのように書いており、捏造」としています。これはフェアではないと思います。
 私の記事はリードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。当時、韓国では慰安婦のことを女子挺身隊、あるいは挺身隊という言葉で表現していました。しかし、西岡氏は1992年4月の文藝春秋で、「重大な事実誤認」と批判していました。その当時、西岡氏は、「朝日に限らず日本のどの新聞も、金さんが連行されたプロセスを詳しく報じず、大多数の日本人は、当時の日本当局が権力を使って金さんを慰安婦としてしまったと受け止めてしまった」と書いています。
 しかし、その後は、私だけを狙い撃ちにして批判しています。98年頃から、批判が「捏造」という言葉に変わりました。同じ1991年の記事に対して、評価を変えてしまっているのです。フレームアップだと思います。結局、その流れで、去年の2月の週刊文春の記事は私を「捏造記者」とレッテル貼りしました。これはフレームアップの延長線上だと思います。
 この記事が原因で、私の転職先の神戸の女子大学にいやがらせのメール、電話が多数殺到しました。そして私がいま勤務している北星学園大学にはさらに多くの抗議のメールや電話がくるようになりました。抗議電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪が煽られています。
 標的は大学だけではありません。私の家族、娘にまで及びました。娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねられています。たとえば、「こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。おやじが超絶反日活動で、贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」。私のパートナーは韓国人です。つまり、私の娘は父親が日本人で、母親が韓国人なのです。娘に対してヘイトスピーチのような、コリアンを差別するようなコメントも書かれています。
 週刊文春の「捏造」というレッテル貼り、そして西岡氏の言説が、結果的にこうした状況を引き起こしたのだと思います。私は言論の場でも手記を発表して反論しています。それだけではなく、法廷でも捏造記者ではないことを認めていただこうと思っています。
 私は「捏造記者」ではありません。不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。
(弁護士ドットコムニュース)
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◆弁護士
 弁護士は、「捏造」という記載が名誉毀損に当たるとし、民事裁判で次の3つを求めるとしている。
●インターネット上にある西岡力教授の論文の削除。
●謝罪広告の掲載。
●損害賠償として1650万円の支払い。

 この訴訟は、元日弁連会長の宇都宮健児氏や福島瑞穂前社民党党首と事実婚の関係にある海渡雄一弁護士ら170人の弁護士が代理人となっており、植村元記者を攻撃する歴史修正主義者は他にも沢山いるため、弁護士らは次々と裁判を起こして植村氏の名誉の回復を図るのだそうだ。ちなみに、海渡雄一弁護士は「負けるな北星!の会」の呼びかけ人でもある。
 動画で説明をしている神原元弁護士は、共産党系の弁護士団体「自由法曹団」の常任幹事であり、日本労働弁護団(労働組合系の弁護士団体で、前身は元総評弁護団)や青年法律家協会(共産党系の法曹関係者団体)にも所属している。反原発デモやしばき隊とも関係している様子。典型的な左翼系弁護士だ。
 この弁護士が態々「歴史修正主義者」という言葉を持ち出しているのは、相手が外国人だからその言葉が効果的に働くと思ったからだろう。外国人は「歴史修正主義者」という言葉に嫌悪感を持つから、その負のイメージを利用しようとする意図があからさまだ。「捏造記者」とのレッテルを剥がすために法廷で争うと主張している側が、批判する者に対して「歴史修正主義者」のレッテルを貼ろうとするのは、滑稽と言うしか無い。レッテル貼りは左翼連中の常用手段にしても、あまりにも見え透いている。
 更に「次々と裁判を起こす」と発言したのは、批判したら裁判沙汰になって面倒なことになるぞと暗に恫喝し、萎縮させることを狙っていると思われる。

◆質疑応答
 植村元記者は、国内のメディアの取材からは逃げ回っていながら、ニューヨークタイムズの取材を受け、ハンギョレ新聞のインタビューを受けた。自分に不都合な質問をしないメディアを選び反論するという手法を取っている。その延長線上に外国特派員協会での記者会見もあるのだろう。
 記者会見の質疑応答を動画から要約すると以下の様になる。
●質問:妻が韓国人のため、中立的な記事が書ける筈がないとの批判についてどう思うか。
 回答:1990年夏、韓国へ2週間取材に行き、韓国挺身隊問題対策協議会や太平洋戦争犠牲者遺族会に頻繁に出入りした。元慰安婦には出会えなかったが、遺族会の事務をしている女性と出会った。その女性が遺族会の幹部の娘だとは知らずに恋愛し、結婚した。1991年夏、元慰安婦のカミングアウトの前にその存在を最初に明らかにした記事を書いたので、義母からの情報で書いたのではないかと批判されている。挺隊協と遺族会は別組織であり、義母は1991年8月の元慰安婦の証言記事の後にその元慰安婦に出会った。縁戚関係を利用した訳ではない。朝日新聞の8月の検証記事でも、12月に発表された第三者委員会の報告でも、縁戚関係を利用したとの疑惑は否定している。結婚前から慰安婦問題を取材しており、家族の問題として取材したのではなく女性の人権問題として取材していたのだから、結婚は関係ない。
●質問:朝日新聞が謝罪をしたことをどう思うか。萎縮し過ぎとの指摘もある。
 回答:朝日新聞は吉田証言問題も抱え、吉田証言記事を取り消して後に謝罪した。朝日新聞は私の家族までバッシングを受けているので萎縮していると思う。私は捏造記者ではなく、これから証明して行くし、文芸春秋1月号にもその証明を書いている。バッシングの理由は、朝日新聞記者であること、元慰安婦の証言記事を最初に書いたこと、妻が韓国人であることだと思う。攻撃により、自分や朝日新聞を萎縮させたいと考えている人々がいるのではないか。謝罪し取り消したのだから、朝日新聞には萎縮せずに慰安婦問題に取り組んで欲しい。慰安婦問題は解決していないのだから。
●質問:朝日新聞の慰安婦問題に民間や政府からの批判があり、フランスのジャーナリストに対するテロ事件には、首相が言論や報道の自由に言及している。日本の現状についてどう思うか。
 回答:北星学園大学に対する脅迫について、文科大臣が批判している。皆そういう気持ちを持っている。首相にも北星学園を支えて欲しい。
●質問:朝日新聞を退職したのは、強要か、自分の意思か。復職の希望はあるか。
 回答:朝日新聞を辞めさせられたのではない。50歳を過ぎてから大学院に入学し、博士論文にも取り組んでいる。2012年から北星学園大学で国際交流講義を受け持っていて、アジアの留学生に日本の社会事情や文化を教えている。特派員を経験したことにより、アジアとの係わり合いの大切さを知り、大学教員になろうと思った。幾つかの教員公募に応募して、神戸の大学に採用が決まったが、抗議が寄せられたために大学側が辞退を求めてきて、合意の上で契約解消した。まだ、記者であったので朝日新聞に戻る選択もあったかもしれない。しかし、捏造記者というレッテルを貼った者と戦うためには多くの時間が必要であるため、朝日新聞に戻らずに一人のジャーナリストとして戦おうと思った。捏造記者という記事を書かれてから、捏造記者ではないという証拠を探すために毎日多くの時間を費やした。取材を求める様々なメディアは沢山の質問状を送ってくる。だから、時間が掛かる。フリーになってそれが出来るのが現状。
●質問:名誉毀損の提訴は民事か。名誉毀損は強化した方がいいと思うか。
 回答(弁護士):民事。個人的には名誉毀損罪を強化すべきとは思っていない。
●質問:フランスのジャーナリストに対するテロ事件と自身に起きていることの類似性について一言。家族に具体的影響はあるか。
 回答:今のところ、言葉による脅しだけ。パリの事件は寛容さに欠ける人々が起こしたと思う。自分の記事が捏造と言われるが、当時は同じ様な記事が他紙にも沢山あった。それなのに個人がターゲットにされている。不寛容という社会に起きている現象という点でテロ事件と共通点があるかもしれない。戦争中の触れられたくない過去に目を向けようという人達に対して怯ませようとする動きが日本にあると思う。自宅の電話番号は公開していないのに自宅に嫌がらせの電話が掛かってくる。インターネット上に個人情報が公開されていた。弁護士が発信先を探したが分からなかった。匿名性に隠れて非難する人達が増えている。
●質問(江川紹子):植村氏には、反日というレッテルも貼られている。慰安婦問題を書いた反日記者あるいは日本を貶めていると言われているが、過去の問題を書く時に日本についてどのように思っているか。ナショナリズムの台頭が攻撃に関係していると思うか。
 回答:「売国奴」などと書かれた葉書が大学に送られて来ている。しかし、自分は反日ではなく、日本が他のアジアから尊敬される国になって欲しいと思っている愛国者と思っている。アジアからの留学生には、政治状況で関係が良くなったり悪くなったりするが、日本にも良い所があり、隣国関係は大切なので色々と学んで欲しいと言い、仲良くなっている。アジアの中で隣国との関係が大切だと思っており、記者としてもそう訴えてきた。自分の学生が日本から言論や学問の自由が無くなれば隣国にも影響するので辞めないでくれと言っている。だから、卑劣な脅迫で大学を去りたくないと思っている。分からないが、卑劣な脅迫をする人達は中国や韓国の人達と触れ合ったことが無く、頭の中でナショナリズムや排外主義が高まっているのではないか。
●質問:11月に脅迫電話を掛けた犯人が逮捕されているが、略式起訴になっている。検察の処分は軽過ぎると思うが、検察の処分と政府の北星学園大学に対する姿勢をどう思うか。
 回答:犯人とは全く面識が無い。日本のジャーナリズムは逮捕された時は大きく報道するが、その後は小さく扱われ、犯行動機の解明をするような報道が無かったのがジャーナリストとして残念。事件で一番大事なのは動機の解明であり、防止する方法になる。処分の軽重については判断出来ないが、抑止効果にはなったと思う。北星学園は小さな学校だが、戦後50年の時に平和宣言をしている学校でアジアへの侵略戦争反対と人権教育の大切さを訴えている。小さな大学が激しい攻撃に耐え、雇用を継続して学問の自由を守ると言って大きな勇気を示している。北星学園の平和宣言は政府の歩む道でもあり、政府も支援して卑劣な行為を食い止める力になってくれると思う。
 回答(弁護士):現地の弁護士から、警察はこの脅迫問題に熱心ではないという情報を貰っている。警察はきちんと取り締まれ。
●質問:被害者の立場を強調しているが、吉田発言について何本の記事を書いたのか。朝日新聞は吉田証言を虚偽と認めた訳だが、吉田証言が反日気分を煽ったことについてどう思うか。
 回答:吉田証言に関する記事は1本も書いていない。吉田証言の後に慰安婦問題の取材を始め、吉田証言の取材はしていない。朝日新聞を批判する本に吉田証言の記事を沢山書いたと書かれているが、それこそ捏造と言うのではないか。今月号の「世界」にデマ情報が活字にまでなっているのかが出ている。1991年8月11日の記事は、韓国でも報道されておらず、反日気分を煽っていない。日本がアジアの仲間になるための作業をしていると思っている。

 この記者会見での植村元記者の主張は「捏造記者ではない」ということなのに、それについての具体的質問は全く無い。最低でも、植村元記者の聞いたテープ内容の確認くらいすべきなのだが、フランスのテロ事件に結び付けようとの質問が目立つ。
 江川紹子氏の質問に至っては、植村元記者が脅迫の被害者であることと昨年末辺りから主張している愛国者だということをアピールさせるためのもだと疑わせる。葉書が用意されていることを考えると、前もって打ち合わせがされていたのかもしれない。

◆回答に対して
 回答にも幾つか引っ掛かる部分がある。
 義母と金学順氏が出会った時期について、植村元記者は「私の義母は、このお婆さんの存在を私の記事の後に知ったと言いますか、出会った訳です。」と述べている。義母が8月11日の記事まで金学順氏の存在を知らなかったのなら、言い直す必要は無い。では何故言い直したのか。実は、義母は記事が出される前から金学順氏のことを知っていて、記事の後に実際に会ったということではないか。後で前から知っていたことが発覚した時にまずいと思って、咄嗟に言い直したと感じるのだが、どうだろうか。
 次に、退職した件。退職理由を捏造記者というレッテルを貼った者と戦うために時間が必要であるためとしているが、朝日新聞の業務が原因なのだから、社員のままなら仕事として取り組むのが可能な筈だ。むしろ、講師になったら講義やその準備のために時間を要するようになるから、かえって時間的余裕は無くなる。それでも時間的余裕が増えたとするなら、大学の講義を疎かにすると言っていることに等しく、大学側に失礼ではないか。それに、週刊文春の記事が出てから1年近くになるが、これまで植村元記者は逃げ回るばかりで戦う姿勢など見せていなかったと思う。それを今更戦うためだったと言ったところで、信じられる訳がない。
 インターネット上に個人情報が公開された件では、弁護士が発信先を探したが分からなかったと説明しているが、書き込んだ者を特定するにはプロパイダに対して発信者情報開示請求を行う必要がある。それには裁判手続きを経なければならないが、訴訟を起こしたのだろうか。しかし、これまで訴訟を起こしたとの情報は聞かない。弁護士なら書き込んだ者を特定するにはプロバイダーに対して発信者の住所や氏名の開示を求める訴訟が必要と初めから言うだろうから、元々特定作業などしていないのではないか。大体、見ず知らずの者が公表していない個人情報を公開するのは困難だ。植村元記者はネトウヨの仕業と言いたげであるが、犯人は植村元記者の周辺にいる可能性が高いと思う。
 弁護士が質疑応答の中で「札幌の現地の弁護士から、現地の警察はこの脅迫問題に関して必ずしも熱心ではないというような情報を貰っています。日本の警察はきちんとこの様な卑劣な犯罪を取り締まるために戦うべきだということも訴えさせていただきます。」と脈絡も無く発言している。警察が熱心に捜査していないと言う訳もなく、弁護士が捜査内容を詳しく知る筈も無いのだから、こうした情報を流すことで暗に権力からも見放されていることをアピールし、同情を誘う積もりなのだろうか。どの様な意図があるにせよ、警察は職務怠慢と公言しているのだから、これは警察に対する名誉毀損になりはしないか。

◆司法記者クラブ記者会見
 外国特派員協会での記者会見は植村元記者らの思惑通りになったと見ていいだろう。でも、調べているうちに、植村元記者は外国特派員協会での記者会見の前に司法記者クラブでも記者会見を行っていたことが分かり、そこでは、外国特派員協会のようにはならなかった様だ。産経ニュースがそのことを報じている。
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≪慰安婦記事の疑惑拭えず 裁判戦術も疑問 元朝日記者の文芸春秋など提訴≫
http://www.sankei.com/affairs/news/150109/afr1501090028-n1.html
 文芸春秋と東京基督教大の西岡力教授を提訴した元朝日新聞記者、植村隆氏は9日の記者会見で「生存権」という言葉も使ってこう被害を訴えた。

 「名誉回復、人生の再生のために戦っていきたい。私は捏造(ねつぞう)記者ではない」

 確かに、嫌がらせや脅迫が勤務先の大学や植村氏の家族にまで及んでいる現状は看過できず、断じて許されない。ただ、この日の記者会見でも、肝心の植村氏が批判を受ける原因となった記事に関しては、説明は尽くされなかった。
 例えば植村氏は平成3年8月11日付朝日新聞朝刊の記事で、匿名の韓国人元慰安婦の証言テープをもとに「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され」と書いた。
 この記事の慰安婦と勤労動員によって工場などで働いた女子挺身隊との混同と、「戦場に連行」という強制連行を連想する表現とが後に問題化し、「捏造ではないか」と疑問視されるに至った。
 ところが植村氏は、記者会見で「テープで『挺身隊』と聞いたのか」と問うても、「定かでない」との答えだった。その上で、当時は韓国で挺身隊と慰安婦が同一視されていたことを繰り返し主張し、「自分にも同様の認識があった」と述べたが、テープにない言葉を恣意(しい)的に付け加えたとの疑惑は拭えない。
 植村氏は月刊誌「世界」2月号で「暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた」と書いている。記者会見でも「記事には『だまされて慰安婦にされた』と書いている」と強調し、自身は強制連行とは書いていないと訴えた。
 この問題をめぐっては、昨年12月に朝日新聞の第三者委員会が公表した報告書も「安易かつ不用意な記載」「『だまされた』と『連行』とは両立しない」と厳しく批判している。
 報告書の指摘について植村氏にただすと、「(第三者委から)注文はついている。確かに今となってはもうちょっと(丁寧に)書いておけばよかったなあ。そのくらいの話だ」との反応で反省は示さなかった。

 「私は言論人、活字の人だから、まず活字(月刊誌などに発表する論文)で説明しようと思った」

 植村氏は、これまでインタビュー取材を受けるメディアを選別してきた理由についてこう語った。一方で代理人の神原元(はじめ)弁護士は「これから170人の代理人が、(植村氏を捏造記者と呼んだ)その他の人々も順次訴えていく」と今後の裁判戦術を明らかにした。
 言論人であるならば、こうした大規模な裁判闘争に出る前に西岡氏と堂々と論戦したり、産経新聞などの取材を受けたりして、自らの言論で白黒を決めるべきではなかったかと疑問に思う。
(産経ニュース 阿比留瑠比)
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 外国特派員協会とは違い、証言テープや第三者委員会の報告の指摘などの追求があったようだ。メディアを選別してきた理由にも言及があり、「私は言論人、活字の人だから、まず活字で説明しようと思った」と答えている。植村元記者は言論人かもしれないが、スピーチで自ら「同じジャーナリストとして」と言っているのだから、今でもジャーナリストと自認しているのだろう。それならば、自分が取材対象の立場になったなら、積極的に取材に応じるというのが筋ではないか。植村元記者も現役時代は取材協力を求めてきた筈なのだから。
 この司法記者クラブでの記者会見について産経以外の大手新聞は、植村元記者が提訴したことを報じるのみで、植村元記者の記事に関する説明については触れていない。朝日新聞の特集記事以来、あれだけ大騒ぎしていたのにもう興味が無くなったのか。それとも、これ以上植村元記者を突くと、従軍慰安婦問題で問題のある記事を書いてきたではないかと反撃されそうなので無視することにしたのだろうか。

◆提訴された側の見解
 ちなみに、西岡教授らの提訴に対する見解を朝日新聞が掲載しているので、転載する。
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元朝日記者、文春などを提訴 植村氏「慰安婦記事捏造の報道、名誉毀損」
http://www.asahi.com/articles/DA3S11543536.html
~省略~
 これらの記事について西岡氏は雑誌などで、(1)「女子挺身(ていしん)隊の名で連行された」と書いているが、その事実はなく、経歴を勝手に作った(2)元慰安婦がキーセン(妓生)の育成学校にいた経歴が書かれておらず、身売りされて慰安婦になった事実に触れずに、強制連行があったかのように書いた(3)植村氏の義母は、元慰安婦らが日本政府を訴えた裁判の韓国の支援団体幹部で、結果的に裁判が有利になる捏造記事を書いた、などと指摘した。
 週刊文春は昨年、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との見出しの記事などを掲載した。
 訴状で植村氏側は、(1)当時の韓国では慰安婦を指す言葉として「女子挺身隊」が用いられていた(2)キーセン学校に触れなかったのは、慰安婦になったことと直接関係がなかったため(3)取材の端緒はソウル支局長からの情報であり、指摘された事実はない、などと主張した。
~省略~
<週刊文春編集部の話> 記事には十分な自信を持っている。
<西岡力・東京基督教大学教授の話> 訴状を見ないと詳しいことは分からないが、私が書いていることは、憲法が保障する「言論の自由」の中だと思っている。言論同士で論争すればよいと思うのに、裁判を起こされたのは残念だ。
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◆裁判
 植村元記者は、名誉毀損で民事訴訟を起こしたということだが、民法に名誉毀損に関して個別に決められた条文は無い。正確にいうなら、不法行為による損害賠償訴訟を起こしたということだ。
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(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(財産以外の損害の賠償)
第七百十条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
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 原告が訴えている不法行為は、名誉毀損罪違反であるから刑法の名誉毀損罪の条文に違反しているかどうかが争われることになる。
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(名誉毀損)
第二百三十条  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2  死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
(公共の利害に関する場合の特例)
第二百三十条の二  前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2  前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3  前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
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 西岡教授が2014年2月6日号で「捏造記事と言っても過言ではありません」とのコメントは出版されているし、このコメントによって植村元記者の社会的評価が低下したことは客観的にそう理解されるだろう。だから、原告側の立証は容易であり、原告の名誉が毀損されたことに争いはあまり無いと思う。とするならば、焦点は西岡教授が書いたことに「公益目的」、「公共の利害」、「真実」があるかということになる。このことについては、被告側が立証する必要がある。従軍慰安婦問題は国際的に拡散していることであるから、その原因の一つである記事が間違いであるとの指摘は、公共性を認められやすいだろう。問題は「真実であることの証明」になると思う。
 「大辞林」第三版の解説によると、捏造は以下の意味を持つ。
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ねつぞう【捏造】
( 名 ) スル
〔「でつぞう(捏造)」の慣用読み〕
実際にはありもしない事柄を,事実であるかのようにつくり上げること。でっちあげ。 「会見記を-する」
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 つまり、唯のミスではなく、故意に事実とは異なることを書いたと証明しなければならないのだと思う。その立証に一番良いのは、植村元記者が聞いた証言テープの内容と記事の内容が重要な部分で異なるということを示すことだろう。
 被告側が韓国挺身隊問題対策協議会から証言テープを提供してもらえるとは考え辛いし、植村元記者に尋問したところでよく覚えていないと言うだけだろう。
 裁判になったことで、事実が明らかになると考えるのは早計なのかもしれない。

 この民事訴訟は、植村元記者が主導して起こしたものなのだろうか。むしろ、左翼系弁護士が植村元記者に目を付け、民事訴訟を持ち掛けたのではと思える。代理人の弁護士がヘイトスピーチ法規制活動をしているので、その活動に利用しようとしているのではないだろうか。
 植村元記者がそう認識しているかは分からないが、民事訴訟が攻撃を止めさせる有効な方法と考えているのは確かだろう。ただ、それだけが民事訴訟を起こした理由ではないような気がする。裁判を起こせば、裁判を理由に取材を断る言い訳が出来、取材から逃げているとの批判をかわせると内心目論んでいるのかもしれない。

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≪【全編動画】「私は反日ではない」慰安婦報道の元朝日・植村記者が反論会見≫
http://www.bengo4.com/topics/2544/
https://www.youtube.com/watch?v=fPpV-oxDLsU&feature=player_embedded
IWJ Independent Web Journal
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/%E7%A5%9E%E5%8E%9F%E5%85%83
Listening:<ヘイトスピーチ法規制>「暴力」からの救済か、乱用への警戒か
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20141117org00m040004000c.html

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植村元記者がハンギョレ新聞の取材を受ける 前編

 先日、北星学園大学の非常勤講師の植村隆元朝日新聞記者が、ニューヨーク・タイムズの取材を受けていたことが明らかになりましたが、今度は韓国のハンギョレ新聞の取材を受けていたことが分かりました。
 12月21日のハンギョレ新聞に、植村元記者のインタビュー記事が掲載されています。
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[インタビュー]「私が書いた慰安婦記事はねつ造ではない…右翼の脅しには屈しない」
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19119.html
■23年前“慰安婦”を初めて報道した植村隆元朝日新聞記者

 「いまでも夢を見ているようだ。なぜ私にこのようなことが起きたのか」
 16日、北海道の中心都市、札幌市内の事務所で向かい合って座った植村隆元朝日新聞記者(56)は、頭を抱えて深いため息をついた。黙って彼の姿を見つめることしか、他に慰めの言葉は思いつかなかった。

 慰安婦問題を取り巻くし烈な攻防が繰り広げられている日本の社会で、植村記者は大変独特な位置にある。彼は1991年8月11日、「朝日新聞」大阪本社版に、自ら日本軍慰安婦であったことを初めて公に明らかにした金学順さん(1924~1997)に関する最初の記事を書いた人物である。彼は日本の右翼にとって、慰安婦に関する「捏造記事」を書き、日本の名誉と国益に限りなく大きな傷を残した「売国奴」だ。しかし、慰安婦問題を解決することが、より良い日本と平和な東アジアを作り上げる第一歩になると信じる革新勢力にとっては、崩れてはならない重要な「砦」となっている。「ハンギョレ」は16~17日の2日間にわたる植村との深層インタビューを通じて、安倍政権の河野談話(1993年)検証が行われた過去1年間、日本の右翼の度を越したバッシングを、なす術もなく受け入れねばならなかった彼の苦痛の時間を振り返った。

 そのなかで確認できたのは、日本社会の歪んだ自画像だった。

韓国人の妻と結婚し
義母が太平洋戦争遺族会長
右翼は虚偽宣伝戦を行った
義母たちのために記事をねつ造したと…

- あなたは23年前、金学順さんの証言を初めて報じた。それによってこの1年間、どんな目にあってきたのか。

 「 攻撃の始まりは、1月末発売の「週刊文春」(発行日基準では2月6日号)だった。記事のタイトルは「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様大学教授に」だった。慰安婦捏造記事を書いた植村が、4月から神戸松蔭女子学院大学の教授になるという内容だった。数日後の1月31日、学校の事務局長から会いたいと電話がきた。そして、2月5日、神戸のホテルで副学長、事務局長と面談した。私は記事を捏造していないのだから、きちんと説明すれば学校でも理解してくれると考えた。そこで説明資料を取り出したところ、大学側では「記事の真偽とは関係なく、このままでは学生募集などにも影響が出る。松蔭のイメージが悪化する」と述べた。私が本当に記事を捏造したなら仕方がないことだが、そうでないからとても残念だった。 しかし、ある意味では大学も被害者だった。訴訟は起こさなかった。そして、3月7日に雇用契約が解消された。最初はこれで終わりだと思っていた」

 植村記者に対する日本の右翼の限度を超えたバッシングが始まったころ、「産経新聞」を筆頭にした日本のマスコミは、韓日間の大きな外交懸案となっている慰安婦問題を自らに有利な方向へと導くために、慰安婦動員過程の強制性を認めた河野談話に対する攻撃を始める。菅義偉官房長官は2月20日、河野談話検証チームを設置するとの計画を公式に発表した。検証チームは4月から本格的に活動を開始、6月20日に報告書を出した。安倍政権が河野談話に揺さぶりをかけると、右翼は自分たちの怒りを表出する対象を探し始める。安倍政権が河野談話検証に乗り出す過程で決定的役割を果たした山田宏衆議院議員(当時、次世代の党)は、植村記者を国会証人喚問すべきとの主張まで展開した。彼に対するバッシングはもちろん、彼を非常勤講師に採用していた北海道・札幌市の北星学園大学まで右翼の攻撃対象となった。

- あなたがこのようにとんでもないバッシングを受けるようになった原因は何だと思うか。

 「今の状況は自分も時折実感がわかない。金学順さんの初の証言が出たころ、私と同じような記事を書いた人は多かったのに、 なぜ私だけがこのようなバッシングを受けるのか、理解できない。私が金学順さんの証言を最初に書いた経緯はこうだ。<朝日新聞>大阪本社社会部時代の1990年、当時のデスクが夏の平和企画として、韓国にいる慰安婦の女性を探してみようというアイディアを出した。それでその年の夏、2週間ほど韓国を回って取材した。 しかし、歩き回っただけで取材は空振りだった。 それから1年後、当時を記憶していたソウル支局長「韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が慰安婦の女性を見つけたようだけど、取材してみないかね」と提案してきた。それで1991年8月10日、ソウルの挺隊協事務所で、尹貞玉・共同代表から金学順さんの 証言を録音した録音記録を聞くことができた。 インタビューではなかったので質問できない状況だったが、長い間沈黙していた韓国の慰安婦女性が初めて歴史の前面に出てきたことだったので、十分記事の価値はあると判断した。 右翼は、慰安婦問題が今のように世界的に大きな問題となったのは、私が金学順さんの証言を報道したからだと主張する。しかし、私が翻訳家の友人に頼んだが、私の記事を引用報道(転電)した韓国のマスコミは見つけられなかった。 この問題が注目されるようになったのは、金学順さんが8月14日に直接記者会見をしたからだ。

 結局、私が推測できる理由は一つ。私の妻が韓国人で、義母が梁順任・太平洋戦争犠牲者遺族会会長だからだ。しかも、義母が戦後補償訴訟と関連して詐欺罪で起訴された事件(8月に無罪が確定)があった。右翼はこれらをもって 、植村が義母のために記事を捏造したという 虚偽のプロパガンダを流布させている. 私は 1996~1999年の ソウル特派員時代には、 梁順任の婿が慰安婦問題を書いていると言うバッシングを受けたくなくて、 そうした記事はわざと避けていた」

娘に対する攻撃が変化の契機
市民たちが怒り始め
学者・弁護士・ジャーナリスト444人が支持
脅かされた講師職 契約1年延長

- 最初、慰安婦や韓国に関心を持った背景は何か?

 「私は1978年に早稲田大学に入り、1982年に朝日新聞に入社した。学生時代は韓国の政治情勢が急変した時代だった。 1979年に朴正熙大統領が死に、 1980年に光州事態が起きた。 1981年には金大中大統領の死刑確定判決があった(直後に無期に減刑). 学生時代、寮に在日韓国人の先輩がいた。彼は1970年代にソウル 留学したが、在日同胞スパイ団事件の巻き添えになるのが怖くて、日本に帰って来た人だった。彼を通じて朝鮮半島や 在日朝鮮人の差別問題等について学ぶようになった。 1981年に旅行で韓国を訪れたこともあったし、学生時代には金大中死刑求刑反対運動にも参加した。 その後1987年から1988年までの1年間、韓国に語学研修に行く機会があった。韓国が長い独裁政権に終わりを告げ、民主化された時期だった。 1987年の大統領選挙の時、汝矣島広場で開かれた金泳三、金大中、盧泰愚の各大統領の選挙遊説にもすべて参加した。誇張ではなく、本当に100万人が集まった時代だった。 (1987年10月) ソウル明洞のYMCA 講堂で開かれた <ハンギョレ新聞> 創刊発起人大会にも行き、宋建鎬 先生(<ハンギョレ新聞> 初代社長)ともお会いした。 その後、1989年11月から大阪社会部に勤務し、在日韓国・朝鮮人問題を担当した。1997年12月、ソウル特派員時代に <朝日新聞>で金大中大統領の当選記事を書いたのも私だ」

-日本の右翼があなたを「捏造記者」と呼ぶことについてどう思うか。

 「捏造記事は書いていない。私への批判は、金学順さんに関する記事で 「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」を混同して書いたということであり, もう一つは、金学順さんが 慰安婦として連行される前に キーセン学校に通った事実に言及しなかったという点だ。だが、 慰安婦問題が初めて露わになった時、韓国では 慰安婦と挺身隊を同義語として使っていた。 また、キーセン学校は酒の席で踊りを踊ったり楽器を扱う方法を学ぶ場所で、そこに入ったからといって 必ず慰安婦になるわけではない。私を批判する <読売新聞>の当時の記事を見ても、 挺身隊と慰安婦を混同したり、金学順さんがキーセン学校に通った事実に触れない記事がある。

 金学順さんが「強制連行」されたとも書いていない。個人的には朝鮮では慰安婦の強制連行はなく、少なくとも今までは、これと関連した資料は発見されていないと思う。金学順さんも 一貫して言っていることは、 強制連行ではなく「だまされて行った」 「意に反して行った」ということだ。私は記事に 「女子挺身隊の名で連行され、日本軍を相手に売春行為を強いられた」と書いた。ここでの「連行」は、 まともな人たちを狩りをするようにつかまえるという意味の強制連行ではない。嘘であることが暴露された 吉田清治 証言(自分が済州島で女性狩りをするように強制連行したと語った証言)に基づく記事は1本も書いていない」

- あなたが右翼からとんでもないバッシングを受けていたころ、<朝日新聞>では慰安婦記事に関する検証記事を発表した。

 「8月5日 <朝日新聞>が 慰安婦記事を検証し、私が書いた記事は 「捏造ではない」と確認した。 私はこれで自分の名誉が回復するものと思っていた。しかし、私に対する記事と吉田証言が嘘であることを認めた記事が共に出私が吉田証言と関連した記事を書いたというデマも広がった。 そのためバッシングの強度がさらに増した。最も戸惑い孤独を感じたのはその頃だった。最初、変化のきっかけになったのは、娘に対する右翼のバッシングだった。 幼い女学生に対する限度を超えたバッシングに人々が憤り始めた。 この間交流してきた元高校教師の 新西たかし(85) さんら支援者が現れ、私を支援する人々を集め始めた。フェイスブックを通じて、「北星学園大学を応援してほしい」と訴えた。これが日本社会の雰囲気を変えるのに大きな役割を果たした。また、9月19日付 <週刊金曜日>に私の状況を告発する記事が初めて報じられた。そして、 9月30日大阪の帝塚山学院大学に 在職していた<朝日新聞> 出身の 文学部教授(67)が、脅迫電話に屈して辞職した出来事が<毎日新聞>に報道された。この事件をきっかけに、それまで私の問題を扱わなかったマスコミが北星学園大学でも同じようなことが起きているという事実を報道し始めた。 こうした流れのなかで、 10月6日全国の学者、弁護士、マスコミ関係者ら444人が集まり、「負けるな北星!の会」を作った。そして、12月17日 北星大学が 私との非常勤講師契約を 1年延長すると発表した」

- 新聞社をやめた後の生活は?

 「<朝日新聞>の定年は60歳だ。しかし、本人が (年棒ピーク制を) 選択する場合、定年が延長され65歳まで通える。 私は神戸の女子大教授職に合格していたから、 55歳で退職を出していた。 現在、の仕事は北星学園大学の非常勤講師だけだ。 50歳の時、早稲田大学の博士課程に入学した。 大学で学生たちを教えながら叙述活動をするのが夢だった。日本には50歳を過ぎて教授になりたいと思う記者が大勢いるので、教授を公募する際、競争率がとても高い。それでも何度か面接までこぎつけたが、ほとんど慰安婦関連報道が問題となって途中で脱落した。 そんな時、やっと合格したのが神戸の女子大だった。私は テヘラン、ソウル、北京で特派員生活を送り、本も数冊出した。しかし、博士課程を終えて学位をもらうとしても、今後、大学への就職は難しいかもしれない。」

- この1年間の日本の姿を見て何を感じるか。

 「私は日本を愛する愛国者だ。日本がアジアで尊敬される国になることを願っている。 そうなるためには、私たちが周辺国に謝罪することがあるなら謝罪し、直すべき点があるなら直すべきだと考える。 過去の問題をきちんと解決しなければ、アジアの中で日本は尊敬や信頼を勝ち取れない。私が金学順さんの記事を書いたのは32歳の若い時だった. 当時 「太平洋戦争開戦から50年が過ぎ、ようやく歴史の暗部に光が当たろうとしている。この歴史に対して、われわれ日本人は謙虚であらねばならない。これを放置することは、ハルモニたちを見殺しにすることに他ならないのだ」と書いた。これは若き日の植村が、56歳になった今の植村に投げかけた言葉だと思う。これまでは慰安婦問題をあえて避けてきたが、これからはこの問題に目をそらさず直視したい。攻撃されて逃げ場所がないから闘うしかない。いまの日本には歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃しようとする勢力がいる。しかし、それに屈しないと声を上げる人々もいる。来年も学生たちを教えられるようになったことが何よりうれしい。 私は捏造記事など書いていない。これからも不当な攻撃に屈せず闘っていこうと思う」

札幌/文・写真 キル・ユンヒョン特派員
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 この記事が当初Yahoo!ニュースに転載された時、内容が上記とは若干違っていました。
*** Yahoo!ニュース版 ***
-新聞社を辞めた後、生活の方はどうなのか?
 「朝日の定年は60才だが、(年俸ピーク制を)選択すれば定年が延びて65才まで通える。私は神戸の女子大教授職に合格した状態だったため、55才で退職した。現在北星学園大学から出る非常勤講師の講師料は月5万円程度だ。
 50才の時に早稲田大学の博士課程に入学した。大学で学生たちを教え著述活動をすることが夢だった。日本には教授になりたいという記者が多いので、教授公募の競争率がとても高い。何度も面接までは行ったが、ほとんど慰安婦関連報道が問題になって中途脱落した。
 そうするうちに、ようやく合格したのが神戸の女子大だった。私はテヘラン・ソウル・北京で特派員生活をしたし、本も何冊も出した。
しかし博士課程を終えて学位を得たとしても、大学に就職することは難しいだろう。そんなことを考えると恐怖も襲ってくる」
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 「非常勤講師の講師料は月5万円程度」と「考えると恐怖も襲ってくる」の部分が、ハンギョレ新聞のサイトに掲載されている記事にはありません。Yahoo!ニュースの記事は差し替えられたらしく、現在の記事にもこの部分はありません。
 講師料を記載したため、植村元記者又は大学側からクレームが寄せられ、削除したのでしょうか。もし、年棒60万円なら、家族を養っていけないでしょう。非常勤講師の職に執着していては、生活が破綻しかねません。普通なら違う職を探さなければならないのに、来年も非常勤講師を続けるようです。事情が事情だけに、次の職を見つけるのは困難ということもあるでしょうが、大学の教職の肩書きを無くするのはプライドが許さないのでしょう。

 ハンギョレ新聞のインタビュー記事は、先日のニューヨーク・タイムズのインタビュー記事より数段ましですが、植村元記者をバッシングの被害者との視点で構成しています。ですから、日本のメディアの取材を拒否している理由など、植村元記者に都合の悪い質問はありません。けども、植村元記者がどの様な考えでいるのかが、発言から垣間見ることは出来ます。次回は、植村元記者の発言などについて考察してみます。

・・・続く。

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NYタイムズが植村元記者を取材する 後編

 「コメンテーターが呼ぶ『朝日戦争』は、新聞が世論の批判に屈して・・・8月に始まった。」と書いているにもかかわらず、記事全体としては、安倍首相をはじめとする右翼が日本の良識人(朝日新聞や植村元記者)に不当な言論弾圧を加えているという構成で書かれています。朝日新聞が特集記事を出した後、不十分な検証や謝罪が無かったことで大きな批判が巻き起こりましたが、別に右翼と呼ばれる人達だけが批判していた訳ではありません。その中心は普通の人々でした。だから、従軍慰安婦報道批判を載せた週刊誌が飛ぶように売れたのです。
 この偏見に満ちた記事には、「右翼」「超国家主義者」「民族主義」「修正主義者」などの言葉が何度も出てきます。これらの言葉には、暴力的な臭いが漂い、一般に良いイメージはありません。こうした言葉を多用することによって、朝日新聞を非難する者達は「悪者」なんだという漠然としたイメージを海外に植え付けようとしているのでしょう。
 記事中に「タブロイド紙」という表現が出てくるのも、そうしたことなのだと思います。日本では、タブロイド紙はマイナーな存在で、「日刊ゲンダイ」「夕刊フジ」「SANKEI EXPRESS」くらいしかありません。タブロイド紙が、突出して朝日新聞批判をしていたとか、影響力が甚大というなら分かりますが、そういうことはありません。それなのに、「タブロイド紙は・・・」なんて書いているのは、タブロイド紙が海外で「低俗」というイメージを持たれているからでしょう。イエロージャーナリズムが朝日新聞批判を行っているのだというイメージを読者に思わせたいとの意図を感じます。

 ちなみに、この記事では、修正主義(Revisionism)が歴史修正主義(Historical revisionism)の意味で使われています。あまり馴染みのない言葉ですが、海外メディアは安倍首相の歴史認識を批判する場合に使用していようです。
 歴史修正主義という言葉を辞書で引くと、こう出てます。
=== デジタル大辞泉の解説 ===
れきししゅうせい‐しゅぎ〔レキシシウセイ‐〕【歴史修正主義】
1 歴史に関する定説や通説を再検討し、新たな解釈を示すこと。
2 一般的な歴史認識とは異なる解釈を主張する人、またそうした言動を否定的にいう語。
==================
 1が本来の歴史学用語としての意味です。例えば、仁徳天皇陵は、仁徳天皇の没年と古墳の成立時期が矛盾するとの説が有力になったため、大仙古墳と呼び名が変わりました。
 2は通俗的な用法で、定説を否定する歴史観に対する否定的レッテルとして用いられます。歴史が検証され、修正されるのは当然のことなのですが、否定的な意味で使われているのは、歴史的な経緯があるためです。左派論者の哲学者・高橋哲哉氏の著書「歴史/修正主義」にはこうあります。
=== 「歴史/修正主義」 ===
物語られた歴史historyは,見直し=修正revisionの可能性につねに聞かれている.見直し=修正を拒否する歴史は,イデオロギー的に絶対化された歴史である.だから,修正主義revisionismという言葉も,かつては必ずしも悪い意味ではなかった.ところが近年では,「歴史修正主義」という言葉はほとんどいつもネガティヴな意味で使われ,批判の対象に付けられるべき名前となった.「ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大量殺戮)などでっち上げ」「ナチ・ガス室はなかった」などと主張するホロコースト否定論者たちが,みずから歴史修正主義者revisionistを名乗って活動していることが大きい.1990年代後半の日本に,「自虐史観」批判を掲げて登場し,「日本軍〈慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」「南京大虐殺はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が,「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになったのも,この連想か働いたためである.
=================
 つまり、ホロコースト否定論者が自分たちのことを「歴史修正主義者」と名乗ったために、反ユダヤ主義がタブーとされる欧米社会で否定的イメージとなり、確定している歴史的事実について異議を唱えるという行為に拒絶反応を示すのです。欧州ではホロコースト否定を違法とする国(ドイツ、フランス、スイスなど)もあり、歴史修正主義者の歴史学者が逮捕されたり、発禁処分になる事件も起きています。このレッテルは日本人が考える以上に大きいものなのかもしれません。

 閑話休題。NYタイムズ記事で植村元記者について書かれていることを抜き出してみます。
●植村元記者が33歳だった時に韓国の元慰安婦の記事を書いた。
●その元慰安婦の記事により右翼の標的にされている。
●その記事は朝日新聞が取り消した中には無い。
●一つ目の教職を棒に振り、二つ目の教職も脅迫によって奪われそうになっている。
●植村元記者の子供達が脅威にさらされている。
●「彼らは、歴史を否定する方法として脅迫を使っている」「彼らは我々を沈黙させるために脅迫したいのだ。」と植村元記者が言っている。
●朝日新聞が自己弁護したり、植村元記者を擁護することは、恐怖心を抱かせることだったと植村元記者が言っている。
●植村元記者が公の場に登場しないことについて、「これは、他のジャーナリストを沈黙させる右翼の脅迫方法だ。」との植村元記者の言葉を紹介している。
 植村元記者が書いた記事は、元慰安婦の金学順氏が女子挺身隊として連行されて日本軍人相手に売春を強制されたというものでしたが、金学順氏はその後の記者会見などでキーセンに売られたと言っていました。だから、植村元記者が捏造したのではないかと疑われています。また、植村元記者の義母の梁順任氏が、日本政府を相手に損害賠償訴訟を起こした太平洋戦争犠牲者遺族会の会長だったことから、訴訟を支援するために記事を書いたのではとも疑われています。ですから、多くのメディアは植村元記者に取材しようとしているのですが、植村元記者は逃げ回って答えようとしていません。
 NYタイムズ記事はこうしたことを一切書かず、植村元記者が脅迫によって沈黙させられ、公の場にも出られなくなっているように書いています。これでは、植村元記者が右翼に都合の悪いことを書いたから言論弾圧を受けていると、よく知らない者は思うでしょう。実際は逆で、日本の国民の多くは植村元記者の説明を聞きたいのです。植村元記者の説明を誰もが求めているということは、8月から始まった慰安婦問題の騒動を知っている者ならば分かっているはずです。だから、この記事を書いたファックラー記者も、植村元記者が「彼らは我々を沈黙させるために脅迫したいのだ。」と言っても、事実に基づかない弁明と分かっているはずなのです。だけども、記事には植村元記者の発言を否定したり、疑問視する表現はありません。脅迫で沈黙させられていると印象付けるために、あえて書かなかったのでしょう。

 植村元記者が、日本のマスコミ取材を忌避しながらNYタイムズの取材を受けたのは、自分に都合のいい記事を書いてくれると確信していたからでしょう。その期待を裏切らず、ファックラー記者は植村元記者を理不尽な攻撃を受けている被害者であるかのように書き上げました。
 このファックラー記者とは、どの様な人物なのでしょうか。ウィキペディアから引用します。
=== マーティン・ファックラー ===
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC
 マーティン・ファックラー(Martin Fackler, 1966年11月16日 )はアメリカ人ジャーナリスト。2009年2月からノリミツ・オオニシの後任としてニューヨーク・タイムズ(NYT)東京支局長を勤める。
◇経歴
 アメリカ合衆国アイオワ州生まれジョージア州育ち。ダートマス大学2年のときに中国語と漢文習得のために東海大学 (台湾)に留学したことで東アジアと関わり始める。慶応義塾大学で日本語習得の機会があり来日、その後1993年東京大学で経済学修士取得。1994年イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校でジャーナリズム修士号取得後、1996年カリフォルニア大学バークレー校で東洋史研究によりPh.D.取得。 1996年からブルームバーグの東京駐在員。1年半後にAP通信に移り、東京を皮切りにニューヨーク、北京、上海で活動。2003年からウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の東京駐在員として金融、財政、貿易、外交などをレポート。2004年に25年勤めたWSJからNYTに移ったばかりのラリー・イングラシア(Larry Ingrassia)に引き抜かれ2005年からNYT東京駐在員、東南アジア支局長に転出したノリミツ・オオニシの後を受け2009年2月から同紙東京支局長。WSJ、AP通信を経て、2009年2月にNYTに移った田淵広子(Hiroko Tabuchi)とともに同紙日本トピックキュレーターも勤める。
◇受賞
 ファクラーらによる東日本大震災に関する報道は「国土を破壊し、原子力事故を引き起こした津波、地震後、日本政府が隠蔽した一連の深刻な失敗を力強く調査したことにより(NYTウェブサイトより)」、2012年ピューリッツァー賞のファイナリスト(最終選考対象)にノミネートされた。
 また、調査記事チームの一員として、米国海外報道クラブ(Overseas Press Club of America)のハル・ボイル賞(Hal Boyle Award)の次点[要出典]、またアジア出版協会から調査報道として優秀賞を受賞した[3]。そのほか同僚と共に、2011年のエネルギー関連報道で世界エネルギー賞の優秀賞を獲得した。
◇著名な記事
 東日本大震災に際しては精力的な取材と報道を行い、2012年のピューリッツァー賞にノミネートされるなど高く評価された(後述)。
 小沢一郎に対する検察捜査のあり方と当局の発表を無批判に報道する日本の記者クラブのあり方を批判し、2009年3月から2010年1月にかけて、西松建設事件を巡る問題を報道。その後、記者クラブの批判者として日本のメディアから多くの取材を受ける。
 2012年8月2日には「強い円は日本の世代を分断する」と題する報道を行い、円高によるデフレーションは金融資産を保有する高齢者に有利に働き、政治的影響力の強い高齢者の多い日本ではこの傾向を反転させるのは難しいだろうと述べた。これに対し、藤崎一郎駐米大使が強い不快感を表明する一方、同じく円高や景気の動向の影響を受けにくく政治的影響力の強い公務員の影響が抜け落ちているとする批判もある。
 2012年8月19日に、日本の議員らが尖閣諸島に上陸したことについて、彼らをNationalist(民族主義者)と表現。旭日旗(Rising Sun flag)を持っていったと事実に反する報道を行ったと指摘するものもいるが、小学館プログレッシブ和英辞典や研究社新和英大辞典などの和英辞典でも、「日の丸」(日章旗)はRising Sun Flagと訳されており、また1915年には満州をめぐって当時アメリカで台頭しつつあった日本脅威論に反論する形でChugo OhiraがNYTに起稿、星条旗(star-spangled banner)に対応させる形でrising sun flagを用いるなど、NYTでは日章旗を表す表現として以前からRising Sun flagが使用されている。
~以下省略~
====================

 東日本大震災関連でピューリッツァー賞にノミネートされる程の記事を書いている一方、北海道猿払村の朝鮮半島出身者の追悼碑建立の件では、無許可建立だったことに触れずに「戦争犯罪を忘れさせようと、日本で圧力がかかった」と書いて物議を呼んでいたようです。

===J-CASTニュース ===
朝鮮人追悼碑「ネット右翼の圧力で中止になった」 NYタイムズ紙の日本批判報道が物議
http://www.j-cast.com/2014/10/31219859.html
~省略~
圧力がかかったとされた追悼碑の建立は、猿払村の共同墓地で進められていた。もともとは、地元の男性が朝鮮出身者を慰霊しようと発案したものだ。
村では、旧陸軍が対ソ戦に備えて1942~44年に浅茅野飛行場を建設し、日本人も含めて多くの朝鮮出身者が過酷な環境で働いていたとされる。そんな中で、80人以上が栄養失調やチフスなどで亡くなったと伝えられ、飛行場近くの旧共同墓地などに埋葬されたという。
そのことを知った地元男性の呼びかけで、市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」などが06~10年まで発掘調査を行い、39人の遺骨を見つけて近くの寺に安置した。その後、韓国政府機関「対日抗争期強制動員調査・支援委員会」も加わって追悼碑の建立が進められ、13年11月26日に除幕式が行われる予定になった。
このことが韓国でも報じられると、日本のネット上で騒ぎになり、村には、「強制連行というが、根拠はあるのか」といった抗議が相次いだ。そんな中で、村有地の追悼碑建立に村への許可申請がなかったことが分かり、村は除幕式の中止を求めていた。12月8日には、追悼碑が自主的に撤去され、村の総務課によると、その後は改めて申請はないという。
しかし、ニューヨーク・タイムズ紙は、記事の中で追悼碑が無許可だったことに触れず、ネット右翼の抗議が相次いで村が建立中止を命じたと書いている。
記事では、その抗議について、「村の住民たちは国賊だ」「特産のホタテガイの不買運動をするぞ」といったものだったと指摘している。
ニューヨーク・タイムズ紙の報道について、猿払村の総務課では、「ニュアンスについては、違う部分があると思います」と戸惑いがちに取材に答えた。「抗議の電話やメールが多数あったのは事実ですが、圧力があったので除幕式の中止を申し入れたわけではありません。あくまでも、手続き上の不備があったということです」と説明した。
~省略~
記事を書いたのは、ニューヨーク・タイムズ紙の東京支局長だった。そこで、支局に話を聞こうとすると、支局長は取材で外出しているとのことだった。
=================

 マーティン・ファックラー東京支局長は、この猿払村の記事(2014年10月28日付)を書く前に、的場光昭(「アイヌ先住民族、その不都合な真実20」の著者)氏に取材をしていました。的場氏が「正論」2013年11月号に「朝鮮人『人骨』騒動の呆れた?末」を寄稿していましたので、それで取材対象にしたのだと思われます。
 ファックラー支局長は猿払村への「電凸」について的場氏に質問していて、的場氏は、
●猿払村への朝鮮人強制連行はなかった。タコ部屋労働ではないか。
●「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」には、朝鮮総聯や過激派の関係者が含まれ、この団体は東川町や美瑛町でニセ人骨を用いて石碑を建立しようとしていた。
●猿払の土壌で60年以上人骨が残存することはありえず、発見された人骨には法医学的な疑念が数々ある。
●無許可建立は犯罪であり、村が土地を提供したとしたら、外交・行政両面において大変な問題。
との説明をした上で、電凸は「そよ風」が始めたこと、村に問題点を説明したことについては村から感謝されているなどと回答した模様です。
 ブログ「そよ風」には、ファックラー支局長の取材の件が詳しく書かれ、そこで的場氏はこのように言っています。
=== そよ風 ===
電凸は「いじめ・ヘイトスピーチ」?byニューヨークタイムズ
2014年09月09日
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51834033.html
 ニューヨークタイムズは私に猿払の問題点を聞きたいと言っておきながら、実際には電凸について私をやり込め、日本の右翼団体の非民主主義的な実態を世界に発信したかったのでしょうが、米国の文献を用いて、非民主主義的で議論を許さないのは固定観念に固まったマスコミであることを明らかにして、バッサリ返り討ちにしておきました。
 ところで、NT紙からは回答内容を記事に反映させるという謝意がとどけられましたが、私は同紙を購読しておりません。
 もしどなたか関連掲載を発見されましたら、そよ風を通じてお知らせください。
~省略~
===========
 ニューヨーク・タイムズは回答内容を記事に反映させると返答したとのことですが、結果からすると無視されたようです。
 的場氏は回答の中で「Public Opinion」(Walter Lippmann著、日本版「世論」岩波文庫)を引用し、「報道によって広く拡散した固定観念は、これを否定する新しい事実を前にしても、個人レベルそして公的レベルにおいても変更は困難だと警告しています。つまり多くの人々は一度形成されてしまったステレオタイプ思考から抜け出せないというものです。」と書いていましたが、右翼の戯言と鼻で笑っているのでしょう。

 ニューヨーク・タイムズは朝日新聞と業務提携をしていて、東京支局が朝日新聞東京本社内にあるからではないでしょうが、朝日新聞と体質が似かよっている感じがします。ニューヨーク・タイムズは、リベラルでピュリッツァー賞受賞者も多く輩出しているが、異論を認めようとせず、歪曲などの批判を無視する傾向にあり、誤報も多いと評する人もいます。世界一の新聞に勤務しているというエリート意識が強いとも。
 ファックラー支局長もこの様な企業文化の中にどっぷりと浸かっていて、自身の考えは絶対的に正しいと信じ込んでいるのでしょう。一種のカルト信者のようなものです。こうした人達に事実を示して反論しても効果はありません。異論には聞く耳を持たず、攻撃して封じ込めようとすることに注力するからです。
 慰安婦問題については、河野談話などのために、海外では「日本軍がセックススレイブにした」と信じている人が多いのでしょう。だから、慰安婦像が立ったり、非難決議が出るのだと思います。慰安婦狩りをしたとの報道ばかりを聞かされていれば、そうなるのも当然かもしれません。海外ではセックススレイブ論が一般的なのでしょう。
 セックススレイブ論は定着しているので、反論しても歴史修正主義者と思われるだけで無駄であり、謝罪をする方が良いと発言する人がいます。「大日本帝国=悪」とのイメージを強くもたれているので、覆すのは容易ではないでしょう。だけど、事実を聞かされている内に目を覚ます人もいるのです。

 弁護士でタレントのケント・ギルバート氏は、朝日新聞が記事を取り消したことについて、自身のブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもり」にユーモアを交えて書いています。
=== ケント・ギルバートの知ってるつもり ===
朝日新聞へのアドバイス
http://ameblo.jp/workingkent/entry-11913718096.html
~省略~
 ところで私も「従軍慰安婦問題はあったのだ!」と先日まで信じ込んでいましたから、朝日新聞に完全に騙された人間の一人です。だから朝日新聞は私にも謝罪して欲しいです。保守系の友人たちは「従軍慰安婦問題なんて無かったんですよ!」と何度か私に教えてくれました。しかし私は全く聞く耳を持たなかったので、彼らは密かに私を馬鹿にしていたかも知れませんし、彼らの信用を失ったかも知れません。そのことを考えると精神的苦痛を感じるから、朝日新聞に対しては損害賠償を請求したいくらいです。
 というのは冗談ですが、朝日新聞にまんまと騙された被害者が他にもいることを忘れてはいけません。韓国人です。彼らは「日本軍は韓国人女性を強制連行して従軍慰安婦(性奴隷)にした」という、朝日新聞が書いた記事を真実だと信じたからこそ、日本政府にしつこく謝罪と賠償を要求してきました。さらに、韓国の日本大使館の目の前や、アメリカ国内の複数の場所に「従軍慰安婦像」なる銅像を設置する活動も、真剣に継続して来ました。
~省略~
 それを今さら「取り消します」っていうのは、韓国人に対するひどい裏切りです。赤っ恥をかかされた韓国人の精神的苦痛は、私とは比較になりませんよ! しかも朝日新聞のせいで、国連人権委員会の調査内容がいい加減だったことまで一緒にバレちゃったんですよ! 人権委員会に報告書を提出したクマラスワミさんには、彼女が死んでも消せない汚点が歴史上に残っちゃったじゃないですか!
 慰安婦像の製作費用とか、アメリカの上院議員や市長など政治家をこの問題に巻き込むために使ってきたロビー活動の費用とか、国連人権委員会があるジュネーブまでの出張費用とか、韓国人は地道な先行投資を相当額してきたんですよ! お陰様でいい感じで効果が表れてきて、米国内の数か所に慰安婦銅像を設置することにも成功し、「これでもうすぐ日本政府から多額の賠償金が取れるはずだ!」と皮算用していたのに、もう計画がぶち壊しですよ! どうしてくれるんですか! 韓国人の真剣な商売の邪魔をしないで下さい!
 それに、世界各国に向けて「日本はひどい国でしょ?」と告げ口外交をしてきた朴槿惠大統領についても、なんて恥ずかしい思いをさせてくれたんですか! 日本人は優しくて、潔く謝ると大体のことはすぐに許しちゃうお人よしだから、購読者数が毎日確実に減っていくことさえ気にしなければ、別に謝罪は後回しにしてもいいと思うけれど、朝日新聞は一日も早く、韓国と韓国人に謝罪して、もちろん賠償金も支払わないと、このままじゃ1000年恨まれますよ!
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 ギルバート氏も従軍慰安婦問題を信じていて、事実を説かれてもまともに聞かなかったのですが、朝日新聞の検証記事で目を覚ましました。人は何らかの切っ掛けで目から鱗を落とすことがあるのです。そうなれば、それまでの世界観が一挙に崩れることもあります。
 定着しているから反論しても無駄と言っていては何も変わりません。歴史修正主義者とレッテルを貼られても事実を訴え続けなければ、偏見は直らないのです。諦めず、事実を訴え続けていれば、ニューヨーク・タイムズも見方を変える日が来るかもしれません。可能性はかなり低いかもしれませんが。

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NYタイムズが植村元記者を取材する 前編

 北星学園大学の非常勤講師の植村隆元朝日新聞記者は、国内メディアの取材からは逃げ回っているのに、ニューヨーク・タイムズの取材は受けたそうです。

_/_/_/_/_/_/_/_/ 共同通信 _/_/_/_/_/_/_/_/
≪右派が朝日新聞を攻撃と米紙 慰安婦報道の元記者取材≫
http://www.47news.jp/CN/201412/CN2014120301001204.html
【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は2日、従軍慰安婦問題などをめぐる記事を取り消した朝日新聞への「右派の攻撃」が強まっているとする札幌発の記事を掲載した。安倍晋三首相を含む「民族主義的政治家」による歴史修正の動きがみられるとして批判的に伝えている。
 記事は慰安婦報道に関わり現在、札幌市にある北星学園大の非常勤講師を務める元朝日新聞記者らに取材した。元記者はニューヨーク・タイムズ紙に、嫌がらせなどによって大学の職が奪われそうになっている現状や子供にまで中傷が及んでいると述べた。
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_/_/_/_/_/_/_/_/ 産経新聞 _/_/_/_/_/_/_/_/
≪朝日新聞の誤報への批判を「いじめ」「脅迫」と主張 慰安婦報道の朝日元記者がNYタイムズ紙取材に応じる≫
http://www.sankei.com/entertainments/news/141203/ent1412030012-n1.html
【ニューヨーク=黒沢潤】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は2日、朝日新聞が今年8月に慰安婦問題の記事を撤回して以来、安倍晋三政権を含む「右派勢力の(朝日新聞)攻撃」が強まっているとする記事を掲載した。
 記事は、慰安婦問題の報道に関わり、現在は北星学園大(札幌市)の非常勤講師を務める元朝日新聞記者に取材し、元記者が失職する恐れがあることなどを紹介。元記者は、安倍首相ら国家主義的な政治家たちが「脅迫的な手法で歴史を否定しようとしている」「(右派が)われわれをいじめて黙らせようとしている」などと述べ、朝日新聞や自身への攻撃は不当であると主張した。
 記事はまた、「軍が占領地で女性をかき集め、軍が運営する慰安所で働かされた、と主流派の歴史家の大半が見なしている」などとしつつも、「日本軍が韓国で女性の連行に直接関与した証拠はほとんどない」とした。
 さらに、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の見直しを求める人たちを「(歴史)修正主義者」と断じた。産経新聞は元記者に取材を申し込んでいるが、元記者は応じていない。
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 この2本の記事はどちらもニューヨーク・タイムズの記事を紹介したものですが、印象が随分と違います。メディアのスタンスの違いが現れたのでしょう。産経新聞の記事からすると、共同通信は植村元記者に不利になるような部分をカットしているようです。
 実際のところ、ニューヨーク・タイムズの記事はどのような内容だったのでしょうか。元記事がニューヨーク・タイムズのサイトに「Rewriting the War, Japanese Right Attacks a Newspaper」というタイトルで掲載されていますが、残念ながら英文です。英語が不得意なのに和訳するのは大変面倒ですが、誤訳覚悟でやってみます。

_/_/_/_/_/ ニューヨーク・タイムズ _/_/_/_/_/
≪戦争の書き換え、日本の右派は新聞を攻撃≫
マーティン・ファックラー 2014年12月3日

 日本の札幌発-植村隆が彼のキャリアになる記事を書いた時は33歳だった。その当時日本で2番目に大きい朝日新聞の調査報道記者だった彼は、帝国陸軍が第二次世界大戦中に軍の売春宿で働くことを女性に強制したかどうかを調査した。見出しに「記憶はまだ涙をもたらす」と付けられた彼の記事は、韓国からの元「慰安婦」の物語を伝える最初の一つだった。

 四半世紀話を進めると、その記事は、ジャーナリズムから退き56歳になった植村氏を日本の政治的右派の標的にした。タブロイド紙は、日本に昔の恨みをはらすことを目的とした名誉棄損キャンペーンの一部で、彼らが言うところの「韓国人の嘘」を広めた裏切り者の烙印を押す 。暴力の脅威について、植村氏は、一つの大学の教職を犠牲にし 、二つ目もすぐに奪われるだろうと言う。 超国家主義者は彼の子供達さえ追い回し、彼の10代の娘を自殺に追いやることを人々に促すメッセージをインターネットに投稿している。

 脅威は、長い間日本の保守派が好んで憎悪する朝日に対しての、右翼ニュースメディアと政治家が激しく攻撃する幅広い中の一部だ。戦いは、戦時行動における日本の有責性について長く激しい論争における安倍晋三首相の右傾化した政府の下で燃え上がった最も最近の一斉射撃でもある。

 この最新のキャンペーンは、しかし、日本の進歩的な政治的影響を持つ最後の砦の一つを脅かす乱用の激流を解放し、安倍氏自身を含む民族主義政治家と共に、戦後日本が以前に見たどんなことをも越えてしまった。それは、戦時において女性に売春を強制したことに対する政府の1993年の謝罪を再考するよう要求している修正主義者も勇気づけている。

 「彼らは、歴史を否定する方法として脅迫を使っている」と植村氏は言い、緊急性の訴えと自分自身を守るための多くの書類と共にこの北の都市での会見に来たと話した。「彼らは我々を沈黙させるために脅迫したいのだ。」

 コメンテーターが呼ぶ「朝日戦争」は、新聞が世論の批判に屈して1980年代と90年代前半に発表された少なくとも1ダースの記事を撤回した8月に始まった。それらの記事は、軍の売春宿のために韓国人女性を誘拐する手伝いをしたと主張していた元兵士の吉田清治を引用していた。吉田氏は、20年前に信用を落とし、日本の右派は朝日の振る舞いを激しく非難して135年続く新聞を廃業に追い込むためにボイコットを呼びかけた。

 10月の国会の委員会で、安倍氏は朝日のそれについて「誤報が多くの人々に傷を与え、悲しみ、苦痛と怒りを引き起こしました。それは日本のイメージを傷つけた。」と話した。

 今月の選挙により、保守派が国の主要な中道左派の新聞を妨げようとしていると、アナリストは言う。朝日は、日本の戦時中の軍国主義に対するより大きな償いを長い間支持し、他の問題でも安倍氏に反対した。しかし、2年前の投票で惨敗した後の混乱に生き残ったこの国のリベラルな反対派は益々孤立している。

 安倍氏と彼の政治的盟友は、より大きいゲーム(日本軍が戦争中に何万もの韓国人と他の外国の女性に対して性的な奴隷になることを強制したという現在において国際的に受け入れられている見方)を求めるための待ち望んだチャンスとして朝日の苦境をとらえた。

 大多数の主流の歴史家は、帝国陸軍が戦いの戦利品として征服地域の女性を扱い、中国から南太平洋にわたった慰安所として知られている軍経営の売春宿のシステムで働かせるために集めたということに同意している。 多くは、工場や病院の仕事を提供すると騙され、慰安所で帝国の兵士のためにセックスをすることを強制された。 東南アジアでは、日本兵が売春宿で働かせる女性を単純に誘拐したという証拠がある。

 兵士とセックスすることを強制されたと証言するために現れた女性の中には、中国人、韓国人とフィリピン人だけでなく、オランダの植民地であったインドネシアで捕らえられたオランダ人女性もいる。

 日本軍隊が誘拐又は戦争が始まった時に数十年も日本の植民地であった韓国で女性をだますことに直接関与したという証拠はほとんど無く、しかし彼女らをサポートする女性と活動家は、女性が頻繁にだまされて意思に反する仕事を強制されたと言う。

 修正主義者は、しかしながら、すべての女性が性奴隷制で監禁されたということを否定するためと慰安婦は単純に高給を得るために軍隊に随行した売春婦との主張のために誘拐の証拠の欠如に飛びついた。

 慰安婦問題の学者とって、驚きは吉田氏が嘘をついていたという朝日の結論ではなかった-新聞はそれが彼の根拠を確認できなかったと1997年に認めていた- しかし、正式な撤回の発行は長く待たされた。朝日の従業員は、安倍政権のメンバーは、その記者を批判するためにその記事を使っていたので、誤解を正すことによって攻撃を鈍化させることを望んだ最終的行動と言った。

 代わりに、この動きは非難の嵐を促し、修正主義者に彼らの歴史解釈を進めるための新しい幕開けを与えた。彼らは、外国の専門家が信じられずに彼らの頭を掻いて去れとの主張を後押ししている。:朝日だけが、慰安婦が強制の犠牲者であったことを世界に確信させた責任がある。

 数十人の女性が過酷な試練についての証言と共に現れたにもかかわらず、日本の右派は、「20世紀における人身売買の最大のケースの一つ」についての謝罪を日本に求めた米国下院による2007年決議を含む日本の国際的な非難が朝日の報道によって生じたと主張する。

 保守派にとって、朝日を貶めることは、彼らがあまりに否定的であると思う日本帝国の描写を消去し、結局1993年の慰安婦への謝罪を覆すという彼らの長年の課題を進める方法でもあると、アナリストは言う。右派の多くは、日本の行動が日本の市民に対するアメリカ合衆国の爆撃を含む他の第二次世界大戦戦闘員より悪くなかったと主張する。

 「朝日の告白は、修正主義の右派が以下のように言うチャンスである: 『見なさい! 我々はあなたにそう言った!』」と東京にあるの上智大学の政治学者・中野晃一は言う。 「安倍は、これを彼が日本の国家的名誉を傷つけていると信じる歴史問題を追求する彼のチャンスと考えている。」

 朝日の保守的な競争相手で、世界で最も流通している新聞である読売新聞は、慰安婦報道に関する朝日の間違いを強調したリーフレットを配布することによってライバルのトラブルを利用した。日本ABC協会によると、8月以来、朝日の日刊発行部数は230,797低下して約700万になった。

 右翼タブロイド紙は、植村氏の記事が朝日の撤回したものの中に無かったのに、「慰安婦の製作者」として植村氏を選び出し、更に追っかけている。

 植村氏は、朝日が彼や自社自身を弁護することはあまりに恐ろしかったことだったと言う。9月、新聞の最高経営者はテレビで謝罪し、編集長を解雇した。

 「安倍は、脅しによって他のメディアに自己検閲させようと、朝日の問題を使っている」と、植村氏を支援するための請願組織を作った政治学者の山口二郎は言う。「これはマッカーシズムの新しい形である。」

 植村氏が地域文化と歴史について講義している小さなキリスト教系大学の北星学園大学は、超国家主義者による爆破予告で契約を再考すると述べた。最近の午後、植村氏の支援者の何人かが、国家が異論を踏みにじった戦前の暗黒時代の誤りを繰り返すことの警告を説くために集まった。

 植村氏は、公の場に顔を出すことを今は避けているとの説明で、欠席した。「これは、他のジャーナリストを沈黙させる右翼の脅迫方法だ。」と、彼は言う。「彼らは、私と同じ運命で苦しみたくない。」
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・・・続く。
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Rewriting the War, Japanese Right Attacks a Newspaper
http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?module=Search&mabReward=relbias%3Aw%2C%7B%222%22%3A%22RI%3A18%22%7D&_r=0

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北海道新聞が慰安婦報道を謝罪

 雑誌の「財界さっぽろ」に、日本会議北海道本部が10月に北海道新聞に対して公開質問をしたという記事が掲載されていた。この公開質問によるものなのか分からないが、北海道新聞は11月17日の朝刊で吉田証言に関する記事を一部取り消していたらしい。新聞各紙は次のように報道している。

%%% 朝日新聞 %%%
≪北海道新聞が記事取り消し 慰安婦「吉田証言」報道≫
~略~
 1面でも、吉田証言を取り上げた記事について、「検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし、記事を取り消します」とするおわび記事を掲載した。
 特集記事によると、吉田証言に関する記事を1991年11月~93年9月に計8本掲載(1本は共同通信の配信記事)。当時取材した記者や、吉田氏が著書で慰安婦を強制連行したと書いた韓国・済州島の古老や郷土史家、ソウルの研究者らから聞き取りした結果、証言を裏付ける情報は得られなかったことなどから、信憑性(しんぴょうせい)は薄いと判断したと結論づけた。
 吉田証言を取り上げた初報は、91年11月22日付朝刊の「朝鮮人従軍慰安婦の強制連行『まるで奴隷狩りだった』」との見出し記事。直後にこの記事が韓国紙に大きく紹介されたことから、韓国紙に与えた影響に言及。韓国の元外交官やメディア関係者、研究者らへの取材の結果、「世論に大きな影響を与えたものでないとの見方が一般的だった」と説明した。
 また、特集記事は、91年8月15日付朝刊の記事で慰安婦と女子挺身(ていしん)隊との混同があったことも取り上げた。韓国でも両者を混同していた時期があったなどとし、92年1月以降は両者を混同しないようにしてきたという。
 このほか、特集面では慰安婦問題に詳しい作家の半藤一利氏ら3人の談話や、政府・軍の関与や強制性の有無など慰安婦問題の論点についても掲載した。
~略~
〈北海道新聞法務・広報グループの話〉 検証は、慰安婦問題を特集した朝日新聞の記事やそれに対する社会の動きが一つのきっかけになっているのは確かです。今回の記事は自社の「吉田証言」報道についての検証が中心でしたが、吉田証言や強制性の有無について新事実が出てくればそれを伝えていくなど、慰安婦問題について今後も引き続き注視していきたいと思います。
%%%%%%%%%%%%

%%% 読売新聞 %%%
≪北海道新聞、「吉田証言」記事取り消し…対応遅れに批判の声≫
~略~
 17日の朝刊では、1面におわび記事を掲載したほか、「慰安婦問題を考える」と題し2ページの特集を組んだ。吉田氏に言及した記事は1991年11月から93年9月までに計8本(うち1本は共同通信による配信)載せたとしている。
 今回取り消したのは91年11月22日に掲載した「まるで奴隷狩りだった」と見出しを付けた記事1本。軍の命令を受けて強制連行に関わったとし、「抱いていた赤ん坊をひっぺがして徴用したことも」などと報じた。ところが、朝日新聞社が今年8月、吉田氏の証言は虚偽だったと判断して、記事16本を取り消し。北海道新聞社では編集局の記者が中心となり、執筆した元記者(退職)に報道の経緯を聞いたり、韓国で再取材したりしたが、内容を裏付けられなかったという。同社経営企画局は、取り消し以外の7本の記事は「現実に起きた出来事」などとして取り消さず、関係者の処分も行わない、としている。
 慰安婦問題に詳しい現代史家の秦郁彦さん(81)は「92年頃には証言の信頼性が崩れていたのに、ここまで検証が遅れたのは、過去の記事は忘れられている、と安易に考えていたと受け止められても仕方がない」と話した。
%%%%%%%%%%%%

%%% 毎日新聞 %%%
≪北海道新聞:慰安婦「吉田証言」取り消し 「信憑性薄い」≫
~略~
 北海道新聞によると、吉田氏の証言に関する記事を1991年11月22日朝刊以降、93年9月まで8回掲載(1本は共同通信の配信記事)した。このうち今回取り消した1回目は、吉田氏を直接取材し「朝鮮人従軍慰安婦の強制連行『まるで奴隷狩りだった』」との見出しで報じた。この記事は韓国紙の東亜日報に紹介された。他の7本は、吉田氏の国会招致の動きなど事実関係を報じた内容のため「取り消しようがない」としている。北海道新聞は1回目の記事に先立つ91年8月15日、元慰安婦の韓国人女性を初めて実名で報じ、その後の従軍慰安婦報道に大きな影響を与えたと言われている。
 吉田証言を巡っては朝日新聞が8月5日の紙面で「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と訂正。9月11日に同社の木村伊量社長が記者会見で改めて謝罪し、その後、辞任を表明した。北海道新聞は朝日新聞の対応を8月6日夕刊で報じたが、自社報道については「(吉田証言を)複数回報道した」と触れただけで、社内からも「訂正すべきだ」との声が上がっていた。また、札幌市中央区の本社周辺ではこの1カ月ほど街頭宣伝車が抗議活動をしていた。
 北海道新聞はこの時期に検証記事を掲載した理由を「来年、日韓国交正常化50年を迎えるにあたり、懸案の従軍慰安婦問題を検証した」としている。一方で「朝日新聞が記事を取り消したことが一つのきっかけとなった」とも説明した。村田社長などの記者会見や当時の編集責任者の処分は検討していないという。北海道新聞の発行部数は約107万部。
%%%%%%%%%%%%

%%% 産経新聞 %%%
≪北海道新聞「吉田証言報道は世論に影響与えず」と釈明 挺身隊と慰安婦混同≫
~略~
「まるで奴隷狩り」
 北海道新聞によると、同紙が最初に吉田証言を報じたのは平成3年11月22日の朝刊。吉田氏に直接取材した内容について「朝鮮人従軍慰安婦の強制連行『まるで奴隷狩りだった』」との見出しで掲載した。
 吉田証言の検証で「内容を裏付ける証言や文書は得られなかった。日本の研究者の間でも証言は学術資料たりえないとの見方が強く、信憑(しんぴょう)性は薄いと判断した」と結論付けた。
 吉田証言に関する記事とは別に、3年8月15日の朝刊で元慰安婦の韓国人女性が初めて実名で名乗り出たことを報じた際、「女子挺身隊の美名のもとに」などと挺身隊と慰安婦を混同していたことも記した。
 混同の理由について「韓国では勤労のための挺身隊と慰安婦を混同していた時期があり、女性もそう語っていた」とし、「4年1月には韓国では同義語として使われてきたことを伝え、その後は混同しないようにしてきた」と説明した。

東亜日報が後追い
 北海道新聞が吉田証言について最初に書いた3年11月22日の記事は、韓国メディアが後追いしたという。同紙も同月27日の朝刊でこの記事が韓国紙「東亜日報」に紹介されたことを取り上げている。
 しかし、検証では記事の影響について「韓国の元外交官やメディア関係者、研究者らに尋ねたところ、世論に大きな影響を与えたものではないとの見方が一般的だった」とした。
 確かに、朝日新聞はこの記事が出る9年前の昭和57年9月から吉田氏の記事を掲載している。北海道新聞が吉田証言を報道する以前から、韓国のメディアや反日団体が日本統治時代の先の大戦当時の慰安婦の存在を反日に利用しようとする動きもあった。
 北海道新聞の報道も、日韓両国で慰安婦問題が外交問題として広がる流れの中でのものだったが、韓国での問題拡散の素地はそれ以前から育っていた。

続く検証、謝罪
 北海道新聞は今回、吉田証言に関する記事8本を掲載していたことを明らかにしたが、ほかの地方紙などでも掲載している。
 沖縄タイムスは9月13日付社説で、共同通信の配信を受けて3年12月6日に掲載しているとした上で「(朝日新聞の)記事の取り消しや謝罪が新聞への信頼を著しく低下させたことを私たちも戒めとして深く胸に刻みたい」と記した。
 朝日新聞に続き、記事を取り消したのは、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」。同紙は4~5年、3回にわたり、吉田氏の証言や著書を取り上げたといい、9月27日付の紙面で「『吉田証言』は信憑性がなく、記事を取り消します」とのおわび記事を掲載した。
%%%%%%%%%%%%

%%% 日経新聞 %%%
≪北海道新聞、慰安婦「吉田証言」巡る記事取り消し≫
~略~
 記事によると、同社は1991年から93年まで計8回、吉田氏の証言に関する記事を掲載した。当時の記者に経緯を聴き、吉田氏が著書で慰安婦狩りをしたと書いた済州島の古老やソウルの研究者を訪ねるなどして検証、信ぴょう性は薄いと判断したという。
 北海道新聞社は、吉田氏の証言には90年代初めまでに疑義が出ており、生前の吉田氏に再取材していれば早い段階で事実確認が可能だったかもしれないとした上で「検証が遅れ、記事をそのままにしてきたことを読者の皆さまにおわびし記事を取り消します」と記した。
 北海道新聞社は「紙面でできるだけ丁寧に説明しているのでコメントは差し控えたい」としている。〔共同〕
%%%%%%%%%%%%

 肝心の北海道新聞のニュースサイトには、この特集記事は掲載されていない。朝日新聞の対応を報じた8月6日の記事も見つけることができない。サイト内検索で「朝日新聞 慰安婦」で検索しても、北星学園大学に対する脅迫事件に関する記事が多数ヒットするばかりだ。「記事の保存期間は30日間」となっているので、1ヶ月以前の記事はヒットしないのかと思いきや、「慰安婦」で検索すると、本文は読めないが「韓国、慰安婦問題で協議要請 憲法裁判決から2年-[国際]」という2013年08月29日の記事が出てきたりする。都合の悪い記事はWeb版に掲載しないというのが北海道新聞の方針なんだと思わざる得ない。
 特集記事が読めないので各紙の内容から推測すると
●吉田証言の裏付けが取れなかったので、吉田証言の記事1本を取り消した。
●挺身隊と慰安婦を混同していた。
●北海道新聞の吉田証言報道は世論に影響を与えなかった。
●検証が遅れたことをわびた。
ということらしい。
 違うのはわびた事くらいで、朝日新聞の特集記事を焼き直しただけとしか思えない。批判をかわすために形ばかりの検証をして済ませようとしているのが有り有りだ。朝日新聞がわびなかったことで大きな非難を受けなければ、わびることもなかっただろう。
 朝日新聞は追い込まれたことによってであるが、記者会見をし、検証のための第三者委員会を立ち上げ、社長らが辞任してわびた。そういう経緯を見ていながら、北海道新聞は何ら処分も行わず、一切説明もしないらしい。これでは朝日新聞の方がずっとましだ。

 11月29日の北海道新聞の社説には次のように書いてあった。
%%% 北海道新聞社説 「エアバッグ欠陥 重大性の危機感足りぬ」 %%%
~省略~
 5年前に起きたトヨタ自動車の大規模リコール問題でも明らかなように、対応が後手に回るほど、影響は予想を超えて広がる。
 だが今回、初期対応の重要性という教訓は生かされなかったと言わざるを得ない。
 欠陥エアバッグは、2000年代初頭にメキシコや米国の工場で生産され、品質管理が不十分だったことが原因とみられている。
 タカタがエアバッグの不具合を把握したとするのは05年だが、リコールが開始されたのは3年後だった。米上院の公聴会でも、この遅れが問題視されたのは当然だ。
 タカタは、最初の時点では欠陥の原因を突き止めることができなかったと説明した。隠蔽(いんぺい)の意図は否定したものの、疑問にきちんと答えたとは言い難い。
 経営トップが公聴会に出席しなかったのも不可解だ。トップ自ら、再発防止策について世界に発信することこそ、信頼回復への第一歩ではないか。
~省略~
 こうした不手際は個別企業の経営ばかりでなく、日本の産業界の信用にも打撃となる。
 原因究明はもちろん、一連の経過について、タカタは第三者機関を設置して徹底的に検証するべきだ。その結果を今度こそ業界全体の教訓としなければならない。
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

 対応が後手に回るほど、影響は予想を超えて広がるということや初期対応が重要というのは正しい。慰安婦問題は初期対応を誤り、世界から女性を性奴隷にしたと非難されるに至っている。政府に責任があるのは当然だが、政府を追い込んだのは北海道新聞などのマスコミだ。しかし、北海道新聞はそれを認めず、吉田証言報道が世論に影響を与えなかったと結論付けている。吉田証言報道が今の様な状況を作り出したことに一役買っているのは明らかではないか。北海道新聞は報道責任から逃げているだけだ。
 また、「遅れが問題視されたのは当然だ。」と述べているが、吉田証言に疑義が出されたのは1990年代初め頃だった。20年以上も検証せずに放って置きながら、何をかいわんやである。
 タカタが隠蔽を否定した説明に対し、「疑問にきちんと答えたとは言い難い」「経営トップが公聴会に出席しなかったのも不可解」と非難しているが、北海道新聞はどうなのか。北海道新聞は社長が直接説明もせず、一方的に検証記事を出して質問は受け付けないという態度を取っているが、それで疑問にきちんと答えたと思っているのか。
 「原因究明はもちろん、一連の経過について、タカタは第三者機関を設置して徹底的に検証するべきだ」。これは誰もが北海道新聞に対して思っていることだろう。北海道新聞は第三者機関を設置して、「何故、裏付けの無い記事を書いたのか」「何故、長い間放置したのか」ということを徹底的に検証するべきだろう。その結果を今度こそ業界全体の教訓としなければならない。

 11月17日に検証記事が出された後、従軍慰安婦報道についての社説は書かれていない。自社のことには頬かむりを決め込んでいるのに、他社の起こした問題に対しては平気で批判できるようだ。北海道新聞の論説委員の面の皮は余程厚いらしい。

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