六丈記2

備忘録のようなもの

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歴史認識問題に関する一考察2

 韓国側の理由は、日本より深刻だ。韓国にとって歴史認識の問題は国家のアイデンティティーに係わる重大なことだからだ。
 韓国は、日本の敗戦によりアメリカ軍政下に置かれ、1948年8月に独立した。独立日に関しては、ソウルで韓国樹立の宣布式が挙行されたのが8月13日で、李承晩が大韓民国樹立宣言をし、ホッジ司令官が米軍政廃止宣言したのが8月15日であるから、どちらの日を取るかという問題があるにせよ、8月にアメリカ占領下から独立したことになる(国際法上、朝鮮半島の正式な独立はサンフランシスコ講和条約発効日)。ところが、韓国政府は日本による韓国併合の法的効力を認めず、大韓帝国と大韓民国との間には法的断絶のない継続性があるという見解でいる。つまり、朝鮮の歴史は、「大韓帝国」→「大日本帝国」→「アメリカ占領下」→「大韓民国」ではなく、「大韓帝国」→「臨時政府」→「大韓民国」という認識でいるのだ。
 1948年7月12日に制定公布された最初の憲法(制憲憲法)の前文には、大韓民国が1919年に樹立したと書いてあり、現行憲法(第9次改正)の前文にも「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し」とある。大韓民国臨時政府は、三・一運動に触発されて上海で設立を宣言した亡命政府だが、どの国からも承認されず、「国家の要件」にある実効的政府でもなかった。客観的に見れば、「大韓民国臨時政府の法統」など事実上無いのだが、あくまでも臨時政府が大韓帝国を継承したとの立場を建国当初から貫いている。10年弱のブランクがあり、大韓帝国皇帝は日本の王家として存続いていたのに、継承したとの理屈は立つのかと疑問に思わざる得ないが、韓国の解釈では「大韓帝国皇帝が主権を放棄したため、国民が主権を継承し、共和制に移行した」とのことらしい。韓シウン檀国大学歴史学科教授は「独立運動過程で、自然と国家の主権について議論がされてきた。結論は共和主義であった。1917年(ママ)、上海の独立運動家たちは全民族が大同団結して臨時政府を樹立することを提案した‘大同団結宣言’がそれである。これは大韓帝国の滅亡について君主である隆熙皇帝が主権を放棄したものと見て、君主が放棄した主権は国民が継承せねばならないとした。」(朝鮮日報2009年3月18日付)
 「大韓帝国皇帝が主権を放棄した」とは、日韓併合条約で大韓帝国皇帝(純宗)が統治権を天皇に委譲したことを指していると思われる。ところが、韓国政府は日韓併合条約を無効だったとも主張している。日韓基本条約の交渉でも韓国政府が無効論を主張したために、日韓併合条約が「条約は有効だったが無効になった」(日本側解釈)とも「条約は初めから無効だった」(韓国側解釈)とも受け取れるように、「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。」との表現で妥協するよりなかった。もし、日韓併合条約が初めから無効だったとすれば、統治権の委譲も無効だったことになり、大韓帝国皇帝が主権を放棄したことにはならなくなる。主権放棄が無ければ、国民が主権継承したという論も立たず、臨時政府が大韓帝国を継承したとは言えなくなる。韓国政府の主張には整合性が無いのだが、「日韓併合により大韓帝国は国家として消滅し、大韓帝国の条約上の義務や債務を継承した大日本帝国が継承国となった」という現実を認めない。

 韓国政府は臨時政府の正統性ばかりでなく、臨時政府が1941年12月10日に日本に対して宣戦布告(大韓民国臨時政府対日宣戦声明書)し、独立戦争を戦って戦勝国なったと主張してもいる。日本に布告文書を通達してもいないのに。
 在日朝鮮人が戦後に日本人に対して「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」などと言って好き勝手に暴力を振るっていたことを考えると、戦勝国との主張は戦後直後からなされていたことが分かる。連合国側は、朝鮮人を戦勝国民とみなしておらず、解放国民としてみていただけだったが、朝鮮人は手の平返しをし、戦勝国民を自称して「水に落ちた犬は棒で叩け」(元は中国の「打落水狗」)を実践したのだ。
 連合国の主要国であるアメリカとイギリスは日韓併合に賛成していたのだから、朝鮮人を解放国民とするのは理屈に合わないのだが、そうしたのはルーズベルト大統領だった。ルーズベルト大統領は、戦争の正当化の強化を図るためか、カイロ会談(ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席の首脳会談)で、日本が朝鮮人を奴隷にしているとして朝鮮を独立させると主張していた。カイロ宣言の文言には「前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」との一文が盛り込まれた。カイロ宣言はポツダム宣言に引き継がれ、「カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。」との条項が入れられる。そして、1945年9月2日に調印された降伏文書にも「ポツダム宣言の履行及びそのために必要な命令を発しまた措置を取る」との一文がが入れられたため、日本はポツダム宣言の履行実施のために「『ポツダム宣言』ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」(1945年9月20日公布・即日施行)という勅令を発令した。要するに、連合国側は朝鮮人は日本人ではないという認識で、敗戦後は日本政府も日本人として扱わなくなったということだ。簡単に言えば、朝鮮人は戦勝国民でも敗戦国民でもない「第三国人」になったのだ。
 ちなみに、ルーズベルトはヤルタ会談で朝鮮を「20~30年間は信託統治すべき」と主張していたらしく、朝鮮を長期間統治下に置くつもりだったらしい。しかし、1945年12月にアメリカ、イギリス、ソ連によって結ばれたモスクワ協定で、「朝鮮の独立に関する過渡的措置として、5年間の信託統治を実施する」と決められ、本来なら朝鮮の独立はもっと遅くなる筈だった。

 連合国側は朝鮮を戦勝国とみていなかったが、李承晩大統領は戦勝国との主張を下ろさず、サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加しようといた。これは、アメリカに拒否されて現実にはならなかったが、1951年7月に行われたダレス国務長官と梁駐米韓国大使との会談で、ダレス国務長官から「日本と戦争状態にり、かつ1942年1月の連合国共同宣言の署名国である国のみが条約に署名するので、韓国政府は条約の署名国にはならない」「朝鮮は大戦中は実質的に日本の一部として日本の軍事力に寄与した」とまで言われても諦めず、「韓国の参加を排除したことは非合理性が犯す非道さの極まり」と非難する始末だった。

 こうまでして、戦勝国に拘ったのは、臨時政府の正統性を守るという一面があったのだと思う。それは、戦後に国外から戻りアメリカの力を背景にしてリーダーの座に座った李承晩自身の正当性を補強することでもあった。
 もし、朝鮮が独立するとなれば、大韓帝国を元のまま復活させないにせよ立憲君主制の国として王を復活させる選択肢もあった筈だ。終戦時は、大韓帝国の最後の皇帝だった純宗から李王家当主を継承した李垠が日本の王公族として存命だったので、それは可能だった。14世紀から朝鮮半島の支配者だった李王家が国家元首になるのは、血筋の正統性という名分が立つのでありえないことではない。
 李王家復活となれば、李承晩は国のトップになれない。李王家復活を阻止するには、既に新国家が出来ているとするのが有効だ。それは、1919年の大韓民国臨時政府の樹立をもって新国家が作られたとすることで可能になる。それに、臨時政府が独立戦争で勝ったということにすれば、正当性も生まれ、初代臨時政府大統領だった李承晩がリーダーに相応しい人物と認めさせるのも容易くなっただろう。
 また、李承晩は南朝鮮にしか影響力を持っておらず、北には北朝鮮が存在していた。南北朝鮮の統一において、南朝鮮が名乗る臨時政府に正統性があるとすれば、北朝鮮に対して優位に立てるという利点もある。
 この様に考えると、「臨時政府が日本に勝った」という虚構は李承晩政権(第一共和国)にとって放棄できないものだったと思われる。

 韓国が執着した戦勝国という主張は国際的に受け入れられなかったが、韓国では公式の歴史観となり、国民に教育された。例えば、韓国の小学校の国定教科書では下記のように記述されていた。
****************
大韓民国臨時政府は中国の諸地域に散在して戦った独立軍を一つに集めて光復軍を組織した。そして、日本の軍隊に強制徴用されたが脱出した青年たちも、光復軍に移って来た。/光復軍は祖国の独立を取り戻すために、きびしい訓練をしながら時期を待っていた。/ついに日本が第二次世界大戦を起こした。そこで、臨時政府は日本に宣戦布告して、連合軍と連絡を取りながら独立戦争を展開していった。わが民族の独立の意志が広く知られると、世界の強大国もわが国の独立を約束せずにいられなくなった。/このように民族全体が国の内外で力を合わせて日本に抵抗したので、ついに私たちは光復を迎えることができた。
【韓国教育開発院編】
****************
 ついでながら、上記文章には嘘や誇張があることを指摘しておく。光復軍は、中国に派遣されていたアメリカ戦略事務局の特務工作訓練を受けていたが、戦闘の実績はほぼ無い。実績は、インド・ビルマ戦線に光復軍工作隊(13名)を派遣して朝鮮系日本兵の投降を呼びかけてイギリス軍に協力したことくらい。また、「日本の軍隊に強制徴用された」とあるが、朝鮮で徴兵が実施されたのは終戦の1年前で、日本軍を脱出して光復軍に参加したのは全員が日本軍に志願した者だ。抗日運動を展開していたのは一部であり、朝鮮民族全体が抗日していたのではない。

 韓国では、この様に臨時政府の戦勝を教えると同時に、徹底した反日教育を行った。日本は朝鮮を侵略し、略奪だけを行ったとされ、悪魔のような存在だったと教え込んだ。「日本は100%加害者、朝鮮は100%被害者」「日本は悪、朝鮮は善」という構図の歴史教育で育った子供たちは、疑うことなくそれを真実だと信じ込み、当然の帰結として日本を憎悪するようになった。朴槿恵大統領(1952年生まれ)もその内の一人だろう。反日歴史教育が続けられたことで、年数を経るごとに、こうした歴史観を持つ韓国人は着実に増え、常識になった。
 朝鮮と同じく日本統治下にあった台湾も国民党一党独裁政権の時代に反日教育を行っていたが、韓国のようにはならなかった。韓国と台湾は対照的だ。違いを生み出したのは、朝鮮の民族性が大きく影響したからだろう。朝鮮は長年の朱子学的思想により、自分が善(正)で他は悪(邪)と思考する傾向が強く、国民にそういう思考方法が身に付いているから抵抗感無く受け入れたのだと思う。
 この様な歴史教育で日本に対する憎悪が醸成されていても、永らく日韓の外交関係には大きな問題とはならなかった。それが変わり始めたのは、1990年頃からだったと思う。その頃から、歴史問題が徐々に噴出し、韓国人の反日はどんどんエスカレートした。
 90年台から韓国の反日が目立ち始めたのは、幾つかの要因があると思う。
●87年の民主化で軍事独裁政権から民主主義政権に移行したことにより、言論統制が利かなくなった。
●ソウルオリンピック(1988年)開催や国連加盟(1991年)で自信を持ち、日本に遠慮する必要はないとの心理が高まった。
●冷戦終結で北朝鮮(共産主義)の脅威が減った。
●市民団体やメディアが利用し、扇動した。
●日本統治時代を体験した者が少なくなった。
●反日教育を受けた世代が政治・行政の中枢に携わるようになった。
●日本のマスコミが助長した。
●河野・村山談話で被害者の立場が補強された。
●韓国の政治家が積極的に政治利用するようになった。
●芸能人や文化人が愛国心のアピールのために利用した。
こんなところだろうか。

 韓国の歴史教育は、臨時政府の神話を教えると同時に、「先進的な韓国が未開な日本に文明を授けた」ということを教えている。長年の反日歴史教育で、強い自民族優越主義を植え付けられた韓国国民は侮日感情も大きくした。そして、世界一優秀な民族と言ってはばからないようにもなった。韓国国民は「本来あるべき歴史」を語り、韓国起源説などで歴史を美化している。
 虚構である「正しい歴史」は、政府が先導したものであるが、今ではメディアや民間団体の影響力が強くなり、煽り立てるものだから、韓国国民の妄想的な歴史観は非常に強固になっている。

 歴史認識問題は、韓国の事実に基づかない歴史観に端を発している。韓国政府が修正をすればいいのだが、国家のアイデンティティーに係わることなので難しい。それに、醸成された歴史観を否定するようなことは、韓国国民の反発が大きく簡単ではない。だから、韓国が歴史に見直すということは期待できないし、そもそも歴史認識問題を外交ツールとして使っているのだから手放すとも思えない。
 韓国側が歴史認識を変えないからといって、日本側が韓国の歴史認識に迎合するのも難しい。また、同じ過ちを繰り返すのかと批判される。
 韓国が歴史認識で日本に反発しても取り合わなければいいのだが、韓国が世界にプロパガンダを流布していることによって、日本の国益が損なわれているのは問題だ。だから、対策を執らない訳にはいかない。韓国を虚構の歴史認識から脱却させるのが根本的な解決方法だが、困難なのは前述の通り。では、どうするか。第三国の人々が韓国のプロパガンダを安易に信じることによって、日本が困難な立場に立たされるのが問題なのであるから、プロパガンダを論破するというのが正攻法かもしれないが、それは効果的では無いと思う。第三国の大多数の人々は、日韓の歴史について知らないし、知ろうとも思っていない。そんな人々に一つ一つ説明したところで、言い訳しているとしか採らないだろう。
 もし、韓国のプロパガンダを効果的に阻止できるとしたら、第三国の人々に「韓国の歴史認識は出鱈目」と思わせるようにすることなのかもしれない。韓国は北朝鮮と同じと認識させれば、韓国が手を替え品を替えて騒いだところで取り合わなくなるだろう。そのためには、韓国人が「韓国は第二次世界大戦の戦勝国」と認識していると知らしめることが最も良いのではないだろうか。例えば、韓国が第三国で歴史認識に言及したら、記者会見の場で「韓国は第二次世界大戦の戦勝国なのか」と質問する。韓国側が「戦勝国だ」と答えれば、外国人は朴槿恵大統領が言う「正しい歴史認識」が異常なものと気付くだろう。韓国が戦勝国と認めている国はないのだから。もし「戦勝国ではない」と答えたら、韓国内でバッシングが巻き起こり、以後「戦勝国ではない」とは答え難くなる筈で、歴史認識を持ち出すのを避けるようになるかもしれない。
 マスコミは草の根交流などを取り上げて民間外交の大切さを説く暇があるのなら、韓国に戦勝国なのかと問うてみてはいかがだろうか。

・・・終わり。
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カイロ宣言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80
ポツダム宣言
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
日本の降伏文書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%8D%E4%BC%8F%E6%96%87%E6%9B%B8
ポツダム命令
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%91%BD%E4%BB%A4
第三国人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%9B%BD%E4%BA%BA
モスクワ協定
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E5%8D%94%E5%AE%9A-142373
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
公教育再生: 「正常化」のために国民が知っておくべきこと - Google ブック検索結果
https://books.google.co.jp/books?id=RNmkBwAAQBAJ&pg=PT152&lpg=PT152&ots=Opmg76MDC3&focus=viewport&dq=%E8%87%A8%E6%99%82%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%81%E9%80%A3%E5%90%88%E8%BB%8D%E3%81%A8%E9%80%A3%E7%B5%A1%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E5%B1%95%E9%96%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82&hl=ja
韓国光復軍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%85%89%E5%BE%A9%E8%BB%8D

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歴史認識問題に関する一考察1

 韓国の朴槿恵大統領は今日(14日)から訪米する予定だったが、10日になって延期を発表した。キム・ソンウ広報首席秘書官は、「国民が不安を感じている状況の中、朴大統領はMERS早期終息など国民の安全を管理するため、来週に予定された訪米日程を延期することにした」、「今朝、尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官とケリー米国務長官が電話をした。尹長官が国内の状況に理解を求め、米国が同意して訪米日程を再調整することにし、発表することになった」と説明している。
 MERSの感染拡大で、「旅客船が沈没しても右往左往、致命的伝染病が広がっても右往左往。今この国を無政府状態にしているのは、反政府勢力などではなく政権自身」(歴史学者のチョン・ウヨン教授)との批判の声も上がり、支持率も急落していたにも拘わらず、9日までは訪米日程に変更はないとしていたことからすると、急変した印象を受ける。
 今回の訪米で朴大統領は、安倍首相が上下院合同演説で新藤義孝衆院議員(硫黄島で戦死した栗林忠道大将の孫)と硫黄島の戦いに参戦したスノーデン氏を握手させて歴史的和解を演出したことに対抗し、朝鮮戦争やベトナム戦争に従軍した退役米軍人と交流したり、ベトナム戦争関連の教育センター(アメリカ政府施設)に韓国政府の寄付で朝鮮戦争関連の展示をさせたりして、「日本は敵として米国と戦ったが、韓国は朝鮮戦争とベトナム戦争で米国とともに戦った」ということをアピールするつもりだったらしい。つまり、日米は新蜜月関係かもしれないが、米韓は血盟関係だと強調しようとしていたのだ。たぶん、米韓関係は日米関係よりも固い絆で結ばれているとして、歴史認識問題で韓国側に付くことを説得し、アメリカ側から安倍談話の内容に圧力を掛けるようとしていたのだ。だから、MERSが拡大中であっても訪米に執着し、訪米を強行するつもりだったに違いない。
 青瓦台は韓国側から延期を申し入れたと説明するが、朴大統領の思いの強さからすると、真相は逆だったのではないかと思えてくる。朴大統領は防疫対策もせずに感染拡大の現場となった病院を視察しており、そんな人物と面と向かって会談したらMERSに感染しないとも限らない。オバマ大統領が感染リスクを犯すのは避けたいと思ってキャンセルしたとしても不思議ではないだろう。

 訪米延期の真相は定かではないが、もしも訪米していたら、朴大統領には好ましくないことが待っていた。オバマ大統領からは、THAADの配備、中国による南沙諸島の埋め立てに対する反対声明、アメリカの要請を振り切ってAIIB参加したことについての説明、日本の集団的自衛権の容認、日韓関係正常化などを求められていただろう。米中の間でコウモリ外交を展開している韓国としては、対応に苦慮するところだった。
 朴大統領がこれらの要求にどの様に回答するつもりだったかは分からないが、日韓関係正常化に関してはこれまでの主張を繰り返し、解決を阻んでいるのは安倍首相だと訴えていたに違いない。

 韓国は自分達の歴史認識が絶対に正しいと盲信しているので、アメリカが賛同して当然と思っているかもしれないが、日米韓協力体制の強化を願うアメリカにとって、歴史認識問題は邪魔でしかない。
 2月末にはシャーマン国務次官が「ナショナリスト的な感覚で敵をけなすことは、国の指導者にとって安っぽい称賛を浴びる容易な方法だが、それは感覚がまひするだけで、進歩は生まない」と発言。5月中旬には、訪韓したケリー米国務長官が未来志向的な関係を進めるために相互に受け入れ可能な解決策を直接対話で抑制的に探ることを求めていた。オバマ政権は当初、歴史問題を引き起こしている原因は安倍首相にあると考えていたようだが、韓国側に問題があると考え直したのだ。
 このような状況になったのは、韓国が自爆したからだ。関係改善を促しても一向に進展させようとしないばかりか、アメリカに関係無い慰安婦像や東海呼称問題などを持ち込み、官民挙げて執拗に日本非難のロビー活動を繰り返したことで、アメリカにうんざり感が広がり、「いい加減にしろ」という気分にさせたのだ。これを「コリア・ファティーグ(韓国疲れ)」と呼ぶらしい。日本も韓国の執拗な反日活動にうんざりさせられ、「韓国疲れ」を起こしているが、アメリカも同様のようだ。

 アメリカは、70年前のことでこれ程までに揉めるのかと思っているに違いない。たぶん、安倍首相が河野談話と村山談話の継承を表明したことで、韓国も鉾を収めるべきだと思っている筈だ。だが、それで収まる程、歴史認識問題は簡単ではない。日韓双方に解決を阻む理由があるのだ。

 日本側の理由としては、歴史を学問の領域と考えていることにある。歴史は史実に基づいて論理的に解釈されるべきで、新資料の発見により修正が加えられて当然と多くの人が考えている。だから、政府見解であっても、妥当性が無いのであれば、破棄や修正が加えられてしかるべきという意見には基本的に逆らえない。もし、「首相が発言したのだから、それを歴史的真相とみなさなければならない」と発言したら、学問の自由を侵していると批判されるだろう。日本では政治権力に歴史の解釈権は無く、国民に特定の歴史認識を強制することは出来ないのだ。
 また、北朝鮮の拉致が発覚した事やネットが発達したことによって、左翼思想の信頼性が崩壊し、その欺瞞性が暴かれたことで、日本人の歴史認識が変化したことが大きい。戦後主流であった左翼史観(自虐史観)は、多くの人々からその妥当性に疑問を持たれることになり、従来の歴史認識が通用しなくなった。
 加えて、謝罪のたびに非難の声がエスカレートし、どんどん関係を悪化させたという事実もある。
 だから、河野談話や村山談話の時のように、安易に政治的妥協を図ることが難しくなっており、政権が妥協したとしても、日本の世論(特にネットで形成される世論)はそれに妥当性が無ければ納得しないだろう。ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授(「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者)は、日本が戦時中の侵略行為や強制労働の歴史を認めることが中国や韓国との関係改善に寄与すると言っているが、そんな簡単な話ではないのだ。

・・・続く。

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統一地方選で金子やすゆき氏が落選

 昨日は日本各地で統一地方選が行われましたが、札幌では、知事選挙、道議会議員選挙、市長選挙、市議会議員選挙の4つが行われました。与野党激突となり注目された北海道知事選挙と札幌市長選挙は、自民党が推す高橋はるみ知事が4選を果たし、民主党が推した元副市長の秋元克広氏が札幌市長に初当選しました。事前の予想通りで、波乱は起きませんでした。

 マスコミの話題にはなりませんでしたが、札幌市議会議員選挙も注目に値する選挙でした。
 昨年、ツイッター上で「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」と発言したことがマスコミに取り上げられ、バッシングを受けた金子快之市議も2期目の当選を目指して札幌市議選に出馬していたのです。
 金子市議発言に端を発した一連の騒動に興味がなかった人には唯の地方選挙に過ぎないかもしれませんが、昨年のエントリ「アイヌ民族はいないと発言した札幌市議1~6」で何度も取り上げていましたので、金子市議が再選を果たすか注目していました。

 肝心の選挙結果を先に書きますが、金子快之氏は残念ながら1400票弱の差で落選しました。前回の選挙から5000票あまり減らし、得票数は前回のちょうど半分になっています。
■平成27年4月12日執行 札幌市議会議員選挙(東区) 定数 9人
五十嵐 徳美(自由民主党)__15,368
こぐち 智久(公明党)____14,020
すずき 健雄(自由民主党)__13,797
ふじわら 広昭(民主党)___13,017
太田 秀子(日本共産党)___12,572
山田 一仁(自由民主党)___11,561
しのだ 江里子(民主党)___10,353
成田 ゆうき(民主党)____ 7,901
平岡 だいすけ(日本共産党)_ 6,679
---以上当選---
金子 やすゆき(無所属)___ 5,315
堀江 政行(無所属)_____ 3,317
【得票総数】_______ 113,900

■平成23年4月10日執行 札幌市議会議員選挙(東区) 定数 9人
あちら 寛美(公明党)____16,966
ふじわら 広昭(民主党)___11,015
五十嵐 徳美(自由民主党)__11,168
川口谷 正(民主党)_____10,666
金子 やすゆき(みんなの党)_10,585
山田 一仁(自由民主党)___10,315
しのだ 江里子(民主党)___10,225
すずき 健雄(自由民主党)__10,102
宮川 じゅん(日本共産党)__ 9,154
---以上当選---
大内 もとき(自由民主党)__ 7,705
太田 秀子(日本共産党)___ 7,624
【得票総数】_______ 115,525

 金子氏同様、前回の選挙で「みんなの党」から出馬し、平成23年7月に繰り上げ当選(公明党の高橋功氏の死亡による)で市議になっていた木村彰男氏も今回の選挙に出馬していました。結果は最下位でした。前回の選挙から4000票以上減らし、前回の得票数の3割に激減しています。
■平成27年4月12日執行 札幌市議会議員選挙(南区) 定数 6人
むねかた 雅俊(自由民主党)_____13,090
小須田 さとし(自由民主党)_____11,192
わたなべ 泰行(公明党)_______ 9,115
みやけ 由美(民主党)________ 8,175
ほりかわ 素人(無所属)_______ 7,113
岩崎 道郎(民主党)_________ 6,886
---以上当選---
かみや 恭平(日本共産党)______ 6,461
脇元 しげゆき(無所属)_______ 5,163
岩野 みほ(市民ネットワーク北海道)_ 5,077
木村 あきお(無所属)________ 1,831
【得票総数】____________74,103

■平成23年4月10日執行 札幌市議会議員選挙(南区) 定数 6人
むねかた 雅俊(自由民主党)_____12,352
小須田 さとし(自由民主党)_____10,528
いのくま 輝夫(民主党)_______10,315
みやけ 由美(民主党)________ 8,948
高橋 いさお(公明党)________ 8,939
ほりかわ 素人(改革札幌)______ 6,238
---以上当選---
木村 あきお(みんなの党)______ 6,100
かみや 恭平(日本共産党)______ 4,602
岩野 みほ(市民ネットワーク北海道)_ 4,346
わきもと 繁之(無所属)_______ 3,368
【得票総数】____________75,736

 木村氏のケースを考えると、金子氏が票を減らした一番の原因は「みんなの党」という看板を失ったからでしょう。木村氏は得票総数に対する得票率を8.1%(前回)から2.5%(今回)に、金子氏は9.1%(前回)から4.7%(今回)に減らしています。
 金子氏は、アイヌ発言で非常識なレイシスト議員と烙印を押されたので、木村氏以上に票を減らしていてもおかしくありません。それなのに、木村氏以上に票を獲得しているということは、アイヌ発言がむしろプラスに働いたのかもしれません。金子氏はブログ(選挙、中盤戦の雑感)に「前回の選挙と明らかに違うのが、演説中に声を掛けてくれる方が多いことです。『チラシ見たよ』『ブログ見た』と言われるのは本当に励みになります。」と書いていますから、アイヌ発言により注目を集め、金子氏個人を支持する者を増やしたのでしょう。

 金子氏は落選したため、しばらく充電期間を取って今後の方向性を練るそうです。ですが、「アイヌ官製談合に象徴される札幌市役所の不正、腐敗を止めさせる取り組みは、ひとりの国民として今後も粘り強く続けていくつもりです。」とも発言しているので、政治に係わって行くことになるのかもしれません。

 アイヌの不正問題に言及した金子氏は今回の選挙で議員バッジを外しました。今回の選挙では、アイヌの不正問題を追求していたもう一人の議員も議員バッジを外しています。道議会議員の小野寺秀氏です。小野寺氏は以前から今期限りで引退することを表明しており、今回の道議会議員選挙には出馬していませんでした。
 小野寺氏は今後について「全く考えていない。統一地方選が終わってから考えたい。ただ中川昭一さんから託された宿題を片付ける必要があり、そのために一番良い形を考えて行動したい」と語っています。なので、このまま政界から引退するのではないのかもしれませんが、金子氏や小野寺氏のような地方議員がいなくなるのは残念でなりません。
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札幌市選挙管理委員会
http://www.city.sapporo.jp/senkan/index.html
札幌市議会 金子やすゆき
http://ykaneko.net/
北海道議会議員小野寺まさるのホームページ
http://www.onoderamasaru.jp/

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政界に笑撃が走る<小沢一郎とゆかいな仲間たち>

生活に山本太郎氏入党 再び「政党」に 交付金も支給へ
http://www.sankei.com/politics/news/141226/plt1412260032-n1.html
 先の衆院選で政党要件を失った生活の党は26日、新たに無所属の山本太郎参院議員を加え5人となった。総務省に同日、政治資金規正法に基づく政治団体の届け出を行い、再び「国会議員5人以上」の政党要件を満たし、来年の政党交付金を受け取ることができるようになった。
 党の正式名称は「生活の党と山本太郎となかまたち」に変更した。代表は小沢一郎氏が引き続き務める。生活は衆院選の当選者が小沢氏ら2人にとどまり、「比例代表の得票率2%以上」の条件も満たせずに政党要件を失っていた。
<産経ニュース2014/12/26>
生活の党と山本太郎となかまたち


 生活の党は11月中旬頃まで衆議院議員7人、参議院議員2人だったが、小沢一郎代表が所属議員に国会議員を続けさせるために「政治生活を続けていくため、自分の思う一番いい方向に進んでよろしい」と通告し、鈴木克昌代表代行兼幹事長(衆院比例東海)と小宮山泰子国会対策委員長(衆院比例北関東)が離党(民主党に復党)して、第47回衆議院議員総選挙を迎えた。
 生活の党は、小選挙区に13人、比例区(比例単独)に7人の候補者を立てるも、当選したのは小沢一郎(岩手4区)と玉城デニー(沖縄3区)のだけで、比例区からは当選者は出なかった。この結果、生活の党の所属議員は小沢一郎(衆議院議員)、玉城デニー(衆議院議員)、主濱了(参議院議員)、谷亮子(参議院議員)の4人になった。
 このため、小沢一郎は選挙翌日の記者会見で「まだ、2、3週間あるので、行動をともにするという方があれば、それも含めて考えたい」と述べ、政党要件を維持するために議員の合流の可能性を示唆していた。

 直前に離党した鈴木克昌と小宮山泰子は当選を果たしているが、どちらも小選挙区で落選し、比例での復活当選だった。もし、小選挙区で当選していたら、民主党を離党して生活の党に復党するということもあったのかもしれないが、比例選出なのでそれをすると失職するため、意味が無い。
 また、かつて小沢グループにいた松木謙公、牧義夫、太田和美、石関貴史も当選しているが、いずれも維新の党の比例当選組なので同じだ。
 そこで取り沙汰されたのが、無所属の亀井静香衆議院議員、山本太郎参議院議員、浅尾慶一郎衆議院議員だった。しかし、亀井静香は未来の党の分党騒動で小沢に懲りているといわれ、また組むことは無いと思われていた。浅尾慶一郎は民主党との連携を模索しており、民主党が敬遠する小沢と組む可能性は低かった。山本太郎については、生活の党側が突飛な行動を嫌忌していたようだった。

 合流を打診されてもなかなか受け入れる議員が現れないのは、小沢一郎に組したところで展望が無いと思われているからだろう。
 小沢一郎は合流をうながすために「政党名を変えてもいい」と、ある無所属議員に伝えていたとも報じられていた。この無所属議員が山本太郎なのかは分からない。ただ、「生活の党と山本太郎となかまたち」という奇妙な政党名からすると、無所属議員は山本太郎だったように思われる。

 東スポによると、この笑撃的な党名が付けられた経緯はこうだ。
「数日前に小沢氏と山本氏が会談した。山本氏は既存政党に所属するのを良しとしないため、“無所属の会”に党名を変更するなら加わるとの考えだった。ただ、小沢氏も“生活”の名を残したい。結局、両者が譲らないままの妥協案で出たのが“生活の党”に“山本太郎となかまたち”を加えた政党名だった」(永田町関係者)
 東スポソースだから信用していいのか分からないが、「無所属の会」で手を打った方が良かったのではないか。せめて、「山本太郎と生活の党」くらいに収められなかったのだろうか。

 「山本太郎となかまたち」を加えたのは、山本太郎がふざけて「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」若しくは「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 」を真似たのかと思ったが、違ったようだ。
 11月21日のハフィントンポスト日本版にこんな記事がある。
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衆院選、「山本太郎」と書いても有効票になる?そのカラクリとは【解散総選挙】
http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/21/election-2014-taro-yamamoto_n_6197048.html
~省略~
 一方、政党要件を満たさない政治団体も、衆院選に向けて動いている。「新党ひとりひとり」代表の山本太郎・参院議員は、自身は今回の衆院選には出馬はしないとしながらも、自分の名前の知名度を活かして選挙戦ができないかと模索している。

 今回の衆院選は、小選挙区と比例代表の2票を投じることになる。有権者は、小選挙区の投票用紙には「候補者名」を、比例代表の投票用紙には「政党名」を書いて投票する。
 小選挙区で勝つには、候補者本人の知名度が重要だ。いくら「山本太郎」の名前が知られていても、候補者本人の名前を書いてもらわなければ有効票にならない。
 一方の比例代表では、政党名を書いてもらえばいい。山本氏が目をつけたのはここだ。比例代表に、例えば「山本太郎となかまたち」など、「山本太郎」という言葉を含めた政治団体で出馬する。そうすれば、比例代表の投票用紙に政治団体の略称「山本太郎」と書かれた投票用紙は、有効票になることがわかったと、山本氏は自身のブログで明かした。
 ところが、自身の政治団体だけでこのアイデアを実現するには「供託金」という厳しい壁があった。比例代表の全ブロックに候補者を立てるには2億5200万円、東京ブロックだけでも2400万円の供託金が必要だ。
 そこで山本氏は、供託金のハードルを乗り越える策として、政党に対して連携も持ちかけた。「○ ○党・山本太郎となかまたち、で名簿を作り、投票用紙には、○○党、山本太郎、どちらかの名称を記入すれば、そのグループに票が入る」というアイデアである。政党に資金面で協力してもらう代わりに「山本太郎」の全国的な知名度を利用してもらい、当選を狙うという考えだった。
 公選法では比例代表に候補者を立てることができるのは「政党等」とされており、政党ではなくても、選挙運動期間中に特定の政治活動を行う政治団体を設けて、選挙に臨むことができる。これまでにも、1983年の参院選で「新自由クラブ・民主連合」が利用するなど、実績もあった。
 今のところ、打診した政党からは「組織はすぐには動けない」という理由から、断られているという。山本太郎事務所の担当者はハフポスト日本版の取材に対し、「ブログにもある通り、政党との連携や供託金の出資などがあれば、(比例代表出馬も)やるかもしれません」と述べた。
~省略~
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 「山本太郎となかまたち」は山本太郎の知名度を選挙に活かすアイディアだった。山本太郎はふざけて「生活の党と山本太郎となかまたち」という名称にしたのではなく、自分のアイディアに自信があり、選挙で使用するためにこの名称にしたのだ。

 小沢一郎が憲政史上に残る珍党名と引き換えに手にする政党交付金は、年1億円以上(読売新聞)とされる。国民の嘲笑に晒されても、小沢一郎はこの金を欲したのだ。小沢一郎は金にまつわる疑惑が多い政治屋だった。本質は金が一番ということなんだろう。
 昔は「豪腕小沢」なんて言われていたが、これで「小沢は完全に終わった」と誰もが思うだろう。最早、小沢待望論を語る人はいなくなるに違いない。
 それにしても、山本太郎が小沢一郎を介錯することになるとは、誰が想像しただろうか。

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支持政党なし

 来る衆議院選挙で、北海道からは20人の代議士が生まれる。内訳は小選挙区から12人、比例区から8人となっている。
 自民党、公明党、民主党、共産党、維新の党は、小選挙区と比例区に候補者を立てているが、幸福実現党、社会民主党、次世代の党、支持政党なしの4党は比例区にしか候補者を立てていない。

 ここまで読んで、ふと疑問に思ったのではないだろうか。「支持政党なし」が入っているのはコピペミスでもしたのではないかと。でも、間違いではない。「支持政党なし」という名の政治団体があるのだ。かく言う私も政見放送を見るまで、こんな名の党(政治団体)があることを全く知らなかった。今まで様々な名前のミニ政党があったが、党名の衝撃度はUFO党を超えたかもしれない。
 しかし何故、「支持政党なし」という名称にしたのだろうか。それについての佐野秀光代表の説明を簡潔にまとめるとこうだ。世論調査では「支持政党なし」が圧倒的に多い。だが、その支持政党なしという民意を選挙で反映させる方法がない。よって、その民意の受け皿となるべく、「支持政党なし」という名称にしたということである。

 北海道でこんな奇妙な政治活動をしていた人がいたのかと思い、調べてみると、「支持政党なし」の本部所在地は東京であり、佐野代表も東京出身だった。国政選挙に出馬したのも今回が初めてではないとのことだ。
 2009年に政治団体「新党本質」を結成し、第45回衆議院議員総選挙に比例北海道ブロックに立候補、落選。2010年には、第22回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補するも落選。2012年に名称を「安楽死党」に変更し、第46回衆議院議員総選挙には東京4区から立候補して落選。2013年に政治団体「支持政党なし」を結成。

 典型的な泡沫候補だ。出身地の東京から出馬するのは分かるが、何故、縁もゆかりも無い北海道なのか。同じ疑問を持つ人は多いらしく、「支持政党なし」のサイトには「『何で北海道から出たの』って言うご質問が多いんですよね。 」と書いてある。
 サイトの説明によると、3つ理由を挙げている。
①擁立しなけらばならない候補者の数と供託金
②法案は日本全体の問題
③議決する場所は東京で、北海道の有権者の意思を十分に反映できる
 ②と③は北海道ブロックでなければならない理由ではない。別に東京ブロックでも九州ブロックでもいい訳だ。だから、北海道から出馬する本当の理由は①しかない。
 「擁立しなけらばならない候補者の数と供託金」だけではよく分からないので説明すると、こういうことだ。
 政党要件(国会議員が5人以上所属、又は直近の国政選挙で2%以上の得票)を満たしていないと政治団体でしかなく、小選挙区では政見放送も出来ず、相当な有名人でないと当選はほとんど不可能。比例区も基本的に政党でなければ候補者を立てることが出来ないが、例外がある。比例のブロック定数の2割以上の候補者を擁立することで比例代表に出馬可能となる。
 小選挙区は無理でも、比例区なら何とかなるかもしれないとの思惑なのだろう。
 だが、比例区は供託金が一人600万円(小選挙区は300万円)と高額なために、多数の候補者を擁立すると多額な資金が必要となる。例えば、幾つかのブロックについて必要擁立者数と最小供託金を比較すると、こうなる。
●北海道ブロック:2人 1200万円
●東 京ブロック:4人 2400万円
●近 畿ブロック:6人 3600万円
●四 国ブロック:2人 1200万円
 必要擁立者数が最小なのは11ブロックの内、北海道ブロックと四国ブロックで供託金も1200万円で済む。また、同じ供託金額でも、北海道ブロックは定数8、四国ブロックは定数6なので、北海道ブロックの方が当選し易いだろう。
 つまり、佐野代表は、最小の供託金額で当選しようとするには北海道ブロックから出馬するのが一番いいと考えているだけなのだ。

 こんな考え方をするだけに、訴える政策も突飛だ。「支持政党なし」の政策は「政策なし」なのだ。これはどういうことかというと、党としての具体的な政策がある訳ではなく、法案ごとに党のサイト上で賛否を問い、多数決の結果に従って、その通りに議決権を行使するということなのだ。代議制民主主義に直接民主制を持ち込むということなのだろう。
 アイデアは面白いが、ネット投票を実際にやるとなったら、外国人が国政に影響力を持つという問題が持ち上がる。それに、他党支持者が投票し、結果を左右することも有りうるのだから、そうなったら無党派の民意とは言えなくなるだろう。
 そもそも、国会議員の仕事は法案についての議決権を行使するだけではない。国会への法律案提出は内閣が多くを占めているが、議員立法もある。「支持政党なし」は、民意を反映させる上で議員の重要な仕事である議員立法を放棄すると言っているに等しい。内閣立法にしても、成立過程で質問などをして修正を加えるということも議員の仕事なのだが、それも放棄するということになる。

 佐野代表は一番下や左端に「支持政党なし」と表記されるように、一番最後に選管に届け出たそうだ。「支持政党なし」と書くことが政党への投票ではなく、単なる意思表明と勘違いさせる目的なのだろう。それなら、政見放送に出たのは間違いだったのではないか。「支持政党なし」が政治団体と知られると、目論見が崩れるからだ。何も発信しない方が効果的だったのかもしれない。
 たぶん、「支持政党なし」からは当選者は出ないだろうが、どの位得票することになるだろうか。

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