六丈記2

備忘録のようなもの

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休止のお知らせ

iZAの時から数えると5年あまり当ブログを続けてきましたが、しばらくお休みすることにしました。再開は未定です。
今まで拙いブログを読んでくださり感謝いたします。

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ケントはネトウヨ

 先月、月刊誌「Voice」がタレントで米国弁護士のケント・ギルバート氏のインタビュー記事をネット上に公開しました。冒頭の部分だけ引用します。
*** 韓国人こそ歴史を学べ!――朴槿惠大統領は父親を糾弾すべし ***
http://shuchi.php.co.jp/voice/detail/2330?
■「論理的に自爆した」テロリスト
 ――ケント・ギルバートさんは最近、戦後日本の在り方についてのみならず、日韓関係についてもさまざまな意見を述べられており、各方面で大きな反響を呼んでいます。そもそも、このような問題に関心を抱かれた理由を教えていただけますか。

 ケント・ギルバート(以下、ケント) 私はもう日本に40年近く住んでいますが、この国には本当に素晴らしいところがたくさんあります。それなのに、70年も前の戦争の記憶がいまだに日本人の行動や考え方を縛り付けていると感じたんですね。自分なりにいろいろと調べてみると、じつは戦後占領期にGHQが検閲などを通じて日本人に施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」というマインドコントロールが、いまも解けておらず、それがさまざまな分野に悪影響を与えている元凶であることがわかりました。

 日本は早く目覚めなければならないのに、一方で、その状態を利用して、近隣諸国が好き放題にやっている。とくに韓国の論理はメチャクチャで、幼稚なのに、日本はやられっ放しという姿をみて、「いい加減にしろ、あなたたちに何をいう権利があるのだ」と思いました。
******************************************************************
 以下に続くケント・ギルバート氏の発言を要約します。
●マーク・リッパート駐韓米大使襲撃事件で、多くのアメリカ人は、韓国がまともな治安維持能力を持たないことを痛感し、「韓国はまだ一人前ではない」「在韓米軍はやはり必要だ」と考えた。米軍が撤退すれば、北朝鮮軍によって、ソウルは数時間以内に陥落するだろう。
●襲撃犯の金基宗が日本大使襲撃事件を起こした時、韓国メディアは英雄的と報じ、判決には執行猶予が付き、人気者になった。韓国はメディアや世論だけでなく、司法までもが未熟。他国では考えられない。
●安重根が尊敬される歴史上の人物になっていることからして、韓国はテロリストを礼賛する国だと思われても仕方ない。
●韓国人は安重根を理解していない。安重根は明治天皇の信奉者で、伊藤博文を襲った理由は、伊藤を天皇の意思に反する逆賊者と考えたため。安重根の思想は「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」の思想と同じで、安重根を英雄視することは戦前の日本の政治思想を敬っていることにほかならない。歴史を知らない韓国人は論理的に自爆している。歴史的ファクトを無視するから、自己矛盾が生じる。
●韓国人が歴史を学べないのは、漢字が読めないから。日本統治時代の業績をすべて否定するという韓国ナショナリズムのために、韓国政府は漢字の使用を廃止し、ハングル文字のみの使用を推進した。ハングルを蔑み使用を禁じた時代もあったのに、真逆の状況になっている。
●日韓併合の際、日本政府は朝鮮人の識字率向上のために学校を建設し、ハングルも普及させた。
●漢字かな交じり文は合理的で素早く読め、表現の自由度が高い。だから、漢字ハングル交じり文もハングルの単独使用よりも優れた表記法だと思う。止めたのは勿体無い。
●日本人が欧米文明の概念を漢字に翻訳した結果、時代遅れの中華思想のなかで生きていた韓国・中国人が今日の近代的な生活を享受している。
●日本政府が李氏朝鮮時代に厳しい階級格差と差別に苦しんでいた人びとの身分を解放した事実がある。これが最も指摘したい日本の業績の一つ。両班階級は、労働を嫌悪し、下層の者から収奪して徹底的にいじめた。一方、賤民階級は激しい差別を受け、奴隷として市場で人身売買された。白丁は人間と認められていなかった。当然、文盲だった。
●日本にも階級差別はあったが、統治者となった武士階級は兵士であり有能な官僚でもあった。江戸時代、「清貧」と「誇り」を維持した武士は、庶民の期待と憧れを受け、庶民の恨みと憎悪の対象だった両班とは真逆の存在だった。
●朝鮮や中国だけでなく欧米でも当たり前だった奴隷売買の習慣が日本に無かった理由は、日本人全員が天皇の下にいる臣民だから。
●朝鮮の激しい身分差別と悪しき因襲は、近代化の最大の足かせになることは明白であり、文明開化を実現した日本人には受け入れられないことだったので、劇的な「身分解放」を行なった。
●日本は、階級差別を無くして学問の機会を提供し、白丁でも学校に行けるようにした。日本の朝鮮半島政策は、搾取目的の「植民地化」ではなく、自国の一部として迎え入れる「併合」だった。奴隷に勉強は教えない。
●日本政府の「身分解放」は、リンカーン大統領の「奴隷解放宣言」に匹敵する先進的な政策であり、韓国近代化の第一歩だったことは疑う余地のない歴史的事実だ。これだけでも日本に大恩があるはずだが、韓国人から身分解放に対する感謝の言葉は聞いたことがない。
●北朝鮮にある水豊ダムは、日本政府が莫大な予算を投入して建設した。それだけでも朝鮮半島の近代化に尽力したのが分かる。
●日本が朝鮮半島の発展のために努力したことを、韓国政府、マスコミ、真実の歴史を調べもしない多くの韓国人が口汚く罵っている。永遠の「中二病」のようだ。外国人による日本人の評価は、「正直」「誠実」「親切」「勤勉」「冷静」「寛容」「トラブルを起こさない」などだが、韓国人はこの真逆だ。知れば知るほど韓国から気持ちが離れ、どんどん日本から離れ難くなる外国人は多い。
●教科書問題については、日韓で教科書と根拠資料を出し合い、内容の妥当性を話し合えばいい。日韓歴史共同研究は非公開だったが、次は公開でやろう。
●韓国は戦後一貫して「戦勝国の一員」だと主張し、「連合国側だった」と自己洗脳する努力を重ねてきた。だが、終戦まで朝鮮半島は「日本領土」だった。これが歴史的事実。韓国人の先祖は「日本人」として連合国と戦い、敗戦の日を迎えた。戦後に建国された大韓民国の国民ではなかった。存在しなかった国がどうして「戦勝国」になれるのか。
●日韓基本条約締結の時、日本政府が「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行なう」と提案したことは、法律に適合した真摯なものだった。だが、韓国政府は日本の提案を拒絶し、個人への補償は韓国政府が行なうとして一括支払いを求めた。それで、日本政府は「独立祝賀金」という名目で、無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与と融資を行った。
●法律論でいえば、オランダがインドネシアに対して行なったように、過去に投じたインフラ整備費用を請求できたが、当時の日本政府は請求権をすべて放棄した。日本は、当時の韓国政府の国家予算の2倍以上の金を支払い、莫大な投資をした近代的インフラを無償贈与し、韓国の飛躍的な発展を助けた。
●1997年の韓国通貨危機、2006年のウォン高騰に対する経済支援、08年のリーマン・ショック後の支援など、日本は毎回韓国に兆単位の資金を提供し続けてきた。日韓ワールドカップのときはスタジアム建設費用も提供している。しかし、韓国に貸し付けた資金は、まだ一部しか返還されておらず、東日本大震災後のサッカーの試合では「日本の大地震をお祝いします」という横断幕を掲げた韓国人サポーターまで現れる始末だ。
●強い者には媚を売る事大主義。強い相手が複数だと二股三股。弱いとみた相手からは「ゆすり」「たかり」で金を巻き上げ、罵詈雑言を浴びせ、酷い仕打ちをする。それが伝統的な「両班」の精神。大国に翻弄されて身に付けたサバイバル術かもしれないが、この様な事をしていたら、国際社会で評価や尊敬をされるはずがない。良識ある韓国人は、声を上げるべき。
●謝罪するたびに金を要求される悪徳商法にいつまで付き合うつもりなのか。韓国人に対しては、歴史的事実を提示するだけでいい。謝れば謝るほど、「もっと謝れ」「もっと金出せ」といわれるだけだ。
●日本人は忍耐強いが、怒ると相討ち覚悟で徹底的にやる。「いい加減にしないと、死ぬほど痛い目に遭うよ」と韓国人に教えた方が良い。
●韓国人には、慰安婦問題や日本軍の蛮行を責める権利も資格も無い。かつて「日本人」であったという事実もさることながら、慰安婦を管理した大半は朝鮮人経営者で、違法に若い娘たちを売り飛ばしていたのも朝鮮人だった。日本政府は、そういう連中を取り締まる側だった。
●朴正熙大統領は、外貨獲得のために在韓米軍を対象にした慰安所を多く整備した。朴槿惠大統領は、まず自分の父親の行為を糾弾すべき。
●ベトナム戦争では、韓国軍が韓国兵専用の慰安所を運営し、ベトナムの民間人に残虐行為を数多く行った。韓国兵がベトナム人女性をレイプした件数は異常なほど多かったが、その事実に向き合っていない。
●慰安婦像の設置はアメリカの公民権法違反の疑いがあるが、大半のアメリカ人は日本人と韓国人の区別もつかず、歴史問題など分かっていない。オバマ大統領も理解していないと思う。日本はアメリカに対してはっきり説明しないとならない。
●誤報問題を引き起こした朝日新聞は、ニューヨーク・タイムズなどに過ちを犯したことを広告し、韓国の新聞にも広告すべき。韓国にも、日本のことを理解し、敬意を抱く人もいるはず。
●「韓国人こそ歴史を学べ」と言いたいが、ハングル文字だけでは歴史的事実を見直せない。議論するなら、漢字の勉強をやり直し、先祖様が書いたものを自分で読めるようになってからだ。
●日韓が国交断絶しても、日本は困らないが、韓国は生きていけない。放っておくのが一番だが、全く付き合わないわけにもいかない。日本人は沈黙せず、冷静かつ論理的に主張して欲しい。
●韓国人は酷い言葉を使って相手を罵るのが得意だが、日本人も同様にすると、外国人はどっちもどっちと思ってしまう。ヘイトスピーチや何でも在日のせいにする風潮は、見ていて情けなく、同じ土俵に下りて欲しくない。だが、韓国の言い掛かりには、歴史的事実を示すことで反撃して欲しいと思う。

 「ケントはネトウヨ」。そんなレッテル貼りがされそうな内容です。でも、ギルバート氏は元からこの様に考えていた訳ではありませんでした。朝日新聞の検証記事で目を覚ましたのです(2014年12月22日エントリー「NYタイムズが植村元記者を取材する 後編」参照)。それまでは、「従軍慰安婦問題はあったのだ!」と信じ込んでいて、友人たちから「従軍慰安婦問題なんて無かったんですよ!」と何度教えられても全く聞く耳を持たなかったのです。ところが、朝日新聞が過去の記事を取り消したことで、「朝日新聞に完全に騙された」との思いに至ったのです。
 ギルバート氏は、先入観が壊れたことによって、従軍慰安婦問題だけではなく左翼的な言説も疑い始めたのでしょう。1年も経たぬ内にここまでの認識を持つようになりました。人は、先入観があると反する事実を示しても拒絶するだけで、先入観が壊れて「騙された」と思うと、急速にそれまでの思想の否定に走り、反対側に振れるということがあります。また、先入観が強いほど振れ幅は大きくなるようです。ギルバート氏はこの好例なのかもしれません。同様の例として、敗戦により、軍国主義者が急に共産主義になるということがありました。しかし、ギルバート氏が転向した軍国主義者と同じだとは言いません。転向した軍国主義者が天皇制に代わる正しいものとして共産主義を信じたこととは、ものの考え方が違うように見えるからです。

 ギルバート氏の話しの多くには賛同します。日本人は沈黙せずに歴史的事実を示してはっきりと論理的に主張すべし、というのも分かります。でも、その効果は如何ほどでしょうか。
 アメリカ人を始めとする外国人の多くは、ギルバート氏が指摘するように、日韓の間に起きていることについてよく理解していないでしょう。中韓のプロパガンダやリベラル系メディアによって作られた先入観で何となく日本が悪いと感じ、「日本が過去に行った悪いことで揉めているんだな」くらいにしか思っていないように思います。その様な状況の中、歴史的事実を示したところで、反省を拒んでいると思われるだけです。事実、慰安婦像の設置について日系人らが反対をした時もそんな反応でした。
 韓国人の場合は、反日教育やメディアによる虚偽情報で洗脳されているので、非常に頑なです。ギルバート氏は「韓国の新聞にも(朝日新聞が誤報したこと認める広告を)掲載すれば、わかる人にはちゃんと伝わります。韓国にも、日本のことを理解して、敬意を抱く立派な人はいるはずです。」と言いますが、昨年、朝日新聞が慰安婦報道の誤報を認めたということは韓国でも報道され、その時の韓国人の反応は、右翼に朝日新聞が不当にバッシングされているというようなものでした。だから、広告くらいで、韓国社会が変わるとは思えません。
 とはいえ、韓国にも韓国の歴史認識は誤っていると批判する人はいます。例えば、「親日派のための弁明」の著者のキム・ワンソプ氏がそうです。でも、キム・ワンソプ氏が元からこうした見解を持っていたのではありません。キム・ワンソプ氏は、反日歴史教育を疑うことなく育った人で、日本人に憎悪を持ち、阪神大震災が起きた時は歓喜していたのです。それが変わったのは、オーストラリアなどに滞在している間に様々な書物を読むうち、教えられた歴史が世界の常識とかけ離れていると気付いたからです。でも、このような例は極稀です。多くの韓国人が留学していますが、反日歴史教育から離れられないのが現実です。その一例として、キム・ワンソプ氏がソウル大学国史学科のホームページの掲示板で発見したとして書いている、アメリカ留学で韓国史の授業をとった韓国人学生の話があります。その学生はアメリカ人教授から「韓国政府は韓国と日本の関係について誇張された歴史を教えているのではないか」と指摘され、愛国的態度で強く抵抗したらしいのですが、結局、アメリカの学者が韓国の歴史を歪曲していると憤慨したとのことです。
 韓国人の反日イデオロギーは強固で、異論は許さないなのです。キム・ワンソプ氏は「親日派のための弁明」を出版したことで、名誉毀損罪に問われて有罪となり、本は事実上の発禁になりました。その後も親日関連で、暴行受けたり、名誉で検察に起訴されたり、賠償命令を受けたりしています。逆にキム・ワンソプ氏が脅迫されても不起訴処分で済まされ、事実上の出国禁止処分になっています。親日派は社会的に抹殺されるのです。こんな状況では、真実を知ったとしても、表立って活動は出来ないでしょう。シンシアリー氏のように匿名で外国人相手に活動するのが限界ではないでしょうか。韓国内で主張を広められないのですから、韓国社会の歴史認識を変えるのは非常に難しいと言わざる得ません。

 韓国社会に向かって歴史認識が間違っていると言っても、検証しようともしないで「妄言だ、歪曲だ」と反発するだけです。韓国に理解してもらおうと考えるのは止めた方が良いのかもしれません。むしろ、ギルバート氏ような人物を増やす方に注力すべきと思います。世界で日本の歴史認識の方が正しいと思われれば、韓国が孤立し、韓国のプロパガンダも効力を失います。
 そのためには切っ掛けを作らないとなりません。ギルバート氏が朝日新聞の検証記事で目を覚ましたような切っ掛けがなければ、世界の認識を変えるのは難しいでしょう。だけども、切っ掛けによって一度目を覚ませば、騙されたという思いからギルバート氏のように自ら韓国の主張の不条理を解き明かして行く様になるのではないでしょうか。ただし、日本の左翼学者や運動家の主張がイデオロギーによって歪められたものだという世論形成がなされていないと、目を覚ましても左翼によって引き戻されるとも限りません。
 何が切っ掛けとなりうるでしょうか。目を覚まさせるのですから、分かり易くて簡潔なものの方が受け入れやすいでしょう。全エントリー「歴史認識問題に関する一考察2」では、韓国が第二次世界大戦の戦勝国と主張していることを広めることが効果的と書きましたが、これが切っ掛けとして最適ではないかと思います。南北朝鮮以外でそう認識されておらず、韓国の主張が間違っていると分かり易いですから。

 世界の人々に目を覚まさせるのも大事ですが、その前に日本人が目を覚まさなくてはなりません。韓国の歴史認識が出鱈目だということを日本人が理解することが必要です。幸いなことに日本国内の世論は、そうなって来ているように思えます。

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村岡元オウム代表の談話と後継団体の動向

 地下鉄サリン事件から20年となる3月20日、日刊スポーツが元オウム幹部の村岡達子氏のインタビューを掲載していた。
 「村岡達子」という名を聞いても、門外漢には強制捜査後に突如オウム真理教の代表になった人物ということくらいしか記憶がない。ただ、村岡氏に対しては、オウムの大臣でもなく、選挙にも出馬しなかった無名に人物が、何故ゆえに代表に抜擢されたのかと疑問にも思っていた。それで、この機会に村岡氏について少々調べてみた。
 ウィキペディアの「村岡達子」の項に記載されている代表就任までの事柄は、
●1950年3月生まれ
●広島県福山市出身
●ホーリーネーム「ウッタマー」
●ステージ「正悟師」
●1988年入信
●教団内での仕事は、仏典の翻訳や通訳
●教団代表の麻原や代表代行の松本知子の逮捕により、代表代行に就任
この程度のことでしかない。肝心の代表代行就任に至る理由が載っていない。
 それで、過去のオウム報道の資料を調べてみることにしたところ、「フライデーSpecial’95総集編(1995年12月19日増刊号)」から「三女アーチャリーのお守り役をつとめる村岡達子」という記述を発見した。そこから推測すると、村岡氏が代表代行に抜擢された理由は、「残された教団幹部の中で松本家に一番近い存在だったから」ということではないだろうか。

 閑話休題。そんな村岡氏がオウムを離れ、現在の心境を語っている。

*** 元オウム村岡達子氏が語る地下鉄サリンから20年 ***
http://www.nikkansports.com/general/news/1449249.html
~省略~
 「20年たって初めて、心から、ごめんなさい、できるなら献花をさせてほしい。そういう気持ちになれました。事件で苦しみ、大切な方を失い、悲しい思いをされた被害者の方、その方々につながるすべての方々に、ただただ、ごめんなさいと、今は本心から、そう思っています」。
 西日本地方の町に1人で暮らす村岡氏は、夕方の公園で取材にそう答えた。

 1987年。37歳の時、書店で松本死刑囚の著書を目にした。上智大を4年で中退し、結婚、離婚を経て、渡米。ベンチャー企業に勤めたが、本格的な米国移住を前に会社が倒産し、帰国したころだ。「また変な新興宗教だ」。そう思いながら本をめくった。生きるとは何か。少女時代から答えが見つからなかった問題。その時は「ここに答えが書いてある」と思った。

村岡氏:正直に話したい。教団での6年半は自分の人生で、もっとも幸せな時期でした。私は仏典の翻訳の仕事ばかりで、ある意味、温室でした。教団が犯罪を行っていたなんて、知らなかった。だから、教祖逮捕後の99年12月、私がオウム真理教代表代行として謝罪しましたが、なぜ謝罪なのか、分からないままの、形だけの謝罪でした。

 教団は00年「アーレフ」(08年アレフに改称)と改称。村岡氏が代表となり、02年、上祐史浩氏(現ひかりの輪代表)が代表に代わった。このころ初めて、自分と教団とを切り離して見る機会が訪れる。

村岡氏:01年に兄から、母が99年12月に亡くなったと聞きました。私が都内のマンションにいたころです。窓の遠くに富士山が見えた。「あそこに尊師の王国があったんだ」。過去形で思ったことに気が付いた。

 その後、教団の分裂騒動が始まる。村岡氏は組織内でも窓際に追われた。信者が共同生活をする施設を出て、1人暮らしを始めた。「社会で生きたい」。そんな気持ちが大きくなった。

村岡氏:09年、あるセミナーに出ました。私が教祖を否定しないから「村岡さんはテロを肯定するのか」と聞かれた。教団の中にいたら「救済」ですから「テロ」とは夢にも思っていない。質問の意味すら分からなかった。しばらく考えて「あ、私は絶対やらない」と。テロはいけない、悪いことだ。殺人はいけない。社会で生きるなら当たり前。でも、教団の外に出ないと、そういう見方にはならなかったんです。

 教祖松本死刑囚の教えの先で事件は起きた。このことを今、どう思うのか。

村岡氏:事件当時、もし知っていたら私は教団にいなかった。それが私の1つの答えです。自分のことは言える。だけど、教祖の否定は言いづらい。私にはかけがえのない人でしたが、事件に関わったドロドロした部分は魅力的ではない。ならばなぜ、否定できないか。分かってもらうのが難しいと思います。でも正直に言います。私にとっては幸せな時代の恩師で、敬愛の気持ちがあるからだと思います。

 今の教団の信者たちに伝えたいことがある。

村岡氏:教団の中にいれば、守られているが故に、事件に向き合わなくてすむ。だけど、出来るなら一度、教団を出て、1人1人が世の中に触れ、自分の信仰のあり方を見つめ直してほしい。向き合わないままでは、社会からは認めてもらえない。

 話し終えた村岡氏は、言った。「私の中でオウム真理教は死にました。一から生き直したい。今はそう思っています」。

◆村岡達子(むらおか・たつこ) 1950年(昭25)生まれ。上智大4年で中退。88年7月、オウム真理教に入信。同年12月、出家。教団では英訳された仏典などの翻訳、通訳を担当。修行のステージは正悟師。地下鉄サリン事件後、松本死刑囚らの逮捕をうけ、同年6月に、教団の代表代行となる。00年、アーレフに改称時から代表。02年の上祐氏の代表就任で同職を退く。アレフに改称(08年)後の11年6月に退会届を出し、教団を離れた。西日本地方に移り、翻訳、内職をして暮らしている。
~省略~
******************************************************

 村岡氏は1999年12月に謝罪を表明していたが、一連の事件がオウムの犯行とは本当に思っていなかったようだ。麻原が逮捕されて4年半という年月の間には、多くのオウム幹部が公判で自己の犯行を証言していたり、数々の物証が発見されるということがあったため、世間でオウムの犯行を否定する者は皆無だった。それにもかかわらず、村岡氏は、オウムの犯行を本心では否定していたのだ。
 村岡氏は事件に関与していなかったのだから、信じられないという気持ちも分からなくないが、証言や物証を冷静に見れば、オウムの犯行が動かしがたい事実と理解できないはずはない。ましてや、村岡氏は教団代表代行という地位にあった。
 村岡氏ら信者と世間との認識ズレは、「洗脳」によって生じたと理解するのが正解なのかもしれないが、その一言で片付けるには安易なような気もしていた。
 ところが、オウム関連のサイトやブログを読むようになり、あることに気付いた。オウム信者は出家により世間との関係を絶っていたため、情報に疎かったのだ。と言うより、外部の情報を入れると悪いエネルギーが入り込み、修行に悪影響を及ぼすと考え、故意に情報を遮断していたと言った方が正しいのかもしれない。門外漢は、内部にいたのだから一般人より詳しいと思いがちだが、信者に見えているのはオウムのほんの一部でしかなかったのだ。考えてみれば、住んでいた敷地内で数々の犯罪行為が行われていながら、多くの信者は全く知らなかった。
 対して、世間の人々はリアルタイムで、マスコミに登場して弁明するオウム幹部や次々に明かされるオウム犯罪の報道など、怒涛のように押し寄せる情報の中でオウムの全体像を認識していった。
 同じ時代を生きていても情報を共有していないのだから、信者と世間の人々との間に感覚のズレが生じるのも当然なのかもしれない。

 また、村岡氏は、オウムが犯した犯罪を認めて教団を離れたにもかかわらず、未だに麻原に対する尊崇の念を抱いているという。脱会しながら麻原への思いを捨てられない者は一定数いるようだ。だから、村岡氏が特別という訳ではない。
 麻原は人を魅了する能力があったのかもしれないが、この様な思いは、オウムに入会していなかった者には理解し難い。客観的に見れば、オウム信者だったことは社会的に大きなマイナスでしかない。それは、教団から社会に出た者なら身に染みている筈だ。それでもなお、その原因を作った麻原を切り離せないでいる。たぶん、麻原に接していなかった者には分からないのだと思う。しかし、分からないなりに想像すると、麻原に帰依する気持ちは無くなってもオウムで得た信仰を捨てた訳ではないからなのではないだろうか。麻原が大悪人であっても、信仰に導いてくれ、修行する環境を与えてくれた恩師であることには変わりなく、信仰を持ち続けている限りはそれを否定することはできない。こういう思いがあるから、教団を捨てることはできても麻原を捨て去ることができないのだと思う。
 
 オウムに司直の手が入ってから16年後、村岡氏は教団を脱会した。教団に居場所をなくしたことが考え直す切っ掛けになったようだ。一時期、代表代行という教団トップの地位にあった者が、何故窓際に追われたのだろうか。
 その疑問を解くため、まず強制捜査後から村岡氏脱会までのオウムの動向を年表にしてみた。

1995年
6月:オウム真理教の代表代行に就任していた松本知子が逮捕され、正悟師からなる長老部(村岡達子、鎌田紳一郎、野田成人、杉浦茂、杉浦実、二ノ宮耕一)が最高意思決定機関となる。代表代行には村岡氏が就任。
1996年
1月:オウムの宗教法人法上の解散が確定。
5月:オウムの破産が確定。
6月:麻原の長男と次男を教祖とする。
1999年
9月:オウムが対外的な宗教活動の休止などの「オウム真理教休眠宣言」を発表。
12月:オウムが「正式見解」を発表し、事件の関与を認め謝罪。賠償も行うとした。
12月:オウム新法(団体規制法)施行。
12月:長老部の鎌田紳一郎氏が脱会。
12月:上祐史浩氏が出所し、教団に戻る。
2000年
2月:オウム新法による公安調査庁長官の観察処分開始。
2月:「オウム真理教」から改名し、宗教団体「アレフ」として活動再開。村岡氏が代表となる。
2月:麻原の次女と三女(アーチャリー)が旭村事件(麻原の長女の元から長男を連れ去ろうとした事件)で逮捕される。次女と三女は保護観察処分、長男は児童相談所に保護される。
2002年
1月:上祐氏が代表に就任し、村岡氏が会長に就任する。アレフが麻原彰晃との決別を表明。
10月:松本知子が出所。
2003年
2月:「アレフ」から「アーレフ」へ改称。
10月:麻原外し路線が反発を招き、上祐氏が失脚。教団の運営は旧長老部に移行する。
2004年
11月:上祐氏が教団運営に復帰。代表派(上祐派またはM派)と主流派(反上祐派またはA派)の対立が深化し、教団は分裂状態。
2006年
9月:松本家に「松本知子作の絵画の使用料」を名目として継続的に資金提供してきたことを認める。
2007年
2月:役員会で、野田成人氏が代表、村岡氏が副代表と決議される。
3月:上祐氏がアーレフから脱会し、分裂。
7月:元長老部の杉浦茂氏と杉浦実氏がアーレフから脱会。
2008年
5月:「アーレフ」から「Aleph(アレフ)」へ改称。
5月:上田竜也氏と松下孝寿氏が共同幹事に就任。アレフの代表は共同幹事とされる。
2009年
3月:野田氏がAlephから除名される。
5月:松下孝寿氏と田中和利氏が共同幹事に就任。
2010年
5月:鈴木一弘氏と田中和利氏が共同幹事に就任。
2011年
6月:村岡氏がAlephを脱会。

 アーレフがひかりの輪とAlephに分裂したことは知っていたが、内紛続きで幹部が次々と脱会していたのは知らなかった。結局、正悟師で残ったのは、二ノ宮耕一氏だけなようだ。
 それはそうと、年表で概要は分かったが、詳しい経緯が分からないので、様々な人の証言を参考にして、自分なりにまとめてみる。

 地下鉄サリン事件の後、オウム真理教は獄中の麻原のメッセージを長老部が受け取って教団運営されるようになった。事件の翌年、オウム真理教は宗教法人ではなくなったが、破壊活動防止法の適用もされず、教団は残った。しかし、反省や謝罪をしない教団への批判は強く、オウム新法の制定に至る。
 教団はアレフへ改称。旭村事件で麻原の家族が教団から離れざるを得なったため、麻原の家族を表向き不参加にし、教団から松本家への資金提供を密かに続ける。
 上祐氏が代表に就任すると、教団の生き残りのために社会との融和路線を進め、オウム事件に対する教団の組織的関与を認めて麻原への信仰を表向き隠した。しかし、それが麻原の家族に上祐氏の教団乗っ取りではないかとの疑念を抱かせる。
 2003年6月、麻原の家族(松本知子、三女アーチャリー、次女カーリー)が信者に秘密裏に働きかけ、上祐氏排除に動く。5人の正悟師(鎌田氏は脱会済み)は麻原の家族側に付き、上祐降ろしに加担、二宮氏や村岡氏が積極的に動いた。上祐氏は魔境に入ったとされ、修行名目で軟禁状態になり、教団運営から外される。教団内に上祐路線に対する反発が根強くあったこと、更に麻原が長男と次男を後継者に指名していたため、麻原の家族がどの信者よりも上位に位置付けられており、正面切って反抗し難いという意識が働いたことが上祐氏排除をスムーズに運ばせた一因のようだ。
 上祐氏が排除されると、松本知子とアーチャリーが裏で長老部に指示するという形で教団は運営されるが、無責任な松本家に正悟師の二宮氏や杉浦茂氏が距離を置き、野田氏が専ら担うようになる。だが、野田氏が2004年7月に薬事法違反で逮捕されてしまう。そのため、二宮氏と杉浦茂氏が上祐氏の復帰を求め、11月に上祐氏が返り咲く。復帰した上祐氏は松本家批判を展開、教団が分裂状態になる。
 経理を担当していた正悟師の杉浦実氏が中間派として主流派に妥協を働きかけるが、資金運用の責任を負わされて2005年11月に経理担当を辞任する。村岡氏が経理担当を引き継ぐ。
 2005年12月、野田氏が出所し、教団に戻るが、教団は村岡氏らに仕切られていた。野田氏はアーチャリーの指示で修行に出され、教団運営から外される。
 表立って動けない松本知子とアーチャリーは、村岡氏を通じて主流派をまとめ、代表派に対抗していた。ところが、2006年2月に四女(ペンネーム・松本聡香)が松本知子やアーチャリーに反発して松本家から家出したことで、状況が変わる。四女が村岡氏に接触し、アーチャリーが弟を虐待していることを相談する。それが契機となり、村岡氏は、松本知子やアーチャリーより霊性が高いと考える四女を教団に入れ、主流派と代表派の抗争を収めることを考え始め、3月に中間派に転じた。そのため、村岡氏は主流派から裏切り者扱いを受け、排除される。四女は教団から離れて自立したいとジャーナリストの江川紹子氏に申し出、江川氏は2006年8月に四女の未成年後見人となることを表明する。
 教団は、上祐氏率いる代表派、松本家と通じている(広報部長として名を知られた荒木浩氏らが個人的に家族に接触している)主流派、どちら側にも属さない中間派に別れ、分裂へと進む。正悟師は5人の内、二宮氏だけが主流派で、村岡氏、野田氏、杉浦両氏は中間派という色分けになっていた。
 2007年2月、上祐代表の後任を決める役員会が上祐氏出席の下で開かれ、野田氏が後任となる。しかし、主流派はこれを認めない。代表派はステージが「師」クラスの30人程が中心になって合同で運営されており、事実上の教団運営は主流派の合同会議が取り仕切っていた。そのため、野田氏は代表といっても権限が無いに等しかった。
 2007年3月、上祐氏は60名あまりの信者を引き連れて脱会。
 上祐氏が脱会した3月には、江川氏が正式に四女の未成年後見人に就いた。ところが、四女が江川氏との約束を破って、信者や元信者に「私には尊師から(霊的に)コンタクトがあり、尊師の意思がわかる。私について来なさい。」と語って独自の麻原信仰グループ作りをしていたことが発覚する。それが原因で、四女が江川氏の下から失踪して音信不通となったことから、江川氏は「教祖の後継者という自覚で行動している者を支援していくわけには参りません」と表明して2007年9月に四女の未成年後見人を辞任する事態になった。
 2008年5月、「Aleph」へ改称すると共に、代表は共同幹事とされた。これにより、主流派が名実共に実権を握る。この年、四女に肩入れして異端視されていた村岡氏は、追い出されるような形で教団所有のアパートに住まわされ、教団に全く関われない状態に置かれた。
 2009年3月、野田氏の個人ブログの内容が問題視され、野田氏がAlephから除名となる。
 2011年6月、村岡氏が教団に見切りを付けてAlephを脱会。

 松本知子は(松本明香里)自身の裁判でオウムを批判し、今後は教団と関わらないと言っていたが、実際はアーチャリーと共に教団を裏側から支配しようとしていたらしい。また、四女も教団支配を目論んでいたようだ。
 松本家の裏支配は、教団の分裂を招き、上祐氏に組しない信者まで脱会に追い込むことになり、純化した。結果的に、正大師や正悟師という権威を排除することで、松本家が自らの権威を高めたことになったのは間違いない。
 近年の報道で、Alephが麻原の肖像画を掲げるなど、麻原回帰を鮮明にしていると報じられていたが、今頃になってこの様な動きなっているのは、松本家がAlephを掌握したからだと思われる。松本家は教団支配を強固にするために、松本家の権威の根源である麻原彰晃を前面に押し出し、血のつながりを強調しているのではないだろうか。だから、麻原への信仰を隠さなくなったのだと思う。
 松本家がAlephの支配に執着するのは、麻原の処刑後のことを考えているからなのかもしれない。麻原の処刑でたがが外れ、信者達がバラバラになることを恐れて今の内からしっかりとコントロール下に置こうとしているのではないか。松本家にとっては、唯一の資金源であり、将来に長男や次男を教団のトップに据えたいと目論んでいるだろうから。

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オウム真理教強制捜査報道写真
http://axolotlfc2.blog.fc2.com/blog-entry-1881.html?sp
村岡達子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E9%81%94%E5%AD%90
アレフ (宗教団体)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%95_(%E5%AE%97%E6%95%99%E5%9B%A3%E4%BD%93)
麻原の家族が、教団を裏支配するようになる以前の経緯
http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-95.html
「麻原家族の教団関与の実態」目次・まとめページ
http://alephmondaitaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-122.html
江川紹子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E7%B4%B9%E5%AD%90
麻原四女の著書における、上祐代表に関する記載の誤りについて
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization1/cat200/post.html
野田成人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%88%90%E4%BA%BA

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ダルビッシュが今シーズン中に左腕投手として復帰する模様

 3月17日に右肘のトミー・ジョン手術を受けたテキサス・レンジャースのダルビッシュ投手は、既に固定具を外し、順調に回復していると伝えられている。早期の復帰が待たれるが、1年以上のリハビリ期間が必要とされているため、復帰は早くても来シーズンになると言われていた。
 しかし、United Sports Onlineは、ダルビッシュ投手が今シーズン中に復帰する可能性を報じている。

 記事によれば、左投げで中継ぎ投手が務まるか、レンジャースがその可能性を探っているのだそうだ。ダルビッシュ投手は右投げだが、左右の筋肉バランスを取る目的で以前から左腕でも投球練習をしていて、130km/hを超える速球に加え変化球も投げていた。ピッチングコーチがこれに着目し、リハビリ中のダルビッシュに試しに左投げをさせてみたところ、140km/hに迫るストレート、スライダー、フォーク、カーブ、ナックルを投げたそうだ。右肘の手術からあまり日が経っていないため、右肘を庇いながら投げたにもかかわらずこの結果だから、ピッチングコーチは十分可能性を感じたらしい。
 ピッチングコーチは、変化球に右投げ程のキレが無く平均的で、1イニング限定なら140km/h後半の球速が出ると見ているそうだ。これだけなら平凡な投手だが、右では投げていなかったナックルが非常に良いそうで、ピッチングコーチは「アストロズのアルテューベでもミートするのは難しいだろう」と語っている。
 ナックルが非凡にしても、ダルビッシュにリハビリを専念させる以上の価値があるのかと疑問に思わなくは無いが、レンジャース側には思惑があるという。レンジャース幹部は「今シーズン、左投げが通用すれば、来シーズンはスイッチピッチャーをさせたい。」と語り、「本格的なスイッチピッチャーが誕生すると話題にもなる。」と経営上のメリットを強調する。ダルビッシュ本人も「右肘の負担が減るし、グレッグ・ハリス以来の歴史的なことだからファンも喜んでくれると思う。」とスイッチピッチャーに前向きだ。

 左投げのテストは、右肘の靭帯に移植した腱の損傷の心配が無くなる4月末にもう一度行う予定で、その結果しだいで今後の方針を決定するとのことだが、レンジャース側は8月頃の復帰を願っているそうだ。もしかしたらこの夏、ナックルボーラーとして復活したダルビッシュを見ることになるかもしれない。

ダルビッシュ投手左腕


※グレッグ・ハリスは近代メジャーリーグで唯一のスイッチピッチャーだが、左右投げをしたのは1試合(1995年9月28日)のみ。
※現在、アスレチックスに所属するパット・ベンディットJr投手がスイッチピッチャーをしているが、メジャー経験は無い。メジャー初昇格は今年も難しいと見られている。

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麻原彰晃は朝鮮系という噂

 「麻原彰晃の父親は在日朝鮮人」という話をネット上で何度か目にしたことがある。真偽不明な情報なので気にも留めていなかったが、「TOCANA」が麻原在日説を取り上げていたので、麻原在日説について考えてみる。

 「TOCANA」は、「宝島30」(1995年12月号)の「麻原彰晃・出生の謎」という記事を紹介してデマであるとし、「凶悪な事件が発生すると犯人が在日と規定される――さながら現代のヘイトスピーチにも通じるような現象である。」と結論を下していた。
 「TOCANA」が掲載していた「宝島30」の内容を要約するとこうなる。
●作家の中島渉氏が出生地である熊本や韓国を調べた。
●韓国の役場で戸籍調査したところ、「戦時中の創氏改名において麻原の本名となる松本性を名乗った朝鮮人はいたようだが、麻原の父や祖父の名前は見つからない。さらに、朝鮮で没したといわれる麻原の祖母についての記録も存在しなかった。」。
●祖父の職業は、日本人経営の農場に働きに来た小作人。
●麻原の出自の調査のために韓国を訪れた日本のマスコミは、中島氏の以前にはいなかった。
●被差別部落出身説についても、無関係。
●麻原が会う人物によって「私は在日」「私は部落民」と立場を変えた発言を行い、相手を取り込んでいった。
 「麻原彰晃の父は朝鮮で生まれている。麻原の祖父が家族で日本から朝鮮へ渡り、現地で子どもが生まれたもので、麻原の父は外地生まれの日本人となる。戦前戦中においては取り 立てて珍しいことではない。祖父の職業については、高山文彦氏の『麻原彰晃の誕生』(文藝春秋)においては警察官とされている」との記述があるが、これは「宝島30」に書いてあるのではなく、TOCANAのライターが独自に書き加えたものだろう。ちなみに、「麻原彰晃の誕生」の出版年は2006年だ。

 麻原は選挙に出馬していたので、日本国籍を保有していることに疑いは無い。であれば、日本の戸籍も保有している。
 麻原の家系が明治以降に帰化したかどうかを調べるのであれば、松本家の戸籍を遡って調査したらいいだけだ。韓国で戸籍調査をする必要はない。なのに、韓国に渡って戸籍調査をしたのは、松本家の除籍簿などを調べられなかったので、代わりに韓国で調べたということだろう。
 大体、韓国での戸籍調査にどれ程の意味があるのだろうか。朝鮮戸籍(併合中に朝鮮で用いられた戸籍)に記載されている松本性の朝鮮人の中に麻原の父や祖父の名前が無かったからといって、麻原のルーツが朝鮮と無関係であることを証明することにならない。麻原の父や祖父が、戦前に内地戸籍へ転籍した、若しくは戦後に帰化したのであれば、朝鮮戸籍で松本性の朝鮮人を調べても無意味だ。
 ところで、麻原の祖父が日本人経営の農場で小作人をしていたとの情報はどの様にして得たのだろうか。若し、韓国での調査で農場関係者から得られたのだとするなら、松本家の朝鮮での様子が語られてもいいと思うのだが。

 「麻原彰晃の父親は在日朝鮮人」という話は、「週刊現代」1995年5月27日号で、代議士だった栗本慎一郎氏が「父親は、在日朝鮮人である」と述べていたというのが根拠になっているらしい。該当の記事を確認してみると、「在日朝鮮人」とは書いていなかった。
*** 週刊現代1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」 ***
 実は’91年晩秋に、麻原と会談したことがある。話題は輪廻転生や空中浮遊の科学的根拠などで、当然彼の超能力の可能性は否定してやったんだが、会談に先立って、意外な事実をつかんだんです。麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人だったんです。
***************************************************************************
 「麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人」では、麻原の父が「朝鮮人」とも「朝鮮人ではない」とも断定できない。栗本氏はどの様な意味で言ったのだろうか。

 麻原の出自に関しては、この様な著作物もあるらしい。
●「週刊文春」2000年新年合併号
 「松本の祖父は熊本県出身の警察官で、戦前に朝鮮半島に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」
●高山文彦著「麻原彰晃の誕生」(出版年は2006年)
 親族が「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、朝鮮から引き揚げてきた日本人」と証言している。松本の父は現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面の生まれ。
●「オウム真理教大辞典」(出版年は2003年)
 麻原本人が「在日」「部落」発言をしていたという噂により、在日説、部落出身説があったが、デマである。

 「オウム真理教大辞典」は「宝島30」の「麻原彰晃・出生の謎」という記事を引用していると思われるので、新たなソースとして扱うわけにはいかないが、「週刊文春」と「麻原彰晃の誕生」からすると、「朝鮮から日本へ渡ってきた人」は引き揚げ者のことだと推測される。
 しかし、ネット上には「ジャーナリストの江川紹子氏も【朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた】 と裁判傍聴記録で確認している。」との記述も多く見られる。「裁判記録で確認」なら分かるが、「裁判傍聴記録で確認」というのは変だ。オウム裁判を丹念に傍聴していた江川氏が誰の傍聴の記録を参照したというのだろうか。
 調べてみると、江川氏の著書に「『オウム真理教』裁判傍聴記〈1〉」「『オウム真理教』裁判傍聴記〈2〉」という本があった。裁判傍聴記録とはこの本を指しているのではないかと思い、「『オウム真理教』裁判傍聴記」の中に「朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた」の記述があると示しているサイト等がないかと探してみたが見つからない。

 調べを進めていると、「国民が知らない反日の実態」というサイトの「■教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)の父親は朝鮮人だった」に【朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた】との記述があり、リンク先が貼られているのが分かった。そのリンク先は「OKWave」だった。
****************************
http://okwave.jp/qa/q3002363.html
==質問==2007-05-15
「彼らは日本人じゃない?」
過去の質問と回答を見ていたら、浅原彰晃、池田小学校事件の宅間守、酒鬼薔薇聖斗の東慎一郎は、皆日本人ではないとの記述に出くわしました。これは事実でしょうか? ご存知の方教えてください。
=====

==回答No.3==2007-05-16
回答者:password
何も調査せずに、嘘付き呼ばわりするのも プロパガンタですので
誤魔化されないようにねw

麻原は父親の時に帰化していますので、日本人です。
(家族構成など、アメリカの報道機関で詳しく報道されています)

東慎一郎は 在日部落出身ですが、両親の代で 共に帰化している模様ですが
近所の人の話レベルの情報なので、帰化したかどうかは不明です
=====

==お礼コメント==2007-05-16
回答有難う御座います。 私が見たのとほぼ同じ回答ですが、参考までにアメリカ報道機関の報道内容、など具体的な根拠を示して頂くことは出来ないでしょうか?
=====

==回答No.4==2007-05-16
回答者:password
海外でのリンクは切れて、ミラーも無いようですね。

週刊現代平成7年5月27日号(栗本議員:当時)によれば、
祖父が戦前朝鮮に移民したのがキッカケで、
朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれたそうです。

江川紹子氏も 裁判傍聴記録で確認しているそうですので
まあ、間違いは無いでしょう。

まあ 宅間以外は、『朝鮮系日本人であり 在日では無い』可能性の方が高いでしょう。
(宅間守も在日部落出身で 兄が朝鮮籍である事が晒されたので、在日の可能性がある程度です)
=====
****************************
 前述したが、栗本氏が週刊現代平成7年5月27日号の「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」で語っていたのは、「麻原の父親は朝鮮から日本へ渡ってきた人」であって、「朝鮮籍の子」ではない。なのに、江川氏が確認したことになっている。それに加え、栗本氏は麻原の祖父について一言も語っていないのに、麻原の祖父が戦前に朝鮮へ移民したと言ったことになっている。
 回答者のpassword氏は「朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれたそうです。」をどの様な意味で書いたのだろうか。これでは「松本智津夫が生まれた時に朝鮮籍だった」、または「朝鮮籍の子の下に松本智津夫が生まれた(つまり、松本智津夫の親が朝鮮籍だった)」という2つの意味に取れる。確認する術は無いので、password氏の真意は測りかねるが、後者の意味として受け取られたようだ。

 「"朝鮮籍の子" "松本智津夫として生まれた"」で検索すると、twitter、ブログ、掲示板等に「朝鮮籍の子」と「松本智津夫として生まれた」の2つの語句を含んだ書き込みが見られるが、「回答No.4」以前、つまり2007年5月16日以前に書き込まれたものは無い。とすると、「ジャーナリストの江川紹子氏も【朝鮮籍の子:松本智津夫として生まれた】 と裁判傍聴記録で確認している。」のフレーズはOKWaveの回答を根拠として始まったと考えられる。そうだとしたら、信頼性は無いと言わざる得ないだろう。

 また、password氏は回答No.3で、麻原の父が帰化していてそれをアメリカの報道機関が報道しているとしているが、リンク切れしているとも言っている。
 一寸調べてみたが、麻原の父が帰化人と報道したアメリカのメディアは見つからなかった。時間を掛けて調べれば出で来るのかもしれないが、本当にその様な報道をしたアメリカメディアはあったのだろうか。

 アメリカメディアの報道と書いている訳ではないが、「国民が知らない反日の実態」というサイトには、「米大人類社会学のJames Lett教授 『The Aum Cult, the Cult of Poison Gas』」との記載があり、ウェブ魚拓のリンクが貼られている。
 ウェブ魚拓から「The Aum Cult, the Cult of Poison Gas」という文章を確認すると、「James Lett」の名は無く、「Copyright c 1995 by Jonathan Vankin and John Whalen」と表記されていた。著作権がこの2人にあると主張している文章に、James Lett教授の名が使われているのは何故だろうか。
 それはそうと、「The Aum Cult, the Cult of Poison Gas」にざっと目を通してみた。この文章は、オウム自体や一連の事件と騒動について、日本の報道を参考にして書かれたものの様だ。独自取材をしているようには感じない。
 とはいえ、麻原の出自に関する部分があるのでその部分を抜き出す。
****************************
The Japanese weekly press (the weeklies are Japan's sole bastion of crusading and every-so-often reckless journalism) has been filled with speculation about Aum's connection to the South Korean Unification Church--the Moonies, which itself has long had strong ties, even its origins, in the Korean CIA. This same speculation has extended beyond the pulpy pages of the weeklies. Last week, journalist Takashi Tachibana asserted the Moonie-Aum connection in a TV interview, as well as widespread links between Aum and prominent politicians.

Tachibana didn't cite any evidence, but he does have his credibility to ride on. He's the journalist whose revelations played a leading role in bringing down the government of Lockheed-scandal-connected Prime Minister Kakuei Tanaka.

One weekly reported that Asahara's own father is Korean. The conservative daily press and TV won't touch that one, for fear of stirring up anti-Korean resentment and, possibly, alienating the South Korean government which Japan has recently been bending over backwards to befriend. It was reported that, when the crackdown on Aum began, the cult gave some of its assets to another, unnamed religious organization for safekeeping. The Moonies, perhaps?
****************************
 翻訳する。
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日本の週刊誌(週刊誌は日本における改革運動の唯一の砦で、あらゆることにおいてしばしば無鉄砲なジャーナリズム)は韓国の統一教会-統一教会自体、その出発点から韓国中央情報部と強い結び付きを長く持っている-に対するオウムのコネクションについての憶測で溢れた。この同じ憶測は、週刊誌の低俗なページを越えて広がった。 先週、ジャーナリストの立花隆は、テレビ取材で統一教会信者とオウムの関連性を断言し、その上広範囲に及ぶつながりがオウムと著名な政治家の間にあるとも。

立花は少しも証拠を引用しなかったが、彼は信頼性を持っている。 彼は、暴露によってロッキードスキャンダルと係わっていた田中角栄首相の政権を倒すことに主導的な役割果たしたジャーナリストである。

ある週刊誌が麻原の自身の父が韓国人であると報じた。保守的な日刊新聞とテレビは、反韓の怒りが巻き起こるのを恐れたのと、おそらく、日本が最近、仲良くなるために尽力していた韓国政府に反発することを恐れて、これに触れない。 オウムに対する取締りが始まった時、カルトは保全のために別の無名の宗教団体に一部のその資産を与えたと報じられた。 統一教会、たぶん?
****************************
 下手な翻訳だが、こんな感じだろう。
 麻原の父の情報は、日本の週刊誌からのものだった。おそらく、その週刊誌は「週刊現代」1995年5月27日号ではないだろうか。

 色々調べてみたが、「麻原彰晃の父親は在日朝鮮人」という話に確かな証拠は見つからなかった。では、実際のところ、松本家はどの様に歩んできたのだろうか。改めて情報を整理する。
△麻原の祖父は熊本県出身。
◇麻原の祖父は日本人。
△麻原の祖父は戦前に朝鮮半島に渡った。
△麻原の祖父の朝鮮での職業は警察署長。
◇麻原の祖父の朝鮮での職業は警察官。
▽麻原の祖父の朝鮮での職業は日本人経営の農場で働いていた小作人。
▽麻原の祖母は朝鮮で没したといわれる。
△麻原の祖父は終戦後に熊本へ引き揚げた。
◇麻原の祖父は朝鮮から引き揚げてきた。
◇麻原の父は現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面の生まれ。
※▽、△、◇は引用元を示す。
▽「宝島30」1995年12月号より
△「週刊文春」2000年新年合併号より
◇「麻原彰晃の誕生」より

 松本家の親族が「朝鮮から引き揚げてきた日本人」と証言しているので、これは間違いないと思う。麻原の父が朝鮮生まれというのも、出生地の詳細さ(戸籍からの情報か?)から本当ではないだろうか。
 麻原の祖父の朝鮮での職業については、小作と警察官の二通りある。調べてみると、麻原の父が生まれたとされる全羅北道益山郡春浦面には、肥後熊本藩主だった細川家の第16代当主・細川護立が農場主を務めた「細川侯爵朝鮮農場」があった。細川家は1909年に850町歩の土地を大場村(日本人移民村)で確保し、農場経営を始めた。最盛期には3000町歩(全羅北道益山郡に2000町歩、全羅南道潭陽郡に1000町歩)所有し、数千人の小作人がいたようだ。春浦面大場村は、1996年に春浦面大場村里から春浦面春浦里に改名されたが、まだこの地に1940年代に建てられた細川農場の日本家屋が「旧細川農場家屋」(登録文化財第211号)として残っている。
 また、大場村には今村農場もあった。今村農場は、熊本の小学校校長だった今村一次郎(1874年生まれ)が1906年に朝鮮へ渡り、大場村で農場経営を始め、益山郡に350町歩(所有田250町歩、信託田100町歩)を持つに至ったようだ。
 麻原の祖父の出身地に縁のある地主が、麻原の父の出生地に農場を持っていたということは何らかのつながりを感じさせる。しかし、週刊文春と高山文彦氏が揃って麻原の祖父の職業を警察官としているので、それなりの根拠があることだとも思う。この2つについて整合性を取るとしたら、こういうことになるだろうか。麻原の祖父が地縁絡みで朝鮮に移住してみたものの、異郷での小作農は思った以上に厳しく、日韓併合で警察官が必要とされていたので、早々に転職した。台湾でも日本人小作移民を招来して小作制経営をしよとしたが、離農者が続出してほとんどいなくなり、台湾人小作人を使って成功した農場(南隆農場)があったことを考えると、当たらずとも遠からずではないだろうか。

 麻原の祖父は熊本出身で間違いないだろうが、祖母もそうだとは限らない。麻原の祖父の子が、麻原の父なのか母なのかも分からない。そればかりか、麻原の親が麻原の祖父の実子なのか養子なのかも分からない。ただ、麻原の12歳年上の長兄は1943年頃(麻原は1955年生まれ)に生まれているから、麻原の両親はこの時までに朝鮮で結婚していた筈。長兄が生まれた年には、少なくとも18歳であっただろう。だったら、麻原の親は1925年以前に誕生していると推測される。この頃の男性の初婚年齢は27歳位、女性の初婚年齢は23歳位なので、それを当てはめると、麻原の父は1916年生まれ、麻原の母は1920年生まれとなる。麻原の親が麻原の祖父の長子とは限らないので、麻原の祖父が朝鮮半島にいた時期はもっと前とも考えられる。そう考えると、麻原の祖父は早い時期、例えば細川農場の開設に合わせて朝鮮へ渡っていたのではないかと思えてくる。そうだとすると、麻原の祖父が警察に勤めていた勤続年数は30年を超えていたかもしれず、警察署長になっていた可能性もあるだろう。麻原の祖父が警察署長という話も本当なのかもしれない。

 麻原のルーツに朝鮮が関係しているとしたら、次のようなケースだろう。
●麻原の祖父が朝鮮で朝鮮人と結婚した(祖母が朝鮮人)
●麻原の祖父が朝鮮人から養子を迎えた(親が朝鮮人)
●麻原の父が朝鮮で朝鮮人と結婚した(母が朝鮮人)
●麻原の母が朝鮮で朝鮮人と結婚し、婿養子にした(父が朝鮮人)
 でも、この様なことに関する情報は全く無い。だから、麻原が朝鮮系という証拠は無いが、朝鮮系では無いという証拠も無い。松本家の誰かが戸籍を遡って調査し、公開すればハッキリすることだが、そういうことは行われないだろう。
 一度立ったこの類の噂は、嘘であることが証明されない限りなかなか消えない。明確な証拠が示される見込みが無いのだから、この先も麻原が朝鮮系という言説は燻り続けるだろう。

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麻原彰晃・在日説はなぜ拡散した? 今、総括するオウム真理教
http://tocana.jp/2015/03/post_5957.html
オウム麻原の父親は朝鮮人。サリンテロは朝鮮人による日本人虐殺テロ攻撃
http://ameblo.jp/sinesayoku/entry-10147496793.html
◎統一協会とオーム真理教と北朝鮮の関係
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/944.html
麻原彰晃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83
■教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)の父親は朝鮮人だった
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/668.html
彼らは日本人じゃない?
http://okwave.jp/qa/q3002363.html
益山・旧細川農場家屋
http://liumeiuru.hacca.jp/75/
韓国KBS【韓国再発見】全羅北道益山市編(2/16)紹介された名所
http://ameblo.jp/tangnamu/entry-11472662960.html
益山イクサンの近代文化遺産 萬頃堤防と細川農場家屋・今井農場家屋 益山再発見の旅②
http://ameblo.jp/tangnamu/entry-11586703284.html
植民地期朝鮮における万頃江改修工事と土地収用令 - 福岡大学
http://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/RonsyuA/Vol10-3/A1003_0001.pdf
三五公司南隆農場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%94%E5%85%AC%E5%8F%B8%E5%8D%97%E9%9A%86%E8%BE%B2%E5%A0%B4

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